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青年期 十八歳の晩春 九一

 療養地でもある温泉は、自然溢れる風光明媚な場所であるものの、その実完全な自然ではない。


 道は舗装された物と遜色なく丁寧に均され、水はけが良いように基礎も造られている。木々や植え込みも丁寧に刈り込まれて伸び放題にはならず、頻繁に庭師が手を入れ、虫除けの香を方々で焚いていることもあり蚊やダニ、不快な虫に悩まされることもない。


 作られたそれを美しい自然と呼んでいいのかは議論があろうが、一切管理されず好き勝手に繁茂した木々が与えるのは雄大さより杜撰さになるのが貴族の界隈。事実として,滞在することを考えれば非常に居心地がよいものだった。


 「はぁ……」


 星が瞬き夜陰神の神体が慈悲の光を降り注ぐ中、足下を照らす魔導照明が転々と配置された散歩道の東屋で、冒険者は大きな溜息を漏らした。


 松葉杖を片手に夜着のまま深夜の散歩に繰り出したジークフリートだ。


 彼の失われた足は、今やしっかりと接がれて外見だけは元通りになっている。


 あとは神経を馴染ませ、元々の機能を取り戻させるだけであると癒者から言われたので、彼は訓練として痛む足を抱えて散歩に出ていたのである。


 ただ、頭の中を巡るのは自分に似合わないと言われそうな難しい政治の話。


 足がくっついた夜、彼等の頭目はジークフリートとカーヤを食事に誘い、非常に難しい話を切り出してきた。


 これからの剣友会の運営方針だ。


 金の髪のエーリヒは、配下のやる気を保つ方法を知っていた。それは前世の会社が社員へと利益を還元することに躊躇いのない、恵まれた環境だったこともあり、同時にそうでない環境で働いている友人の愚痴を多く聞いたからでもある。


 故に彼は今回の報酬を幹部と遇しているジークフリートに一切偽らなかった。


 三千ドラクマ、という額に目玉が飛び出しそうになった冒険者と薬師に金髪は遠慮なく追撃を入れてくる。


 報酬として二人には、それぞれ二〇〇ドラクマ渡すと。


 あまりの額に戦槌で後頭部を引っぱたかれたような衝撃を憶える。出し惜しみしないのは昔から知っていたし、風呂で報酬の話をした時は「精一杯毟ってくるさ」と嘯いていたものの、これはやり過ぎだろうと。


 下手な騎士家の年俸に並ぶ分け前だ。それこそ二人分合わせたら、贅沢しなければ孫の代まで碌に働かずとも食っていける額である。


 更には頭領の特権である、他より多い取り分も取らない上、今回の仕事に参加した者には例外なく二〇ドラクマを報酬として与え、留守居にも特別に五ドラクマ支給するという大盤振る舞いに頭痛が加速していく。


 だが、これで終わりではなかった。もう頭が割れそうな程に痛みを覚えているのに、金の髪は一切容赦せず情報を叩き込んでくる。


 貴族相手の商売を始めるという、凄まじい展望を。


 元々、ジークフリートには学がない。実家は湿気た農家であるし、彼も長男ではないため私塾など通ったこともない。カーヤから教わって辛うじて読み書きができるし、簡単な宮廷語も覚えはしたが、やはり教養や貴族に関する知識は薄かった。


 だからエーリヒが何度も噛み砕いて説明してくれたものの、事業を拡大した上で貴族の仕事を秘密裏に受けるということしか分からなかった。


 いや、認識としてはそれで十分ではある。あの金髪は諄い程、まるで自分に言い聞かせるように「ヤバい仕事は選んで弾く」と主張した。


 別に剣友会の規模が広まることは悪くない。本当に嫌だったなら、頭目が弟子を取ると言いだした時に縁を切っている。


 大規模な氏族の幹部とは、それだけ英雄に近い立場であるからだ。


 本音を言うと自分が一から立ち上げたかったのも事実ではあるものの、今となっては副頭目であることに文句もない。あの金髪が夜に帳簿を付けたり、配下に細かく話を聞き悩みを解決してやっている姿を何度も見たのもあるし、人の良い作り笑いを貼り付けて顧客と交渉している様を見て「あ、俺には無理だな」と諦めたというのもある。


