青年期 十八歳の晩春 六一
絢爛豪華たる重装騎兵の突撃は、最早時代後れになりつつあるも、そこに神のご加護が煌めけば話は違ってくる。
「進め! 神の加護ぞあらん!」
遠く離れていても聞こえる声も、奇跡によって増幅されたものだろうか。空気を割る巨大な声ではなく、遠くまで自然な声量で響くそれは、本来大聖堂などでの説法に用いられるものなのかもしれぬ。
しかしながら、この状況では敵の士気を挫き、味方を鼓舞するのに最適と言えよう。
「おいおい、嘘だろ打って出てるぞ!」
「見ろ! 聖堂騎士だ! 今時あんな馬鎧まで持ち出す連中、そういねぇ!」
「旗印を見ろ! 騎士も混ざってやがる! 五〇以上は軽くいるぞ! 総掛かりなんじゃないか!?」
突撃に特化した騎兵槍から放たれる陽導神の奇跡によって、現世に縛り付けられた動死体の術式が解けて崩れ落ちて行く。
奇跡を受けても昇天せぬ強固な個体も希にいるが、力を削がれれば最早精強な兵士とは言えず、未熟な大道芸人が操る操り人形の如き緩慢な動作。槍の穂先に掛かって完全に祓われるか、馬蹄に踏みにじられて戦場の泥と同化して消えてゆく。
ああ、いつの間にか戦場を広大に埋めていた泥が乾いているではないか。全域が干上がった訳ではないが、騎兵達が動ける限りの地面が整えられている様子を見るに、籠城に疲れ果てて激発したり、最後は華やかにと自暴自棄になったりしているのではないと確信できる。
間違いなく、戦術的な勝利を確信しての出撃……。
「クソッ、格好良いなぁ! でもなんで今頃……」
あっ、やばい。
私達はちょっとやり過ぎたのではなかろうか。
「卿! ボーベンハウゼン卿!」
カストルの手綱を手近な誰かに頼み、他の者達と同じく中ば忘我しながらノルトシュタットの切り札が暴れている姿を見ていた、ボーベンハウゼン卿の肩を揺すって意識を現実に引き戻させる。
「どうしたエーリヒ殿」
「拙いことになったかと。ノルトシュタット側は、我らの暴れぶりを見て大軍勢の来援と勘違いしたのでは」
「何!?」
我々は我々で盛大に暴れた。砲兵陣地に騎兵突撃をかけて黙らせ、その上で敵本陣へ突っ込んで盛大に火葬してやった。テルミット反応がもたらす盛大な発光は、砲兵の丘が目隠しになっていてもノルトシュタットから観測できたことだろう。
その光は、真っ当な軍人には“戦術級魔法”の行使に見えたのではなかろうか。
その上で我々はノルトシュタットの解囲を目論んでいるような動きを見せている。砲陣地を叩き潰し、本陣を焼き払い、そして敵騎兵戦力を誘引して戦い続けた。
周囲を敵に囲まれ、何ヶ月も情報を断たれていた都市からすれば、やっと味方が万の軍勢を率いて助けに来たと勘違いしても無理はない。
「然もなくば、不死者相手の虎の子である聖堂騎士が出てくることはないでしょう! 間違いなく、解囲にかかる味方の援護にと命を捨てて出て来ております!」
「まっ、拙い! では、このままでは敵中に孤立するではないか! ええい! 馬を! 首などもうどうでもよい! 連戦になるが、皆急げ!! 助けに来た我らが味方の破滅を招いてはならぬ!!」
重騎兵の突撃力は、一騎で歩卒一〇人分以上になるというが、無限に前へ前へと突き進める訳ではない。敵陣を食い破れば食い破る程、死者達が冥土の土産と衝撃力を道連れにし、やがて足が止まる。
そうなれば、神の威光溢れる聖戦士とて、敵陣で孤立した哀れな騎兵でしかなくなる訳だ。
下馬戦闘の心得もあろうが、馬の機動力がなくなれば、今度はノルトシュタットに帰ることができなくなる。敵とていつまでも混乱していまい。正気を取り戻したならば、敵の虎の子を一気に狩れると増援を出すはずだ。
