青年期 十八歳の晩春 七七
かつては膿と腐汁で濁りきっていた培養液は、透き通る淡い緑色を取り戻し、その中で肉体が一つ揺蕩っていた。
外見上はヒト種に見える肉体は、その実様々な種族の〝部品〟を組み合わせて合理的に再設計された、新たな人種とも呼べる高度な代物。
乳白の見るからに柔らかそうな皮膚の下には、巨鬼の物を参考にした積層の合金皮膚が存在しており、喩え騎士殺しと言われる弩を接射しても貫通することのない頑丈さと柔軟さを併せ持ち、すらりと長く整った五体を支える骨格は堅牢極まる魔導合金に置換され、鐘楼に押し潰されようともびくともしない頑強性を有する。
腹腔に納めた内臓は長命種の構造を流用しており、並列した小型の魔導炉によって魔力を供給することで同等の働きをもたらしていた。
しかし、それは全て肉体が万全であればの話である。
外見だけは修復が終わった体は、その実未だに不完全なままであった。
細胞の賦活が終わっておらず、各所の接合が終わっていない場所もあれば、肉が緩んだままの部位も多い。とてもではないが地上の重力には耐えきれず、培養液から出してしまえば蒸し方の足りない蒸し菓子のように崩れてしまうであろう。
全ては一度、肉体を強引に再構築して〝消せぬ炎〟を体の内に取り込み、鎮火しきるまでの長時間を耐えきったことが原因である。
耐えるだけであれば、障壁ではなく自己改造によって生命を守ろうとする落日派でも指折りの教授が斯様な有様になろう筈がない。仮に恒星に近い熱量を照射されたところで、頑強性と再生能力によってねじ伏せていたであろう。
しかし、天幕の内にいた上級の指揮官を守るため肉体を強引に変異させて彼等を庇った挙げ句、魔力を殆ど別のことに割いて全力の三割も出せない状況ならば話が違う。
さりとて、天幕の内にいた者達は実質的に此度の戦の主導をする立場に近く、今後の計画や士気のことを考えると斬り捨てることはできなかった。
反乱が上手くいけば、それでよし。しくじったとても彼等のそっ首を刎ねて帝国への手土産とし、反乱を瓦解させるため潜り込んでいたと言い張ることも計画していた駒を失う訳にはいかなかったからだ。
献身が認められるかは、彼にとってどうでもいいことだった。言うことは立派であるが、本当に今際の際になるまで立ち上がることさえ満足にできなかった田舎の土豪風情からの評価など、ただでさえ興味がない社交界の風聞より価値がない。
肉体の再生も進んでおり、もう暫くすれば培養槽から出られる状況にあったというのに。
美しく整いながらも、恐ろしくなるくらいに人間味が薄い美貌。それも性別を感じさせる要素がなく、ただ整った形だけを追求した、ある種の人形めいた不気味さがある頭の中に収まる〝者達〟は状況を俯瞰し、自分達が詰みかかっていることを認識する。
培養槽に揺蕩う肉体の名は、リアン・アンリ・マーガレット・シュマイツァー卿であるものの、それは厳密には一個人ではなかった。
〝三つの魂が一つの肉体に合一させる〟外法中の外法によって成立する、三つの自我と記憶が一人の肉体に収まった存在。それがシュマイツァー卿だ。
元々シュマイツァー卿はラケーテハイムのリアン、アンリ・フォン・シュレスヴィヒ、そしてマーガレット・エルギンという三人の種族すら異なる別個人であった。
莫逆の友であった三人は、とある不幸によって二人が失われかけた時、分かたれず済む方法として〝魂の移譲〟を選んだ。生き残った一人が肉体を無理矢理改造し、三人の魂の容れ物として成立するように改造したのである。
結果的にそれは成功し、優れた三人の魔導師を取り込んだ一つの肉体は魔導院にて栄達を遂げ、シュマイツァー卿として振る舞うようになる。
己の手足、いいや魂の一部といっていい相手を失いかけた三人は、次第に〝死による別離〟を恐れるようになり、遂には〝死のない世界〟を欲して研究目標に据えた。この世界に巻き起こされる悲劇の殆どは、死によって引き起こされると分かった彼等にとって〝斯くあるべし〟と定めた世界こそが敵となったのである。
