青年期 二一歳の冬 七
聖所で育ったお嬢様は、マルスハイムの混沌に呑まれても実に楽しそうにしていらした。
「こう見えて色々な所に行きました! むしろ、帝都より気楽です!」
この街は出入りがかなり緩いのと流民やら移民やらでゴチャゴチャしており、昼行性と夜行性の種族が入り乱れていて人通りも常時多い。帝都と違って魔導街灯がなく――ここの出張所で聴講生はどうやって小遣いを稼いでいるのだろう――光源は月と星々、他は窓から漏れる微かな灯火だけの道でもかなりの人数が歩いていた。
この辺はまだ自然も豊かだし、植物油も比較的安価だ。燃料費が馬鹿みたいに高かったお江戸と違って、遅くなっても頑張って働いている人々も見かけられるくらいに。
だからこそ、深々と外套を被った二人組が陽も落ちた後に歩いていようが、そんなのは背景の染みみたいなもので目立ちやしない。我々なんかが目立つようなら、時折人混みからにょっきり頭をはみ出させている大型人類など探照灯で照らされてるようなもんだろう。
「活気があって良い街ですね」
「貴女にそう言って貰えるなら辺境伯も喜ぶでしょう」
「人も多いし、何より生気とやる気が溢れています。裸一貫で立て直せる土地というのは希少ですよ」
それにしても、小綺麗な聖堂からマルスハイムにぶち込まれたら、普通は平然と放置されている馬糞とか、何年も風呂に入っていなさそうな人々の臭いに眉の一つも顰めると思うのだが。
この心の中に小学五年生を飼育なさっているお嬢様は本当にお強い。一歩間違えば判定もさせてくれず、GMが無情に笑って新しいキャラ紙を寄越してくるような生物が徘徊している下水道でも物怖じしなかったのだし、これくらいは許容範囲内なのだろうか。
昔を思い出させるように外套の端っこを摘まんでいないと、ちょっと目を離した隙に何処かへフラフラ行ってしまいそうなご令嬢。その好奇心を満足させてやるために観光案内の一つもしてやりたかったが、コトはそんなにのんびりしていられる状態ではない。
冒険者の聖地――と言われつつ、何にもないけど――アードリアン恩賜広場さえ通らず、私は冒険者同業者組合の会館から南に二つ通りを下った所に建つ我等が塒、通称〝金狼の巣〟へと辿り着いた。
実に大仰な名前は、言うまでもなく自称ではない。多分、自分の感性を発揮したがった吟遊詩人が独得で格好良い名前を考え、有名になってやろうと色々工夫した結果であろう。
私だってこっちでも通算年齢でもいい歳だ。少なくとも心の中の中学二年生を飼い慣らす術くらいは知っている。
「わぁ……立派ですね!」
「そうですか? 帝都のお屋敷に比べれば見窄らしい限りで申し訳ありません」
我等が塒は三階建ての集合住宅を改造した物で、昨年隣家も安く買い取れたので渡り廊下で繋ぐなどして増改築を繰り返し、上から見下ろすと漢字の甲と似た形の違法建築めいた姿をしている。
中央に中庭があるロの字型の集合住宅が不便だったので、二階に渡し廊下を設けたのだ。そこに区割りを無視して建てられた住宅を買い取って繋げた結果、かなりの異形となってしまっている。
しかし、航空写真で見た不格好さは兎も角、利便性はかなり良いし設備も充実している。部屋数は多く新入りを虱や蚤に塗れさせずに済んでいるし、庭には練兵用の仮標的などを並べている上、男女で交互に使える風呂も用意した。
礼節と身綺麗さをウリにしているのだから、此方で幾らか整備してやった方がいいと思ったのだ。ほら、福利厚生って士気に関わるから。現代だと嫌われていたBBQだって、こっちじゃタダ酒とタダ飯ってことで大人気なくらいだからね。
ついでに「折角予算が出るんだから、もう開き直って贅沢してええやろ!」と小さいが湯殿も併設してやった。小型のボイラーで湧かした湯を水で薄めて入れる、三人入ればキツキツの風呂だが交代で入れるだけでも有り難いというものだ。
なにせマルスハイムの公衆浴場は恩賜浴場の癖して無料じゃない上、労働者がひっきりなしに出入りするせいでたった二個の湯殿がきったねぇのなんの。隣の人間と肩どころか二の腕がべっとり触れあう蒸し風呂の混み具合も散々だし、一番風呂へ気軽に入りにいけなくなる忙しさから、やってられねぇよと大奮発したのだ。
「……旦那! お帰りなさい!!」
「ああ、ご苦労」
塒の正門、ただの集合住宅だと格好悪いかと門構えを改修した場所には、見張りが二人立っている。何時からか手が空いている会員が「ここまで立派になったら盗人も入りますよ」と自主的に立哨を始めたのだ。今では追認する形で四交代で一回一リブラの給金を渡している。
金が出ると出ないとじゃやる気と責任感が違うだろう?
