少年期 一二歳の春・三
「それが何かって……え? 何?」
割り込んだ私の言に長命種はきょとんとした。予想外の回答だったのだろう。
「だから、家のエリザが半妖精だからってなんなんですか。関係ないでしょう、家の妹であることに違いはありません」
啖呵を聞いて長命種は口をぱくぱくさせて押し黙る。どれだけ長く生きてきたか知らないが、初めての回答だったのかもしれない。ただ、どうあれ私の想いは変わることはないだろう。この事態を図りかねて首を傾げている少女は、私の妹なのだから。
「……もう一度言うけど、ヒト種って別種を養子に取る文化はなかったわよね?」
「養子云々は関係ありません。絆の問題です」
絆ねぇ、と呟く長命種。そういえば、長命種は個人主義が強く、独り立ちしたら親と四半世紀も手紙でさえやりとりもしないこともある、なんて記述もあったな。それこそ貴族として家を意識しなければ、家名すら名乗らないこともよくあるとか。
「エーリヒ! エリザ!」
「ああ、魔法使い様! 家の子達が何かしでかしましたでしょうか!?」
暫し沈黙の内ににらみ合っていると、後ろから両親の声がやってきた。母が私達を呼ぶ声は大きく弾み、父の声に荒い呼吸が混ざるのは、きっと家から全力で走ってきたからだろうか。
「あれ、ご両親?」
首肯すると、魔法使いは面倒臭そうに首を巡らせて嘆息を一つ。溜息を吐きたいのはこっちだというのに。
「じゃ、ちょっと落ち着けてちょうだいな。説明はきちんとしなきゃ」
マルギットに呼ばれ、すわ大事かと錯乱しながら駆けつけた両親を説得するのは少し骨が折れた。<社交>カテゴリの<口達者>がなければ、私が如何に前世持ちであろうと苦労したことだろう。
「……承知いたしました。それで、失礼ですが御身は?」
「え? あー? ああ、うん……アグリッピナよ。払暁学派のライゼニッツ学閥」
何とか落ち着いた両親に問われ、魔法使いの長命種はやっと名を名乗った。この辺りでは聞かないイントネーションの名。よく分からないが、西方の人間だろうか。学派だの学閥だのは、もっとちんぷんかんぷんであったが。
「今は隊商にくっついてフィールドワーク中……そこで半妖精のー……あー、えーと……これ娘さん?」
「はい、長女のエリザです」
「ああ、まぁ、そこの子には説明したんだけども……」
私からエリザを受け取り、大切そうに抱える母を見てアグリッピナは少しやりづらそうに同じ説明をした。
その間、母と父は驚いていたようでもあり、ショックも受けていたとは思うが、一度たりともエリザに厳しい目を向けることもなければ、抱きしめた手を離すようなこともなかった。ただ一度、母はエリザが消えてしまうのでは、と畏れるかのように強く抱き留めたのみであった。
「で、ご理解いただけた?」
「……はい」
問い掛けに父は重々しく頷き、ほんの数秒ほど押し黙った。それから、母に抱きしめられたエリザを母諸共に強く抱きしめ、強く宣言する。
「しかし、この子は私の、私達の娘で、息子達の妹であることに変わりはありません」
その姿は、誇らしく力強い父親そのものだ。そうだろう、父だって七年間苦労しながらも愛情を注ぎ、エリザも父を愛してよく懐いていたのだ。母も同じく、むしろ母は実際に腹を痛めただけあって愛情は一入だろうに。
理解し難そうにそんな姿を見やる異邦人は、首を傾げてしばらく考え込んでいたが、やがて後頭部を掻いて厄介そうに眉根を潜めた。
「っかしいなぁ、セーヌの方じゃ迫害されてたと思うんだけど……国一個違うだけで大分変わるのねぇ」
やはり、この辺の出身じゃないために文化的な家族観の差異に悩んでいるらしい。国が変われば家族も変わるのは普通だろうに。それこそ、同じ国であっても地方と都心でも有り様が全然違うというのに。それを理解していないあたり、この人は本当に家族の機微に興味がないか、経験がないかのどちらかなのだろうなぁ。
