青年期 十八歳の晩春 七四
巨大な敵に剣一本で立ち向かうと言えば、荘を飛び出して冒険者になった願望通りではあるものの、ジークフリートは欠片も納得できなかった。
少なくとも英雄譚の冒険者は、こんな元が何人だったかも分からない程滅茶苦茶にされた、気味が悪いと同時に哀れでならない動死体と戦う物ではないからだ。
楽しく、かつ英雄的に。
事あるごとにそう宣う奇妙な金髪に同調するのは業腹なのは事実だが、アレと己の願望が似ていることを彼は分かっていた。だからこそ、こうも酷い目に遭いつつもつるみ続けている。
そう、英雄的なのがいい。悪徳領主に反旗を翻して窮した荘民を救う。財貨を求めて人里を襲う邪悪な竜を討つ。人の命を何とも思わない魔法使いに誅伐を下す。
どれも憧れの状況だ。理解できる。
だが、全部一遍に纏めてくるんじゃねぇ。
怒鳴ってやりたい気持ちを剣気に変えて、彼は己の動体を薙ぎ払おうとする動死体の一撃を器用に潜り抜けた。
「気を付けろよヨルゴス! ナリはでけぇが俊敏だ!」
「うす! あ、兄ぃもお気を付けて!」
そう呼んで馴染もうとしている新入りに、戦場には似つかわしくないほっこりした気分を味わいつつ、彼は潜り抜けた前足の関節――と思しき部分――に切り上げの一撃を見舞った。
「ぐっ……またかよ!」
しかし、人間の首であれば軽く刎ね飛ばせる斬撃も、強化された動死体相手では表面を裂くばかり。肉の下に妙に堅い感覚があるのは、皮膚の下に強固な装甲が仕込まれているからであった。
柔らかな肉は、衝撃を止める生体装甲。その下に無数の鱗形の魔導合金装甲を仕込むことで、柔軟さを保ちつつ稼働に必要な機構を守っているのだ。
その上で血管と肉に流れるのは、触れれば肉が焼かれ、吸い込めば呼吸器が爛れる強酸の体液。
「痛くなくてもヒデぇ臭いだ、くそったれめ!!」
しかし、ジークフリートはそれを鬱陶しそうに払いつつ、腹の下を薙ぐように振るってくる刃を避けて平然としていた。
敵のやり口はモッテンハイムの防衛戦で大体分かっており、分かっているならば準備はできる。彼は己の幼馴染みが作った、耐酸の魔法薬の効果を信頼していたが、いざ実際に効果を確かめると内心で安堵した。
酸を退ける薬液を鎧や皮膚に薄く塗り、同時に鼻腔内に吸引するのは気持ちが悪かったが、今後必要になるだろうとして準備させた、あの変な金髪の目論見通りである。もしも対策していなければ、降りかかる酸の体液に侵されて二目と見られない様になっていたことであろう。
「おぉぉぉぁぁぁ!!」
それは、己に注目を集めようと動死体の後足に斬撃を見舞ったヨルゴスも同じだ。特大の両手剣が深々と太い腿を裂き、大量の酸を浴びようとも怯むことはなかった。
しかし、動死体の巨体が衝撃に揺るぐことはあれど、幾本もの手足を束ねた脚が両断されることはなかった。肉が痛々しく剥がれ落ち、皮下の装甲を覗かせてはいるが形を保ち続けている。
「ぐ……重い……!」
渾身の力を込めれば頑丈に施錠された門でさえ揺るがすヨルゴスの膂力でさえ、完全に破壊するには威力が足りていないのだ。
もし己が、憧れて止まぬ部族の戦士達であれば一刀の下に両断していたであろうにと口惜しく思いつつ、彼は己に的を変えて刃の前足を振るう動死体を真っ向から受け止めた。
盾として掲げた特大剣と肉体がギシリと軋み、しっかりと腰を落とした下半身が悲鳴を上げる。それでも大地を踏みしめた両足は、地面に食い込みながら攻撃を受け止めていた。
もしも、という願望は拭いきれないが、彼は己の役割に殉じることに腹を括っている。
即ち、他人より何倍も強固な肉体を用いて敵の動きを止めること。前線にて動く城塞となり、味方に向けられる攻撃を少しでも留めるのが仕事であると。
されど、彼がどれだけ己を捧げようと、何時までも競り合っていられないことは確実だった。食らい付けば石造りの建物でも腸詰と変わらず分解する、悍ましい顎を忘れてはならない。
涎のように潤滑油を垂らす口腔内にて四列の丸鋸が過回転の絶叫を上げ、今にも巨鬼の肉体で飢えを満たさんと擡げられた。
「姐さん、頼みます!」
「行きますよ!!」
そこでカーヤの援護が入る。
彼等は常々己より巨大で、かつ強力な敵にどうやって勝つかを考え続けている。
