表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
211/299

青年期 十八歳の晩春 六〇

 籠城している街の空気は平時と大きく異なる。


 外では戦をしており、市壁では兵士が。いいや、誰かにとっての父や兄弟、夫や恋人、気の良い隣人や友人、行きつけの店の店主や店員が戦って命を散らしているのである。


 喩え中央から殆ど蛮地と変わらぬ辺境と扱われていたとしても、ここは帝国なのだ。法による統治が行き届き、そこそこの安全が約束された誰かにとっての故郷。


 食料の制限や避難の強制など心を暗くする要素は幾らあれども、一番人々に重くのし掛かるのは故郷が、知っている人達が危険な状況にあること。


 そして、そんな彼等の奮戦があったとしても、いつまで自分達が生きていられるかも分からぬことであった。


 「キツいね」


 そんな街の中、人気の失せた広場で片足が折れて傾いだ長椅子に座りつつ、ミカは煙草を咥えた。指を一つ鳴らして火を灯し、魔力枯渇と寝不足で顔色が悪くなり深い隈が刻まれた顔を曇らせる。


 籠城戦の防衛に参加して十日が過ぎた。門が壊れる度に直し、市壁を再建した回数をもう覚えていない。魔力不足の頭痛は慢性化しつつあり、一昨日には遂に鼻血が出るに至った。


 魔力の回復速度には個人差がある。元々の貯蔵量もそうだが、一日にどれだけ体の内から湧き出てくるかは完全に個々人の才能のみではなく、摂った滋養や休息の質にも大きく関わる。


 ミカは元々魔力の貯蔵量は多い方であり、実技で苦労したことはなかった。魔力枯渇で鼻血や耳血を流したのは、後にも先にも友人と巻き込まれた迷宮で無茶をした時くらいのもの。あの時より体は成長し、それに合わせて魔力の形なき器も大きくなっていた。


 だとしても、これだけ毎日毎日巨大な構造物を修理していれば、燃費の良い魔術を使った上で材料や触媒を贅沢に使っていても消耗は相当の物になる。


 のみならず、敵は嫌がらせとして夜中にも攻撃を掛けてくるのだ。


 大規模とは言えぬ、砲を打ち込んでくる程度のハラスメント攻撃に過ぎないが、それでも寝てはいられないため気が休まる暇はない。いつもの嫌がらせだろうと暢気に気を抜いていれば、じゃあ今襲ってやれば大変なことになるなと敵も攻め時と考えるのだから。


 ここ十日でゆっくり眠れた時間は一〇と少し位と言った所か。敵からの攻撃によって眠れないのは勿論、慢性化した頭痛のせいで目を閉じても浅い眠りしか訪れず、夢なのか起きているのかも曖昧な状況が続くばかり。


 籠城の生命線であるため一等良い寝室と配給制限下とは思えぬ豊かな食事、そして風呂も沸かせて貰える望外の待遇であっても疲れを癒やしきることはできなかった。


 「いつまで続くんだ……? 僕は……僕は……帰れるのか?」


 頼みの綱の魔導師殿――聴講生であっても、周囲が魔導師としての仕事を期待するならそう振る舞うしかない――が浮かない顔で煙草を吹かしている訳にもいかぬので、こうやって広場でぼやいている。


 されど、愚痴を言った所で気分が楽にはならなかった。


 強い魔力賦活に効く煙草の在庫は尽きかけており、同時に精神と肉体の疲弊も限界近い。頭痛によって後頭部が握りつぶされているような痛みが続き、酷い時には幻聴までしてくる。


 父母の声で、もういいから帰っておいでよと誘いかける声。小さな弟妹の兄様――帝国語では中性の年長者を意味する単語がないため兄と呼ぶことになっている――一緒に遊ぼうよと呼ぶ声。


 うとうとして、瞼の蝶番が緩んで煙草を咥える唇から力が抜けかけた時、また幻聴がした。


 「我が友、君はそこまでか? 私はまだ先に行くよ」


 はっとして顔を上げ、その拍子に殆ど燃え落ちた煙草の灰がローブを汚す。慌てて周囲を見回すものの、愛しい友人の姿がある訳もない。


 当然だ。彼は冒険者であって騎士でも兵士でもない。況してや、マルスハイムを根城としているのだから、こんな辺境の中での辺境に居るはずも……。


 城門の方より湧き上がった声に意識が取られ、ミカはすわ攻撃かと杖を手に立ち上がった。しかしながら、あの疎ましい砲声が轟くことはなく、むしろ城門から響く声には喜色さえ滲んでいるように思えた。


