青年期 二一歳の冬 二七
詠唱、それは世界に「今から魔法が引き起こされる」と強く印象づけることで、術式の精度や燃費を向上させる一種の儀礼。
何処まで行っても魔法は外法。奇跡と違って、斯くあれと設計された世界をねじ曲げる技法に過ぎぬ。ならば、体面を取り繕って、少しでも世界に〝らしさ〟を印象づけることで、世界の弾力を和らげることが能う。
魔導師はこれを大仰で不格好として嫌うが――そこまで下駄履かなきゃ使えないの? という驕りと嘲りに基づく――私は在野の冒険者なので遠慮なく使うとも。
「臨め我が兵、剣の闘士」
詠うように口ずさみつつ、予断なく攻撃を躱す。ヘイルトゥエン殿も、いい配下をお持ちだ。槍の間合いが活きぬとみれば、半数は槍を手放して剣に手を伸ばしている。交戦距離に適した武器への変更、無言での連携。混戦になった途端に瓦解する雑魚ではなく、本当に良い兵士をお育てだ。
「刃ある者、皆、陣に列びて」
だからこそ、剣を磨いた者として、惜しいと思う。
思う存分、ただ剣の技量を比べ合うのは、それはそれで愉しかったろうに。
だが、ああ、だが残念ながら私は浪漫主義者であると同時に効率主義者。
ここ数年では、剣を振るう者としての悦びに偏りつつあるが、本意は圧倒的な強さに依る蹂躙から悦を得る。
データの実数に知悉し固執する偏執狂。
この無粋な業を赦しておくれ。
「前を行け!!」
古式の九字を模した詠唱式。〈見えざる手〉を拡張し、剣を担う幼少期から使い込んだ術式は、あの頃より更に洗練され、詠唱も短く整えた。未だに帝国語では韻を踏んでいる訳でもなければ、深い由縁もなさそうな言葉の並びに見えようが、私にとっては大事な呪文。
大切なのは、術式の行使者が抱く感慨もなのだ。
術式の完成と同時に、剣の嵐が吹き荒れた。
「かっ……」
「こふっ……」
「何……がっ!?」
高火力、回避不能、防御不能、そして射程:範囲選択。
昔から変わらない、黄金の構築。
使い慣れたコンボ。〈見えざる手〉の多重展開に〈三本目の手〉によって触覚を与え、我が腕前を〝同格で模写する〟理外の剣術。
〈空間遷移〉にて会館の武器庫より取り寄せた、私用の逸品がぞろりと空間から引き摺り出されて縦横に舞う。
その数、二〇本。
〈見えざる手〉の拡張本数を増やし、九字を切った交点と同数までを扱えるようになった。護法たる九字で以て対抗術式への抵抗力も上げているため、かつての騎士団より確実な性能向上に成功したと自認する自慢の構築だ。
併存する思考が剣を躍らせ、ある一本が防御を崩し、その隙に複数の刃が急所を襲う。首、脇、太股、具足を着込んでも守り切れない部分を正確に撫で斬っていき、血の花が大輪を咲かせた。
「はっ、はは……何だ、何だそれは!!」
渇望の剣によって無惨に膾にされた配下を見て、ハルパ殿が叫ぶ。
そりゃそうだよな。ただの剣士だと思っていれば、範囲攻撃をしてくるなんて、とんだ〝ズル〟だ。
英雄詩に聞いているだけじゃ、呪いの剣云々は届こうが、この〝騎士団〟までもが正確に伝わっている訳ではない。
なにせ、人前でご開帳するのは数年ぶり。知っているのは基幹面子と、モッテンハイム防衛線に参加した古参だけだもの。
「我が秘奥、その一つ。弧剣に命を賭けられぬ半端者と笑うなら、ご自由に」
私は魔法剣士なのだ。専業の剣士より、完成度は幾枚も落ちるが、成長速度と熟練度消費の均衡が釣り合えば、最終的に上を取れるのが極まったコンボ構築。
あとは揃えられる装備の質と、仲間との連携が物を言う世界だ。
「さぁて、暖気は十分……我が渾身の殺意をご堪能あれ」
剣の血糊を払い、実体を持つ兵士では不可能な密度で剣の壁を展開する。供回りが私の前進を妨害しようとしても、まずはこれらが露を払う。
退き撃ちされたら為す術を失う、鈍重な前衛とは違うのだよ。
「相変わらず、ヒデぇ詐話だ!!」
少し離れたジークフリートが振るう槍が、一息に複数の歩卒を薙ぎ払った。
「君も君で大概だと思うけどね」
何も戦友が、たった数年で人外の膂力を身に付けた訳ではない。
