二話 理想と現実は異なるもの
「おかしい。おかし過ぎるんだよー!!」
「いや、おかしくはないと思うけど?」
いつも通う居酒屋の一角。隣に座る友人の藤川実加と、仕事終わりに飲みに来るのは珍しい事ではない。
実加との付き合いは高校時代に遡る。さばさばとして美人な実加は周りから少々浮いた存在だったが、私にとっては信頼できる友人だ。卒業後は疎遠になった友人も多い中で、実加とは途切れることなく今も関係が続いている。
「何でよ? 私が数年掛けた壮大な計画が思うようにいかないんだよ? あんなに理想のキャラに育ったのに!!」
「まぁ……確かに、真冬君はあんたが思い描いてる理想的なキャラに育ったとは思うよ? でもさ、中身までも丸々同じようにってわけにはいかないでしょ」
実加の言葉に思わずと押し黙る。
確かに理想は理想。あくまでも二次元世界の話で、現実にはそうはいかない。何故ならそこには真冬という「個」があるのだから。
しかしだ!!!
高校生になった真冬は頭脳明晰、高身長で容姿もイケメン。おまけに、クラブも中学から続けているバスケット部に入部した。これはどう考えてもモテないはずはない!
勿論、選ばれるだけじゃなくて真冬の方からだって可愛い子が選び放題のはずなのだ。
──なのに、それなのにぃ!
「何で、誰とも恋愛しないのよ! あの顔でさ、先輩、とか言われたら、女子は直ぐに落ちると思うんだけど! 年下からだって、真冬先輩とか、絶対言われてるはずなのに!! いやまてよ。もしかして私に相談していないだけでしてるかも? 恋愛しちゃってる? 私みたいなおばちゃんに相談するのは恥ずかしいとか思ってるかも!? やだー、まー君にそんなこと言われたらショックで死ねるー!!」
妄想が止まらなくて、思わず涙が出そうになり手にしたお酒をぐびっと煽った。
あれ? 何だか隣から冷ややかな視線を感じるような。
チラりと隣へ視線を向ければ、なんとも残念なものを見るようにこちらを見ている実加と目が合った。
「何? みかっち」
「いや。あんたがそんなんだと、あの子も報われないなぁ、っとね」
「何それ?」
「うん。まぁ、あんたはそうだろうね。まあ、取り敢えずそれはいいとしてさ、真冬君はちゃんと恋愛してるわよ?」
「……え? ウソ? マジ?」
「大マジ」
なんと!! 真冬によく会う私でなく、滅多に会う事がない実加の方が分かっていると!?
シレッと、つまみを頬張る実加に詰め寄ろうと口を開きかけたが、掌でそれを遮られた。
「言っとくけど、誰かなんて言わないわよ? これは真冬君の問題で、私が口を出す事じゃないからね」
「うっ」
「でも……そうねアドバイスはあげててもいいわ。気になるなら、もっとよく真冬君を観察する事ね。どんな事に一喜一憂してるのか。彼が一体何を見ているのか。──って言っても、あんたは気が付かないと思うけど」
「ん? 何?」
「……何でもないわ」
溜息を零した実加に首を傾げる。正直最後の方は聞こえなかったが、まぁ良しとしよう。
それよりも、何だ? もっと観察? これ以上? 今以上? うむ、よく分からん。
眉間に皺を寄せながら、枝豆を口に運ぶ。うん。旨い。
「そんな事よりもさ、あんたはどうなの? 念願の部署に配属なんでしょ?」
「そんな事ってなんだか酷い」
「はいはい。で、どうなの?」
「んー。うん。まぁ、なんて言うかね」
「何よ? 歯切れ悪いわね」
「こういう言い方はなんなんだけど、二次元の裏側の世界を見た? みたいな?」
