※少年期 一二歳の初秋・四
財布に万札ねじ込んで行くお祭りより、百円玉を何枚か握りしめていくお祭りの方が楽しいのは何故だろうか。
そんな懐かしい心地を楽しみながら、私は小さな露店の集団を眺めていた。
彼等は隊商の一団だ。移動しながら物を仕入れ、催事とあらばテキ屋の真似事もする商売人達である。
「北方人達が作る黒曜石のナイフだよ! 薬草採取にはうってつけ!」
「東方交易路から渡ってきた漆器はどうだい? この艶は、到底この辺じゃ出せない一級品揃いだ! 祝いに贈り物になんでもござれ! 晴れの日にお一つどうだい!!」
「西端半島の薬草はぁ~いかが~。打ち身、擦り傷、切り傷にあかぎれぇ~何にでもきくよぉ~」
茣蓙を敷き、あるいは側面が開く特殊な荷台を店にして、商売人達が少なくなった客足を引き留めるように口上を上げていく。荘民達が昼前に酔ってぶっ倒れたり、ダンスに参加するのに忙しくなる前は賑わっていたが、式が終わると毎年こんなものだ。
それでも空いてからのんびり見たい性分の人や、残り物に福があると遅れてやってくる荘民もぼちぼちいるのだが。
さて、色々興味を惹かれるが、今日は家のお姫様のご意向に従うか。
何処に行きたい? と聞くまでもなく、エリザの爛々と輝く目が向けられた先は分かった。
ご婦人向けの貴金属商だ。小狡そうな小男と、見上げるほどの巨躯を誇る巨鬼が護衛についているが、疎らで暢気な客達に気を緩めているようだ。
「あにさま、きれい! きれい!」
「ああ、そうだな」
ぱたぱた駆け寄って目を輝かせるエリザだが、無遠慮に追い払われるということはなかった。忙しい時なら客になり得ない子供は鬱陶しかろうが、暇な時なら微笑ましいなと言わんばかりに店主が声をかけてくれた。
「小さなお嬢様、お目が高い! これはですな、蒼き南の内海で人魚達が丁寧に探してきた真珠でして。ほら、傷一つなくこの丸さ! もちろん、磨いた訳ではありません、最初からこの美しさです」
恰幅がよく美事な仕立ての服を着た店主は子供好きなのだろうか。如何にもお高そうな真珠を丁寧な手付きで、それこそ本当に買ってくれそうなご婦人相手に紹介するように見せてくれている。どれどれ値段は……うぇ、三ドラクマ……?
帝国においては一〇進法が基本で、一ドラクマが一〇〇リブラ。一リブラが一〇〇アスと実に分かりやすい調整がされている。貨幣は上から金貨、銀貨、銅貨が割り当てられており、ざっくりとした自作農の平均年収が大体五ドラクマ程度である。
そこから家で言えば金納課税で大体一ドラクマ、物納品を買い足すために――農作物以外にも生糸などの納税品が多いのだ――五〇リブラほど必要になり、生活費と農業諸経費で二ドラクマくらいかかるので、可処分所得は約一ドラクマ五〇リブラといったところ。私の内職と、余所より幾らか畑が広いとしても精々が三ドラクマ……つまり、我が家の必要最低限の金以外全部ブチ込んでのお値段という訳だ。
それもたった一粒で、である。
「み、見事なお品ですね、店主様……」
「これはこれは、お若い紳士もお目が高い。勿論、帝都の大店に仕入れる品でございますれば。ご機会があればと思い並べておりますが、本来は貴族のご婦人方の首を飾り立てるものですからなぁ」
たっぷり蓄えた髭を撫でながら、店主は肩を揺らして笑った。ということは、立派な印章指輪――印鑑にもなる指輪――を嵌めているあたり、大店の仕入担当……超絶大物じゃねぇか。暇にしても、こんな田舎で店を広げないでいただきたい。心臓に悪いではないか。
「ははは、なるほど、見事なわけです。私達では、到底手が届きませんな」
「いやいや、輿入れに備えて一つずつ買って、ご成婚の折りに首飾りを仕立てる人魚や水棲人の風習が最近はヒト種界隈でも流行っているそうな! どうです? 御母堂に相談なさって、妹君にもお一つ」
ソレは一体どこの富農や豪商の文化だ、言ってみろ。私が頼んだ鎧を買ったとしても結構な釣りが出る額だぞ。
「いやぁ……兄が結婚したばかりで、流石にこれほど立派な品は、我が家の財布から溢れてしまいますよ」
謙遜して笑うと、店主は驚いたとばかりに目を見開く。
「おや、ご長男ではない?」
「ええ、四男でして」
「ほほぉ! それにしてはきちんとした宮廷語、いやいや私も御身に教わりたいくらいですなぁ」
ああ、言葉使いから長男と勘違いされていたのか。
あ、いかん、四男まで教育を施せる立派な富農だと勘違いされたっぽい。本気で親を探し始めたら困る……。
「いやいや、この身も私塾に通う友や父から教えて貰っただけで、とてもとても。それは妹に買ってやれるなら買ってやりたいものですが、流石に私では……」
「なら坊主、あれはどうか?」