「まぁ、いいか。それはそれとして、法律の話は変わらないんだし」
法律の話? 一体なんだと思っていると、彼女は私達が知りようのない世界の話をし始めた。
「何というか、家族云々は抜きにして、その子が半妖精であることは理解してもらえた?」
「……ええ。隊商について回り、代官様から花火を上げる仕事をいただいているということから、御身の身分は疑いようがありませんし」
「そ。ならね、半妖精は多感な時期が近づくと膨大な魔力に目覚めるのよ。それこそ、放っておいたら危険なくらい強力な力に」
「そ、それは本当なのですか!?」
「嘘吐いて得しないわよ? 私」
むしろ、魔法関連で民草を騙したら罪が重いんですから、と嘯いてアグリッピナはエリザの額に触れた。そして、何かを感じ取るように目を閉じ、感嘆するかのように口笛を一つ。
「半妖精にしても凄いわね、この子。結構格が高い妖精が入ったみたい。それほど羨まれる家族だったって訳ね。うん、何となく分かったわ」
「そ、それで、私達はどうすれば……」
父の問いを彼女は無情に斬って捨てた。曰く、私達にできることは何もないと。
あの老翁の魔法使いも言っていた。大きな力は時に暴走すれば、大きな被害をもたらすと。家一つ燃えるくらいならまだいいが……。
「だから、そういう生き物は国が管理することになってるのよ。帝国だと魔導院ね」
「では、娘はそこに取られると?」
「そうなるわ。こればっかりは法律問題だから、どうにもできないわよ?」
そりゃそうだ。私達が頭を下げて黙っていて貰うような問題ですらない。妹は大事だが、流石に荘全体が滅ぶ可能性を踏まえて迷惑はかけられない。無理をして私達を吹き飛ばしたら、エリザがどう感じるかを考えれば論外である。
「ただねぇ、魔導院に取られると検体にされちゃうのよね」
「け、検体……!?」
あまりに剣呑な響きに父は叫び、私は唾を飲み、母は益々強くエリザを抱きしめた。
検体、文字通り実験の材料にされるのだろう。魔法といっても研究機関が存在している以上、全てを解き明かした訳ではあるまい。ならば、その深奥に近づかんと非人道的な実験をしていても不思議はない。むしろ、人の命が現代と比べて薄紙のような時代なら、法律で“よし”とされれば何だってするだろう。
「そー、検体。よくてバラされて、悪くて……うふふ」
よくて解体と聞き、母が卒倒しかけた。直ぐに支えに入ったが、ただでさえ白い顔から血が失せて蒼白になっている。混乱していたエリザも母の様子を心配し、大丈夫かと泣きそうになっていた。
……これは最悪、私はエリザを連れて出奔せねばならぬやもしれぬな。
「でも、一つ手段があるわ」
「な、何でしょう!? 何だってします! 私達にできることなら、何でも!!」
絶望させた後、一つに絞った手段を提案する。この魔法使い、いや、魔女と呼びたくなる女は色々と“上手い”な。縋り付こうとした父を軽やかに回避し、アグリッピナは工芸品のような指を紅の唇に寄せて笑った。
「その処理は魔法を制御できないからこそよ。できるようになればいいの」
「そ、それはそうですが……」
「そして、私は優しいの。提案してあげるわ。その子、弟子にしてあげるわ。そうすれば、その子を魔導院に送らずに済む」
実に断りがたい、そして私達に他の手段があるのかを調べることもできない提案がなされた。これを蹴れば、彼女は遠慮なく代官に通報するだろう。通報しなければ、自分が罪に問われるのだから当たり前だ。
結局、私達に首を横に振ることなどできなかった。
「弟子にしたらきちんと育てるわよ。そうすれば、フィールドワークなんてせずに済むわけだし」
「は? 今なんと……」
縋って頼む父は、ひっかかる一言を聞いて妙な声を上げる。うん、今こいつなんてった?