片道一方通行、行ったきりの突撃で使い果たしていい戦力ではない。街の生き死にに関わる重要な戦力だ。
我々が来たのを“余計なこと”にしないため、何があっても生きて帰って貰わねば困る。
「カストル! カストルこっちだ!!」
慌てて愛馬に飛び乗るボーベンハウゼン卿に倣い、私も指笛を高く鳴らしてカストルを呼び寄せる。勝利の余韻などあっという間に消し飛んで、皆大慌てで再結集している。
「騎兵は集まれ! このまま聖堂騎士達に合流し、事情を報せ離脱を援護する! 歩卒達は全力で走って市壁へ向かうのだ! 退路を閉じさせるな!」
卿の指示は突然の事態に混乱しつつも的確だ。歩卒をここに残していく訳にもいかず、また敵は盛大に蹴散らされているものの、残った数も多い。元が大軍だけあって、正面を薙ぎ払っても周辺から幾らでも押し寄せて来るのだ。
「遅い者は置いてゆく! 陣形などよい! 軍旗を掲げよ! 我に続け!」
これ以上なく巧遅より拙速が尊ばれる状況。ボーベンハウゼン卿は従兵に畳んでしまっていた旗を投げつけ、槍に括るように命じている。
もう攻撃していると悟られるのが拙い状況ではないのだ。むしろ、出自を明確にしておかねば、市壁の上に陣取った弓手から撃たれかねない。歩卒と騎兵、どちらも旗印を立てて敵味方を明確にして進まねば、同士打ちで数を減らすという何処までも馬鹿馬鹿しい目に遭いかねないからな。
ただ、このまま騎兵として全員が続くのも拙い。剣友会の会員には、ヨルゴスのように下馬して戦闘に加わっている者もいるので……。
「おい、エーリヒ!」
声に反応して振り向けば、そこにはポリュデウケスにカーヤ嬢と二人で乗ったジークフリートの姿がある。ああ、その姿は間違いなく突撃に加わるためのものではない。
私の代わりに歩卒隊に混じった剣友会会員の指揮を執ろうというのだ。
「頼めるか!」
「一々聞くな! 黙って死にに行ってこい!」
問えば愚問とばかりに答えが帰ってくる。戦友よ、君こそ危ない所に突っ込むのだぞ。歩卒の方が数が多いとは言え、今から市壁まで歩いてゆかねばならぬのだ。敵の注目が聖堂騎士の騎兵隊に行っているからといって、楽な道行きではあるまいに。
しかし、彼とカーヤ嬢がいるなら心強い。後顧の憂いなく突撃できる状況は、これ以上有り難いものはないからな。
「ノルトシュタットで会おう!」
「おう! クソっ、離脱するよりよっぽどしんどいぞこりゃあ!」
鎧を擦れさせる音を立てて去って行く歩卒達を見送り、私もカストルの腹に一蹴り入れて走り出した。拍車の合図に従って増速するカストル。丘を登り、全力で敵から逃げてもまだまだ走ってくれる彼は、本当によい馬だ。もう随分な歳だから、そろそろゆっくり休ませてやりたくもあるが……。
林の切れ間に達する寸前、背に軽い衝撃が走る。その軽さは軽く揺すられた程度でしかなく、全く予想していなかったとしても、鞍上で姿勢を崩すことはあるまい。
況して、必ず来てくれると分かって構えていたなら尚更だ。
「はぁ……また難儀なことになりましたわね」
「いや、全く。誰か試錬神の寵愛が篤すぎる人がいるみたいだね」
木の上で騎兵を迎え撃つため控えていたマルギットが背中に帰ってきた。彼女もジークフリートと同じく、私が声を掛けずとも“どうするか”分かりきっていて備えてくれていたのである。
そして、良い位置に来た背中に飛び乗って、いつものように死角を護ってくれる。これでもう怖い物は何もない。
ただ、背後の気配が何か言いたそうな微妙な思念を放っているのが不思議だったが。私、何か変なことを言ったかしら。
まぁいい、今はそれ所ではなくなった。派手にビカビカと奇跡の一撃をぶっ放し続けている聖騎士を救いに行かねば。正直、このまま放っておいても動死体だけなら殲滅してしまいそうな勢いではあるものの、敵はまだまだ残っているからな。
