青年期 二一歳の冬 二
戦争とは往々にして実際に殴り合うよりも準備の方が大変で、それより難儀なのは後片付けであったりする。
何事も例外ではない。楽しいことだってやっている時は良いが、いざ帰るとなって広げた物を見た時にはずんと体が重くなるものだ。河原で使ったBBQセット、砂浜のパラソルやテントでさえ億劫なのに、楽しくもない戦争ともなると如何ほどであろう。
端的に言えば、戦うよりも地獄と言えよう。
「……またか」
「へぇ、またでして」
二年以上も座っていると随分ケツが馴染んだ椅子の上でも、見ている書類の内容によっては針山の上と大差ない。それに報告を持って来た者は全く悪くないというのに、彼が申し訳なさそうにしていると私の居心地も悪かった。
「減らんな、敗残兵が」
「へぇ。土豪に加担した連中も多いので、裏で取引がバレて改易された貴族もおりますし、荒れているのを幸いにと衛星諸国からも流民がゾロゾロと」
今、私の前で〝巨壁のエタン〟という異名が嘘のように体を丸めているのは、すっかり剣友会の幹部格として名前が売れた牛躯人。冒険者には不向きでさえある総身鎧を仕立て、並の人類では身動きが取れない厚造りのそれで護衛対象を護る剣友会きっての前衛は、仕事で受けた損害報告書を手にしょぼくれている。
まぁ、無理もない。死者こそ出ずとも会員の損耗が三、賑やかしで同行させた紅玉に六名。重軽傷者は隊商の面々も含めて二〇名近くなり、馬車も二台焼失、商品の損害額が金貨数枚にも上がったといえば気落ちの一つもするだろう。
近頃では剣友会の旗印を掲げて進めば野盗は逃げ散り、巡察吏でさえ道を譲ると嘯かれるようになった名声に泥を塗ってしまったと思っているのかもしれない。
なればこそ、我々が護る対象は〝剣友会を雇うだけの価値がある〟と判断された可能性があるが。
「適わんな、何時までも戦争が終わらないのと一緒じゃないか。中長期的に見れば利の方が多いとは言え、苦労させられる一〇年が我々定命には長すぎる」
「んな状況があと六年も続くってんですかい!?」
「下手すれば一五年二〇年にもなるぞ。潜んでいる連中の気が折れるまでな。商売の種に困らぬと言えば、状況を好意的に捉えすぎかな」
冗談だろう、といった表情を作って角の生え際を掻いている配下であるが、うんざりしているのは私も同じだ。土豪を蔓延らせて百年の不利益を被るより、会戦一回と十年から二〇年の経済低調で回復できる方が益になるという為政者の視点は理解するし、歴史ゲーなら私だってそうしてるが、その間ずっと苦汁を嘗めることとなる現地人としては良い迷惑でしかない。
非定命であらせられる無血帝においては至極普通の戦略やもしれぬが、よくぞ定命の辺境伯が受け入れたもんだ。子の世代には難しくとも、孫の世代には楽土をくれてやりたかったとして、よくぞ自分の代でここまでの苦難を呑み乾す覚悟ができたな。
まぁ、幸いなのは敵も殆どが定命。どっかの宇宙人みたいに延々と残党が名前を変えて湧き続けることもないし、悪徳企業の見本みたいな武器企業もないので根気よくやっていれば諦めて霧散していくか衛星諸国へ逃げ込むのが期待できることだが。
「しかし、また一〇〇人規模の野盗に出くわすとは。運がないね君も」
「大変でしたぜ……三倍以上の相手をするのは。待ち伏せは喰らうし、敗残兵の割に得物は良いしでてんやわんやでさ。頭目を狩れたからギリギリ体面は保ちやしたが。隊商主も、あの数を前に死者が出なかったことを喜んではいやしたけれど……帳簿を捲る顔色が悲惨でしたぜ」
さて、彼の大戦……ナイトゥーア湖畔会戦から三年。地の果ては未だ戦争の惨禍から回復していなかった。
戦争自体は帝国側の快勝と言ってよい終わり方だった。主立った土豪の首は軒並みマルスハイムの市壁に高々と飾られて、今もボロボロになりつつ蜜蝋に漬けられたまま不気味な装飾として揺れている。
