青年期 十八歳の晩春 六四
幸いにもノルトシュタットは規模の大きな街であり、近隣の代官を統括する男爵家の拠点だけあって、癒者ではないものの優秀な魔法使いを抱えていた。
癒やしの奇跡が使えぬ魔力枯渇であっても――性質的に仕方ないとはいえ、神々はこうも魔法を嫌うのか――治療できる体制が整っていたのは不幸中の幸いである。
我らが頼もしきカーヤ嬢は魔力の滋養に効く薬を作ることはできても、需要の問題もあって重篤な魔力枯渇を癒やす知識も技術も持ち合わせていない。そもそも荘に根ざす呪医の家系である彼女は魔力の消耗を抑えて技術を使うものであるし、地方故に魔法使いが魔法使いに助けを求めてくることも希なためやむを得ないことだ。
ここが大都市で本当によかった。然もなくば、私は彼女が意識を取り戻すまで延々と気を揉み続けることになっただろうから。
ミカは今、代官館の一室で魔力の滋養に効き、深い眠りをもたらす香を焚きしめた部屋で眠っている。魔宮の迷宮踏破時にファイゲ卿から斡旋された癒者から受けた治療と同じだ。寝ている人間に魔法薬を飲ませることは難しいため、香にして呼気からゆっくり吸収させる方法である。点滴という概念が生まれるのは、まだ随分と先のことになりそうだ。
魔力は一気に回復しないし、無理に詰め込むと危ないので知識がある魔法使い殿でよかった。飢えた時と同じで、空っぽの中に――そも、魔力とは何処に溜まるのか、生物学的に分かっていないが――無理にねじ込むとショック症状で死にかねない。
一晩は絶対安静だそうだが、一先ず危機は脱した……と見てよかろう。
それにしても驚いた。どんな縁があるというのだ。我が友はマルスハイムの魔導院出張所にて、忙しくも平穏に修行を積んでいる筈ではなかったのか? たしかにこの時代において、都市を護る城壁も立派なインフラで、それを直すのも実習の内と強弁されれば否定し辛いものの、なにも交戦中の都市でやる必要はなかろう。
マルスハイムの魔道士達は一体何をとち狂って、本院から預かった大事な聴講生を最前線に放り出したのだ。ミカのお師匠様が怖くないのだろうか?
私は彼女の師と面識はないが、それでも黎明派の五大閥に属し、そこそこの地位にあると聞いている。少なくとも顔の広さでは、魔導宮中伯になる以前のアグリッピナ氏より強力な御仁を怒らせるに足る程の理由はないと思うが……。
閥内の政治は本当に意味が分からん。どうあれ、我が友の命に危険がなくて本当に良かった。
もし“万一”があったなら、私は出張所襲撃犯という、露見すれば極刑不可避の重罪に手を染めるところだからな。どんな伝手を使ってでも、我が友を死なせたヤツのそっ首を刎ねていた。
これは確定事項である。短慮を起こして真っ直ぐにカチ込むのではなく、数年計画でも確実に殺すメタを張りまくって本気で殺す。彼女は自分の墓標に首を備えられても、困った顔しかしないだろうけども。
本当に良かった。私にとっても、彼にとっても、他の色んな誰かにとっても。
胸を安堵の内に撫で下ろしてから数時間。戦闘後の後始末に一段落が付く頃にはとっぷりと日も暮れ、贅沢にも魔導光源にて照らされた作戦本部らしき場所に私はいた。
場違いな場所、パートⅡである。
フラッハブルグでボーベンハウゼン卿の司令部に入った時以来だから、一月の内に二回も余所様の領地にて重要な場所に招かれたことになる。
私は一介の冒険者でしかないのだが、どうして毎度毎度こういう目に遭わされるのだろう。
それはさておき、居心地の悪い場所はこの世に幾らでもあるが、私が特に嫌いな物が三つある。
一つは恋愛関係の修羅場。これは第三者として巻き込まれたら、阿呆臭くて強烈な蒸留酒でも呷らないとやっていられないから。
もう一つは、前世であれば“ざまぁ”とでも形容すべき復讐の場所。誰かの悲願が叶うのは大いに結構であるが、復讐とはまた違った甘い蜜を啜る時間は正直言って好みではない。たとえ証言者や味方の一人であったとしても、直接同じ空気を吸いたいとは思わない。
