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青年期 二一歳の冬 三三

 近侍の部屋は文化的に応接より程近い場所に置かれるのが帝国の様式であるが、南内海の気風が濃いトリーノにおいては違った。


 貴人と賤民は部屋でさえも遠く配するべし、などと帝国人からすれば用事があった時に面倒では? と首を傾げたくなる、非合理的な貴族主義に基づいて遠くに設けられている。


 とはいえ、それが帝国社会の外では普通なのだ。貴賤の身が近すぎると帝国より長く存在する国より嗤われれど、合理性によって優越することを選んだ彼等にとって、その差配はただただ理解が及ばぬが無理に否定することもない。


 むしろ帝国人にとっては、格好付けて腕組みして棒立ちしてくれている分、斬り殺すに易いと嗤い返すばかりなのだから。


 この領主が都市内に幾つか持っている館の一つも同様で、地階の庭がよく見える来賓室より大きく離れ、従僕が控える間は便の悪い三階の角にあった。


 ここに詰めているのは剣友会の会員が五名。特別に遠いところに押し込められたのは、冒険者風情が敷居を跨ぐなど烏滸がましいとの侮蔑に因るものか。


 しかし、誰も腐ることなく剣の友達は真面目に控えていた。分遣隊の代表を不承不承ながらやっているヤンネの直卒として選ばれた生え抜きの会員であり、外の荷駄隊とは別に見栄えのため引き入れられた者達だった。


 まぁ、軽く扱われるのなど常にことであり、仕事自体も気楽な物だ。礼装の下に帷子こそ着ているが、武装は剣友会の名の通り剣を帯びているだけで完全武装ではない。


 館の主人、場所の手配したトリーノ領主にしてピーモント公爵を――帝国から下賜される名誉爵位――慮っての仕儀だ。


 場所を手配することは即ち、その場の安堵も約することであるため、そこに完全武装の護衛を引き連れて行くのは風聞がよろしくない。ヤンネは貴族教育を受けているため、このような機微が分かるため分遣隊の頭にされたのだ。


 故に直卒に選ばれた会員も館の防衛、取引を穏便に運ぶ手配も曲がりなりに独立している衛星諸国の主がやっているのだから安心して無聊を託っていた。


 手筈としては受取人のヤンネを初めに関係者四人が来賓室に入って、幾つか書類のやり取りをし、格好だけの親善を終えたら偃月の鏡台が引き渡される。この時、引き渡しは正面玄関にて行い、護衛の立ち位置を入れ替えることで〝責任が移譲された瞬間〟を明白にする気遣いもされていた。


 あとは護送用の馬車に乗せて、郊外にて遊弋しているクリームヒルトⅡに運び込む。


 剣友会に飛び込んでくる厄介にして難解な依頼の数々に比べたら、簡単と言いきって良い内容だ。


 既に頭目のエーリヒや、彼の付き合いがある貴族と僧院のお偉い様が準備万端根回しをしてくだすっているのに何を心配することがあるのか。どう好意的に解釈しても「出たとこ勝負でお願いします」としか読めない、剣友会に頼って放り投げられる無茶苦茶な依頼に挑むのとは訳が違う。


 館には領主の私兵が五〇は詰めており、庭で控えている荷駄隊の剣友会も一五人が武装して馬車を護り、更に戦力補強として平服に着替えた近衛の白兵隊が敷地外に二〇人も伏せているときた。


 更にはトリーノ聖堂から僧兵二〇人と高位僧が何人も随行しているのだから、何かあることを心配する方が馬鹿らしかろう。


 何と言っても、鏡台の引き渡しに失敗すれば三者とも面子が潰れて悲惨なことになるのだ。迂遠なやり取りと当て擦りが常態化している上流階級の人間とて、さっさと終わらせいあまり皮肉を呑み込んで迅速に仕事をこなそう。


 こんなところにカチ込んでくるのは、狂人か異常者の二択くらいの鉄壁度合いではないか。


 とある金髪に言わせれば、ガハハ勝ったな、風呂入ってくるというもの。


 それでも一応、剣友会の人間は皆、高い職業意識と士気を持っているため仕事の最中に気を抜くことはない。格好だけの随員でも身綺麗にして大人しく座り、決まった予定が消化されるのを待つよう訓練されていた。


