幼年期 五歳の夏
2019/2/24 注釈作業完了 後書き参照のこと
ライン三重帝国は中央大陸西部の北方における古豪であり、広大な版図を誇る君主制国家であった。
三つの広範な領地を誇る皇統家が、選帝権を持つ選帝侯家と共同した互選で皇帝を選出することにより、安定した統治を実現し、五〇〇年の歴史を積み重ね未だ揺らがぬ大国。人魔亜人問わず受け容れる国風によって柔軟に発展してきた国の南方にハイデルベルグ行政管区は存在した。
南方の冷涼な気候に属する領土であり、主な生産品目は葡萄酒の生産に供される葡萄。オリーブの栽培も盛んで帝国有数の植物油生産地としても重要視される。
そんな重要ながらありふれた地の西方を鎮守するケーニヒスシュトゥール城塞が治める幾つかの荘園、その中のこれまたありふれた自作農家の夫婦は一つの心配事に頭を悩ませていた。
夫の名はヨハネス、妻の名はハンナ。帝国においては実に平凡な“ヒト種”夫婦であり、豊穣神を信仰する模範的な自作農家であった。主にライ麦を生産しオリーブの果樹園も一つ運営する、規模としては中程度の自作農家に過ぎず、帝国全土を探せば似たような家は何百何千と見つかるだろう。
そんな夫婦が殊更に頭を悩ませるのは、六つになろうという四男エーリヒのことであった。
別に悪たれで始末の付けようがないだとか、知恵が足りずどうしようもないといったわけではない。むしろよくできた息子と言えよう。
言いつけには素直に従い、幼い子供がやりがちな馬鹿な真似をすることもなく、安息日のミサでもむずからずに舌っ足らずながら聖句を唱える。誰の前に出しても恥ずかしくない息子であった。
夫婦が困ったのは彼の出来云々ではない。
むしろ、四男にしては出来過ぎていたことであった。
二人には息子が四人と娘が一人おり、長男は今年で八つになり、双子の次男と三男は年子なので七つだ。少し間が開いて産まれた四男のエーリヒが今は五つなのだが、ここで夫婦は頭を悩ませた。
代官が主催する私塾に誰を送るかである。
市民層が比較的裕福な三重帝国では農民も文に通じることが奨励されており、自作農家として代官や領主の覚えが良くなりたければ宮廷語――上等な発声や、特殊な言い回し、変則文法を用いる帝国語の派生――が話せるのは当然、詩作にも通じ楽器の一つ二つできて当たり前といった気風があった。
それ故、高い学費を投じて長男を代官の私塾に通わせるのが自作農家の常である。
貧農でさえ将来の栄達のために無理して長男を送り込むことは珍しくなく、余裕のある家ならば後継者の予備としてや、分家を考えて次男を送ることもあるのだから、二人が私塾に息子を通わせるのは至極当然の流れであった。
だが、問題は誰を送るかだ。
ヨハネスは最近耕作地を広げることを代官からやっとのことで赦され、それに備えて輓馬を一頭買い入れたこともあり蓄えに余裕がなかった。有事に備えて財布の中身を残すなら、一人を送るのに留めるのが最良といった経済状態だ。
ここで普通なら迷いなく長男を送り込んで終いでよかっただろう。生き物としてスパンが短いヒト種は家父長制が一般的であり、その中でも更に長子相続が帝国法においても“原則化”される程度には一般的だ。
しかし、長男が霞むほどに四男は優秀であった。
普通、子供は三年も間が空くと大きく能力に差が出るものである。それは身体がより育ち、経験の差もあるので至極当然のことだろう。
だが長男であるハインツと四男エーリヒ、二人の間には無視できぬ差があった。
未だに造物主を讃える聖句と豊穣神に捧げる感謝の祝詞の暗唱が怪しいハインツに対し、幼さ故の舌っ足らずさは兎も角としてエーリヒのそれは完璧であった。それのみならず、聖句より複雑な古語を含む聖歌さえも覚えているときて、聖堂の司教からの覚えも目出度いのだ。
