少年期 一二歳の晩春・三
魔物、という存在を初めて聞いたと言うと、アグリッピナ氏は「え、田舎ってほんとそんなかんじ……?」と本気で驚いていた。
そして、かいつまんで説明してくれたのだが、魔物とは“魔素”が高まりすぎた魔種が成り果てた姿らしい。
魔素とは、あの隠の月と同じく厳密にどのような物かは分かっていない。だが、魔力に含まれており、その濃度が高まりすぎると“気が触れる”ために魔素と呼ばれ、畏れられているのである。
ただし、我々ヒト種や亜人種は魔素が蓄積しないという。魔素が蓄積する器官を持たず、魔力の放出に合わせて魔素も排出されるためだ。何だかこういうと腎臓と尿みたいで微妙な気分になるな……。
対して魔種は、その魔素を蓄える器官を持つからこそ魔種と呼ばれ、人類の中でも優れた身体能力と魔法的素養を持つ。たしかに尋常の進化を遂げれば、合金の骨格や金属質な皮膚、子供のような矮躯で成人男性に負けぬ膂力を産む筋力なんぞは身につくまい。
そして魔素が高まれば高まるほど、魔種は強さを増していく。より大きく、より強靱に、より力強く。力を求めて魔素を高め続ければ、いずれ臨界に辿り着く。
その臨界が訪れた姿が、私が先ほど打倒し、半生半死で悶えている野盗……否、魔物達である。
「魔素は過度な魔法を使ったり、霊的に汚れた地に留まったり、強力な魔法の残滓に触れ続けることで蓄積するわ。ま、普通にしとけば、そうそう臨界しないし、死ぬまで魔種のままってのが殆どなんだけどね」
それを迂遠に表現し、田舎では“狂する”と呼ぶのだろう。そうすれば、打ち倒したとしても、せめて人間として弔うことができるから。
魔素の蓄積による魔物化は不可逆であり、一度変貌すれば戻る術はない。理性ではなく倫理観が揮発し、ただ魔物以外を襲い、喰い、増えるだけの怪物に成り果てる。それ故、三重帝国以外では魔種というだけで迫害、あるいは人間と認められない地があるらしい。
酷い話だ。酷い……なんと酷い。
「ま、楽にしてやんなさいよ。このままにしたって害しかないし、だからって無駄に苦しませる必要ないでしょ」
言われて、苦しみながら殺意溢れる目でこちらを見やる魔物を見下ろした。歯を剥き、失血で体力を失っているのにも関わらず、這いずってまで殺そうとしてくる様は正しく正気ではなかった。
ここで甘ちゃんな主人公なら、悩むのだろう。本当に殺すのが良いのか、それしかないのかと。
だが、私は悩まず、手近な巨鬼の延髄へ刃を潜り込ませた。
何故なら、これを生かして得をする者が誰もいないからだ。私も、アグリッピナ氏も、周囲の荘民も……ましてや死に損なっている当人も。
アグリッピナ氏は面倒くさがりで度し難い畜生行為を一切の躊躇いなくやる御仁だが、学問や知識において嘘は吐かないお人だ。そして、魔導院で学んだということは、この世界できちんと解明され、エビデンスのある知識として魔物化は不可逆の現象であるのだろう。
なら、魔導の道に踏み込んだとも言えない私が無茶苦茶言ってなんになる?
それで彼等が救われるならいいだろう。だが違う、救えないのだ。魔物として狂してしまった彼等に私は何もできない。そして、このまま野放しにして誰かを傷つけるのは悪手中の悪手だ。
できることをしなかったことによって、他人に損害を与えるのは最も下劣な行為だと私は考える。力が足りなかったならよかろう、不測の事態なら致し方なし、だが分かってて見過ごすのは許しがたい。罪悪感を覚えるのが嫌だから、自分で決着を付けずに立ち去るのは臆病云々の問題ですらない。
力なき偽善で傷つけられて、誰が納得するというのか。
ゆえに私は淡々と為すべきを為した。ああ、為すべきだと思ったことを為した、という方が正しいのかもしれないな。世界に絶対はないのだし。何時か誰かが、魔物化を防ぎ、治癒する方法を見つけ出すかもしれない。
だが、それは今ではないし、私の手にその術はない。なら、被害を少なくする最善を為すだけだった。