最近の出来事を思い出しながら口を開いたが、いい言葉が浮かばない。
私はこの春、とある大手のゲーム会社に就職した。
私が中学の時に初めてプレイしたゲーム、「世界の中心は君」を作った憧れの会社だ。そして先日、二ヶ月の研修期間を終えて、漸く正式に部署へと配属されたのだ。
私がそこで希望したのは、言わずもがな乙女ゲーム専門の部署。その中の、次回発売予定の新作乙女ゲームのチームに入ることとなった。
とまぁ、そこまではかなり嬉しかった。嬉しかったのだが、ここで私は現実と言うものを目の当たりにする事になったのだ。
新人の私は、ベテランの担当者のサブとして付く事になった。
上司の名前は、櫻井亮平。
彼の携わった作品はどれも人気があり、特に昨年発売した「love hony」は、特に人気が高い作品だ。
勿論、私も一ファンとして毎夜萌えながらプレイさせて頂きました。こんな胸きゅんする作品をありがとう、と。
そんな彼の元で働けるとは、夢にも思っていなかった私は浮かれまくった。まさに、降って湧いた幸運とはこれの事なのだろう。
しかし、現実は甘くはない。意気揚々と出勤したその日の中に、私は灰となったのだった。
「どう言う意味よ?」
「言葉通りかな? なんて言うかね、あの人の脳味噌からあんな萌えキュンするストーリーが生まれるなんてさ。ホントさ、世の中は分かんないよね」
「いや、私はあんたの事が全然分かんないわよ」
大柄な体に加え煙草。伸び過ぎた髪は後ろに縛り、縛り切れない髪が顔周りを覆っている上に無精髭。更に掛けている眼鏡の所為で、その奥は見えない。与えられた部屋で、ただ静かにパソコンに向かい、部屋に響いているのはキーボードを叩く音。
他の社員から聞いていた前情報で、人との接触をあまり好まない人だ、と聞いていた私は単純に繊細な人物なのだろうと想像していた。
だが、実際の彼は繊細などとはかけ離れた人物だった。
──コーヒー、ブラック
──煙草切れた、買って来て
──昼飯
──これ、コピー etc、etc…………
要件は短く単語で命令。仕事の内容はゲームに関するものでなくどちらかと言えば彼の世話だ。私はメイドではないと声を大にして言いたい。いや、実際にはそんな事は言えないのだが。
極めつけは後から伝え聞いた、彼のアシスタントに付いた人は二か月持たない、と言うものだ。去って行った人達の気持ちはよく分かる。なにしろそれを今、身をもって体験中なのだから。
しかし、私に辞める気など一切ない。それだけは断言できる。
取り敢えず今はバタバタと過ぎる一日に付いていくのが精一杯なのが現状である。
「うん。もうちょっと落ち着いたら詳しく話すよ」
「そう? 分かった。じゃぁ楽しみにしてる」
「あ、それより私の話もしたんだから、みかっちの話も聞かせてよ。良い感じの人がいるって、言ってたじゃん」
「あー。あれはね……」
結局、実加とは十一時頃まで女子トークをして帰宅した。久々に楽しい時間でした。ゴチです。
***
居酒屋で実加と別れ夜道を自宅へ向けて一人歩く。ほろ酔いで気分は上々。
足取り軽く歩く私は就職した事もあり、この春から一人暮らしを始めたのだ。仕事場まで徒歩二十分。間取り1LDKのそこが今のお城である。
すれ違う人の少ない住宅街を抜け、漸くマンションが見え始めたところで、ふと見上げて思わず目を瞠る。何故か明りのある私の部屋。一瞬にして酔いが醒めた気がした。
え? 何で? 私、朝消し忘れたっけ?