また、輓馬の“はみ”を作るのにも苦労するハインツに比して、エーリヒの指先は精妙に過ぎた。欲しがるので小刀を持たせてやれば、その日のうちに聖像を彫り上げ、先月には盤上遊戯の駒まで見よう見まねで一組用意してみせたのだ。
その上、頭もエーリヒの方がよく回った。幾つかの頼み事をしてみれば、纏めて片付ければ効率がよいことをエーリヒは瞬時に判断してこなし、一つ一つなさねば失敗することは決して無精せず確実に片付けてゆく。
しかしハインツは何事も面倒くさがって雑な事が多いのだ。それこそ、輓馬に飼い葉をやるに無精して餌箱に水もぶちまける始末。
どちらの覚えがよくなるかは、深く考えるまでもなかった。
しかし、長子相続の原則は絶対ではないものの重い。次男ならばまだしも四男を優先するとなれば、家の前に立ちはだかる困難はあまりに多かろう。
なにより既にその気になっている長男や、四男に追い抜かされる次男三男の気持ちも親としては考えねばならなかった。
そして今日もまた、二人の賢明な親は迫る私塾の入校受付期日に頭を悩ませるのであった…………。
【Tips】ヒト種。全大陸に分布する人類種。賢愚の種族とも呼ばれるほど優秀な者と何もできない者の差が激しいが、こと残酷さにおいて他に劣ることはない。
下積みは大事、何より大事。何故ならダイスの数よりボーナスによる実数こそが往々にして物を言うからである。
私はTRPGにおいて所謂“固定値”信者であった。
まぁなにせ運がアレなのだ。
PLをやれば2D6の期待値は五を誇り、一度のセッション中に賽子を転がすだけで経験点が二五〇点も溜まる剛運の持ち主。
対してGMやキーパーの立場に移れば、期待値は堂々の九だ。理想型を模索するにあたり、細い運でも殺せる方に偏重するのも無理はなかろう。メイス様の+1命中ボーナスという神通力は実に心強いものであった。
一応、あまりあるダイスの数で運を圧殺するというパワープレイもあるにはあるが、そういったシステムにせよ固定されたクリティカル値で撲殺する方が強いからね。仕方ないね。
だから私は無理をせず、自我が芽生えて以来基礎的なステータスを伸ばすことに腐心した。
私が触れる肉体のステータスは<膂力><耐久力><免疫力><持久力><瞬発力><器用><思考力><記憶力><魔力貯蔵量><瞬間魔力量>の計一〇個。これらが複雑に絡み合い実数を弾き出す計算式を持つシステムなようだ。ちょっとファンタジー的な要素二つが何を意味するかは謎だが。
今は前世が不器用だった反動もあり、器用さを重点的に伸ばし、元より多少の自信があった記憶力も更なる向上を求めてよく伸ばしている。手先の器用さは言うまでもなく、物の覚えが良くて損することなどないからだ。
思考力、という項目が何を意味するかは直感的な理解が及びづらかったが、要は思考の速さと合理性のことであった。ここを弄るのは少し怖かったが、試しに少し振り分けた後、自意識に変調を来さないと分かれば何の抵抗もなく熟練度を振ることができた。
これによって私は元々三〇代の精神を宿すスレた五歳児だったが、ちょっとした麒麟児に化けたわけだ。元々三〇才の合理性を持ち込めば誰だって神童として振る舞えるのに、更なる下駄が加わるのだから、それはもう凄い物だ。
前世においては平凡な子供時代を過ごした私である。しかしながら、今では近所でちょっとした神童扱いを受けるようになった。
だが、これは別に私のちっぽけな自尊心を満たさんとしての振る舞いではない。
さて、私は固定値信者にして効率主義者であると自負するが、自分の一番の特性は“理想主義者”でもあると任じている。
つまり成長速度を重要視しないでもないが、一番は完成したときの理想型にこそ価値を見出すのである。
TRPGにおいては経験点を延々積み上げることはできるが、やはり一種の“完成形”と呼ばれる到達点は存在する。Lv一五になった瞬間だとか、経験点二〇〇ビルドだとか色々あるが、何にせよ行き着いた先の美しさがあると思うのだ。
