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青年期 十八歳の晩春 八五

 貴族の城館には、ともすれば主の寝室よりも豪勢な客室が備えられていることが多い。


 格下の客には自分の権勢を見せ付けるため。


 格上の客には、客の身分に劣らぬ饗応をするため。


 それは下級の貴族であればある程顕著であり、時に主人が上等な寝具を導入することを諦めてまで、天蓋付きの豪勢極まる寝台を発注することもある。


 貴族といってもピンからキリまで(所詮は官僚)。格下は格上から館を体の良い宿代わりに使われることも珍しくないとあれば、備えを欠かすことはできない。


 不敬(処す? 処す?)。その一言は他人を罰するに余りある価値を持つのだから。


 その点からすると、ハイデ男爵が整えた客間は、アグリッピナからしても〝ギリギリ及第点(寝るだけならヨシ)〟を与えられる質であったため、相当に気合いを入れて用意されたのであろう。


 「お帰りなさいませ、お師匠様」


 「ええ、ただいま」


 客間に開いた<空間遷移>の解れから帰ってきたアグリッピナに対し、エリザは弟子というよりも従僕に似合いの仕草で出迎えた。


 恭しく頭を下げ、命ぜられるまでもなく羽織っていた外套を外して衣紋掛けへ皺にならぬように引っ掛ける。そして何時帰ってきても対応できるよう予め支度されてあった、主人お気に入りの黒茶を煎れた。


 これは魔導師としての教育の一環というよりも、エーリヒが離脱した後にアグリッピナの家宰が、自分達の近侍では干渉できぬ〝工房内〟にて己の主人に最低限のことをするように施された教育に依る物だった。


 実際、エーリヒは相当に特別な扱いを受けていた。丁稚と言う名目の専属従僕であろうと、普通の魔導師は工房の心臓部に余人を通しはしない。普通であるならば弟子に近侍の仕事をさせ、饗応の客間は玄関脇に造って高貴な客さえ寄せ付けぬ。


 エリザの精神安定剤代わりといえど破格の扱いを受けていた丁稚が去った後、引き継ぎを受けた面々は相当に苦労させられたのだろう。不可侵の工房内にて彼女に干渉でき、ある程度ならば無理矢理に動かせることのできる札が消えてしまったとあればもう……。


 この自堕落の極みにある魔導師は、必要最低限以上のことをしようとしないが、あくまで彼女の価値観における必要最低限であるため、余人からすると足りないと思う部分も多い。


 そこを補って働いて貰うため、エリザがエーリヒの後釜として教育を受けたのだ。


 彼女は講義で出歩くこともあるので、受付で出待ちしていれば必ず捕まえられるので伝書鳩として最適である。


 とはいえ、主の行動に関しては控えめで忠実な近侍でもあった金髪の丁稚と違い、主人の前に立つ弟子の瞳には、一切退く気はないぞという強い光が宿っている。


 自分の兄達が決死行に出かけて四夜。未だ彼等が戻らないのに、無事であるとだけ聞かされて、殆どこの部屋に放置されていたに等しいエリザが心穏やかで過ごせる訳がなかろうて。


 客間にはアグリッピナでさえ一瞬驚く程の魔力残滓が満ちていた。感情が沸騰するにつれて湧き上がってくる魔力を実験や勉強で消費し、体から溢れようとすることを抑えようとした名残であろう。


 一先ず教育は上手く行っている、と思いつつアグリッピナは弟子にも座るように促した。


 「お師匠様」


 「分かってるわよ。誤魔化そうとしていた訳じゃないわ。やっていた作業が繊細すぎて自分でやるしかなかったのだから、それは容れてちょうだい」


 「……弟子として、師の行いの是非を問う気はございません」


 だが、もう我慢の限界だという意志を秘めて金色に近くなった瞳が爛々と輝く。


 気が弱ければ大人であっても悲鳴を上げそうな黄金の視線を受け止めて、薄柳と紺碧の瞳は全く揺るがない。小娘の恫喝程度、如何様にも押し流せると軽んじているというよりも、こうなることが分かって話術を組み立てていたが故の余裕である。


