※少年期 一二歳の春・二
ポンポンと愉快な音を立てて空に咲く花火に向かって、子供達が駆けて行くのが見えた。
懐かしい光景だ。五年前は、あの中に私の姿も入っていたのだが。
「ああ、今年も魔法使いが来ているのね」
「そのようだね」
あの後、臍を曲げたお姫様を氷菓子で宥めて――尚、小遣いの半分が吹っ飛んだ模様――私達は散策を続けていた。
元より暇だから歩き回っているだけで、特に心惹かれる者もできごともなく、後は精々吟遊詩人でも冷やかして帰ろうかという塩梅であった。
「あにさま、あにさま」
「ん? どうしたエリザ」
氷菓子を食べるのが下手故に、べたべたになった手で頭を触られるのに文句は言うまい。子供とはこういうものだ。小学一年生か二年生程度の子供に細かい気遣いを問うたとしても仕方がなかろうて。後で私が頭を洗えば済むだけの話。
「ちかくでみてみたい」
「おお、そうか。じゃあ……」
「構わなくってよ?」
マルギットも乗り気というよりエリザのご機嫌取りに付き合ってくれるようなので、私は花火が上がっている方へと近づいてみた。
花火を上げているのは、私が指輪を貰った老翁とは異なり、若い女人の魔法使いであった。艶やかな銀髪を豪奢なシニヨンに編み上げており、その合間よりぴょこんと長い耳が伸びている姿からして長命種だろう。
エルフ、とルビを振りたくなる彼女は皆がよく知るトールキンエルフそのものの外見である。
長い耳、秀でた魔力、“殺されぬ限り”永劫を生きられる寿命、そして全盛を保つ容姿と能力。それらは全てヒト種の上位互換にして、人類種のハイエンドだ。選帝侯家に二家も長命種の名家が名を連ねることから、その権威の高さも窺い知れるだろう。
ただ、トールキンエルフと最大の差異は、彼女たちはロハス大好きなナチュラリストではなく、文明の申し子という点だ。
無知の無明を祓うために高楼を築き上げ、知識欲の副産物によって産まれた文明に浸り、豪奢な晩餐を好むバリバリのシティーボーイ&ガール。簡素な木造より石造りの荘厳な建物をよしとして、発展した文明に耽溺する“新しい物好き”の探求者が長命種の本性だ。
尽きぬ寿命に倦まぬよう、彼等は揃いも揃って娯楽と勉強、そして享楽に目がない浪費家なのである。
それ故、ヒト種と比べて数が少ない――寿命がないため、繁殖は彼等にとって一種の娯楽に過ぎない――長命種を農村で見る機会は希少だ。かく言う私も聖堂の本で読んだから知っているだけで、この目で見るのは初めてだった。
「わぁ、おみみながい!」
「かみきれー!」
「めがさゆうでちげぇ! どうなってんの!? なぁ、どうなってんの!?」
そんでもって、それほど珍しい種族が露店に突っ立ってて、子供達の耳目を集めずにいられようか。
反語を言い切るまでもなく不可能だったらしく、上等な絹のローブを纏った彼女は直ぐに子供達に集られていた。雨のように質問を浴びせられ、工芸品のような鋭い印象を受ける美貌を歪め、焦ったせいでずれた眼鏡を直す暇もなくわたわたしている。
「ちょっ、こらっ、やめなさいって、触るなヒルビリー共! このローブ高価いのよ!?」
そして、泥やお菓子で汚れた手で、見るからに上等な深紅のローブを触られるのを拒む姿は何というかまぁ……ありがちな迂遠にして曖昧な言葉でアドバイスを告げ、弓やら何やらを操る不思議で仙人チックな隠者というエルフの印象からはかけ離れたものであった。