泥棒かとも思ったが、電気を付ける泥棒なんていないだろうと思い至る。うーん……分からん。
取り敢えず帰らなくてはと、歩調を早めた。
「ただいま……」
鍵を取り出し静かにロックを解除する。万が一の事を考えて、小さく声を掛けからて中に入るが、当然の事ながら返事はないし、物音の一つもない。
やっぱり消し忘れたのかな、なんて思いながらリビングに入って思わず息を飲んだ。
「え? 真冬?」
電気が付いているだけの静かなリビング。
だけど、いるはずのない人物の姿がそこにあった。
項垂れるようにソファーに座っていたのは制服姿の真冬だった。下を向き、いつもなら笑ってかけてくれる声もなく、ただ静かに俯いていた。
「えっと……真冬? こんな遅くにどうしたの?」
ソファーに近づいて真冬の視線に合うように膝を折る。
今まで見た事もないような真冬のその姿に内心慌てたが、ゆっくりその顔を覗き込んだ。俯いている為に垂れた前髪の所為で表情までは見えなかったが、引き結んだ口元だけはよく見えた。
「ねぇ、アキちゃん。こんな時間までどこ行ってたの?」
服の袖に手が掛かり、小さく問いかけられる。その声色は寂しさを含んでいた。
「友達とご飯に行ってたんだよ。真冬はどうしたの? いつもなら来る前に連絡くれるのに。それに、こんな時間までいたら、由紀恵さん達が心配するでしょ?」
「俺、今日アキちゃんにお願いがあって来たんだ。おばさんに鍵を借りて、アキちゃんを驚かせようと内緒で。でも、全然アキちゃん帰って来なくて……」
ようやく顔をあげた真冬は、少し涙目で伏し目がちに語った。
ぐは!! なんという破壊力だ!
その表情に思わず大打撃を食らってしまう。だが、私はもう大人だ。これを顔に出すわけにはいかないぜ。
「そっか。それは心配させたね。ごめんね」
「ううん。俺こそ勝手に来ちゃったから。ごめんね」
「いいよー。真冬ならいつ来たって大歓迎だよ」
「そっか。良かった」
落ち着いたのかにっこり真冬は笑ってくれる。やっぱり笑顔が一番ですね。可愛らしくて良き事です。
さてと、と立ち上がろうとして掴まれたままだった服の裾をぐいっと真冬が引く。うん、立ち上がれないよ。
「アキちゃん」
「んー?」
掛けられた声に返事をしてピタリと固まる。
「誰とご飯してたの? お酒飲んでるよね? もしかして、男の人と一緒だった?」
笑顔なのに目が笑っていないだと!
矢次早に真冬は問いかける。その表情と声に冷やりとしたものが背筋を伝い反射的に返事を返す。
「へっ?! 違う。違うよー。お酒は少し飲んだけど一緒に居たのは男の人じゃないから。ほら、あれ。みかっちだよ。藤川実加。真冬も会ったことあるよね」
「……そっかー。良かった」
相手が実加だと分かって安心したのか、先ほどとは違ういつもの笑みで真冬は笑った。
あれ、何で私言い訳してるんだろうとか思ったけど、まあ真冬が安心するならいいか。うん。
「あ、それより真冬の用事は何だったの?」
「えっとね。アキちゃん再来週の土曜は仕事は休みかな?」
んーと、と目線だけ上に向けスケジュールを思い出す。
基本的にうちの会社は週休二日制である。あるが、やはり休日出勤と言うものは存在している。特にゲームの発売が近くなると休日返上という話も先輩方から聞いていた。
「確か、休みだったと思うけど」
「ホントに?」
「うん。土曜に何かあるの?」
「実はその日に試合があるんだ。インハイに向けてのレギュラーを決定する試合なんだけど」
「へー。インターハイか」
その言葉に青春だなー、なんて密かに思う。何せ私にとってはもう数年前の出来事。青い春はすでに駆け抜けたのだ。
「でね、その試合の応援にアキちゃん来てくれないかなって」
「え? 私が?」
「うん」
突然の申し出に思わず目を丸くする。
確かに部外者が観戦に行ってはいけないという事はないが、私が観戦に行ってもいいものだろうか。いや、真冬の活躍は見てみたいが私なんかが高校生の中に混じってもいいのか? ぴっちぴちの高校生の集団の中に?
なんと返事をしようかと言い淀んでいると、「駄目かな?」と真冬が私を見た。
「! 駄目じゃないよ。うん。私が行っても構わないならぜひ応援に行くよ」
「ホントに! 嬉しい。アキちゃんが来てくれたら俺いつもより頑張れるから絶対来てね」
ひゃー、天使。天使がここにいるよ!!
