青年期 十八歳の晩春 七〇
金は命より重いっ……! と言った漫画があったような気がするが、この中世初期から近世までの価値観が入り乱れる世界においては、面子は命より重い……! とする方が正しい。
面子とは権力であり武力であり、同時に“己がこの世に存在してよい”と周囲に認めさせる一本の軍旗であるからだ。
これを失えば、どれだけ金があろうがお家の歴史があろうが、道端に転がった犬のフンと同じ扱いを受ける。人権などという聞き心地の良い言葉が存在しない世界において、面子とは生存する最低限の権利を担保する最初にして最後の財産であるからだ。
「……たしかに、後始末の段階で責任問題となるか」
少し冷めてきた茶を啜り、温いなと感じたので魔法で我が友の分と共に再加熱してやりつつ呟くと、彼も一口啜って「あちっ」と溢してから同意した。
「魔導院は信賞必罰が常だからね。落日派が何を思って死霊術師共を放置していたかは分からないけど、こうも深く反乱に関わっていると内々の処罰だけじゃ済まない。もしそこで首魁を誅伐する中で魔導院が一切関わっていないとなると……」
「行政府大激怒不可避。私達にウビオルム伯が手助けしたくらいじゃ弱いか」
「弱いね。僕らはこう見えて結構な現場主義者だよ? これを口実として魔導院に大鉈を振るわれても文句は言えない程度にね。まぁ、組織が荒れるより皇帝陛下が憤死するのが先かもしれないけど。古巣でもあるから、行政からも魔導院からも凄く叩かれそう……」
あっ、ああー……読めてきたぞぉ。あの人は多分、ミカを一種の免罪符にしてやりたい訳だ。そうすれば魔導院も命より重い面子を辛うじて保てて、皇帝に裏で動いたのは私ですがー? と恩を売ることもできれば、一枚噛ませてくれた黎明派も悪い気はしないだろうからな。
いや、だとしたら面倒くせぇからライゼニッツ卿なり焚き付けて、戦闘魔導師の一個分隊でも派遣しろよって話だが。その方が絶対にコトが早く片付くだろうに。
とはいえ、それをやっていないということは、中央として動けない理由が一つ二つあるのだろう。
人手不足、は流石にないか。戦闘魔導師は希少で要衝に配置する必要もあろうが、機動戦力として確保している枠がないことは有り得ないだろうし。
いや、或いは既に別の場所に振り分けられている? うーん、分からん、情報が足りなすぎる。少なくとも今回のセッションにおいて、関わるべき部分ではないから情報を絞られているのやもしれん。それか、そっちの情報を得られるルートから外れたかだな。
そもそも今回の反乱誘発も、なんだかグダグダとした雰囲気を感じるしなぁ。マルスハイム伯が辺境を平定したい気持ちと、帝国中央政府の会戦で片付けたい気持ちがキチンと噛み合っている気がどうにもしないのだ。ハイデ男爵のようなマルスハイム伯の遠戚が、かなり危ない状況に追い込まれているのは本意ではあるまい。
コトは前に進んでいるにはいるのだが、思惑通りという感じがなくて困る。
あれかねぇ、国防軍と武装親衛隊の間で現状認識にズレがあったせいで、首脳部も上手く作戦を練りきれなかった東部戦線みたいな様になっているのだろうか。ライン三重帝国が如何に官僚的に効率化された集団とはいえ、所詮は利害と面子で絡んだ貴族の国だからな。全てが合理的で予定通り、ってこともないのかもしれない。
その辺の事情を察せられる要件で、紛争解決後の仕置きをどうするのかという疑問がある。
辺境の中でも国境に近いこの辺の経済再建をどうやるのだろう。既に相当数の領民が死んで大打撃を被っているのは間違いないし、会戦に引っ張り込めば更に死ぬ。挙げ句の果てに旧土豪連中がゴソッと抜けるとなればもう……。
「あー、政治政治……関わり合いになりたくないことだらけで頭が茹だりそうだ。どうあれ、問題を淡々と解決する他ないか。悩むのは後の贅沢としよう」
「そうだね。僕を動かそうとする意図も完全には分からないけど、まぁいいよ。君の近くにいるのに大一番に助けになれないのは、きっと後で身もだえるほど悔しい思いをするだろうから」
