青年期 二一歳の冬 五
在野の人々に説法をした時、「神様って意外と人間臭いんですね」との感想をよく聞くが、聖典を深く理解しているツェツィーリアからすると、逆に何だと思っているのですかという話だった。
たしかに神々は人の領域では理解が及ばぬ力を持っている。魔法使いは日々、その領域に踏み込もうとしているが、巨大な壁に爪さえ立てられていない。
天体の運行を司り、植生を制御し、天候を操る。果ては時間や概念にまで及ぶ力の果ては、人類の領域では理解など何千年積み重ねても及ぶまい。
然れども、人は彼等の被造物、つまりは一側面を与えられた子供なのだ。
ならば、親が全く理解もできない超然とした存在であろうか。
幼い頃、子供は親に神性を見る。己では届かない場所の物を軽々と取り上げ、どれだけ頑張っても届かない高みへ持ち上げてくれ、知らないことは何もなく、日々の糧と知識を与え導いてくれる。
これは正しく神であろう。優しければ慈しむ神であり、育児を投げ捨てるようであれば荒ぶる神である点も似ていた。
腰元にも達しない背丈の頃は、親とは神なのだ。頼り、護られ、信頼する存在なれど、つむじの高さが胸元を越え、何時しか並んで追い抜く頃には「ああ、父母も同じ人間なのだな」と気付くもの。
父にも幼い頃があり、似たような失敗をして、共感できる馬鹿をしてきたもの。だからこそ無垢な、寄りかかるだけの信頼から親愛に繋げることが適う。
だとすれば、人間がやることを神がやって何がおかしいのか。
聖堂が神々を〝厳父や慈母〟と呼び表し、主神として崇める神以外を〝主〟と呼ばないのには、単純な庇護関係に基づいて人間の立場を当てはめただけではない深い理由がある。
それに準えるならば、朝日の先駆けことアールヴァクは実に人間臭い、僧会風に表現するなら実に真っ当な神性であった。
適当に聖典を聞いているだけの人々が考えるような、世界を作り冷淡に回し、完璧な力を持っただけの存在ならば、それは最早神という崇高な存在ではなく、人の世界を回すための〝設備〟に過ぎまい。
全く理解が及ばぬ存在は、庇護者たり得ないのだ。
第一に恐ろしかろう。いつ何の気紛れで止まるかもしれぬ、入力機器は疎か状態を報せる物も付いていない、得体の知れぬ機械と同じ部屋に詰め込まれ、それに生殺与奪の全てを握られるなど。
赤子の頃からそれに頼り一切の知恵を持たず死んでいくならまだしも、曲がりなりに知性を持っていたなら悪夢以外の何でもなかろう。
少なくとも、ツェツィーリアや僧会にとって人間とは物言わぬ機械に、ありもしない人間性を見出して語りかけているだけの存在ではなかった。
まぁ、そんな機械にも人間性や神性を見出すのが人間だろ、なんてどこか東の方の列島の人が抗議してきそうだが、ともあれライン三重帝国において神とは〝そういうもの〟である。
何にせよツェツィーリアが逃避行の間に拾い集めた風聞を纏めるなら、アールヴァクは個人的になら悪い印象を抱かなかった。
謎の恋慕を抱いてきた上、自分と主神の恋愛を重ねる言動を憚らぬ、言ってはなんだがイタい言動を抜きにすれば。
さて、彼の来歴は実に有り触れた――他の落とし子と比べて――ものだ。陽導神が神代にとある名家の子女、まるで春の気分が良い日に降り注ぐ己が恵みもかくやの髪を持つ乙女を〝気に入って〟しまったことが全ての始まり。
気に入っちゃったなら仕方ないよね、等と「それでも元全き善き神か」とか「その悪性を現夜陰神から受け継いだとかぬかしたら神でもぶん殴るぞ」なんて多方面から盛大に打っ叩かれそうなお約束展開を経てアールヴァクの父は生まれた。
その名は僧会にも残っていないため、ツェツィーリアも知らない。
正確には遺すことが許されなかったので、知りようがなかったと言うべきか。
息子がそうだったように、父親もはっちゃけた人だったのだ。
歴史の中へ微かにこびり付いた記録を辿れば、どうやら自分を陽導神と同一視して完璧な神格になろうと大胆な謀反を企てたらしい。
落とし子は落とし子、化身は化身、どちらも神ではないと初歩的なことを理解しなかったが故の愚行である。どっかの神と救世主は同じ存在かどうかで凄まじい人死にを出した宗教っぽさがあるが、アールヴァクの父親は単純に思い上がりが酷かった。
神が気に入るような輝かしい美貌を引き継いだのが悪かったのか、はたまた神象とうり二つと言われる特徴を持ったのがよくなかったのか、他の落とし子が羨む程に父と近い権能を持っていたのが運命の悪戯だったか。