上手い事言って逃げようとしていると、上から声が振ってきた。
見上げれば、そこにはぞろりと伸びる犬歯が威圧的な、蒼い肌をした巨鬼の姿があった。
三mほどもある上背。硬質な金属を含むため青い肌は、しかして生物の柔らかさを持つため並大抵の刃を弾くという。巨躯を鎧う筋肉は装甲板のごとく隆起し、鍛え上げられた四肢は一本一本が柱の威容を誇る。
「褒賞は五ドラクマだそうだ」
人の肉なら気軽に抉れそうな爪が指し示すは、刀剣商が商売の傍らに催す腕試しの看板であった。
据物斬り。当方自慢の兜、一刀にて断ち割れたならば金貨五枚。挑戦料は五〇アス。
ミミズがのたくったような字の傍らで、暇を持て余しているであろう店主が等閑に声を上げながら煙管をふかしていた。特徴的な頭頂部の主耳と、枯れ枝のような矮躯からして鼠人だろうか。
これも祭りには付きものの腕試し。要は前世の高額商品を目玉にしつつ絶対落とせない射的とか、当たりが入ってるか怪しいくじ引きみたいなものだ。子にせがまれた親、恋人に煽られた阿呆なんぞが嵌まり、あたら小遣いを無駄にする罠の一つである。
「これ、ローレン……」
店主が護衛の巨鬼を窘めるが、巨鬼は子供が見れば泣き出しそうな貫禄のある笑みを作って、私の肩に手を添えた。よかった、妹が大粒の真珠を眺めるのに夢中で。
「結構使う体をしてましてね。あの小物、小銭を稼いでましたし、面白いでしょう?」
ふむ。置かれているのは有り触れた鉄兜に見えるが、傍らに置いてある見るからになまくらな剣でやらされるのか。
そして、小遣いは丁度五〇アス。軽く珍しい菓子を二人で食うか、二つ三つは小物が買える額だが、さて。
「……面白そうですね」
「なっ!?」
ま、妹に格好付けてみせるのも兄貴の仕事か。
私は小銭を懐から引っ張り出し、空中で弄びながら刀剣商の前に立った。
「おっ、未来の大剣豪、挑戦するかい?」
「ええ、一回五〇アスでしたね?」
人好きのする、しかし小ずるさの隠せない笑みを浮かべて手を出し出す商人の掌に小銭を乗せてやった。不揃いな大銅貨を見て彼は眉根を寄せた。
「んー、ベイトン大銅貨か……質が悪いから普通なら二枚でも四五アスってところだが……」
大判銅貨は通常銅貨二五枚分の価値を持つとされているが、通貨が本位通貨ではないこの世界では、貨幣の質によって実質の価値が変わるのは珍しくない話だ。酷い話だと吝嗇帝と言われるジョゼ一世の即位記念硬貨から在位N周年記念硬貨は、ジョゼ銭と呼ばれてドラクマ金貨でも三分の二ほどの価値しか無いと言われるほど混ぜ物が多い。
そのせいで色々と面倒臭いことが起こるのだが……。
「ま、おぼっちゃんの挑戦だ、収穫祭のお祝いってことでおまけしとくぜ」
「どうも」
よく言ったもんだな、との皮肉は心の中に飲み込んでおいた。
さて、置いてある剣は鋼鉄製の数打ち、有り体に言って安物だ。対して兜は将来必要になるかと思って養った、<社会>カテゴリの<審美眼>によって身についた感性で調べれば、造りは素っ気ないが鋼の本体に薄くのばした神銀を塗布した実用品であることが分かった。
神銀はよく吟遊詩人のサーガにも現れる特殊な合金だ。見た目は青っぽい銀色をしており、闇夜で薄く輝くため大抵は表面に塗装が施される。
しかし、最大の特徴は“金属”からの物理的な干渉を撥ね除ける性質を持つことだ。
それこそ、これを加工するには特殊な魔法で物を作り替える技術が必要で、さもなくば同じ神銀製の道具でなくては成形すらできないという。英雄が纏うに相応しい防御力を誇る金属であり、不屈の象徴として王侯が装身具の基部として好むほどだ。
この兜にはこまかな傷こそ目立てど、塗装表面を傷つける以外に目立った傷が見受けられないのが店主の自信を裏付けているのだろう。様々な塗装面の傷やへこみが見受けられるので、一体何年間これで稼いできたことやら。小銭でも積み上げれば大したモンだろうに。
とはいえ、やってやれないことはない。
見た目に薄い塗膜だと分かるし、装飾の多くが壊れている所からして新しい品でもなかろう。これが兜全部が神銀製なら私も匙を投げるが……スミス親方曰く、うっすい塗膜だけなら頑丈ではあるが“不壊”にはほど遠いとのことだ。
だったら、勝負が成り立つなら自分の“こわれ”度合いを試したいのがマンチというもの。では、一丁やってみましょうか。
安物の剣を握り、感覚を確かめた後に大きく振り上げた。動かない的を全力でたたっ切るなら、これ以外に最適解はあるまいて。
「あにさま、がんばって!!」
いつの間にか宝石に捕まっていた注意が私に返ってきたのか、宝石商に見守られながらエリザが声援を送ってくれた。
ありがとう、お兄ちゃんそれだけでバフが何重にもかかった気分だわ。