「約束」って小指を出されたら堪らない。幼馴染贔屓とかじゃなくて、こんな誘い文句は誰でも落ちるから。できれば私じゃなくて他の可愛い女の子に是非お願いしたい。そして私は影からこっそり二人の恋愛を観察したい。割とマジで。
「絶対行くよ」
だって、真冬のモテモテ度も分かるかもしれないから。なんて口が裂けても言えませんが。
「それよりも、こんな遅い時間で由紀恵さん達にはちゃんと連絡したの?」
「うん。大丈夫だよ。ちゃんとアキちゃんのところに行くのは知ってるから。母さんたちもアキちゃんのとこなら何も言わないから平気」
「そっか。でもね……」
この時間はいかんだろう。ちらりと確認した現在の時刻は十一時半を過ぎたところだ。
確かにいつ来ても構わないけど、この時間は駄目だ。未成年をこの時間に帰すなんて大人としていかん。これはやっぱり私が送っていくべきだろう。そもそもこんな可愛い子を一人で帰したら変態に連れ去られてしまうかもしれん。
それに何かあれば由紀恵さん達に申し訳が立たないし。
「じゃあ、私が家まで送るね」
と、告げれば、真冬はぎょっとした顔をして勢いよく首を左右へ振った。
「駄目駄目駄目。絶対駄目だよ! アキちゃんに送られるくらいなら一人で帰るから。アキちゃんは家にいてよ」
「えー。そんなの私が駄目だよ。だって今から帰ったら十二時近くになっちゃうんだよ? そんな時間に一人で帰すなんて出来ないよ。私が責任を持って送ります」
「でも俺を送った後、アキちゃん一人でここまで帰ってくるんだよね? そんな時間にアキちゃん一人にするなんて俺が無理だから。だから駄目」
「でも、こればっかりは私も譲れない。真冬一人は駄目。それじゃ帰せないから」
「それは俺も同じ。アキちゃん一人は絶対駄目」
お互いに「駄目」の押し問答。これでは埒があかないぞ。
んーと少し考える。仕方ない。ここは妥協案という事で。
「じゃあさ、家に泊まってく?」
「へ?」
「それだったら私も安心だし、真冬も文句ないよね? うん。そうしよう。取り敢えず由紀恵さんには私から連絡するから」
幸い明日は土曜で仕事は休みだ。これなら二人とも安心だよね。
早速と、スマホから由紀恵さんの番号を呼び出した。呼び出し音が鳴って数秒。「もしもし」と優しげな声が耳に入った。
「あ、由紀恵さん。こんばんは。旭です。遅い時間にごめんなさい」
『アキちゃんこんばんは。いいのよ。こっちこそ真冬がお邪魔してるんでしょ? いつもごめんね』
「いえ。私は構わないんです。それより申し訳ないんですが、私が真冬を帰すのを忘れてしまって……もうこの時間だし、今日はこのまま家に泊めようと思うんですが大丈夫ですか?」
引き留めて申し訳ないと告げれば由紀恵さんの声がピタリと止まる。
あれ? やっぱり不味かっただろうか。年頃の息子を幼馴染とは言え私のようなものに預けるのは。
若干不安になりながらも返答を待っていると、
『キャー!! お泊りですって!! あの子、お泊りですって!! 明日はお赤飯よ!』
と、電話口の奥で由紀恵さんの声が響いた。
「あ、あの、由紀恵さん?」
『あら、ごめんなさい。ふふ。つい興奮してしまって。そうだ、真冬はそこにいる? 少し替わってもらってもいいかしら?』
「あ、はい。ちょっと待ってて下さいね」
由紀恵さんが一体何に興奮したかは分からない。分からないが、この様子だと多分了解を貰えたという事だろう。
スマホから耳を離してそれを真冬に渡す。何故か目を見開いて固まっていた真冬は、ロボットの様にこくんと一つ頷いてそれを耳に当てた。
さて、お泊りとなれば色々準備しなくちゃいけない。なにせ家に人が泊まりに来るのは、引っ越ししたばかりに実加が泊まって以来の事だ。
取り敢えずはお風呂を溜めよう。後は、布団をどうするか。そんな事を考えながらリビングを後にした。