青年期 十八歳の晩春 八八
妹からの愛と自分の不甲斐なさで交渉が一時中断してしまったものの、概ね納得がいく形で落着した。
「では、改めて確認したいのですが……」
「貴方に頼む依頼は要人の警護、拠点の防衛、物資の護衛に素材、及び情報の収集。政治的な暗殺や諜報は介在させない。命のやりとりが前提の依頼は、素性の分かっている密偵や裏切り者の捕縛のみ」
冷静になると随分と贅沢な注文よね、と煙管の煙と共に苦情を吐き出すアグリッピナ氏であるが、それくらいは最低限確約して貰わんと、おっかなくて荷駄の護衛一つできん。適当な所に突っ込まれて大貴族の恨みを買い、熟練の暗殺者を山ほど送り込まれては堪らんからな。
自分でも殺すのが割と難儀な生物に仕上がってきている自覚はあるが、私の周りまではそうもいかんのだ。カーヤ嬢のおかげで毒への対応はかなりできているが、会員を標的に手足を捥ぐ方針に舵を切られては困る。
如何に頭目であっても、彼等の自由時間にまで注文は付けられん。休日に襲われたり、盛り場で剣呑な方の色仕掛けの対象にされては彼等もやっていけなかろうて。
頭目として、最低限は職場の清潔さを保つ義務があると思うんだ。従業員に真っ黒な労働条件と自分を犠牲にした奉仕を強要せねば成立しない事業なんぞ、軍隊か警察以外ならさっさと畳んじまえという話だからな。
「在野の冒険者としては貴族と関わっていると割れるだけで揉め事の種なんですよ。ただでさえこれから耳目を集めることになるのですから、危険な橋は伯個人に忠誠を捧げている密偵を使っていただきたい」
「本当なら、そこに貴方をねじ込みたかったんだけどねぇ」
しれっと明かされる本意に肝が液体窒素へ浸される気分であった。本当に私の選択は正しかったらしい。もう少し離れるのが遅ければ、あるいは根負けしてアグリッピナ氏に仕えていたら、表向きは騎士として、実体は密偵頭として超過労働の嵐だっただろう。
喩えウビオルム伯爵位をくれてやる、と言われても御免被る雇用条件だ。そういったお誘いは、我が身よりも栄達の方が大事という野心家に譲ってやってくれ。
「で、此方からの要求は常に連絡を取れるようにしておくこと。私からの依頼を第一に動くこと。それと、規模の拡大を厭わないこと……よろしくって?」
「承知しておりますよ。そうですね、取り急ぎ予算も頂戴したので、分配金の余剰で塒でもこさえるとしましょう」
三〇〇〇ドラクマは、勝手な話だが全額を分配するには……まぁ、偉そうな物言いになってしまうけれど、大分過ぎた金額だ。ここまで来ると個人が受け取る報酬というよりも、組織でようやっと管理できるような額となる。
夏とか年末の宝くじが屁みたいに感じる額なのだ。変にばらまいたら身を持ち崩す者もいようし、最悪地域の経済が破綻する。
ジークフリートにした約束通り、一人頭一〇ドラクマくらいを報酬として分配し――これでも田舎に引っ込む者は結構いそうだが――残りは剣友会の規模拡大に使わせて貰おう。
こうなった以上、もう剣友会の剣術愛好会的な運用は限界が近い。死霊術師相手の大暴れに関する情報は流れないにせよ、モッテンハイムでの防衛戦やノルトシュタットでの大暴れは遅かれ早かれ余所に漏れる。
となると、剣友会という名前が売れて、その会員というだけで利益と不利益を被ることになってしまう。
利益は優秀だからと仕事が舞い込み、依頼を受ける報酬に色が付くことや栄達の階へ足を掛けるための踏み台が高くなること。
不利益は現体制派であるのが割れてしまうことと、剣友会の存在を面白く思わない者からより狙われることだ。
今でさえ新興の氏族として「調子こいてる」と思われて喧嘩を売られる会員がいるのだ。酷い闇討ちやら騙し討ちをしてきた連中には、私やジークフリート直々に〝お礼参り〟をしているので被害はマシな方なれど、規模を拡大すれば手も回らなくなろう。
五〇人近い人間に所属しているだけで影響を及ぼすのであれば、設立者として最低限のケツを保つのは義務云々以前の話であろうよ。
会社の看板掲げて営業してるのに、会社側の不都合を社員の責任にするのは道理が通らんのと同じだ。
