表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
236/298

青年期 十八歳の晩春 八四

 酷く無機質な部屋があった。


 外界からの干渉を遮断するため、複雑な術式陣が縦横に刻印された魔導合金によって構成される立方体は、狭苦しいとはいえぬ大きさがあるだけ却って空虚で冷たく映る。


 窓も壁も、入り口すらもない、部屋と呼ぶのに抵抗を覚える部屋は地下の大深度に構築されていた。魔導院とも異なる、持ち主以外誰も知らない地の底。大地にまつわる神格が怒りを示さぬギリギリの深みに設けられた部屋の中で、一人の人間が目を覚ました。


 『……ここは』


 部屋の中には魔導に依って駆動する大量の機械が詰め込まれていた。斯様な部屋の中で目が覚めた彼は、自分の状況を認識して驚愕する。


 体の殆ど、生命維持に必要とされる頭部と胸部の一部を除き、全ての部品が切除されていたのだ。体中に何らかの魔法を発動させる呪符と管がベタベタと張り巡らされ、生存に必要な要素が辛うじて供給されている。


 根元だけが残された腕に引っ掛けられた金具で、粘度の強い液体が満ちる金属の筒に封じ込められていた人物は、記憶を漁り何があったのかを探ると同時、肉体に常駐させた術式を起動させようと魔力を回す。


 しかし、その全てが何処かへ吸われ、本来行き渡らせたかった術式へ届かなかった。


 「お目覚め? 具合はどうかしら?」


 『……ウビオルム卿』


 金属の筒、その一部がズレて外界が露わになる。胴と頭以外を切り落とされた無惨な〝標本〟の前に、作業用なのか袖などを細く絞った上品な服を纏ったアグリッピナ・フォン・ウビオルムが立っていた。


 周囲には資料を貼り付けた用箋挟みが滞空し、視線をくれていないのに虚空へ浮いた筆記具が書き付けをしている。術式と計算の連続は、これから行使されるであろう何かへの不穏さを予見させた。


 「さてと、お別れの前に一つお話ししておこうと思ってね。ほら、実際に使ったことがある人間の意見を拾っていくのが、新技術の開発と発展には必要だというじゃない?」


 『ならば、聞く相手に相応の礼は尽くすべきだと愚考するがね』


 標本として貼り付けられている元教授、ラケーテハイムのリアンは精一杯の虚勢を張りつつ、何をする気かと思索を巡らせる。


 彼が失ってしまった分かち難き同胞と共有していた肉体は、元々彼の肉体であったが、それは魔導の粋を尽くした改造によって殆ど別物と化している。並列化した心臓、頭が潰れても思考を続け再生術式を練られるよう腹腔に隠した副脳、握り拳ほどの大きさで排泄する必要もない消化と栄養の抽出を行う消化器など、肉体は完全にヒト種の枠から外れている。


 脳すらも三人の魂の同居に耐えられるよう構造を弄ったことで、彼は人間には理解できぬ空虚感と孤独感に苛まれているが、思考だけは明晰だった。


 この〝筐体〟に魔導的な学術的価値があることは否定しない。学派には秘匿した研究を多く採用していることもあり、落日派の魔導師であれば誰もが喜んで腑分けを行いリアン・アンリ・マーガレット・シュマイツァー卿が見出した秘匿を暴き出そうと躍起になるだろう。


 だが、アレは払暁派だ。肉体を弄るよりも合理的な魔導によって本懐を果たすことに重きを置く進歩主義者である以上、一人の肉体構造へ完璧に寄り添って調整せねば成立しない汎用性の低い魔導への興味は薄かろう。


 かといって、伯爵という政治的な立場からの捕縛とも考えにくい。如何に彼の肉体が戒めねば恐ろしい戦闘力を持つとはいえ、払暁派の戦闘魔導師と名乗れるような傑物と殴り合ってどうこうできる性能ではないと分からぬ道理もなし。


 戦闘用に調整した動死体を前に置き、後ろから支援するのがシュマイツァー卿本来の戦闘方針だ。荒事にも独力で対応する魔導師の前では無力に等しい相手にここまでする意図が読めぬ。


