青年期 二一歳の冬 二九
「ご堪能召されたか。足の腱を断ち申した。血止めをせねば、四半刻と保ちますまい」
「……ああ、十分馳走になった。土豪としてのヘイルトゥエンの歴史書に終止符を打つのに相応しい戦いだった。冒険者……いやさ、勇ましき者よ」
王手詰み、と首元に送り狼の剣を添えれば、冒険者に冠する旧い誉れ名をハルパ殿は贈ってくれた。
強者に挑む冒険者の中でも、偉業と呼んで尚足りぬ、倒すことなど不可能だと思われる大敵に挑んで帰って来た者を讃える名。
勇ましき者、勇者か……悪い気はしないね。
「勇者とは義に立つ者ではありますが、今宵の様は押し込み強盗と変わりますまい。我が身に余る栄誉は慎みませていただきたく存じますが……勝者としてなら、一つだけ願いがあります」
しかし、その名はまっこと人類のためだけに我が身を捧げた者が受ける権利を持つ。私は独善的にツェツィーリア嬢を助けようとした。しかも、時間がないからと最も原始的な手段を用いて。だとするなら、勇者の名は相応しくあるまい。
ま、私がどれだけ目立ったって、自分をただのPCと任じているから、というのもあるけどね。
「……額冠か」
「仰る通りで。故に今宵の我等は、強盗に入った冒険者に御座いますれば」
即物的な願いに対して、応えも率直だった。
たしかに彼の城館を落とし、無傷で確保できればかなりの報酬金になるが、最も価値がある者は夜陰神から賜った神器であろう。ハルパ殿は聡明であらせられるので、何故に我々が寄せてきたのかも、直ぐに分かったようだ。
「よかろう、持っていくがよい。我等を打ち破る武勇がある者ならば、遠き祖に祝福を下賜なさった夜陰の女神も納得してくださろう。雑兵に囲まれ、無惨に荒らされるよりずっとずっとよい。これを持て」
彼は不意打ちなどせぬ、と前置きしてから、そろそろと首に手をやって鍵が通った紐を引っ張りだした。古ぼけた金の指輪と一緒に通った鍵は、豪奢さと肌身離さず持っていたことからして、宝物庫の鍵か。
かなり強い奇跡が込められている。鍵がこれなら、錠も相応に篤く護られていると見た方がいい。
よかった。ボスと戦わずお宝だけせしめようなんて洋マンチ思考をしなくて。
多分コレ、非正規の方法でこじ開けようとしたら神罰が下るとか、中の物が吹っ飛ぶとかだろ。最悪、使途でも差し向けられて怒られたかもしれん。
「金に換えられる物は大半を金に換えたが、アレばかりはな。我が家に残った伝来の武具と同じく、余人には扱えぬ故、大事に残しておいたのだ」
「ご事情、お察しいたします」
あまりにも高価すぎるか、出自が明白すぎて裏市場でも捌けない物なんてのは珍しくもない。特に奇跡が色濃く残る世界だ。どれだけ無謀な阿呆でも、最高神の片割れから賜った嫁入り道具なんぞ、売買の対象にすることすら不遜であろう。
いや、うん、奪いに来ている我々はどうなのかといえば、人のことを何も言えないのだけどね。まだ神罰が下ったり使途が諫めに来てないからセーフ!!
