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ヘンダーソンスケール 2.0 Ver1.3

良い夫婦の日だそうですよ(定期)

 「う……ここは……」


 一人の少年が目を覚ました。金の艶やかな髪、仔猫目色(キトンブルー)の大きな瞳、そして女性的で柔和な顔付きをした少年は、社交界において有名な人物である。


 かつてスタールの如し、として夫婦仲の良好さで知られ、そして今再び知られることになった夫婦の間に産まれた末の長男。若かった頃の父親、その耳のみが長命種の特徴たる長い笹穂型となった姿の彼は、己が拘束されていることに気が付いた。


 ただの拘束ではない。魔導合金の頑強極まる手枷と足枷によって拘束されており、胴に巻かれた縄が腕を拘束する別の縄と噛み合い、関節を抜いても解けぬ雁字搦めの拘束を受けている。


 その上、全身を覆うのは複雑な紋様が特殊な塗料によって描かれた呪符だ。外への魔力の発散を一切許さぬ、上古語や神代文字によって構成される術式陣は精緻にして複雑極まり、一度絡め取ったならば古老級(エルテステン)の竜や神の落とし子でさえ逃れられぬ頑強な縛りをもたらす。


 その上であらゆる行動を制限し、全ての動作が術式にて括った者に届けられる念の入り様。魔力を外に発することができぬ上、更には内側で練ることさえ禁じる始末。口を動かすより馴染んだ<思念伝達>の術式も、常の如く用いている身体賦活系の術式すら、どんなに些細な術式であっても起動することは許されなかった。


 皇帝椎逆の大罪人であっても、ここまで頑丈に拘束されることがあるだろうか。何があろうと逃がさぬという凄まじい執念が形を結び、この世に顕界したかの如き有様。


 また、閉じ込められた部屋にも同様の、粘つく泥が清流に思える執念が込められていた。


 窓は疎か一分の隙すら存在しない鉄の箱は、全て堅牢無比たる魔導合金によって成されており、航空艦の主砲級魔導砲でさえ数発は耐えてみせるだろう。


 あらゆる探査術式を阻む術式陣が恐ろしく深き恨みにて刻印された、約三メートル四方の小さな箱が、少年の知覚できる全てであった。


 「何が……」


 少年には何が起こったか分からなかった。昨夜は夜会に参加し“友人”の一人と“深い親交”をたしかめて穏やかに寝床にて寝入ったはずだ。最近できた親しい友人の甘い匂いに包まれながら。


 それが一転、捕らわれれば確実に逃げられない牢獄に捕らわれている。あまりの事態の急変っぷりに何が起こっているかまるで分からなかった。


 声を上げても反響するばかりで、外界の空気を揺らしもしていないだろう。知らぬ間に着替えさせられたのか、指輪の一つも残らず取り上げられている上、粗末極まる夜着姿で悶えてみても、拘束が緩むことは全くない。


 仕方がないので彼は冷たい床の上、できるだけ楽な姿勢を取って瞑目した。


 状況は理解できないが、攫われたのだけは事実だ。


 そして、己は攫われるに値する人物であることもたしか。


 できるだけ神妙にしていると見える表情で黙って待ち続ける。それができるのが肉体を持ち合わせているが故に。


 幸いにも酸素は供給されているらしく酸欠死することもないので、代謝を必要としない肉体ならば不快を感じずに待ち続けられる。定命のように体から排出されるもので臭さと不快さに悩まされる必要もなく、喉の渇きと飢えにより苦しむこともない。


 何より、拘束するということは、生きていてくれねば相手も困る筈なのだ。もし単純に殺したいだけであれば、ここまで費用を掛けて拘束するよりもさっくりと首を落としているだろう。


 少なくとも長命種は吸血種と異なり、対抗策もなく首を落としてやれば普通に死ぬ、極めて常識的な生き物なのだから。


 目を閉じて呼吸にのみ専念すると時間の感覚が失せてくる。半刻か、一刻か、はたまた数日か。時の流れが感覚の中に熔けていく中、虚無の時間は唐突に終わりを迎えた。


 「起きろ」


 「……寝てませんよ、最初から」


 継ぎ目のない箱の中にどうやって現れたかは分からないが――予め、鍵を持った人間だけが入れる術式陣でも仕込んであったのだろう――黒衣の人物が少年の前に佇んでいた。


 男性か女性かさえ分からない。暗色の重々しいローブは体型を露わにせず、フードの中で輝く、のっぺりとした何も描かれていない仮面が素性の全てを覆い隠す。その上、変声術式を使っているのか、幾重もの声を重ねたような気味の悪い声は感情さえ霞の向こうに追いやってしまう。


