表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

10/298

幼年期 十一歳の夏・二

 実際問題、この世界で将来を選択するのは難しい。


 というのも、帝国法において就労制限が存在するからだ。


 農家の子は農家に。猟師の子は猟師に。鍛冶屋の子は鍛冶屋に。前の世界で薄れつつあった認識は、この世界ではしっかり現役で、法律で定められるくらい当然のことなのだ。


 それも無理のない話である。機械が発達していない以上、多くの仕事はマンパワーで解決することが前提となっている。国家にとって重要な仕事には、大勢が就いていて貰わないと困るのだ。


 対して前の世界では、デスクワークに人が流れて、農業や建築業の人的需要が全く満たされない状態になったことから明らかなように、誰だって機械で効率化されていようと、楽で金を稼げる職業に就きたいものだ。


 そして、下手に識字率を上げる施策をしているライン三重帝国においても、同じ現象が発生しかねなかった。


 考えれば難しくない話である。私塾があっても通えない人間の方が多い以上、代書人なんぞの頭脳労働の需要がつきることはない。それこそこんな田舎荘で代書人をやっているグラント氏でさえ、月に数枚の手紙や陳情書を書くだけで生計が成り立つのだから。


 だが輸入によって食料を賄うこともできない今の社会システムで、それをやって土木や農業から人が流れると非常に困る。そんな事態を防ぐフェイルセーフとして、帝国法が就労に規制をかけているのだった。


 婿入りだとか届け出制の丁稚奉公なんぞで流動性はあれど、働き口は前世の過疎地のバイト並に希少で伝手がなければ潜り込むのは難しい。実質、私に許された選択肢というのは数えるほどしかないのだ。


 帝国法において農民から就労の規制が存在しないのは、冒険者(チンピラ)傭兵(ヤクザ)と兵士に自警団員くらいのもの。それ以外は日雇いの人足や炭鉱夫、あとは人不足の領地で農民をやるくらいか。


 ただ正規兵の募兵がないので近所で兵隊になる口はないし、残念ながら自警団も訓練をつけてもらってはいても“候補”止まりだ。今のところ、リュッケ氏が抜けてしまった穴も補充が来てしまい、空き枠もないので専任になるのは難しい。


 それに一から農民と言っても元手が必要だ。元手なしで別の荘で農民をやるなんてのは、基本自分から農奴になるに近いと聞くし、手段としては“ない”な。未成年だと日雇いの人足になるのも難しいらしいと聞く。むしろ、日雇いやるくらいなら最初から私塾に行って家を継ぐ方がよほど生産的だろうに。


 となると、実質の選択肢は冒険者一択になるのが悲しい現実である。


 裏技として養子にしてもらって家業を変更するという手もあるが、流石に狭い荘の中でそれをやろうとは思わない。そもそも、それを考慮しても選択肢が殆ど増えないからな。


 難儀なものだ。作家や劇作家、吟遊詩人や役者のような名乗るのが自由な実質無職もままあるが、流石にそれで生計を立てられると思うほど暢気でもないし、前提として憧れがないからなぁ。熟練度をそっちに割り振って興業に出たところで、長続きする気がしなかった。


 「おなやみぃ?」


 いつも通りのぞわっとくる声が顎の下から響いた。人が考え込んでいようと首からぶら下がり続けるマルギットだ。ヘーゼルの瞳と二つの複眼に見つめられると、動きが止まってしまうのは何故だろうか。


 いや、最近彼女の瞳がヘーゼルから、より深い色になっているように思えてきた。淡い褐色の色味が変わり、琥珀色ではなく……金属のような質感になっているような。


 「私もねぇ……長女だから……色々考えるのよ……」


 じわっと嫌な汗が滲んだ。気配察知が何かを報せているようだが、上手く脳味噌が処理できていない。この目にじっと見られると駄目なのだ。


 視線が形を保って私の目を触り、そこから脳味噌に触れようとしているような所以の分からぬ妄想。しかし、とりとめのないはずのそれは、なぜだか妙に現実味がある思考に思えてくるのが不思議だ。