「ふっ……!」
小さな呼気と共に送り出した裂帛の一撃は……強く地面を打ちすえた。
「え、あ、なっ!?」
兜を頭頂部から両断し、台座諸共に斬り伏せて。
「美事!」
「やったぁ!!」
感心の歓声は私を嗾けた巨鬼のものだろう。刀剣商は椅子に座ったまま、私と兜の間で唖然とした顔を行き来させている。
誕生日に<最良>を目前とした<器用>、そして<円熟>まで高めた<戦場刀法>に<艶麗繊巧>のご加護が加わればこんなもんである。同時に剣術カテゴリの上位スキル<観見>の特性があれば<審美眼>と合わせて弱点なんぞ丸わかりだ。
<観見>とは言わば見て察する技術。五輪書にも記載のある、焦点を絞らぬ観察によって対手の挙動を読み、剣を正視することなく躱す目付の極意。ひいては見る目を養うことで、相手の瑕疵を突く目に通ずる。つまり攻撃・回避・反撃にボーナスを乗せる特性だが、行為判定にもダメージ判定にも乗る強特性だ。伊達に鍛錬三ヶ月分の熟練度を要求されていない。
……ちゃうねん、回避に使えるから、剣士主軸でなくても腐らないから。絶対美味しいからセーフセーフ。
それはさておき……この兜は何年も力自慢達にぶったたかれて来たのだろう。頭頂部の一部が凹むとまではいかないが、平らになっていることが見て分かった。流石の神銀も薄い塗膜では全ての衝撃を殺しきれなかったと見える。
そして、兜の防御力は装甲の厚みもあるが、丸みこそが要訣なのだ。丸みによって刃を反らし、斬り込ませないことによって身を守る。曲面の守りを抜くのが難しかったからこそ、西洋剣術では撲殺する手段として長剣の柄や鍔を多用する手法が発達したのである。
平らになる事で刃を立てられる所を見抜き、多少切れ味が鈍化していようと後は技量での勝負。長年の酷使に全体的な耐久力も落ちていたのか、兜は期待よりも爽快な真っ二つ具合を見せていた。
うむ、ランベルト氏から「要点が揃えば斬鉄もいけそうだな」とお墨付きをいただいた腕前は、収穫期の忙しさでも錆び付かなかったようで一安心である。
ただ、剣は駄目だなこれは。確かめてみたら完璧に歪んでいることが、わざわざ柄頭から中心線を眺めないでも分かる。流石にきちんと刃筋を立てても、元がなまくらだとこんなものか。
「ん、では五ドラクマいただこう」
兜を持ち上げてポカンとする刀剣商に手を差し出す。何か言いたそうにしていたが、おっかない見た目の巨鬼が楽しそうに手を叩き、数段どころか世界が上としか思えない宝石商が素晴らしいと喝采しており、周りの商人も大したもんだと褒めてくれているのを見て彼は口を噤んだ。
ここでグダグダ言って商売人の間で面子を潰すと、今後が拙いと思ったのだろう。実際、私は別に魔法も奇跡も使わず、ただ技量のみに依って兜を断ったのだ。いちゃもんを付けるなら何処にだって出たって問題ないのである。
「や、やるなぁ、お、おぼっちゃん……ほら……賞金だ……もってきな」
精々大物ぶっているようだが、金貨を握る手と声が震えていたら様にはならんよ。とはいえ、金は金……。
「ん? どうした? 嬉しくないのか?」
掌で鈍く輝く金貨を見て、思わず渋面を作る私に巨鬼が声をかけた。帷子を着込んでいるのに音も無く背後に立つ技量は、一体どれ程の高みにあれば手に入るのだろうか。
「……貴様、これは」
「看板をよく見ろよ!? 何も間違っちゃいねぇぞ俺ぁ!?」
何か汚い物でも見るような目で刀剣商を見下ろす巨鬼。そして、私の掌で輝くのは“ジョゼ一世の在位五年記念金貨”である。渋い横顔が刻まれたそれは、ジョゼ銭の中でも特に混ぜ物が多く一番安っぽいとされる品だ。
それが五枚、光を反射してぞんざいに輝いている。この手垢の付き方を見るに、相当長い間貧民の手を渡ってきたと見える。価値にして精々二ドラクマ五〇リブラってところか。
おのれ、こんな要らん所でケチを付けるのが難しい予防線を張ってやがるとは。
そうだ、よく読んだら看板には“五ドラクマ”ではなく“金貨五枚”としか書いてない。これが逆なら何処が五ドラクマだよおぉん!? と文句が言えたが、金貨五枚であることに嘘はないし……。
何てしょっぱいことしやがるかな。
明確に肩を落としていると、巨鬼の凶悪な手が掌に伸びてきて、一瞬ビクッとした。
しかし、鋭い爪や節くれ立った指の恐ろしさに反し、繊細な動きのそれは金貨を三枚丁寧につまみ上げるばかり。何事かと思えば、巨鬼は自身の主人に振り返って口上を述べたではないか。
「さて、我が雇用主、この小さな剣豪の絶技をご覧になったか?」
「うむ、グレシャム家の名にかけて確かに」
聞かない家名だが、態々持ち出してくるあたり立派なご家系と見た。あれだろうか、もしかしてこの隊商の発起人か何かか?