普通に俗物過ぎて、なんというか、うん……。
見た目は凄くそれっぽいのにね。赤いローブに銀髪と白い肌、そして深いブルーと淡いグリーンのオッドアイ。それにギャグ漫画の嫌味な金持ちじみたムーブをされると、なんかこうもにょもにょする。
「初めて長命種を拝見いたしましたけど、あんな感じなんですのねぇ……」
「すっごいきれい!」
声音にガッカリ感がしっかり滲むマルギットと、無垢に彼女の美貌を褒め称えるエリザ。私も思いっ切り前者に同意だが、田舎の子供の猛攻に歯を剥いて怒る姿でさえ様になるのは否定しない。白磁のような肌に朱を差して、私が相当気合いを入れた神像の美女と劣らぬ精緻な顔の造形が怒りに崩れる様は、形容し難い別種の美しさがあるのだ。
多分、あれだけ美形ならバナナの皮ふんですっ転んでても様になるんじゃなかろうか。
暫くそうやって子供と格闘する長命種を観察していたが、子供の興味は移ろいやすいもの。近くを吟遊詩人が「さぁ、物語がはじまりますぞ」と宣伝の為に練り歩けば、一瞬で興味は薄れ華美な正装を纏った彼の背後にくっついていった。
後に残るのは田舎の洗礼を受け、ちょっと汚れたローブとぐしゃぐしゃに乱れた銀髪が無残なシティーガールの姿であった。
「うう……なんで私がこんな目に……」
涙目になった彼女は右手を口の前まで持っていき、優しく呼気を吹き付けた。するとどうだ、ぐしゃぐしゃに乱れていた髪が独りでに整えられ、汚れていた服が綺麗になったではないか。呼気に魔力を含ませて噴き出すだけで、術式を行使する……なんと便利な魔法だろう。母に聞かせたらどれほど羨むだろうか。
「すごいすごい!!」
某ネズミ帝国のプリンセスもかくやのお色直しを見て、エリザのテンションが跳ね上がった。対して先ほどまで子供に蹂躙されていたこともあり、幼い声に軽いトラウマでも抱いたのだろうか。長命種の肩がびくんと跳ね上がって、錆び付いた蝶番のような仕草で首が此方に巡ったではないか。
何だガキか、とでも言いたげな苦々しい表情をした直後、彼女の表情が固まったのが見て取れた。その視線の先を辿れば、私でもマルギットでもなく、肩車されたエリザに注がれている。
なんだろうか、確かに家の妹は天使と見まごうかわいらしさだが、長命種のお目にかかるくらいだったとは、誇らしいやら悩ましいや……。
「よ、妖精種!?」
唐突に叫んだかと思うと、長命種は目を剥いて此方に飛びかかってきた。その身のこなしの鋭さと言えば、最近ちょっと物欲に負けて取った高価な特性、<雷光反射>がなければ反応できなかったくらいだ。
この特性は<肉体>系列の身体的特徴を示すもので、物心ついてからずっとマルギットやランベルト氏のような素早い人間を相手し続けたことでアンロックされた、反射神経を大きく引き上げる特性だ。
それだけなら<俊敏>を上げればいいのでは? となるが、これはちょっと趣が違う。雷光のような反射速度により、いわゆるセットアップで全力行動できるような先の先を極めると共に、後より動いて先を潰しきる後の先の補助にもなるぶっ壊れだ。少なくともこれがルルブに載っていたら、次の版では弱体エラッタ不可避だろう。
ただ、その特性を持ち<俊敏>も<精良>を確保している私をして反応が遅れるということは、この魔法使いはただの魔法使いじゃないな?