 かといって政治的な札として確保しようとしているとも思いがたい。無力化したいならば肉体の改造に長ける魔導師を呼び出し、全く無力な肉体に詰め替えてしまえば済む話。


 高貴な人間の前に突き出すにしては、あまりに凄惨すぎる。貴族達は命令することによって手を血で汚すことに何ら躊躇いを覚えはするまいが、目の前に突き出されるのは嫌う。塩漬けの首程度ならまだしも、管まみれの上半身だらけなど持っていっても顰蹙を買うだけであろうに。


 ならば、この仕儀は何故。


 「例の魔導炉なんだけど、やっぱり魔導師数人分の出力を出せるだけあって結構不安定なのよね。内側に封鎖した術式の制御が完全自動だと、急な出力上限や大きな揺れなんかの物理的影響で危うくなるのは使っていたら分かるでしょう?」


 『……ああ。だからこそ難儀して管制にかかりきりになった』


 閉鎖循環魔導炉、一種の疑似永久機関たる新型炉は平均的な魔導師の魔力三から五人分といった規格外の魔力を常時供給できる、従来の炉を置き去りにする性能を持つが、性能に正比例した扱いの難しさを持つ。


 寝起きはすこぶる悪いのに、目覚めたら溢れる魔力を常時使用し続けないと外殻が破損する危険があり、壊れたならば内側の歪んだ法則が漏れ出ることにより都市単位の破壊が巻き起こされる。


 その上、不機嫌な赤子のようにちょっとした環境の変化で暴れ出すのだ。一日中休まず大魔力を供給できるといえば聞こえは良いが、建造費と教授級の人間が付きっきりでなければ危なっかしくて安定運用できぬ性能には不安が大きすぎる。


 だからこそ航空艦事業の準備会も、仮に何かあっても仕方がないで済ませられる辺境にて稼働実験を行おうとしたのだ。辺境の国境監視名目で置いた監視塔であれば、盛大に臨界事故を起こしてもマルスハム辺境伯が隣接する衛星諸国に報告書を一つ送れば全て片付く。国家間の力関係からして、皇帝ではなく辺境伯からの、それも詫び状である必要すらないなら策定地とするのも頷けた。


 奪われても敵側に優秀な教授格の魔導師がいなければ、放置するだけで〝技術保護(爆破処分)〟が適うならば尚更だ。


 まぁ、今回は運が悪かったため、アグリッピナが態々出張ることになったのだが。


 「それを解決する方法は色々考えてて、今使ってるのとは別の制御術式を増設しようかなと思っていたのだけど、予算が掛かり過ぎる上に嵩が何倍にも増してしまうのよね。流石に量産の許可が下りない値段と実用性になってしまったら本末転倒でしょう?」


 『そもそも、私としてコレを量産するのは狂気の沙汰だと思うが』


 「あらそう? でも、炉を都市に据え置けば、それだけで幾つもの機械がより低費用で動かせるから魅力的じゃない? 川がない所でも製粉所が安定して、鉄工の効率も上がる。帝国としてはいいことだらけよ」


 『こんなもの、制御にしくじれば途端に吹き飛ぶのだぞ!? それを飛ばすだけでも正気を疑うというのに、よもや都市圏に置くというのか!?』


 技術者としての魂の叫びを軽く聞き逃しつつ、アグリッピナは紙に書いた術式に魔力を流して空中に描きだしてペタペタと貼り付けていく。幾重もの術式陣がリアンを収めた金属筒の周りを派手に彩っていき、やがて長命種の膨大な魔力が引き出されていくのが分かる。


 「現状では危なっかしくてやれないわよ。だから、安価に済ませるため〝炉自身〟に自らの面倒を見て貰おうと思ってね」


 『ま、待て、卿……! その術式陣は! せ、精神魔法の!!』


 「ああ、これもご存じなの? ええ、ご賢察どおり。禁忌中の禁忌の一つ……自己複製。愚かな定命が命の定めを捨て去ろうとして模索し、諦めたものの一つよ」


 何時の時代も人間は死を怖れ、寿命を持つ種族はそれを取り払おうと様々な愚行に手を染めた。神代においては吸血種の祖が神から不死を詐取し、魔法を扱う者達は魔法の極地に夢を見た。


