青年期 二一歳の冬 十四
聖堂は前世の宗教施設と雰囲気が似ているようで大分異なる。
厳粛な空気や常に掃き清められた清潔さ。風に乗って漂ってくるお香の匂いは、侵しがたい雰囲気が立ちこめ神聖な場なのだと教えてくれるけれど。
まず第一、僧侶があんまりギラギラしていないことだろうか。
「座主が直ぐおいでになります。暫時お待ちください」
応接間に案内してくれた鼠鬼の僧を見るだけでは、階級を察することができなかった。
法事の度に見ていた豪華絢爛な袈裟を纏ったお坊さんや、テレビの向こう側で儀式をしていた法王様とは違って、ライン三重帝国の神群に属する僧は大体皆質素だ。
訪ねた夜陰神の聖堂だけが殊更清貧に気を遣っている訳ではなく、どこの僧院を訪ねても雰囲気は似たようなものだろう。
「早く通して貰えて助かったね」
「態々、口を聞いてくださる優しい先達のおかげです」
質素で詰め物のない長椅子に並んで腰掛けた聖者も外見だけでは、徳が高いくらいしか察することはできない。首から提げた曙光の聖印も必要とあれば喜捨のために使うから金地らしいので、これだけで絢爛派という訳でもないし。
さて、ここはマルスハイムの夜陰神聖堂。分類的には周辺の荘も含めて信仰を纏めているので大聖堂と言ってもよいが、建物自体は非常に小振りで簡素が極まっている。広い前庭も大きな蔵もなく、小さな板塀で仕切った箱形の建物が三棟あるだけで銀色の月を模した聖印を掲げていなければ、何の建物かパッと見では分かりづらい。
これは神が事実として、何より具体的に存在しているからだろう。
なにも高い金を出して聖像に金箔を貼りたくり――絢爛派は似たようなことをするが――有り難い様を視覚的に演出しないでも〝奇跡〟の実存のみに依って説得力が得られる。
無論、信仰の形として聖堂を綺麗に飾ることもあるし、聖像も見窄らしく作ったりはしないけれど。
ただ、凡僧から高僧まで判を押したように地味なのだ。宝石を敷き詰めた胸当てやら絹地を金糸の刺繍でゴチャゴチャ飾った僧衣は儀式の時にしか用いず、ともすれば野良着で自分達の菜園を弄っている高僧さえいるときた。
控えめに戸を叩く音を連れてやってきた彼がマルスハイム聖堂の座主であるなど、付き合いがなければ名乗られない限り見抜くことは困難であろう。
「大変お待たせいたしまして申し訳ない」
聖堂座主の証である夜陰神の聖印を頂く錫杖を持ったヒト種の初老男性はマルスハイムのヴィリ氏。西方辺境域では一番高位の夜陰神の僧であり、権僧正であらせられる。見た目は縁台で兵演棋でも指しているのが似合いそうなホッソリしたお爺さんだが、ここいらじゃ下手な貴族では訪ねて行ってその日に会えるようなお方じゃない。
「いいえ、ヴィリ様。急な来訪にも拘わらずご対応いただき感謝いたします」
全ては一緒に立ち上がり、訪問の礼をしているフィデリオ氏の御意向である。
うん、コネクションは偉大。場合によっては相手が持っているコネクションを使ってくれるのだから。
「異門なれど対となる神を崇める方からのお願いとなれば……」
老僧は対面に座すると、饗応の茶と質素な焼き菓子を運ぶ尼僧を目線で下がらせ、しゃらんと錫杖を鳴らす。
人払いの奇跡が行使されたのだ。夜の風が如き静謐な空気が流れ、概念的に部屋が隔離されたのを感じた。
流石は夜警の神を崇める高僧。これくらいの奇跡は日々の崇拝だけで、大仰な儀式や代償なしに振るうことを許されているのか。
あ、いや、たしか奇跡は〝後払い〟も可能だったっけな。冷水を浴びる禊ぎを何十回とか、月が出ている間に堂巡り何回といった訓業。単純な物納でも可能だそうだが、大層な奇跡であればある程に代価は重くなる。
とはいえ、ヴィリ様には昨日の内に手紙を渡している。ことの大きさは、一切が余所に漏れぬよう気を払うに十分過ぎる案件だ。
私からの手紙を後回しにせず、直ぐ読んで貰えていてよかった。近隣聖堂の取り纏めや、マルスハイムの貴族に関わる儀式にも関係している座主様なので、私の何倍も日々の書類仕事が多かろうに。
剣友会の名がそれだけ大きく、重くなったと考えるのは思い上がり……ではないと思いたい。
