青年期 十八歳の晩春 八一
脳が興奮を促す物質を分泌しまくっているおかげか、それとも必要に応じて取得した<苦痛耐性>が仕事をしているおかげか、四肢の内二本――約五年ぶり二回目――を失う大怪我をした割には動けている。
さりとて肉体の二〇%以上。体重にして一五kgちょっとを失った計算なので、平衡感覚が狂っていて上手く歩けているとはいえないが。戦闘時の高揚によって動いていた肉体も、終わってしまえばこんなものか。
「ああ、分かった、分かった、悪かったよ。私が悪かった。だから静かにしてくれ」
この怪我に誰より抗議しているのは、カーヤ嬢から手当を受けているマルギット……ではなく、頭が割れそうな声量のせいで、最早曖昧な意味さえ掴むことが難しくなった〝渇望の剣〟であった。
どうやらコレ的に盾として運用されたこと。そして何より、ここ一番といった場面で急に蚊帳の外へ放り捨てられたことで相当にご立腹のようである。
また、担い手である私が相応しい力量を失ったら、どうしてくれるのだという謎の怒りも含まれていた。
とはいえなぁ、あの場面で二択を取ったら、ああせざるを得なかったことを理解して欲しい。放っておけばマルギットが目の前で殺されており、自分を庇えていたとして精神的な均衡が保てていたか大いに妖しいのだ。
私はどちらかと言えば理性的に刃を振るう剣士なので、激情に駆られれば剣筋が乱れて<概念破断>が働かなかったかもしれない。怒りによって強くなるのは黄金の展開ではあるけれど、何にでも例外はあるとご理解いただきたいね。
何? だったら呼べば直ぐ駆けつけた? ああ、そういえばコレは捨てても戻ってくる系の呪いのアイテムだったな。しかし、土壇場だけあって手が慣れた得物を求め、殆ど思考を挟まず〝送り狼〟を手にしてしまったのだからしょうがないじゃないか。
私の思考を読み取ったらしく、更に荒れる思念を抑えることは難しいと判断し、もういいやと意識の外へほっぽり出すことにした。どっちがよりしっくりくる手足の延長か、と無機物同士で頂上決戦ができる訳でもなし。頭が痛いのを我慢すれば実質無害だ。
体の持ち主以上に体に拘る剣に悩まされながらも、鼻血が出るほどギリギリの魔力を絞って右膝の断面から<見えざる手>を伸ばして足の代わりに姿勢を保ち、残った数本の腕で瓦礫を押しのける。
殆ど家具がなかったと思しき居間の跡地に地下室の扉が残っていた。ここだけは破られてはならぬと魔法で物理的に強化してあるものの、これも<概念破断>の前では無力だ。
「まだ敵がいるかもしれんから、少し静かにしてくれるかな」
まだまだ言いたいこと――尤も理解できないが――がありそうな渇望の剣を術式にねじ込んで切断し、施錠も強化も破壊してご開帳っと。
「って、梯子か……気が利かねえなぁ」
現在進行形で手足が不自由な人間には不親切な仕組みに難儀させられる。飛び降りたら、折角カーヤ嬢謹製の魔法薬で塞いだ傷が開きかねん。戦闘中に吸い込んだ分や、ここ直近で服用した分を考えると過剰摂取に近い状態なので、二杯三杯と続けて飲めないから安全に行こう。
「お邪魔しますよ」
軽く部屋全体を<見えざる手>で探り、罠がないことを確認して地下室へと降りた。恐らく、作業を邪魔しないために攻性の防御術式を張っていなかったのだろう。或いは、それを用意する余力すらなかったか。
命令を受けていないためか突っ立っている動死体二体――身なりからして整備用――の首を軽く刎ね飛ばして、部屋の中央に鎮座する水槽へと歩み寄る。
巨大な長方形の水槽。透き通った緑色の溶液には一人の人間が浸かっていた。
『……歓迎するよ。弟子達と……友が世話になったね』
整った容姿を人形のようと形容することがあるが、悪い意味で人形のような人物が浮かんでいる。見栄えは良いのだが、生物である最低限の要素、つまり繁殖のための器官を全て取っ払った平坦な肉体にくっついた頭には、美形の要素をただ集めてきただけといった無機質な顔が張り付いている。
ハリウッド俳優百人の平均顔を作ったなら、こんな具合かというぼやけた美貌の教授に対し、私は一応の礼儀として腰を折った。
「リアン・アンリ・マーガレット・シュマイツァー卿とお見受けいたします」
『……悪いが、その人物は死んだよ。つい先刻、君に殺されて。私はその残骸。強いて名乗るならばラケーテハイムのリアンだ』
培養液の中で口も動かさず思念の言語を伝えるシュマイツァー卿は、三つ重ねた魂の二つを失って抜け殻のような無気力さを醸していた。
そこにはもう、肉体を分かち合ってまで別れを拒む友を殺された激情も、嘆きすら感じられぬ。
人が壊れればここまで空虚になるのかと、空恐ろしくなるほどの虚無が横たわっていた。