 ただでさえ頼り切っている自覚のあるカーヤに事務仕事や配下の精神面のことまで任せられる程、ジークフリートの面の皮は厚みがない。むしろ責任感があるからこそ、頭目をやるなら金の管理や配下の精神面を慮ることも仕事の一つであると分かっていた。


 そして、それを自分で過不足なく熟しているからこそ、あの金髪がたまにぶっ飛んだことをやらかしたり、口にしても配下が慕って付いていくことも。


 だから現状に不満がない。否、不満がないからこそ大きな変化が恐ろしくなる。


 頭では分かっているのだ。エーリヒが説明したとおり、今回ジークフリート達、剣友会は好くも悪くも活躍しすぎた。吟遊詩が広まって市井でも名前が売れるかは兎も角として、ノルトシュタットで剣友会の働きを知った貴族の間では確実に広まるだろう。


 口外法度にして貰ったとして、噂を完全に潰すことは能わぬ。聡い人間ならば、有力な氏族の頭目が大量の配下を率いて何をしていたか、金や人の流れから察することもあるだろう。


 なら、率先して強力な後ろ盾を持つのは、必要云々を通り過ぎて自衛のための前提となりつつある。


 マルスハイムの有力な冒険者氏族とて、ケツ持ちがいない所なんてないのだから。


 剣友会とも繋がりがあり、よく合同で仕事をしたり他流試合をやるロランス組は、貴族相手にも商売をする大店のお得意様だ。粗野だが野卑ではない彼等は護衛として最適で、重要な商売をする時にはいつも頼られている。


 漂流者協定団は領主一族と繋がりがあると囁かれているし、ヴァルドゥル氏族やハイルブロン一家に黒い噂が絶えぬのに存続が許されている以上、誰かしら有力者に裏金を融通して便宜を図らせているのは確実。


 だからこそ、今まで一切後援を持たず活動してきたことの方がおかしいと理解はしている。構成員が五〇人を越える氏族だというのに、どこか舐めた風な仕事が来る理由もそれだ。


 だからエーリヒと繋がりがある貴族、それもヤツをして「人間性は最悪だが契約は護る」と断言する相手をケツ持ちにできるなら、悪い話ではない……筈である。


 背後に大物が付いていると分かれば、下手なことをする者は減る。表だって喧伝するようではなさそうなので、絡んでくる冒険者が減るとは限らないが、集団で陰謀を巡らせられる機会はぐっとなくなるであろう。


 ただ、貴族同士の小競り合いによる、今より大きな陰謀が顔を出す危険性は否定できないが。


 しかし……暫く悩んだ後で、普段は飄々と振る舞い、自信を絶やさない男が縋るように口にした言葉が彼を悩ませた。


 「沢山、これまで以上に厄介事に巻き込むやもしれない。だが……一緒に戦ってくれないか?」


 一緒に冒険しようぜ! と無垢に誘ってきた男が、とても苦くて重い物を呑んだような表情で縋ってくるのだ。初めて見る顔と態度にジークフリートは、コイツこんな面もできるのかと思うと同時、自分が彼の中で重要な位置にあるのだなと気付く。


 正直に言えば、扱いは良い時と悪い時の差が大きい気がしていた。


 良い面では報酬や、しっかり友人として遇し相方の次に重く扱ってくれること。


 悪い面では、何の遠慮もなく死地へ誘ってきて、腰が退けるような重大事を「君なら余裕だろ」って具合にポンポン放り投げてくること。


 だが、そのどちらもが信頼と好意の証であることは、ジークフリートも悟れぬような愚昧ではない。いやさ、理解しているからこそ、この無茶苦茶をやる頭領にくっついているのだが。


 然れど、その面倒の渦へ何の躊躇いもなく手を引いていく頭領が、初めて様子を伺うように聞いてきた。


 これが深く心に残る。


 「あー……どうしたもんだがなぁ……マジで……」


 自分が正面から斬りかかって殺せるとは到底思えない相手から頼みにされると、優越感や自己肯定感よりも困惑が先に来る。


 副頭目として配下を纏めながらも、もうコイツだけでいいんじゃないかな、と思う場面も多々あったというのに。


 それがまぁ、儚くて弱々しくなったものだ。


 「理解はできるんだがな……俺だったら貴族と唯一の窓口になって、やっていけるか……?」


 思考を整理するため口にしてみたものの、深く考えずともできる要素が一つたりとてない。お貴族様が納得する振る舞いなんて想像も付かぬし、況してや交渉して自分達の不利にならない契約を捻り出すなんぞ、一体どうやればいいものか。