「使えるモンは何でも使えつったのは、テメェだろ!!」
ガチン、と甲高い機構が噛み合う音。それと共に長柄の槍が、最後に残った騎士を防御で掲げ持った剣諸共に叩き潰す。
カーヤ嬢の魔法薬。その利点は、使うのが誰であってもいいこと。
そして、何も〝人間が作動させなくてもよい〟ということ。
「残弾四。まぁ、補給は要らねぇか」
彼が新調した槍は特別製だ。槍のけら首、そこへ豪勢にも魔導合金による絡繰りを組み込んで、カーヤ嬢の魔法薬を発動できるようにしてある。
機構は彼の左手の薬指に嵌まった指輪と連動し、思念一つで発砲される。槍の内部で魔法薬が弾ければ、瞬間的に魔法の力が穂先に乗るのだ。それも、カーヤ嬢がジークフリートのためだけに精製した謹製の逸品が。
装弾数は六発。輪胴式の薬室には親指大の試験管が入っており、機構が作動すれば中で弾け、穂先の樋へ流れ込んで術式の付与を行う。
槍衾を薙ぎ払ったのは強烈な颶風を巻き起こす魔法薬の付与で、騎士を上から叩き潰したのは瞬間的に槍の重量を何十倍にも増す物。
刃先に一々魔法薬を塗るのでは面倒で、逐一飲むのも一挙動遅れるとなると、寸毫を争う一ラウンドでは悠長に過ぎる。
それを金と技術で無理矢理に解決したのが、ジークフリートの新たな愛槍。
といっても、原形は昔から使っていた物を改造しただけなので、使い勝手はそう変わらないし、彼は槍に関してはかなり器用なので、狙った魔法薬を選択して発動させる機構にもあっと言う間に慣れ、今や単身で歩卒の群れを屠る領域に至った。
カーヤ嬢がジークフリート専用に際々の調整をしているからこそ成立している離れ業なので、正しく彼の専売特許だ。
正直、アグリッピナ氏には晒したくない手札の一つでもあるのだけどね。あの人のコトだから、何か要らんことに悪用されそうで怖い。
魔法駆動の六連発輪胴式拳銃とか開発されたら、どうしよう。近接戦の概念が変わっちゃう……。
懸念はさておき、ボスへの接近を封鎖している敵は排除した。
では、割り当てはとなると……。
「父上、どうかご存分に! 続け者共!!」
「「「応!!」」」
僅かに残った騎士を率い、ハルパの息子らしい若者がジークフリート目掛けて剣を抜いて駆け出していく。
どうやら、父親の花道を綺麗にしておこうと考える孝行息子だったようだ。
「任せる」
「おうさ」
こちらも連携を相槌一つで終わらせて、前に出る。戦う前に決めていたからね。
ご指名があったら、その通りにと。
依然カーヤ嬢は咄嗟に備えて行動を温存し、投石杖を予断なく構えて待機。我々に致命的なしくじりが起こったり、大怪我をしても瞬間的に回復させる準備だ。
そして、マルギットは……。
「行かせ……がっ……!?」
騎士団の斬撃を受けても、辛うじて死に損なっていた騎士へ引導を渡し、私の移動を妨害しようとしていた手を窘めてくれる。
有り難いね。本気で動ける状態なのに、制限移動を妨害されてボスに接敵できず、数秒を無駄にするのはもの凄い歯痒さを残すから。
したいことを万全にやらせてくれる。そんな補助特化の相方の何と得難いことか。
「来い、金の髪!!」
「行きますとも!!」
走りながら、手始めに騎士団を先行させて斬り付ける。狙いは手足で、即死は狙わぬ。まだ〝月明かりの額冠〟が何処にあるか、聞かせて貰わねばならぬ。
ただ、ちょっと嫌な予感はしているのだ。ここに至るまで、金目の物は殆ど見つからなかったことからして……。
「我が祖先よ、ご笑覧あれ!!」
どうやら悪い予感は一つではなく、二つが重なって暈けていたようだ。
ハルパ・ヨクゥルトソン・ヘイルトゥエンが、この地で〝親帝国〟なんて路線をブチ立てて、土豪の体制が崩れる前からやっていられた理由。
彼は、ただの風見鶏じゃない。
風の流れに乗れる竜だ。
騎士団の半数がハルパ殿の操る剣によって、一刀の下に叩き斬られた。
正しく一瞬、私の目でも軌跡を追うのがやっとの素早さと、当たりさえすれば鋼をも断つ剛剣が完全に同居した絶技。
「ははっ……こりゃ望外だ!! 全く以て望外だ!!」