門衛は組織の顔、とだけあって新人の仕事ではなく中堅からの仕事とされているため――単に日当がドサ回りより良いからかもしれんが――立っている彼等は外套を被っても私だと気付かないなんてことはなかった。
「お客人ですか?」
「ああ。客間の支度を頼むよ」
「畏まりました。マナールさんが定時で上がってしまわれたので……」
「構わない。誰か手透きの者に茶を沸かす支度だけさせて客間に運んでくれ。湯は……」
「グツグツに沸騰させて、ですよね。承知いたしました」
奇妙な頼みではあるが、高貴な客に私が手ずから茶を饗するのは間々あることだ。彼も疑問を覚えることはなく、勝手口へと走って行く。
「むさ苦しいところですが、どうぞ」
「では、失礼しますね」
残った一人の会員が扉を開いてくれたので、セス嬢を招き入れると小さな歓声が沸いた。
発生源はご令嬢が手で覆った口からだ。
「わぁ……凄い! 綺麗です!!」
謙遜してむさ苦しいところと紹介したが、そうでしょうそうでしょう、と無言で頷いた。
何故なら、この塒の設計と改築は全てミカの手に依る物だからだ。
彼が他ならぬ私の拠点ならばと腕まくりして何枚も設計図を書き、襤褸屋に近かった集合住宅を立派な会館に仕立て直してくれたのである。
建材やら内装部材やら、ついでに大工衆まで魔導院出張所の伝手を使って格安で引っ張ってきて――彼も彼なりに政治的な遊戯に勝利しているようだ――気合いを入れた正面口は、ちょっとしたお屋敷のような立派さだ。
空間を無駄にしたくなかったので吹き抜けや二階まで伸びるような階段こそないものの、壁紙や板硝子まで贅沢に使われた見栄えは貴族の館とまではいかないが、地方の騎士や代官の館と紹介しても通じるだろう。
「あれっ、旦那。早いお帰りで」
「ああ、ヨルゴス。まだ仕事か? ご苦労だな」
吊された魔導照明、控えめに飾られた風景画、空間にさりげない華やかさを演出する生花を活けた花瓶。密かな自慢である正面口では、数人の会員を引き連れたヨルゴスが陽も暮れたのに仕事をしていた。
手には用箋挟みを持っている上、引き連れた会員は木箱や袋を抱えているので備品の整理でもしていたのだろう。
二m以上ある巨躯を屈めるようにして勤勉に励む彼は、自分が〝世話焼き〟であることを自覚してからは雑事のまとめ役を買って出てくれている。仕立ての良い服を着るようになったこともあって、冗談で彼を侍従長と呼ぶ物もいるほどだ。
とはいえ、前線働きも十分以上に熟しているので、親愛からの揶揄いではなく、侮りとして呼んだら軍馬の突撃を正面から受け止める鉄拳で粉砕されるが。
巨鬼の生体装甲の上に特注の分厚い胸甲を纏った彼は、エタンと並ぶ剣友会の盾であり顔となったのだ。一発殴られたんだから俺も一発な! とばかりに半端な攻撃ならば頑丈さで受け止めて、剣術の合理と二mの巨躯に備わる規格外の馬鹿力で特大両手剣を叩き付けてくる戦振りは、抗いがたい理不尽として恐れられている。
実際、見た目の厳つさは変わっていないので、個人的な護衛として私より人気だったりするのだ。遠目に一目で喧嘩を売ったら駄目なヤツだなと分かる武威は、終ぞ手に入らなかったので今でも密かに羨んでいる。
何で止まるかな、成長……身長、あと一五cmくらい欲しかったな……。せめて一八〇cmくらいはさ……。
「明日、遠征隊が戻ってくるんで倉庫の空きを確かめてやした。それと、悪くなってそうな食料は、手透きのもんで処分しちまおうかと」
「そうか。余裕があるなら若い衆に腹一杯食わせてやれ」
「へぇ。しかし旦那、お客人ですかい? おもてなしなら……」
「大丈夫だ。私がやる」
申し出を断ると、彼は心得たと一つ頷いてくれた。
付き合いも長いし、お付きをしてくれることも多いので彼は分かっているのだ。言葉の端々に含まれる意図や意味が。