「……まぁ、私としても君が参加してくれるなら大変心強いから嬉しい。ただ……」
「分かっているよ。気安い間にでも礼儀はある。参加の是非は君の一党で協議して決めてくれ。ウビオルム伯爵が霊薬を使った意図はあるだろうが……」
「現場で不利を被ってまで考慮してやる必要はない、と」
「僕らにも一応は抗命権ってものがあるからね」
ひらひらと手を振って、ここにいない唯我独尊のあんちくしょうを煽る我が友。
魔導師は官僚であり、国家に従属し命令を忠実に熟すことが求められるが、上司から受けた命令が果たして本当に“帝国の益になるか”を考えて行動する義務もある。
アホな命令を下したり国家意思を無視して私利私欲を満たしたりしようとする人間が皆無ではないと誰もが分かっているため、最終的に行動する人間に考える権利が与えられているのだ。
一兵卒であれば贅沢なそれも、帝国的には重要な魔導師が持つのであれば必要最低限の権利といえる。
「現場で仕事をしている以上は、魔導師相当官ってことで言い訳は立つさ。何より他閥の教授の命令にまで律儀に服従する義務はないからね。今僕を預かっているマルスハイム伯の認可状まで引っ張ってこられると困るけど」
「魔導院の面子的には大問題だろうけどね」
「教授は何人か詰め腹を斬らされるかもしれないけど、一番打撃を被るのは落日派だろうから、彼等の尻を黎明派の僕が道理をねじ曲げてまで拭ってやる必要はないよ。たまには腑分けばっかりしてないで、お日様が当たる所で真っ当なことを言えばいいのさ」
「裁判所が日の当たる所かっていうのは少し疑問が残るが……まぁ、助かるよ。一応、我々の中でも面子を選抜することになっているんだ。大人数で動くのはよろしくないから」
「ああ、全ては頭首様の御意向のままにさ」
冗談めかして魔導師の礼を取る彼に、やめろよ恥ずかしいと返した。
しかし、改めて彼が一党に加わってくれると考えると、できる仕事が増えそうで楽しいのではないかと思わずにはいられないのであった…………。
【Tips】騎士や魔導師など、帝国における官僚階級においては抗命権が明文規定によって認められている。ライン三重帝国の名誉と利益に反し、大いなる罪悪となる命に従わず、主君を正道に正すことこそ真の忠義者の仕事……という名目で、国益を損なうようなことをするなと戒めている。
反面、抗命の是非を問う基準は厳しいため、従う側の最終兵器として軽々に用いられることはない。平均的な官僚においては、一生に一度意識するかどうか、といった代物であろう。
「一党に魔法使いがさ……いや、二人ってどんな贅沢だよ」
外で時間を潰していた剣友会の面々を呼び戻し、彼が同道したいと申し出ている旨を伝えるとジークフリートがそういった。途中で言い直したのは、うっかり私を計上しかけたからだろう。
「余程大手でもなきゃできん贅沢だぞ。なぁ?」
「ですなぁ。家だって姐さんがいるだけでスゲぇ贅沢だってのに」
「んだんだ」
同意する会員達は豪勢すぎることに喜んでいた。
言うまでもなく魔法使いは希少であり、有用な戦力であるからだ。壮園に一人家系がいれば良い方で、ケーニヒスシュトゥール荘のように近場の森に庵を構えている魔法使いさえいない集落も珍しくはない。
私にとっての様式美である戦士と斥候、僧侶に魔法使いの新人冒険者四人組というのは、余程の幸運に恵まれないと有り得ないことなのだから。
「しかし、魔法使いの先生は何ができるんで?」
「このお方はスゲぇんだぜ。脱輪した馬車の車軸を触れもせず直してくだすったり、泥濘にハマった時も一瞬で道を平らになさったりとだな……」
銀雪の狼酒房で紹介した時は、魔法使いとして何ができるなどの実務的な話はしなかったからか、興味津々の会員達にヨルゴスがまるで親族でも誇るように同道していた間のことを語り出した。
門外漢からすれば正しく魔法の所業ではあるものの、造成魔導師からすれば二本足で立つのと大差ない基本技術だな。