 どうしたのかと通りに出てみれば、伝令が泡を食ったように方々を走り回っていた。彼等は急の報せを邪魔されぬよう、旗竿を背負っているなど一目で分かる見た目をしているのでことの重大さが一目で分かるのだ。


 「君! そこの伝令!」


 「うるせぇ! 今急がし……魔導師殿!?」


 近くを通り抜けようとした伝令を悪いと思いつつもミカは呼び止めた。


 「何があったんだい。攻撃か?」


 「違います! 外の反徒共に攻撃を仕掛ける騎馬の一団が! 砲陣地が破壊され、敵は浮き足だっててんやわんやです!」


 「味方の来援か!?」


 「それを報せに行かねばならぬのです! 失礼!!」


 走り去っていく伝令を暫し呆然としたまま見送り、ミカは助かるのかと天を仰いだ。


 打算を含む大丈夫だろうという考えがあったのは事実だ。マルスハイムからすれば、彼は魔導院の――それも帝都お膝元の本院から――頼みで実習先を宛がってやっているとはいえど、事実としては専門家を借り受けた立場である。お国の一大事ということもあって戦力として活用することでさえ十分に“拙い”のに、死地に捨て駒として放り込む訳にはいくまい。


 正直、出張所とマルスハイム行政府の間柄がよくないのは、短い間の勤務でも十分に分かった。どちらから出す書簡にもピリピリとした文言が踊っているし、露骨に嫌っている雰囲気さえあったから。


 普通であれば笑顔の下に隠して楚々と上品に、机の下で足を蹴り合うような戦いを繰り広げるライン三重帝国貴族にあるまじき空気を醸すには、相応の理由があったとしか思えぬ。


 それでも己は出張所の所属ではないし、嫌がらせのように使い捨てられることはない筈だと高をくくっていたのも事実である。黎明派最大派閥の子派閥の中では大きな閥を率いる師匠、その師匠は行政府の覚えも目出度く、名誉称号としての貴族位ではなく世襲の貴族位を授かっている。


 行政府でも重要な地位を占め、領地こそ持たないが特許料によって下手な小領主より金がある師匠に喧嘩を売って良いことなど一つもない。だから捨て駒の都市を少しでも長く保たせるべく送り込まれたとは思っていなかった。


 それでも、ここまで来ると不安にもなろうもの。今日明日も知れぬとは言わぬが、一月後は想像できぬような状況に追い込まれて心安らかでいられるはずもない。


 助けが来た、それだけで腰から力が抜けそうになるほど安堵した。


 ミカは軍記物も冒険譚も嗜むが、悲劇が好きな訳ではないのだ。あの友はやたら最期に主人公が劇的な散り方をする作品を好み、観劇の後に酌み交わす茶の席でも称賛しているが、果たして遺される側のことを考えているのだろうか……とか思っていると、生存者側の後日談もノリノリで聞きに行ったりするので本当に分からない。


 だが、どうあれミカは孤立した戦場で獅子奮迅の働きを見せるも討ち死に、などという分かりやすい悲劇の光景は好きじゃないのだ。


 況して、己がその一部になりたいかと問われればもう。


 エーリヒであれば、負け戦をひっくり返してこそ物語も映えるというものよ、と何処か拗らせたことを宣いかねないのだが、ミカは人間が住む都市を造ることを生業とするだけあって現実主義者でもある。どうせなら決死の覚悟とか捨て身の決死行なんぞと無縁のままで、安全に勝利を掴みたい派なのだ。


