青年期 二一歳の冬 六
清らかな乙女から助けを希われて冒険者が立ち上がる物語は、両手の指を足して、ついでに自乗しても足りないくらい世界中に溢れている。
ただ……うん、街道を歩いていて古代龍とぶち当たるよりヤベー話が唐突に飛んで来るとは、ぼちぼち中堅を名乗って良い冒険者歴を積み上げても予想できなんだ。
私がデータマンチに走る切っ掛けとなったTRPGの先輩は、高Lvのキャラが沢山掲載されているサプリメントを見て「これ勝てるんすかね」と笑っていた私に嘯いたものだ。
データさえあれば神様だって殺せるんだと。
要は、この世の全てで抗えぬ埒外の存在でない限り、努力と工夫で何とでもなるのだと。
それこそ、世の中には絶対にPCを殺すと決め打ちで悪意を煮詰めたキャンペーンを編んだGM相手に知恵とデータで悪夢をひっくり返した偉人もいるのだ。
なら、殺せば死ぬ相手に抗えない道理はあるまいて。
なぁに、それにほら、まだヤッパを抜くにはちと早い。
向こうが「嫁寄越せ!」と殺気立って玄関口に来ているならまだしも、まだ人柄も分かってないし、対応だって幾らでもできる段階だ。
神殺しに手を染めるのは冒険者的にはやぶさかではないが、常識的な現地人としては「オイ馬鹿やめろ」と自我を自覚して以来養ってきた常識が警鐘を鳴らしている。
それに幾ら四分の一に薄まれど、相手は神の連枝なのだ。顔を合わせてよーいドン! で始めては手も足も出まい。
落とし子とは、そういう存在なのだ。少なくとも私は〝地上に顕現した太陽〟みたいな存在に無策で喧嘩を売るような考えナシではない。
風車を怪物と思い込んで突っ込んでいくのとは訳が違うからな。正面衝突で怪我をする程度では済まず、影も遺さず蒸発するような死に様は勘弁だ。
私だって人並みに親族から看取られて寝床で死にたいという欲求くらいある。
どうしようもない状態で万策を尽くし、その上で抗える限り悪あがきをした末に味方を逃がして戦土に倒れるならギリギリ許容するけれど、風車の騎士みたいな滑稽さは省きたいものだ。
だから、彼女がどうしたいかを確認せねばならない。
助けるのは既に自分の中で決まったようなものだが、彼女が不死を返上せず足掻き続けた以上、何かしら〝最低限〟の妥協点はあるだろうから。
「セス嬢、私も一党を預かる身ですので〝依頼〟だと考えてお伺いします」
「ええ、分かっていますよエーリヒ。貴方は成人し、人を率いる身。気軽に巻き込もうなどとは考えておりません」
「それなら……貴方は彼に何を望みますか?」
「諦めてお引き取り願えるのが一番です。どうしても駄目なら……まぁ、ここは辺境ですから。いっそ、南内海あたりまで逃げちゃいましょうか」
「……え?」
「はい?」
私は素で驚いたが、彼女は逆に何で驚いてんの? とでも言いたげな顔をしていた。
あ、そっか、この人、底抜けに善人なんだった。
自分を曲げたり犠牲にしたりする事態に最後まで抗う鋼の意志を持っているだけで、最終的に自分が諦めることで丸く収まるなら、何の躊躇いもなく死ねる人なのだ。忘れるなよ私。逃避行が危ない段階になったなら、私に迷惑を掛けまいと投降しようとしていた人が友人に丸投げする訳ないだろう。
迷惑な勘違い男に追っかけられているので、二度と迷惑を掛けてこないようぶっ殺してくださいなんて。
況してや相手は信徒からの寵愛篤き陽導神の孫。立ちはだかって剣を抜くだけで、大罪を犯したとして郷里まで焼かれる可能性すらある。
如何に友人であろうと、いやさ友人だからこそ彼女は本当に危ない時に私を頼ったりはするまいて。
「あ、いえ、何でもないです。すみません、ちょっと頭の中の治安が随分と悪くなっていたようで」
割と素で、どんな手段で殺せる相手なのかばっかり考えていた。ほら、もう政治的にしんどいって説明して貰っていたから、何か手掛かりがあるのかとばかり。
