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四話 上司に対する好感度

「コピー取ってきました」

「ん」


 彼の元で仕事を始めて一ヶ月近くが過ぎ去った。初めはきついとも思っていたが、今はなんとかそれにも慣れてきた。人間とは慣れ行く生き物である。

 また彼の方も、私の存在に慣れて来たようだった。

 アシスタントに付いて暫くは会話も殆どなく、ただ彼から発せられる短い単語に「はい、はい」と仕事をこなしてきていたが、ここ最近では言葉数も徐々に増え会話と呼べるかどうかは怪しいが、コミュニケーションが増えたのだ。うむ。喜ばしい事である。これでもう少しゲームに関する仕事を回してくれたらなぁとも思わないでもないが、贅沢は言わない事にしよう。


「櫻井さん。システム課の山下さんが明日の二時ごろ内容で相談したいと言われてましたよ」

「了解。来てもらって」

「はい。では、連絡しておきますね」


 なるべく必要以上には話しかけず、彼の気配を読んで望んでいる事をなるべく早くこなす。私はやれば出来る子だ。

 今日も今日とてあくせく働く。

 今は取り敢えずゲームに携わる仕事と言うだけで私は満足である。


「おい」

「はい? 何ですか?」


 いつもは呼びかけるだけの櫻井さんが、珍しく私の傍まで来た。資料作成の手を止め振り向けば、櫻井さんはポイッと一つのUSBを机に投げる。

 ん? 何だ?

 転がったそれを手に取ってもう一度櫻井さんを見れば、「内容確認して」とだけ告げて、自分のデスクに帰って行った。え? 本当に何?

 基本的に私と櫻井さんのデスクの位置は離れている。いつもは用事があればそこから私を呼ぶのだが、今みたいな突然の行動は初めてで若干気持ち悪さが残る。

 だが、櫻井さん直々にこれを持って来たという事は、もしかしたら急ぎの案件かもしれない。

 資料作成は一旦止めてUSBをパソコンに挿す。読み込み開始の音がして数秒。中にはフォルダが一つ入っていた。

 クリックしてフォルダを開いて思わず目をひん剥いた。

 え? えー!!

 ガバリと立ち上がり櫻井さんの方を向けば、彼は相変わらずパソコンに集中していて、こちらを向く様子はない。暫くその姿を凝視して静に椅子に座り直した。

 ドキドキ鳴り響く心臓と少し震える手。

 フォルダの中身は、新作ゲームの設定やら大まかなストーリが綴られている。まだ櫻井さん以外誰も知らない内容。それを私に見せてくれているのだ。

 歓喜のあまり叫びそうになる口を手で押さえ、私はそれを読み始めた。



「はぁー……やばい」


 気が付けば読み始めてから一時間が経過していた。

 ハッキリ言おう。良かった。めちゃくちゃ良かった。大まかな流れもそうなのだが、一番共感できたのは、今までによくありがちな「高校生の主人公」ではなく、「社会人の主人公」と言うところが酷く共感できたのが良かった。最近では大人になってもゲームを楽しむ女子が増えている事から、今回のゲームは「大人女子」をターゲットにしているらしい。アプリゲームなどではこの手の主人公のものもあったが、私としては楽しむならやはりテレビの大画面で楽しみたいので非常にありがたい。

 そしてその主人公に合わせた相手キャラがまた魅力的すぎる。大人のテイストに鼻血が出そうだ。

 まだ未完成の内容なのでこれから様々な要素が追加されていくのだろうが、今の時点でもかなり仕上がっている気がする。きゃー! 早くプレイしたい。と言うか、これに関われているなんて夢のようだ。

 もしこれが家ならば、誰の目も気にする事無く悶絶しながら床の上をゴロゴロと転がっていただろうが、生憎職場ではそうはいかない。

 一旦表情を引き締めて仕事用の顔を作る。ガタンと椅子を鳴らして立ち上がると、すぐ櫻井さんのデスクへ向かった。


「櫻井さん」


 感動を押し殺すように真面目な声で話しかける。カタカタとキーボードを打っていた手が止まり櫻井さんは顔をパソコンから私に向けた。

 そして一言。


「変な顔」


 ただ短く告げられた言葉に、自分は真面目な顔をしていたつもりだったが、そうではないのだという事が一瞬で分かった。

 しかし、仮にも女子に向かって変な顔って失礼じゃないだろうか。そう思ったが、母から散々言われ続けていた為に自覚はある。取り敢えずもう一度顔を引き締め「すみません」と謝っておいた。


「で、感想は?」

「え?」


 思わぬ言葉につい目を丸くしてしまう。

 感想を語っていいと? いや、それを聞く為に資料を渡したのだという事は理解している。

 だが、今ここで? この溢れんばかりのパッションを?

