少年期 一二歳の春・七
魔法と言ったら何を想像するだろうか。
ゲーム的には攻撃魔法が多いが、TRPGは道中もロールするという性質上、便利で生活的な魔法が多い。某ドラゴンと迷宮の物語だと、活力溢れる食事を作り出したり、周囲の温度を適温に保ったりする「あー、これ現実でも欲しい……」と思う魔法が幾らでもある。
それと似たような魔法の群が渡された書籍には満載されており、理論を読むことで習得がアンロックされると共に熟練度が溜まるというクッソお得な仕様には恐れ入るのだが……。
この主婦が楽になる魔法一千、とかいう気の抜けるタイトルは何とかならんのか。
魔法が一般的なものではないのは事実だが、どうやら上流階級には“魔導従士”という魔法で家事をする上級使用人を雇用するという文化が存在しているらしく、そういった界隈と魔導師の女性に対する需要があるようだ。
とはいえ、初っぱなに見るのが「婚活のバイブル!」みたいな帯がついててもおかしくない本というのは、中々に気勢が削がれるものだが。
さて、一千と書いてある割に薄いなと思ったら、何を思ったか本自体が魔法的に圧縮されているのか、捲るとページがべらべら続いて厚み以上の数がある。クソ、がっくり来る内容なのに無駄に高度なことをしやがる。
「とりあえず家事系の魔法はよろしく。割と疲れるのよねー」
手をひらひら振りながら、彼女は私にざっと読んで必要そうなのを見つけたら報告するように言いつけた。それから魔法の使い方を教えてくれるらしい。
いいのか本当に、あれほど重々しく思っていたことが、こんな気軽に教えられて。
とりあえず私は序盤の方にあった<見えざる手>という簡単な魔法を教えてもらうことにした。概略を読むに――古事だの宮廷語の婉曲な言い回しがあって死ぬほど面倒だった――形のない力場の手を伸ばして物を触る下位の魔法スキルらしい。
シンプル故に色々と使い出があっていいと思ったのだ。家具の隙間に落っこちたスプーンに四苦八苦するような場面、幾らでもあったからな。
「ああ、これね……ヒト種ってこれ教わらないといけないって不便よねぇ」
さらっと種族差の暴力でぶん殴ってきながら、アグリッピナ氏は私に術式の講義を始める。<記憶力>を高めてて自信があるからいいが、普通ならノートなりなんなりを用意してほしい所だな。後で頼んでみよう。
基本的に魔法も魔術も意志が物を言い、体内の魔力を意志で術式に練り上げて体外へ放出、世界に干渉して形にする技術だという。
そして魔力を水に例えるなら<魔力貯蔵量>とはタンクであり、<瞬間魔力量>は供給口の大きさにあたる。貯蔵量が多ければタンクそのものが大きくなり、瞬間魔力量の大小によって蛇口や消火ホースのような供給量の違いが産まれるというわけだ。
……これ、私はどっちも<佳良>にしてるからよかったが、どっちか一方だけが飛び抜けて優れてたらキツそうだな。世の中には、そんな可哀想な人もいるのだろうか。
「術式は頭の中で練るものだけど、イメージが難しいから補助として口語の呪文を唱えることもあるわ。動作が必要な術式もあるけど、基本は頭で練って焦点具から出すものと思っておけば間違いないから。もちろん、イメージが練れても呪文や動作があれば、よりイメージが高まって威力が伸びたり、精度が増すことも否定はしないけど」
どうでもいい心配をしている合間にも講義は続く。なるほど、呪文は補助輪のようなものか。そして、一定の力量に至ればブースターにもなり得ると。
「あとは、触媒なんかを使うこともあるけど……ま、そういう高度なのは追々ってことにしといてっと……」
「うわっ、ちょっ、なっ!?」
唐突に彼女は私の襟に手を突っ込んできた。話に集中していたために反応が遅れ、胸元をまさぐる手を止めることは能わない。
そして、旅装から引っこ抜かれた手には、私が貰って以来ずっと首からぶら下げていた、あの老翁から貰った指輪が握られていた。