とりあえずマルスハイムでどっか安い物件を探して、剣友会の塒にするか。広い中庭がある、経営が傾いた宿屋なんぞを買い上げられたら具合がいいのだが。
ロランス組のように氏族は贔屓の宿を根城に据えることが一般的だが、大規模な傭兵団みたいに事務所を持っている氏族もいる。漂流者協定団は貧民街の建物を幾つも塒として占有しているし、悪名高きバルドゥル氏族やハイルブロン一家の頭目は堂々とお屋敷に住んでいる。
ここまでくれば、半ばマフィアみたいなもんだ。開き直って組事務所をでんと建てた方が、防諜も警備もやりやすい。
それと、私の事情に子猫の転た寝亭を巻き込むのは気が咎める。何より、最愛の妻子を下らない喧嘩に巻き込んだとあれば、聖者フィデリオの怒りが恐ろしい。
あの人、軽く運動程度の立ち合いに留まっているとはいえ、まだ底が見えてないんだよな。正直、一対一で勝てるかって言われると割と厳しいかもしれん。
陽導神の与える奇跡って、どれも主神だからって信徒への贔屓が過ぎませんかね? って苦言を呈してやりたくなる領域なんだよな。特に高位の奇跡ともなると、擬似的な不死に突入してくるから性質が悪い。
まぁ、それくらいじゃなきゃヒト種が無肢竜を退治するなんて、余程の人外でもないと不可能なので当然といえば当然ではあるが。
塒を作るなら色々と整えねばならないな。全員が寝泊まりできるだけの設備は勿論、どうせならば武器防具を整備する専門家や経理も雇いたい。
ああ、あと全員の共有物になる馬も飼おう。急ぎの依頼に対応できる体制が必要になる上、機動力が高いというのは、それだけで良い宣伝文句になるからな。
ついでに、今は個々人で自弁させている装備を最低限は全部統一させるか。アグリッピナ氏を通して工房に伝手を作って貰えば、数を頼む都合もあって安く調達できるはずだし。
長剣、槍、帷子か革鎧、この辺りは質の良い物を使っていると格好が付くからな。
うーん……桁外れの報酬なのに初期費用と維持費を考えるとしんどい気がする。割に合うかどうか、実に微妙な線を擽っているな。私、高名な冒険者にはなりたかったけど、別に大勢を纏める大頭目になりたかった訳じゃないんだが。
「手を出すのは拙い、と思われる程度の規模にはしてみせます。ですので、ウビオルム伯からも……」
「ええ。貴族側からは手を出しづらいようにしておくわ。ただ、釘を刺すことはできても隠れて色々するヤツらは絶対に消えないから、拙そうな内容は自分で選別するように」
「無論、弁えておりますよ。冒険者として仕事の選り好みは長生きの秘訣ですから」
背後にデカい貴族がいると分かっていても、変な依頼が零にはならないから、そこら辺の警戒はしますとも。気を付けていてもジークフリートが人質を運ぶ隠れ蓑の護衛に巻き込まれてしまった先例もある。仲介業者が悪さしていないか、もっと気を払うようにしなければ。
今後、私達が元気に呼吸をしてない方が都合の良い人々も増えるだろうからね。精々枕を高くして眠れるよう、身の回りには気を付けますとも。
「しかし、ここまで来るともう冒険者というよりも、傭兵団の旗揚げでもしているように思えてきましたね。それも、領主から直接お声がかかるような大規模な」
「暴力を提供するという点では冒険者も傭兵も似たようなものでしょ」
「お言葉ですが、私達は暴力を頼りにしないという選択肢も大いにあるので、大分違うと思いますが」
ホントにぃ? とでも言いたげな視線が飛んで来ているけど、嘘じゃないぞ。何やかんやで家は評判の良さもあってお上品な仕事の斡旋だって多いんだ。たしかに護衛依頼が一番多いけれど、そこそこの家格の商家が宴席の警護で求めるような、一定の礼節が身についてないと受けられない仕事だって熟している。
剣友会は三重帝国でも指折りの真っ当な冒険者集団であると、私は胸を張って主張するぞ。
しかし、複数の冒険者を編成して仕事に派遣するようになると、何と言うか傭兵というよりもPMC感が強いなぁ。戦争で飯を食うというより、アグリッピナ氏の息が掛かった人物と施設の護衛に人員を送り、そのための教育を施すとかファンタジー感が薄れるというか何と言うか……。