珍しくはないからな。下に〝仕事を受けている〟と噂さえ流されたくない相手と会うことも。
こういう時、巨鬼の雄性体は雌性体の奉仕種族だと言われることがよく分かる。今も時折、友人に側仕えのように侍っている姿を端から見ていると、本能的に認めた相手に尽くすのが好きなのだなと理解できるから。
「巨鬼の男性までいらっしゃるんですね。こうして間近でお会いするのは、初めてです」
じゃあ客間にと思えど、好奇心の塊であるお嬢様の興味を惹き付けるのに巨鬼の男性は、十分過ぎる珍しさを有していた。普段は部族の中で戦士の生活を支えている彼等は、都市部でも中々見かけないからな。
「俺はキュクロープス部族のヨルゴスと申しやす、お客人。剣友会共々、どうかご贔屓に」
用事がなければ木石のように振る舞えと教育される冒険者なれども、声をかけられてはどうしようもない。彼は一瞬困惑したものの、丁寧に腰を折って礼を示した。
「これはご丁寧に。私は……」
あーっ、いけませんお客様ー! お客様ぁー!!
反射的に名乗ろうとする彼女の手を強引に引っ張って、会員達の手によって誰にも恥じないよう掃除されている廊下を走った。
我々の握ってる強みなんて、居場所を知られていないことしかないんですから、下手に名乗らないでください! 家の会員達は酒場で身内の仕事をべらべら喋ったりしませんけど、精神魔法やら奇跡やらで覗かれないとも限らないんですからね!?
この人、マジで追われている自覚がなさ過ぎる。ほんと、どうやってここまで辿り着いたんだ。僧会関係者以外になら情報を売られないなんて思ってるのかもしれないが、迂闊に過ぎやしませんかね?
方々でお土産を買っていらした胆力も然ることながら、肝が太すぎてヒヤヒヤさせられる。普通、負われている人間なんてのは頭巾一つ下ろすのもおっかなびっくりやるもんだと思うんだが。
「あ、あの、エーリヒ、そんなに手を強く握られると……」
「こっ、これは失礼!」
あまつさえ異性に手を握られたということに顔を真っ赤にしておいでで、私まで慌てててしまったじゃないか。
こんな中学生みたいな醜態、配下には見せられん。
「わっ、私は全然構いませんけど、淑女の扱いには気を付けてくださいね?」
「ええ、ええ……ご忠言、しかと胸に刻みます。まずは、おかけになってください」
いや、本当に調子を狂わされっぱなしだ。何だか色々と変わってなさ過ぎて、私まで一三歳に戻ったような気がしてきた。
あの鮮烈な夕日の中で墜落してきた彼女の姿は、今も昨日のことのように思い出せるけれど、今より更に未熟だった時分の己まで帰って来られたら、それはそれで困るんだ。
「あっ、凄く良い椅子ですね。お部屋の雰囲気も落ち着いてていいです」
「お褒めに預かり光栄です。私はこう言った気配りに疎いので、全て友人が差配してくれたのですよ」
「そうなのですか。とても良い趣味と腕のご友人に恵まれましたね」
「ふふ、直にご紹介いたします。きっと驚かれますよ」
遂に友人への賛辞に謙遜が負けて自慢してしまった。この応接間もミカが家具の手配から何までしてくれたので、貴種からちょっと金持ってる平民まで過不足なく持て成せるので、我が会館の自慢の一つなのだ。
自慢していると配下が茶の支度をして持って来てくれたので、手早く黒茶を煎れて持て成す準備を終える。沸騰させた湯はここに運ぶまでの時間と、茶器を温めることで丁度良い温度になっていた。
一緒に添えてくれている茶菓子は、いつぞやを思い出す落雁のような乾菓子だ。
「いつ飲んでもお茶は落ち着きます……それに、いいお手前です。もしかしてお茶は手製ですか?」
乾菓子を口に含んでから茶を飲んで味の変化を楽しむお嬢様からの評価は上々。腕は錆びていない、と内心でぐっと拳を握る。
「はい。会員達と休養日に中庭で仕込んでいます。お口に合って幸いでした。では、暫くここでお待ちいただけますか?」
