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青年期 十八歳の晩春 六三

 最も適切な剣の振り方ができたと実感できるのは、敵を斬り倒した瞬間より、動き続けていても疲労を感じない時だ。


 我が剣の師、ランベルト氏も仰っていた。威力は捨て身になって渾身で放ち、良い剣を持てば誰にでも出せる。


 真に優れたる剣士は、混戦に身を置いて何時間も剣を振り続けようと、刃を鈍らせず疲れもしない剣士であると。


 緩慢ではないものの、杓子定規な型で剣を振るう動死体の動きを読み、剣を振り上げる刹那を図って懐に飛び込んだ。ハーフソードに構えた渇望の剣、その切っ先を体内に潜り込ませて筋を断つ。


 鎧の空き所を狙い、刃先を潜り込ませる動作をこの一月でどれ程繰り返したか。


 だらりと腕が垂れるのを待たず、そのまま腕を振り切って動死体を投げ飛ばし、動作の中で刃先を抉って傷口を拡張して、刃に縋るように締まった筋肉の束縛を振り払う。


 「ふぅ……随分さっぱりしたな」


 「ええ、そうですわね」


 今ので剣が届く限りの動死体は完売と相成った。


 我ながら頑張った方じゃなかろうか。最早単調作業の趣を見せながらも、気を緩ませたら取り囲まれて死ぬ状況は、敵の強さとは別の難しさがある。


 私は所詮、斬られれば死ぬ儚い定命だからな。コインをもう一個、と言えない一発貰えば終わりの状況で戦い続けるのは、往年の横シューティングゲームのようであり、敵がどれ程与しやすくとも油断は許されないのである。


 順手に渇望の剣を握り直し、血糊を払うため振り払えば黒々と陽光を照り返す刀身には、油の曇り一つ付いていなかった。


 同様に倒れた動死体の四肢を解体していた、<見えざる手>が握る全ての剣を眼前に並べてみれば、彼等にも溢れや歪みはなく、頼もしい鋼の輝きを見せつける。


 さて、斬って捨てた動死体はどれ程になるか。辺り一面で敵であった哀れな亡骸が、四肢の全てを断たれ――完全に斬り落としているのは少ないが――命令を果たせぬまま健気にも蠢き続けていた。


 息は微かに上がった程度。汗はほんの少し滲む程度に。五体には余力が残り、乳酸の蓄積を感じるもののまだまだ動ける。


 持ち込んだ得物は全て問題なし。人間の脂でテカっている物も見受けられたが、斬り捨てた数と比較すれば微々たる物だ。


 これならば、ランベルト氏も褒めてくれるだろうか。


 「どれだけ斬ったかな。無心だったから数えてなかった」


 「さぁ……私も存じませんわ。ただ、強いて言うなら、もうボルトも矢筒も空っぽでしてよ?」


 「なら、かなりやったのは確実か。補充の心配は……要らないか」


 “手”を伸ばして打ち倒した動死体が持っていた矢筒を失敬し、マルギットに差し出せば、彼女は小さく溜息を溢した。


 「これでは、また手がずるむけになってしまいますわね」


 「誇らしく硬い手を取り戻す第一歩だと思って我慢しておくれよ。それに、ほら」


 まだ斬り足りないらしく、強請るような思念波を向けてくる渇望の剣を向けた先に目をやれば、そこではボーベンハウゼン卿が聖堂騎士団と合流して何事か会話を交わしている最中であった。


 「そろそろ終わりそうだ。私達も帰り仕度をしなければ」


 意気揚々と討って出て、鬼神の働きをしていた聖堂騎士団が困惑しているのが分かる。


 私の予想通り、ちとやり過ぎていたようだ。我等の張り切り過ぎのせいで、大軍の来援と勘違いさたという懸念は大当たりだったか。


 このまま当初の予定通りに逃げていれば、虎の子の聖堂騎士団は来ない味方をアテにした無茶な突撃によって敵中で孤立。動死体ほど圧倒的な有利が取れぬ反徒の通常戦力の手に掛かって壊滅は避けられなかった筈。