しかし、主犯格を討ち取ったからといって全部が終わったら苦労しない。会戦で殺された土豪側兵士の血で湖畔が真っ赤に染まり、凪湖神などがブチ切れて一時期僧会がえらいことになったそうだが、それだけの戦果を上げても根切りには程遠いのだ。
逃げ散った敗残兵は勿論、後詰めとして残った者達もいれば、留守居の者達も野に潜み、土豪に協力的だった者達も処刑されるよりはと姿を眩ませる。
更に土豪側の反乱に加担したり、反乱以前に協力関係にあった獅子身中の虫が改易を喰らったりで色々と荒れている上、このままじゃ喰っていけねぇとなった壮園が離散したりと野盗、匪賊の種には事欠かない有様。
挙げ句の果てに、今の辺境なら商売もし易かろうと周辺諸国家から流民や盗賊の類いが流れてくるやらで現場は絶不賛大炎上中。
そりゃーもう酷いことになるのは分かりきっていた。
行政府は中央から財政支援を受けられるので何とでもなろうが、地下の我々には迷惑どころでは済まない。
だからだろうか。私が剣友会を剣術道場めいた冒険者の互助会から、正式な〝氏族〟に繰り上げる覚悟で規模拡張をしても抵抗が少なかったのは。
用地の確保は恐ろしく簡単に適った。土豪家系の名家が風当たりが強くなるのを見越して、何処かに逃げる予算を欲し格安で財産を手放そうとしていたので、割と立派な集合住宅を格安で手に入れられたのだ。
更に組合からも大歓迎を受け――恐らくクソ仕事をジークフリートに押しつけた負い目でご機嫌取りがしたかったのだろう――目出度く階級が緑青に引き上げられた。名誉称号である紫檀を除けば上から三つ目という、冒険者としてかなり重い地位をあっさりくれたことからして、組合長は私の脅しで凍り付いた肝がまだ溶けていなかったようだ。
まぁ、今後組合から直接回される仕事は二度と取らねぇぞ、というのは有力な集団から突きつけられるにはキツい言葉であったのだろう。それも、今後荒れることが確約される地において、総兵力五〇以上の手慣れた武装集団は喉から手が出るほど欲しかっただろうし。
斯くして私は保養地での打ち合わせに従って、マルスハイムにて一際有力な氏族の頭領に収まった。今では会員は総勢で一二〇名を越え、幾つかの一党とも懇意になり実質的に都市の保有戦力に数え上げられるだけの繋がりもある。
貴族との仲も良好で、マクシーネ殿を通じてマルスハイム辺境伯との知己すら得た。
直接契約を持ちかけられて警邏や軍事教練の冒険者を派遣している壮園は都合二三に登り、専属護衛契約を結んだ大店も一一店に達する。
五人一組を小隊とし、最低でも中堅一人を編成して新人に教育を施し、同時に必要とあれば二名の一個班規模で増強して仕事に派遣する方策は、今のところ順調に稼働していた。
仕事を選べる立場というのは良いものだ。必要に応じて最適な人員を編成し、求められるであろう物資を配ってことを効率的に運べる。更には剣友会の名に付いた〝箔〟のおかげで、どんな仕事でも高品質を名目に割高な賃金を取れる。
そうすれば運営費にも余裕が出て、配下の懐も膨らみやる気が出て良いことづくめだ。
ただ、そんな我等をして仕事が多すぎると判断せざるを得ない状況は、本当に歓迎しがたい状況であるのだけれど。
「で、首に札はかかってたか?」
「へぇ。乱戦故、実力及ばず加減が利かねぇで殺しちまいましたが、元々土豪側の騎士だったようで一〇ドラクマの懸賞金が出てやした。惜しいことをしちまいやした。生きてりゃ倍は堅かったってのに」
「百人から集めて大規模な隊商を襲えるなら、それくらいの格はあるか。分かった、怪我をした連中に見舞金を出すし、隊商主には私から詫びを入れておこう。死者は出ておらずとも怪我人がでたとあればな」
「申し訳ありやせん、旦那」