「あ、何でもない何でもない。ただ、ちょっと欠点が一つあってね……お金かかるのよ」
アグリッピナは慌ててそれを打ち消すように両手を振り、話を進める。くっ、こいつ無かったことにする気か。
留める暇もなく始まった説明は、これまた“法律”の話であった。
なんでも三重帝国はみだりに魔法技術が民草へ広がらぬよう、武器や酒と同じく魔導を習うに当たって必要な学費の公定価格を定めているという。それは魔導院の官僚養成機関で年三〇ドラクマ。個人が弟子を取るにしても一五ドラクマは貰うよう定められているとのことだ。
実に馬鹿げた金額である。我が家の年収が大目に見積もっても七ドラクマで、蓄えだって結納金を支払って離れを増築したばかりとくれば、逆さに振っても一五ドラクマには届くまい。出せるはずがない金額だ。
「で、そこで提案なんだけど……そこの子」
果たして家財だの何だの売りさばいても一年誤魔化せるかと絶望的な計算をしている私達の思考を裂くように、アグリッピナは私に指を向けた。
「そこの子も良い魔力してるのよ……どう? 丁稚奉公してみない?」
「丁稚奉公……? 魔法使いに?」
「そ。いやー、ちょうど良い小間使いが欲しくてねー。そのお給金が右から左で私に来れば合法だし」
何か凄いこと言い始めたぞ、この魔法使い。
確かに丁稚奉公制度が帝国にはある。親の許可を得て商店だの工房だのに子を預けて労働させる制度であり、都市部の次男以降の身の振りとしては有り触れたものだ。尤も、信頼できる紹介がなければ拾って貰えることは希なので、誰でもできるという訳ではないが。
私はそれが魔法使いにも適用されるとは知らなかったが、提案してくるということはできるのだろう。流石に制度的に認められないことを口にしてペテンにかけたり、横紙破りまではしてこないだろうし。
「で、どう? 返事は今聞きたいわ」
返事? 決まってるだろうに。
むしろこの状況で、私達の何処を見れば横に振り回す首があるというのか…………。
【Tips】丁稚制度。働き口と労働の流動性を保ちつつ、大きな変動を防ぐために考え出された制度。同様の制度が過去の日本にも根付いており、丁稚から使用人となり出世していくことはままあった。帝国においては、未成年が合法的に働く数少ない手段でもある。
アグリッピナ・デュ・スタールは衛星国家群を挟んだライン三重帝国の西方に位置する隣国、セーヌ王国に生を受けた若い――あくまで長命種基準で――長命種の一人である。
デュの称号と家名を持つ貴族であり、フォレ男爵位を持つ父は相応の領地を治めていた。
しかし、領地を持つ長命種であるに関わらずフォレ卿は旅道楽として知られる。領地を一門の家令に任せて諸国を回っていることが殆どで、王が召集しようにも何処にいるかさえ分からぬほど方々へ出歩く悪癖の持ち主である。
最長二〇年も故国の地を踏まなかったことがあるといえば、その道楽っぷりを窺い知ることができよう。また、王朝が変わるほどの内乱も三年間にわたる旅行でスルーし、帰国後に「え? 王が代わった? いつ死んだんアイツ?」と素で口にしたとの逸話が残っているほどだ。
当然の様に彼女は放浪癖を持つ家族について諸国を回る破目になり、王国において貴族位を持つにも関わらず、一五〇年にわたる人生の殆どを王国で過ごしたことはなかった。
そして、彼女は長命種の成人である一〇〇歳を迎えた折、貴族位なんぞ知ったことかと言わんばかりに帝国の魔導院に籍を置いて独立した。これは彼女が帝国の食事を気に入り、気候が一番肌に馴染んだからである。
それを止めず「ふーん、気に入ったならいいじゃん」と軽く流した親も親であるが、そこはよしとしよう。長命種とは、何処まで行ってもそんな種族であり、ヒト種や他の種族の感覚で論じるのは徒労に過ぎないのだから。
とまれ、そんな経歴を持つ彼女は、成人するまでの反動か「いや、もう旅はいいわ」という自堕落を極めた性格をしていた。
父が糸の切れたタコのような存在だとすると、彼女は重厚な漬物石と言うべきか。
なにせ優秀な消化器系のおかげで“排泄の必要がない”という特性を活かしに活かし、七年間も魔導院の大書庫から一歩も出ずダラダラ読書を続けたという傑物だ。その上、最後の二年間ほどは“本の配置を覚えたから”とぬかして、勝手に持ち込んだベッドマットの上から動かず生活したという。