「さて、あらましは手紙で伺いておりましたが……また難儀なことになっておりますね」
「返す言葉もございません。しかし、何分古い友人のことなので、どうにかして力にはなれないかと」
「ふぅむ」
斯く斯く然々を済ませ、情報共有の後にヴィリ様は少し考え込んだ。
「しかし、陽導神の信徒は面白い発想をなされる」
「恐縮です」
普段の人好きのする笑顔を崩さないフィデリオ氏に掛けられた言葉は、皮肉や当て擦りではないと思いたい。
だって、私も最初に聞いた時は驚いたものだ。
「如何に夜陰神の恵みが最も篤く降り注ぐ冬至が近いとはいえ……〝神降ろし〟を考えつかれるなど」
神の顕現を願うなど、押す横車の巨大さもあって、どうして驚かずにいられよう。
むしろ、普通は思いつかないだろう。創作の中でさえ神を弑すことが不遜の極みであって、発想さえされないような世の中で、下界のいざこざで神においで願うなんて。
今更ながら、託宣を詳細に受け取ることもある高位僧のフィデリオ氏が、斯様な不遜ともいえる行為の存在を知っているのが不思議でならなかった。
「しかし、可能なのですか? 神を人の都合で降ろすなど」
道理を聞かされて尚、私はどうにも信じ切れずにいる。
神降ろし。それそのものは慣れ親しんだ、孤独から焼死を選んだ巨人の世界や三本の剣が作った世界でも許されていたし、システムによっては「そんな気軽でいいんすか?」と聞きたくなる物もあった。
だから理屈としては疑っていない。むしろ、私もこっちに馴染みすぎたのか「その手があったか!」と前世では使いたくない最終兵器の存在を忘れていたけれど、意識すればちゃんとやり口として存在していると思い出せたもの。
ただ、その手の不条理をねじ曲げて道理を踏み倒し、上位者に問題を解決して貰おうとする行為には重い重い誓約がのし掛かるものだ。
例として出した〈神格顕現〉ならば、余程のちゃちな地方神でもなければ代償は請願者の命だ。準備に凄まじい手間と時間がかかる上、復活などできぬ不可逆の死と肉体の崩壊が伴い、一時的に全てを都合良く振るう代わりに全てが失われる。
人は人のままで機械仕掛けの神にはなれない。エウリピデスでもあるまいに、神々は色々あったが何とかなりました、で結ばせてくれるような安い存在じゃないのだ。
少なくとも私の権能でロックされていない範囲では不可能だし――基本も修めていないので、非開示の奇跡も多い――仮にできても代価が命であることは変わるまい。
たしかに私は、この世界という構造の一つ上の神から差し向けられた存在だが、だからといってその世界の全てを都合良くねじ曲げられる訳じゃない。
幾ら親会社から出向していようが階級はあるのだ。少なくとも平社員として送り込まれた人間が、如何に所属が上の会社だからといって、下降した先の社長相手にお茶くみをさせられるような道理もなし。
物理や概念全てを正規にねじ曲げる力を万全に振るうのは、とても現実的ではない。
何より私は困ったらコールゴッドしちまおう、なんてシナリオをナメたプレイはGMとしてもPLとしても大嫌いだったからね。あんまり気軽に扱おうもんなら、神を軽く見ている不敬としてプリースト技能の剥奪を警告することもあったさ。超英雄だか何だかしらんが、もうちょっと信仰技能の大事さを考えて欲しい。
あったんだよ、実際そういうことが。
だからこそ、可能不可能云々以前の問題として……それがセッションの〝円満な解決〟に有用なのかが甚だ疑問だった。
セス嬢がお嫁に行かずにすみました。でも代償として命を失います、なんて言われちゃ如何に敬愛する先輩でも胸ぐら掴んで一発か二発くらいぶん殴るぞ。
「況して、今回のような一件で希えば……」
「僕は一度だが見ている。陽導神が信徒を介して地に降りていらした姿を」
「……は?」
「ほぅ。して、それは誰が? 拙僧も卑しい身ながら権僧正でありますが、少なくともここ百年は記録に残る形で神降ろしなど企画すらされていないはずですがな」
「……これはある意味で秘中の秘。やったのは僕の父だ」
「えぇ!?」
え? 実はフィデリオ氏二代目主人公ポジ!?