 アグリッピナが展開した術式は、精神に作用する魔法の中でも最も悪辣なものの一つ。新しい肉体に、あるいは作り出した肉体に自分の〝個我を転写する〟ことで定命から抜け出そうとする技術。


 『正気か貴様!? そんなもの、そんな失敗作で何を……!!』


 しかし、これは屍戯卿の残骸が言うとおり失敗に終わった。魂とは脆く、肉体から取り出すだけで変質し、新しい器に馴染んではくれない。リアン・アンリ・マーガレット・シュマイツァー卿の成功は極めて例外的なもので、魂の移譲ですら惹かれ合う三つの魂が相互に補完し合っていたからこそ成功したものであって、あまりの特異性に誰も真似などしようとしてこなかった。


 動死体でさえ、魂を肉体に合致させるという別人格に造り替えるに等しい施術の末にやっと動いているというのに。


 まだ落日派の魔導師が試みている、脳髄ごと別の肉体に載せ替える方が実現性が高い、諦められて久しい技術の残滓。その煌めきに翻弄されつつ、彼は自分の肉体がぼやけていくのが分かった。


 「一つの肉体……頭が三つあるならまだしも、一つの脳しか持たぬ身に魂を三つも同居させるなんていう狂気の沙汰をやった貴方に狂っていると言われたなら、きっと私はこの世の誰よりも正気なのでしょうね。ありがとう、シュマイツァー卿」


 『よ、よせ! 何を……! わ、私に何をする……!?』


 「貴方の魂は、他の物をへばり付かせるのにもへばり付くのにも慣れているでしょう? だから、淡々と物に張り付いて自分の機嫌を見させるのに丁度良さそうだから使わせて貰うわ。私の手を患わせた詫びとでも思って納得してちょうだい」


 刹那、人の魂と肉体を数えきれぬ程玩弄してきた魔導師の頭が、何をされようとしているのかを理解してしまった。


 この女は、魔導炉に管制人格を搭載しようとしているのだ。


 自己を保全し、運用し、ただ破綻せぬよう維持するだけの機構を改造した魂に担わせようとしている。


 動死体を操る術を〝完全な無機物〟に援用するという狂気。


 あろうことか、それを多々行ってきた魔導師の魂を基礎において。


 魂が肉体から引き剥がされ、複製されながら無機物へ転写され、同時に精神を操る術式が変質させていく。魔力はあっても焦点具のない肉体ではいかなる術式をも操ることはできず、常駐式も空回りしただ刻まれた陣に魔力が供給されて効果を発揮し続けるばかり。


 『ふざっ、巫山戯るな……! こんなっ、こんなっ……これでは、私が増え続ける! 死ねず、逝ってしまった二人にも会えない〝たくさんのわたし〟が増えてしまう!!』


 「ええ、でしょうね。安心なさいな、淡々と命令を熟せるよう設計をしたし、機能に破綻を来したら臨界しないよう炉を停止させる条件術式も刻んだから、嫌になったからって爆発したりできないようにしてあるわ」


 『いやだっ! やめっ、やめてくれ! これは、これを(むご)いと思わないのか!? これじゃ、これじゃ……』


 「別に? 貴方達も大概のことをしてきたでしょう?」


 炉に移された魂は自我を残しながらも、ただ精神魔法の命令によって動かされることとなる。普通であれば大量の魔力を必要とする精神を弄る魔法も自分が捻出する魔力にて賄うことができ、炉が停止することがあれば魂を寝かせることで無力化。


