表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

15/298

少年期 一二歳の初秋・五

 荘という閉鎖社会で噂が回るのは早い。


 「大剣豪を祝してぇ!!」


 「「「かんぱぁーい!!」」」


 かといってものの半時間で行き渡るのは勘弁願えまいか。


 夕暮れの赤い日差しで優しい朱に染め上げられた広場にて、酔っ払い共がアルコール臭い吐息と共に乾杯の喝采を挙げた。


 因みに何度目になるかも分からぬ音頭を取っていやがるのは、さっきまで主賓の一人だった筈である我が愚兄であった。端でその嫁御が呆れた顔をしているのを、酒に浸った脳味噌では視認できなくなってしまったらしい。


 私はその酔っぱらい共の間で、差し出される酒杯を淡々と煽っている。冒険者と言えばアルコールだと思い、酒精への耐性はきっちり<うわばみ(ヘビードランカー)>特性を取得することで確保しているので安心だ。酔っ払って変なことしたり、意識失って路上で寝たり、知らない内に変な契約交わされたくないからね。


 寄越されたゴブレットの中身を煽ると、強い甘味と子供の舌にはきつい香草のえぐみを帯びた酒精の味が突き刺さった。って、これ割ってない蜂蜜酒(ミード)じゃないか。殺す気か。


 水で薄めるか牛乳をいただきたい。この若い舌には、どうにも酒の味がまだ美味く感じられないのだ。前世では洋酒を結構嗜んだものだが、その味が分かったのも二〇代の半ばを過ぎた頃だったからなぁ。


 「おお! 剣が強いと酒も強いのか!」


 「おし、もっぱいいけ! もっぱい!!」


しかも分かってやってやがるか……恨むぞ親父殿。


 囲いの外の方で、疲れて寝入ったエリザを抱きかかえる父を見やると、彼はすまなそうな顔をしてからそっぽを向いた。この酔っ払いの檻から哀れな息子を救い出す気はないらしい。


 あれから私は巨鬼のお姉さん――私の実質年齢にタッチしてはいけない――と別れ、流石にデカイ買い物と収入を手に入れてしまった以上、父に黙っている訳にはいかんなと皆のところに戻ってこっそり報告したのだ。


 しかし、酒が入って気が大きくなっていた父は、何を思ったか盛大に自慢しはじめた。あまつさえ、私が冬支度に活用してくれと全て渡した金を、あぶく銭だからと母を納得させて「息子からの奢りだ!」と司祭に渡し酒の追加をせしめたのである。


 私は結婚した経験も子を持った経験もないので分からないが、親とは息子が何かしたら自慢したいものなのだろうか?


 とはいえ、これだけ盛り上がったのだ。後でエリザが子供の身に余るからと真珠を取り上げられる心配はなさそうだな。家の両親はお年玉を着服する親の如き小心さを持ち合わせてはいないが、持ち歩くとなくしかねないとして宝物を預かっておく位には心配性なのだ。


 その心配は子供を思ってこそとは分かっても、子供の頃は分かりづらい物だ。可愛い妹が臍を曲げて親と喧嘩をする様は、兄としては見たくないからな。


 私は空になった酒杯にお代わりが注がれるのに対する嘆息に、微かな安堵の吐息を混ぜた。


 今度は蜂蜜水で割った葡萄酒だった。これは子供舌でも美味しくいただけてありがたい。


 しかし……もうぼちぼち日が暮れるぞ。そろそろ新郎新婦を寝床に叩き込むイベントに移るべきではないか?