冷や汗を掻きながら左足だけ半歩下げることで体を開いた私は、突っ込んでくる長命種をギリギリの所で回避することに成功した。子供二人分の重しをぶらさげて成し遂げた私を誰か褒めていいのでは。
回避された長命種だが、転倒するようなこともなく目の前に着地すると、肩を掴もうとしていたであろう手を当て所なく彷徨わせる。そして、困惑する私の肩を改めて掴むと、じっと目を見てこう言うのだ。
「これ、どこで捕まえた!?」
「言うに事欠いて人の妹ん対して捕まえたとか何様だテメェ耳長がコラ」
そして、思わず人生で最も汚い言葉が、自分の声とは想像しがたいドスを帯びて口からまろび出た。ただ、知ってはいても使うことのなかった田舎スラングが出るほど失礼な物言いであることに違いはあるまい。人の可愛い妹を虫か獣みたいに言いくさりおって。
もう少し自制心がなければ、今頃は掌底で顎をカチ上げていただろう。野郎ぶっ殺してやるという感情を理性で殺し、私は無礼な長命種の肩を押して振りほどく。
「妹……? ヒト種には他種族を養子に迎え入れる文化があったかしら? じゃあ、その蜘蛛人も貴方の妹?」
また不躾なことを抜かす長命種に今度はマルギットが不快そうに眉を潜めた。そもそも何を言っているのだ、この魔法使いは。ヒト種にそんな文化はないし、まず前提として……。
「何を言っているか知らんが、家の子はヒトだ」
エリザはヒト種である。私が物心つくと同時に産まれ、お産の場にも立ち会っているのだから。髪は母の金髪を引き継ぎ、父からは目の色を引き継いだ妹が他種族の筈があるまいて。そも、ヒト種は交配適性を持つ種族こそ多くとも、混血が産まれることは殆どないのだ。純粋ヒト種の両親から、一体どうして他種が産まれようか。
「貴方、気付いていないの?」
しかし、私の言葉を聞いて尚、心底妙な物を見たとでも言いたげに魔法使いは首を傾げた。眼鏡を直し、今度はまじまじと私を見て来る。
「これだけの魔力を内包していて? それで目が開いていない? 嘘」
顔を近づけて色々と観察してくる様は、プレパラートの間に挟まれた標本を眺める研究者のそれだ。少なくとも私に一個人としての興味を抱いているわけではないのが、所作と言動の端々からありありと感じ取れた。
なるほど、これが長命種の嫌われる所以か。本で“あまり評判はよろしくない”と何層にもオブラートを巻いた表現がされているが、単に長命故の傲慢さでもあるのかと思ったが……確かに、この目で見られて気分の良い生き物はそういまい。
「本当に分からないの?」
「そも、おま……んっ、貴公が何を仰っているか理解いたしかねます」
また暴言を吐こうとする口を閉じ、宮廷語で塗りつぶして吐き出した。確かに私はあれからも惰性で魔力関係ステータスもきちんと<佳良>までは引き上げている。しかし、魔法使いとして覚醒するようなスキルはとっていないのだ。
これは、ある意味私の欠点といえる。この領域に至れば“普通なら取得する”スキルを私は基本的に自動では取得しない。あくまで“覚えられますよ”とポップアップが出た上で“YES or NO”の自己裁量で取得するのだ。
だからこそ、魔力が平均より高まり、通常なら何かしらの独覚に目覚める所で私は魔法を覚えずに済んでいる。
とはいえ、欠点を裏返せば利点となる。普通の人間なら知らず知らずの内に取る、どうでもいいスキルや特性分の熟練度を節約できるのだから。<悪徳>カテゴリの<小狡い思いつき>だの<下らぬ窃盗>なんぞに熟練度を盗られないことで、私は他人よりずっと効率よくステータスを伸ばせているのだし。
ただ、今回はそれが“フラグ”を機能不全に陥らせたのではないか。
「変ねぇ……ま、レア物を二つも見つけたと思えば上々ね」
如何にも外見は深遠にして深慮なるエルフ然とした、しかして態度は妙に軽い長命種は頭をぼりぼり掻いて笑った。
「じゃ、教えて上げるわ。真実というやつを」
【Tips】長命種。寿命を持たず、全盛を保ち続ける人類種のハイエンド。優れた魔力、秀でた肉体、衰えぬ知恵を持つ彼等を殺すのは圧倒的な暴力と、時間という名の濁流による精神の摩耗のみである。それ故、長命種のみ特別の刑罰として、無明の水牢へ永劫に閉じ込める、という極刑が存在する。
長命種の魔法使いは適当に茶を仕入れると、そのまま私達を自分の荷車の近くに座らせた。ケツを捲ろうかと考えたが、少なくとも私の反応が一瞬遅れるほどの実力者を前にして、簡単に姿をくらまさせてはくれまいと思って合わせることにしたのだ。
ただ、マルギットは彼女の興味を引いていなかったので帰らせた。彼女は聡いので、何も言わないでも両親や村の顔役を連れてきてくれるだろう。そうすれば、この無礼な魔法使いをなんとかしてくれるはずだ。
「さてと、じゃあ一つ言っとくとお宅の妹さんはヒト種じゃないわ」
「じゃあ、なんだと?」
話題を切り出す前に名乗れよ、と思ったが、私の名前を教えたくないのも事実なのでいいだろう。
しかし、今まで異種との第一遭遇は結構好印象なものが多かったが、ここにきてファンタジーの最たる連中からこうも無下な扱いを受けるとは思いもせなんだな。種族全体がこの調子なら、本の通り仲良くできる気がせんぞ。
「半妖精、取り替え子ね。見る人が見れば一発で分かるわ。私のような魔法使いは特に」
「はぁ!?」
貰ったお茶を取りこぼさなかったのは幸運か。
今、彼女はなんと言ったか。取り替え子? 私の可愛いエリザが?