「して、卑小なる金貨とて英雄が手にしたならば、これで三ドラクマの価値があると思うが如何に?」
「うむ、相違あるまい」
鷹揚に頷き、宝石商ことグレシャム氏は大粒の真珠を取り出すと指輪用の小箱に移したではないか。そして、事態を理解しかねてぽかんとしている妹の手に持たせると、相好を崩して頭を撫でてくださった。
「素晴らしい兄君をお持ちになりましたな、フロイライン」
「……ありがと、ございます」
私が喋る宮廷語を何となくで覚えていたのか、丁寧な挨拶に氏の笑顔は益々強まるばかりであった。
ははぁん、分かったぞ。この場を鷹揚に収め、さらに太っ腹な所を見せて隊商に参加した商売人達に名をあげようというのだな? 現代よりも商売人の繋がりが、契約のような機械的なものではなく生っぽい付き合いに依る時代、評価が高いに越したことはあるまいて。
実に強かな商売人だ。この噂が広がれば、彼は補填した一ドラクマ五〇リブラなんてのが屁でもない名声を得るのだろうから。
しかし、本意はどこにあるにせよ善意は善意だ。私も礼を言おうと思った瞬間……。
「うわっ!?」
急な浮遊感に襲われて困惑した。
巨鬼が私の脇に手を差し込み、持ち上げていたのだ。そして、その顔が今、真ん前にある。
「さて、この身は五ドラクマが手に入ると言って貴殿を駆り立てた」
「はぁ……でも、もう十分なくらい便宜を図って……」
「だが、まだ一ドラクマほど足るまい」
言って、巨鬼の顔が近づいてきた。
青い金属混じりの皮膚、獲物の肉を裂くための獰猛な犬歯、魔種の一派たる鬼族であることを示す黄金の瞳。そして、美しい切れ長の瞳を縁取るまつげは近づけば益々長く、秀でた鼻は見事なバランスで凛々しい口の上に配されていることが分かった。面長の輪郭を縁取る程度に切りそろえた赤銅色の髪からは、上等な髪油の良い匂いがした。
まっこと美しき巨鬼の美貌が近づき、抗議する間もなく距離がゼロまで詰まる。
私は、巨鬼の美女から接吻を受けたのだ。触れるだけの優しい接吻を。
「これで納得していただけまいか?」
今生で初の接吻であった。正しく、キスというより接吻と称するに相応しい、儀礼的な口づけ。前世ならばテレビでも中々拝めないだろう美貌の女性からのそれに、私は無意識に頷いていた。
「結構。ガルガンテュワ種族のローレン、その名を伝えれば我が同胞から便宜を図れるよう伝えておこう。面白いヒト種の男の子がいると」
彼女、麗しき巨鬼の武人ローレンは堂々たる笑みを形作り、私をそっと地面に降ろすと優しく頭を撫でてくれた。
「いずれ汝が一端の剣豪になり、この身に挑んでくるのを楽しみにしている」
妙なフラグが立ったことを、私は甘い痺れと一緒に実感していた…………。
【Tips】巨鬼。合金の骨格と皮膚を持つ中央大陸中西部から西端部に分布する魔種。武の種族と知られ、国家を持たず部族単位で生活する。特に雌性体の巨鬼は体躯が三mを上回ることも珍しくなく、その武威は国から直々に食客として抱えられることもあるほど。対比して雄性体は二mほどで比較的小柄であり、女性優位の社会で労働と雑役を担うことが多い。