青年期 十八歳の晩春 七二
前世でも城には主が逃れるための抜け道が必ず用意されていた。余人の目に触れぬようにする仕組みの複雑さは驚嘆に値する物揃いであったが、魔法がある世界だと周到さは更に凄まじい物となる。
「よもや井戸の底に入り口があるとは……」
「凄い仕組みでしたわね」
派手な見送りもなく、男爵からの握手を贈られることもなく、私達冒険者は月が中天に達する頃にひっそりと街を出ようとしている。
じっとりとした空気が立ちこめる湿った地下道は、城館の中庭に設置された井戸の底にあった。涸れ井戸ではなく、今も使われている実用の井戸のだ。
城館は戦争時に最後の籠城先として運用することを念頭に置いて設計することもあり、井戸が複数用意されているため隠れ蓑として優れている。しかし、幾つかの手順――館の何処かの釦を押すなど、複雑なもの――を熟せば、水が引いて入れるようになる念入り様は凄まじい。
万が一にも出口が見つかった時の備えではあろうが、態々魔法で水を揚げるなど凄まじい手間を掛けたものだ。
とはいえ、いざという時に命を拾う保険と思えば、ここまで凝ったとしてもおかしなことではないか。
「大丈夫かヨルゴス」
「へ、へぇ、ちと窮屈ですが、まぁ……」
家財を持って逃げるために横幅には多少の余裕を持たせて作った地下道も、縦には広くないため上背が2mを超えるヨルゴスは窮屈そうだ。後尾に付いてカンテラを掲げるジークフリートが心配するように、巨漢の彼は随分と窮屈そうにしている。
領主がヒト種だから、他の種族が通ることを念頭に置いて作っていないせいだ。軽く腰を屈めて進むのも仕方がない。
こういう時、大型の種族は大変だよな。巨体故の出力と防御力は大したものだが、人類の平均体格に合わせて作られる施設では身動きが制限されてしまって。もし彼が雌性体の巨鬼であったなら、膝立ちになっても入り口で額をぶつけていただろう。
「補助兵としての訓練も受けてたので、しゃがんだり這ったりするのは慣れてるんですが……」
「この微妙に立って歩ける高さがキツいか。デケぇのは威圧感があって羨ましかったが、良いことばかりじゃねぇんだな」
「だが、今すぐ背が指二本分ほど伸びるとしたら?」
「聞くまでもねぇだろ」
わっはっは、と今の上背に満足していない同盟――私会長、ジークフリート以下数名の剣友会会員が在籍――は、高身長を堪能しているが故の利子だと笑った。
「まぁ、その上背で普段は得してんだ。たまには我慢しろ」
「そうそう。頭頂を擦ってハゲないよう気を付けたまえ。ハゲは天辺から始まると相場が決まっていてな」
「や、やめてくだせぇよ! 俺、親父がハゲだったから心配してんですが!?」
『あはははは!』
「先生まで!?」
フローキの首に括り付けた<声送り>の魔導具を解してミカまでもが笑った。しかし、そうか、彼はハゲの家系であったか。悪いことを言ったかもしれん。魔導院ではハゲ治療の魔法薬も作っているため、無事に凱旋した暁にはアグリッピナ氏に問い合わせてやろう。
とはいえ、私が帝都を離れる頃は、お洒落として一時的に伸ばしたり縮めたりする薬や、色を変える薬はあっても“根治”させる薬は完成していなかったので望み薄やもしれんが。ああ、髪の問題とは世界を隔てても解決しないほど、斯くも遠大な難問なのか。
アホみたいな話をして笑いながら進んでいるが、何も単に暇だからやっているのではない。大一番に一番の新入りなのに起用されて、ガッチガチになっているヨルゴスを落ち着かせてやるためだ。
死線を潜ってきても、少人数での勇者戦術には怯えがあるらしい。今まで集団戦の経験値は重ねてきているが、一人一人の負担が大きい乱戦の心得は養われていなかったからな。
体は適度に解れていないと最適の行動を取ることは難しい。だから、この下らなくて下世話な話にも一応の意味はあるのだ。
「ハゲても剃ればいいだろ。その方がカッコイイかもしんねぇぞ」
「そうだな、たしかにその方が潔い。綺麗に剃った禿頭は魅力的だと語るお嬢さんも世の中にはいらっしゃる」
『あー、ちょっと分かるな、僕。ほら、変に残してるとねぇ……」
「他人事だからって気軽に言わねぇでほしいんですがね!?」
「紳士の皆様方、全員他人事ではない話題に興じていらっしゃるところに口を挟んで申し訳ございませんけど」
先頭を音もなく進んでいたマルギットが振り返り、しらーっとした冷たい目で盛り上がっていた私達を窘めてきた。
ああ、うん、たしかに将来どうなるかは分からんけど、私は妖精のご加護があるから。普段は恨んでいるけれど、都合の良い時はここぞとばかりに精神的な支柱にさせていただきますよ。
「もうじき出口ですわ。以後は手信号で」
凄く上品な言い回しでの、無駄口は止めろというお叱りに従って我々は粛々と外に出た。