非常に重い語り口で、囁くように彼は自分の父がした偉大にして不遜なる行為を語った。
聖者の出身はアイリア。ここから更に南の鄙びた土地で、所属としては帝国の衛星諸国にあたる。なるほど、顔の彫りが少し浅くて帝国人らしくない造型だとは思っていたけれど、元々は異国の人なのか。
「小さな開拓荘でね。僕や僕の父が生まれるずっと前に山が火を噴いて作物が絶え、獣も多く死んで国が滅んだ場所だった。少しずつ息を吹き返そうとしているアイリアに僕の父、ロッコは在俗の僧として訪れた」
フィデリオ氏の父、ロッコ氏は伝道に信仰を見出した在俗僧で、災害に打ち拉がれた地の助けになろうと願ったとても徳の高い僧だったという。
その彼が全てを擲って神の降臨を願ったのは、信仰が芽生え始めた土地への庇護を願うため。
「人知れず入り口に蓋をされ、中が魔物で溢れかえった魔宮があったんだ。古い古い神、信仰が失われた衰える神群の名残。打ち捨てられた史跡に呪いと怨嗟が溜まって、弱まった神格諸共に魔宮と化した。僕とその家族は、何も知らずそこの上で暮らしていたんだよ」
自らの体を篝火として、打ち寄せる魔物の大暴走を受け止めたのだ。
「その地の神は弱っていた。最早、信徒も数えるばかりだったからこそ、我が神の威光が浸透しやすかったのもあるけれど……邪悪が蔓延る隙間もあるのは当然だね」
信仰が行き渡って地域を独占している三重帝国ですら魔宮は沸く。核を墜ちた神格にし、地域が空白地となっていたならば尚沸きやすかったろう。
「溢れた魔宮を食い止めねば、故郷のみならず地域全てが死に絶える。死の未練と怨嗟を喰らった穢れたる神格はより強く、更に強まったろう。だから、命に代えてでも、体を陽導神が輝く標の〝薪〟にしてでも父は止めようとした」
「その結果……お父上は?」
「まぁ、これがね、詩人に聞かせたらやっすい筋書きだと笑われそうなんだけど……見上げた献身と精神だと見込まれて、我が父は命を長らえさせてもらったのさ」
私が問い、出てきた答えに錫杖が転がる音が響いた。
そんなことある? とヴィリ氏が驚いて取り落としてしまったのだ。
しかし、話を聞いて私は逆にありそうだと思った。
まぁ、GMとしては〈神格顕現〉に頼るなと言ったが、二進も三進も行かなくなった上でロールの熱がたっぷり入れば、むしろ人間味に溢れた神々はお答えくださるだろうと制限を緩め、お目こぼしまでしたこともある。
事実としてルールブックには、こう記述してあるのだ。
準備や代価はこれこれ必要ですが、諸々含めて詳細はGMの差配に従ってくださいと。
いわゆる不文律。ゴールデンルールというやつである。
「ただ、代価というよりは後遺症として父は体の中に〝熾火〟のように燻る痛みを生涯抱えることになった上、アイリアから出ることも適わなくなった……しかし、陽導神を直に呼びつけて慈悲を請うた割には軽いものだと本人は笑っていたけどね」
やっぱり知らないだけで、世の中には凄い英雄がいたものだ。
それこそ如何に陽導神が人間臭く、自分の思いつきとか気分で法から逸脱する傾向があるとはいえ、ぽっ出の一信徒相手であれば地方の趨勢が関わっていたとて顕現はするまい。
否、むしろできなかろう。溢れる信仰を受けて、絶えることなくこの地を照らし、温もりを注ぐ神の格は“必要だから”で降りて来られるような軽さでは、神代も遠かりし今では最早ないのだ。
つまり、ロッコ氏は反動を受け止められる肉体と精神の持ち主で、そこに篤い信仰と徳があったからこその偉業だったという訳だ。
いやぁ……国や組織の重鎮にも収まらず、野良の英雄がゴロゴロしているのが割とよくある界隈とはいえ、歴史に名の残らない凄い人がいたんだなぁ……。
「信仰の行き渡らぬ地。聖堂と名乗るのが恥ずかしい我が家を兼ねた荒ら屋のちっぽけな祭壇。年単位の読経を上げる期間もなく、捧げ物に牛どころか山羊の一匹も用意できなかった上、迷宮を焼き尽くすまで戦ったからこその後遺症を負った父だけど……此度の案件ならマシにならないかなと思ってね」
「ふぅむ……」
薄い髭が生えた自分の顎を撫でて唸る座主。さしもの彼も難儀なことになっていると理解していても、こんな唐突に凄まじい英雄譚……いや、神話の知られざる一頁を聞かされるとは思いもしなかったろうな。
しかし、流石に例外事項だからとフィデリオ氏も確信が得られなかった故、こうやってより歴史や作法、文献に伝わる奇跡に詳しい立場ある僧へ意見を求めに来たのだろう。
私一人だったら「いい話を聞かせて貰った」で終わっちゃうからな。
「……まぁ、コトがコトですからな。よいでしょう。合力することを考えさせていただきたい。ただ、その前に」
話の余韻に体がジンとする思いをしていると、考えが纏まったのかヴィリ氏が錫杖を拾いながら言う。
「朝日の先駆けに見初められた御仁の人柄を見定めさせていただきたい」
マルスハイム聖堂の座主の目には計算高い光が宿っていた。
然れど、何も冷酷で悪い光ではない。
マルスハイムの夜陰神聖堂を率いる者として配下の徳になるか。
何よりも崇める神の意向に沿うかを計算する信仰者の計算深さが目の奥で滾っていた…………。
【Tips】神々は信仰への報酬として与える奇跡を自分の価値観で選んでいる。ならば、その軽重の匙加減が気分や好悪で変動することは当然とも言えよう。
コールゴッドの扱いの難しさは異常。
2,0だと「軽々しくするなよ」とばかりに100単位のMPとか準備期間一年とか色々やって漸くですが、無印だとセッション中でギャグめいた空気になったり、凄い気楽に呼びつけたりしていて本当に笑うしかないですね。某リプレイだと何度呼び出されたものか。
しかし、それを地力でやってのけるガイア系列の神業持ち共よ……。
ハイランダー三枚はやめて、やめておくれ……。