 ハッキリ言おう。自信がないです。え? 何の自信かって? そんなの決まってる。


「感想を言うには、残念ながら時間が足りません」

「……は?」


 櫻井さんにも予想外の返しだったようで、ポカンと口を開け呆気にとられたような声を出した。


「ですから、時間が足りないんです」


 ちらりと確認した時刻は午後四時に近い。会社の終業時刻は午後五時と一応決まっている。

 となれば、約一時間で感想を語らなければいけないという事になるのだが、私には一時間で語れる自信はない。かと言って途中で話を切るなど無理だ。語り切れなかった思いを一体どこにやれと?

 以上の私の感想を余計な部分を省き簡潔に伝えれば、「ふーん」と何やら含みのある顔をされた。


「つまり、中途半端な感想は言いたくないって事か」

「はい。伝えるなら今ある感情を全て話したいんですよ。中途半端な感想なんてゲームファンにとっては言わない方がマシです。語るなら最後までとことん語る。これが鉄則です」


 鼻息荒く語り切り、ギュッと拳を握ったところで思い出した。自分が誰と話をしていたのかを。

 ハッとして「すみません」とまた口にすれば、いつの間にか俯いていた櫻井さんはブルブルと肩を震わせていた。


「あ、あの?」


 オロオロと控えめに声を掛け様子を伺っていると、次第にそれが大きくなり最後には堪えきれなかった笑いが櫻井さんの口から漏れたのだった。


「はははははは!! 何、お前。一体何なの? 鉄則ってそんなもんねぇよ。ふ、ははははは」

「!」


 ──あいつはさ、笑わないんだよ。気難しくってさ。


 初めて見る上司の笑いにそんな言葉を思い出しだした。

 笑わない櫻井さん。確かに今日まで笑った事など一度もない。しかし、今目の前には大きな笑い声と微かに目元に涙を滲ませている櫻井さんの姿。笑われているのは自分なのが酷く不本意ではある。


「ちょ、そんなに笑わないで下さい。そんなに笑われたらさすがに傷つきますから」

「待て、ちょっと待て。今ツボったから……くくく」


 普段笑わない人が笑うとこうなんだろうか。櫻井さんはそれから五分ほど笑い続けたままだった。



「で、気が済みましたか?」


 給湯室で入れたお茶を出してそう尋ねる。漸く一息ついたのか、それを飲み干して櫻井さんは元の表情に戻った。


「あー笑った、笑った。こんなに笑ったのはいつ振りだ?」

「知りませよそんな事は」


 あまりに笑われたのでそっけない態度でそう答える。

 しかし、櫻井さんはそんなこと気にした様子もなく言葉を続けた。


「よし。今日は五時きっかりで仕事は終わりだ」

「……はぁ、分かりました」


 よく分からず、気の抜けたような返事をして頷く。

 いつもなら櫻井さんは残業している。私はそこそこの時間まで残ってから櫻井さんを置いて退社するというスタイルだ。

 それが急に退社宣言?

 まあ、残業しすぎも体に良くはないしたまにはいいのではないだろうか。櫻井さんが帰るという事は私も定時に帰れるという事で実にハッピーである。


「お前の後の残りの仕事は何だ?」

「えっと、後は明日の書類の作成と整理があと少しあります」

「頼んだ分の資料は?」

「はい。それも終わりました」

「定時には終わるな?」

「はい。問題ないです」

「よし。なら飲みに行くぞ」

「はい…………え?」


 頷いてから気が付いた。

 え? 今なんと言いました? 話の流れでなんとなく頷いちゃったけど凄くビックリな言葉が聞こえたような気がするんですが。

 パチパチと瞬きを繰り返してもう一度「え?」と言えば、唇の端を持ち上げた櫻井さんは一言「早く終わらせろ」とだけ言った。あれですか? 確信犯ってやつですか?