 「ん……?」


 表向きの代表であるヤンネの対となる、実質的な剣友会の動きを取り纏めるエタンは気配の微妙な変化に耳をぱたつかせた。


 正確には素早く反応を示したのは鼻だ。牛躯人の長い口吻を持つ顔の前部に備わった、人の握り拳ほどもある鼻は優れた臭覚を持ち、微妙な変化も敏感に感じ取る。


 「鉄の臭いがするな」


 「そりゃ俺らも帯びてますし」


 出された茶や菓子に手も付けずに待っていた配下は、剣友会の幹部としてのみならず〝巨壁のエタン〟と個人武勇でも二つ名を受ける先達を信頼していたが、何を今更と首を傾げる。


 金属の臭いなんぞ、これだけ護衛が詰めている場所ならして当然であろうに。


 「いや、急に濃くなった気がするんだ」


 エタンは小さく苛立って、下顎にだけ生えた歯を上顎の歯床板に打ち付けた。口腔の構造上、ヒト種と同じことができない牛躯人の舌打ちにあたる仕草だった。


 こういう時、羨ましいことに頭目の槍持として連れて行って貰えたマチューがいれば頼りになるのだが。


 人狼は嗅覚に優れるのみならず、臭いへの記憶力が半端ではないのだ。個々人の体臭は勿論、剣や槍固有の〝臭い〟を覚えて異常を察知する力がある。


 剣が鞘に収まっているか抜かれているか、それを鼻だけを頼りに察知できるといえば、どれだけ凄まじいかが分かるだろう。


 しかし、腐れ縁の相方は不在だ。同室している配下もヒト種が多く、エタンより鼻に秀でた種族もいないとあれば、部屋の中からこれ以上の情報を得ることは難しい。


 気にはなるが、外には出られない。あくまで館の警護は領主の代理として権限を預かった弟君の物であり、勝手に出歩くのは越権だ。少なくとも滞りなくことが進んだと呼ばれるか、明確な異常でも起こらぬ限り――火の手が上がるだとか、警鐘が鳴らされるだとか――勝手に冒険者が出歩いたならば、むしろ自分達が警備上の異常と見做されよう。


 その点を長い冒険者生活から弁えていたエタンは行動に踏み切れなかったが、何も雰囲気の変化を察していたのは彼だけではなかったようだ。


 「あ、あの、エタンさん」


 「ん? どうしたウェレド」


 五人の護衛に大鳥喰蜘蛛の蜘蛛人が含まれていたのは、単に五人一組にするなら斥候を入れて置くべきとの定石に従っての人事だ。


 剣友会の大姐さん、マルギットからの薫陶篤き近縁種の蜘蛛人は、怜悧な美貌と巨体を不釣り合いな程に縮こまらせて部屋の隅っこでしゃがみ込んでいた。待ち伏せ型の狩りをしていた種族だけあって、狭い所の方が落ち着くのだろう。


 「館の中で動きが活発になってます……じゅ、巡回より露骨に大勢が動いてるっていうか」


 「何故分かる?」


 「えーと、下見の段階で方々に糸を……」


 でかしたと褒めるべきか、上に指示も仰がず人様の館を糸塗れにするヤツがあるかと怒鳴るべきかエタンは一瞬悩んだ。


 浅黒い褐色の肌に冠飾りのような単眼が並ぶウェレドは、蠅捕蜘蛛種のマルギットとまた違った糸の使い方をする。営巣する程の糸を出さない彼女は、警戒用や獲物が領域に入ったことを探知する罠として糸を張り巡らせるのだ。


 種族の習性柄、一所に一刻より長く滞在するとなったら、鳴子の役割を果たす糸を張り巡らせずにいられなかったのだろう。敵を捕らえる粘着性の糸のようにべた付かず、光の当たり具合によっては見えもしない糸とはいえど、後で館を掃除する人間にとっては迷惑極まりない。


 しかし、今は値千金の情報だ。


 「数は」


 「ええと、五つ……いえ、六つ。大体、一塊五人から一〇人の間……」


 「ふむ」


 報告を聞き、エタンは角の付け根をこりりと掻いた。


 この邸内に詰めている護衛の人数と配分は、機密の問題もあるためザックリとしか剣友会には知らされていないものの、万が一の際に一網打尽にされぬよう複数箇所に散らされていることを彼は知っている。