「ええ、勿論」
さてと、一息ついて貰ったところで彼女を匿う準備をするとしよう。
家には沢山の四人部屋と少しの二人部屋、それと幾つかの個室が整備してある。会員は全員住み込まなんて規則はないが、初心者なんて大抵は貧乏しているだろうから、せめて懐に手を突っ込まれる心配のない寝床くらいはと思ったのだ。
あと、一箇所に大勢が集まれると一党を組んで仕事をする切っ掛けも増える上、急な大規模動員にも応えやすくて便利なのだ。
だからセス嬢を匿える部屋なら幾らでもある。下らない色恋沙汰の問題を予防し、〝そういう間柄〟の二人に配慮して作った少人数用の部屋がこんなことで輝くとは。
誰だって色々持て余している中、隣で盛られたら苛つくだろうから、という配慮が変な所で活きてしまった。
事務所で空き部屋を確認して、手透きの誰かに整えさせ、風呂の支度もして……。
「……大人しくしていてくださいね?」
「エーリヒ、貴方は私を一体何だと……」
だって、今までの言動を思い出すと探検! とか言って出て行きそうで不安だったんだもの。
「では、人払いをさせておくので、誰か来ても入れないでくださいね。私以外入らないよう命じますし、誰かを使わすようなことはありませんので」
「そこまで何を心配しているんですか? ここは貴方の家では?」
「相手が相手なもので、心配なんてしてもしたりないんですよ」
僧会の半分が乗り気になってるなんて、帝国の五分の一くらいが敵に回ったようなもんだ。我々が一〇フィートの棒で地面を突き倒しながら進み、言葉尻一つで粛正されるのに脅えて喋る生態を持ってるのはともかくとして、慎重になってなり過ぎるということはない。
僧でこそなくとも陽導神の信徒なんて帝国中で石を投げたらぶつかる数がいる。最高神だけあって主神に頂かずとも、有り難いからという理由だけで崇めている一般人も珍しくないとあれば、障子がなくとも方々の目を心配せにゃならん。
こっちでも「陽導神様が見ている」なんて言い回しが通じる時点で明白だろう。
言うまでもなく、家の会員にだって信徒がいる。アールヴァクの嫁取り云々の噂は市井でも流れていないので、大丈夫だとは思うけれど念の為だ。
ふと、この保身への興味の薄さは〝殺されても死なない〟種族だからなのだろうかと思った。
怪我をしても風邪を引いても死なないなら、確かに危機感という物は育ちにくかろう。我々が無意識に物を避けて危険そうな物に気を払うのは、うっかりしたら痛い目を見て取り返しの付かないことになるからだ。
しかし、彼女にはそれがない。最悪、陽の下に晒されながら首を刎ねるか臓腑を抉るでもしないかぎり甦ることのできる血の濃い吸血種なら、我が身を厭う観念は養われなくても不思議ではないのだ。
これにのほほんとしたお嬢様気質が噛み合わさると……それこそ、あとは面白いことになるよう期待しようぜと適当なことをやる芸人共と似たような行動様式ができあがる。
「なので、本当に慎重にお願いします」
「エーリヒ、後で本当に話し合いましょう。ちょっと認識のすり合わせが必要かと」
ニッコリ微笑まれても、こっちは気が気がじゃないんですよと言っても理解して貰うのは難しかろう。
私は何時爆発するか分からないシュレディンガーな爆弾を後に残したような気分で、雑事を片付けるために応接間を後にした…………。
【Tips】金狼の巣。冒険者組合会館の程近くに立つ剣友会の根城。生活設備が整っており、会員の生活の場を整え、同時に練兵するために整備された。
設備の良さと剣友会の肩書き欲しさに当初大量の冒険者が釣れたそうだが、半端な人間は半日で〝音を上げて退会を申し出た〟との逸話により、今では相当の覚悟がなければ戸を叩く者はいない。
尚、下手に門を構えてしまったせいで道場破りめいた連中がやって来ることが金の髪の最近の悩みである。