どれが悪いかは今となっては神々に聞くしかないが、彼は神々の怒りを買い処刑された。
父親が祖父にやらかしを叱られている様を見るのは、子供にとって辛いこと。あまつさえ勘当なんてされてしまった日には、当人は居心地の悪さに「自分は父親とは違います」と一族に申し開きをせずにはいられまい。
彼は贖罪として、父のように調子には乗りませんと一足早く引きこもりを決め、真面目に落とし子の責務に励み始めた。神代が終わった少し後、帝国が生まれるずっと前からひたむきに。
日が昇っている間はひたすら祈り、自分の領域で新たに出家した僧は手ずから聖別し、生まれた幼子に祝福を与える。訊ねてきた他院の僧には身分の貴賤なく謁見と直答を許し、教えを授ける様は、他の僧院からすると羨ましくあったろう。
滅多に自分の領域から出ないものの、それは彼が立てた苦行の誓いに近く、大聖堂の僧から慕われていたことを鑑みると良い擁護者であったと断言できる。
それに、彼がいるからこそ小国林立時代などの乱世などを経ようと、大仰な市壁を持たぬにも拘わらずスヴォルが一度も戦火に襲われなかったのなら、その地域限定の神として慕われても不思議はない。
あと何百年か真面目に勤めれば、他の神々も「そろそろいいんでない?」と許しを与え、小神格として召し上げられる可能性もあったはず。
斯様な人生もとい落とし子生を気が遠くなるほど淡々と続けた彼は、これまた輪転神の悪ふざけか試練神のいつもの病気か知らないが、劇的な出会いを迎えることとなる。
父が健在であったころ、祖父から伝え聞いた祖母――夜陰神は陽導神の子を自分の猶子と遇している――とよく似た不朽の少女との邂逅だ。
それが我がことでなければ「戯曲みたいです! 素敵!!」と手を叩いて喜んだのに、とツェツィーリアは努めて平静を保とうとしている青年に愚痴った。
実際、筋書きだけ聞けば美しい。
アールヴァクは長い間、祖父神に許しを請うて孤独に励み、その末に許しの証として自分の妻とよく似た娘を引き合わされて孤独な昼と夜から抜け出す。二人は陽と月が交わる夕暮れのように末永く幸せに過ごしました、めでたしめでたし。
詩人の腕前次第では清貧を心がけているツェツィーリアであれど、お捻りを大奮発してもいいくらい好みの筋書きだ。
しかし、自分の話となると訳が違う。そもそも、彼女は夜陰神から斯様な神託は受け取っていないし、前提として僧として未熟な内に婚姻なんて、子音のHすら考えられない。
何よりだ、彼の言う夜陰神とうり二つなんていうのは父親から聞かされた祖父の又聞きであるし、要素など夜色の髪くらいしか合致しない。
地域によって特色が違うが、夜陰神の偶像はもっと背が高い優しげな女性なのだ。年の頃は概ね二〇から三〇代であるし――中には慈母の要素を出して中年のふくよかな神象を作る地域もあるが――目は概ね月のような金色か淡い赤で表現される。
一〇代前半で鳩血色の目を持つツェツィーリアとでは、髪と肌の色くらいしか被っていない。ストライクゾーンで言えば外側高めでギリギリいっぱい外れていた。
「酷い勘違いもあったものです」
「……まぁ、御身が夜陰神の写し身であると言われたなら、信じる者は多いと思いますけどね」
憤慨する尼僧に冒険者は苦笑交じりで答えたが、世辞ではなかった。清廉な立ち振る舞い、表情から滲み出す優しげな風格、隠しようのない人徳。全ての尼僧が着る僧服がまるで彼女のために意匠を考えたと言われても得心が行く似合い方からして、現世に顕現した化身を名乗られても自然と納得できそうだった。
この点に関してはエーリヒも勘違い男ことアールヴァクを支持する。事実、彼も初めて月夜の下でツェツィーリアを見た時は、夜陰神が下りてきたのかと息を飲んだのだから。
「ただ、どうにも……それは勘違いです、結婚はお断りします、で済まなくなってきまして……」
「それは、どういう?」
「……スヴォルの陽導神聖堂と夜陰神聖堂が酷く乗り気になってしまったのです。漸く、我等の愛しき落とし子の罪が許される時が来たのだと」
「はぁ?」
自身への戒めとして聖堂に籠もって陽導神に許しを請うていたアールヴァクは目立つことこそ嫌っていたが、人柄は良かったため僧からとても愛されていた。陽導神に仕える僧たちは勿論、併設された慈愛派が主流である夜陰神聖堂の僧達にもだ。