 「やっぱりなぁ、おりゃおもってたんだ! あのくんれん(訓練)にのこったおまえだから、いつかけん()ででかいことをするって!」


 しかし、ぐでんぐでんに出来上がった兄が花嫁を抱き上げに行く気配はない。私の肩を抱き、自分も酒杯を抱えながら、呂律の回らない言葉を吐き散らしている。その内に別の物を吐き散らさねばいいのだが。


 「いいかエーリヒ、据物斬りは自信を付けるにゃいいが、実際の敵はよく動くもんでだな……」


 その上、真正面でこれまた出来上がったランベルト氏の凶相が付き合わされてるんだから、滅茶苦茶に始末が悪い。酒で酔ってるなら酔ってるで、きちんと聞き流してよさそうな話をしてくれ。普通に役に立ちそうな話をされると、酔っ払い相手だからと軽くあしらえなくなる。


 これ、このまま全員潰れたら相当拙いんじゃなかろうか。初夜をアレにしたといったら、私はきっと荘の女衆からずっと白い目で見られることになるぞ。


 「あのですね、兄上……」


 「わぁってる、わぁってる! おれがおやじ(親父)くち()をきいてやる! しっかりぼうけんしゃ(冒険者)になれるよぉ、ようせいのこいん(コイン)をさがしにだな」


 妖精のコインはもういいから。結局見つからなかったのが、やっぱり悔しかったのか。もういい歳だぞアンタは。


 畜生、どうして野郎はみんな剣が大好きなんだ。いや、私だって大好きだ。だが、かといってここまで盛り上がり、大事な脱童貞イベントをふいにする必要はないだろう?


 人生に一回ぞ? 一生のことぞ?


 そろそろガチで<肉体>判定(こぶし)で交渉を行い、正気に戻させる必要があるかと思ったが……。


 「ちょっと、ハインツ!!」


 「なんだぁ、ミナァ! おりゃな、おとーとのしょーらいを……」


 「まずは、あたし達の将来でしょうが!!」


 顔を真っ赤にして嫁さんが突っ込んで来て、どかんと響く大声を上げた。あまりの大きさに酔っ払い共も押し黙り、広場全体が静寂に包まれるほどだ。


 「ほら、行くわよ! あんた達も! 今日何の日か忘れたんじゃないでしょうね!?」


 儚げに見えたはずの乙女は、気付とばかりに私の手からゴブレットを奪い――中身は申し訳程度に牛乳で割られた蜂蜜酒だった――一息に煽ってから、夫の耳を遠慮なく掴み上げた。摘まむのではない、掴み上げるのだ。


 「あだだだだ!? ミナァ!? いってぇ!? ちょっ、いてぇって!?」


 夫婦間の序列が明確に決まった瞬間であった。多分、我が愚兄は一生この日をネタにして嫁からチクチクせめられ、子供達にかっこ悪いところを晒されて手綱にされるのだろう。


 いいぞもっとやれ。


 「うるさい! ほら! 立ちなさいよアホ共!! 今日が何の日か思い出せぇ!!」


 蚊帳の外に置かれたせいで激怒した花嫁の怒号に酔っ払い共は慌てて立ち上がり、結婚式のシメがなんだったか思い出したように動き出した。酒で濁った頭と狂った体を必死に動かし、三組の新婚を持ち上げて村を練り歩くのだ。


 さて、一体何人が生きて帰って来られるのか。


 私はそっと気配を消して人混みから離れ、奇跡的に机の上に取り残されていた水差しを手に取った。


 「……下手に目立つことするもんじゃないな」


 豊穣神のご加護で汲み立てのように冷たい水は喉に優しく、酒精でたぷんたぷんになった胃を休めるように啜った、これまたホカホカの麦粥は何よりも優しい味がした…………。








【Tips】主に荘の酒類は醸造所を抱える聖堂が管理しており、必要に応じて管理・売買がなされる。また、国策によって酒にも公定価格が定められており、収穫が多かった年は安価になるなど基本的には手に入りやすいよう調整される。