 酷く不気味な相手だ。もしもこの状況に怯む“可愛らしい”精神性の持ち主であれば、恐怖を何倍にも掻き立てられていただろう。


 素性も感情も読めぬ故に何をされるか分からぬ相手。しかし、囚われの少年は何てこともなさそうに身を擡げて相手を見やった。


 睨むでもなく、媚びるでもなく、ただ目の前にある人間に応対する。そんな色のない視線。


 「で、私に何か御用で? 家への繋ぎでしたら書簡を送っていただければ……!?」


 どうやら相手は平静そのものの口調と目線に腹を立てたらしく、少年の横っ面が張り飛ばされた。乳白の艶やかな皮膚が朱に染まり、指輪でも嵌めていたのか、深い裂傷が一文字に走っている。


 「図に乗るな、小僧。貴様は聞かれた時に聞かれたことにだけ答えるため以外に口を開くな」


 「つぅ……」


 久方ぶりに感じる肉体的苦痛に呻いて頬に触れれば、傷は相当に深いらしく血が大量に溢れ出していた。舌先で口腔に触れても外に出ることはなかったため、貫通こそしていないものの、肉をかなり裂かれているようだ。


 治療しようにも術式を練ることもできず、鎮痛さえおぼつかぬ。このまま放っておけば痕になるな、などと暢気に思いながら、少年は相手の目的から“身代金目的”などの穏当な物を削除した。


 いや、そもそもスタール家の人間を“たかだか金程度”で拉致することなどあり得まい。


 下手すると単身で都市を堕とし、対応を誤れば国家規模でさえ深手を与え得る個人の集団でもある。その上で皇帝の寵愛厚き忠臣たるスタール伯爵家を相手取るには、どれだけの金貨を積んだとしても割に合うまい。


 となると、残された線は僅かだ。政治的な譲歩を引き出すために生け捕りにしたか……。


 「いや、一つだけ許可してやろう」


 黒衣の人物が懐に手を差し込み、そして抜いた瞬間、光の差さぬ空間にも拘わらず鈍い光が走った。


 何らかの魔導的な加工が施された短刀の刃だ。


 「苦痛の悲鳴、それだけは心地好い。冥府に届くまで歌い上げよ。観客が満座で待っているぞ」


 「あちゃあ……そうきたか」


 政界の大物、その子弟を攫うに値する目的など合理を除けば怨恨くらいの物である。理由など、星の数を数えるに等しいため推察するだけで無駄であろう。


 刃が無遠慮に少年の指に添えられ、何の躊躇いもなく引かれた。


 「ぎぃっ!?」


 焼け付くような激痛は、刃の特殊な加工のみが原因ではなかった。


 まるで溢れたように表面が荒れた刃先は、しかし込められた魔法により鋭利な銘刀に劣らぬ切れ味を示す。細かい乱杭歯の如き刃が刺創よりも鈍い削られた傷口を生み出し、荒れた切創は必要以上に神経を擽って激痛を生み出す。


 何より耐えがたいのは、傷口を焼かれたと錯覚する程に精神へ染み込む苦痛。


 何らかの薬品、毒が塗布されているのだ。ノコを引くのと同じ乱雑さで幾度も刃が小指の上を走る度、少しずつ肉体に浸透した毒が神経を蝕み灼き焦がしていく。


 この感覚は筆舌に尽くしがたく、骨が内から刻まれ、肉が形を持ったまま腐り、血管を流るる血潮が腐れた泥に変じてもまだ“温い”人知を超えた苦痛。


 「痛むかね? 南内界の多頭竜(ヒュドラ)より抽出した秘伝の毒だ。不死の化身でさえ、苦痛のあまり不死を返上して死を希求する痛みだという」


 不朽不屈の肉体を持つ半神すら音を上げる毒の苦痛に脳を刻まれ、少年には黒衣の人物の声は最早届いていなかった。苦痛のあまりに悶えた肉体は、自身が傷つくのもお構いなしにのたうち回り、遂には自らの舌さえも痙攣の中で噛み切ってしまう。


 それでも死なないし、死ねない。この毒は正しくこの世の害意と恨みを煮詰めたような調整が施されており、毒性によって対象を死に至らしめることがないのだ。本来ならば身に受けた者を殆ど即死させる毒を敢えて薄めるような所業であっても、恨みを晴らすためであればこれ以上の適薬は存在するまい。