「そう悔やむなエタン。むしろ誇れ。三倍から相手にして死人が出てないのは奇跡だ。君でなければ何人死んでいたか。詩に歌われるのに十分過ぎる戦働きだぞ」
立ち上がっても私の頭が胸元にしか達しない相手の肩を叩いて慰めるのも堂に入ったと思う。色々な特性を取り続け、上に立つに相応しい<カリスマ>を身に付けるのは、必要経費だと割切っても覚悟の要る出費だった。
名前が売れるにつれて<光輝の器>によって注がれる熟練度が増えていても、貧乏性は相変わらず。
何かあっても対応できるように貯蓄しておこう、という性根だけは変えられなかった。
「この後時間はあるかな。詫びを入れるのは早い方が良い」
「お供しやす、旦那。若い衆何人かに声を掛けておきましょうか」
「頼む。疲れているところ悪いな」
「とんでもねぇです。現場責任者の俺が顔出さなきゃ筋が通りますめぇ」
「そうかい。先触れも手配しておいてくれ。急に訪ねて行くのも迷惑だから」
傍らに飾るように安置してある〝送り狼〟を取り上げて剣帯で腰に吊せば、エタンは何も言わず入り口脇の衣紋掛けに吊してあった大外套を肩に引っ掛けてくれた。
しかし、最近出かけるといったらこんな内容ばっかだな。顔つなぎ、依頼の打ち合わせ、配下の鼓舞、そしてたまの尻拭い。
これが憧れた冒険者の姿か……? という内なる心の絶望はさておき、まぁまぁなれど冒険もできているから文句は言うまい。
たとえば、今引っ掛けて貰った大外套だ。
滑らかで肌触りが良く、通気性に優れているのに防水性がある上、名剣と呼べる業物でも傷が入らない逸品は去年狩った〝騎竜〟の革をなめして作った一種の勲章である。
名前が売れて規模が大きくなると相応の仕事が舞い込んでくるもので、コレも地方を治める貴族から直々のご指名を受けた仕事の成果だ。
敗残兵が最初に捨てる物は武器で、次は動きにくい防具、そして最後は逃げるのに使ったは良いが養いきれなかった騎乗動物。
残党共も騎竜を持っていたが、潜伏生活で養えきれる訳がないので無責任にも逃がされた個体が領内を荒らし始め、困り果てた領主が冒険者に泣き付き始めたのが仕事の発端だ。
軍馬なら売れるが、残念ながら騎竜は簡単に処分できない。なにせ大量の肉と水を消費とする軍馬以上の大食らいなので、捨て値でも引き取れるような勢力がないのだ。燃費と整備性が劣悪な高級外車が安価でも買うのを躊躇ってしまうのと同じ理屈である。
極めつけは乗り手との絆がなければ乗せてくれぬという性質上、喩え金と財力があろうが乗り手ごと買い取る甲斐性がなければ運用できないという融通の利かなさ。
論ずるまでもなく竜騎兵なんて騎士階級なので、雇った瞬間に「お前逆賊庇うとか良い度胸してんな」と辺境伯が青筋を立てるので乗り手ごと抱え込むのは実質不可能。
そして、困り果てた末に乗り手が死なせるのも忍びないと放流された亜竜が各地で大迷惑をかけてくれたのだ。
騎竜は元々頭が良い生物の上、性質が悪いことに人間社会を知っている。
つまり、狩るのに都合が良い得物を人間が沢山飼育していることを理解している訳だ。
躾の結果、人間を食べることを厭うとても――殺すのと食うのが違う行為になるあたり、本当に賢い生物だ――彼等は人間の持ち物に手を出すことは一切躊躇わない。所有権とか金という概念までは理解できないからだ。
これで壮園の牧場は勿論、貴族の御用牧場まで襲われて凄まじい被害が出たそうな。羊や農耕馬と牛、果てはお貴族様用の肥育牛と軍用馬まで襲われれば黙ってはいられない。
亜竜でも竜は竜。本気で暴れれば容易く壮園を数個壊滅させられるような怪物に手勢を差し向けられる余裕が今の辺境領にあろう筈もない。下手に刺激して配下が壊滅したら、敗残兵共が何をしてくるか分からないからだ。
ここで最悪消費しても惜しくない戦力、つまり冒険者の出番となる。