 朝日が煌めく中、私は寝床から這いだして大きく深呼吸し……吐きかけた。


 別に宿酔(ふつかよい)に苛まれたわけではない。開け放した窓から盛大に酸っぱい臭いが漂ってきたからだ。


 恙なくとは到底言えない展開の後に三組の新婚カップルは各々の寝床に叩き込まれ、他の面々は臨時収入によってもたらされた酒を抱えて三次会へと突入する。まだ冷めやらぬ料理を食い、歌い、踊り、気が向いたら取っ組み合いやら力試しなんぞで盛り上がる大騒ぎは夜半まで続いただろう。


 推測なのは、私が気配を消してさっさと引き上げたからだ。もう酔っ払いに絡まれるのには疲れたし、如何に<うわばみ>だったとしても胃の容量に限界があったからだ。酔いではなく過積載によってポンプ芸を披露するのは、何があっても避けたかった。


 だからいつも通り寝たのだが、寝起きがこれというのは結構辛いものがあるな。


 臭いは窓の近くにある木立から漂っていた。振り返れば、少し広くなった兄妹の寝室に次兄と三男がいることからして下手人がどちらかなのは確実だろう。


 衝動的に井戸水をぶっかけてやりたい気になるが、私は大人だ、我慢我慢。ただ、報復として父に進言して暫くは断酒させよう。それがいい。


 とりあえず顔を洗おうと思ってキッチンへ向かうと、既に起き出した母が――たしか父よりお酒を召していたと思うが――いつも通りにキッチンで鍋をかき混ぜていた。


 「あら、おはようエーリヒ」


 「おはようございます、母上」


 「ふふ、昨日はご活躍だったわね?」


 据物斬りの件で父と兄からは嫌と言うほど褒められたが、母から褒めて貰ったのは今のが初めてなので気恥ずかしかった。


 「それで、お酒は抜けたかしら?」


 「ああ、はい、大丈夫です。顔を洗ったらホルターに食事を与えてきます」


 「そう、じゃあコレはいらないかしら」


 もういい歳なのに童女のような笑みを浮かべる母に促されて覗いた鍋では、甘い匂いがするスープが煮られていた。


 「あ、根セロリ……」


 根セロリのスープだ。セロリの変種で根っこの方が大きくなるセロリは、焼いたり煮たりしたら芋のようなホクホクした食感が楽しめる一般的な根菜だが、こうやってポタージュのスープにするのが私のお気に入りだ。


 丁寧におろし金で擦って、生クリームを入れたコンソメで煮込むと優しい甘さのスープになる。体が温まるので風邪にもいいし、固形物が食べづらい二日酔いの朝にも丁度よく、お祭りの後で出される我が家の定番メニューであった。


 「宿酔でなくとも是非いただきますとも」


 「ふふ、ごめんなさいね? ついついいじわるしたくなっちゃうわ」


 母はクスクス笑って皿を用意してくれた。


 「貴方が私を“かかさま”じゃなくて“母上”と呼ぶようになって、ちょっと寂しかったのよ」


 「では、私も“おふくろ”とお呼びしましょうか?」


 汲み置いた井戸水を湛えた瓶から水を掬い、濡らした布で顔を清めていると母は「いやーよ、田舎の奥様っぽくて」と笑った。ここで田舎の奥様でしょ、と返さない程度に私はウィットに富んでいるつもりだ。


 「なら奥様、スープを一杯頂戴したく存じます。もしお慈悲がおありなら、パンも一かけいただければ幸い」


 「承りましたわ、我が家の剣士様。チーズもサービスいたしましょう」


 慇懃な宮廷語で腰を折って頼めば、母も丁寧な女宮廷語で返してくれる。そして、私は暖かなスープとライ麦のパンで軽い朝食を採るのだ。


 「お茶は如何?」


 そういって母が饗してくれたのは、黒茶と呼ばれる野草の根っこを煎じたお茶だ。


 帝国人はお茶好きでもある。お茶といっても紅茶や緑茶なんぞの茶ノ木から採れるお茶ではなく、香草や野草を煎じたお茶のこと。これはチコリの根っこを煎じたお茶で、悪名高い“代用コーヒー”といえば分かる人は分かるだろう。