回避や防御、損害軽減への対応不能は、対応不能を更に打ち消す技術に勝てないという不文律がある。
だいたいどの世界でも同じだが、それは大凡ゲームの構造的問題に依る。小学生のごっこ遊びじゃあるまいし、バリアーにバリアー貫通、バリアー貫通ジャマー、とか延々とくっつけて行くと話にならないというのもあるが……。
こちらの世界の場合は、そういった〝小細工〟の全てを無に帰す力量の証左だ。
受けさせず、躱させず、避けさせぬ範囲で殺す刃物の嵐。隔離結界の応用による〈単分子原子障壁〉を噛ませた刃には、武器破壊の力もあった。
しかし、彼の腕前と家伝の宝刀とやらが、全てを台無しにしてくれた。
そりゃそうだよな。夜陰神から嫁入り道具として月明かりの額冠を託され、今に至るまで没収されていない家だ。規格外の神器を更に一つか二つ、持っていたとしても不思議ではあるまい。
渇望の剣が悦びに啼いた。喜悦に震えているのだ。同格の、自分に劣らぬ名剣が〝自らを担うに足ると見做した敵手〟に握られている奇縁に。
「術式が掠れている……魔導否定か?」
断ち切られながらも、柄頭や鋭い断面を武器として斬りかかり続け、拘束は維持。
何をしているか推測として呟いたが、多分違う。
もっと高度な感覚がする。技術や魔法というより、もっと不条理なナニカ。
ああ、概念を弄くる型の奇跡か。それも、相手にとって都合の良い理不尽を押しつけてくる系の。
「まぁ、斬って伏せれば全部同じだ」
鹵獲品の名剣大安売りが終わるまでに掛かったのは、呼吸二回分くらい。腰構えに取って前に出た私は、残心をとっているハルパの間合いに入る。
だが、まだ私の間合いではない。渇望の剣を腰にぶら下げた、送り狼と同じ長さにしているから。長大な両手剣を持つ彼の刃の方が、瞬き一つ分速く届く。
なので、初見殺しを一つご披露。
「むぅ!?」
残り滓みたいな〝騎士団〟を切り払った勢いを、そのまま次の斬撃に繋げる下段からの切り上げ。真っ直ぐ進んでいるのであれば、太股を中程から両断されていた。
「面妖な技を使うものだな!?」
事実、私は姿勢だけなら真っ直ぐ進んでいた。
しかし、体は左半身のまま、すーっと硝子の酒杯が止まり木を滑るように斜め前へ出ている。
簡単な魔法だ。〈見えざる手〉を足裏に展開し、そのまま座標を前にズラして進行方向を欺瞞したのである。
ああ、今ので概要は掴んだ。切っ先が鎧の肩を微かに擦れて火花が散る様には、奇妙な現象は付随しない。
更に、対象を〝私自身〟にした魔法の発動にも干渉がない。もし僅かにでも違和感を覚えていたら、回避に専念していたから確実だ。
「瘴気祓いの近縁か!!」
「よくぞ見抜いた!!」
あの宝剣の本質。それは相手に〝決闘〟の強制を押しつけ、それ意外の状況を打ち払うもの。
戦友ジークフリートが肖った英雄が携える魔剣、瘴気祓いはあらゆる暴威を阻み、空を飛ぶ竜さえ落として一対一に持ち込ませるインチキ性能にも程がある神器だ。それを脳筋の極みが構えて「正々堂々殴り合おうぜ!」と強制してくるイカレ性能にて、彼の英雄は偉業を為した。
これは多分、面倒くさがってカーヤ嬢に催涙術式を使って貰ったり、地面の摩擦を奪う魔法薬を支援で投げて貰ったりしても効かなかったろうな。
私の剣軍が無粋として弱められたように。
されど、あの剣には瘴気祓いほどの力はない。瘴気祓いだったら、様子見で使った軌道を偽る前進も不発に終わっていただろうから。
そして、今し方、マルギットが放った矢が不自然に逸れるのが視界の端っこで見える。
彼女が、この近距離で矢を過つことは有り得ない。
私との〝決闘〟に入ったと見做した剣が、矢による横入を妨げたのだ。
「随分と主贔屓の剣をお持ちで!!」
さっきのは、宝剣が決闘ではなく〝一対二〇〟と見做したせいで、魔法の精度が著しく乱されたようだ。私一人で練った術式なのに決闘ではないと見做すとは、何たる依怙贔屓!! 確かに、一本一本が私と同じ腕前だけども!!
そりゃ、こんなもん継承してたら殺しづらくて長生きもするわ!!
