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青年期 二一歳の冬 十五

 一睡にして一炊。なれど時の盆から溢水するには十分な時間。


 倦まぬ限りの永劫に浴する非定命にとって、目が覚めたら色々とコトが動いているのは新鮮を通り越して、刺激が強すぎた。


 何をどうすれば地方とは言えど聖堂の、それも主座と即日面会して事件を解決に導く情報などを引っ張ってこられるのだろうかとツェツィーリアは盛大に困惑した。


 人間が歳を取れば一日が短く、一年が瞬く間に過ぎていくように感じるが、非定命のそれは更に素早い。


 なればこそ、最低でも十年単位の中長期的な政策に腰を据えて粘り強く備えることが能い、寿命に後ろから追いかけられている定命が焦って見落とすようなことでさえ見抜くことができるのだが……如何せん、一日二日で全てが劇的に動く現場には、どうしても向いていなかった。


 どこか他人事のような。事実としてその場に立っているのに実感が薄いような無関心さを非定命はおしなべて持っている。


 ただ、この現実感のなさは種族の業ではなかろうなと聡いツェツィーリアは分かっていた。


 多分、今の状況なら普通の定命でも面食らうはずだ。


 「お会いできて恐悦にございます、マルスハイム聖堂主座様」


 「どうか畏まらないでください。三皇統家の御嬢様に頭を下げられたとあっては、重みでこの枯れ枝が如き身が折れてしまいますよ」


 言われるが儘に身支度をして、エンデエルデの地に名を轟かせる〝金の髪〟を従僕のように引き連れやって来た聖堂。長命種と比べるとかなり忘れっぽい吸血種であったが、好々爺然とした初老ヒト種のことは覚えていた。


 かつて月望丘にて夜陰神の教えに倣わんと必死に慣れぬ経を読み、解釈を学んでいた時分に会っているのだ。


 上背が今の半分。幼い吸血種が三〇になるかならないかの頃、今や地方を束ねるだけの高みに至った権僧正は、最も徳の高き聖地へ巡礼に訪れていたのだ。


 そして、その際に小尼僧として案内役を仰せつかったのが、他ならぬツェツィーリアである。


 偶然と言うよりは必然か。月望丘は総本山であるがため、多くの僧が修行を目的として山を登り、時に救いや答えを求めてやって来る。当時は律師になったばかりだったヴィリが更なる信仰を求めて彼の地を訪れるのは、むしろ自然な流れなのだ。


 とある金髪の言を借りるなら「流派を身に付けるには、聖地を一回訪ねないといけないからね」と理解を示す流れながら、当事者にはどうにも納得しづらかった。


 全て神はお見通し。運命が導くが儘になんて思考停止することは容易かろうと、ここで考えをとめるのは、どちらかといえば諦念や老化に近いのだから。


 神は足掻き、追い求める者を尊ぶ。理解できないからそれでいいやと足を止めたならば、待っているのは緩やかに朽ちて倦んでゆく蜜のように重い時間だけだから。


 「しかし、よいご友人を得られましたな。よもや、二〇年も前、自信たっぷりといった具合で拙僧に経を語って聞かせてくれたお嬢様の縁者と出会い、あまつさえご尊顔を拝することになろうとは」


 「あっ、あれはっ! こ、子供でしたから! お、おわかりになるでしょう!? 子供は……」


 「覚えたことをすぐ口にしたがる、でしょう」


 くすくすと笑いを隠そうともしない権僧正を前に凡僧は、血の気が薄い顔が今ばかりは真っ赤になっているだろうと実感する。


 まだ一端の僧ですらなかった子供が律師に聖堂の案内をしながらご高説を垂れてみせた過去があった。ヒト種にとっては思い出話に引っ張り出せる類いの笑い話なれど、高々二〇年前、セスにとって、その恥はまだ熱を十分に保っているものだ。


 許されるなら枕にでも顔を埋めてゴロゴロ転がりたい記憶――一節に依ると、この恥の蓄積に耐えかねて不死を返上する者もいる――に苛まれている令嬢に対し、古い知り合いは伊達や酔狂ではなく全てお察し申し上げますと笑う。


 二〇年はヒト種にとってあまりに重い。吸血種が五〇を目前にするまで育ったとして、魂が重ねる経験も知識も及ぶまい。


 実際にヴィリは権僧正として今回のあらましを大体知っていた。


 当然である。潔斎派として何とかならんかね、と恋のから騒ぎに関わる便りを受け取っていたし、個人的にいい歳こいた神の連枝が何やってんだかと呆れもした。


 そこに新たな視点(エーリヒ)からの情報を与えられて、彼は一つの得心に至っただけである。


 同門である高僧はエールストライヒの御姫様が僧をしていることを知っている。


 そして、朝日の先駆けが起こした珍騒動も把握しており、そこに同じ背景を持った別の名前の僧が一介の冒険者を通して紹介される。


 事情を推察するに余りある組絵の欠片を寄越されたのだ。僧として十分に政治を嗜んだ彼に分からぬ道理もなし。


 また、ヒト種は思い入れを大事にする生き物でもあるのだ。たとえ関わることで面倒な調べごとをする必要になった上、配下に隠し事をしなければいけなくなっても……己の数歩先を小さな足で行き、あれこれ手を刺しながら語る微笑ましい記憶を手繰れば、ちょっとくらい肩入れしてやりたくもなる。