 「どうした、まだ指が一本だ……九本も残っているではないか」


 変声された声にさえ喜悦が滲む調子で宣い、ゆっくりゆっくり斬り落とした指を放り捨て、黒衣の人物はくぐもった笑いを上げた。


 興奮を抑えきれぬあまり溢れた笑声は次第に大きくなり、箱の中で幾重にも反響して苦痛と共に少年を苛んだ。


 小さな声から悲鳴を塗りつぶすほどの大声に変じ、遂には激しさによって喉の粘膜が痛み、血が滲むほどの哄笑が枯れる頃には、見目麗しい少年は酷い有様に成り果てていた。


 顔の部品は大凡全てがえぐり取られ、髪すら皮膚諸共に引き剥がされており、親でさえ我が子と分からぬ惨状だ。手足も雑に切り取られ、辛うじて死なぬように処置がされているばかり。


 こうも酷く痛めつけては、最早魔導院が誇る肉体の再生施術であっても完璧に修復することは困難であろう。専門家でさえ匙を投げる酸鼻極まる地獄を作った黒衣の人物は、赤黒く蠢く肉塊となった怨敵の長男を見て、ようやく溜飲が下がったのか短刀を懐にしまった。


 「……今日はこの位にしておいてやる。何度でも体を治し、何度でも痛めつけてやる。肉体を修復する術があることを恨め。情報を囀るのは、それからで十分だ」


 しかし、まだ足りぬのか、不完全にでも肉体を再生させて拷問を続行すると宣言する黒衣の人物。簡単に手に入らぬ毒を調達し、金貨を何百と積んで漸く手に入る霊薬を使う恨みの深さは想像さえ及ばぬ。


 この暗く光の一切差さぬ箱にて永遠の苦痛に少年が漬けられるのかと思った瞬間……世界が光に溢れた。


 「なっ……!? 馬鹿な!!」


 金属を溶接した立方体の空間が解かれたのだ。屋根であった天面の板が弾け飛び、続いて四方の壁であった鉄板が結合を解かれ外に向かって展開する。


 隔絶されていた世界が晒され、閉じた地獄が通じた先もまた地獄であった。


 箱が置かれていたのは、何処の城館の地下に築かれたらしい広大な石室。幾重にも隠蔽の術式陣が刻まれた部屋の中には、数え上げるのが困難なほど手酷く損壊した亡骸の山が広がっていた。


 下手人はたった今、箱を破壊した人物だ。


 彼女は魔導師の装束を纏い、虚空にて浮遊する杖を従者の如く侍らせていた。


 上質な絹の衣装には血糊の一つも付かず、精緻極まる美貌は平静そのままに殺戮に興じた疲労を滲ませもせぬ。


 優れた職工が人生の全てを擲って作り上げた彫像であっても霞む美貌の魔導師。その名はアグリッピナ・フォン・スタール伯爵夫人。


 かつて払暁派の魔導師として名を馳せ、今や社交界において知らぬ者のなき大人物は、その両手に茫洋と目を開いたままの首を二つひっさげて死体の海の中で佇んでいた。


 「ご機嫌如何? 夜半にも拘わらず騒がせて悪かったわね。招待状をいただけなかったから、些か強引な訪問になってしまったけど……後片付けは心配しないでちょうだい、こちらでしっかり済ませておくから」


 「ば、馬鹿な! オルトシュミット伯! ディートルムト候!!」


 彼女が髪を掴んで雑にぶら下げているのは、黒衣の人物の共犯者だった。この復讐劇を果たすために用意した支援者達の中でも特に有力な二人であり、己と変わらぬほどフォン・スタールの血族を恨んでいた面々のあっけなさ過ぎる死を目の前に突きつけられても得心が行かない。


 この人里離れた場所に建つ、かつて小国林立時代に使われていた山城を知る者など、謀略の深部に関わった者しか存在せず、護衛は手練れの騎士団を筆頭に数人の魔導師を含めて万全すぎる陣容を揃えたというのに。


 だが、彼等がどうなってしまったかは、もう結果として広がっている。


 皆、死んだのだ。ただ一人、ちょっと親しい人物の館を訪ねてきたような風情で立つ伯爵夫人の手に掛かって。


 理由を考えている暇はなかった。万全の陣容が崩れ、スタールの全てを血祭りに上げる計画が最初の一歩を踏み終え、第二歩めに入ろうとした瞬間に崩壊したのは叫び悶えるほどに口惜しい。