 あとは再起動した後に同じ仕事をさせるだけの無間地獄ができあがる。これから解き放たれるのは、炉が完全に再建できぬほど破壊された時のみ。


 「ああ、そうだ……炉の名前が長いと各方面から不評だったのよね」


 『ぐっ……あっ、ああ、嫌だっ、魂がっ、剥がれ、いや、〝増えている〟……!? 私が、私の隣に私が……!?』


 『私は、私なのか!? どれが、いや、本物とは!?』


 魂は古い肉体にへばり付こうとするが、絡みつく術式が繋がりを断っていくのを止められない。握力が失せて指が一本一本離れていくように魂と肉体の結びつきが緩んでゆく。


 「かといって、研究会の面子が提案したアグリッピナ・ハーツ(駆動機構)なんて、万一臨界して色々吹き飛ばした時に人聞きが悪いでしょう? 私が失敗した訳じゃなくて、どっかの馬鹿が変な使い方して起きた事故の報告書に自分の名前が何度も上がるなんて縁起でもないわ」


 『止めて! 止めてくれ! 私を、私を複製してコレに貼り付ける!? 孤独になった私が、何百も……!? お願いだ! 耐えられない!!』


 『いやだ! お願いだ! せめて、殺してくれ! 二人と同じように、お願いだ!!』


 悲鳴も悲嘆も聞こえないようにアグリッピナは自分の考えを整理する言葉を並べ続ける。ただ確かめるように並べられる言葉には感情が滲んでいなかった。


 いや、事実としてこれはもう独り言なのだ。薄柳と紺碧の目には、自分の事業を効率的に運ばせるための〝部品〟しか映っていない。


 「リアン炉……それでいいわ。短いし語感も悪くないしね。由来を聞かれたどうしようかしら」


 『あっ、あぁ……! あぁぁぁぁぁぁ!?』


 術式が臨界に達し、金属筒の周囲に刻印されると共に合金の部屋に響き渡った悲鳴は誰の耳に届くこともなく消えていく。


 残されるのは魂の負荷に耐えかねて気絶した原本と、炉に組み込まれる予定の小さな小さな金属の立方体一つ。


 魂の複製を収めるにはちっぽけすぎる、サイコロと同じ大きさの立方体を拾い上げて魔導師は嗤った。


 サイコロに魂を込める、なんて放流した丁稚みたいな物言いだと思いながら。


 「さて、あとはこれを技研に持ち込んでお終いと……一個あれば孫複製でも平気だろうけど、暫くは原本から写して様子見ね。管制術式に魔力を回したら、出力がどれくらい落ちるかしら」


 試算の上では許容範囲だけど、こればっかりは動かしてみないとね、などと呟く魔導師の言葉には一つの魂を地獄より尚酷い〝孤独〟へと永遠に放り込んだ感慨は見られなかった。


 ただ淡々と、己の実験への興味だけがある。


 これが完成すれば、手間が大きく省けるのだ。さすれば時間の捻出が適い、愛しき自堕落な文字に溺れる日々を少しなりとも取り戻すことができる。


 「あー、肉狂い共との折衝はどうしようかしら。お前らが放っておいたからこうなったのよ、と突っつけば色々引っ張り出せそうだけど……」


 手の中で複製された魂の収まった立方体を弄びつつ、魔導師は<空間遷移>の門を開いた。物理的に出入り口が存在せず、座標を知らなければ探しようがない深い深い棺桶と化した部屋に存在する唯一の出入り口へ。


 今頃、配下は温泉に浸かってのんびりしていることだろう。自分も休暇を取ってのんびり書庫浸りがしたいなと思いながら、アグリッピナはノルトシュタットに借り受けた一室へと飛ぶ。


 それにそろそろ、兄様達は無事なのかと五月蠅い弟子が限界に達するだろうから、其方への対応もしなければならなかった…………。












【Tips】魂の転写。かつて考えられ、失敗していった計上不能な不老不死に至る挑戦の一つ。全く別の体に魂が耐えられず、また自我の連続性が保てなかったことにより完全な失敗として忘れ去られて久しい。


 それを応用した魂の複写など、以ての外である。よしんば成功したところで、古びた肉体に残される魂がどうやって安息を得るというのだろう。 

後回しになっていた、残った一人の後始末。

AIを作るのが大変だから、人間を利用したろ! という簡単な理屈。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=219242288&s
― 新着の感想 ―
一瞬でも「サイコ炉」というどうしょうもないダジャレが思い浮かんでしまった私を許してくださいお願いします。
リアン炉だからリアクター……ってこと!?
コ…コロ…シテ………
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