 あの小さな子がお家騒動まで。なんて謎の感慨を抱いた老僧は、この神の寵愛も篤い尼僧の善きようにしてやろうと考えた。


 だから金の髪には何も言わなかった。ここで間抜けに「それはエールストライヒ家のコンスタンツェ様の一件なのでは?」と問い返していたら、非定命の淡い恋心も、それに気付いて遊ばせてやろうとした老公の気遣いも無に帰していただろう。


 あとついでに金髪の正気(SAN値)も。


 素晴らしい巡り合わせだ。誰に知られることもないが、奇縁とは正しく巡るもの。結んだ縁が悪いことを運ぶ機会も多かろうが、同様に事態を好転させ、悪化に歯止めを掛けることもあるのだった。


 「さて、ではあらましは既に聞いておられますかな?」


 「い、一応聞きましたが……その、正気ですか? 生きた身で神を降ろすなど……あまりに不遜では……」


 「孫の不始末に祖母が出て行くくらい、なんと言うことはありますまい。むしろ、夜陰神は呼ばれるのをお待ちなのではないですかな?」


 一体何を根拠にと尼僧が問えば、権僧正は貴女がここ、マルスハイム夜陰神聖堂の書庫に立っていることが全ての答えだと返す。


 もしも夜陰神が頭の悪い恋愛騒動に興味がなければ、ツェツィーリアはここまで辿り着けてはいまい。日除けの奇跡を今に至るまで赦し、アールヴァクと出会った晩、夜影に姿を隠してやったことに本意が全て透けている。


 ただ、一足先にやる気を出した旦那に遠慮して、呼ばれるまで待っていただけのことだ。神々の世界には地上からでは及びも付かない――或いは俗すぎて、それはないだろうと斬って捨ててしまうような――複雑な事情がある。なればこそ、夫婦神として夫を立てる夜陰神にも名目が必要だったのだろう。


 当事者から助けてくださいと願われれば、出張るに十分な名目となる。そして、神の意に沿うならば代価も安く済もう。


 「ただ、やはり問題がありましてな。夜陰神は非定命にして尊き血を引くお方であろうと、体にそのまま降ろすには神格が勝ちすぎるかと」


 「凡僧には明かされぬ僧会史に言及があったのですか?」


 「神代より後にも数えるほどですし、地下には明かされませぬが神が降臨なさった事例はあるのですよ。これを私がお見せしたことは、どうか密に」


 ひそひそとした前置きと共に差し出されたのは、製紙技術が未熟だった頃、帝国が成立するよりずっと前に認められた木簡や羊皮紙の束であった。


 原本ではなく、保存性に優れた素焼きの粘土板に記された歴史書の写し、そのまた写しであり、帝国語の元となった上古の言語で書かれている。古代の僧会から引き継がれた、エーリヒなら解読に専門家が要る! と大慌てするそれもツェツィーリアには常の言葉と変わらぬ自然さで読めた。


 親しみやすいよう現代帝国語に訳され、時代ごとに文法や言葉の意味が変じる度に綴り直される聖典もあるが、原初の教えを保つために古い言葉は必須なのだ。信仰者として高みを目指す者にとって、上古の言語は会話と読文、どちらも今の貴族が宮廷語を喋れるのと同じくらいの必須課目なのだから。


 「神代が終わっていても……全部で六回も……!? しかも、二回は……あ、あの、これ、なんと言うか……」


 「至極下らないですな」


 「ちょっ、ヴィリ様!? もうちょっと歯に衣をですね!?」


 直截に過ぎる年老いた先達の言葉に尼僧はあたふたさせられてしまった。


 しかし、それを否定できないくらいに下らない理由で夜陰神が信徒の体を借りて降臨した記録があったのだ。


 地上に化身を差し向けて〝悪い遊び〟に興じた夫への制裁。それが主目的の降臨であったなら、流石に徳の高い僧であっても呆れざるを得なかった。


 深くは語るまいが、神話的には「いつもの」とか「残念ながら当然」とか言われてしまう民話の一説みたいなものだ。


 しかし、斯様なくだらなさであっても依代となった高僧、その時代の大聖堂座主や大僧正が神の残滓に悩まされて一線を退くことを選んでいる。広大な範囲からの信仰を受ける最高神の片割れは、それだけ格が違うのだ。


 溢れる神威の名残だけで在りし日の政治を不可逆に変える公算が高いと踏んだ僧が、自ら命を返上したり、一人辺境への巡礼で姿を消すような事態となったことを鑑みるに、ただ往事と同じことをしてもツェツィーリアの本意は果たせまい。


