青年期 二一歳の冬 四二
誰かがした小さな咳が延々と木霊するような、伽藍とした空間に全員が唖然とした。
「参ったなこりゃ」
中空の壁際から映える階段はひたすらに、ただひたすらに天に向かって伸びており龕灯を向けても終端が見えはしない。
試しにミカが発光術式を起動し、より強力な光で照らしてみたものの、やはり終着点は不明のままだ。
「おかしいな。この灯光術式は集束すれば一〇町は先が見えるんだけども……」
「やっぱり空間が歪んでるな」
首を傾げる友人の言葉に溜息を止められなかった。
この術式は目眩ましの戦闘用にも使えるよう、超大光量に調整されているようで、帝国の度量衡でいえば一km先まで照らせる強さということだ。
しかし、それで先が見えないのは異常だ。外観から巨大さは分かっていたが、流石に胴回りだけでスカイツリーより巨大であろうとも、朧気に天井さえ見えないほど第二層が長い訳もなし。
「しかも帰り道ねぇぞ」
ジークフリートの唾を吐く音が嫌に大きく反響する。
見れば、我々をここに押し上げた台座は継ぎ目も見えないくらいピッタリと地面に嵌まっており、しかも操作するような物も何もない。完全に退路が断たれていた。
「これを登るのか。うんざりするな」
さて、大雑把な目測で直系が五〇〇mばかしだとすると、円周でいえば一,五〇〇mとちょいってところか。角度が緩やかなのもあって何段あるか想像もつかない。
しかも、何の皮肉か手摺りすらないというのに、登り口には歓迎するような門がある。
画かれているのは文字……いや文字かコレ?
「誰か分かるかい? いや、最早どこの言語かさえ……」
私はチョットコトバワカル勢なので上古語、南内海語、帝国語の分岐言語を幾つか解読できるのだが、それをして実にさっぱりである。
言語体系はアルファベットに似ている、この辺りの言語とは形状自体が違うので余所の大陸の言葉なのだろうかと思っていると、ポンとカーヤ嬢が手を打った。
「あ、鏡文字ですよこれ」
「なに?」
「最初教えた時、ディー君がそうだったんで思い出せました。これ、左右逆転してます。しかも上下も」
「ばっ、おまっ、カーヤ!!」
恥ずかしそうにしているジークフリートには悪いが、カーヤ嬢は良い働きをした。正しくアイデアチェックが良い方に働いた結果だ。
「高みに応えあり、だそうですよ」
しかし、鏡文字か。暗号としては普通過ぎて全く発想になかった。
この面子、なまじっか多言語使いばっかりだから、ついつい発想がそっちに行くんだよな。
「分かりきったことを抜かすもんだ。とりあえず鎧を脱ごうか。これを着て階段ってのは消耗が激しすぎる」
「そうだな……鎧櫃持ってきててよかったぜ」
装甲点が守ってくれないのは些か不安ではあるが、鎧を着たままだと戦う以前に消耗しきりそうなので、ここは折角担いできた鎧櫃にしまって身軽になろう。
我々はちょっと立ち止まって五秒も大人しくしていれば、持久力が全回復するような存在ではないのだ。長丁場なのが見て取れる有様に挑むにあたって、体力の温存は必至である。
階段でへとへとになって、いざボス戦と相成った時に満身創痍では笑い話にもならんよ。
それに、これだけ視界が開けているのだから――不思議と月明かりだけでもよく見える――敵襲も不意討ちもなさそうだ。
なら、重たい甲冑は脱いで担いだ方がいい。前衛組の背嚢は上に鎧櫃を重ねられるような構造になっており、長期行軍に適した特注品なのだ。
短期決戦を挑んで総身甲冑で挑み、運搬方法をケチった先人がいたならば、どのような心境だったのだろう。
「ああ、嫌な臭いがすると思ったら……」
鎧を脱いで格納していると、先行して階段の様子を見に行ったマルギットが死体を見つけた。
恐らく転落したのだろう。四肢が面白おかしい方向を向いて前衛芸術めいた亡骸は、相当の時間が経っているのか美事に屍蝋化が進んでいた。
おかしいな、ここまで綺麗に死体が蝋化する環境には見えないのだけど。もしかして細菌なんぞの繁殖すらしない状況なのか?