これ、普通にセクハラなのではなかろうか。私が女児だったなら、別の意味で薄くて高い本案件だぞ。
「ああ、何か持ってるなと思ったら、存外良い物持ってるじゃない」
紐に通された指輪を彼女はしげしげと見て、ぽつりと感想を零した。もっとよく見ようとして引っ張るので、首が絞まらないように動こうとすれば、動くまでもなく“指輪が紐をすり抜けて”細い指に絡まった。
「ふぁっ!?」
「今時珍しいわね、これ。どこで拾ったの?」
中々信じがたい光景に脳の処理速度が明確に落ちていく中、もつれる舌をなんとか動かして老翁とのエピソードを紹介した。アグリッピナ氏に関わって以降、物理法則を疑う現象が驚くべき気軽さで行使され続けるので神経がおかしくなりそうだ。
せめてもっとこう、聖堂の司祭様みたく荘厳な感じでやってもらえないだろうか。そうしてくれれば、脳味噌も自然と魔法なんだなと思って落ち着けるのに。
「太っ腹な魔導師がいたのねぇ……月の指輪なんて」
「月の指輪、ですか……?」
「素材が希少なのよ。といっても、希少なだけでそこまで価値はないのよね。ここ百年ほどは取り回しより、倍率重視だから」
簡単な魔法の焦点具としては便利だけど、と軽い評価を下し、彼女は指輪を私に返した。魔法の杖の代わりに、これが焦点具として機能するらしい。
なんでも魔法の焦点具は魔力の通りをよくするため、面倒な手順を踏んだり、そもそもの嵩が大きかったり不便らしい。そういえば、あの老翁も明確に隠し持つのは不可能な杖を抱えていたっけか。
この指輪では強力な術式の行使は難しいが、このサイズにしてはきちんと焦点具として実用に耐えるスペックをしているので太っ腹という評価をいただいたようだが……これは望外に良い物をいただいてしまったらしい。
完璧に魔法戦士向きではないか。魔法の焦点具で片手が埋まらないのに、剣を持ったまま魔法を使えるとか最高だぞ。
よし、一瞬で方向性が組み上がってきた。魔法と剣を使う魔法剣士ではなく、剣術に魔法を絡める魔法剣士スタイルでいこう。
言葉にすればどちらも同じように思えるだろうが、実際の運用スタイルは大きく異なる。
魔法と剣を使う魔法剣士は、中~遠距離で魔法を使い、近距離では剣を用いるスタイルというべきか。突撃の最中に槍を投げるローマ軍戦列の如く、接敵する前に魔法を叩き付けて相手を弱め、そこから魔法の補助を受けて斬り込む形だろう。有り触れた型ではあるのだが、前衛としても後衛としても中途半端になりがちで実にビルドが難しかったのを覚えている。
対して、私が考える魔法も剣も使う魔法剣士というのは、いわゆる“マルチアクション型”と分類される魔法剣士であり、補助動作と呼ばれる軽い動作で小さな魔法を打ちながら剣による攻撃を行うガチガチの前衛だ。魔法はあくまで添え物、最低限必要な物を習得して派手な攻撃魔法をぶっ放したりはしない、スタイルとしては遠い過去の宇宙にて光る剣を引っ提げてチャンバラしている連中に近い。
……しかし、構築としてゲーム的に見ると、私は<雷光反射>でセットアップに行動した挙げ句、補助動作で魔法を一発かました上で通常の行動も残しているのか。割と性質悪いな、あんまりGMとしては相手をしたくない前衛のタイプだ。
開始と同時に味方へ補助をばらまいて、敵にはデバフを押しつけ、気が向いて射線が空けば後衛に呪文も叩き付けてくる性質の悪さは強さ以上に“鬱陶しさ”が凄まじい。
というか、システムによってはこういう小器用なのに強いのにいられるだけで、用意できるエネミーの幅が滅茶苦茶減るのが辛いんだよな……後衛にダイブして斬首戦術喰らうと、全ての予定が崩壊するし。
斃されないのは困るが、簡単に斃されすぎると困るのもGMの難しいところ。
ま、PLの視点に移れば、ぶっ壊れたキャラでGMが頭を捻った戦術を完膚なきまでに叩きつぶすのは、最高に気持ちいいのだがな! 相手が嫌がることは率先してやりましょう!!