 しかし、これは家庭で飲むように丁寧に煎じた物だし、何よりコーヒーとしてではなく“こういった飲み物だ”と思えば悪くない味をしている。家では隣から交換して貰う牛乳ではなく、クリームで割るのが定番だ。


 優しく美味しい家庭の味……ただ、これを味わえるのは後何回くらいだろうか。


 兄は結婚し、今頃は離れで妻となったミナ嬢の横で寝息を立てていることだろう。


 そして、何時か兄にも子が産まれ、私は叔父になる。


 そうなったら、兄夫婦が住むスペースを空けるために家を出なければならない。我が家は貧相ではないが豪邸というには広さが足りず、何時までも家に残ることはできないのだから。その内に両親も住処を今の離れに移り、我が家の当主は完全に兄へと継承される。


 上の兄弟二人も暢気しつつ自分の行く先くらいは見据えているのだろう。後夫を求めている寡婦もいれば、婿を欲している女腹の家も珍しくはない。その不安を掻き消すように、昨日の痛飲と馬鹿騒ぎがあったのだろうから。


 結局、我々農家の息子にできる一番の孝行は、後腐れなくさっさと出て行ってやることなのだ。


 香り高い黒茶を楽しみながら、今頃は寝床で呻いているだろう父や兄二人に持って行ってやるスープを用意している母の背中を眺めていると無性に悲しい気持ちになった。


 別に此処に残りたいなんて、甘えたことを言っているわけではない。


 私も一度は家を出て働いた男だ。その意味も必要性も分かっている。


 だが、それでも……それでも少し寂しいのだ。


 多分、あの父の盛り上がりっぷりに水を差さなかった所を見るに、母は私が剣によって生きる事に異を唱えるつもりはないのだろう。遊歴の武者修行に出ようが、兵士を募集している遠方に行って兵士になろうが、冒険者や傭兵に身を窶そうと何もいわれはするまい。


 ただ、家を出れば軽々に戻ることはできなくなる。


 冒険者は根無し草。仕事が必要になれば方々へ出張る人種だ。電車も飛行機もない中、別の領邦で仕事をするようになれば戻る機会は中々ない。何せここからインネンシュタットに行くだけで、隊商に相乗りして三日だ。往復六日は、休暇だといって顔を出すにはあまりに時間がかかりすぎる。


 これは期間労働者になろうと変わらないことか。そして私はアホな発想ではあるが、折角なりたい物になる権能があるのだし、かつて愛した遊戯の主人公になりたいと願って権能を行使してきた。


 ならば、私は覚悟して口にしなければならない。


 「母上」


 「あら、なぁに?」


 自分の将来を決めたということを…………。








【Tips】この世界の移動手段は多々あるが、最もポピュラーな物は乗合馬車に乗ることで、これは子供の小遣い程度で隣の荘くらいまではいける安定した手段である。欠点は直接行きたい所へ直行できる訳ではなく、定期航路をぐるぐる回ることと、季節によっては数が激減することである。それがいやならクツという乗り物に乗り込むほかはない。

何時も感想と誤字報告ありがとうございます。大変励みになっております。

前までは途中で断念していこうやっておりませんでしたが、

ぼちぼち感想返しをしていこうかと考えております。


次回は2019/2/1 19;00頃の更新を予定しております。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=219242288&s
― 新着の感想 ―
[一言] 『知らない内に変な契約交わされたくない』 大事だ……
[良い点] 家族仲が良くちゃんと地に足ついているからこその、寂寥感。 [気になる点] にーさん、そこまでぐでんぐでんでちゃんと出来たのかなぁ…。 [一言] 昔の転生者かなんかの人、産業革命までは出来な…
[良い点] 主人公の精神年齢の高さから納得もできるが、 兄の結婚式という帰路から12歳で立志するこの話は非常にナチュラルな流れでよいと思いました。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