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青年期 二一歳の冬 四

 急に帝国語の会話技能を失ったのかと思った。


 ほら、珍しいけれど一部の技能を狙い撃ちで機能不全に陥らせるデバフってあるから、それが飛んで来たのかなと。それか、技能判定に失敗して脳味噌が吹っ飛んだのかも。


 単に知性が長期休暇を取って、理解し難い言葉の襲撃から逃げようとしただけというのが現実だけど。


 しかし、悲しいかな古い友人の言葉だけあって、私の脳味噌は嫌々ながら言葉を咀嚼して自我に意味を叩き付けてくる。


 「……無礼とは百も承知ですが、お伺いいたします」


 「何なりと」


 「……一服失礼しても?」


 「え? はい? え、ええ、どうぞ……?」


 煙草、吸われるのですね、という酷く驚いた声を聞きながら、私は懐からすっかり唇に馴染んだ煙管を取りだして咥えた。


 昨今では金満冒険者であると皆に知れたため、しれっと魔法で火を付けても誰も疑わなくなってきたのを良いことに、煙管本体の機能ですと言い張って火を付けようになっている。


 深く煙を吸い込んで、ほぼ球体(D100)が転がって致命的な数字が見えた時のように一時的狂気に陥ることで自己防衛に走ろうとする脳を強引に正気へ戻す。


 あの世界(コールオブ某)だと下手に察しが良かったり、一種の防衛本能である発狂を強引に留められる者程、より命に響く真実を知って狂い死にしがちだったのは、こういう仕組みだったのだなぁ……。


 煙を吐き出し――勿論、お顔に掛からぬようそっぽを向き――虚空に消えるのを見送っても、何とか私は正気のままだった。


 ……そうか、落とし子、落とし子かぁ……。


 私もこの世に生まれ落ちて二〇年以上。世捨て人でもあるまいし、その意味くらいは分かる。


 ライン三重帝国の神群の聖典に準えると、地上に降臨した神の化身が人との間に作った子供のことだ。


 彼等彼女等は総じて神の権能を分け与えられており、使徒よりも広範な権限を持つ代行者として振る舞ってきた。強力な奇跡を生まれながらに扱えるのは当然ながら、神の血とは存在その者が権力にして権威をもたらすものだ。


 神が人に手を出すのは神代だと間々あることで、陽導神がムラッときたのに我慢できず――何やってんだ元(まった)き善の神――可愛い子を軟派して腹を膨らませたり、何かしら使命を帯びて顕現した化身が美形に絆されて仕事を忘れたり色々な逸話が残っている。


 大半が碌でもない話なれど、子が産まれないと国が割れてしまうと男児の不在に悩んだが、婚家の事情で別の嫁を貰うのも養子を貰うのも難しかった王の懇願に応じ、練武神が「仕方ないな……」と寝取り依頼に応じて落とし子を授けるようなこともあったので、一応は地上に安寧をもたらすことも……目的だったんじゃないかなぁ、多分。


 神々の度し難さは一旦おくとしよう。陽導神は大抵が遊んだ後に夜陰神にブチギレられて三行半突きつけられて泣きながら追いかけたり――それが月食だ――不死なのをいいことに書くのも憚られると聖典に記される目に遭ったりしているので――で、こっちが日食――他の神々も含めてどっかで帳尻は合っている。


 落とし子は文字通りの神の落胤。神の力と人の欠点を併せ持った存在で、地上に存在していることもあって完全な不死ではない。


 故に幾人もが産み落とされ、ある者は過失や傲慢により死を賜り、ある者は神格を捨てて寿命を望んだ末に果て、ある者は功績を認められ神として天に昇っていった。


 今では僧会が政治の舞台から一歩引いたので、かつてのような神の権力の代行者という側面は薄まったものの、信仰の擁護者として厳然として存在し続けている。


 されど、僧会の方針か、はたまた本人が目立つことを嫌って表舞台に出てこないので見たことがある者は少ない。


 聖堂が政治的な不干渉を理由に高度な独立と自治を保っているのだ。その努力を踏みにじるような真似は、信徒の意を汲む神々としてはしたくないだろうからな。万が一、その力に目を付けた帝国に利用されるくらいなら、隠れている方を望むのも当然であろう。