 そうなれば街の士気は一息に挫け、絶望のままに抵抗する力を喪って陥落していたに違いない。


 本当に危なかった。もう少しで余計なお世話どころか、一番の戦犯になってしまうところだったな。


 「帰ると言っても、お客様方は帰してくれそうになくってよ? 如何なさるおつもりで?」


 いやぁ、危ない危ないと額の汗を拭っていると、マルギットは私の肩に顎を乗せ、脇の下から通した手で周囲をぐるりと示す。


 最大戦力を迎え撃て、と簡単な命令だけが下された動死体の残りが見渡す限り。緩い包囲を敷いていらっしゃるではありませんか。


 それもそうだ。人口数千規模の都市を囲みきる大軍である。私が踏ん張って百や二百斬ったとしても誤差の範囲に収まる被害。一撃で数百を消し飛ばす火力がなければ、残念ながら個人が戦況をひっくり返すことはできぬ。


 まぁ、逃げるくらいなら何とでもなるから、こうやって味方の援護として逃げずに踏みとどまったのだが。流石の私も劇的に死ぬために相方を背に乗っけ、死地に踏みとどまるような酔狂さは持ち合わせていないからな。


 川沿いを走って城門まで向かっていた、ジークフリートも居る歩卒の一団も逃走を終えつつあり、困惑しながらも聖堂騎士団は転身の準備を始めておいでだ。


 つまり、私がここで無茶をする理由もなくなったと。


 条件は整っているし、遠慮無く切り札を使おう。渇望の剣も沢山斬ったから、もういいだろう? いつまでも散歩し続けたいとダダを捏ねる駄犬じゃないのだし、良い剣とは主が斬りたい時にだけ斬れる剣であると心得て我慢したまえ。


 それにだ、ここまで大っぴらに暴れたのだから、もう一枚くらい濡れ衣を着せたところで文句は言うまい?


 「耳塞いで、口は開けておいて」


 「あー……いつぞや教えて下さったアレですわね。ええ、よくってよ」


 呼び出した剣の数々を送り返し、空いた<見えざる手>で腰元の物入れを漁って触媒を取り出す。


 そう、私の大事な手と足をぶっちぎってくれた、仮面の変態もとい貴人に使ったのが最後になっていた“菊花の華”の触媒だ。


 これは正しく切り札である。高火力、生物全てに特効、範囲殲滅型の戦術級術式に近い現代科学から発想を借りた破壊の権化。


 モッテンハイムの防衛戦では、広く散った散兵相手では効果が発揮できぬと温存していたが、今は誂えたように丁度良い状況だ。


 密集しており逃げる場所もなく、むしろ向かってくる敵には最適の一発。


 動死体相手には生者程の理不尽さを発揮するまいが、動きを止めるには十分過ぎよう。少なくとも、蛋白質とカルシウムの塊を粉砕する程度の火力はあるのだから。


 正直、これは持ち込んだ設備だけで生産するのは難しいため、マルスハイムでは補充ができない本当の意味での切り札になりつつある。液体酸素を作る構造が複雑過ぎて、アグリッピナ氏の監修がなければ、トチった時に大事故に発展しかねない。


 ボヤで済めばまだいいが、一部屋吹っ飛ばしたら女将さんは弁償で済ませてくれるやもしれんが、赤ん坊が居て気難しい状況のフィデリオ殿がブチギレた時にどうなるやら。


 しかし、使い時に使ってこその切り札である。折角の全除去も手札で腐らせていては意味がない。必要とあらば、小粒揃いで勿体ないなと思う時でも使う勇気が必要だ。ケチって致命の一撃となっては、それこそ何の意味もないのだから。


 <見えざる手>が目標の中心に触媒を握って飛んでいき、私はそれに合わせて、さも“渇望の剣”の権能に見えるよう、脇構えに剣を構えた。


 「散れっ、雛菊の華!」


 そして、満身の一撃を込めた空振りの斬撃を放ちつつ、久方ぶりとなる術式励起の詠唱を口にする。


 手が触媒の外郭を握りつぶし、内部に湛えた液体酸素を解放。気化するに伴って数千倍に膨れ上がるそれが“現出”の術式によって倍増され、結界によって隔離された空間に遍く充満する。


 最後に巻き起こるのは、たった一つの火花。皮膚の上で弾けても赤らむことすらないささやかな火種は、高濃度の酸素と化合し爆炎を巻き起こした。


 基点から衝撃波と炎が広がる爆発ではなく、空間全てが断続的に爆ぜる術式の火力は壮絶の一言に尽きた。本来ならば一瞬で駆け抜けていく衝撃波が、一つの空間を数秒間絶えず攪拌する“気化爆弾術式”は、内部に捉えた全てを完膚なきまでに破壊し尽くした。