 まるで、本当にそうなっているかのように。


 「だから、悩んでいるなら頼ってちょうだいな……」


 身体を固定するため胴体に回された六本の下腿が、強く腹を締め付けてきた。落ちないようにするように、というよりも“逃がさない”という意思を感じられた。


 ふと、一部の蜘蛛には性的共食の習性があることを思い出した。


 そして、彼女は蜘蛛である。


 ハエトリグモにその習慣がある種がいるかは忘れたが、彼女はもしかして……。


 「なにか、助けになれるかも……ねぇ?」


 耳元に幼い顔が寄せられ、囁くような声が届いた。


 そして、嘘の様な唐突さで重圧が抜け、圧迫感が失せる。


 彼女が拘束を解いたのだ。


 「ふふ、どうなさいました? 昼間に幽霊でもみたような顔」


 地面に降り立って低い目線で見上げてくる彼女は、いつも通りの悪戯っぽい笑みを浮かべていた。陽光を反射して輝く瞳も淡いヘーゼルのままで、愛らしく笑みに撓んでいる。


 錯覚、だったのだろうか。


 「さ、行きましょ? お稽古なさってたんでしょ? 汗を流さなければ、お風邪を召してしまいますわよ?」


 からかうように宮廷語で誘い、彼女は私の手を取った。人と、最近回りをうろちょろできるようになった妹のエリザとは違い、彼女の小さな手は柔らかく冷たかった。


 ひんやりした心地良い手触りに、少しだけざわついた心が落ち着く。


 こうしてみると、さっきの感覚が本当に嘘の様だ。振り返ってみても、気のせいだったかのように感じるので不思議なものである。


 まぁ、それに焦るほどでもないか……。家を出ろと言われるにしても、十五を過ぎてからだろうし。流石に新婚夫婦が“仲良く”してる現場に出くわさないよう注意も要るだろうが、そこは両親も色々考えてるだろうから大丈夫だと思いたい。


 離れを作るか増築するか。奮発して一軒建てるかもしれない。どうせ、誰かが部屋住みとして家に残るのだから、何もかわらんだろう。


 さっきの感覚を振りほどくように、私は小さな彼女の掌を握った…………。








【Tips】部屋住み。長男に何かあった時の為、大抵は一人家に残って部屋住みになる。後継がきちんと産まれた後は、荘内で何処かの家で養子になるなどの身の振りが考えられる。












 獲物を確実に手に入れる方法、というものをマルギットは母から教わっていた。


 巣を張らないハエトリグモの蜘蛛人が行う狩りは、待ち伏せ型のジョロウグモ系列、恵体に物を言わせたタランチュラ系列とアシダカグモ系列とはまた違った趣を持つ。


 静かに近づき、一気に飛びついて反応する間もなく命を刈り取るのだ。


 死角から息を潜めて察知もさせず間合いに入る。そして、飛びついたが最後、急所に短刀か短弓を叩き込んで命を奪う。毒を持たず、捕獲用の巣も作らない蜘蛛人の狩りは、正に一瞬で終わらせることが要訣だ。小柄でウェイトがない彼女たちは、この方向に進化することで生き延びてきたのだから。


 それも相まって、彼女の母は獲物を学ぶように教え込んだ。


 どこに弱点があるか。短刀や短弓の矢を叩き込めば死ぬ場所は、存外と少ないものだ。失血の末に死ぬ場所は多くとも、即死を狙うならば殺せる点は数えるほどもない。


 どこが死角か。幾ら小柄でも体高一メートル少しの物体が動けば目立つ。視界を読み、外し、五感の範囲外から近寄らねば勝ち目はない。


 どこが恐ろしいか。その獲物の強みをしれば、同時に攻めるべき隙も見つかるものだ。剣を持つ者が剣に頼るように、弓を持つ者が矢を頼みとするように。


 何度となく連れ出されて行った講釈の中、最後に母は締めくくった。


 これらは全て男にも準用できるものだと。


 男にも弱点がある。首を落とせば死ぬとかそういう血生臭い話ではなく、何をされると弱いかというのがあるのだ。


 残念ながらハエトリグモ系の蜘蛛人は、ヒト種的な価値観での成熟や豊満さとは無縁だ。


 その特性のためデッドウェイトが極限まで削られているせいで総じて矮躯であり、希に女性の象徴が豊かに育っても、結果的にアンバランスなことになる。ほど良い意味で“老けて”いくことができない。