 だが、彼一人では反撃も逃げることも不可能という状況を理解しても、止まる事はできない。


 ならばせめて、目の前で息子に引導を渡してやらねば気が済まなかった。志半ばで果てたであろう同志達のためにもと、首根っこを掴んで短刀を突きつける。


 「……思ったより小物な反応ねぇ。大仰な格好をしてても黒幕の器ではない、か」


 「ほざけ雌狐! 余裕ぶっていても遅すぎたのだ! この餓鬼は最早手遅れだ! 肉体を再生させようと、この毒は永劫に抜けぬ! そして、生かして帰してもやらぬぞ!」


 首筋に添えられた短刀を見て、長命種はさも滑稽な者を見下す笑いを作ってから首を投げ捨てる序でに両手を挙げた。投降しているような仕草であるものの、その本質は相手を心底からあざ笑うものだ。


 そして、笑みを崩さずに接げる。


 「ああ、怖い怖い……でもオススメはしないわよ? 多分、もっと酷いことになるから」


 「だっ、黙れぇぇぇ!!」


 この後に及んでの挑発に、この上はないと思っていた激怒の頂点を更に超えた黒衣の人物は、勢いよく少年の首に短刀を突き立て、その勢いのあまりに首をねじ切った。


 「はっはっはは! 見ろ! 殺してやった! 貴様の子を! 全員殺すことは能わなかったが、一人殺してやった! 虫のように! はは! あはははは!!」


 「あーあ、やっちゃった」


 知らなければ幸せな妄想に浸って死ねたのに、という呟きの意味を彼が察するよりも早く、二転した事態は早くも三転を遂げる。


 両断された首、その断面から白い靄が立ち上ったかと思えば……不意に人の形を結んだではないか。


 「ああ、酷い目に遭った」


 そは人の似姿をとった死の顕現。薄く透ける姿は死霊の証明であり、今し方首を切り落とされた少年に幾らか歳を取らせた姿は、正しく伯爵夫人の連れ合いそのもの。


 「なぁっ!? きっ、きさっ、きさ……貴様は……エーリヒ・フォン・スタール……!?」


 「うむ、そうである。歓待ご苦労……いや、久方ぶりに生きた肉体の感覚を味わおうと思ったら、中々結構な物を馳走になったな。借り物の肉体でなければ、本当に死んでいたやもしれん」


 暢気に浮かぶ死霊と死体の間を数度視線を彷徨わせ、黒衣の人物は謀られていたことに気が付いた。


 これは肉人形に過ぎなかったのだ。精巧に作った魂なき肉人形にスタール伯爵が憑依し、“自分自身に精神魔法”をかけて心の底から息子のように振る舞い、敢えて攫われ敵の本丸に潜り込んだのである。


 そして、攫われるまでに残した手掛かりを辿って伯爵夫人が全てを台無しにしてみせた。


 恐ろしく、無慈悲なまでの最適解だ。ここまで“自分が動くのが一番手っ取り早いから”で優雅さも手間もかなぐり捨てて動く貴種も珍しかろう。


 「とはいえ、仮にでも神経を接続していたのでキツかった。一応言っておくと、演技ではないぞ。本当に痛かった」


 「無精して自分自身が囮になるなんて無茶するからよ。傀儡が死んだら死んだで、抜け出して暴れられるからって……」


 「致し方なかろうよ。こんい……あ、いや、ほら、あれだ、ちょっと大事な予定が近くてだな。邪魔されたくなかったから、手っ取り早く片付けたかったんだ」


 真面目に真っ当な手段で探れば数年かかるであろう謀略を暴く過程を面倒くさがって、究極の力業で叩き潰したのが今回の仕儀、その全てである。


 彼等の息子は今頃、社交界で顔を見かけたら怪しまれるからと、何処か遠くの保養地でのんびり温泉にでも浸かって酒を楽しんでいる頃だろう。


 全ての目論見、数年がかりの計画、塗炭の苦しみに塗れた過程、何人もの人生を費やした復讐劇を“面倒だから”の一言でご破算にされた黒衣の人物は体から、いや魂から全てが欠落していく強い脱力を得た。


 「で、では、では、我等の計画は、す、全て……」


 「うむ、まぁ悪いが勝手ながら挫かせていただいた。息子を狙ったのは目の付け所がよいが、些か露骨に過ぎたな?」


 「あの子は子供達の中でも一番人の機微に聡いものねぇ。直接戦闘力に劣るからといって、下手な女をけしかけちゃ駄目よ。せめて、その女も精神魔法で洗脳しきって、本当に恋してると思い込ませるくらいしなくちゃ。恨みが深い家系の婦女は復讐に加担するとなれば処女を擲つほどに従順でしょうけど、ただ演技が上手くて身分がいい手合いに騙される浅さの定命好きじゃないのよ?」