入り口が凝っているなら出口も凝っている。階段の手前にある壁の中、一定の石を触った後に男爵家の家訓である「座して阿るな、立って死ね」という、如何にも辺境の武門らしい文言を口ずさめば仕掛けが発動した。
ズルズルと音を立てて天井が引っ込んでいき、林の中に隠匿された出口が現れた。男爵家ともなれば、造成魔導師を雇って凝った脱出路を作ることもできる訳だ。
ミカが自重しない性質であれば、講釈の一つも垂れて如何にこの脱出路が凄いかを説明してくれたのだが、残念ながら彼は空気が読める人間なので沈黙を保っている。ちょっと興味があるから、後で通路のことを聞いてみよう。
将来、何処かの城に押し入る用事ができた時、隠し通路を使えたら楽だからな。
各々灯りを消し、事前にカーヤ嬢から渡されていた小瓶を乾した。中身は<暗視>の魔法薬で、これさえ呑めば星明かりしかない夜の下でも昼間と遜色なく動ける優れものだ。
とはいえ、効果は僅か二刻と少し。材料も希少で調合も難しいそうなので頻用できないため、ここ一番でだけ使える“とっておき”の一つだ。普段の野営なら、夜目が利く者や生来の<暗視>持ちを見張りに立たせればいいだけなので、本当に必要な時にしか使わない逸品であるので、これの存在を知らない者も多い。
ぐいーっと小瓶の中身を呑み乾せば、全員が渋い顔をした。うん、カーヤ嬢なりに味に気を遣ってくれてはいるのだが、世辞にも美味いとは言えない。こう、悪くなった苺の気持ち悪い酸味と甘みに、生薬っぽい薬臭さが混じっていてキツい。
されど効果は覿面だ。何せ、この月明かりが阻まれた林の中でさえ、薬の拙さに渋面を作る全員の表情が具に分かるのだから。
目の悪い方々は大変ね、とでも言いたげなマルギットに見守られつつ魔法薬の後味に苛まれる我々は、暫し互いに見えているかを確認した後――念のため手信号を送り合うのだ――夜の闇に紛れるよう静かに進み始めた。
マルギットがかなり先行し、次いでフローキを肩にとまらせた私、更に少し離れてカーヤ嬢とヨルゴス、そして後尾にジークフリートの陣形だ。持たせて貰った擬装用魔導具の効果範囲内に集まっているため普段よりかなり密な陣形だが、致し方なかろう。
腰を落として片膝が地面に付くスレスレに屈めて静かに進む。マルギットから安全の手信号を確認した後、躙るように夜の中を這って行った。
補助兵としての訓練を受けたことがある、というだけあってヨルゴスの移動は中々堂に入っていた。前線で戦う戦士に消耗品である槍や盾を届ける仕事を熟す必要がある巨鬼の雄性体だけあって、前線で泥に塗れる訓練も厳しく仕込まれていたようだった。
林を抜け、平地に出てもマルギットの先導によって安全に進むことができている。アグリッピナ氏の助力により、敵がどこに居るか分かっていることもあり、彼女は多少大回りであっても見つかりづらい道筋を頭の中で組み立てて先導してくれているのだ。
時折、遠間に立哨が立っているのが見えたが、恐らく人間ではないな。灯りを焚いていない上、一人で突っ立っているのはおかしい。更に彫像の如く身動ぎすらしないのは妙だ。バッキンガム宮の衛兵でもあるまいし、普通の徴収兵なら深夜の見張りでああもビシッと立ったりはすまい。
それに、見張りとは二人一組が原則だ。潜入ゲーのように一人やられたら穴が空くような杜撰な警戒は、余程平和ボケしているが人員不足でもなければやらない。
つまり、一人でも早々死なない、もしくは“やられても構わない”仕組みができているに違いなかった。
例えば、一体一体に警報が仕込まれていて、機能が落ちれば使役者に直ぐ知られてしまうような。
無言で敵の警戒網の隙間を縫い、一刻ばかりも泥臭く進むと、敵が陣を張っていると思しき辺りに近づいた頃にマルギットが急に止まるように命じてきた。
異常を察知したのかと彼女を見守っていると、数分ほど姿を消した後に私の方にやって来て全員を集めるように頼んできた。
手信号で集合すると、彼女は懐から書き付けを取りだしたかと思えば文章と図解を書き始める。どうやら手信号で説明するには込み入った問題が発生しているらしい。
彼女の書き付けを見て意味を理解した時、口を開いていいなら「うぼぁ」と変な声を出していただろう。
マルギットは地面に違和感を覚え、そこで薄く土を被った“長い肉色の縄”を見かけたそうだ。
踏むと拙いと本能的に察知した彼女は、先行して偵察し縄の根元を発見する。
それは、体中から縄……いや、数えることが困難な程に大量の“指”を生やして座り込む“警戒用動死体”であった。
指は放射状に、それこそ蜘蛛の巣のような複雑さで地面を這って方々に広がっているらしい。
そして、それを踏めば動死体に発見されて使役者に警戒される訳だ。恐らく一定以上の重さを持った物が踏みつければ、それが人類かどうかの判別くらいはされるのだろう。