うん、マンチビルドっぽくて楽しくなってきたぞ。術式を練る、というイメージと魔力の構築を聞きながら、私は迷わず<見えざる手>を習得した。
しかし、教わりながら習得すると効率が凄いな。アンロックされるのは言うまでもないが、教えて貰うことで習得に必要な熟練度の軽減ボーナスがある上、ご丁寧に熟練度が上がるせいで普通に覚えるだけでもおつりが出てくる。この面においても、やっぱり私が受けた権能は狡いのだなぁ。
とりあえず<基礎>まで習得し、言われるがままに頭の中で術式を練った。体の中で今まで感知できなかった不思議な感覚が蠢き、一つの形を作っていくのが分かる。それが巡り巡って勢いを増しながら、左手の中指に嵌めた指輪から外界へ流れ出ていく。
きらりと光る光輝の帯となって焦点具からまろび出た術式は、与えられた法則通りに形を結んで効果を発揮した。
対象は首に通された、指輪をぶら下げていた紐。必要がなくなったから外そうと思えば、<見えざる手>は念じたとおりに紐を外し、目の前にぶら下げてくれる。
これが……これが魔法か!!
シンプルでつまらない現象を引き起こしただけだが、単純なだけに効果の程が実感できて感激した。これが、これが追い求めてきた物か!
おお、マジェスティック!!
「へぇ、一度で覚えるか……悪くないわね」
宇宙的電波を感じさせる喝采を脳内で上げていると、意外なことにお褒めの言葉をいただいた。長命種からすれば感覚的に使えるたわいない術式であっても、初めて使うヒト種にとってはそうでないことを分かって……いや、教える側として“考えた”結果、今この時に理解したのだろう。
彼女は私がスキルを習得しようとしている間、考え込むような仕草をしていた。つまり、私が<見えざる手>レベルの簡単な魔法でさえ使えないことを鑑みて、ヒト種に物を教えることの難易度を測ったのだろう。
そして、私は彼女の計算を少し越えられたらしい。
「えらいえらい……えーと、こうするもんだったわね?」
不慣れな手付きで頭を撫でてくれたアグリッピナ氏は、指導者としてのスタンスを模索しているようだった。台詞からして、本当に子供と接触するのが苦手というか、経験がないのだなと分かる。
……うん、ちょっと勝手な想像をしていたことを謝罪するとしよう。言葉にするのは流石にアレ過ぎるから、真面目に労働することによって。
「じゃ、暫く練習してなさいな。夕方くらいには旅籠に着くでしょうし」
私は本読んでるから、と自分の世界に戻って行く彼女に頭を下げて、私も自分の世界に没頭することにした…………。
【Tips】教えられることによって習得に必要な熟練度が軽減することもある。それは、魔法や学問などにおいて、より顕著である。権能と言えど無から有を作り出してはくれない。
目が覚めた途端にぐずり始めた“弟子”と、彼女を必死に宥めようとする“丁稚”を見やりながら、研究者として魔導院の免状を携える才媛は、本に目を落としつつも多重で展開される高速の思考を回していた。
長命種が“人類種”のハイエンドと呼ばれる所以がここにある。
身体的なスペック、あるいは魔術的な才覚に限れば長命種に伍し、部分的に上回る存在は数多ある。
めっきり減ったが、未だ霊峰に君臨する“旧き巨人”達。
現世に降臨した化身の流れを汲み、呼吸の如く奇跡を起こす“落とし子”の血脈。
現象として現世に固着し、自然現象を操る“大精霊”の柱。
そして、神々の祝福なくば真の意味の破滅を迎えることはない“吸血種”共。
だが、そんな連中が目の上のたんこぶとして嫌う長命種が、未だこうやって世界にのさばっている理由がこれだ。
長命種は産まれながらのマルチタスクなのである。二重三重にもつれ合わぬ思考を練り合わせ、体は雑事をこなしながらも遠大な思索を延々と続けられる。学者としても政治家としても、戦術・戦略家としてもこれほど恐ろしい事はなかろう。
なにせ彼等は同時かつ多重に展開される、自己に内包した思考を演算することにより高い精度の予測を立てることができるのだから。常に頭の中で対論をつぶし合わせるディベートを行えるようなものだ。