『さて……君は誰からの刺客かな。我が友人達は古巣を疑っていたが、私は私達から直接迷惑を被った人物からだと考えていたのだけれど』
ご賢察、とは口にせず頭の中に留めておいた。ネタばらしは私の仕事ではないからだ。
部屋の中を見渡して、水槽の中に溶液を供給していると思しき機械を見つけた。複雑な機械ではなく、幾本かの配管とバルブでだけ制御される簡単な機構は制御用の動死体だけでも維持できるように設計したからか。
とりあえず、無駄話をしている間に復活されても困るので、溶液を供給しているであろうバルブを全部閉めてやった。弟子への配慮かご丁寧にバルブに附票がくっついていたのが徒になったな。
『残念だ。無駄話に付き合ってくれれば、水槽から出られるまで肉体が修復する時間を稼げたかと思ったのだけれど』
「その様で、まだ戦うつもりでいらしたか。闘志は疎か、生きて行く意思すら感じられぬ伽藍堂の有様だというに」
『覚えておくといい。復讐には動機や意志など要らないこともある。私にとって全てを奪っていった君を憎いと感じる余地すらないが、肉体が動けば君を問題なく殺しただろう。残された機能といえば、それくらいのものだ。復讐とはつまり、そういう行為なのだよ』
もう、疲れてしまった。そう呟いたきり黙ったシュマイツァー卿を見下ろしつつ、そういえばもう逆探知を食らう必要がないので思念を飛ばしてもよいのかと思い、アグリッピナ氏に<声送り>の術式を飛ばした。
『はいはい、ご苦労様』
心配するまでもなく、私の背中から伸びる差し金を弄っている御仁は深夜でも起きていた。趣味で睡眠を取ることがある彼女でも、自分が命じた作戦行動中くらいは手を空けておく配慮をしてくれていたか。
「万事、ご命令通りに片付きました。現在、シュマイツァー卿を確保しておりますが、如何いたしましょう?」
『そう、頑張ったじゃない。こっちも厄介なのが片付いた所よ。直ぐ行くわ』
片付いた? と首を傾げていると、地下室に<空間遷移>の口が開きアグリッピナ氏が凄まじい気楽さで現れた。それこそ有事に備えてか魔導師のローブと杖を携えた姿であったが、勝手口から裏庭に涼みにやって来たような気軽な調子で。
「シュマイツァー卿、お初にお目に掛かりますわね。魔導を通して長く語らった仲ですので、初見のような気はしませんけれど」
『……なるほど、卿かウビオルム伯。そうか、そうか、それは確かに嫌な時制で寄せてくる筈だ。ここ暫くは、奪った彼の魔導炉で卿とは常に繋がっていたようなものだからな』
「それもつい先刻、全て掌握させていただきましたけどね。炉からの供給が断たれてどんな具合で?」
『こっちに来てずっと頼り切りだったのでね。今にも魔力欠乏で卒倒しそうだよ』
「あらあら、それはそれはお可哀想に。そんな薬液ではなく、どこかの保養地で温泉にでも漬かられては如何かしら?」
『私もできるならそうしたいものだ。卿と、その隣の小僧の首が乗った銀盆でも肴にあれば、温泉に漬かりながらの酒もさぞ美味かったろうに』
あはは、うふふ、とこれぞ貴族でございといった毒を混ぜたやりとりをする二人。
どうやらアグリッピナ氏は私達が死にかけている間に魔導戦を仕掛け、奪われた閉鎖循環式魔導炉の制御を取り戻したようだ。自分でぶち殺しにいかなかったのは、単に手間だったのもあるが魔導戦に裂く処理能力を奪いたかったからだったのか。
魔導炉も取り返し、悩みの種であったシュマイツァー卿も掌中に収めたとあれば、彼女の辺境での問題は反乱が終わっていないことくらい。
だが、それも直に落ち着いてくるだろう。
土豪勢力は会戦に備えて戦力を温存するために動死体を活用していたが、制御していたシュマイツァー卿が倒れれば維持もままならぬ。各地に散った彼の弟子がどれだけ努力したところで、数万体の動死体なんぞ魔導炉からの魔力供給が途絶えれば維持などできぬ。
機能を絞った動死体とて、一人で維持できるのは無理をして数十体。一切の制御を投げ出した、満たせぬ飢えだけで動く動死体でも数百が限度とあれば、戦略の転換は避けられまい。
むしろ、頼り切りであったノルトシュタットの攻囲などから察するに、重要地点に惜しげもなく注いでいたことから戦略の根本が破綻しかねないであろう。
さすれば辺境伯軍も盛り返すはずだ。後は相手が望まぬ時期と場所で会戦に引き摺り出し、一撃で吹き飛ばして元通りの筋書きが綴られると。
ああ、もう、ほんとヒデぇシナリオだったな……。
「さて、積もる話もありますが、ここでは何ですので余所でお伺いいたしましょうか。特別な場所を仕立てさせていただきましたので」