 こんな重圧を背負う苦労とは、如何ほどの重みであろうか。


 「ディーくん。一人で出歩いたら危ないですよ」


 「……ジークフリートと呼べ」


 項垂れて纏まらない熟考に潜っていると、聞き慣れた声が掛けられたので、ジークフリートもまたいつもの言葉を返した。


 彼も何やかんや言って、もう熟練といっていい冒険者だ。近づいてくる人の気配を読むことなど容易い。


 何より彼の幼馴染み、若草のカーヤは驚かせないよう靴音を立てて隣にやって来たのだから。


 「まだ足が繋がったばかりなんですから。散歩したいなら声をかけてください」


 「別に一人でも問題ねぇよ……言ってたろ、あのヤブ医者も。早く歩けるようになりたいなら、できるだけさっさと動かせって」


 「ヤブ医者って……まだ足を切り落とされたことを根に持ってるんですか?」


 「道理は通ってるし必要だってのも納得はしたが、くっついてる足を切り落とされるのは、俺だって怖かったんだよ。悪態くらい吐かせろ」


 「もう、本当に悪いお口ですね……それなのに、動かせという言い付けは護るんですね」


 「ヤブだろうと医者は医者だし、足もくっつけてくれたからな。俺は医者には逆らわねぇって昔から決めてんだ」


 くすくす笑う幼馴染みにバツの悪さを感じつつ、ジークフリートは、その決意の理由が隣にいるんだがなと思った。


 医者が言うことは絶対だ。だから抵抗はあったし、ちょっと――当人比――ダダも捏ねたが受け入れた。何てことのない傷口に見えても中から腐ることもあるから、絶対に怪我を軽く見ちてはいけない、とカーヤが言っていたことをジークフリートはちゃんと憶えているのだ。


 「山の上は、夜になると冷えますね……神経の痛みに効く薬湯を煎れてきましたよ」


 「……ありがとう。貰うわ」


 東屋の長椅子。その隣に腰を下ろした幼馴染みが持って来た籠に収まっていた、例の金髪と二人でコソコソ作っていた水筒から、湯気を立てる薬湯を一杯受け取る。二層構造や真空がどうのこうのは分からないが、カーヤの作った薬湯が冷めずに暖かいのは素直に有り難かったから。


 「美味いな」


 「よかったです。蜂蜜を入れてみたんですよ。ふふ、知ってましたか? 蜂蜜って、蜂が蜜を集めてきた花の種類で色も味も、魔法薬に使った時の薬効も変わるんです」


 「新しく調合してくれたのか。ありがとよ」


 ジークフリートは幼馴染みが、まるで当然の様に与えてくれる献身を心から有り難く思っていた。荘を飛び出した頃は分かっていなかった、彼女の重い重い決断や、有り得ないような気遣いを大人になった今では嫌というほど認識している。


 だから悩むのだ。


 偽らずに言えば、彼はエーリヒに悪態を吐くし、納得がいかなければ掴みかかりもするが、もう十分に絆されている。もし自分が独り身であれば、その場で「仕方ねぇな」と悪態を吐きながらも、彼のやることに付いていく覚悟をしただろう。


 彼はジークフリートに冒険をくれた。湿気た農民の誰も名前を知らないような三男から、剣友会の〝幸運にして不運のジークフリート〟という、最早誰にも恥じることのない一端の冒険者になる機会をくれたから。


 このことは実家にいた頃は誰からも、親からも顧みられることのなかった彼にとって非常に重い事実なのだ。


 なればこそ、つまらなそうな笑顔を貼り付けてばかりいたカーヤと仲良くしたいと心から思ったし、大人や周りがどれだけ不釣り合いだと言おうが、不似合いな笑顔を作らせてるお前らに何も言われたくねぇ、と突っ張ってきた。