 一三歳になったエリザは肉体も相応に育ち、同様に魔力の器も研究筋の研究員を軽く上回る領域に至ったが、まだまだ不安定であるがため〝整備(メンタルケア)〟は欠かせないのだ。


 普段は兄から届く元気だという報せや、他閥であるにも拘わらず妹弟子相手にするような甲斐甲斐しさをみせる中性人の魔導師が何とかしていても、流石に今は師自ら弟子を宥めねばならなかった。


 何せ、彼女の魂は妖精なのだ。ヒト種の肉体に収まっている魔力より膨大な魔力を秘めており、感情が暴走し(本体)筐体(ガワ)の枷を一度上回ったならば、体に満ちている魔力など欠片に過ぎなかったのだと思わせる〝本来の魔力(本性)〟が発散される。


 それはそれで気になるものの、ようやっと面倒事を一つ片付けた今たしかめたい程かと言われれば違う。


 辺境伯が事態を収拾する際、反攻の基点の一つを弟子の不始末で吹き飛ばしては、さしもの魔導宮中伯とて後始末(隠蔽)が面倒に過ぎた。


 「貴方の兄は大怪我を負ったけれど、もう治療は済んでいるわ。まぁ、多少目方が減ったけれど、それも直ぐに元に戻るでしょう」


 迂遠な表現なれど、体重が減るという言葉尻から怪我の重さを直ぐに察したのであろう。エリザの体から微かに魔力が漏れ、兄と似た長い金の髪が僅かにざわついた。


 子供ならば誤魔化されるような表現も通じなくなったな、と師は教育が進むのも考え物だと溜息を吐く。同時に微かに目を伏せることで、感情を表に出しすぎる弟子の不出来を叱ることも忘れなかった。


 感情に任せて魔力を漏らすなど、魔導師の中では最大の怒りの発露だ。自分の魔力の制御さえおぼつかぬほど感情を荒れさせています、などと分かりやすく見せ付けてしまっては、取り繕った表情など何の役にも立たぬ。


 前にも教えたというのに。それを見せる時は、要求を呑むか決闘する(お前が死ぬ)かのどちらかだという最後通牒を突きつける時だけにしろと。


 事実として、アグリッピナの帰郷を出迎えたライゼニッツ卿は、連れてきた弟子の事情が気に食わないなら本当に殺す覚悟もして、魔導院の受付でああも明け透けに魔力を発散したのだから。


 「貴方も飲みなさいな。美味しいわよ」


 「失礼いたします」


 師の言葉に、貴方の兄には届かないけど、という一文が呑み込まれていることに気付きながらも弟子は自分が容れた黒茶を予備の茶器に注ぎ、一口啜って気を落ち着けた。


 たっぷり数分間、無言で時を過ごした師弟であったが、やがて師が頃合いを見て口を開いた。


 「かなりの難敵だったけれど、いつも通り仕果して元気にしているわ。適切な治療も受けて、少し期間は長くなるだろうけど現役にもしっかり復帰できる。今は傷と疲れを癒やすため温泉でのんびりさせてるのよ」


 「それはようございましたが……結果論、という言葉をご存じですか?」


 「私の頭に何冊の辞書が入っていると? 第一、斬った張ったを仕事にして、栄達と金を乗せた天秤の逆側に自分の命を乗せる仕事を〝望んで〟やっている人間(へんたい)に対して、その言葉はあまりに無粋よ」


 師の言葉を受けて弟子は言葉に詰まる。


 彼女も分かっているのだ。一三にもなって、遅くなっていた肉体面の成長も精神面の発達も追いついて来ている以上、かつて無垢であった時のように〝ただ一緒にいられればいい〟と願うようなことはしなくなった。


 愛する相手の幸せを願うならば、相手が望む仕事を続けられているのが大事なのだ。


 そして、突き詰めればどれだけ傷つこうと、危険な戦いの中に身を置くのは、ある意味でエーリヒ自身が好き好んでしていることなのだ。


 断る選択肢は選びづらかろうが、あった。辺境が如何に荒れ、民草の血が流れようが危険な橋など渡っていられるかとそっぽを向いて安全を選ぶことはできたのだ。


 それが冒険者という仕事でもある。最低限、相手が権利を渡しているなら仕事を選ぶことができる。


 特に今はアグリッピナ側にも触られると痛い部分が多いし、エリザの存在も軽々に斬り捨てられぬことは彼自身も分かっていただろうから、断らなかった理由を考え上げたとしても最終的には〝言い訳〟に過ぎぬ。