何千年も馬鹿な父親の罪を被って孤独と許しを請うて祈りを続けていた、哀れで健気な落とし子が漸く幸せを見つけたと喜んでいるなら、叶えてやりたいのが信徒であろう。神と信徒が親子のような関係であると見るなら、親の本懐は子の本懐だと考える者が出てくるのは、ある種自明であった。
「勿論、我が神、夜陰神はそんな騒ぎに加担していません。出会った時には闇に隠して私を逃してくれましたし、これまでも人化の奇跡を許すことによって〝陽が出ている間〟、彼の落とし子より姿を隠してくれています」
「それはそうでしょうね。慈母の神であらせられるなら、愛し子が望まぬ婚姻を結ばせられるのを黙って見てはいないでしょうし。地下の問題なら兎も角、神が関わっているなら手出しする権利は十分あるでしょうから」
「ですが……ええ、その……陽導神がですね」
「はい? 陽導神が?」
「……健気な孫の初恋に乗り気になってしまわれたようで……多くの陽導神神殿に神託が下りまして」
「……は?」
あまりにも劇的な言葉を受けて、遂に冒険者が維持していた真顔の仮面が崩れた。咥えていた煙管がぽとりと滑り落ち、膝を経由して地面に落ちても拾うことすら能わない。普段であったなら、仮に口から落としても膝に触れる前に掴み上げたであろうに、それができないくらい正気が乱れているのだ。
百面体サイコロが脳内で転がる幻覚を見ている冒険者を余所に話は進む。
陽導神は元々、自分の子供に甘い神だった。流石にアールヴァクの父は処断せぬ訳にはいかない大逆を起こしたので泣く泣く斬ったが、その孫が罪悪感を覚えて引き籠もることはなかろうと思っていたのだ。
されど、彼が行動で以て示そうとした贖罪もまた信仰の形であるなら、陽導神は否定することができなかった。
孫が自分で背負う必要もない罪に苛まれる姿を忸怩たる想いで見つめていた陽導神は、これを機に孫も人並みの幸せを得てよかろうという結論に行き着いてしまう。
人並みの幸せ。即ち見出した相手との婚姻だ。
相手が自分から詐術によって不死を掠め取った憎い男の末裔であることは業腹であったが、妻の愛し子であることで目を瞑ることがギリギリできる。故に彼は陽導神の神殿に詰める高位僧へ神託を下した。
手が空いてたら、助けてあげてねと。
柔らかな言い方の託宣ではあったが、実質命令に等しかった。
この託宣にスヴォルの僧院は「お墨付きがでた!」と大喜びし、ツェツィーリアの確保に動き出す。
ツェツィーリア本人に陽導神から託宣が下り、嫁入りせよと命令されるよりかはマシであるが、だとしても酷い話である。
一方で夜陰神神殿に託宣は下らなかった。
なかったのだが、慈愛派が結婚を肯定する姿勢を見せた上に潔斎派に並ぶ主流派閥であることもあり、潔斎派が「本人の意志を尊重すべきでは?」と声を上げてみたものの、滅多にない第三世代という十分に血が濃いといえる落とし子の誕生を望む者達の声をかき消すには足りなかった。
支援の音頭は次第に僧会全体へと波及し、総意とまではいかぬが何割かが肯定派に回ってしまっているのが現状だ。
故にツェツィーリアには、僧会を頼ってアールヴァクにお断りするという戦略が取れなくなってしまった。
凡僧と落とし子の意向では、前者が優先されることなど有り得ない。たとえエールストライヒの一粒種という箔があっても。
せめて彼女が出世を嫌わず、僧正位とまではいかぬが、律師位くらいに上っていれば僧会内の政治でも発言権はあったであろうが、信仰のため下位に留まっているのが悪く働いた。
そして僧会が頼れないとなると、必然的にお家……エーリヒにはベルンカステル家と偽っているエールストライヒ公爵家も手が出しづらい。
というのも、エールストライヒ公爵家は吸血種の名家だけあって夜陰神信徒も多い上、支持基盤として決して無視できない勢力だからだ。政治的に僧会は不干渉であっても、地元政治の領域では話が違うし、何より常に隙をうかがっている最大の敵をマルティンは刺激したくなかった。
割れた酒杯を頂くお家は、家中政治の激しい家でもあるのだ。跳ねっ返りの若造から、虎視眈々と当主位を狙っている古老まで、少なくとも〝皇帝になりたい〟なんて阿呆なことを考える連中に無血帝は負ける訳にはいかなかった。
皇帝になる才能がある者が本当に皇帝に向いていたら、世に暴君など生まれはしないのだから。