 だから、敬虔な信徒に過ぎないツェツィーリア嬢が落とし子から追われていると言われても俄には信じがたかった。


 もし相手がセス嬢でなければ、もしかして聖堂のご神体かナニカに小便でも引っ掛けましたか? それか礼拝堂に大便でも? と尋ねたところだ。


 古の神話でも神々がキレる点(デッドライン)は、その辺が多いからな。文字通りの神話級DQNとして有名な須佐之男命が姉を激怒させた理由の一つでもあるし。


 「……えー、ちょっと待ってくださいね、今頭の中を整理するので」


 「え、ええ……それより、大丈夫ですか? エーリヒ、顔色が……」


 「大丈夫です、普段からこんなもんです」


 それはそれで問題なのでは? と心配そうに仰るけれど、まだ大丈夫。マルスハイム伯から組合長を通して奥様に不義密通の疑いがあるので、調査してくれなんて頼まれた時の顔色と比べたらずっとずっといい筈だ。


 何でんな取りづらい球を剛速球で放りやがる! 危険球で即退場にされても文句言えねーぞ! と当時はキレ散らかして中庭で仮標的を斬り捨てた残骸を量産したものだが、真相は旦那の誕生祝いをサプライズでやろうとした嫁さんが、気取られまいと接触を控えていただけというくだらないオチだったので、今では笑いばな……いや今でも笑えねーわ、ざけんな試練神(クソGM)


 「その、落とし子とは……落とし子を自称する何処かの貴族だったりしませんか?」


 幾つかの小国林立時代から残る名家は落とし子の血脈とかで、今では血が薄まりすぎて神の権能こそ失えども、源流の尊さから高い権勢を保持していることでも有名だ。


 その血を引く者は落とし子を自称することはあるものの、半ば形骸化した立場なので大半は「はいはい、ご先祖様凄いですね」くらいに受け取っている。


 されど……。


 「いえ、その、本物の落とし子です。二世代目の」


 ですよねー、知ってましたー。


 二世代目というと神の血統を四分の一(クォーター)も受け継いだ怪物じゃねーか。一世代目は神々が化身を差し向けることもなくなって新しく生まれないから、ほぼいなくなったであろうが、それでもまだ血の濃い二世代目が現世に存在しているのかと酷く驚いた。


 それこそ、政治に慣れて殆ど揺るがなくなった表情や顔色が変じ、煙管を持った手が震えるくらいに。


 落ち着け、落ち着けエーリヒ、理由をちゃんと聞け。この場で一番困っているのはセス嬢だぞ。なぁに、皇帝に弓引くに等しい近衛相手に喧嘩するという馬鹿をやったお前だ、今更落とし子がなんだ。ちょっとデカい蜥蜴(亜竜)と似たようなもんだろ。


 「何があったかお伺いしても?」


 「……言葉にすると、とても馬鹿らしいのですが、笑わずに聞いていただけますか」


 「貴女の言葉を笑う愚物がどこにおりましょう」


 信じますからね? と可愛らしく首を傾げるお嬢様に無言で頷いて続きを促した。


 「一目惚れされまして」


 「……すぅっ……ふぅー…………」


 よし、頑張った私、長男じゃないのに能く耐えた。


 よかった、鍛えられていて。剣友会を氏族化する前の鈍っていた私なら、長い吐息で誤魔化すことさえできなんだろう。好くも悪くも初心者冒険者をエンジョイし過ぎていたから。


 それか、クッソ間抜けな面を晒して、今なんて? って声に出していた。


 「あれは昨夏のこと。私、思うことあって在俗僧となり諸国を流浪していたのです。より信仰を深め、我が身がなせることは何かを見つめ直すため。ひいては、神が何故に人と今の関係を作り給うたかを理解するために」


 笑われなかったので安心したのか、セス嬢は訥々と事情の説明を始めた。私は乱れた精神を立て直すのに精一杯ではあるものの、何とか耳を傾けて内容を追いかける。


 「信仰とは、ただ経を上げることではありません。信じることとは委ねるのではなく〝倣う〟こと。祈るだけで全てを〝押しつける〟行為ではないと信じる限り、それが荘厳なる聖堂の中であれど、聖印すらない路傍であろうと等しく尊い行為です」