一撃でシーン全体に防御軽減カバー不能で数百点ダメージをばらまくぶっ壊れ火力や、あらゆる物理・魔法攻撃を射程視界で数十点軽減していくような“完成”を見せたキャラ達の美しさは、GMの「ちったぁ加減しろや!」と言いたげな顔と合わせれば最高の芸術品だと思う次第である。
だからこそ私は今を基礎の時と考え、将来的な完成の為に使うと決めた。それはステータス面においても、社会的な面においてもだ。
肉体的ステータスには評価値というものが存在し、その種族における平均を基軸として算出される。そして、その評価に値する数値に達したとき、ステータス上の評価が変わるのだとステータスの注釈に書いてあった。
基本的な肉体項目の評価は<虚弱>から始まり<貧弱><貧小>を越え、やっとこ<平均>になって<佳良><精良><優等>へと登りつめた先に<最良>へ至り、その末に<寵児>という限界が存在する。
多分言葉尻からして、正しく神に愛されねば手に入らない極みというところだろうか。
そこまで至るには死ぬほどの熟練度が必要となるだろう。一先ずの目標は、全ステータスを<佳良>まで引き上げることとしよう。
仮目標の先は長く、頂に至るための数値を見れば目が眩む。だが私はデータマンチと誹られる、データさえ存在するなら神殺しも成し遂げる変態の一人。妙なスキルを見つけてきて悪さするのは手慣れたものだ。
舐めるように見回した円柱形のスキルツリー、その基礎カテゴリにあった<神童>特性に私は目を付けた。
効果はシンプル。子供と呼べる間は熟練度が伸びやすくなる期間限定の成長補正である。
将来的には死ぬスキルだが、コレがあるとないとで人生における総獲得熟練度に差が出ると察した私は、ノータイムで稼いだ熟練度をこれにブチ込んだ。
言うまでもないが希少特性らしく、毎日練習した彫刻や日常生活でのお手伝いで稼いだ熟練度を何週間分か費やしてやっとの特性だったが、効果は思った通り素敵な結果をもたらしてくれた。
半年で私の木工彫刻スキルは<手習>から<初心>を越えて<基礎>に至り<熟練>を目前としている。コレより上は<熟達>に<円熟>と<妙技>そして<達人>。あとは最上位の<神域>しかないので、職工ならば中堅に近い腕前であろう。
この習得スピードも神童あってのものである。恐らく神童習得以前の熟練度獲得速度に鑑みると、仮に神童がなければ精々が基礎に足をかけたところであろうか。
ステータスもスキルも位階が上がるにつれて倍々に――実際要求される数値はよりえげつないが――増えていく必要熟練度からして、神童が才子やただの人に落ちる理由がよく分かる気がした。
とまれ、目標の一つは先に語ったように<神童>で効率よく稼ぎ、きちんと能力を平均以上に引き上げつつ強みも作ることを目的としよう。
一つくらいは寵児まで達してみたいが……まぁ、そこは努力目標といったところか。
だって、何か書いてある桁がちょっと頭おかしいのだ。<最良>や<達人>と<寵児>に<神域>の間は、桁が二つずつ違うんだもの。それこそ<貧弱>から<佳良>まで引っ張っていける累計値でさえ屁の突っ張りにもならない要求量は、ソシャゲの苦行周回やエンドコンテンツを想起させるソレであった。
とりあえず、そこは追々稼げる度合いを見て相談しよう。
また、こうやって熟練度を効率よく稼ぐのは当然として、次に大事なのは社会的な信用だと私は確信している。
何の事はない。将来的にやりたいことができた時、回りから「まぁ君なら」と便宜を図ってもらえる環境があるに越したことはないのだ。
それは両親にせよ聖堂の司祭様にせよ……。
「エーリヒ、なにやってんだ?」
兄弟にせよ同様である。
「ああ、兄ちゃん」
納屋の傍らで薪の上に腰掛けていた私に声をかけてきた少年は、兄のハインツである。