おかしい、我々は〝楽しく、かつ英雄的に〟を標榜していたはず。それがどうしてワイルドギースめいたことをせにゃならんのだ。
いや、この表現は縁起でもなさ過ぎるか。マジでセーシェル事件よろしく、衛星諸国家に送り込まれて都合の良い王政を打ち立てる仕事に使われかねん。
名前が売れるって、重ね重ね良いことばかりじゃないなと実感させられた。
「で、これらの内容は書面としていただけるということでよろしいですね」
「私、貴方に二言を言ったことはなかったと思うんだけど。ちゃんと書いてあげるわよ、署名押印付きでね」
ただし、それを武器にしないこと、と言い含めるアグリッピナ氏には深く頷いておいた。
そんな三下的挙動はしませんよ。RPGだったら序盤に倒される嫌な敵役がやることですよ。お約束みたいな世界の強制力が働きかねない安っぽい動きをして、率先してフラグを立てるようなことはしたくない。
「じゃ、諸々よろしく。握手でもしておく?」
「遠慮しておきます。今更でしょう」
お互い納得ずくですよ、なんて我々の間柄でやって誰に見せるというのか。この会談ですら、公にはなかったことにしなければならないというのに。
「それもそうね。ああ、やれやれ、これで幾つかの案件が楽になる。私の愛おしい書庫引きこもりの日々は何時になったら取り戻せるのかしらね」
「その野望、まだ諦めてなかったんですね」
「当たり前じゃない。高々数年で読み切れる量でもなし、こうやって無為な日々を過ごしている間にもどんどん増えているのよ?」
帝国でも有数の大貴族という地位、そして魔導宮中伯としての務めを果たすことを無為な日々と表現するのは止めて貰っていいっすかね? 真面目な貴族や官僚諸氏が聞いたら憤死してしまいます。
しかし、司書連とライゼニッツ卿に怒られて二〇年も巡検に追い出されたというのに、この人も執念深いな。その内、陛下から本当に言質を取って禁書庫に私室でも拵えかねないから笑えないのだけど。
無血帝は魔導院の現役教授でもあらせられるそうなので、不可能でもないから冗談としても質が悪い。教授会に提出されたら、他のお歴々はどんな顔で協議するのか見物である。蚊帳の外で見物できるなら、是非とも拝ませていただきたいものだ。
「さっさと適当な誰かに全部の権限を投げて隠居したいものね……」
こっち見んな。頼むからこっち見んな。農家の四男坊には重すぎる椅子を、嫌だからってだけの理由で適当に放り投げようとするんじゃねぇ。
「そう仰るなら、しがない冒険者に絡むよりも政略結婚なり養子をとるなりなさればよろしいのに……」
「隣家どころか自分の家で火種が燻ってる状況で、暢気に安楽椅子に尻を落ち着けて本を読めると思って? 何かあった時、絶対に何の責任もないようにしておきたいのよ」
言わんとすることは分からないでもない。なればこそ、彼女は責任が薄い研究者という立場に留まろうとしていたのだし。
下手な後継者を選んでウビオルム伯爵領がまた宙に浮くようなことになったなら、継承した時よりも難儀するだろう。火事が起こってから火を消すより、用心して火の気を消しておく方がずっと楽なのだ。
それに彼女は長命種。寿命がない種族なのもあって、人間と違ってお世継ぎがどうこうといった心配も薄いのが悪い方に働いている。血筋だけの無能に継がれて国内を荒らすくらいなら、皇統家はそのままお前が椅子に座り続けろくらいの注文は出して来よう。
また、結婚すると親戚という、ともすれば味方面した敵が生えてくることもあり、養子も継承を目論んでいた人間から排除される危険性が付きまとうとくればもう。
どこの馬の骨とも知れない小僧の家系図を偽造して、実は尊いお家の生き残りだったんですよというお題目を作って養子にする横車を押す方が楽ってのも厄介な話だな。血統主義と実力主義が良い感じに混じり合っている帝国だと、有能な駒ってのは大抵誰かのお手つきだから、抱え込むのが難しいというのも理解はするが。
かといって、在野からガチャの如く低い確率に任せて人を引っ張ってくる訳にもいかんしね。貴族というのも誠に良い物ばかりではない。