 語られるのは帝都に立派なお屋敷を構えるお家のお嬢様が野に下り、信仰を見つめ直すに至った理由。


 彼女は語った。誰もが無条件で尊い訳ではないのと同じように、信仰もまた無垢であればあるだけ尊い訳ではないと。


 信仰という名の下に行われる、愚直なまでに神を信仰して全てを任せる行為は、此方の神々の判断基準では〝思考停止〟や〝責任転嫁〟として嫌われる。地下の者達がぼんやりと抱く信仰とは異なるのだ。


 神がそれを望まれる、と叫んで考えなしに蛮行に走ることを神々は決して尊いと認めない。


 政治的な意図を聖句や聖典の一文へ上手に包み、敬虔な者達を騙せば、それは信仰の変質へと繋がる。即ち神格への不可逆の汚染だ。


 故に僧達は聖典を重んじながらも常に正しい解釈を追い求め、同時に自分達が最も尊いと考える信仰への探求を止めない。私がかつて同人活動のようだなぁ、と失礼なことを考えた行為は、自発的な信仰と責任の表明であったのだ。


 「その折、様々な聖堂を訪ねて他の神々の足跡を訪ねることもありました」


 真面目なセス嬢は、より信仰の純度を高めると共に彼女が帰依する潔斎派――自身の手による苦行と献身を是とする宗派――の教えが正しいかを見つめ直す旅に出たが、その最中、不運に見舞われたという。


 「私は出立に伴い、幾つか苦行の誓いを立てました。不頼(たよらず)の誓いといい、巡礼は徒歩のみで行う僧にとっては基本の行なのですが……これでも吸血種なので、体は問題なかったのですけど、靴が先に冥府へ旅立ちまして」


 無意識に視線を足下へやると、彼女は簡素ながら随分と頑丈な靴を履いていらした。歩きやすさより頑強性を追い求めた革と木底のそれは、たしかに僧が履いているのをよく見かける形だ。


 あんなのを履きつぶして「問題ない」で済ますのは、流石は不死者というべきか。体が頑丈な分、他の種族よりも苦行を苦行として成立させるのが難儀そうだった。


 「やむなく最寄りの僧院に助けを求めたのです。如何に吸血種が簡単に死なないとはいえ、素足で歩くのが大変な道も多いですから」


 僧院は崇める神によって独立しており、神社のように複数の神をごったに奉ることはないが、同じ神群の社だけあって僧同士は連帯している。


 聖地巡礼の僧が一夜の宿を借りることもあれば、托鉢の成果が上がらず援助を求めて訪ねることも珍しくはない。何より、親戚に近いものなので近くに寄ったら一応はご挨拶、という文化もあるそうだ。


 「スヴォルの街、帝国で二番目に古い陽導神の大聖堂がある街なのですが……夫婦神なので夜陰神の聖堂が併設されていまして。靴を頂戴し、屋根を借りたお礼として数日は奉仕の助力をいたしました」


 礼節に通ずる彼女も挨拶を欠かすことはなく、貰うだけではなく心を尽くした掃除で恩を返した。


 ただ、非常に運が悪かっただけ。


 その日が夏至、一年で最も陽が高く陽導神の威光高まる日であったことが。


 「祭礼の邪魔にならぬよう、ひっそりと掃除していたのですけども……その時に出会ってしまったのです。陽導神の落とし子、朝日の先駆け、アールヴァク様と」


 「朝日の先駆け、ですか。寡聞にして聖典や詩には……」


 「はい、普段は隠れられており、滅多に外界には出てこられないそうで。スヴォルで最も早く朝日が差し込む聖堂の別棟で祈っておいでで聖堂の中さえ出歩かないので、近しい聖堂の者しかお名前すら知らぬお方なのです」