明らかに実力に隔たりがある敵がドカーンと用意されたら、我々はこう考える生き物だからね。
あ、これ仕掛けがあるボスだなと。
だからついつい頭を押し込み強盗型冒険者寄りにし過ぎてしまった。さっき考えていた対応だって、どんな罠とか待ち伏せを用意すりゃいいのかな、って感じだったし。
ただ、一つ自己弁護すると仕方がないのだ。剣友会を立ち上げて以来、最終的に斬った張ったになって血を見ない仕事ってあんまりなかったから。
特に私が最前線に出張るようなのだと。
「頭の中の治安とは……??」
「いえ、ホント何でもないので忘れてください」
何処かに封印されている神性を否定する武器や特別な調合の神でも殺せる毒、若しくは、殺せずとも死にたいなんて思わせる手段を携えてやって来てくれたのだとばかり考えていた。
神話には斯様な物騒な代物が付き物で、実際僧会が隠しているが実存しているのでは、と思わせる話が詩や物語で残っている。
それに陽導神の落とし子と聞いてから微妙に落ち着きのない思念を飛ばしてくる厄い剣とか、そこら辺で悪戯に勤しんでいた名もなき妖精達が蜘蛛の子を散らすように逃げていったから、私自身も取っ掛かりは持っているのだよ。
どちらも、あまり頼りたくはないのだけれど。
しかし、そうだな、さっきまだ方法はあると言ったのは私じゃないか。
本人の恋愛に茹だってしまった頭に水をぶっ掛けて冷静にさせる方法を考えてもいいし、また別の手段だって出尽くした訳じゃない。
人より多く情報を手に入れられる立場なのだから、活用しなくては勿体なかろうて。
「……分かりました、承りましょう」
「ほ、本当ですか?」
「貴女を一体どうして私が見捨てられましょうか」
それに、まだ返していない物だってあるのだから。
私は腰元の物入れからお守りを取りだした。何の変哲もない普通の小袋であるが、大事な約束としてずっと持ち歩いてきた物が納められている。
「キッチリ勝ってお返しする。そう約束したでしょう?」
「それは……!」
袋に入っているのは兵演棋の駒だ。月が閉じ込められた東屋で敗北と共に預けられた再会の約束。直ぐに死んでしまう定命のフラフラした生き様を危ぶんで、彼女から握らせられた駒を返す機械がようやく来た。
まぁ、こんな巡り合わせで返させるとか、試練神が本当にゲイのサディスト疑惑が出てきたが。彼の神格は非常に謎が多く、聖典でも性が暈かして描かれている上、夫神や妻神がないので「本当にどっちなんですか貴方」と信徒の間でも議論されている謎なのだが。
「落ち着いたら、是非一局。勝って返すという約束は忘れていませんよ」
「ふふ、ああ、嬉しいですね……定命にとって五年は長いと聞いていたし、分かっているつもりでしたけれど、こんなに喜ばしいなんて。他愛もない約束一つ、忘れられているのが当然と心得よと言われてきたのに」
「流石にヒト種でも五年じゃ忘れませんよ。五〇年でも忘れませんけどね」
あらあらと笑って貰って、少しだけ緊張が解れた。
とりあえず驚きのあまりに落っことしてしまった煙管を拾い――あ、よかった、絨毯焦げてない。焦がしたら幾らになったか――駒を懐にしまって居住まいを正す。
「ただ、セス嬢。一つ申し上げておくことが」
「……何でしょう」
「私は全霊を以て貴女を助けましょう。しかし……仲間と剣友会まで無条件で使える訳ではないことは、どうかご容赦を」
さて、私は剣友会の頭目で彼等への指揮権があるが、氏族なんてのは会社と違って……いや、喩え会社であっても社員に無茶な命令はできない。
軍隊だけだ。配下に抗いがたい状況なのを分かって「死んでこい」などと臆面もなく命令してよいのは。
あくまで冒険者の合意によって形勢されるのが氏族であって、会員には抜けるという選択肢がある。ヤクザめいた氏族なら違ってくるだろうが、少なくとも剣友会はそうあるべきだと認識しているし、合わない者は黙って去らせた。
そして今、私の都合で誰にも無理をさせるつもりはない。