最後にして最大のそれは、他人が酷く叱責されている場だ。
「貴公らは理解しているのかね! この都市を陥落させかけた事実を!」
作戦本部にて唾を飛ばしかねない勢いで激昂しているヒト種の中年男性。軽装ながら動きやすい軍装に身を包み、豪奢な剣を佩いた彼の名はノルトシュタット男爵、クルト・フォン・ハイデ男爵。
ノルトシュタット男爵領を統治する、ハイデ男爵家のクルト様、と毎度の如く頭がこんがらがりそうなお名前は、ノルトシュタットに向かうと決まった時、私が名前を思い出せなくて某男爵と暈かしたその人である。
痩せぎすで今にも倒れそうな中年は頼り甲斐がないとも感じられるが、それは長い攻囲に晒された緊張と負荷に依るものだろうか。しかしながら、安定した足運びからは衰えを感じず、辺境の貴族らしく軍事教育の色が窺えるため文官気質の戦を知らぬ人物ではないようだ。
そんな彼が、戦仕度を解いて小さく萎んでいる聖堂騎士団の団長他数名を叱りつけていた。
戦場にて神の加護を受け、爛々と輝く神威にて動死体を潮の如く退けていた武威が嘘のようであった。先頭に立って抗議を受け止める坑道種の……成年? 壮年? それとも老人? 相変わらず外見から年齢が分からねぇ。
ともあれ陽導神の僧らしく、髭を幾つもの立派な金の輪で飾った武僧は、戦場での勇猛さが嘘のようにしょんぼりしている。豊かな髭さえ萎んでいるように見える萎縮っぷりは、反論一つせず叱責を聞いていることからして、ハイデ男爵が仰ることがその通り過ぎると認識しているからだろう。
それに、子供の時より大人になってからの方が、ガチで叱られた時のダメージは大きいからな……特にいい年になって、立場が出来てからのはキツい。更に人前とあっては、心にかなり深々と刺さっているだろう。
「貴公らが出て行けば動死体除けの祝福結界も弱まる! 他の奇跡に頼れば更にだ! そして、軽挙から一人でも討たれたらどうなっていたか! 考えるだけで悍ましい!」
単騎にて敵軍を蹴散らす筋肉の塊みたいな坑道種が、ストレスで痩せた――よく見れば、髪油で後ろに撫で付けた髪の側頭部だけが薄くなっている……――ヒト種に圧倒されている光景は、どこかシュールで面白さすら感じさせる。
ただ、やっぱり人が壮絶に叱責されている場所とは居心地が悪い。大半は彼等の思い込みと軽挙に由来するとはいえ、私達にも責任の一端があるとなれば尚更だ。
ほら、あまりの勢いに勘違いの源流たるボーベンハウゼン卿も「まぁまぁ」と割っては入れずにいるではないか。
キレることに理解はするし納得もできる。我々が危険を冒して大規模な増援ではないと伝えていなければ、どうなっていたか。結果的に大打撃を与えることに成功したものの、その代償として大事な魔法使いが一人潰れかけたとあれば、ノルトシュタット失陥の危険性も相まってブチ切れる程度で済めば御の字だろう。
むしろ、叱られている彼が聖堂騎士団。平たく言えばハイデ男爵の直卒でないから、この程度で済んでいるのかもしれない。彼が家臣であったなら、剣の柄に手がかかっていたのではなかろうか。
とはいえ、こういうのは余人がいない所、会議室に一人で呼び出してこっそりやって貰いたいものだ。関係ない我々でさえ、居心地が悪くて萎縮してしまうではないか。
「フォン・ボーベンハウゼンの来援に沸くのは理解する! しかしだ! 戦況を考えて、軽挙は控えて頂きたかった!」
「……誠に、返す言葉も……」
「言葉は結構! 今後、私の指示なく動かないでいただければよろしい!」
一頻り怒り、言いたいことも言って満足したのか、漸うハイデ男爵は叱責の言葉を吐き出す蛇口をお閉めになった。いや、長い説教だった。かなり鬱憤が溜まっていたと見える。恐らく、今までも指揮権のことで散々揉めていたと見える。