死を持たない存在は、大凡この世界の内側に存在しない。生物的に最高峰といえる長命種も殺せば死ぬし、かつては世界を席巻した巨人達も彼等だけが罹患する病によって霜の大霊峰へ追いやられて数を減らし、最も完成した〝個〟である竜ですら、生に飽いて自死を選ぶことがある。
極めつけには、この世界を運行する数多の神々でさえ〝殺すことができる〟と知った彼等は、そんな不完全な存在によって作られ、営みを続けられる世界を〝狂った不完全な世界〟であると認識した。
今、外で暴れている金髪が聞けば「反宇宙的二元論を拗らせやがって」と唾の一つも吐きそうな理論は、されど彼等の中では真理であった。
故に彼等は自身の信仰に基づいて研鑽を続ける内、世界を不正に改竄する魔導師であれば受け取ることはないと思っていた〝神託〟を受け取ることとなる。
それが如何様な神かを彼等が公に語ることはなく、弟子達にも曖昧な理屈を語るのみであったが、重要なのは彼等が世界の在り方に反旗を翻し後援を受けたこと。
故にシュマイツァー卿を構成する三つの魂は、死によって分かたれることのない世界を作るべく非道や外道と蔑まれることを覚悟して進んできた。
だが、それが今や破綻しようとしている。
帝国から放逐されたのは、本当に運が悪かったとしか言えない。そして、理想を潰えさせぬため身を窶す場所が、この程度の土豪しかいなかったことも不運であった。
彼等の怨敵であるリヒャルトの連枝に一泡吹かせること。そして上手くいったならば、研究成果である〝不老の肉体〟に魂を移すことを報償としてチラつかされただけで簡単に転ぶ俗物達の中に入っていくのは不愉快以外の何者でもない。
だが、これだけの艱苦に耐えつつも、迎えようとしているのは決定的な破綻であった。
外の魔導波長を観察すると、護衛として配していた虎嬢は破壊され、通常の歩卒型動死体も壊滅。そして、決死の覚悟で挺身し自らの魂を虎嬢に移した弟子も倒されようとしている。
彼は頑張っているが、最早保つまい。魂一つでは、肉体に納めた膨大な術式を管制することは能わぬ。本来ならば恒常的に張り巡らせる抗物理結界も干渉してくる魔導を散らす抗魔導結界も機能しておらず、攻撃と同時に移動する基本動作すら覚束ないのだから無理もない。
むしろ、辛うじてであっても三頭立ての馬車を一頭で動かすに等しいことを成せていたのが奇跡といえる。教授は弟子の命を惜しまぬ奉仕に嘆き、結論を出した。
元より彼等は、いずれ訪れる死のない永遠の楽土を踏むつもりはなかった。理想の名の下に踏みつけにする者達の多さに嘆き、同時に悲願が叶う前に死んでいく者達の多さに苦悩し続ける三人は、いつかの世に苦しみのない楽土が訪れても、そこに自分達の居場所はないと任じている。
理想のためと信じ、悲しみを生み、今尚この西方辺境で増やしている自分達に和なる世界を楽しむ権利はない。時至らば魂を自ら〝還す〟ことを選んでいた三人は、あまりに口惜しいが楽土の芽を枯らすことこそ惜しむべきだとし、苦渋の決断を下す。
虎嬢は破壊されつくされつつあったが、まだ動く。
もし規定量の魂が満たされたならば、状況を打破することも適おう。
その果てに得難き友。肉体を共有する程の者達が二度と還らないとしても。
三人は合意の上、術式を練った。そして、永く同居した肉体よりアンリとマーガレットが抜け落ちていく。
彼等の中で最も理論に秀でるのはリアンだ。実践に優れるアンリ、筐体の作成に長じるマーガレットを欠くことは痛手としか言い切れぬが、最も重要な基幹理論さえ完成しさえすれば、極論後は三人がいなくとも何とかなる。
別れがたき友に後事は頼むと願いを託し、二人の魂は正に討ち果たされようとしている虎嬢へ入り込んだ。