 舐めるように広がる破壊の愛撫は一瞬の瞬き。地面が抉れて壮絶に割れもせず、派手に燃え広がることもない。ただ薙ぎ払われた空間の中、幾重もの衝撃波によって肉体を“砕けた骨と潰れた臓物”が詰まった革袋に作り替えられた動死体が散らばるばかり。


 見た目だけで言えば、世界そのものを焼く魔法の炎と比べればささやか極まる現象。あれから精度を上げた隔離結界のおかげで、仮面の貴人と戦った時のように溢れた衝撃波で無様に吹き飛ばされることもなくなったから、尚のこと地味だ。


 しかし、吹き抜けた後は死しか残らぬ大気の打擲は、頑強無比たる動死体の全てに長い暇を出した。


 不死の軍勢とあっても、起き上がるための肉体が砕けていては、最早這いずることも蠢くことも出来ぬ死肉の塊に過ぎぬ。特に強化が施されていない、術式によって動く量産型の動死体であれば完全に無力化したに等しい。


 「こんなものかな」


 さも力を使い果たしたかのように渇望の剣に命じて消えさせ、“送り狼”一本だけの状態に戻る。かなり大仰というか劇場的な振る舞いをしてしまったが、魔法使いであると露見するよりはいい。


 さっき叱ったにも拘わらず、去ることを惜しむ駄犬もとい駄剣に静かにしてろと叱り飛ばした。かつてはおっかなびっくり扱っていたコイツにも慣れたものだなぁ。


 不意の一撃に備え、剣を担いで空間諸共に破砕されて風通しの良くなった空間へ走り込む。


 燃費は良いが出費が最悪なので、もう今回は使えないが、これで敵が怯んでくれたら有り難いな。さしもの敵さんも動死体の軍勢を立て直そうが、戦術級術式の術式で焼き払われるとやりづらかろう。戦場では死体の補充が簡単といえど、包囲戦では敵の死体を簡単には拾ってくることもできないのだし。


 敵を一掃し門前へえっちらおっちら走って行くと――進撃する味方のためにか、門前の泥濘はすっかり乾いていた――城門を閉めることもせず、ボーベンハウゼン卿達が轡を並べて待っていらした。


 「エーリヒ殿! 急がれよ!」


 我々の帰還を信じて門を開けておくため、残ってくださったのだ。私だけであれば、冒険者一人の命よりも都市の安全の方が大事だと、無視して閉められてしまうこともあり得たから。


 市壁の巨大な門は、一度閉めると中々開けられない。家の戸のように、ちょっと通る隙間だけ開けておくのが重量や構造上の問題で難しいとはいえ、侵入される危険を冒して帰還を待っていてくれたと思うと、些か涙腺が緩みそうになった。


 「ご無事か! 聞きたいことは多いが、それより先に市内へ!」


 「はい! ボーベンハウゼン卿! 忝い!!」


 「配下を救ってくれたのだ! それくらいせねば、私は祖先の墓前に胸を張って立てぬ! さぁ!」


 卿に導かれ敵に打ち砕かれた門を潜れば、その内側の壮絶たる殺し間であった虎口の中で驚くべき物を目にした。


 巨大な鉄扉が倒れ伏し、動死体を何十とその重量によって踏み砕いているのだ。


 これは……一体どういう状況なのだ? 漸う見れば、この虎口の中にも家の基礎が残っているなど、どうみても急拵えであるし、あの鉄扉も狙って倒せるような物でもあるまい。


 況して、乾坤一擲の出撃を行うにしても、失敗した時のことを想定して使い物にならなくなるような真似はしないと思うのだが……。


 余程の使い手がおり、倒した門でも修復できる目処が立っているのだろうかと思いつつ卿らと市内へ駆け込めば、万一に備えて人の壁を作って備えていた聖堂騎士団の武僧が手を上げて叫んだ。


 「戻られたか! よし、門を閉じよ!」


 「承知!!」


 すると、背後で大きな魔力が渦巻く気配を感じた。


 いや、それよりもだ、人のざわめき、未だ興奮冷めやらぬ軍馬の荒い息に紛れて耳に届いた呼応の声。甘く涼やかで、されど芯がしっかり通った強い意志を感じさせる声を私が聞き間違えることがあるだろうか?