 呆然と佇む私をよそに櫻井さんは再びパソコンへと向かう。釈然としない気持ちを抱えたまま、私は仕方なく仕事を終わらすべくデスクに戻ったのだった。



***



 宣言通り仕事を定時に終わらせた櫻井さんは、帰り支度を済ませた私を引っ張って会社を後にした。それを目撃した同期の友人が、驚いた顔でこちらを見ていたのできっと後日何か言われるんだろう。

 いつになく上機嫌に見える櫻井さんの後を無言で付いて歩き、辿り着いたのは一軒の居酒屋だった。さっさと中に入った櫻井さんの後に続き席に着く。


「俺はビール。お前は?」


 メニューも見ずに決めた櫻井さんは私にメニューを渡す。何だか流されてるなぁ、そう思いながらも「梅酒で」と注文を決めた。


「お疲れさん」

「お疲れ様です」


 カチンとグラスを鳴らして一口それを飲む。櫻井さんは半分以上飲み干してからグラスを口から離した。


「で、聞こうか」

「? 何をですか?」


 本気で意味が分からずそう返すと、お前は馬鹿なのかとでも言いたそうな視線を向けられた。


「お前が言ったんだろ? 時間が足りないって」


 そう言われて初めて合点がいった。

 確かに私は時間が足りないとそう言った。だから櫻井さんはこうして感想を述べる時間をくれたという事か。ならこれは仕事の延長線上という事か。漸く納得できてスッキリした。

 つまり、櫻井さんは本気で私の感想に付き合ってくれるという事だ。何時間でも。なら、遠慮はいらないしそれは作品に対して失礼だという事だな。よし。


「では、失礼ながら現段階の感想を言わせて頂きます」

「どーぞ」


 煙草に火を付けた櫻井さんは紫煙を揺らしながら笑った。



「で、ですね、私としてはあのキャラのストーリーにはもうひと手間あった方がいいと思うんですよ」

「成程。例えば?」

「そうですね──」


 店に来てから大体二時間くらいだろうか、程よくお酒も入り口も良く回る。そんな私の言葉を櫻井さんは呆れるでもなく聞いてくれていた。


「取り敢えず、現段階での私の感想は以上です」


 溢れる感想を全て出し終えた頃には、櫻井さんの側にあった灰皿は一杯となり、私と言えばグラスに残った最後のお酒を飲みきり、満足感で一杯となっていた。


「なかなか、参考になった」


 ポツリと櫻井さんは呟く。

 その言葉は私にとって嬉しい言葉だ。なにせ憧れの人に「参考になった」なんて言葉を貰えるなんて夢のようである。


「そう言って頂けるなんて嬉しいです」


 素直な感想を言えば、櫻井さんはまた少し笑ったようだった。

 てか、今日の櫻井さんは笑顔の大盤振る舞いではないだろうか。相変わらず髪と髭で覆われているけど。それでも、確かに笑顔を向けてくれているのは分かる。

 もしかしなくても、かなり打ち解けられたのかな?


「取り敢えずお前のこのゲームに掛ける熱意は伝わった。これだけ意見と感想を言えたのはお前が初めてだな」

「そうなんですか?」

「ああ。まあ、それでなくてもあの履歴書を送るくらいの人物だしな」

「え?!」


 今、履歴書と言いましたか? 面接前に送ったあの履歴書?


「履歴書、見たんですか?」

「まあな。俺のアシスタントにどうかと聞かれたからな。面接もしてないのにそんな事を聞かれたのは初めてだ。それに動機の欄にあんなにキチキチに書いてるやつは初めてみたな」


 その時を思い出したのか、櫻井さんはクツクツ笑う。

 履歴書。それは出来れば面接官のみに見てもらいたかった。何故なら入社したいと言う溢れんばかりの思いが詰まった書類だからだ。ハッキリ言って、黒歴史と呼んでもいいかもしれない。いや、それのおかげで入社出来ているのだから、それは駄目か。

 だがあれを見られたのは大分痛い。痛すぎるんですか。

 そう思ったところで、ふっと何かが引っ掛かった。


「あれ? じゃあ、櫻井さんのアシスタントになれたのって……」

「俺が了解出したからじゃねえ? こんな履歴書を書くくらいなら俺の下でもやっていけるだろうって判断だろ。多分」


 ん? やっていけるだろうって事は櫻井さんもしかして自覚があるのか?

