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青年期 二一歳の冬 十一

 湯浴みの名残を拭われながら、吸血種はマルギットという女を測りかねる。


 少なくとも生きた年齢はツェツィーリアの方が上だが、何故だか老成という点において勝てる気がしなかった。


 話を信じるならば、狩人は愛が多い部類の人間ではない。


 むしろ、彼女が感じたのは〝重み〟だ。


 並べるのではなく、一つを重ねる。感情から水分を絞り出して漬け込み、純化するかの如き情念がある。


 これが獲物に拘りを持つ狩人と斥候の種族が持つ宿業なのか、マルギット個人の情念なのかはツェツィーリアには経験が足りず判断ができなかったが……ただ、彼女の友人が相当に得難く、そして厄介な相方を得ていることだけは分かった。


 「あ、あの……」


 「何かしら? ああ、髪はあの人に仕上げて貰いましょう。布でくるんで、そのまま上がるのがいいわね。少なくとも、男衆には濡れ髪は刺激的過ぎるでしょうし」


 「いえ、その……嫌、じゃないのですか?」


 何が? と問われて、吸血種は何がもへったくれも……と思った。


 普通、女とは横恋慕を嫌うものなのではなかろうか。


 「うーん……嫌、とは違うけれど、何と言うか、これは私の種族とか性根も関わっているから、言葉にし辛いのですわよねぇ」


 「恋……かどうかはまだ納得しかねていますが、仮にそうなら横恋慕ではありませんか。もしもを考えたりはしないのですか? その、そのまま分からないまま、で終わらせてしまった方が安心かと……」


 「うーん、これは、ぬかしおると笑うところなのかしら」


 悩ましげに首を傾げるマルギットを見て、一拍遅れてツェツィーリアは随分と大それたことを言っていると気付いた。


 仮に恋愛になったら、お前が負けるかもしれぬのだ。そう真正面から顔面に手袋を投げつけるのに等しい文句である。


 「わっ、わわ、わたし、そんなつもりじゃ!?」


 「無自覚って怖いですわねぇ。でも、私、狩人ですのでこう考えてしまうのですわ。一薙ぎで大樹を倒してしまう熊を見て、脅えて退くか、挑むか」


 「わ……私が熊だと?」


 「今のままでしたら、まぁ精々が子鹿さんですわね」


 はい、一丁上がりと水気を拭われた髪が新しい布に包まれ、ツェツィーリアは小さな脱衣場で服を押しつけられる。入浴中に剣友会の女衆がこっそりと置いていったのだろう。足首丈の長衣は特段上等ではないが、何度も洗濯されたことで柔らかくなっており、寝間着にするのには丁度良かった。


 「ちゃんと自覚したならば、熊のような強敵かもしれませんけれどね」


 「自覚……ですか」


 「ええ。なにか、退っ引きならないことになって頼りに来たのでしょう? でも、あの子から聞いていた貴女の人柄と、私が見て感じた人柄では、自分の命や進退だけで人に命を懸けさせるような御仁とは思えないんですもの」


 自分も髪を束ねて布でくるみ、妙にもこもことした夜着――裏に大量の起毛と綿が仕込まれている――に着替えたマルギットの言葉を聞いて、そういえば事情を説明していなかったなと思い出す。


 会長室では、絡まれたせいで説明の機会を逸していたのだ。


 「で、理由は? あの人、何か難しく考え込んでますけれど、私は最初から付き合うつもりですし……まぁ、会員も半分以上は何も言わず付いてくるでしょうから、あんまり心配いらないと思いますわよ。残った半分もなんやかやで付いていくでしょうし」


 「ですが、口にするのも中々烏滸がましいことなのですが……」


 「ははっ、私達、こう見えて結構陽導神に面と向かって言えない仕事もしてますのよ?」


 「……その陽導神に背くようなことでもですか」


 へぇ、とだけ言って笑う狩人は、良いから喋れと無言で促していた。


 そして、子細を聞いてまた笑う。


 「やっぱり貴女、恋してるじゃないですの。それも心底!」


 「な、何故そうなるのです!?」


 「だぁって、あはっ、あはは……! おかしいの! こんなの、お酒の肴にしなきゃもったいないお話ですわ! あはは!」


 一頻り大笑いして満足したのか、目尻の涙を拭ってから狩人はむくれた尼僧に悪びれもなく詫びた。そこまで笑うことないじゃないですか、と怒る方向が少しズレていることもまた、狩人の笑いを誘ってならない。


 普通なら、そこは無礼なと怒って然るべきだろうに。


 「ツェツィーリア、貴女、自分で言ったのよ? 最悪、不死を陽導神に返上することも厭わないと。でも、ここに来たじゃないの」


 「それの何がおかしいのですか……」


 「死ぬ覚悟があれば、何でもできるでしょうに。面と向かって勘違い男の心が折ってやることも、他に男を作って売約済みだと断ってやることだって。ああ、受け入れた後で散々に振り回して幻滅させてやるのもいいですわね。逃げることを含めて、自裁するよりずっと簡単だと思いましてよ?」