鍵を受け取り、宝物庫の場所を聞いて、しっかりと懐に収めた。これで最初の目的は完遂したも同然だな。
「敗者として、頼みがある」
「……我が身に適うことであらば」
「我等が親子のそっ首、確かに辺境伯に届けてもらいたい」
「……生きたまま、申し開きをする助力もいたしますぞ。卑小なる身ながら、辺境伯には幾つか〝貸し〟もございますし、伝手もあります。貴公が生きて幕下に加わる理を説くことも、状況さえ整えば能いましょうや」
私達の目的は、あくまでツェツィーリア嬢を助けるために必要な額冠だ。アグリッピナ氏も夜間降下強襲の威力を実験したいだけであって、ハルパ殿の首が絶対に必要だとは言っていない。
むしろ、生きて航空艦にお招きできたならば、元雇用主はハルパ殿を上手く使って彼にとっても良きように差配してくれるのではなかろうか。
なにせ要衝を治めた代々続く名家だ。今後、この地を鎮護したいなら、ヘイルトゥエンの血脈を尊んで損はない。土豪を倒したは良いけれど、今度は農民反乱が多発しましたなんてことになったら、さしもの辺境伯も首が危なくなるだろうよ。
「格別なはからいであるが、不要だ。刑死よりも、我等は戦死を尊ぶ。真の意味でヘイルトゥエンの血統を名高く保つために我等は死なねばならぬのよ」
況してや、万一虜囚となって生き長らえては、祖先にも先に逝った配下達にも申し訳が立たぬと添えられると、私にはどうしようもなかった。
人間、生きたいと思っても上手く生きられぬものだ。
それならば、死に方くらいは意に沿うようにしたいし、させてやりたいよなぁ……。
「生け捕りや城館の占拠より報酬は落ちようが、宝物庫にある金を代替えとしてくれまいか。もっと欲を言えば、体を弔って貰えると嬉しいものだな。我が祖先の霊廟は、館の外にある」
「丁重に扱わせていただきます。この夜、自害や討ち死にした全ての者も」
「そうか、助かる」
「遺髪を届けたい方はいらっしゃいますか?」
やや考えた後、ハルパ殿はマルスハイムのさる大店を訪ね、〝聖ルチアの手代からお手紙です〟と教えれば、各地に逃れた縁者に届くと教えてくださった。
相当に信頼してくださっている証拠だろう。符丁まで使って届けるとあれば、市井に逃れた血縁は凄まじく熱心に隠れさせていると見た。
ならば、私はそれに応えよう。信頼に応える冒険者という有様こそが、粋ってもんだ。血族全部見つけ出してお小遣いをせしめようなんてのは、格好好い冒険者とはとてもいえぬ。
GMからあらん限りの報酬を搾り取ろうとするマンチキンならまだしも、私は浪漫主義者のデータマンチだ。敵対者にも敬意を払うし、自分の行いが格好好いかには何より拘る。
結果的に恨まれたっていいさ。
殺してるんだ。恨みを買う覚悟くらいしている。
それに、仇討ちとやらで斬りかかられた経験も〝一度や二度〟じゃないからな。
そりゃ殺したけど、殺されるようなことしたのは向こうだろ、と返り討ちにして良心の呵責を覚えぬような手合いばかりだったが、今度ばかりは仇討ちを狙われたって仕方ないと私自身が納得できる。遺髪と一緒に手紙の一つも届けよう。
「ここにおわすご子息以外に男児は?」
「孫に一人おる」
「では、ヘイルトゥエンの血族に繋がる剣と具足、ケーニヒスシュトゥールのヨハネスが四子、そして剣友会の頭目エーリヒの名にかけて、お預かりいたします。いつか必ず、お返ししましょう」
実際に戦って肌で感じる神威の名残も篤き武具だ。直感が戦利品としても我々には使えないと囁いてくれている。
専用化された武器や防具は多いからな。渇望の剣が私にしか身を許さないように、これらの武具もハルパ殿の血縁にしか振るうことも、着ることもできまいて。
それでも好事家なら喜んで買って飾りにしようが、これは、そんな無粋なことをしていい物ではない。
私はデータマンチであって洋マンチではないのだ。ロールにおける浪漫とか、話の流れというのも大切だと思っているし、思い入れを持つのが尊い在り方だと感じている。
いつか返したそれが、仇討ちの道具として持ち出されたとして、覚悟を持って受け止めてやろうじゃないか。
「貴公は終止符を打つと仰いましたが……その後には改行が付き物でしょう。おしまい、と添えるには、あまりに惜しい武者ぶりにございました故、お節介を焼く許しをいただきたく存じます」
私は格好好い冒険者になりたくて、ここにいるのだ。ならば、信じた格好好い生き方を徹頭徹尾殉じてやる。
「……感謝する。男児の孫は、まだ三つだ。きかん坊で困っておった」
「十五年もすれば、お似合いになるでしょう」
「ふっ、そうか……では、一息に頼む。もう、未練も心配も失せた」
言って、ハルパ殿は胡座を組んで首を差し出した。詫びているように見えたのは、何故だろうか。