追放され、痩せて枯れても落日派は落日派か。
何かしらのえげつない手法を採っているだろうと思ってはいたものの、これは中々だな。
さて、踏まないように気を付けると言っても、マルギットでも見つけるのが厄介な代物を我々がどうしたものか……。
そう思っていると、フローキ越しにミカが術式を練り、地面に字を書いて進言してくれた。
『接触型なら、踏まれなければ気付かない筈。被った土を硬化させれば、踏んでもバレないと思う』
できますの? とメモで問うマルギットにフローキと同調したミカは自信たっぷりに頷いて見せた。
『ここら一帯を、と言われれば魔力が枯渇するけれど、渡る道を見つけてくれれば確実に。魔導反応も絞れるから、見落としさえしなければ見つかる心配は薄いかな』
言ってくれますわね、と不敵な笑みを浮かべたマルギットは、ならば一本残らず見つけてみせると豪語――筆跡の強さから、対抗意識を感じる――して、顎が地面に付くほど低い姿勢を取り地面を観察しつつ進み始めた。
フローキも彼女の背中に飛び移り、指さされれた先を硬化させてゆく。我々は、おっかなびっくり、要らぬ所を踏みやしないだろうなと後をくっついていくのだった。
提案するだけあってミカの仕事は完璧で、バレる気配はなかった。転々と立っている歩哨と、いやらしいほどの細かさで張り巡らされる指の感知網を抜いて辿り着いたのは、ちょっとした窪地に建つ一件の荒ら屋。
正直、前情報がなければただの廃墟だとして素通りしてしまうような見窄らしさだ。内乱が始まる前は、この辺で牧畜を営んでいた酪農家の家だったのだろう。今にも崩壊しそうな古い母屋の他には、古い家畜小屋や柵が壊れた囲いだけが残っている。
悪い魔法使いが潜んでいるにしては物足りないが、何重もの罠が張り巡らされた塔を登らされるよりマシではあるかな。蒼い宝石の付いた杖を取り戻す、理不尽な難易度の迷宮探索を今からやれと言われれば心が折れるだろうし。
しかし、隠密行もこの辺が限界だ。荒ら屋の周りには、それとなく立哨が伏せられており互いが互いの視界内に入るように綿密な警戒網を構築している。
更には、マルギットが見つけたのと同型であろう、指感知器を密集させた悍ましき改造動死体が数体鎮座しており、此方は地面に埋めるのではなく空中に立体的に張り巡らせていやがる。あれでは透明人間とて近づけまい。
挙げ句、漸う見れば荒ら屋の上、遙か上空を旋回している影があった。
月光の下、静かに飛ぶそれは有翼人の亡骸を使った動死体だ。猛禽の血を汲む個体を使い、上にも気を払っているとは。
一つを潰しても一つが対応してくるとなると、最早手詰まりだ。
元々寝所へ忍び込んで演出で殺させてくれるなんて甘いことは考えていなかったから、別に残念とは思わない。ツメが甘いGMならば警戒を潜り抜けられた挙げ句、我々に言いくるめられて用意したデータをお出しすることもできず終わることもあろうが、伊達や酔狂で教授を名乗っている敵ではなかったな。
つまり、紳士的な時間はお終いという訳である。
繊細に気を遣って進むのにも疲れてきた頃だ。カーヤ嬢の暗視薬もそろそろ効果時間が切れてしまう。
では、ここらで本領を果たすとしよう。
冒険者の本分、それ即ち押し込み強盗。
ハックは熟した。ケチが付けようがないくらい完璧に。敵の本拠へ肉薄し、警戒もさせず消耗も大した物ではない。酷い時は罠や偶発戦闘で前衛は半生半死、魔力も魔法を二回使えるかどうかという時もあるが、我々は元気いっぱいで殺る気も満々。
敵は寝こけており、僅か少人数でここまで浸透してくるなど予想だにしておるまい。
もしも相手が予算も時間も十分で、弟子を抱えた教授相手ならば、ここまで理想的な前提は整わなかった筈だ。
これ以上を欲しがってダダを捏ねるのは時間の無駄と言えよう。
「諸君、派手にいくぞ」
後は、ご挨拶をかましてやるだけだ。元気よく、朗らかに。
抜剣するのに応え、各々が静かに意識を切り替えた。
潜むことから、殺すことへと…………。
【Tips】時に死霊術はヒトの形から大きく逸脱した“作品”を生み出すこともある。ある一点の効率を突き詰めるならば、人間らしい形に拘ることこそが“非効率的”とさえ言えるのだから。
更新がまた二週間以上も途絶えて申し訳ございません。
最後の追い込みや体調不良が重なり、死んだナマコのような有様になっていました。
どうにか復調し、書き上げられました。
五感発売まであと二十日ほど。
今回はWeb版ではさらっと流したウビオルム伯爵叙爵騒動を二十二万文字ほどで濃密にブラッシュアップしましたので、Web版のみの読者方でも楽しめるかと思います。あまり活躍亜なかった、百足人の彼女の出番も大増量中。興味があれば是非、是非に。
 