父と同じ栗色の毛と荒削りの輪郭を持つ大柄な兄だが、ここ最近は私と比較されるせいで若干不機嫌気味である。
私は以前も末っ子であり、現状男児としては末なので完全には理解できないが同情はできる。
子供の時は世界の殆どを構築するのは親だ。その親が弟、庇護の対象として見きれていないヤツを自分より評価していて面白くないのは当然だ。そのせいで注意を惹こうと不真面目になり、更に評価を落とすことになる負のスパイラルに陥る苦しみは察して余り有った。
だから私は三〇代の枯れた発想と、精神的には年下の兄を愛するが故に調和を図るのだ。
「これ作ってた」
「おお……!?」
私が兄に差し出したのは、薪とその切れ端を拝借して作った子供サイズの木剣だ。小刀と蹄鉄を削る鑢で整えたそれは、緑の勇者とかが持っていそうな子供心を擽る西洋直剣の形をしていた。
些か戯画的に剣先が大きいが、むしろ私の心の五歳児は「これがかっけぇ!」と叫んでいるから問題なかろう。
「兄ちゃんにあげる!」
「え!?」
木剣を見て良からぬことを考えている表情になっていた兄に、私は笑顔で作品を贈った。元より自分で遊ぶために作ったのではない、先日余所の子供が振り回しているのを見て羨ましそうにしていた兄のために作ったのだ。
「い、いいのか……?」
「うん、兄ちゃんにお礼だから!」
お礼? と首を傾げる兄に、私は思いつく限りの借りを列挙してみせた。
あまり好きではないトマトを――不思議とこの世界にはもう食用として出回っていた――代わりに食べてくれたり、力全般をあまり伸ばしていないことで辛い井戸汲みを助けて――優位を見せ付けたかっただけとは思うが――くれたりと、一緒に暮らしていれば助かることなど幾つも思いつく。
「だから、ありがと兄ちゃん!」
笑顔で礼を言われた兄はぽかんとして……照れくさそうな笑みを返してくれた。
多分きっと、その内心では色々な気持ちが渦巻いているのだろう。稚気に溢れた嫉妬や、暴力的な発想への後悔などが色々と。その中に私への親しみが生まれ始めていたのなら、嬉しいことはない。
「どうよ!? かっこいいか!?」
「うん、かっこいいよ!」
柄を握って構えらしき物をとる兄を誉め、私は作った物をこれほどに喜んでもらうことに無上の幸福を覚えていた。
前世がどうあれ、彼は私の家族なのだ。それなら、彼が喜んでいて嬉しく思わないわけがなかろう。
彼に石を投げていいのは、本当に子供だったことがない者だけなのだ…………。
【Tips】時限特性は多数存在する。神童、その下位スキルの早熟を始めとし少年期から青年期に効果を発揮する秀才や天才。果ては弾ける若さといった美貌の補正まで。
2D6の期待値は7であるが、個々人の運によっては変動相場制であると固く信じるものである。
2019/1/22 改題
2019/1/26 誤字修正(caskaz様より)
・ダイス[サイコロ]
紀元前から賭け事に使われていた人類とも非常に馴染みが深い道具。
人力でRPGをするというTRPGのランダム要素を担保するマストアイテムの一つ。
六面体が主として流通するが、TRPGにおいてはシステムによって使うサイコロが違い、八面体、十面体、十二面体、二十面体、果ては百面体とかいう何時までも転がり続ける“玉”だとか、落としてなくすと大惨事必須の三角錐である四面体なども用いる。
・固定値
判定の算出となる、サイコロの出目を含まない実数。基本的にTRPGの判定は加算式であり、ピンゾロやロクゾロなどの例外を除いて元々の能力+出目で判定する。
例えば力5の人間が物を押す判定をする時、行為に成功できる目的値が12だった場合は六面サイコロ二個を振って7以上を出す必要がある。そして、その出目によってランダム性を演出し楽しむのである。
しかし、この数値が6や7だった場合は出すべき出目が少なくなり、成功しやすい強いキャラになれる訳で、サイコロ運に恵まれないエーリヒはこれを伸ばして安心することに腐心していた。