「其方も大概であろう!!」
脇構えは、低く腰を落として半身に構え、自分の体で剣を隠すことで出足を読ませづらくする構えだ。叫びながら足を刈る軌道で振った渇望の剣が、床に切っ先を突き刺した宝剣に止められる。
ぎしりと鈍い感覚。刃同士が、いや、渇望の剣が一方的に相手の刃に食い込んでいた。
渇望の剣を相手にし、刃噛みに持ち込むとは!
本来は両者の剣がお互いの刀身に食い込み合って、刃部が拮抗することによって起こる膠着が、一方の切れ味の良さによって起こっている。
そして、本式の剣術では、刃が噛み合うことを活かした技もある訳で……。
私の剣戟を止める固定具となっていた床が、今度はあっさりと裂かれて振り上げられる。当然、刃が食い込んだ渇望の剣も跳ね上げられ、私の体も泳ぐ。
「なぬ!?」
「魔剣ばかりが切り札とお思いか!」
しかし、それはハルパ殿の動きを逆用したに過ぎない。
彼は剣術を修めているが、貴族階級の剣であり、その中に〝率先して武器を捨てる〟という選択肢はあまりない。
決闘の作法においては、武器をなくした者が負けになることもあるからだ。
故にだろう。渇望の剣が弾き飛ばされるのを必要以上に見送って、残心が一瞬遅れたのは。
然れど私は冒険者。組み討ち、投げ、武器の持ち替え上等の〈戦場刀法〉の使い手だ。武器を保持することで一手遅れるくらいなら、逆に都合が良い物に持ち替える。
何より、長年の相棒は、まだ腰の鞘に収まっているのだから。
「王手!!」
弾かれて体が泳いだのではない。右に大きく引くことで、無手のまま刺突の姿勢に変えたのだ。端から剣を奪われると分かっていれば、強制されて姿勢を乱すのではなく、次への一手に代えられる。
そして、掌に現れるのは〈空間遷移〉で腰の鞘から呼び出した〝送り狼〟。
渇望の剣や、他の剣軍が呼び出せるのだ。手前の腰に帯びた物が、どうして即座に取り寄せられぬ道理があろう。
悍ましき魔剣を奪うことに活路を見出していたようだが、拘り過ぎたな。手から弾けば、戻ってくるまでに数瞬の間があると見抜いていたご様子であるが、私はアレを使うことに拘りって物が多義的にないのだ。
あ、これ武器奪取食らいそうだな、と思った瞬間に〈空間遷移〉を練るくらいに。
全ての攻撃手段が見せ札にして切り札、そして初見殺しでなくてはならぬ。魔導師ではない私でも、師匠の教えは今もしっかりと根付いている。
右半身、右の拳は脇に添え、突き出した左手の上に愛剣の腹を添えて保持。
一瞬、左手を上下させることで牽制を入れると、渇望の剣を弾き飛ばすために大きく開いたハルパ殿が体を竦めた。
甲冑最大の弱点、首と脇を即座に護る構えに入ったのだ。鎧は構造的な工夫によって、姿勢に気を付ければ可動部を塞ぐことができる。
けれど、私の狙いはそっちじゃない。見せかけただけ。
肘を上げ、左手を下げ、狙いを下に。切っ先を右太股の継ぎ目に向かって垂直に突き込んだ。
「ぐぁぁ!?」
鎧と同じで、どんな生物でも関節は弱点だ。特に腰と足の継ぎ目だけは、腰の垂や帷子、鎧下で守っても薄いし、〈単分子原子障壁〉を用いれば、体重さえ乗せれば十分に貫き通せる。
また、どんな偉丈夫でも筋を断たれれば、最早動くことはできぬ。
刃が通り、ぶちりと心地好い手応えが来る。装甲を鎧下ごと貫通して肉を切り裂き、骨を掠め、筋を断った。
背後では、鎧が拉げる快音がする。ジークフリートも上手くやったみたいだ。
「ぬぅっ……がっ!?」
人体の構造に従って、右足が動かなくなったハルパ殿が膝を突く。私はその隙を狙い、宝剣を握った腕を蹴り払う。
主を守れなかった剣が篝火を反射しながら飛んでいく軌跡が、私には口惜しげに涙を流しているかのように見えた………。
【Tips】正々堂々は初見殺しに弱く、初見殺しは潰された時に弱いが、全ての手段が初見殺しになり得るのであれば、ただの一発屋ではない強大な個となる。
高レベルになると、1ラウンドで大凡の決着が付くか、ダラダラ5~10ラウンドくらい殴り合うかのどっちかになりがち。