そして、制御のため出力を半分にまで落とされていた魔導炉を最大稼働させ、筐体中央に埋設した主砲を解放する。
個にて大軍を屠り、大軍を屠る個に対抗するための主兵装。
指向性光熱量照射術式を…………。
【Tips】魂の同居。魂の完全な移譲は不可能とされているが、複数の神経塊を持ち、それぞれが自我と魂を持つ幻想種は存在しているため、こちらは理論上は可能であるとされていた。
しかし、元より同居前提の体に合わせて生まれた魂だからこそ三頭猟犬などは生存ができているのであって、高次の自我を持つ人類には適用困難であるとされていた。シュマイツァー卿のそれは、肉体と魂が分かち難いと感じられる程の深い友誼を結んだ関係であるからこそ、危ういながらも成立していたと見られている。
絶対回避、或いは絶対防御は絶対命中や一撃必殺に優越するシステムがTRPGには多いが、これが基底現実世界でも変わらなくて本当に良かった。
空中に<見えざる手>で自分を引っ張り上げさせて固定し、だらしなくぶら下がった私の眼前にて凄まじい熱量を放つ〝光線〟が久遠の彼方に向かって口を開ける障壁に呑み込まれていた。
光線の直径はおよそ三mと少し。熱量は<空間遷移>を障壁に用い、一一次元の彼方へ攻撃を放逐して尚も余波で顔が熱いことからして、人体を装甲ごと容易に蒸発せしめる領域にあると察せられた。
これはいわゆる、レーザー兵器というヤツだろう。SF戦記物であればお約束の指向性エネルギー兵器に類する物で、莫大な熱と文字通りの光の速度で敵を焼く攻撃だ。
数万km単位の距離を隔てて交戦するSF世界では対処可能な兵器も、地上で運用するなら回避不能、かつ防御不可の強力な攻撃だ。何せレーザーは光であるため、比喩でもなく光速、つまり時速三〇万km――これは真空中だが、減速率は誤差の範囲だろう――でカッ飛んで来るため目視での回避は絶対に不可能である。
私がこれを回避できたのは、大きな術式によって魔力がうねり、本能が「守らないと死ぬ」と判断できたからに過ぎない。発射前から<空間遷移>による異相空間への転送口を体の前に開いていたから成立しただけで、何が飛んで来るか悠長に観察しているか、回避を試みていたなら今頃は分子一つ残さず相方と一緒に蒸発していた筈だ。
なんつーもんを使って来やがる。今振るわれた術式は、規定現実空間で振るうことのできる最大火力の一つと言っても過言じゃなかろう。
これに並ぶのは、地上に神の権能にも近しい稲妻を呼び起こす<雷霆>の術式くらいのものだ。あれも光の速さで飛ぶ上、瞬間的に太陽を上回る高温を発する術式であるので、理論上は回避不能で防御も困難。防御術式も紙切れのように切り刻まれ、唯一抗える可能性があるといえば、規格外の魔力を込めた概念障壁くらいの物だ。
それを兵器に組み込むって正気か? それも、未完成とはいえ動死体ということは、理屈の上だと〝量産可能〟なんだろ? 一体どれだけ頭がイカれた技術力があれば、可能になるというのだ。
光の放射は数秒で止み、私はそれに合わせて門を消して間合いを空けるべく〝手〟の足場を蹴って後方に飛び退いた。
「な、なんだ……? 今の……」
「旦那ぁ!? 大丈夫ですか!?」
「見ての通りだ! 絶対に真正面に立つなよ!!」
といっても、距離を取ったところで大した意味はないが。光速の攻撃はどれだけ間合いを空けても一瞬で到達するし、照射時間も長かったから横薙ぎにされれば一度の回避では無意味。
今やったように攻撃を完全に無力化する他に手段はない。それに魔法で打つレーザーだ。どうせ大気中での攪乱や減衰なんてのは、そんな物はこのレーザーに関係ありませんという物理法則の上書きをされれば気休めにもなるまい。
ああ、こっちの世界の攻撃術式は曲がりなりに装甲点で軽減できるからこそ、前衛が魔法使いを殴り殺せるというのに、よもや素で装甲点を無視してくるなんて。ちょっと悪辣過ぎやしませんこと?