 こういった考えができるジークフリートだからこそエーリヒと共に戦いたいと願ったし、彼が迷惑を承知で誘ってくれたことは、一生口にするつもりはなくとも嬉しかった。


 しかし、しかしだ。この幼馴染みを、壮園での居づらそうにしている姿を見ていられなかった彼女を巻き込むかと思うと……。


 「ディーくん」


 「っ……!」


 優しい香の匂いが一杯に広がった。彼女が服に焚きしめている、薬草の独得の臭いを消す香が鼻腔を満たし、同時に柔らかくほのかな熱が顔を染めてゆく。


 胸に抱かれているのだ。触れ難い女性の象徴は、既に成熟して柔らかみを帯び、悩みを蕩かすように冒険者の頭を抱えていた。


 「私はディーくんについていきますよ。貴方の願いが私の願いです」


 「だけど、カーヤ……今回も死にかけたんだぜ……」


 「でも、人は死にますよ。道を歩いているだけでも。お風呂に入っているだけでも。本当に呆気なく。なら、死に方を自分で選べるのは、すっごい贅沢じゃないですか?」


 「だけどよ……俺、俺はさ……」


 「私は後悔していないし、これでいて幸せなんです。満たされています。それは、ディーくんが楽しそうにしているからなんです」


 「カーヤ……」


 「だから、私のことなんてどうでもいい……とは言いません。それは私も女の子ですから、大事にして貰ったらとても嬉しいですよ?」


 頭を抱く力は強くないが、決して振り払えない抗いがたさがある。ジークフリートは飲み終えた薬湯の器を置くと、胸に縋り付いて暖かさに身を委ねた。


 「でも、それはディーくんがしたいことをしているのが前提です。それこそ、私のためにやりたいことを諦めたら……本末転倒じゃないですか」


 私は、自分がして貰ったのに自分はやらないなんて酷薄な女じゃありませんよ。


 その言葉が脳にじんわりと染み入るように心地好く、やがてジークフリートは小さく頷いた。


 「ジークフリートと呼べ……」


 「はいはい、分かりましたよ、ディーくん」


 「……ありがとな」


 「ええ、こちらこそありがとうございます。一緒に死んでくれなんて、女冥利に尽きる誘い文句ですから」


 「死ぬつもりはねぇよ、ばか」


 悪態に包んだ本心を受け入れてくれる幼馴染みの存在に、彼は自分も熟々運に恵まれた男だと思った。


 あの金髪も中々だが、ここまで尽くしてくれる相方は早々いない。


 ならば、もう迷う理由はないだろう。


 金髪をほったらかすのも何をしでかすか分からなくて気が気ではないし、剣友会の連中が気がかりであることは変わらない。未だにディーの兄ぃと呼ばれるのは気に食わないが、慕われているのは事実なのだ。


 なら、ここで臆せば冒険者の名が廃ろうぞ。


 彼は決意を固めるように、幼馴染みの腰を強く強く抱いた…………。












【Tips】身分によって、有り様を親から選ばれるのが人より良い家に生まれた義務の一つといえるが、それを幸せに思わない者もいる。

これにて一段落、ということでぐだぐだ長ったらしく続いてしまったお話も一区切りとなります。

皆、それぞれ新しい覚悟を決めて、いざ次章ということで一つよろしくお願いしますね。


6巻も発売し、そして遂に本日、コミックレグルスにてヘンダーソン氏の福音をコミカライズ版連載開始です!

無料で読めるのと、知っている話の知らない側面を新たに描写するコミカライズ版を是非お楽しみください!

それはもう、初っ端からマルギットが可愛らしくて素晴らしいので、最新話まで拙著を読んでいる皆様絶対に損はいたしませんぞ!!

https://comic-walker.com/contents/detail/KDCW_AM19203286010000_68/

https://seiga.nicovideo.jp/watch/mg671601?ref=nicoms

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― 新着の感想 ―
[良い点] カーヤちゃんホント手綱握るの上手いなぁ あとディー君より学がある分、エーリヒの言う貴族案件がディー君の考えているより遥かにヤバい案件だとか理解しているであろうに敢えて尻を引っ叩く肝の座り具…
[一言] やばい案件が国家機密レベルの案件であって地方の紛争程度は下手すりゃ個人で終わらせられるからそもそも来ないとは予想も出来ないよなぁ… それはそうとしてカーヤさん包容力高すぎぃ…こんな方と深い…
[一言] コミカライズから飛んできました 2日ほどで読み切って面白かったので 電書で既刊全巻買いました(^^)
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