 こんな所でくたばっていられるか、と夜ごとに煙草の煙ごと吐き出していたが、漸く生きて帰る芽が出て来てくれた。


 「道を空けよ! 道を……おお、ここにいらしたか魔導師殿! 伝令が探しておりましたぞ!!」


 壁に背を預けつつ小さく拳を握っていると、先触れとして道を駆けていた軽装の騎馬がミカを見つけて足を止める。


 「え? 僕をかい?」


 「はい、お部屋でお休みではなかったのかと! お早くお戻り……いえ、お乗りください!」


 騎兵は馬から下りると有無を言わさずミカを鞍上に導き、轡を取って先触れの仕事をしつつ走る。


 城門へ向かって。


 「何が起こったんだい?」


 「御味方が来援いたしました! 旗印は見えませぬが、あの疎ましい砲陣地が破壊され、戦術級の魔術と思しき何かが丘の向こうで爆ぜております!」


 「では……」


 問おうとした瞬間、後背より低く重い音が静かにやってきた。地面を這う冷気のような静けさで遠方に届き、心を揺らすのは石畳を掻く馬蹄の音。揃った足並みは一つの拍子を揃って刻み、まるで一つの音楽を奏でているかの如く。


 通りの向こうから旗を靡かせ、槍を聳やかせる軍馬の群れが現れた。


 鞍上にあるのは総身を煌びやかな甲冑で覆った騎士達。


 翻るのはノルトシュタットに聖堂を置く各聖堂の神旗。


 堂々と先頭を征くのは白地に日輪を模した金糸の刺繍も絢爛豪華たる陽導神聖堂に属する聖堂騎士達。


 必要とあらば“槍と馬蹄にて信仰を語る”と称して憚らぬ過激派の一団であった。


 「ここで戦わねば信仰が廃ると聖堂騎士方が遂に討って出られることを決定なさりました! 塗り固めた門を解いてくだされ!」


 聖堂騎士は信徒の中でも強い信仰を持ち、他の信徒の信仰を守ることを重んずる高潔な人品を持つ者だけが名乗ることを許される、帝国にて唯一公認される武僧である。


 心身共に厳しい鍛錬を熟し、奇跡を授けられる程高位の僧ばかりが揃っており、人口数千規模の都市にある聖堂で漸く数人抱えているかといった信仰の擁護者。


 しかしながら、神々の加護を授かった武具で身を纏い、信仰心と奇跡で武装する騎士は一騎当千の働きを見せる。


 特に今回は相手が不死者、動死体であるから威力は絶大だ。


 当初彼等は事態の早期解決を望んで討って出ることを希望していたが、彼等が倒れれば万一市壁が破られた時の護りがなくなることに繋がるとして領主から強く残留を望まれて出陣を取りやめていた。動死体除けの結界も動死体を効果的に祓う神威も、全て都市の維持に必要不可欠であったからだ。


 しかし、好機は今をおいて他にないと慰留する領主を振り払って、全ての聖堂騎士が出陣を決め、多くの騎士がそれに賛同した。


 集った数は聖堂騎士が都合二二、防衛のため周囲から参じた騎士と騎手が都合五〇余り。即席ながら立派な重騎兵が編成され、今出陣せんと城門へ参集しているのである。


 ならば、余程のことがなければ解くまいと“溶接”してしまった鉄の城門に固着した閂を外してやらねばならない。ミカとしてはもう、街が落ちるか救援が来るまで開けることはなかろうと思って、衝車でも破れぬようガッチガチに固めてしまっていたから。


 城門前に伝令の馬に乗せられつつやって来たミカは、集った聖堂騎士達を見て、これならば行けるのではと確信めいた感想を抱いた。


 当代の流行からは些か遅れるが格式があり神の加護も篤い甲冑を着込んだ騎士達と、今や古風となり、殆ど用いる者の絶えた重装の馬鎧を着込んだ鼻息も荒く戦意に溢れた軍馬の群れ。


 彼等は既に神に加護を祈って聞き届けられ、領地と市民のため命を投げ出す覚悟を決めた騎士達と共に篤い奇跡の恩寵で輝いていた。


 陽導神は彼等の武具に自身の長子である炎を宿らせて邪なる物を焼き払うべく赤熱させ――不思議と剣が鈍ることはなく、担い手も熱さを感じないらしい――夜陰神は戦場に出る者達の緊張を解いて正しい警戒の方法を思い出させる。体に漲る活力は豊穣神より与えられた物で、淡く光る防具に堅い守りを与えたのは危険な最前に身を置くことを尊ぶ試錬神の加護。