「転げ落ちたら終わりか」
「幸いにも幅はありますわ。ただ、ご覧くださいまし」
相方が指さす階段は、一段一段の奥行きが酷く狭い。あまり大男といえない私の足でさえ、効率的に登ろうとすればつま先立ちした方が良いくらいに間隔がない。高さはそれほどではないのが逆に鬱陶しい。
しかもだ。
「え? もしかして踊り場とかない?」
「どうやって崩壊しないで成立してるんだろうね。柱もないのに」
果てしない階段を見上げれば、どうにもあってしかるべき物がない。
建物の構造を支える柱も、所々で加重を分散する踊り場すらないのだ。専門家たるミカは大いに首を傾げ、この塔が持つ異常性に改めて驚いていた。
うーん、いよいよ以てどっかの財団に収容して欲しい雰囲気が強まってきたな。何か前世で見たことあるような気がするぞ、これ。
「参ったな、途中で大休止ができないぞ」
「横になるどころか、碌に座れそうにねぇなぁ」
「野営もむりそうですね」
ジークフリートが試しに座ってみるが幅の狭さ的に収まりが悪く、背嚢は脱いで置いたらちょっとした衝撃で滑り落ちそうだ。
その上、セス嬢が仰る通り煮炊きする余白なんぞ見当たらないし、何より寝っ転がるなど以ての外。下手に横になったが最後、虚空に投げ出されるか骨と内臓が混淆された肉袋になりながら下まで転げ落ちるかのどちらかだろう。
一階であんだけ精神を試してきたのに、二階から雰囲気を思いっきり体育会系に変えるのはやめてもろて……。
「仕方ない、うだうだ言って減る訳でもないし登るか」
「こりゃ膝と腰にクるだろうなぁ」
改めて柔軟を挟んでから、我々は階段に挑み掛かった。
これといって罠もなく、足は快調に進むのだが、如何せんダラダラ締まりがないので緊張が続かない。
さりとて、急に壁が横滑りして敵が出てきたり、上から何か降ってきたりするかもしれないので油断ならぬ。
ほら、長い螺旋階段とかお約束じゃない。鉄球とか爆発物が詰まった樽が降ってくるとかさ。
黙々と登ること四半刻、ふとおかしいと気が付いた。
「……下に灯りが見えない」
「え?」
どれくらい登ったかの指標にしようと思って〈焼夷テルミット術式〉の触媒を一つ解し、長く燃える焚火を置いてきたのだが、階段の縁から見下ろしても見えないのだ。
三十分も登ったといえど、この暗さで光が完全に見えなくなるのは妙ではないか。
試しにミカが下を照らしてみれば、集束した一筋の光は闇に呑まれて消えていく。無限に落ち続けるのではないかと錯覚する闇だけが、そこには暗渠に溜まった水が如く静々と存在している。
「ただ登ればいいって訳でもなさそうだな」
私は独り言ちて、試しに懐から小石を一個取りだした。
こういった冒険の時、罠を用心して行き先に放り投げるようの物を幾つか忍ばせてあるのだ。
因みに、マルギットはより洗練された方法を使う。魔力を探知する指輪と同じ術式を施した、金属の円環に紐を通した物を用意している。これを放り投げては紐を手繰って進む姿は、何処かのチェルノブイリを思い出させるね。
「一、二、三…………」
小石を放って耳を澄ませ、時間を数える。
この世界でも物理法則は殆ど変わらず、自由落下時は毎秒毎秒九,八。手を離してから落下した音が反響するまでの時間で深さが大体分かる。
「……いやおかしいだろ」
「しませんねぇ、音」
ぱちくりと目を瞬かせながらセス嬢が深淵を覗き込むが、暗視を可能とする目を以てしても底は見えないらしい。
「そんなに登ってないよな?」
「僕、段数数えながら登ってるんだけど、傾斜角度と一段の高さ的にそんなにだよ」
建築の専門家らしく几帳面に階段の数を数えていたミカは、この自体の異常性を直ぐに理解してくれた。
高さが狂っているというよりも、この階段自体が狂っている。
何らかのシーンギミックなのだ。普通に登っていれば、絶対に頂上には辿り着けないような。
「なるほど、この露骨な階段自体が罠か」
「どうする? 引き返すか?」
ジークフリートからの問い掛けに首を横に振った。
この手の罠は進路も退路も断つのが定石。恐らく、同じ時間を掛けて下ったからと言って出発点に戻れる可能性は低かろう。
私がGMだったらそうする。
大休止を挟めないような地形にして、脳死で進み続ける一党の体力と物資を延々削るのだ。誰か中の人が異常に気付いて、ただただ体力判定をさせられているだけと気付くまで。
「少し休もう。考えたい」
「そりゃいいが、休むつったってこれじゃあなぁ……」
戦友はあまりに狭い階段を蹴る。尻を収めるには幅が足りず、小休止のお供たる黒茶を入れるために焚火をする空間もない。
しかも角度は緩やかながら延々続いていることもあって、下手に身動ぎして滑り出したら大事だ。
「そこは任せてくれたまえよ」
ふふふと自慢げに笑い、ミカは懐から換装した小枝の束を取り出した。
「これは僕が建てる家、麦芽はないし鼠はいない、猫は狩らずに犬も驚かないですむ、これは僕が建てる家……」