そんな面々を眺めつつ、しかしジークフリートは懸念を抱えた表情を隠していなかった。目が合ったので、忌憚なく意見を言えよと視線で促せば、彼はこう問うた。
「しかし、今回は隠密行だぞ。アレできるのか?」
「あっ、ああー……」
「アレって?」
しまった、と額に手をやる私へ無垢に問うミカに、果たして何と答えるべきか。
さて、我々剣友会は戦技を鍛えることを主眼においているが、冒険者として広範な仕事を達成できるように会員へ訓練を施している。
その中でも、隠密行動は生存術として結構熱心に教えていた。
何と言っても我々は冒険者。辺境においては野盗狩りも仕事の一つであるが故、敵に奇襲を仕掛けるために静かに動く技術が欠かせないのだ。
「膝立ちで延々歩くんだよ。一町や二町どころじゃなくな」
「必要とあれば這って進むこともありますね」
「え? 膝立ち?」
こんな風にな、とジークフリートが実践してみせた。腰を落として膝が地に付くほど低い姿勢を取り、右手を床に付けて均衡を保ち、左手は剣を押さえるよう腹に添える。そして、その姿勢のまま頭を高くしないよう進み続けるのだ。
普通の歩行速度と大差ない速度で歩けるのは鍛錬の賜物であり、これを何kmにも渡って行うのはハッキリ言って苦行である。むしろ膝と腰、あと背筋に対する自己被虐といってもいい。
「ほら、二本足の皆様方って、大変御目立ちになるでしょう?」
そんなことを言ってマルギットが私の膝からすっと床に降り立ち、蜘蛛人の面目躍如といった具合に素早く卓を周回する。その速度は早歩きでも追いつけないくらいの早さであり、顎が地に触れるほど深く伏せた姿勢は野外であれば相当に注視しなければ気付けないほどだ。
「私と同じくらい目立つなとは申し上げませんけど、草に紛れてゆっくり動くくらいしなければ、獣にも人にも奇襲する前に気付かれてしまいますの。気を遣ってあげないと、すぐ置いてけぼりにしてしまいますし」
「お前と同じ動きができたら、そりゃもうヒト種じゃねぇよ!」
軽々と周回遅れにした上で煽ってくるマルギットにジークフリートが拳を振り上げて抗議しているが、仰る通りなので何とも言い難い。私も彼女と比較されれば、目立つドン亀でしかないのだから。
「それは大変だな……もしかして、カーヤさんもできるのかい?」
「ええ、一応ディ……ジークフリートと練習しましたので少しは」
まぁ、やったら三日は腰が痛いんですけどね、なんて言いながら楚々と笑うカーヤ嬢であるが、普通の人間は腰を屈めたまま五km以上も山を登るなんてできない。むしろ、普通の魔法使いなら「私ここまでやる意味ある!?」とキレて付き合ってはくれまい。
「うーん、歩いたり走ったりなら自信はあるんだが……君がマルスハイムに行ってしまってから、僕も鍛えなければと思って杖術だけじゃなくて体も鍛えたんだけど」
むんと腕に力コブを作ろうとする我が友であるが、ローブに隠れて全く見えぬので可愛らしいだけである。
とはいえ、体力に自信があっても中腰や匍匐で進むのは“慣れ”が求められるため、鍛えているいないの問題ではないのだ。だからこそ、地球の専業軍人は反吐が出るほどやらされるのだし。
「敵陣までどれくらいある? 背負って行く訳にもいかんし、幾ら魔導具が誤魔化してくれるからつっても人間の見張りがいたり、エーリヒが言ってたみたいに目で見て判断する動死体がいたら意味ねぇだろ」
「うーむ、ミカ、魔法で何とかなるかい?」
「地面を動かして伏せたまま移動するのはできるけど……距離によっては魔力を使い果たして、着く頃には弾除けくらいにしかならないかもしれないね」
それではいかんな。強力な味方ができたと思ったのだが。
くそう、<概念破断>を取得したせいで熟練度は空っ穴なので、<空間遷移>の有人移動を可能にするだけの余力がない。できるようになっていたら、戦闘直前に来て貰うというGMが凄く嫌がるムーブを見せ付けられたのに。
「君らの連携を断って重荷になるくらいなら、直接付いていくのは諦めよう。幸い、こここにいながらにして助ける手段が僕の手にはある」