 となると、もっと手順を踏まねばなるまい。


 「これをご覧ください。五回目の降臨の記録なのですが」


 「四〇〇年前……割と最近ですね」


 「いやぁ……帝国成立前からあるお家は言うことが違う」


 「えっ? 私、何か変なこと言いました……?」


 「いえいえ、五〇生きれば上等の定命が僻み。お忘れくださいまし」


 無意識な傲慢さが滲む台詞を強引に押し流して、僧は掠れかかった〝割と最近〟の記録を読み上げた。


 「神威を降ろす扶けとするべく、夜陰神より賜りし月絹の法衣を纏い、月欠片の錫杖を持ち、長子が産着が切れ端を持ちて冬至の祭日に祈りを捧げん」


 「……神器、ですか?」


 「いかにも」


 神器は読んで文字の如く神の器具であるが、神話や英雄詩に詠われる有名所は喪われて久しい。大体は神が地上にあるには過ぎたるもの、として天井に召し上げたが、歴史の中で失われたしまった物も多い。


 読み上げられた夜陰神の降臨を補助するために使われた神器の数々も、今や月望丘の宝物殿に残っているのは産着の切れ端のみだ。


 月の光が絹地となった伝説の衣は、内輪の政争で持ち出すという愚を犯した者がいたため夜陰神の怒りを買い、三〇〇年前に取り上げられて袖の片方も残っていない。


 月の欠片を研磨した宝石を頂く錫杖もまた、大僧正のみが口伝で教えられるやんどこない理由によって月望丘を離れてしまった。


 そして、残った貴重な信仰の残り香。産着の切れ端は百年に一度だけご開帳されるのだが……折悪くツェツィーリアが生まれる前に開帳されてしまっため、ここにいる二人とも直接拝んだことはない。


 宝物殿の最奥。管理も掃除も大僧正が行う最も堅い神秘の向こうには、権僧正であろうと夜陰神に愛された乙女であっても踏み入ることは許されなかったからだ。


 「夜陰神の神器を担うことにより、その身をできる限り神に近づけて降臨の反動を軽減するという手法ですな」


 「ああ、奇跡の代償として、より夜陰神に縁深い物を用意するのと同じですか」


 「ええ。神器さえあれば、あるいは御身を損なわず慈母の言葉を直接届けるに足るかと愚考する次第」


 なるほどと思わないでもないが、ここで問題が一つ。


 神器なんて何処から借りてくれば良いのか。


 「もしかして、マルスハイムの聖堂にも秘蔵の神器が?」


 「いえ、少し前まで戦災が絶えぬ地の果てには神器など配されませぬよ。戦火で焼けたり、まかり間違って外国に流れたとあっては……」


 今も土豪氏族の残党が跋扈しているエンデエルデ、西の地の果てマルスハイムはライン三重帝国にすると半分は蛮地みたいなものだ。バーデン家の傍流である辺境伯が治めているから辛うじて成り立っているだけで、燻っていた反乱の熾火が燃え上がっていたのはほんの数年前のこと。こんな不安定な地には僧会も神器を置きたがろう訳もない。


 神器で結界を貼らねば人類の生息域が維持できないならまだしも、なくても成り立つならば神器を失う可能性は万が一にも廃さねばならぬので至極当たり前の話だった。


 これが中世のヨーロッパだと「あそこの正十字架の欠片奪ってやったぜ!」なんて具合に自分の教会の格を上げるための分捕り物があったりもしたろうが、同じことをやると普通に神がブチ切れて取り上げられるので――先例もあることだし――勿体ぶって隠しているのでもない。


 ただ単に貴重すぎて地方には存在しないのだ。


 「では、話が成立しないではないですか」


 「いえ……幾つか神器が存在しているという情報が」


 それも、噂では済まされない程度には確度の高い物がとヴィリが説明しているのと時を同じくして、待合室でお茶を出して貰っていたエーリヒは大きなクシャミをした。


 シティーアドベンチャーで始まったシナリオが、お遣い目的で押し込み強盗に化けるのは良くあることだ。


 そして、お嬢様を身分相応の綺麗さに飾るには、ある程度の苦難と出費は不可避なのが世の相場というものである…………。




【Tips】神器。一般的には神が人のために作った道具、及び神が使っている道具どちらも一括りに神器と呼ぶが、僧会の厳密な定義においては〝神が個人所有していた道具〟のみを神器とする。 

現在進行中のイベントに深く関わっている冬至なので記念更新。


本当ならもっと頑張って、当日にクライマックスを迎えたかったのですが、如何せん私のキャパシティと遅筆さによって適いませんでした。

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― 新着の感想 ―
[一言] これ間違ってエーリヒに降りるっていうオチは無いのか。
[一言] 内輪の政争とはちょっと違うけど、クリスタニアにあったな。 成人の儀式として自分一人で最初に出会った獲物を狩って食べなければならない。 でも人間に出会ってしまった。人間なんて食べたくないし、…
[一言] 本物のアドベンチャー!よかったねエーリヒ
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