我々が焼いたのは本陣に過ぎない。高級指揮官が会議なんぞで集まっていたならば大打撃を与えられたと思うが、それでも騎士階級くらいは残っている筈だ。
専業軍人なら気付く。このまま好き勝手に暴れさせては、折角の包囲が無駄になると。己の手勢だけでも混乱から回復させ、手近な兵卒も吸収して跳ね回る敵を抑えに来るに違いない。
さすれば如何に聖堂騎士とて、動死体相手と違って絶対的優位という相手でもないので被害は避けられまい。後は少しずつ混乱から回復し、せめて敵の首一つでも取って失態を精算しようと考えた敵に集られて壊滅する。
これだけの包囲なのだ。敵にも魔導師とまではいかずも、魔法使いの一人二人、奇跡を許された僧の幾人かもいよう。向こうが切り札を思い出すだけの冷静さを取り戻す前に、陣地に引き上げねば。
「止まるな! 合流することだけを大事と心得よ!」
しかし、速度だけを優先して飛び出したのもあるが、纏まりのない酷い格好になったな。形だけは先頭に立つ――指揮官先頭精神、高貴なる者の義務でもある――ボーベンハウゼン卿を後続が追ったため楔形陣形に近いが、密集具合が足りぬため強度に些かの不安がある。
ここで練度不足の騎兵が多いことの弊害が出た。古参が声を掛けて密度を上げさせようとしているが、走ることと槍を保持することに必死で聞こえていない者も多い。
仕方ない、金を貰う約束はしているのだ。言い訳も立つのだし、いざとなれば幾らでも補佐して進ぜようじゃないか。
「覚悟を決めろ! 帝国のために!! 皇帝陛下万歳!!」
「「「帝国のために!! 皇帝陛下万歳!!」」」
帝国軍人の決まり文句を口にして、我らは遂に敵陣に食い込んだ。本日二度目の騎兵突撃だ。
目の前の強大な脅威たる聖堂騎士団の意識を取られていた動死体の軍勢は、いっそ見事なまでに後背からの突撃を貰った。全力で駆ける馬体に弾き飛ばされ、馬蹄に踏みにじられ、槍の穂先、剣の刃を受けて切り開かれていく。
対応が鈍い! 有り難い! 敵は繊細な指揮が執れていないな!
前から少し考えていたのだ。動死体の指揮を執っている死霊術師は、その操作に容量の多くを取られており、繊細な指揮が得意ではないのかもしれないと。
一体一体繊細に扱えたなら、モッテンハイムの防御はもっと手間取ったはずだから。敵が不死性を活かした分散進撃によって集団戦をさせてくれないのも、数を纏めた平押しと同程度にキツくなる。
しかし、個体ごとに命令を出していては指揮がままならぬ。弟子や配下を通じて処理を分担しているにしても、指揮官は一人だ。全体を眺め、全ての事態に反応して対処するのは、余程ぶっ壊れた長命種でもなければ不可能。
あれだよ、見下ろし視点で数万の軍勢を指揮するRTSみたいなものだ。経験者なら分かるだろう? 趨勢が気になる所ばかりを見ていて、端っこの方の予備戦力が騎兵に食いつかれて散々な目に遭っているのに気付けないなんてこと。そして、気が付いたら大分手遅れな状態になっているのさ。
私も覚えがあるよ。後方においてるから大丈夫だろう、と目を離していた将軍ユニットが騎兵に狩られて指揮崩壊。グダグダになった中央が突破されて、収拾が付かず八割方殺されて終わったことが。
今、敵は明らかに手が足りていない。本陣を吹き飛ばしたのが利いている。あそこに指揮官に混じって、指揮を執らせていた弟子でもいたようだ。
このままなら押せる……と思ったが、そうは問屋が卸してくれなかった。
周囲から上がる悲鳴、馬が転がる轟音。
味方がやられ始めたのだ。
そうだよな、敵は動死体。制御が追いつかなければ“手近な敵に反撃しろ”とでも単純な命令を出しておけば壁にはなる。