中世ヨーロッパのキリスト教ほどではなくとも、聖堂勢力の独立性は高いからな。そんな彼等が最大戦力、命綱の一本となれば揉めるのも明白だな。そう考えると、よく今まで保ったなノルトシュタット。
が、どうやら胸中で燻る感情の熱は完全に鎮火されてはいなかったらしい。ハイデ男爵は机上にあった水差しから直接水を呷って喉を潤せば――この段に至って、礼儀を問える者がどこにいよう――じろりと我々、即ちフラッハブルグ一行を睨んだ。
あ、これ面倒事運んできた我々にも怒ってるヤツや。助けて貰ったことはさておき、陥落の危険まで持って来んなと大層お怒りのご様子。
「しかし、ボーベンハウゼン卿、よくぞこの状況下で辿り着けたものだ。我々も窮地にあったが、卿が来援するまでこれだけかかったということは、フラッハブルグも攻められたのではないか?」
「はっ、仰る通りです。我等も城館を動死体に囲まれ……」
「そうか。では、斯様な状況下で一体どうしてノルトシュタットを助けに来た。卿らにも余裕などあるようには思えぬが」
「それにはやんごとなき事情がありまして、内密にお伝えすべきことが……」
「やんごとなき事情……か……この後に及び、暗く狭い部屋でなければ話せぬ事情を我が領に持ち込むと」
コツコツと卓を指が小突いている。苛立ちを示す典型的な仕草の一つであり、貴種としてはお行儀がよくないとして窘められる行為。なれど、ハイデ男爵はそれを抑えきれないほど追い詰められていると見える。
「私は卿らが偽物である、と疑ってはおらぬ。籠城当初、逃げ込んだ避難民に動死体が紛れており、何度か危ういことがあったのでな。市壁の門に、化けの皮を剥がす奇跡がかかっておる。その祝福結界は健在ですな、団長殿?」
「間違いなく」
あっ、そういう攻め方もあったな。不思議と力押ししてくれる素直な相手なので、すっかり頭から発想が抜けていた。たしかに私が死霊術師ならやる。閂や蝶番を破壊させ、食料庫や井戸を汚染する汚い戦い方をした方が効率がいいのは当然だ。逆にどうして今までやってこなかったのか。
もっと大きな都市を落とすため、小さな都市では控えていたのだろうか。今のように対策されては、二度と使えないからな。
姿を偽る方法は泥臭い手段から、魔導や奇跡に頼った物など枚挙に暇はないが、それと同じだけ化けの皮を剥がす手段も存在する。ノルトシュタットにおいては、聖堂騎士の誰かが強力な奇跡を門にかけ、偽りの姿で入市できぬようにしたようだ。
だから疑われずに済んでいる。難癖を付けて、都市の失陥を試みた裏切り者と勘違いされかねない状況にあっても。
「故に卿が改造された動死体や、ボーベンハウゼン卿の遺骸を用いた動死体でないことは確信している……が、同時に納得しかねていることもある。純粋に我が領民のために動いたとは、到底信用できぬのだ」
「ハイデ男爵!? 何を仰るのですか!? 我が騎士家はマルスハイム伯の譜代ですぞ!?」
「おかしいではないか。自身の所領も危難に晒されて間もないというのに、何故ここの救援に来ることができた。マルスハイム伯でさえ動かぬのに、代官に過ぎぬ卿が何故だね」
疲労に澱んだ目が明らかな猜疑に染まっている。胡乱に伏した目が問うているのだ。お前達の行動は不可解であるが、それに合理的な説明を付けられるのかと。
「その方らの配下もかき集めて漸く、と見える。数は立派だが徴収兵が多く、冒険者までいる。そこまでして、自領を捨て置き来援した理由は何か? マルスハイム伯は、泣く子供にとりあえず飴を与える程度の増援しか寄越さなんだが、今になって何故か」
言われれてしまえば至極仰る通り。敵側の視点に立てば、動死体の損壊が大きすぎ、換えの利かない火砲をぶっ壊す不利益、その上で演技をするにしても大仰である点に目を瞑れば疑うに十分過ぎる。
冷めた目で見れば、そんなことせんでも、あと一月粘れば終わってただろと言えるけれど、重圧に何ヶ月もおかれてきた頭では、全てが疑わしくて仕方がないのだろう。