あの奇妙な金髪のように普通であれば斬り倒せない大物を斬り倒す腕もなければ、巨体なんて死角の宝庫だと遠慮せず張り付いて接射を見舞う蜘蛛人のような離れ業もできない。
ならば、その巨体を弱点に変えてやれと、剣友会の常人組――当社比――は解法を見出した。
ヨルゴスが動きを止めると同時にカーヤは薬瓶を投擲紐に収め、日頃の練習の成果を覗わせる精度で放っていた。
薬瓶は動死体の足下で割れると内容物をぶちまけ、同時に何倍にも膨張して辺り一面に広がっていく。
そして、顎は虚空を噛み締め、巨体が横転した。
「上手くいきました!」
それは地面の摩擦を奪う粘液の魔法薬。摺り下ろせばぬるりとした汁を垂らす根菜を原料とする潤滑液が大地に広がれば、足が踏みしめる拠り所を忽ちに奪ってしまう。刃を地面に刺さねば直立すら適わぬ巨体は、大地に浸潤した滑りによって姿勢を崩されて噛みつきに失敗したのだ。
「よし、良いぞ! 今の内だ! 関節を潰せ! 叩き切って遠くに放れ!!」
どうにか立ち上がろうと藻掻き、転倒時に備えて各所に植えた折りたたみ式の腕が展開して大地を掴もうとするも、滑りに滑った薬は指を拒むばかり。
この上を歩きたいならば、剣友会頭目のように不可視の足場を自前で展開するか、前もって局所的に滑りを拒む、カーヤの印を靴に仕込む必要があった。
魔法薬のよい所は、その使役者の望むよう都合良く世界をねじ曲げることができる点にある。味方を巻き込みたくないならば、効果を制御してやればよいのだ。吹き荒れる炎の嵐の中で味方を炙らぬようにするのと比べれば、前もって特定の魔力にだけ反応して滑らなくするよう術式を構築するのは難しいことでもない。
ジークフリートの指示に従い、ヨルゴスは大上段に構えた剣を何度も藻掻く後足の付け根に叩き着けた。人間相手であれば大ぶりすぎて回避されるそれも、転倒して抵抗できぬ相手であれば大威力の効率的な攻撃となる。
一撃毎に肉が飛び散り、再生しようとか細い触手を伸ばしてつながり合おうとする傷口が更に広げられてゆく。雑兵の放つ矢玉や槍を何万と受けても揺るがぬ巨体であっても、足の刃と顎を躱して痛打を放つ勇者の一撃は想定外であったようだ。
「先ずは一本!!」
ヨルゴスの強力な斬撃によって肉が剥落し、装甲が歪んだ隙間にジークフリートが剣先をねじ込んで関節を破壊した末に足が一本捥げ落ちた。相手からの反撃を暫し凌ぐことができれば、焼いた鳥を解体するのとそう変わりはしない。
「うおおお!?」
「チッ! 一旦間合いを取れ!」
だが、敵もただ斬られるに任せる木偶ではなかった。自らの巨体を活かし、起き上がれずとも体を無茶苦茶に揺さぶり、振り回し、近寄るのが困難なまでに暴れ回り始めたではないか。
この動死体には制御中枢に戦術思考機構が組み込まれており、使役者からの指示がなくとも最適の行動を模索するだけの〝知性〟があるのだ。
理性は殺戮において枷となるため不要でも、合理的に敵を殺すための知性は、どれだけあっても困らない。自身が高価な駒であることを自認する動死体は、保全のためならば、全ての抵抗を無様として嫌いはしない。
「ど、どうしやしょう!?」
「攻撃はいいから、足引っ張って離せ! くっつこうとしてるぞ!」
一撃当たれば重傷を負う儚い定命は、理も何もなくとも脅威となる暴れ回る巨体から一時逃れ、ただ敵が万全を取り戻すのを妨げることに専念した。伸ばされる手を斬り飛ばし、本体に戻ろうとする肉片を遠ざけて邪魔をする。全て此方の思い通りにいかぬのならば、せめて敵の目論見も上手くいかせぬようにするのが最善と信じて。
『任せてくれ! 隙を作る!!』
するとだ、ヨルゴスの背後で遠くより戦いを見守る魔法使いの声が響いた。
機を見て掩蔽壕から飛び出した烏が前線に飛来し、足に掴んでいた触媒を放り投げる。
それは、ミカが前もってカーヤに託していた触媒入れに収まっていた鋼の金輪であった。本来の用途であれば痛んだ柱を補強し、添え木を束ねて止めるものだが、使いようによっては強力な〝拘束具〟として敵を戒める。
二本の金輪は瞬時に膨張。輪投げの要領で暴れ回る巨体の顎と前腕に引っ掛けられ、一瞬で収縮して動きを妨げた。