 そして、経験則からして、不明集団と大体同じくらいの分散配置と見るのが妥当であろう。


 「……ウェレド、良い仕事をした。やっぱりお前、斥候より警戒班に向いてる。俺の直卒になれよ」


 「ま、マルギットさんみたいになりたいんですよぅ……惚れた人を、影のように護って、あの恋歌のようにぃ……ま、まだ、その肝心の影になりたい人がいないんですけどぉ……」


 「護るのには向いとるが、姐さんみたいやるのはどうかね。お前が後ろに立って影に隠れられる人類はそうおらんだろ」


 褒めるか叱るかはさておき、エタンは簡単な手信号で配下に音もなく仕度をさせた。自分のように鼻が利く種族がいるように、飛び抜けて耳が良い種族もいるのだから、段取りは静かにやるべきだ。


 随行していた三人の男達は、マジかよと露骨に表情を顰めるものの動きに淀みはない。得物を何時でも抜けるような位置に持っていき、冷めるに任されていた茶器を退け――剣友会の人間は、仕事中は自分達が用意した物しか喫食せぬよう教育される――入り口に対して水平に卓を倒した。


 直接入り口を塞ぐのではない。数歩の距離を空けて防壁にするのだ。


 全ては迅速に、呼吸が三〇もせぬ内に行われた。


 彼等は突入と同時に室内に投げ込まれる投擲物の恐ろしさを知っている。さんざっぱら自分達が強襲する際に放り込んでいるのだ。何かあると察知したならば、第一に備えるのが当然であろう。


 「……ちっ、〈声送り〉の魔導具が使えねぇ」


 外の様子を探ろうとしたエタンだが、持たされていた〈声送り〉の魔導具は空電音を返すばかりで繋がる様子もない。ここまでの乱れは魔導妨害が展開されていない限り起こりえない。


 いよいよ腹を括る必要があるかという段に至り、ウェレドが手を掲げた。


 入り口に誰か来たと無言で報せているのだ。


 一瞬の緊張。思考が高速で回転し、頭目として如何に振る舞うべきかエタンは悩む。


 ただ、彼自身、自分があまり頭が良くないことを分かっていた。裏を疑って裏の裏にまで想像を及ばせてしまえば、途端に全てが怪しく思えて動きが鈍る。


 では、どうすればいいのか。牛躯人が脳裏で師匠に語りかけてみれば、あのイカレた金髪はとても良い笑顔を見せながら親指を立ててみせる。


 最終的に何事も暴力で解決するのが一番だ。


 実際に当人がそう指南したかはさておき、この教えのミソは最終的にと注釈がされていることだ。


 つまり、初撃さえ譲って耐えれば大義名分が手に入るのだ。剣友会はいつだってそれを求めている。相手を斬り殺して構わない理由は、相手に作って貰うのが一番手間が掛からぬ。


 「何用か!!」


 特に誰何の声に応えず、扉をぶち破って奇襲を断行しようだなんて不逞な輩共が相手であるならば。


 襲撃者は大柄な種族であった。助走の余地が少ない狭い廊下でも筋肉と脂肪で分厚く体を護った豚鬼(オーク)であれば、木製の扉を突き破ることなど容易い。肉弾による突撃そのものが破城槌となり、入り口を塞ごうと防戦を試みる籠城側を圧倒する攻撃になるのだ。


 だが、それは真正面で敵が待ち構えてくれていた場合に限る。


 「えいっ!!」


 「ぶもぁっ!?」


 かけ声の可愛らしさが霞む轟音。待ち伏せ型の狩りを得手とし、瞬間的な膂力に秀でるウェレドが横合いから襲撃者に飛びかかったのだ。


 その勢いは正に人身事故めいており、完璧に機を読んだ奇襲を叩き伏せる。マルギットのような小柄な蜘蛛人でさえ、跳躍の一撃には常人を叩き潰す力があるのだ。足を広げれば差し渡しで三mを下らない巨軀の大鳥食蜘蛛種が本気を出したならば、どれだけ悲惨な破壊がもたらされるかの想像に難儀はするまい。


 入り口から馬鹿正直に攻め込んでくる手合いへの対応を剣友会が仕込まぬ訳もなし。扉ごと魔法で消し飛ばされると困るので、蜘蛛人の斥候志願は部屋の隅っこで待ち伏せ続けていたのだ。