即興詩調の術式を詠唱して枝が放られると、見る間に階段に定着して小さな露台ができあがったではないか。
細い枝が太く逞しくなって脚と梁を為し天板を支え、広い平面の空間が確保され全員が感嘆した。私は小さく拍手し、ジークフリートは口笛を一つ。魔法が珍しいらしいセス嬢は小さく飛び上がって喜んで――危ないんで止めて貰っていいですかね――カーヤ嬢は基底現実空間を即時的にねじ曲げる力の強さに見惚れているようだった。
「荒れ地や沼地で野営する時に備えて考えた式でね。省燃費で平らな床が手に入る。悪くないだろう? 階段自体に魔力で干渉しないで済むしね」
「最高だ、我が友。やはり君は私達を導いてくれる良い魔法使いさ」
「ふふ」
賛辞を送れば少し恥ずかしそうに鼻の下を掻く友だが、本当に謙遜する必要のない優れた術式だと思う。平坦な所で眠れる贅沢というものは、道なき道を征くと本当に何よりも恋しいものだからな。
階段の上に渡された露台の上に乗って各々荷物を下ろし、靴を脱ぐなどして休憩の姿勢に入った。
「カーヤ、大丈夫か?」
「うん、大丈夫だよディーくん。でも、ちょっと脹ら脛が張ってるかな……」
階段を登る負担は同じ距離の道を歩くのと段違いに強い。脚を普通より高く上げないといけないし、重心は前気味に傾けねば転ぶことを思うと腰にも負担がかかる。我々も方々に行って鍛えられてはいるが、これだけ長く階段だけを登ったことがないので明らかに消耗していた。
各々靴を脱いで足を揉んでむくみを追い払っているが、荷物の重さもあって三〇分かそこらで大分キてるな。やはり鍛えていても、普段あまり使わない筋肉を酷使すると体が文句を言うのも早い。
「二本足の方々は大変ですわねぇ」
その中で平気そうにしているのは、普段から壁やら段差やらを乗り越えるのになれている、我が多脚の幼馴染みだけ。こういう時、ヒト種という特徴のない肉体に生まれたのが悔やまれるね。
「三日分の食料も背負うとなると、やっぱり辛いね」
補給を受けられなかったことを想定し、背嚢はパンパンなので如何ともし難い。水は魔法使い勢が大気から抽出できるので省いているが、それでもずっしりと肩に食い込むのがね。
「あとどれくらい登れそうでして?」
「一刻も登ったら足が棒になるんじゃないかなぁ……」
階段は下手な山道より辛い。山道や丘などの傾斜を歩くにあたって負担を軽くする方法を我々は熟知しているが、階段は勝手も違うから如何ともし難い。もう二時間ほど同じことを続けていたら、我々の足はパンッパンに張って長靴にねじ込めなくなるかもしれんな。
どれくらい登れば終わりが来るのか……。
「あ、いや、待てよ」
「どうしたエーリヒ」
カーヤ嬢の足を揉んでやっていたジークフリートが問うてきたので、最初にあった門を思い出せと言ってみた。
この塔を作った野郎は相当のへそ曲がりだ。しかもPCのみならずPLまでもが「いや、それはちょっと……」と言いたくなることを平気でやる気質のDMである。
謎掛けは既にされていた。
我々は階段があれば登る物だと、下りがなければ延々上に行かねば目的地はないと〝常識的思考〟をしてきた。だって、それが当たり前だからだ。
しかれども、ここは何処か。この世の理不尽と涜神を煮詰めた坩堝の中だ。普通に考えていては錠どころか扉にさえ指はかからぬ。
門には左右のみならず、上下左右が反転した鏡文字があったではないか。
その上、登れと促す言葉までご丁寧に刻んで。
「飛び降りればいいんじゃないか?」
「はぁ!?」
「いったい!!」
「おぁ、すまんカーヤ!!」
自分でも割と突飛でもない発想に戦友の手元が狂ったらしく、可愛らしい悲鳴が反響する。
ただ、あながち的外れでもないと思うんだよ。解決策が最初から提示されている根拠は勿論として、尋常な人間なら躊躇う手段を唯一の回答にしてくるあたり、実にこの塔の作者らしくないかい?
それに古来より言われている。
GMは謎掛けを用意するに及び、脳内当てゲームにしてはならんと。
だとすれば、これだけ明確な計算式が用意されているのだから、むしろ正解なんじゃないかと思うのだが。
「博打にも程があんだろ! 外れたら死ぬぞ!!」
「いや、抗重力術式があるから墜死はしない。まぁ、もう一回登りなおしの地獄ではあるけども」
正気かコイツといった面々を口説き落とすのに苦労させられるのは、卓も現実も大差ないのだなと思いつつ、私は持てる限りの弁舌技能を用いて、この回答が如何に合理的であるかを説くのに本気を出した…………。
【Tips】賢明なGMを相手にしているのであれば、彼等の口から語られた描写には必ず何らかの意味があるものだ。
コロナの後遺症で倦怠感が酷く、更新の間が空いてすみません。
センパイから本当によく言われた警句。
GMの脳内当てゲームほどつまらないことはないからやめような。
これを今も忘れずシナリオを書いております。