下手すると特攻みたいなもんだからな。落とし子の前に立ちはだかって結婚を諦めさせるなんて。
少なくとも〝冒険者〟という一種の憧憬に狂っていなければ、選択肢にすら上がらない程度には。
「本当に拙いようなら、今回の一件に関わるのは自分だけになります。それをご理解いただければと」
「勿論、分かっています。そもそも、貴方に頼ることさえ……とても、迷いました。しかし……流石に話が色々な所へ出回りすぎて、逃げることも危うくなりましたので」
どうやらセス嬢もギリギリまで諸国を逃げ回ることで、どうにかならないかなと足掻いてみたようだ。本人が飽きるか僧会で誰かが冷静になって諫めてはくれまいかと。
さりとて前者は神代に近い時代から生きている非定命だけあって可能性は薄く、後者も期待に添えないのぼせた連中揃いで適わなかったようだが。
しかし、やっぱりこのお嬢様、行動力がスゲーな。僧会の何割かを敵に回しても季節一つ分は捕まらずに逃げ続けられたとか、一体どんな道でここまで来たんだ。
陽導神聖堂がある街は全部駄目そうだし、夜陰神聖堂でさえ慈愛派が強ければ駄目。他の聖堂でも、主神の縁者案件とあればお義理で協力してくる聖堂もあったろうから、中堅規模の街は立ち寄るのも難しいなんて相当な酷道しか残ってないのでは?
更に帝国は街を輸送の便を考えて計画的に作っていることも相まって、田舎だけを通ろうとすれば、無茶苦茶曲がりくねった道順になっただろう。
……冷静になると、なんでこの人、ここまで辿り着けたんだろう。
「あ、それはですね、人化している間は奇跡でも夜陰神のご加護が誤魔化してくれているようなのと、陽が暮れた後は当然陽導神の威光が届かないので、昼間は人化した上で陽の光が入らない所で凌ぎ、夜だけ行動していたんです」
気になったので聞いてみたら、何と言うゴリ押し。理には適っているが、いっそ清々しいな。
「それにおお……ごほん。伯母様のお力添えもあって、助けてくれる聖堂もありましたから」
あ、そうか、フランツィスカ様が今の状況で黙っている訳がないものね。如何に相性最悪、ガチメタを貼られたような相手を前に最終的かつ単純な解法が取れずとも、やれることはあると。
「あ、そうでした。勿論無料で助けて貰おうなどと都合の良いことは考えておりませんよエーリヒ。貴方とは……そう、友人ですが、親しき仲にこそ礼儀があって然るべきなので」
ちょっと待って下さいね、と断って彼女は長椅子の横に置いてあった巨大な背嚢――彼女が背負っているといっそ滑稽な位の大きさ――へしゃがみ込み、頭を突っ込む勢いで中身を漁り始める。
何と言うか、仔猫っぽくて可愛らしいと思ってしまった。
あれでもない、これでもないと色々手を突っ込んでガサガサやっている姿は、どちらかと言えば某国民的猫型ロボットっぽかったが。
「すみません、如何せん身一つで動く時期が長かったので荷物が増えて増えて……無事に帰った時に配ろうと思ったお土産の量が……」
意に沿わぬ結婚を持ち込まれても嘆いて他人に頼るのではなく、まず自分で何とかしようとする心の根の強さは一切変わっていないようだ。陽導神の落とし子から逃げ回りつつ、先々でお土産を調達しているとか、一体どんな肝の太さがあればできるのだろう。
それもこれも、大抵のことでは死なない非定命なればこそ培える物なのだろうか。やっぱり親しくとも異人種の考えることは、よく分からないことも多いものだなぁ……。
「ありました!」
ぱぁっと言う笑顔のオノマトペを書いてやりたくなる尼僧の手には、書簡の束が握られている。
封蝋がされた分厚い幾十通かの中から、彼女は二通だけ取りだして私に寄越した。
「聖堂や関所で便宜を図って貰えるよう、伯母様が書簡を何通も託してくれました。それと、私が貴方の元に辿り着けることができた時、事の次第を伯母様から説明するための手紙も」