 信仰という槌と己自身という金床によって鍛え上げられた騎士達は、今この一時のみ神職ではなく戦う者として戦場に臨まんとしている。信仰を守るため、聖典と聖印の代わりに手に取るのは“使う機会よ訪れることなかれ”と上古語で刻んだ武具の数々。


 しかし、避けながらも必要とあらば悩むことなく武器を取るのが神職である。


 そして、こうなれば最早彼等の頭に容赦も情けも存在しない。邪悪が去り、平穏が戻るまで呵責を与えるのみ。


 慈悲も情けも与えない。何があろうと。


 武と信仰で身を固め、奉仕の戦場に飛び出さんとする騎士達にミカは門を解き放つ準備をする。


 とはいえ、今も攻城戦の真っ只中。虎口には動死体が詰めかけており、このまま開けては内側に敵が雪崩れ込み、聖堂騎士達の出撃の邪魔になる。これらを討ち果たしてから外に出ていては、敵の意表を突くことはできまい。


 なのでミカは残り少ない魔力を振り絞って無茶をすることにした。材料は残るから、後は直すだけだし、多少“やらかした”所で必要になるのは魔力だけだ。


 「耳を塞いで! 終わったら迷わず駆けてください!!」


 短い指示の後、ミカは城門に手を添えて魔術を練った。


 するとだ、今まで硬く硬く門を壁に固定していた三対六枚の蝶番が弾け飛び……総金属作りの巨大な鉄扉が“外に向けて倒れ伏した”ではないか。


 総重量が途方もない領域にある鉄扉の打擲の前では、何人であっても等しく脆い肉の塊に過ぎない。圧倒的な質量によって振るわれる暴力は、時に事故とも呼ばれるが、どうあれ生き物が耐えられない仕組みになっている。


 衝車諸共虎口の動死体の多くが粉砕された。物理法則に従って倒れるだけのことで、苦労して編み出したであろう動死体の制御が微塵に砕かれていく様は、魔導師志望であるミカの内心に僅かな寂寥をもたらす。


 とはいえ、その寂寥は懸命に作られた都市が無惨に破壊される様を見せつけられて、ミカも我が身のこととして味わっていたことだ。遠慮などしてやらぬし、可哀想だとも思わぬ。


 そして、倒れ伏した鉄扉の両脇が不意に“解けた”。鉄が繊維となって解体され、鋼鉄の茨を纏ってのたうち超重量ののし掛かりを避けた動死体を絡め取る。


 いつかの魔宮にて、エーリヒに襲いかかった重装の動死体二体を無力化したのと同じ術式だ。彼から全ての前衛にとっての悪夢、という評価を受けて以降、遠慮する必要のない相手向けに鍛え続けた技術の一端。


 「前進! 神の御心のままに!」


 ミカによって切り開かれた道を決意を抱いた騎士達が駆けてゆく。さて、再びこの門を潜ることができるのは何名か。


 されど、騎士達はそんなことを一切考えずに引き絞られた弓より放たれる矢の勢いで突進する。


 帰ることを気にする矢が当たるものかと言わんばかりに…………。












【Tips】聖堂騎士。単に武装した聖職者ではなく、人品に優れ神からの奇跡を賜った聖職者のみが任命される高位の聖職者。僧位においては新任の聖堂騎士であっても権僧都相当として扱われる。


 また、聖堂の武装独立をよしとしなかった帝国が唯一認めている武僧であるため、聖堂の独立を担保する最後の砦としても機能している。                  

オーバーラップ文庫公式通販にて拙作初のグッズとして、マルギットのアクリルブロックが完全受注生産で発売されることとなりました。

詳細はTwitterのトップに固定してありますので是非どうぞ。可愛い幼馴染みがテラリウム風の意匠でお部屋に遊びに来てくれますよ!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=219242288&s
― 新着の感想 ―
[気になる点] 帝国語では中性の年長者を意味する単語がないため兄と呼ぶことになっている。 日本語にはあるっけ?
[一言] >されど、騎士達はそんなことを一切考えずに引き絞られた弓より放たれる矢の勢いで突進する。 > 帰ることを気にする矢が当たるものかと言わんばかりに…………。 こういう言い回しはほんと好き。上手…
[一言] ヒロインミカのピンチに颯爽と駆けつけるなんてこれはもうIFるしかありませんね
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