肉に鋼が食いついて埋没し、関節を締め上げることで動きを強く咎める。閉じることに関しては油圧機構により強力な出力を発揮する主兵装も、開く側には差して強力でもないため封じられて呻くばかり。
右前足に嵌まった金輪も、足の付け根を封じることで可動域を大いに狭めていた。そのせいで暴れ回る勢いは大きく減じ、近づく隙も十分にできている。
『さぁ、今の内だ!』
「いいぞ! 一気にバラせ! 手足さえ捥いじまえば、もうタダのデカい死体だ!」
「うっす!!」
未練がましくゆっくりとのたうつ巨体に群がった冒険者は、動死体の反撃手段を一つずつ奪っていった。
死角を補う隠し腕を切断し、目を潰して視界を奪い、暴れる足と腕に隙を見て刃を叩きつける。
時折予想外の方向から飛んでくる攻撃に軽い手傷を負うことはあれど、本来ならば数百人を単騎にて蹂躙する兵器は、呆気なさを感じる程作業的に解体されていった。
何が悪かったかといえば、これはもう単に運が悪かったとしか言い様がない。
この動死体は対軍戦闘を想定しつつ、小勢であっても単体性能によって押しつぶせる万能型機が設計理念である。想定通りの戦場で運用されていたならば、軍を屠る個として大いに戦線を引っかき回したであろう。
軽い抗魔導結界も組み込まれており、直接向けられる攻性の魔導にもある程度の抵抗を持ち、同時に瞬発力には劣れど何時間も持続して肉体を癒やす修復能力も持つ。肉体に直接干渉し、破壊する物理現象や魔法に対して、動死体は極めて高い防御力を持っていた。
正しく悪夢と言える強力な動死体は、巨人殺しを想定した寡兵への対策には乏しかった。
いや、そもそも想定する必要がなかったとも言えよう。巨大にして強力な生物は軍、或いはより強大な個を叩き着けて殺すものであり、少数の兵士で殺そうと考えるのは狂気的……ある種の自殺と言ってもよい。
されど彼等は冒険者だ。一対一ではとても勝てない格上を少数人による連携技で無力化することを念頭に戦術を組んでおり、日頃からそればかりを考えて技を練り、連帯を高める。
搦め手で利点を殺し、攻撃を分散させ、それぞれの得意技で確実に戦力を削ぐ。寝ても覚めても格上殺しによる栄達を夢見る、一種の狂人達にとって、この動死体は正しく〝想定通り〟の敵であったのだ。
彼等の頭目である金髪は、この世界に実際に生きている人間として自分を自覚しつつ、その戦闘教義には、かつて親しんだTRPGのそれを用いている。
後衛が支援か妨害をかけ、前衛が攻撃を幾らか耐え、弱った敵を確実に仕留める。取り巻きは優先して処理し、孤立した巨大な個を確実に処理する親しんだ戦法は、先鋭化させれば多くの敵に有効なのだ。
これが成立しないのは、全員が体力を振り絞り尽くしても勝てぬだけの物量。
あるいは、戦闘という前提が成り立たぬ〝死地〟を仕立てて嵌めること。
正面から尋常の戦いを受けて立ったのが、一番の敗因と言えよう。
一機目は、不可思議なことに再生能力の全てを無力化されて破壊された。
二騎目も動けぬほどに解体され、分解された四肢は方々で泥に塗り固められたり、投擲された魔法薬で焼却されたりして再生することができずにいる。
使役者の死霊術師は、内心で師に詫びながら責任を取ることに決めた。
彼の師は誰より優しく、誰より繊細なために嘆くであろう。弟子が己のために命を投げ捨てることを。
彼は己を見下ろす金髪の剣士を憎悪の目で睨め付けながら、何故せめてあと半刻の時が自分達に与えられなかったのか神々に恨み言を投げつける。
今暫しの時間さえあれば、師を逃がして差し上げることができたというのに…………。
【Tips】死霊術師の中では入手の簡単さ、そして改造への適性の高さからヒト種の亡骸が改造用の素体として最も好まれる。
これぞ冒険者といった連携技を書けて満足です。
常識的に考えたら三人から五人くらいでLv二から三は上という、タイマンで絶対に勝てない個体性能の持ち主に突っかかっていくのは中々に狂気的。
さて、いよいよ来週には5巻上の発売ですよ。
今回もまた二二万文字とかいうクソ分厚い感じになってしまったので、是非よろしくお願いします。
Web版勢でも「あれ、俺コレ知らない……」という話なので楽しめると思いまずよ。
まぁ、その弊害で奢って頂くのがラーメンからチャーシュー麺くらいのお値段になってしまったのですが……。