それこそ一つの分野に打ち込んだ、狂気的な偏執を抱く長命種の演算は最早未来予知に等しいという。
斯様な存在に喧嘩を売って、きちんと殺しきることの何と難しいことか。
彼女はそんな自身の特性を十全に活用しながら、兄妹の今後を一応は真面目に考えていた。
兄の方は、想像以上に物覚えがいいらしい。とはいえ、ケースとしては一つに過ぎず、彼の存在だけをとってヒト種の学習能力における判断基準を向上させるには値しまい。
なにより、あの幼げな妹が万全に物事を覚えられるようになるには、結構な時間が必要そうだ。
半妖精という本分を思い出す分にはいい。さすれば、自身に由来する属性の魔法は呼吸よりも自然に使いこなすはずだ。
だが、それだけではいけない。それだけでは足りない。それだけでは至れない。
魔導院は技術ではなく知を尊ぶ組織だ。理性によってコントロールされる魔法こそ知と呼び、価値あるものとして認める。
決して“ただ使える”だけでは評価されない。生まれ持った巨大な力を振りかざすだけでは、赤子が手近に落ちていた棒きれを振り回すに等しい所業であり、それは次に繋がらない。
社会は単なる力を望まない。継承可能な論理のみを力として評価するものだから。
その有り様を考慮すれば、ただ強力なだけの“魔法使い”を魔導院は望まない。その存在に決して“魔導師”を自称することを許さない。無垢なままでは、あの弟子は魔導院を卒業することは能うまい。
ああ、そういえば昔、魔導院に乗り込んできて先天性の魔法を披露して威張り散らし、三〇分でお引き取りを願われた阿呆が居たな、と彼女の完璧な記憶の端っこにへばり付く存在が沸き上がってきた。
名前は何だっただろうか。長命種の記憶力は基本的に“忘れる”ということを殆どしないが、興味がないことは引き出すのに時間がかかるのだ。だから弟子と丁稚の名前をスムーズに引き出すのにも時間がかかった。
実際、あの男は結構な魔法の持ち主だったが、それを論理的に解説、発展させることはできなかった故に拒まれ、アグリッピナの興味も惹かなかった。彼がいれば多少はデータ取りや実務で魔導院の力になれただろうが、だとしても価値無しと判断するほどに“極まった”場所であり、“行き着いた”者が集うのである。
彼女は自身の弟子を、先の愚物とは違ってロジカルな存在に昇華させねばならない。それが師の仕事であり、弟子を預かるという義務だから。
さて、文字を教え論文を認められる論理的かつ演繹的な思考を手に入れるに必要な時間は如何ほどか。
その長さを思うと……彼女は薄い笑みを浮かべずにいられなかった。
だって、その間はフィールドワークに出ずに引きこもっていられるもの!
そう、義務を負う者は権利を得る。弟子の教育に専念するという名目で、色々な雑事から解放される権利を!!
割と畜生な発想をこねくり回しながら、彼女は自分を追い出した学閥の長が、一体どんな顔で帰参を迎え入れるのか想像すると楽しくて仕方がなかった。それこそ、一昨日に送った手紙の返事に刻まれた文字が無言で悔しさを語っていたから、きっと愉快なことになるだろう。
アグリッピナ・デュ・スタール男爵令嬢は内心でザマーミロと呟き、まずは何から手をつけるかと遠大にして精緻、そして死ぬほど下らない野望のプランを回すのであった…………。
【Tips】魔導院の最高位が“教授”であり、その連絡会が運営を司るには相応の意味と本質が現れる。
ということで魔法習得とありなりました。フォースプッシュ!
ジェダイスタイルの魔法剣士は普通に斬首要員として怖い。後列にダイブ、あるいは混線状態でも「おっ、後列に魔法届くじゃーん」と脆い魔法使いを殺しに来るのはNG。全ての戦闘計画が狂う。
かといって、それにガチメタはって魔法強化で射程伸ばさせるのも負けたみたいで悔しいし……。
本作はクソGM件データマンチの提供でお送り致します。
次回は2019/2/9の19:00頃更新を予定しております。