取り替え子とは、前世でもイングランド地方に残る言い伝えで、ヒトを羨んだ、あるいはヒトの子を欲した、またはヒトに悪戯を目論んだ妖精が行う“子供を拉致し、代わりに自分の子供を置いていく”という一種の神隠しだ。
往々にして子供にも親にも悲劇しか運んでこない話で、多くは障害を持った子供の理屈付けであったのだろうと推察されるが、こちらの世界では趣が異なる。
というのも、妖精がガチで存在しているからだ。そう、私がもっと幼い頃に兄と探したコインは、隣の老人が語った与太ではないのだ。
妖精は相として肉体を持たない生命体で、人類種とも魔種とも亜人種とも異なる人類ではない存在だ。いわゆる個我を持った現象とも解釈されており、普通の人間には見えないと言われる。
これを見る事ができるのは、幼い故に自我が未確立で“他”との境界が曖昧な子供と、魔法使い、そして一部の種族だけと私が読んだ本には書かれていた。
「妖精はね、時折肉を持つ生き物の腹に宿って産まれかわることがあるのよ」
しかし、そんなことは本に書いていなかったぞ。
「幸せな家庭や子供に憧れて、誰かの所に産まれたがる。そんな妖精の魂が肉を持って現世に生まれ落ちるため、取り替え子は発生する……これは妖精から直に聞いた話だからほんとのことよ」
何を言っているのか理解できなかった。この子が、七年間見てきたエリザがヒトではない?
「ただ、結構無理してやってるみたいでね、産まれたばかりの取り替え子は言葉が遅かったり、妙に病弱だったり色々と不具合を抱えてて死ぬことも珍しくないのよ」
心当たりは、嫌と言うほどあった。エリザが私に懐く理由は、それにあったのだから。何度も風邪をひき、その度に薬を買ってきたり家族全員で看病したことを覚えている。そして、今も年の割に幼いことも事実だ。
「そして、妖精は金髪碧眼が大好き……あなた、覚えはあるでしょう?」
ああ、私の母、ハンナは金髪碧眼だ。私も同様に。
「その子は半妖精なのよ。そう間もなく魔力にも目覚めると思うわよ? ぼちぼち多感な時期になれば、精神の昂ぶりに合わせて妖精特有の力が喚起されるはずだから」
思い当たることは幾らでもある。態々こうやって足止めし、話をするということは彼女も確信があって口にしているのだろう。さもなくば、子供を捕まえたら大人も出てくると分かっているだろうに、斯様な無体は働くまい。
だが。そう、だとしても。
「で、それが何か?」
家族とは単なる血縁によって産まれるのではない。血によって成るのだ…………。
【Tips】半妖精。肉の体を持って生まれ落ちる妖精。主として肉の体を持った生命に憧れを持った妖精の魂が自ら人になる、或いは分化した自分の魂を託すなどによって産まれてくる。文化圏によっては迫害され、高い魔力から“素材”として珍重されるが、帝国においては…………。