 それが顔に出たのか、櫻井さんは「知ってる」と言った。


「アシスタントが移動するってやつだろ?」

「あ、はい」

「俺としてはあれ位で移動を申し出るならいらない。まあ、俺だって最初からあんな感じじゃなかったけどな」

「そうなんですか?!」


 なんとびっくり。櫻井さんにも穏やかな時期があったという事なのか。あんなに冷たかったのに。


「お前、今、失礼な事考えただろ? ハッキリ言うけど顔に出すぎ。今だけじゃなくて仕事中もな」

「そんな事……ないとは言えないですけど」


 何度も言うが自覚がある。なので返答も尻窄みになってしまう。


「まあ、様子見はしたけどお前は今までの奴等とは違いそうだしな」

「因みに今までの方達って言うのは一体何があったんですか?」


 ちょっと興味はある。こんなに素晴らしいゲームを作る人のアシスタントを止める理由とは何か。


「あー、最初の頃は移動させたが正しいな。後半は勝手に移動してったけど。俺が特別何かした覚えはないけどな。強いて言えば思っていた仕事が出来なかった。だったか」


 ふむ、確かに。私も最初はそう思った。私と移動した人達の違いは関われるだけで満足と言う気持ちの違いだろうか。

 なら、最初の頃の移動させたとは?


「それは……まあ、機会があったらまた話してやる」


 と言うことは、話す気がないという事ですね。

 苦い顔をして手にした煙草をぐしゃりと灰皿で潰した姿を見て、恐らくだが櫻井さんにとって物凄く嫌な事でもあったのだろうと想像できた。この櫻井さんにそんな思いをさせるとは色んな意味で凄い社員さんだったのだろうね。私には無理です。


「さて、そろそろ帰るか」

「そうですね」


 丁度時計の針が九時を指した頃に櫻井さんはそう切り出した。返事をして支度を整える間に櫻井さんはさっさと伝票をもって行ってしまった。慌ててその後を追うが、いつの間にか混雑していた店内を抜けて追いついた時にはすでに会計は終わっていた。これはいかん。


「櫻井さん、会計おいくらでしたか?」


 店を出て鞄から財布を取り出しそう聞けば、何故か逆に櫻井さんは驚いた顔をした。


「ああ、別にいい」

「それは駄目ですよ。私、結構食べましたし」

「大した金額じゃない。それに部下から金取るほど非常な男じゃないけど?」

「そんな事は思ってませんよ。ただ部下とか上司とかじゃなくて私も楽しい時間を頂いたので。ですからお支払いします」


 そう。私は楽しいと感じていた。確かに初めは仕事の延長だと思ていたが、終わってみればとても満足の行く時間だった事は間違いない。なら、上司と部下とかは関係なく会計を払うのは当たり前だと私は思うのだ。


「お前は本当に変わってるな。妙に律儀だ」

「……それはいい意味ですか?」

「そうだな。俺が今まで見た女は財布すら出さない奴の方が多かったな」

「それは酷いですね」


 私からすればあり得ないとも思うが、世の中にはそういう女子もいると私も知っている。そんな女性しかいなかったという櫻井さんには少し同情してしまう。

 世の中そんな女子ばかりじゃないですよ?

 そう告げれば、「そうみたいだな」と櫻井さんは言った。


「まあ、今回は素直に奢られておけ。次回は割り勘にするか」

「……分かりました」


 断り過ぎも失礼だと聞いた事がある。次回があるかどうかは分からなかったが、ここは素直に甘える事にしよう。次は必ず支払うと心に決めて。


「では、今日はありがとうございました。それとご馳走様でした」

「どういたしまして。俺の方も参考になった」


 深めに頭を下げてお礼を言えば、櫻井さんは首筋を掻いた。


「では、私はこちらなので」

「ん。今日はお疲れ。気を付けて帰れよ」

「はい。お疲れさまでした」


 桜井さんは私とは逆の方向に向かい歩き出す。その背を少しだけ見送り私も前に向かって歩き出した。

 まだ人通りの多い街並み。そこを歩きながら私は思った。今日は中々に濃い一日だったと。取っ付き難いと思っていた上司が、まさかこんなに話し易いとは思いもよらなかった。人の噂はなんとやら。ちゃんと正面から向き合ってみないと分からないもんだな。うん。

 取りあえずハッキリ言えるのは、この日私の櫻井さんな対する好感度が一気に上がったという事だった。

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