「介錯つかまつる」
「ま、待て……」
ずるりと血が滴る足音を立てて、振り上げた刃を止めようとする者が一人。
渇望の剣を奪おうとして、腕を潰された魔法使いだ。一発で断ち切られるのではなく、ゆっくり指の先から肉が潰れていく激痛で気絶していたのが目覚めたか。
凄まじいな。普通、あの傷なら気絶から回復する前に出血で疾うに死んでいるはずだぞ。
「貴様っ! 無粋を……」
「お待ちあれ、ご当主様! 金の髪よ、先にワシを斬れ!」
「……はい?」
荒い息を吐きながら、頭首の隣に座り直した家宰は夜着をはだけて首を大きく晒す。
「他の者が先導として逝ったのに、家宰のワシが主より遅れては、冥府で先祖から折檻を受けようぞ。死出の旅にも順序がある」
「貴様……」
「お先に失礼しますぞ、ご当主様。正直、痛いんだか痛うないんだか、分からないくらい痛いのですよ」
「チッ……息子のみならず、配下にも甘すぎたか……」
「好いたようにしろ、と仰ったのはハルパ様、貴方ご自身ですぞ」
青白い顔を並べて笑い合う主従を前に、いつか私もこうなるのだろうかと思った。
剣に依って立つ者、いずれ剣によって倒れるべし、という金言から自分が逃れられるとも思わぬ。
柳生連也斎の如く、結跏趺坐を組んで老衰で死ねる武芸者も多くはないからな。
この姿をいつかの自分と戒めて、悔いがないよう生きよう。
「では、お先に介錯つかまつる。ご安心あれ、痛みはないでしょう」
「そうか。では、頼むぞ」
後ろに立って、送り狼を振り上げる。そして、正確に頸椎の間を狙って振り下ろした。
念の為に備えておいたが、命を懸けた術式の発動はなし。呪詛を練り、死を引き金に発動させるような気配も見えぬ。
ああ、なんと潔い最期……。
「御美事」
肉と骨を断った感触が殆どないくらい、綺麗に入った。刃が首を断ち〝皮一枚〟残して抜けて行けば、死の脱力によって体が崩れ、首級が地面を転がって痛々しく穢れることもない。
完全に即死だ。いつ終わったかも分からないまま、その魂は神々の下へ召されたであろう。
「あー……エーリヒ、すまん。ちと加減ミスった。こっちの兄ちゃん、意識ねぇわ」
ほんの微かに付着した血糊を肘で挟んで拭っていると、ジークフリートがバツが悪そうに頭を掻きながらそういった。
見れば、兜を外された騎士――たしかご子息のアロイス殿だったか――は意識を失っており、口から鮮血が止めどなく流れ続けている。
「君、それ使うと加減できないからな……」
「俺自身がぶっ壊れないよう使うので精一杯なんだよ。クソ、駄目だな、歪んだ鎧が肋とか色々折って肺腑に刺さったか。どうする? 長くねぇぞ」
伺うようにハルパ殿を見れば、彼は小さく溜息だけを溢した。
あれだけの深手であれば、カーヤ嬢の魔法薬でも手遅れか。
「末期の言葉も残せぬのは無念だろうが、介錯して進ぜろ。君の敵手だろう」
「そうさな……お前みたいに皮一枚、みたいな器用な真似はできねぇが、勘弁してくれよ」
ジークフリートは穂先を床に突き刺して置き、予備兵装の剣を抜いて綺麗にアロイス殿の首を断った。彼は自分の剣の腕は並以下だと、べろんべろんに酔っ払った時に泣きが入るが、そう捨てたもんじゃないだろうと思う美事な手並みだ。
「カーヤ嬢、保存術式を。マルギット、首をお包みするのに丁度良い布は……」
「用意して御座いましてよ」
打てば響く、という調子で差し出された絹の風呂敷。こういう所、我が相方は気が回るから本当に助かる。
貴人を首だけとは言え運ぶとなれば、相応の布というものが要るからな。
「では、ハルパ殿」
「ああ、何から何まで忝いな。さぱっと頼む」
「はい」
俯いた顔の下から、微かに誰かを呼ぶ声が聞こえたが、私の耳に意味を成す大きさではなかったので、誰を呼んだかは分からなかった。
先立たれたという細君か、共に散った息子か、それとも孫の誰かか。
気にはなったが、私が聞くべきではないだろう。
刃は、刃が果たすべき仕事を成した…………。
【Tips】戦闘不能になった後に介錯されることは、戦死に該当するというのがライン三重帝国近辺での死生観である。
本当は発売日当日にやりたかったのですが、色々ゴタゴタしたので翌日の発売記念更新です。
8巻、9冊目ですよ皆様。Web版の内容を超深掘りして数段落の言及で終わったシナリオを20万文字近くまで膨らませました。Web版既読勢でもお腹一杯になっていただけるよう、滅茶苦茶がんばったので、筆者にラーメンの一杯でも奢ってやるつもりで購入して下されば幸甚です。
しかし、ロングキャンペーンの第一話終わるまでに29話、約14万文字(一話5,000文字計算)とか、相変わらずこやつ何も考えておらぬな……。