ここにいながら? と問うと、彼はローブの懐を開いて見せた。
何も色っぽい意味はなく――見た目の危うさはさておき――ここ数年で成長しているのは、何も私だけではないという証拠を見せたかったようだ。
ひょっこりと、今まで気配を感じさせることもなく大人しくしていた“烏”が一羽飛び出した。
艶やかな羽も麗しい立派な渡烏である。
彼が一三の時に師から譲り受けた烏であり、私も覚えがある。名前はたしかフローキ。ヴストローに忌まわしい本を買いに行くお使いの往路にて、野盗に堕した傭兵共を見つけてくれた頼もしく空を飛ぶ目。
彼の命令を忠実に熟し、支援する使い魔であった。
まぁね、高レベルの魔法使いとあれば使い魔はお約束だもの。前世の卓では大変便利だった魔力タンクとしての役割はなくとも、同調して視界を共有できるだけで実に心強い存在だ。
「おや、懐かしいねフローキ殿。君も壮健だったか」
「彼を通して支援することもできるんだ。ほら、これを見て」
彼が指さす烏の足先を見れば、木片が括り付けてある。小さな枝のような木片には魔力が宿っており、何らかの術式陣が刻んであった。
「これは?」
「僕の短杖の一部さ。今の長杖の前に使っていた物だよ」
ああ、あれか。木製の短杖で柄側に真鍮で連翹の花が咲いていた愛用品。今は予備としてローブの下にでも吊しているのだろう。
「視界だけじゃなくて、彼を通して魔法を行使できるよう同調の深度を上げたんだ。この杖を通して魔法を使うことだってできる」
「……そりゃまた大きな賭けを受け入れたね」
使い魔の操作には二つの方式がある。一つは魔法によって高められた使い魔本体の知識に任せるもので、これが一般的に採用されている。
第二に、禁忌たる精神魔法の“平和裏”な利用法として、視界共有より一段高度な精神同調がある。精神の一部を共有することによって、魔力が通れば遠方でも細かな命令を下すことができ、望むように動かすことが能う利点は存在するものの……使い魔側からの“感覚逆流”も起こるため危険を伴う手法だ。
使い魔が傷つけば使役者も傷つくというのは、使い魔運用の想定においては本末転倒ともいえる。
本来彼等は、魔導師が自分でやるには困難かつ危険な仕事を任せるために発展してきた歴史を持つのだから。今は細い命脈を繋ぐのみとなった技術の中で、危険性が高いとして更に衰退したものをなんで態々……。
「大した理由じゃないけどね。ほら、建物の屋根を修理したり、高所に彫像を新造したりするのに彼を通して魔法を使える方が便利だったんだよ。距離が離れると精度が落ちるから、中継点としてね」
主人から慈しむように優しい手付きで頭を撫でられた烏は、あろうことか「どうだ羨ましかろう」とでも言いたげに私を見てきた。こやつ、前々から分かっていたが、妙に私に敵愾心を抱いておるな。一番助けになるのは自分だと言いたいのだろうか。
「この子を通して君の道を拓いてみせるよ。足を取る泥、余計な音を立てる小枝、揺れる芝、押し寄せる敵からでさえ」
烏の頭に唇を寄せて笑う彼。
斯くして我々は千の味方に等しい助力を得た…………。
【Tips】中継点としての使い魔。魔法を遠隔発動する技術は過去何度となく研究され、その一つの成果として使い魔との感覚同調が編み出されたが、高度な魔法に耐えうる血統の育成、及び使い魔に何かあった時に術者が被る危険を加味して尚危険が勝ったため、現在では廃れた技法の一つとして忘れ去られつつある。
しかし、高所作業や険しい道の整備が求められる造成魔導師の中では、有用な技術として語り継ぐ派閥が僅かながら残っている。
使い魔が居れば代わりにシーンに登場していたことにできるシステム便利ですこ。
1/9までと私が開催していたのを忘れていたことも大きいのですが、今回も好きラノ様で
#私の好きなライトノベル2021下 が開催されております。
拙作も対象となっているため、よろしければご支援いただきたく存じます。