私達は為政者にとって失ってもよい戦力であり、都合の良い手駒だ。傭兵と違って戦争専門ではなく組織化もされているので、体よく使うにはこれ以上の駒はなかろう。
貴族からの評判も高い私達に持ち込まれた依頼を受け、竜狩りをするのは楽しかった。地形を読み、頭を捻って罠に掛け、軍勢を圧する竜を狩る誉れは至上の一つに数えられるからな。
皆、脅えつつも〝竜殺し〟の称号を得られる機会に奮い立っていたものだ。
配下を率いるのに忙しく、同道する機会が減ってしまったジークフリートや後方支援で多忙なカーヤ嬢と久し振りに最初の面子で仕事ができたのも良い思い出。入りたいという若手には困らないけれど、前線指揮官をやれるような傑物は滅多におらんので困る。
「さて、手土産の菓子は何処で……」
姿見で見苦しくないか確かめていると、扉が控えめに叩かれた。
「どうぞ」
「失礼します。お出かけでしたか?」
やって来たのは書簡を手にした猫頭人の女性だった。事務所を開設してから雇い入れた事務方の一人で、子猫の転た寝亭のシャイマーさんから紹介された人だ。猫の肉球と鋭い爪が備わった指でも達筆な字を書き、気紛れな人が多い種族なのに非常に生真面目なこともあって重宝している。
名はマナールといい、殆ど私と同年代。私塾に通って宮廷語も修めている事務方頭で、彼女がいなければ私は自分で手紙を何十通と読む羽目になっていただろう。アグリッピナ氏が私を小間使いにしたがったのが、遠く離れた今になって分かるとは奇妙なことだ。
「少しね。急ぎだから手短に頼めるかい」
「畏まりました。これを。南の門衛所から至急印付きの書簡です」
「門衛詰め所? 誰かが問題でも起こしたかな?」
冒険者組合からの書簡なら、どうせ仕事の件だから後回しでも良かったが、門衛から書簡が届けさせられるというのは些か異常だな。たしかに家の面子は出入りが多いけれど、まかり間違ってもお役人と問題を起こすような教育はしていないのだけど。
「そういう訳ではなさそうですが、直ぐに返事を頂きたいと衛兵が応接でお待ちです」
「……それは穏やかではないね」
どうしてこう、問題というのは立て続けに起こるのだろう。私は蝋印の封を破って手紙を取りだし、文章を追わせた目を見開くこととなる。
「……エタン。予定変更だ。先触れには、明日顔を出すと伝えさせてくれ」
「へぇ、そりゃ構いやせんが……」
言われなければ理由は問わないよう、貴族相手でも仕事をできる教育を施しているが、それでも彼は急にどうしたんだと言いたげな顔を隠せずにいる。
まぁ、私が一度決めた予定を変えるのは珍しいからな。下らない喧嘩なら誰か別の者を送って手打ちにさせるだけなので、余程のことだと思ったのだろう。
「マナールさん、衛兵に共に門へ向かうとお伝えしてくれないかな」
「畏まりました。お供は如何いたしましょう」
「一人で行きたい。騒ぎにならぬよう留意してくれないか」
事実として、こればかりは私だけでいかねばならない。
僧会からの紹介状を携えた〝客〟が名指しで訪ねてきているので、どう対応すれば良いでしょうかという問い合わせだったのだから…………。
【Tips】剣友会。マルスハイム有数の冒険者氏族の一つ。組合に程近い優良な立地に〝金狼の巣〟と呼ばれる会館を設けているのみならず、昵懇の壮園には駐留所を持つ異例な巨大組織である。
家中が非常にばたついており、中々時間が取れないので次回は間が空くと思います。
なのでサプライズ更新を頑張りました。
それとKindle版のヘンダーソン氏 4巻下ですが、ちょっと誤字報告が大量に届いたとかで一時期販売差し止めになっておりますが、対応しておりますのでご安心下さい。
大政翼賛会の検閲に引っかかったとか、私の性癖が有害図書扱いを受けたとかではないのでご安心あれ。