 「……あっ」


 「それをしないで、エーリヒに助けを求めに来る……貴女、どれだけあの子のことが好きなんですの? しかも、あわよくば劇的に助けて貰いたいなんて、御姫様っぽい思考が透けて見えますわよ?」


 否定しようとして……よくよく考えたら、ずばり言われた通りなのではとツェツィーリアは気付いてしまった。


 狩人の言うように、やりようなんぞ幾らでもあろうに。


 男をこっぴどく振る方法なんて物は、世の中に溢れかえっている。


 それこそ最もどぎつい物なら、適当な男を捕まえて〝すること〟をやってしまえばいいのだ。鬱陶しい陽導神の落とし子から逃げるだけなら、何年か所帯持ちのフリをするだけでも十分だと言える。


 何なら――その後の報復が怖いが――見せ付けてやれば、五月蠅い男も二度と口を開くことも能うまい。アールヴァクは勘違いに基づいて頭を逆上せさせているので、大きな衝撃があれば正常可動に復帰することも考えられた。


 お前が恋したと錯覚した相手は、思い込んでいるような聖女ではないのだぞと。


 神話級の箱入り息子であれば、目の前でどぎつい接吻でもかますだけで十分だろうか。


 まぁ、上で方々に手紙を書いている金髪は、その手のジャンル(NTR・NTL)が前世から大嫌いなので、殺し合いの方がマシだと言う公算が高いが。


 また、案の一つとしてあげた外国への逃亡であっても、まだ他にやりようがあったろう。


 態々マルスハイムまで来て、金の髪に助力を願う必要はない。もう、一月も歩けば外国に出てしまうような辺境域にまで来ているのだから、金さえ都合すれば後は割と何とでもなったろう。


 衛星諸国まで足を伸ばして追いかけてこられると流石に難儀だが……アールヴァクがお勤めを大事に思っていることと、さしもの慕っている僧達も「外国にまで出られるとちょっと……」と考えるであろうことから、冷静さを取り戻させるだけの時間を稼ぐこともできそうだ。


 敬愛する落とし子の願いは叶えてやりたいと思う信徒は多かろうが、お義理で付き合っている者も決して少なくないはず。外国まで巻き込んでの追走劇となれば、これは付き合いきれぬと苦言を呈してくれる常識人達も蜂起しよう。


 黙って金を積み、聖堂と関係なさそうな回船に潜り込んでマウザーの大河を西進すれば衛星諸国まであっという間だし、南に下って南内海に行くこともできる。西の果てまで来る以前だったら、何処ぞの隊商に流しの僧として参加し東の果て、再打貫された礫砂漠の旅も不可能ではなかった。


 こんな簡単なことを思いつかないほど、ツェツィーリアの頭は悪くない。


 ただ、彼女が無意識に一人の男を想い、選択肢から除外してしまったのだ。


 もしかしたらと縋り、もう一度と願うばかりに。


 「ふふ、可愛らしい」


 ここまで明け透けに言われて、漸う考えが至ったのであろう。尼僧は収穫期の林檎を想わせんばかりに頬を真っ赤に染めて、縮こまることしかできなかった。


 「み、認めます。私は確かに、エーリヒに……甘えに来た……のだと思います」


 「素直なのは美徳ですわね。お姉さん、少し手助けしてあげたくなりましたわ」


 「私の方が倍は年上ですよ、もう……でも、なんでこんな手助けするような物言いを?」


 「だから、言語化し辛いんですわよ、色々と」


 自分の身繕いと後片付けをちゃっちゃと終えたマルギットであるが、本人が言うことに嘘はない。自分の最後の持ち物である自我であっても、全てを詳らかに、況してや論理的に言語を用いて説明するのは難しいのだ。


 それに何だかんだいって、帝国語は上古の言語を洗練させた人造言語で、その基幹設計に蜘蛛人は関わっていない。複雑にして馥郁たる狩人の情緒を一言で表す言語ばかりは、持ち合わせている筈もなし。


 「私、詩才には恵まれておりませんの。理解していただけるように語れるとはとても……」


 「……まぁ、私もちょっと分かりますよ。牙が疼く、と言葉にしたって、そこにある葛藤や悩みまでは伝えられるものではありませんし」


 「なら、似た者同士、ということですわね」


 脱衣場の後始末も済んだので、二人は風呂から引き揚げることにした。折角湯を沸かしたのだからと、会員達が誰から空いた風呂に入るかで協議していることを知っていたからだ。


 「……でも、何故、私が甘えることを許してくれるのですか?」


 人目を避けて廊下を進む間、ツェツィーリアは沈黙が立ちこめることを恐れて言葉を紡ぐ。風呂と会話で良い具合に茹で上がった脳味噌で、独りの思考に深く潜り込むのが怖かったのだ。