そして、人間の兵士が構築する戦列と違って、意識の埒外、後方から突撃を喰らった所で慌てふためいたり、死の恐怖に襲われたりして士気が挫け、四分五裂なんてしてくれない。
勝ちの目がなかろうと、味方から見捨てられようと、その場で四肢を失って動けなくなるまで戦い続けるのが動死体の恐ろしい所なのだ。
「ぐっ! 寄るな! ええい! 集まれ! 密集するのだ! 足を止めるな!」
騎兵が敵陣を突破できるのは、陣を成す歩卒が逃げ散るからでもある。踏みにじられながらも臆せず持ち場に残られてしまえば、その衝撃力は否応なく削られる。どれだけの剛速球であっても、布団に叩き付ければ衝撃が死んでしまうように。
このままでは混戦になり被害が出すぎる。私はマルギットが援護してくれているからなんとかなっているが、ボーベンハウゼン卿でさえ槍が近くを掠めるような状況になってしまった。
出し惜しみはしていられないな。
「ボーベンハウゼン卿! 止まられるな!!」
「おおう!?」
卿に斬りかからんとしていた動死体の背に“送り狼”を投げつけて地面に伏せさせつつ、空いた右手を天に伸ばして呼びかける。
無理だとは分かっているが、できるだけヒロイックに見えるよう。手にしたそれが精神を削り、正気を侵していく邪悪な武器ではなく、強力な魔剣程度に認識してもらえたらいいなぁ、という願望を込めて。
「~~~~~~~~~~~~!!」
敵本陣への突撃や、追走する騎兵相手の殿に立った際に貶すようなことを言ったからか、いじけていた“渇望の剣”が求められて上げる喜びの絶唱は、平素よりも数段高く、より禍々しい旋律となって空間を削り取った。
割れた硝子を擦り合わせ、鋼が折れる音を混ぜた正気を削る音は、動死体でさえ不快にさせたのか動きが止まっているのが見えた。
まぁ、これだけ派手に抜き放てば、同じく虚空から連続で呼び出した剣達が空中で踊った所で目立つまい。余人の目には私が魔法を使ったのではなく、魔剣の権能に見えてくれることだろう。
剣を掴んだ“見えざる手”が空中を奔り、馬から落とされて今にも討たれようとしていた兵士達に群がる動死体の手を叩き落としていく。次いで持ち換えられぬよう逆の手を刎ね、首を落とし、膝を撫で切りにする。
吹き荒れる刃の嵐が一瞬で動死体を斬り倒し、突破力を吸収されて足を止めつつあった騎兵の周囲に僅かな間隙を作り出した。
「進まれよ! 殿は任された! 落馬した者は私の周囲に!」
二回目の突撃にして二回目の殿か。まぁ、敵を突破したのに取り残された味方を救うべく、再突入するよりマシか。何よりエーリヒが来るぞ! では語感がよろしくないし、それならば抜けぬ壁として立ちはだかる方が格好も良かろう。
「あんまり損な役回りばっかり買って出て、どうなさいますの!?」
「後で高く転売するから許しておくれよ! 上手くいけば、モッテンハイムだけじゃなくてノルトシュタットでも祭りの一つもしてくれるかもしれないさ!!」
相方は無理をしすぎと怒っていらっしゃるが、ここでイモを引いて損害を出したくないからな。既に出し惜しみ、下らない考えで配下を失った。
ならば、ここは無茶のし時といえよう。
もう魔剣をぶら下げていても、それを奪おうと恐喝されるような新入りではなくなったのだ。この際、幾らか悪目立ちしたって構うまいよ。
後で悔いるより、さてどうやって黙ってて貰おうと頭を捻る方が気も楽さ。
まぁ、目下一番気になるのは、こんな見るからに邪剣って代物を“聖堂騎士様”の前でぶん回して、異端の疑いを掛けられはせんだろうなということだが…………。
【Tips】時に邪悪な力に由来する道具を用いていた場合、聖堂から監査が入り、異端として認定されることもある。