『待て、この残骸にこれ以上何を……』
ぱちん、と指が一つ鳴り、薄汚い地下室から〝生命維持装置らしい機械諸共〟にシュマイツァー卿は姿を消した。
何処へ飛ばされたかは知らんが、平穏には終わらせて貰えんだろうな。連絡が取れないなら、万一にも復活されては困るので首を刎ねてやるつもりだったのだが。
最期の最期まで運が悪い連中だ。
私の熟練度稼ぎがあと少し間に合っていなければ。ミカが此方に飛ばされていなければ。そして、アグリッピナ氏が敵でなかったなら。
大勝利、とまではいかずとも帝国政府から譲歩くらい引き出せたやもしれぬのに。
そして、アグリッピナ氏がお手隙でなければ、先に行った友人達の黄泉路に付き合えたやもしれん。
一仕事片付いたと凝りもしない肩をグルグル回していた彼女は、ややあって私に向きなおり、久方ぶりの、しかし実に見慣れた外連味しかない笑みを浮かべた。
「しっかしまぁ、酷いザマね」
「終わって第一声がそれですか」
「これでも労ってるつもりよ。あーあ、綺麗にぶった切られちゃって」
ゆったりした歩調で歩み寄って来た彼女は、軽く腰を屈めて右腕の断面を眺める。微かに血が滲む焼き切れた傷口表面を指が撫で、ふぅんと呟いた。
「なる程、光の収束に依る光速で高温の攻撃ね。よかったわね、熱で体が煮えなくて」
「ものの一瞬で焼き切られたものですから、熱が伝わる間もなかったのでしょう」
ちょっと傷口を見ただけで原理を当ててみせるのは、やっぱり教授様といった感じだな。私の感覚で三年と言えば長いが、やはり長命種にとっては変わるのにも褪せるのにも値しない短い時間でしかない。政治に没頭して魔導の腕が鈍る、なんて醜態は今後拝めることはなかろう。
「知らなければ恐ろしい種だけど、分かったら対策のしようはあるわね。光を概念的に操って反射するか、もっと簡単なら乱反射させて霧散してしまえば威力も落ちるでしょうし……」
仕えていた時と変わらぬ鋭さを保った長命種は、考察を巡らせながらも指先についた血をどうしようか悩んでいるようだった。
ああ、貴人は男性以外だとあまり手巾を持ち歩かないからな。大貴族として複数の従僕を使うようになると、尚更服の形を崩さぬため物を持ち歩かなくなる。黙っていても拭ってくれる人員がいないのを意識していなかったか。
腰の物入れに手巾が入っていたなと残った手で漁ろうとしていると、彼女はまぁいいかとでも言いたげな仕草で血濡れた指を口元へ運び、舌先で舐め取ってしまった。
それから、やや難しそうな顔をして仰るのだ。
「貴方、あんまり魔力量増えてないわね。相変わらず不思議な育ち方をして」
「……お口に合いませんでしたかね?」
「もう少し脂気が多い方が好みかしら。血の腸詰にするには薄すぎるわね。精進なさい」
もう何と返せばいいかも分からなかったので冗談を口にしてみれば、それを上回るエグい冗談が返ってきたので、やっぱり私はこの人には勝てんのだなと痛感した。
さて、人生の命題の一つでもある、いつかギャフンと言わせてやる目標が果たせるのはいつになるやら。どうにもゴールテープが那由他の彼方に張られている気がしてならなかった。
「ま、その脂気をこれ以上抜いても何だし、さっさと戻るとしましょうか」
「送っていただけるので?」
「満身創痍も良いところの貴方達に歩いて帰れなんて酷なことは言わないわよ。それに、派手に始めたものだから、方々から大勢集まってきてるみたいだし」
このまま残ってなぶり殺しにされたいの? とは笑えない質問である。
ミカがフローキから離脱した時点で盆地を囲んでいた有刺鉄線は、不思議な力の殆どを失いただの障害物になり果てていた。大事な戦力である死霊術師が襲われているとあれば、押っ取り刀で駆けつけてくる土豪達も難儀はするが乗り越えてくるだろう。
この状態で敵の包囲と追撃を抜いて生還できる見込みは薄すぎる。
ま、その辺の後始末を丁寧にやってくれると分かっていたからこそ、私は仲間を誘って無茶な冒険に出たのだ。
「しかし、こうもボロボロだと少し予定を繰り上げないといけないわねぇ」
「我々がご期待に添えない実力しか持ち合わせていなかったと?」
「真逆。今、遠見で見てるけど中々凄いの作ってたわね。四つ足の無様なのは別の戦場で暴れていたから知っていたけど、あんな戦闘魔導師とも正面切ってやり合えそうな物が実用段階に至っているとは思ってなかったわ」
これは、ちょっと余裕こきすぎてたわね、と仰って彼女は<空間遷移>の門を開いた。
では、きっちり報酬を受け取ろうじゃないか…………。
【Tips】生きてお家に帰るまでが冒険である。
更新告知を忘れていたため、久し振りのサプライズ更新です。