 どうやら、セス嬢を見初めたお目が高い落とし子は、政争の出しにされたり表に出て目立つのが嫌いだったのか引きこもりを決めた、どっかの最高神めいたお方だったそうだ。


 落とし子として神代より少し後に生まれ、相応の仕事をしていたらしいが、公に残る詩などで名が出ることを疎んじ功績を人に譲るなどしてまで隠れていた。


 「そんなお方と……儀式の準備のために出て来た偶然で遭遇してしまうなんて、それこそ陽導神でさえ読めなかったでしょう」


 前世風で言うところのお天道様も分かるめぇ、ってやつだが、そりゃ分からんだろうよ。何だってそんな時期に陽導神の連枝と、彼の妻の寵愛篤き乙女が遭遇してしまうなんて。


 「驚いて跪こうとしたのです。ですが、その……目を見開かれたかと思ったら、急に肩を掴まれ……我が片割れを見つけたり、と仰って……」


 「あー……あぁー……」


 呻く以外に何ができようか。なんなら天を仰いで顔を覆いたいくらいだ。


 割れ鍋に綴じ蓋なんて話じゃねぇ。丁度誂えたようなはまり具合じゃないか。陽導神が今も憎んでいる吸血種とあっても、彼女の滲み出る人徳と清廉さ、そして四肢再生の奇跡さえ賜る信仰を前にしたら傷とすら映るまい。


 むしろ、良い具合に詫びた金継ぎの茶碗みたいに美しかったろうよ。


 「祖父のお導きだとか、お婆様が妻合わせくだすったのだと夢見がちに仰るばかりで、お声をかけても手を離していただけなかったので……その……」


 「どうしたのですか?」


 「……つい、殴ってしまいまして。顎を下から、こう」


 ぶん、と細い、しかし吸血種であるがために成人男性すら上回る力を持つ細腕が掬い上げる形(アッパーカット)で振るわれた。見た目は少女が身振りを交えて行動を教えているだけの可愛らしい光景でしかないが、実際に固められた拳が顎に触れる様を想像すると顎の付け根が渋くなる錯覚に襲われる。


 そういえば、割と今更だがライン三重帝国の神群は暴力を肯定していないが、やる時は全力でやろうねって集団だったのを思い出した。


 聖堂騎士団などという物騒な連中が公然と存在しているのだから、当然といえば当然だ。必要とあらば信仰を馬蹄と槍の穂先にて語ると豪語して憚らぬ連中を容れる神群に仕えていることもあって、ツェツィーリア嬢とて追い詰められれば手が出ることもあろう。


 しかし、しかし、選りに選って相手が陽導神の落とし子て貴女……。


 「そ、それから……?」


 「その時は必死に祈ったこともあってか、逃げ出すことができました。ですが、その、それで諦めるようなお方ではなくてですね……」


 配下にお触れが出て、追われているのです、なんて嘆かれて「この人いつも何かに追われてんな」と考えてしまっても私は悪くないだろう。


 出会いがそもそも望まぬ結婚から逃れてというものだ。とことん結婚運とやらに見放されているのだろうか。崇めている神は殺し愛の末に永劫の伴侶――尚、浮気性――を手に入れたというのに。


 許されることなら、事態の酷さに体から抜けようとする力を望むままに解放してやって、椅子からずり落ちたいところだった。


 されど、まだなんだ私よ。


 何せ今から、ベルンカステルのお家や夜陰神聖堂が彼女を助けられない理由の説明に続くのだから…………。




【Tips】武は武そのものが尊いとするのが武にまつわる神々の見解であり、決して率先して武を振るって殺戮に興ずるのを良しとはしていない。


 だが、いざ振るうとなれば遠慮がないのも、また真である。 

相変わらず家中がゴタゴタしておりますが更新です。


既に展開が読めていた方が感想で多かったですが、はい、お約束ですね。

拙作は王道を重んじております。


そして今週金曜日はいよいよコミカライズ版第三話の更新です。

お楽しみに。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] セスには「故意の暴力を振るわない」という誓約があったかと思いますが、故意でなく反射だとセーフなのでしょうか? 心情的にはビンタで追撃も可と思っておりますが。
[一言] >つい、殴ってしまいまして わろた ウン、シカタナイネ
[良い点] >信じることとは委ねるのではなく〝倣う〟こと。 正直、信仰心に関する説明で一番腑に落ちた。 信念でも技術でも倫理でも何でもいいが、偉大なる先人に〝倣う〟。 頼るのでも助けを願うのでもなく…
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