 戦って好転する事態があると思えば、どこまでも不本意で恐ろしく危険だろうと否を言わないのがケーニヒスシュトゥールのエーリヒである。エリザは嫌というほど分かっていた。


 離れてみればこそ、深く思考を練ることができるようになった頭が理解させるのだ。


 兄の、エーリヒの頭の中には〝闘争〟が問題解決手段の中でも交渉と並んで最上位に入っているのは確実だ。


 根源は彼の生まれと認識(TRPG気質)に依るためエリザにも分からないまでも、普通の田舎で恵まれた家に生まれて尚、彼の頭には些かおかしい段階で強く闘争が意識されている。


 謙りもする、譲りもする、必要であれば逃げる。


 だが、礼を尽くして通じぬ相手は可能ならば殴り倒す。


 もー面倒だからぶっ殺して終わらせよう、くらいの気軽さで。


 下手なチンピラよりも物騒で暴力的な思考に一切の躊躇を見せぬのは、いっそ本職の軍人でさえ疑問を呈するであろう。


 危険でも勝ちの目があって、心躍るところがあるならばエーリヒは迷わず剣を抜く。そして、周りを巻き込んで吶喊し、自分の性能を遺憾なく発揮して問題の最終的な解決を刃にて行うのだ。


 本人は、その方が効率がいいからとか、冒険がどうとか尤もらしいことを並べているが、だとしても常人には理解できまいて。


 嫌々やっているという体をしながらも、あの男は何時だって剣呑な事態に突っ込んでいくのだ。


 魔剣の迷宮は相手が明確な害意を以て囲い込んだため例外にするとしても、帝都途上の廃館も夜陰神の僧の一件も、地方の動乱でさえ全て危険を避けるのではなく、その危険を真正面から叩き潰す選択肢ばかりを選んだことから明白であろう。


 他人の結末を想像して罪悪感を抱く気質というのも一つの理由ではあるが、多くを物理的に薙ぎ倒す方向に持っていく理由には些か弱い。


 〝そういう人間なのだ〟と諦めるしかないことは、エリザにもよく分かっていた。


 「だからこそ、貴方がお兄様を護ってあげられるようになるのでしょう? 研究員になったら、地方巡検の名目で好きに何処へでも行かせてあげるわよ。これも契約の一つですからね」


 「それを願っていることは変わっていません。ただ、私もいつまでも八つの子供ではないので、兄が心安からに過ごせる護り方をしようと思っているだけのことです」


 「あら、そう……だから最近、色々な人と渡りを付けて仲良くしているのね」


 気付かれていましたか、とは思っても口にしないエリザ。魔導院にも社交界にもウビオルム伯爵の触手は長く伸びているのだ。聴講生一人が政治的な力を高めようと社交を結んでいることなど、どれだけ繕っても知られずにいられないことくらい分かっていた。


 「色々なサロンで好評のようね、貴方の作る香水や美容品は。特にお香は有力な貴族の奥方様から人気らしいし、師として誇らしいわ」


 「……はい。最初はウビオルム伯爵の弟子として遇して下さった方も多いですが、今では私個人と繋がりを持ってくださっている方も増えました。ご後援の誘いや、研究への出資もご提案いただいております」


 「知っているわ。義理のため……兄が貴方に残してくれた物を大事にするため丁重に断っていることも。そこで、ウビオルム伯爵の名を高めるように振る舞い、私の不利益になるような情報を出していないことも」


 そこまで言われ、初めてエリザの体が動いた。


 まだまだ未熟ねと笑う師に恥じらうように姿勢を正すが、よもやサロンの中での会話や自分の目的まで漏れていようとは思っていなかったのである。


 「ま、いいんじゃないの。狙いは間違っていないわ。自分の政治的な重みが増すことによって、私は貴方を弟子だからといって軽んじることができなくなる。私の差配に口を出すことができるようになれば、兄に危険すぎる依頼を投げることを防ぐこともできるし、他の貴族からのちょっかいにも手を伸ばせると」