・期待値
サイコロを振った時に出てくる目が“これくらいはあるはず”とする数値。詳細は高校数学教科書を参照のこと。
というとあまりに無体なので、大雑把に言えば面の数字/2くらいに思っておくと良い。
2D6で言えば7であり、一番出やすい出目の組み合わせとも言える。それ故、行為判定の難易度はこれを基軸として算出することが多い。
が、確率はあくまで“無限回の試行の末に収束する”ものであり、運が悪いヤツは何処にでも存在する。
・2D6
主にサイコロの個数と使う種類を表す略語。Dとはサイコロのことであり、2は個数、6は六面体サイコロを意味する。○D×として、そこに数を代入することで文字数を短縮し、見やすくする意図がある。口語でも「にーでぃーろく」や「にーでぃーじゅう」などと平易に発音することもある。
・PL[ぴーえる プレイヤー]
ここでいうプレイヤーはキャラクターの中のヒト、つまりは遊んでいる本人を指す。
どんなキャラであれ中身は一緒のため、そこを読んだPLメタというものも存在する。
・セッション
TRPGの一話。会合という意味だが、文字通り全員で集まって遊び、進行するためこう呼ばれる。
・経験点
いわゆる経験値。これを溜めてキャラクターを強化する。
・GM[ゲームマスター] キーパー
PLに対する進行役で、シナリオを作りエネミーを用意し敵キャラを操る主催にしてラスボスである。
ゲームによって呼び方が違い、ゲームマスターが一般的だが中にはキーパーやルーラーなど様々な派生が存在するため、呼びかけ方によって普段やっているゲームが分かる。
・メイス様
とあるTRPGにおいて命中判定に+1をしてくださる神器。ダメージの効率は劣るが“命中しないと0ダメ”という前提、そして1ラウンドが重いTRPGにおいて攻撃を命中させやすくするということは非常に重要な為、一部の運が細いプレイヤーから崇められる神。一節では第四の剣、もとい第一の鈍器とも。
・クリティカル
某コンシューマゲームにおける痛恨の一撃や会心の一撃。絶対成功とも言う。
2D6でいえば6ゾロ、1D100で言えば01~05、1D20でいえば20など、その判定における最高値であり、低確率のコレが出た場合、行為判定は一部を除いて絶対に成功する。
また攻撃判定においては非常に重い一撃が相手に入ったという表現で、例えば2D6判定でサイコロを振った時に10以上の数値が出たとき追加のダメージダイスで“もう一回振れる”という極めて殺意が高い仕様のゲームもあり、このクリティカル値を下げることで何度もぶん殴る外道がたまに現れる。
・ファンブル
不運の代名詞。クリティカルに反して“実数がどうあれ”確実に失敗する。
攻撃は空振りし、道を歩けば踏み外してマンホールに落ち、本を読めば難し過ぎて脳味噌が爆発し鼻の穴から垂れてくる。
2D6ならピンゾロ、1D100でいえば95~100、D20ならば1である。
ゲームによってはファンブル表と言われる凄まじい不運しか書いてないイベント表を振らされ、場合によってはダメージを受けたり、酷かったら“他のPCとの関係性が変動する”ような致命的な出来事がつらつら書いてある。身内でヤンデレだの火サス展開を強要されるとGMとしては先の展開がブレて非常に困る。
まぁ、たまにシナリオ的にはクリティカルして、延々と語り草になる面白いファンブルも存在するが。
・ロマンビルド
多くの意味を含むが、主として“強くはないが格好良い”“挙動が特殊だが嵌まれば強い”“膨大な経験点が必要だが完成すればば強い”など、個々人のロマンティシズムを大いに満たす構成を差す。TRPGはロールするゲームであり、どうせなら格好良い戦い方やロールをしたいと望むのは当然のことで、これはそのロマンを最大限追求した漢の生き様である。