流石はフランツィスカ様、姪御の能力を信じてマルスハイムにまで到着できた時のことを考えていたとは。
渡された書簡の一通は私宛で、もう一通は……」
「これは……ウビオルム伯への書簡ですか?」
「はい。伯母様曰く、初見の方にお縋りするような状況ではないと」
なるほど、とても賢い。アグリッピナ氏ほどの政治的熱量の持ち主ならば、名家とあっても隠居相手なら無理な願いの一つ二つ突っぱねるのは難しくなかろう。実際、あの人も公務云々で方々に〈空間遷移〉で行き交っているらしく、直接ご尊顔を拝する機会は半年も前のことだった。
だから、費用が掛かったら後で払ってやるから〝元従僕〟の名目で助けを乞うてくれ、と言いたいのだろう。
かなりの横紙破りだし、相当な無礼であるため社交界に噂が出回ったら「あそこのお家はこんな不調法を……」と陰口を叩かれかねない行為ではあるが、それを容れても尚も姪を助けたいという想いはしかと受け取った。
あの外道は金を詰めば動くような手合いじゃないんだが……まぁ、友人を助けるためだ。無茶な仕事の二つ三つくらいなら安いものか。
「では、拝見いたします」
蝋の封印を破り――夜陰神の盗み見を防ぐ加護が掛かっていた――取り出した手紙は、恐ろしく分厚く何頁にも渉る。
宮廷語を省かれた率直な文章には、目を覆いたくなるようなことが書かれていた。
「おぉう……」
筆致の流麗さに感心する余裕もない内容は、先程セス嬢から聞かされた内容が第三者の視点からも正しいことの補強と、彼女に報せていない補足事項だった。
まず、本当にベルンカステルのお家も手詰まりになりつつあるようだ。夜陰神聖堂潔斎派の重鎮に働きかけて火消しはしているが、久しくない血が濃い――神の血など八分の一でも十分過ぎる――落とし子の血脈が増える可能性に僧会は狂喜しており、最早歯止めなど利きそうにないらしい。
女帝と呼びたくなる堂々たる立ち姿が嘘のように泣きが入っていた。
要約するなら、まぢもうむり、といったところか。
そして、社交界も馬鹿みたいな恋愛騒動には茶飲み話以上の興味がなく、僧会を怒らせるような危険を負ってまで助けてくれる家は殆どなかったという。
そりゃそうだ。僧会からの覚えが悪くなることはあろうが、よくはならないからな。君子危うきに近寄らずという格言は、此方にも形を変えて存在しているし。
極めつけは、セス嬢が逃げ回っている間に集めた情報が書かれていたことだ。
「セス嬢、これは何時受け取った書簡ですか?」
「ええと、たしか先月ですね。最後に夜陰神聖堂に寄った時なので、そこまで古くないかと」
魔導伝文機のように聖堂にも手紙を遠距離でやりとりする方法があるのだろう。旅の途中でも、最新に近い情報を受け取れるのは素直に羨ましい。
アールヴァクの個人情報は殆どが秘匿されていたが、幾つか古い文書から情報を引っ張り出すことにフランツィスカ様は成功なさっていた。
だからこそ……だからこそ、頭が痛い。その奇跡を民間にも融通してくんねぇかなぁ、なんて思う余裕もないくらいに。
「……まずは、マルスハイムの夜陰神聖堂を頼りましょう。それと、その前に……」
渋い顔をしたいのを必至に押し隠し、努めて冷静を装って手紙を畳みながら、私は古い友人に一先ず休んでは如何かと提案した。
幸い、日が沈んでいる間は夜陰神の加護によって彼女の姿がアールヴァクの手の者に肉眼以外では察知されないようだし、まだマルスハイムに入ったことも露見してはいるまい。
なら、長旅の垢と疲れを落とす一時くらいは必要だろう。
少なくとも、剣友会の拠点は今のところ安全だから…………。
【Tips】各僧会は情報を伝える奇跡に秀でる風雲神や彼の配下にある小神格を通じて高度に連携を取っており、魔導院に劣らぬ情報共有が可能だ。
また、風雲神は陽導神が送った〝恋文〟を密告したことで酷い親子喧嘩して以来、身内の手紙は何があっても覗かない方針をとっており、信徒もそれに倣っている。