「お美事お美事、若いから躊躇うかと思ったけど、やっぱ賢いわね」
「……お褒めにあずかり恐悦至極」
この人はどうしてこうも鮮やかに人を煽るかな。そも本人に煽ってる気があるのかないのかも怪しいが。前者だったら普通に腹立たしいし、後者ならより始末が悪い。
「じゃ、収穫タイムね」
ぱちん、と軽やかに指が弾かれ、音の心地よさとは真逆に凄惨な光景が生み出された。
斃れていた魔物達の腸が弾けたのである。
「ぎあぁぁぁぁ!?」
さしもの私もこれには叫んだ。だって考えても見て欲しい、自分が介錯した連中の腹が突然裂けて、不気味な腸をさらけ出したんだぞ。それも六人一斉に。
べぎべぎと耳と脳味噌によくない音を立てて胸骨と肋骨が強引に開かれ、心臓が露わになる。そして、その脇で輝く不吉な闇色をした結晶も諸共に。
「う、うぇ……な、何するんですかいきなり」
これはキツイ、農家の倅としてボチボチのグロ耐性があったとしてもキツイ。何なんだ、ほんといきなりは勘弁してくれ……。
「これよこれ……魔種は心臓の傍らに魔素をため込む器官を持つの」
筋を断つ気持ち悪い音を立てて、六個の石が虚空に浮かんで飛んできた。くるくると幻想的に回転させてはいるものの、それがさっきまで心臓にくっついていたと思うと気味悪さしか感じないから止めていただきたい。
「私達は魔晶と呼んでるわ。色々便利なのよ」
「便利というと……?」
「魔法を原動力とする道具の材料になるから」
鋳溶かされる金属に混ぜれば魔力の馴染みが良くなり、宝石と合わせれば焦点具としての質を高め、魔力を蓄える性質を利用してバッテリーとしても使える。様々な用途に用いられることもあって、魔晶は高値で取引されるらしい。
「このサイズなら……ん……一個五リブラって所かしら」
「五リブラ!?」
ってことは、これだけで三〇リブラ……? 銀貨三〇枚……? え? マ……?
いや、滅茶苦茶美味しくないかそれ。確かに魔物とかいっても決して雑魚とはいえないし、普通に殺しに来るからおっかないけど、それにしても五リブラ!? 普通に野盗を生け捕りにするより利率がいいってなんだ!?
「あ、言っとくけど流通価格よ? 私達が商売人から買う値段。売値だとしたら二掛けから一掛けってところじゃないかしら」
上がっていたテンションに一瞬で冷や水をぶっかけられた。
ああ、うん、ですよね。そんだけ儲かるなら、そりゃみんな冒険者やりますよね。割の悪い仕事って馬鹿にされたりしませんわね……。
二掛けから一掛けってことは一リブラから五〇アスの間で、それを更に頭割りと。うーん、日雇い労働とどっこいか少しマシって所か……? いや、一体だけで現れるってことは無さそうだし、だとしても……。
実に悩ましく生臭い計算をして、やっぱり割に合わないなと実感した。単純に命の値段と天秤にかければ、どこまでも微妙な価格であった。ロマンか使命感がなきゃやってられんぞ、そんな仕事。
「それに傷ついたら価値は落ちるし、中にはコレが予備の中枢として機能してるのか、頭叩きおとしても動き続けるヤツもいるから、どうしても壊さなきゃいけないこともあるから」
「ええ……」
ちょっと強いられ過ぎてないか、色んな意味で。強力な魔物からは上質な魔晶が採れるが、それを取ろうと思えば魔晶を傷つける必要があって、かといって魔晶を傷つけないようにすると魔物が倒せないわけで。
実に酷い。誰だバランス考えたヤツ、ちょっと出てこい。
世の理不尽さに嘆いていると、魔晶を職人のような目で観察していたアグリッピナ氏は唐突に切り出した。
「まぁ、私にくれるなら五掛けで買ってあげるけど」
「えっ!?」
今何と仰った? 五掛け? 五〇%?
「トータルで一五リブラ!?」
「え、ええ、そうよ……計算速いわね」
買い手が相場の五割得すると言えば暴利に感じるが、私は商人に売り払うのに比べて二・五倍も得をする。下手するともっとだ。どっちも得しかしない実に有り難い提案ではないか!