 彼女の母も数人産んでいるとは信じられないくらいの外見的な幼さで、ヒト種の父と並んだ姿を見れば、祖父と孫と名乗ればともすれば納得されるほどだ。中には外見と所作のギャップに当てられて、良からぬ趣味に転ぶ人間がいるという噂も納得がいく。


 ただ、幸いな事にマルギットが目当てを付けた獲物は大丈夫だった。少し年下だからか、まだ外見と年齢に大きなギャップがないこともあって十分に弱点を突けている。幾つか会心の手応えを覚える一撃もあったのだ。


 どうやら彼は囁かれるのに弱いらしい。その度にぞくぞくしているのを、密着している彼女が逃すはずもない。


 恋愛もまた狩りなのだ。特に本能が亜人よりも魔種寄りで、狂気に親しみ易い蜘蛛人にとっては。


 だから“これは私の獲物”と示すように彼女はエーリヒに飛びつくのだ。彼の体温が心地良く、キトンブルーの澄んだ目が驚くのが楽しいのもあるが、一番はその充足感と安心感を得るために。


 そんな彼が悩んでいるのだから、手助けしてやろうと彼女は決めていた。


 彼は四男だ。部屋住みをするには下過ぎるし、かといって他の仕事にアテもなさそうだった。自警団の枠が自然と空くのはまだまだ先だろうし――他にも順番を待っている予備自警団員が沢山いる――そもそも、彼は他を押しのけられるような気質ではない。


 ただ、方々からの覚えは大変よかった。聖句も聖歌も殆ど暗唱でき、祈る姿は熱心な彼が出家するというなら聖堂は快く受け容れるだろうし、あれほど宮廷語と読み書きが達者で気が利くなら代官への仕官だって適うかもしれない。推挙してくれる大人を数え上げれば、両手の指でも余るほどいる。


 それにもし望むなら、婿入りして別の家を継ぐ手もある。むしろ、これが一番手っ取り早いだろう。


 実は彼自身も、同胞と同じく荘の女性の目を多分に集めているのだから。


 文に優れ武も達者にこなし、仕事は人よりやって小銭を稼げる特技を持ち、尚且つ細面で帝国人が好む金髪碧眼。幼い少女から適齢期の乙女、あとは寡婦になってしまい夫を迎え入れる必要のある妙齢女性が熱っぽい視線を向ける対象としては十分過ぎた。


 彼女はふと自分が樹上に作る狩猟小屋に彼をしまい込む妄想をし、胸が高鳴るのを覚えた。同時に腹の奥に熱を帯びることも。


 ああ、それと彼は冒険者も視野に入れていたことを思い出した。


 マルギットは冒険者という仕事の実態を知っていた。なにせ母親は、荘園の猟師に一目惚れして引退するまで、世界を巡る冒険者だったのだから。斥候として一党に属し、諸国を旅した思い出話を聞かせてくれる母の語りは、決して寝物語として心地良いものばかりでなかったことは確かだ。


 だからこそ、彼が冒険者になるというのなら、それについていってやろうと彼女は決めていた。目と耳の良い斥候は何があっても不要になることはない。彼自身が如何に聡くとも、所詮は“ヒトの可聴域と可視範囲”しか持っていないのだから。


 幼い、しかし既に完成された女は自分をぶら下げて歩く少年を観察して、細い笑みを形作った。


 彼は“躍って”くれるのだろうか。それとも、組伏すことになるのだろうか。


 それがただただ楽しみだった…………。








【Tips】荘や集落の価値観は、その集団の最も有力な種族の物に左右される傾向にある。 

2019/2/15 一部文章訂正(なっき様より)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=219242288&s
― 新着の感想 ―
以前から種族的に身体が成長しにくいって書いてあるヒロインへの文句を言ってる読者がいるってマ? 見た目が幼いだけなのに忌避するのは差別なんだよなぁ 中身がしっかり成長してるならええやん
ハァー(クソデカため息 この辺りは扉の開けていない旧人類どもが多いようですね。この"価値"がわからぬとは豚に真珠猫に小判でございます。あなた様の作品は原人たる彼らには毛ほども理解されぬでしょうな。真に…
[気になる点] まさか蜘蛛女がヒロインなの?さすがに気持ち悪いわ。 主人公について来るなら読むの辞めるかな。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