「だから、多少殺しても死にそうにないのじゃないと、軽々に後継にできないのよねぇ……」
「いつか、お眼鏡に適う後継と出会えることを祈っております」
だからこっち見んな、と良い笑顔で断っておく。これ以上の面倒事はご免だ。私は冒険者として心躍る冒険がしたいだけだと何度言えば理解していただけるのだろうか。
「可愛くない子ね」
「私に可愛げを求められたことがないので」
「言うようになったわねぇ」
「師匠が師匠ですので」
お互いに悪い笑みを浮かべ、真意を隠しながら一応の決着となった。
本当に望ましい方向ではないけれど、面倒事が発声する可能性は多少なりとも下げられただろう。この人はどうしようもなく性根が腐敗した外道ではあるが、約束は守る人だからな。
「じゃ、大人しく静養して元気に働けるようにしてちょうだい。土豪側が弱ったことは良い感じに上へ流しておくから、もう直に会戦に持ち込めるでしょうし」
「離散されませんかね? 最悪、衛星諸国家に浸透して、そこで力を蓄えるなり、帝国の力を削ぎたい面々からの後援を受けて亡命政府を樹立することを選ぶ可能性もあると思うのですが」
「連中にそこまでの理性を期待しても無駄よ。況して、ここまでやらかしたのだから、あとはもう勝利するしかないのよ、ヤツらにはね」
面子の重さというのが、ここでも効いてくるようだ。既に臥薪嘗胆を随分と続けていた上、なりふり構わない外法に触れてまで勝利に手を伸ばした土豪側には、勝って体面を保たねば民が付いてこない。
既に民草の生活を散々に荒らし回った上、動死体の素材とするため随分な人間を消費している。戦争に勝ったという綺麗な錦の御旗がなければ、勢力として成り立たないところまで来ているとアグリッピナ氏は仰った。
これも無血帝が描いた絵図の一つと考えると、えげつなさに背筋が冷える。屍戯卿の関与は想定外であったにせよ、会戦を避けられない状態に持っていくのは本当に酷い。
「ま、精々が残党として野盗に落ちるのが限界でしょう。マルスハイム伯も今回の一件で相当消耗するでしょうから、治安維持に大部隊を裂くのも難しいでしょうし。良かったわね、飯の種が沢山増えて」
「治安が悪い方が仕事は多いとはいえ、それを喜ぶほど歪んだ性根は持ち合わせておりませんよ……」
ああ、度し難い。本当に度し難い。政治ってやつぁこれだから嫌いなんだ。国家という最大幸福のため、個人が蔑ろにされるんだから堪ったもんじゃない。かなり平和な民主国家から来た人間からすると、実に非道としか言い切れぬのが正道ってんだから、やりきれんよ。
「さてと……じゃ、私はそろそろお暇するわ」
「承知いたしました、ウビオルム伯」
「じゃ、この子のことよろしくね」
はい? と首を傾げる私を余所に、元雇用主にして、新たに後援者となってしまった外道長命種はパチンと指を鳴らし、一人だけ空間遷移のほつれに消えていく。
「兄様、私、お師匠様からのご厚意で休暇をいただけました」
取り残されたエリザは、どうやら師匠から休暇を貰えたようだ。それは良いことである。
良いことであるのだが……。
「あ、あの、エリザ……ちょっと目が怖いよ?」
「そんなことありませんよ、兄様。ところで、ちょっとそこに正座していただけますか?」
「えっ? いや、ちょっと……」
「兄様?」
良い笑顔なのに目が全く笑っていない、ひえっひえの言葉に従って私は一旦椅子から腰を上げ、地面の上に正座する。
片足がないので非常に難儀するが、妹から発される感じたことのない圧に抵抗することは不可能であった…………。
【Tips】冒険者の氏族は愛顧する塒を作ることは多いが、巨大な事務所を作る例は希で、冒険者が多い辺境以外では滅多に見られない。
組織化することに必要な初期費用が膨大すぎるためだ。
6巻の書影がオーバーラップSTOREで発表されました。
公式通販でも短編が付属するため、通販でのご利用をお考えならば是非どうぞ。
今回も特約店、メロンブックス、ブックウォーカー(電子)、公式通販にて各4種の短編が付属します。
メロンブックスは特約店でもあるため、店によっては2枚付属することもあるそうですよ。