私は一も二もなく食いついた。エリザの学費のためなら、何だってやってやろうではないか。
それに、この速度で稼げたら実に美味しい。上手く行けば何年も拘束されることなく、エリザの学費と諸経費を賄いきれるかもしれない。よし、俄然やる気が湧いて……。
「じゃ、いってらっしゃい」
「……はい?」
唐突な見送りの言葉に、私は呆然と口を開いた…………。
【Tips】魔晶は個人の魔力を肩代わりすることもできる。
さて、唐突な行ってらっしゃいから三〇分ばかし。私はさっきの林に分け入り、一軒の館の前に立っていた。
曰く、魔物は当て所なく徘徊するものではなく、魔素が溜まりやすい場所へ無意識に惹き付けられ、そこで徒党を組むという。
それは人知れず口を空けた洞窟だったり、放棄されて朽ち逝く山城であったり……凄惨な事件により住民が絶え、人知れず見捨てられた洋館であったり様々だ。
「うわぁ……本当にあったよ」
今、私は完全武装状態で正門から館を臨んでいる。二階建ての館は古びて朽ちつつあり、荘厳ながら終わってしまった寂寥感を漂わせ、立地もあって昼間なのに酷く薄暗くうらびれた雰囲気を纏っていた。
ここにやって来たのは完全にマスターの差し金である。
というのも、並々ならぬ金儲けへの熱情があるのなら、折角だしもう一稼ぎして来なさいと送り出されたのだ。
六体もの魔物が現れたのなら、必ず近くに魔素が濃い場所があるだろうと。
そして、多分あっち、と指さす方へ律儀にやって来てみれば、ご覧の通りだ。
……高価いから悩んでいたが、私も取ろうかな<魔力探知>系統のスキル。戦闘の時も持ってて損しないだろうし、直感的に分かるようなのもいいな。
さて、現実逃避はこの辺にして現実を見ようか。無理矢理行かされたのではなく、自分で行くかと決めたのだから。
愛剣を抜き、気合いを入れて館の領域に脚を踏み入れようとした所で<気配探知>に反応があった。誰かに見られている。
視線の正体は腰元にあった。剣を吊った帯革に同じく吊したポーチの中からだ。
嫌な予感がした。というのも、そのポーチは私が夜闇の妖精を名乗る少女から渡された、あの薔薇が突っ込んである所なのだ。
黒い薔薇は実に不思議な薔薇だった。枯れることもなくば萎れることもないのは当たり前。摘まんでみても花弁が散ることはなく、ましてや解体を試みてもビクともしない。あまつさえ、不気味に思って旅籠の机において行ったら、いつの間にかポーチの中に戻ってきたのだ。
呪いの人形かお前は! と憤ってみても、どうやら一度結んだ縁はどうあっても消せないらしい。
そんな花から目線が飛んできて、良い予感はするまいて。こんなお化け屋敷丸出しの、ゾンビ相手に右往左往させられそうな館を前にすれば尚のこと。
しかしフラグから目を背けても良いことはないと思ったので、私は仕方なしに薔薇の花を取り出した。以前見た時より開きが弱くなり、蕾のように花弁を閉ざしつつあるが瑞々しさは健在だ。
さて、一体何が始まるのか身構えていると……薔薇の花が綻んだ。
縮んでいた花びらが背を伸ばし、掌の中で目覚めに伸びをするように開いていく。
そして、その中央には小さな小さな少女がいた。
月夜の晩に出会った少女が。
「はぁい、愛しの君。お困り?」
「……何? もしかしてずっと居た?」
親指ほどに縮んだ妖精の少女は大きく背を反らし、微かな陽光にも目を細めてまぶしそうにしていた。
「いいえ? 必要になるまで待ってたのよ」
「必要になるまでって……」
「こんな暗い所、ヒトじゃ色々困るでしょ?」
言って、彼女は大きな羽を伸ばして飛び上がった。あの晩は髪に隠れて見えていなかったのだが、背中にオオミズアオを想起させる白くて淡く光る羽が備わっていたのだ。
「だから、助けてあげようと思ってね」
軽やかに飛び上がった彼女は、あの“見えているのに認識しづらい”独特の移動をし、私の顔に接近すると瞼に口づけを落としていった。
するとどうだ、今まで薄暗く感じていた林の中が平原と見まごう明るさに感じられるではないか。影になって見えなかった窓の奥から、木立のせいで影になったところまでハッキリ見通せる。
「これは……」
「私は夜を飛ぶ妖精よ。夜の闇こそ心地良いの。だから、私の感覚を少し貸してあげただけ」
目の前でホバリングする妖精は微笑み、貴方に傷ついて欲しくないものと言う。
……それはアレだろうか。自分が殺すまで死ぬなよ的な発言なのだろうか。
「それに、可哀想な同胞の手助けもしなきゃね」
「可哀想な同胞?」
「そ。でも、詳しくは終わってからのお楽しみ」
上手にできたらご褒美をあげるわ。くすくすと笑いながら彼女は溶けるように姿を消し、咲き誇っていた薔薇は静かに蕾へと戻っていった。
うーん……これはクエストを受けた、ととっていいのだろうか。自分を拉致しようとした相手からの依頼となると、後が怖い気がしてしょうがない。
とはいえ、マスターから行ってこいといわれ、一箇所に行くだけで二つクエストを消化できる美味しい状態でもあるし。
「ええい、ままよ、なるようになれ!」
どのみち悩んでいられる状況でもないと思い至り、私は開き直って館に忍び込むことにした…………。
【Tips】妖精は悪戯をするだけではなく、祝福を授ける存在でもある。問題はその塩梅が負に向いた時があまりに恐ろしすぎることであろう。
色々とアイデアも湧くし、コレってどうなってんの? というご質問があれば答えしますので、よかったらどうぞ。