 「そうなる前に。私が強くなる前に兄様が倒れてしまっては困るので、怒っているのですが。そこはご理解いただけていますか?」


 勿論よ、と臆面もなく言い放つ師に弟子は猜疑の視線を送った。


 聴講生として業を磨いたエリザは、今だからこそ兄がどれだけの存在なのか知っている。


 彼は地方で士族を率いて一山当てただけの冒険者ではない。魔導師でも彼ほどの破壊を振りまける存在は限られている。教授級には及ぶまいが、学徒としての技能さえ身に付ければ一足飛びに研究員になることも難しくない力量の持ち主。


 一年間、魔導宮中伯となったアグリッピナの隣に侍っていた時の活躍振りも、引き継ぎを受けたウビオルム伯爵領の関係者から色々と聞かされている。


 数人で交代して受け持つ近侍の役割をたった一人で不足なく果たし、主に近づく害意を未然に払う優秀さは、どうして騎士位なりを投げつけて譜代の家臣とするべく取り上げないのかと誰もが首を傾げるくらいだった。


 斯様な腕前の持ち主が大怪我を負い、凱旋すらできないなど余程の事態であったに違いない。


 なんて危険球を投げて平気な顔をしているのだと、弟子は許されるなら師を一発ぶん殴ってやりたい気持ちで一杯だった。


 言うまでもなく、勝算があると踏んでアグリッピナはエーリヒを戦地へ放り込んだのであろう。されど、勝算があるのと死の危険が低いのは別問題なのだ。


 こうしていると、半妖精の内側に未熟な頃たしかに存在し、それは愛することではないと捨てることにした想いの一つが再起してしまう。


 兄を危険から遠ざけ、自分で包み、一切の……〝エリザの考える危難〟から遠ざける夢想が。


 脳裏に浮かぶのは、知らない筈なのに知っている光景。稜線の向こうに被ろうとしている目映い夕焼けと、昇りきらない月の光が混じり合い形容しがたい紫に染まった丘の上。


 兄と手を取り、誰からも邪魔されることなく延々と踊る自分の姿。その内に何処かに離宮を建てて、大きな寝台から降ろさぬように生活をさせる。


 余人を一切寄せ付けず、干渉するのもされるのも己のみ。彼の目に映るのは自分だけで、自分の目が映すのも彼だけ。


 これを甘やかだと、甘美だと囀る脳の奥へ〝香気〟に由来する沈静術式を叩き込んで黙らせた。首筋に微かに塗布した香水は、いつでも魔力を流せば術式に変ずる触媒でもあるのだ。


 揺れる弟子を見て、師は此方にも飴をやらねば限界かと判断する。


 「明日、向こうに行くから同行なさい。宿泊の準備もね」


 「え? はい、何泊なさいますか?」


 「私のはいいわ。顔を出したら帝都に戻るから、貴方の分だけよ。温泉くらいは浸かっていくかもしれないけれど」


 貴族としての教育が行き届いているからか、間抜けが疑問の声は上がらなかった。


 休暇をあげるから三年分たっぷり甘えてきなさい、という師の言葉に、ぶわりと大量の魔力が湧き上がってまた髪が揺らめいた…………。












【Tips】魔導師の弟子は工房に立ち入れる従僕という側面もあるが、生活に余人が介入することを嫌って全て魔法で自活する者も珍しくない。

祝! ダイス付き限定版発売決定!

D6が2個とマルギットダイストレー付属の限定版が出ます。

宿願が一つ叶いました!!

詳細はTwitterかオーバーラップ公式STOREにて!!


※エーリヒが1の出目になっていますが、ダイスに呪いなどは掛かっていません。

 これを判定に用いたことで経験点が50溜まったとか大惨事表を振らされたとか、記憶喪失したことへの因果関係は一切ございません。全て使用者のリアルラックに依る物だとご理解下さい。

 免責事項をお読みの上、判定してください。

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[良い点] エーリヒダイスは草 [一言] リアルラック(呪い)
[一言] エーリヒが1の出目……
[一言] 経験点がB職レベル1分まで稼げてPCが死なない程度にファンブルできる魔法の賽があると聞いて!!! ...実際に振ったら即死しそう...
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