 「そうですわねぇ……ま、私が負けないようにと自分に発破を掛けてみたり、あの子がもっと可愛らしくなるかと思って、というのもありますけれど」


 「か、可愛らしく……?」


 「獲物は大きくて強大で、残忍に食い荒らした犠牲者が多いほど、狩人にとって価値があるものになるんですのよ? ああ、あと……一人で相手をするのが、ちょっとしんどい、というのもあるかしら」


 「……はい?」


 あれ? 何か雰囲気変わったな、と三階への階段を昇り終える頃にツェツィーリアは感付いた。


 風呂で見た生々しいまでの逢瀬の痕跡、二人の間にだけ満ちる空気といい何をしているかは未通女なりに分かっていたが……この余裕たっぷりの蜘蛛人が、少しだけ疲れているように見えたのだ。


 「もうねぇ、如何にも優しくしますよという顔をしておいて、それはもう……」


 「あっ、あの! ちょっと!? 何かとんでもない話をしようとしていません!?」


 「そりゃあ求められるのは女冥利に尽きますけれど、かといって一晩に七回も八回もとなると」


 「はっ、八!? えっ!? ヒト種ってそんなんでしたっけ!?」


 「こちらが“昇らせられる”回数はそれ以上ですし、あの子が楽しそうだから付き合ってあげるのもやぶさかではないのですけれど、次の日に腰とか膝とか……かといって全部任せたら、それはそれでもう大変なことに」


 「わっ!? わぁ!? ゆっ、友人として、聞いてはいけない……というより、聞きたくない情報をこんなところでぶちまけないでくださいよ!?」


 唐突かつ赤裸々に猥談へ移行しようとする狩人の肩を掴んで静止を試みた尼僧であったが、辿り着いた場所を見て何かを察する。


 そこはエーリヒが通すよう指示した空いた個室ではなく、風呂に入る前に出た部屋。


 会長室の扉があった。


 扉の片脇に設けられた小さな魔導照明が灯っているのは、在室の証拠だ。きっと、あの後もツェツィーリアの窮状を何とかしようと策を打ち続けているに違いなかった。


 「あ、あの……」


 「ここ、隣はあの人の寝室でしてよ」


 「えっ!? い、いや、ねっ、ねね、閨になんて、そんな……!?」


 「この施設で一番、護りが硬い場所ですもの。安心して眠れるでしょう」


 「ででで、ででっ、ですが、かかっ、覚悟とかっ、なんかっ、こう、いろい……」


 「悪いけど、あの人には会長室の長椅子で寝て貰うとしましょうか」


 「…………へ?」


 気の抜けた声を漏らす尼僧に、本日何度目かになるクスクスという笑いを溢しながらマルギットは揶揄った。


 一体、清廉な尼僧様は何を想像なさったのかしらと。


 「恋を自覚したばかりの子に、そんな荒行をさせやしませんわよ。私だって反省はしていますのよ? 初めてでアレはキツいって」


 「たっ……たっ……」


 「あまり最初から美味し過ぎるお酒を呑むと、後から普通のお酒が物足りなくなりますもの。いえ、助勢してくれる、というなら有り難いですけれど、まー、その前にあの子を説き伏せるのが先だから、流石に風呂上がりの気怠い体を抱えてはやりたくないですわねぇ」


 「謀りましたね!?」


 勝手に〝やらしい〟想像をしただけでしょう? と悪戯っぽく言われて、誘導されていたと分かっていながらもツェツィーリアには上手い返しが考えつかなかった。


 何を言っても揶揄われて、遇われ、そして上手く狩人の目論見通りに行ってしまうのではないかと思えてならないのだ。


 部屋の前で賑やかにやっている二人の気配を感じ取り、何かあったのだろうかとエーリヒが出てくるまで、あと少し…………。




【Tips】剣友会の風呂。金の髪が公衆浴場に通いづらくなったため設置した物で、他の氏族からは、どれだけ贅沢してるんだと少し呆れられている装備。


 利用規則は簡潔。綺麗に、騒がず、そして中で〝いたさない〟こと。

ヘンダーソン氏の福音を最新7巻

いよいよ11月25日の発売です!!


Kindleなどの電子書籍プラットフォームだと0:00丁度からDLできますね。

書店によってはもう置いてくださっているとのTweetもあって嬉しい限りです。

今回も10万文字以上書き足しておりますので、是非、是非。

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― 新着の感想 ―
寵児の器用で判定を代用した上でいくつかそれ関連の技能があるわけだから……凄いだろうな……
[一言] そういえばどこぞの荘の蝶々の娘さんの初体験がエーリヒだった件 そりゃ初めてがアレならその後の婿養子は苦労するし夫婦性活にヒビも入ろうもんよな……
[一言] この場合RでもLでもなくBSSなんだよなぁ…
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