 「復讐の起点としては悪くないがな。姉達も皆、あの子に甘い。とはいえ絡め手で始めたいなら、長女の方が幾分マシだったろうに。あの子は、えー、なんというか、あー……」


 「アホだものねぇ。勉強はできるのに。本当に私の子なのかしら」


 「こら! 自分の娘になんてことを! せめて、ちょっと鈍い子とか、純粋過ぎるとか言い方という物があるだろう!」


 「残念な子?」


 「より酷くなった!?」


凄惨極まる臓物の海で交わしているのが嘘のように気が抜ける会話をする夫婦のおかげで、彼は計画が芯の芯から破綻していたのだとやっと実感できた。


 強力な協力者二人が殺されたのも、既に情報を必要なだけ抜ききり、此度の暴挙の正当性を証明する目処が立っているからに違いない。然もなくば広大な領地を治める伯爵や、選帝侯家に連なる侯爵を自分勝手に処断などするまい。


 この調子であれば、他の協力者も早晩後を追うことになる。いや、この短時間の間に帝室にまで話を通して絵図を書き終えた可能性さえある。


 はっと黒衣の人物は気付いた。このまま捕らえられては拙いと。せめて自裁し、これ以上の情報が流れぬようにしなければならない。今回の計画は大勢が関わっているが、一人一人の接点は最小限に絞っているため、例え二人の情報を抜いても全容には辿り着けぬ。


 彼が死ねば、更に辿れる情報は少なくなる。


 計画は大きく後退するにしても、せめて復讐の芽を摘ませる訳には!


 壮絶な覚悟と共に短刀を首に運んだ彼だが……できたのはそこまでだった。


 「ぐっ……!? う、動かん! な、何故だ!?」


 黒衣の人物には分からないようだが、不可視の力場にて構築された手が音もなく伸び、全ての動作の起点となる関節を拘束しているのだ。更には増えた手が驚愕に開いた口に突き込まれ、舌を噛むことすらできなくなった。


 舌を噛み千切ろうと中々死ぬことはなくとも、希に成功することもある上、しゃべれる口が残っていた方が手間がないために封じられたのだ。


 「まぁ待ちたまえよ卿、返礼がまだだ。勝手に帰られては困る」


 「あらやだ、この人、自業自得なのに一丁前に怒ってらっしゃるわ」


 「怒ってなどいないよ。ただ“アレ”を切り刻まれる感覚は新鮮すぎたから、ちょっとお礼をしなければと思っただけでね。それに、まだ得られる物はあるはずだろう?」


 自分の命を自分で決める最期の権利さえ奪われ、黒衣の人物は絶望した。


 絶望するにはまだ早いなどと知る由もなく、悔し涙を仮面の内に流し、ただ祈る。


 残った同志が本願を果たしてくれることを。そのために殺されず落ち延びてくれることを。何時の日か、長閑ならざる死がスタールの血脈全てに及ぶことを。


 かそけき願いと祈りは誰に届くこともなく仮面の内側にて潰え、夫婦はとりとめもなく頭の悪い会話を続けながら“後始末”に掛かった。


 この程度の陰謀、長い長い婚姻生活の中で慣れっこと化している。真っ当に領地を経営し、利益のために誰ぞを陥れるような悪辣な手腕を振るわずともこうなのだ。慣れて適当に処理していかねば、良心が幾つあっても足りることはない。


 今まで無数に積み上げてきて、そして神の御許にて沙汰を受けるまで積み上げ続けるであろう取るに足らない雑事。いずれ忘れ去って思い出すこともできぬだろう誰かを粛々と処理しつつ、夫婦の夜は更けていく…………。












【Tips】権力と大金が動く下で不幸になる人間を絶やすことはできない。

1年振り3度めの犯行。

尚、此度のゴリ押しにも程がある方法は旦那が結婚記念日にちゃちゃを入れられたくなかったので、サクッと片付けるために無茶した模様。

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[良い点] 娘を手篭めにされた貴族たちの復讐(正統) かと思ったら違った いやでも次は本当にそうかもしれん [気になる点] もうちょっと早く到着できそうなものを一頻り痛めつけられるまで来なかったのは…
[気になる点] 長女は残念な子なのか。 遺伝かな? [一言] >“友人”の一人と“深い親交” フフフ・・・。 セッ(感想ははここで途切れている・・・。)
[一言] いい夫婦の日になんて話を……w
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