 咄嗟に振り返って見れば、なんと倒れた鉄扉から幾本もの鎖が壁に伸び、その収縮に従ってゆっくり持ち上がっていくではないか。重々しい鋼が軋む音を伴奏とし、長きに渡って動死体の攻勢を阻み続け、出撃に至っては鉄槌として騎士達の出撃を助けた鉄扉が再び役割を果たさんと身を擡げた。


 壁を震わせ、大地を揺るがして正しき位置に戻った鉄扉は、新たに生やされた三段の蝶番で壁と硬い抱擁を交わす。例え真正面から火砲の水平射を浴びても、開くことも揺るぐこともないと確信できる護りの根元には、一人の魔法使いが立っている。


 戦塵渦巻く中にありながらも、魔導の誇りを穢しはするまいと綺麗に保たれた暗色のローブ。鉄棍にも似た無骨な杖に縋るような有様になっても、力は抜けず輝きを放ち続ける強い瞳。


 そして、長く癖のある艶やかな黒髪を一体どうして見間違えることができるのか。


 「み……ミカ!?」


 扉を直したのはミカだった。マルスハイムにて再会した彼が――今は周期的に彼女――どうしてこんな最前線も最前線、陥落も然程遠くない街にいるのか理由が全く分からん。


 「え……エーリヒ……!?」


 しかし、私は背にマルギットが居ることも忘れて駆け寄っていた。私の姿を認めた彼女が、膝から崩れ落ちそうになったからだ。


 体から力が抜けた彼女の姿勢が崩れきる寸前、両脇に手を差し入れて支えるのに成功する。女性体になっても背が高い彼女の私と並ぶほどの長身を抱き留めるのには難儀したが、それでもふらつかずに済んだのは、彼女を地面に転がして汚してはならぬと一心に想ったからか。


 「どうして、どうして君が此処に!?」


 「は、はは……それは僕の台詞でもあるよ、我が友……お互い、試錬神の寵愛が篤いようだね……?」


 明確な魔力枯渇の症状である、鼻血を一筋垂らしながらも微笑む彼女を横抱きに抱き直して持ち上げる。鼻血は頭痛に続く第二の症状であるが、この消耗具合からして深刻な影響が出ているに違いない。最悪、次の瞬間にも耳から血を流して昏倒する可能性もある。


 あの魔宮。二人で潜った魔剣の迷宮にて、私の命を救うため最後の一滴まで魔力を捻り出した時のように。


 「……怪我人が相手なら、仕方ありませんわね」


 背から跳びのくマルギットの囁きは耳に届いていたが、殆ど聞こえていなかった。


 疲れはしたが余力の残っている私と、直ぐに手を打たねばならぬ状況にある彼女。どちらを優先すべきかは分かりきったことだからだ。


 「癒者は! 癒者はいないか!」


 さっきまで頭の中を巡っていた、合流したら魔剣のことをどう釈明しようだとか、逃げ込みはしたがこっから先をどうすっかなぁ、という悩みは一瞬で吹き飛んだ。


 今は腕の中で荒い息を繰り返す、予想外に顔を見ることとなった友人の方がずっと大事であるから…………。












【Tips】魔力には意志の力が強く影響するため、気が抜けると一気に魔力枯渇の症状が進行することもある。

度々間が空いて申し訳ない。

書いては消し、を繰り返して遅くなりました。


去る九月二五日に発売した4巻下、購入報告など頂きありがとうございます。

5巻に繋がれば、ついにあのヘンダーソンスケールが……! と思いつつ、完全新規書き下ろしのプロットを練っております。

Web版使えるの、本当に導入の一部くらいかなぁ……。


紙媒体、電子書籍共にご支援をお願いいたします!

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 蜘蛛女はほんと独占欲強すぎ。
[一言] 皇帝陛下の評価がいつのまにか奇人から変態に
[良い点] あー続きがきになる。 確かな眼をもった人の客観的な主人公の強さか剣のやばさが語られるじゃなかろうか。教会にめをつけられなければいいけど。 戦略規模までいかなくても、戦術規模に影響を与えるほ…
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