『くっ……じゅ、術式が蝕まれてる!?』
「そんな!? 暗号化はきちんとしているのに!?」
再度攻撃をかけようとしてみるが、それは適わなかった。
巨体を戒めていたミカの鎖とカーヤ嬢のトリモチが、瞬く間に黒ずんで腐り落ちていったのだ。
あれは術式に対抗する術式……物理的に発動する魔法への対抗策。今まで良いようにやられていたというのに、一体どうして。
『……まずは弟子が世話になったことをお礼いたしましょう』
ああ、そんなの簡単じゃないか。今まであの巨大な動死体は、定員が足りていない戦車だから、性能の割に怖くなかったのだ。
定員が〝充足〟してしまったならば、できなかったこともできるようになるだろうよ。
響き渡る最初の術者とは異なる二つの声。一つは若い少年を思わせる男性の声で、もう一つは微かに嗄れた少女の声。それは私の考えが正解であると何より明白に証明していた。
『ボクはアンリ・シュマイツァー』
『そして、小職はマーガレット・シュマイツァー』
アグリッピナ氏から聞かされていた敵の追放された魔導師の名は、アンリ・リアン・マーガレット・フォン・シュマイツァー。男性名と女性名に中性名が入り交じる奇妙な名前の由縁は、きっと一つの魔導師に三つの魂がねじ込まれているとか、そんなのだろう。
ケツに火が付き、後がないと悟った連中は尻尾を切ったのだ。魂を定員不足で満足に働けなかった動死体へ移し、再生中の肉体が再起動するまでの時間を稼ぎに来た。
クソッタレ、尻尾切りは尻尾切りでも竜並のデカい尻尾だと訳が違うぞ。散々に打ちのめし、ボコボコで肉も多くが削げて内部構造物が多く露出しているったって、あの一番強力な主砲が生きてる時点でヤバすぎる。
『満足な歓迎ができなくて済まなかった』
『不肖の弟子に代わり、小職らが全力で歓迎しよう』
『盛大にな』
まぁ、いいさ。通れば殺せる札を持っている事実は変わらん。優勢から多少不利くらいに盤面が引っ繰り返ったくらいで慌ててどうする。
何より、こんなヤベー存在を素通しできないのも事実である。むしろ、前線に放り出される前に勝てる可能性がある我々が出張って来てよかった。然もなくば、ノルトシュタットは遠距離からレーザーで細切れにされて新たな動死体の供給先となり果てていたであろう。
ノルトシュタットが終われば、マルスハイムも安泰とはいえぬ。接敵さえ許さぬ遠距離から一方的に殺してくる最大の〝分からん殺し〟を備え、万一近づかれても自身の戦闘力と護衛戦力が置ける規格外の〝初見殺し〟を併せ持つ敵の懐に入れる千載一遇の好機を拾ったと思えばいいのだ。
それに、私が紙装甲でイイのを一発貰ったら終わりなのは、一二歳の頃から慣れっこだ。
あと、昔からこう言うじゃない。
死ななきゃ安いってね…………。
【Tips】死ななきゃ安い。死な安とも。元々は超紙装甲の格闘ゲームキャラの使い手達が、そのキャラを表現するために用いた言葉だが、時代を経るに連れて「死んでないならまだ勝ち目はある」と自分達を鼓舞する意味に転じる。
更新時期が不安定で申し訳ない。
リアル事情があり、些かバタついております。
さぁ、お約束の第二形態。オーバーキルされても、新しいデータと入れ替わり真っ新な敵として立ち塞がることもあれば、ちゃんと撃破された末の悪あがきであることを加味して、多少の強化版で帰ってくるなどGMの演出と腕の見せ所でもあります。
たまに興が乗りすぎてPC達の損耗を加味せずビルドし、死人が出かけるのはご愛敬ということで。