流石にこれは司書連も激怒し、追い出された彼女はきちんと割り当てられた工房で生活するようになった。
が、それが生活を改める契機になったかといえば、否である。そも、その程度で生活を改めるような殊勝さが長命種にあれば、彼等はとっくに他種族を駆逐して世界の盟主に君臨していたことであろう。
彼女は大書庫からの放逐以後、自身の工房に引きこもりの生活を始めた。引きこもりはどこまで行っても引きこもりに過ぎないらしい。
無論、魔導院はそんなに優しい場所ではなく、籍を置く研究家であろうと教授位を持つ講師であろうと、定期的に開かれる講義への参加や討論会で研鑽することを義務づけている。最初の七年はフォレ卿が魔導院に為した多量の献金と、外国貴族位の継承権者ということで論文の提出だけで目こぼししていたが、事件があると流石に甘い姿勢は見せられなくなる。
が、しかし、案の定彼女は態度を改めなかった。
講義の聴講は<遠見>の術式を使うか<使い魔>の目を通して行い、レポートや論文の提出は<疑似生命>の術式で、レポートそのものを鳥にかえて飛ばして送り出すという怠惰ぶり。挙げ句の果てには討論会では、自作のリアルタイムで親紙と内容を同期する羊皮紙によって参加するという究極の無精をしでかしたのだ。
正しく前代未聞である。
たしかに諸用で参加できぬ聴講生や研究者が、<遠見>や<使い魔>を運用して講義を聴講することはままあった。それを認めぬと本業を持つ者や、副業によって授業料を稼いでいる者が不便するため認められていたことである。
ただ、それによって全てを賄う阿呆が現れるとは、さしもの聡明な教授陣として思い至らなかったらしい。ここまでの怠惰と自堕落に時間を蕩尽する長命種は、彼女が初めてだったに違いあるまい。
何と注意しようとも一応は合法。これといって打開策もなく時間は流れていったが、流石に永きにわたる無精に彼女が所属する学閥の長に限界が訪れた。
直々に殆どロストテクノロジー扱いされる<空間遷移>にて隔離術式の守りが為されたアグリッピナの部屋へ訪問し、フィールドワークを申しつけたのである。
旅の魔法使いらしく隊商に帯同して来いという命令に彼女は頑なに抵抗を示したが、ついに学閥からの追放を持ち出されては折れざるをえなかった。学閥に属していない研究者というのは、魔導院において除籍されるに等しいほど不自由だからである。
単にちょっと行って終わりは許されない。学閥の長からの許可なしに帰参が許されぬフィールドワークに出て、どれほどの時間が経っただろうか。
長い旅に倦んで疲れたアグリッピナは、しかし一つの知啓を得た。
たしか、長い旅の間に弟子を得るような奇跡が起これば帰参せざるを得ないでしょうが、と長い長い出立前の説教で言われていたことを思い出したのだ。ただし、厳しい長は引きこもるため適当にひっ捕まえてきたような弟子を認めはするまい。
何かが必要なのだ。自分が責任を持ち、師として合法的に魔導院に座する名目が。
そして今日、都合良く自分の弟子にならざるを得ない存在を見つけた。
別に金はいいのだ。腐っても貴族、実家からの仕送りは律儀な一門から定期的に貰っているし、論文の原稿料も随分と貯まっている。彼女はこれでいて、優秀な魔法使いであることに違いはなかったのだ。ただ、人間性が発酵してしまっているだけで。
こうして大手を振って引きこもりに戻る術を手に入れ、彼女は大いに満足であった。合法かつ適切に魔導院へ、愛しき工房に戻れることがどれほど嬉しかったか。
それに、便利な小間使いまでもが手に入りそうなこともまた、彼女を上機嫌にさせていた…………。
【Tips】魔導院には三つの身分が存在する。養成機構の“聴講生”、工房を与えられた“研究者”、そしてそれらを導く“教授”である。聴講生と研究者は教授が開く学閥の下に所属することが一般的で、教授からの口利きを得ることによって研究資料の閲覧許可や研究費が与えられる。それも全て魔導院が教授達の連絡会によって運営され、内部人事や経理において三重帝国が直接口を出すことは殆どないからである。
魔法習得フラグと家を出るフラグがまたひどいことになったもんである。