「それにだ、そこの冒険者……高名な“金の髪”のエーリヒ殿とお見受けするが、如何に?」
貴種から声を掛けられるまでは黙っていろ、という地下の者が守るべき不文律を遵守していた私にも疑心の視線が注がれる。その通りに御座います、と一歩前に出て肯定してみるものの、大分雲行きが怪しい。
「貴殿の活躍は聞き及んでおる。私も何度か、貴公を題材とした冒険譚を聞いた」
「恐悦にございます」
「だが、その一つとて、貴殿が魔剣の担い手であるなど……それも、物見が卒倒するほどに悍ましき剣の担い手であるなどと聞いた覚えはないのだが」
あー、うん、だよね。というか、卒倒したか、倒れちゃったか。たしかに気が弱い人がアレの気にアテられた上、直後に“雛菊の華”を見れば気絶しても無理はないわな。
悍ましき、と形容されたことに対して小さな不快感の思念が異相空間から脳に届いてきた。まだ深く繋がっている私にしか届いていないが、追求が深まれば顕現して悲鳴をまき散らしかねない。
この困った魔剣は、どうにも承認欲求が強いというか、他人からの評価を気にしすぎるというか、極限に面倒臭いところがあると最近になって判明した。モッテンハイムでの葬儀の晩、配下達からおっかねぇだの色々言われた時に怒って出て来たように、私以外から褒められるのに興味はなくとも、貶されることには我慢ができぬようだ。
果たしてそれは、渇望の剣が持つ個我らしき何かに依るものか。はたまた、自身の悪評が担い手である私を毀損することを嫌ってか。真意は不明ながら、この段階で暴発されると困る。
アグリッピナ氏は奇跡のような物、と仰ったが、担い手である私自身が得心いっていないのであるのだから、初見の余人は尚更納得がいくまい。たとえ高位の神職であっても、一目で見抜いてくれるだろうか。
ああ、もういいや、面倒くさい。色々説明するつもりだったが端折っちまえ。ボーベンハウゼン卿は内密に伝えたかっただろうが、どうせこの攻囲下では無理だ。それならばいっそ、派手にやって一気にひっくり返しちまった方が確実だ。
天にまします嫌らしき笑みで我々を苛むことに悦びを見出すGMは、PCが必死こいて頭を捻り、錯乱した男を丁寧に丸め込める説得ロールをお望みのようであるが、悪いが悠長なことをしていられる程、私も精神的に余裕がないのだ。
「あまりに異様でないか! 全てがおかしい! 辻褄が合わぬ! マルスハイム伯は動かず! かと思えば代官が一人だけで手勢を率い! 冒険者が魔剣を抱えて、奇妙なまでに敵を屠る! これで謀られていないのであれば、私は一体何を見せられているのだ!」
本当に仰る通りだよ。私達は、一体何を踊らされているのやら。
「では、その答えを全てお教え致しましょう」
私は随分と乱暴に聞こえる口調で吐き捨てて、取り決め通りに思念波を放った。そして、皆に先んじて跪く。
「皆様、お控えください」
あの夜、私に策と幾通かの書簡を授けたアグリッピナ氏は、ノルトシュタットに到着して交渉が難航したなら、予定は空けておくから遠慮するなと下命なさった。
なので、遠慮しないよ。もう面倒だもん、書簡取りだしたって読んでくれるか妖しいし。
それに以前も言ったろう。コネクションアイテムはアイテム欄に書いてるだけじゃ意味がないのだ。使える時には使うとも。本人が使えと言っているし、そもそもここに来たのは本人からの言い付けによるものだ。
帝都から西の果てくんだりまで呼びつけたとして、不興を買うことはないはずだ。
「ウビオルム魔導宮中伯アグリッピナ様のお見えです」
私の思念波に応じて、部屋の中央に開いた空間の“ほつれ”が全部を解決してくれる。
多分、きっと、もしかしたら。
してくれたらいいなぁ…………。
GM「あのぉ、ちゃんと説得してほしいんですけど」
PL「一時的狂気入ってる人って説得にマイナス修正入りますよね?」
GM「心理学使って落ち着かせろよ! 初っ端から鬼札切るな!」