 距離は一瞬でつまり、蜘蛛の外骨格が砕かれた扉諸共に豚鬼を引き倒し、勢い余って壁をぶち抜いて隣室にまで突き抜けていった。巨体に不釣り合いに脆い内骨格のせいで、大型の蜘蛛人は頑強性にこそ難があるものの礎石もかくやの重量さえ活かせれば、瞬間的に生む衝撃力は砲弾にも劣らぬ。


 そして、絡みつく足は〝骨を圧砕して〟獲物を完全に絡め取るのだ。


 唐突に目の前の前衛が横合いから吹き飛ばされ、剣と盾で武装し総身を鎖帷子と兜などで覆った後続が呆気に取られて二の足を踏まされる。


 そして、その隙を〝巨壁〟の二つ名を得る力量を持つ、鉄火場の玄人が見逃すような手落ちは有り得なかった。


 「ぶぅぉあぁぁぁぁ!!」


 強固にして極厚の筋肉に覆われた肩を前面に押し出した前進。人類の中でも秀でた体躯と粘り強く重い重心が引き起こす衝撃の前では、攻城砲でさえ霞むだろう。


 まず出遅れた二人目が食われた。それでも勢いは止まることなく押し進み、その後背に控えて突入を支援せんとしていた三人目、四人目を巻き込んで壁へと叩き付ける。


 人間三人分を巻き込んだ〝踏み荒らし(トランプル)〟の一撃は、エタンの加速と質量、そして壁にぶつかった衝撃を余すことなく巻き込まれた敵に襲いかかり、熟れすぎた無花果の如く内臓を攪拌する。


 口や肛門などから圧力の逃げ場を求めた内臓がはみ出し、眼球がポンと弾けて飛んで行く。


 確かめるまでもなく、全員が即死していた。跳ね飛ばされて威力が余所に漏れる余裕があるならまだしも、壁によって挟まれてしまえば衝撃の逃げ場は一切ない。全員が鎧と着込みを着ていたとして、圧倒的な運動熱量の前には障子紙と大差はなかった。


 「え? え、ええ……?」


 「五人ぽっち、か、舐められたモンだな俺らも」


 残るは一人。幸運にもエタンの進路から半歩外れていたため引き潰されることはなかったが、大した問題ではない。


 それこそ順番の差。目の前で奇襲をかけるはずだった同僚四人が一瞬で吹き飛ばされた様に驚き、碌に身動きが取れない相手を敵と計上するのは差し障りがあろう。


 片手で頭を十分に掴み上げられる掌が、取り残されていたヒト種の頭部を掴み上げる。兜の丸みが些か鬱陶しくもあったが、巨体と膂力で以て今まで直援に着いた護衛対象を〝一度も喪ったことがない〟怪物の出力には、ちょっと邪魔だなくらいのもの。


 兜諸共に敵の頭をひねり潰したエタンは、血を払ってから気が付いた。


 先程、脳内で教えを授けてくれた師は常々言っていたではないか。


 死体は何も詠ってくれないと…………。




【Tips】何よりも毒殺が恐ろしいため、剣友会の会員は仕事中、基本的に自分達が用意した物しか口にせぬよう注意し、貰わないことが不敬になる状況以外では飲食を避ける。


 同時刻、別室の魔法使いが毒殺されかかっていたことからして、この教訓はただの臆病とは言えまい。 

 また更新の間が空いて申し訳ない。41度の熱が数日続いて腑抜けになっていたり、9巻上巻の作業をしていたりで遅くなりました。中世風ファンタジーを書いていて、現代の技術が如何に貴重で得難い物かあらためていい取材だったと思います。多分コレ、現代じゃなかったら死んでたなと。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] エタンは舌打ち出来ない、とのことですが、 「……ちっ、〈声送り〉の魔導具が使えねぇ」 で舌打ちの様なセリフがあります。 [一言] 一気読みしてようやく完走しました。 これからも更新楽し…
[良い点] テンプレの一種ですがこの「えいっ!!」はやはり素晴らしい。 不意打ちに待ち伏せで返すクロスカウンターが綺麗に決まって… [気になる点] ~さっさと終わらせいあまり皮肉を呑み込んで迅速に仕事…
[一言] 更新、ありがとうございます。 これからも更新を楽しみにしておりますので、どうかご自愛下さい。
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