ツェツィーリアを深く知らぬ外野にとって、此度の話はむしろ「なんで嫌なの?」と首を傾げるような光栄な話でさえある。吸血種を根っから嫌う陽導神の子に見初められるなど、一種の許しと見做せること。断る理由を探す方が難しかろう。
僧籍にあっても婚姻できるのが本当に事態をややこしくしていた。下手に断ったならば、如何に頭首とて他の者から何言ってんだオメーと酷く常識的な突っ込みを避けられない。
また、今回結婚に賛意を見せている慈愛派は、とりあえず喜捨をしとけば体面が立つ宗派という側面から貴族への影響力が非常に強かったのだ。エールストライヒ公爵家のみならず、公爵家配下の貴族や選帝侯家、果ては他の皇統家縁者にも強い影響力を持っているとあれば、如何に娘に甘い無血帝や血族内で鬼札扱いされる大伯母とて豪腕で黙らせることは難しい。
家中の政治であれば、如何様にでもできる。一家臣の進退も思うがままなのが君主制だ。
然れども、あらゆる勢力の意志を無視して動けるような強権は皇帝にはない。あれだけ権力を以て好き勝手やったテューダー朝のヘンリー八世でさえ、無茶の反動で割と散々な目に遭っているとくれば、帝国を名乗れど半ば寡頭制に近い三重帝国では尚更であろう。
帝権は強大なれど、あくまで皇統家の連帯と選帝侯家によって支えられている物に過ぎなかった。
娘が大好きな無血帝は自分の歯で舌を噛み千切る程に苦悩し、普段は煽りで陛下陛下と呼ぶバーデン大公とグラウフロック公も心中を察して酒杯を薦めたという。
そして、公的に権力を振るうことが能う皇帝でさえ手出しができないのであれば、隠居の身であるフランツィスカ・ベルンカステルこと華奢帝テレーズィアにもできることは限られる。
夜陰神の潔斎派と連携を取りツェツィーリアの逃避行を助け……〝金色の狼〟を頼れと助言をするのが精一杯であったという。
あのマルスハイムで最も有力な冒険者氏族として名が上がりつつある剣友会の長にして、未だ政財界との繋がりがあるテレーズィアであっても「相手しとぅないのぅ」と思わせるアグリッピナ・フォン・ウビオルムとの繋がりがあれば或いは……と一縷の望みを託したのだ。
大伯母の提案をツェツィーリアが呑んだのには、一つの理由がある。
比較的定命に近い感性を有する非定命がおしなべて持っている、焼き付いた記憶を美化する傾向が。
ツェツィーリアにとって、あの春の記憶は強く強く魂に焼き付いていた。
月望丘で祈りを捧げてきた四〇と余年、その全ての印象の強さを上回る程に。
夕暮れの中、墜死の危機から救ってくれた姿。ただの兵演棋友達に過ぎない己のために身を擲ち、国家権力を前にしても立ちはだかろうという思いやり。
何より忘れ難い、父を相手に丁々発止の斬り合いを挑んで手足を失った無惨なれど美しい光景。
口の中に鮮烈な血の味と共に過去が甦る。僧院にて清貧を志し、心の平穏を愛して生きてきた彼女が、最も激しく心を揺らされた一時。
人に迷惑を、それも一日一年が非定命と比べて重く、ちょっとした怪我でさえ取り返しの付かない結果になる定命を相手に〝神に喧嘩を売ってくれ〟など、脅されようとツェツィーリアは口にできない。
最悪、世を儚んで不死を返上する未来もあっただろう。自分一人のことで世を混乱させるくらいならば、終わりを選ぶのか彼女の精神性だ。
しかしながら、あの忘れ難き春の末が。夕焼けや月光に反射する金の髪が彼女に我が儘を言わせてしまう。
助けてくれないかと。
あそこまでの難事を成し遂げた彼であれば、或いはと夢を見させてしまった。
そして、この冒険者にとって夢を見られたなら、それは叶えねばならないものである。
夢を見て至った冒険者という職業で、この背に眩しい者を見て付いてきた後進が百人以上。詩を聞いただけで感化され、命を賭け金として荒事に飛び込もうとする者達の期待を裏切れないと奮起する男が、清らかな乙女の願いをどうして断れよう。
データさえあるなら神様だって殺してみせる。
それが我々の決め台詞だったじゃないかと内心で独り言つ冒険者。
煙草の煙を一つ吐いて、さて仲間達はどんな面をするだろうかとエーリヒは胃を軋ませながら微笑んだ…………。
【Tips】僧会は権力を振るわないことを選んだだけであって、保持していない訳ではない。無言の圧力、という言葉はどの世界にも存在している。
コミカライズ版、3話が更新された宣伝と記念の更新です。
体格差フェチとして大喜びの絵面が連発されているので、完璧で幸福な市民ならば必読ですよ。




