一話 私と可愛いあの子
「お前が、お前さえ俺の傍にいてくれたら、俺はもう何も怖くないんだ」
「貴女の存在。それが今の私の全てですよ」
「先輩に出会えて良かった。この高校に来てホントに良かった。俺はすごく幸せだよ」
「さっさと卒業してくれ。今の関係じゃ足りない。お前を早く俺だけのものにしたいんだ」
「会いたかった。学校で会えない分だけ、君のとの時間がもっと欲しいよ」
格好いい同級生達から、可愛い後輩。クールな先生や、爽やかな他校生。イケメンな彼等と送るウキウキドキドキの学生生活。様々な性格の彼らが、少しづつ自分を見せてくれる甘酸っぱい恋愛の数々。
こんな素晴らしい世界があると私が知ったのは、中学二年の夏休み前の事だった。
「これさ、今、私の一押しのゲームなんだ! 絶対ハマるはずだから是非プレイしてみてよ!」
良い笑顔をしたゲーム好きの友人が、半ば押し付けるように貸してくれたのが、今、人気が高いと噂の恋愛シュミレーションゲーム『世界の中心は君』だった。
イラストが綺麗だとか、楽曲が良いだとか、声が素敵だとか、興奮しながらも色々な前情報をくれた友人だったが、正直に言うとその時ゲームに興味のなかった私には全く共感できる話ではなかった。
寧ろ、鼻息荒く興奮する彼女に思わず冷めた視線を送ってしまったのは仕方がない事かもしれない。
しかし、今ではその友人には感謝してもしきれないぐらいの気持ちでいっぱいである。何故ならこのゲームを借りた数時間後には、画面に張り付くようにプレイしている自分がいたのだから。
「ヤバかったよ!! ハマりました。ありがとう親友!!」
「どういたしまして。さあ、キャラクターについて語り合おうじゃないか親友!!」
ガッチリ握手を交わした私達が放課後の時間を乙女トークに費やしたのは次の日の話だ。
そして、まもなく訪れた夏休み。
それからの私は、少ないながらに貯めていたお小遣いをゲームに注ぎ込んだ。店頭に並ぶ恋愛シュミレーションゲームの中から自分好みのものを吟味し、好みのイラストのものを買い夏休みの一日中を室内で、いやテレビの前で過ごしていた。
「ヤバい! この生徒会長素敵すぎる!」
「かーわーいー!! マジ天使! 天使ですよ!」
「うわ、ギャップ萌え! この子ちょー好みなんだけど!」
「くっそ!! 何でだ?! 隠しキャラが出ねぇ!! 一体何が足りないんだ?!」
コントローラーを握りしめ、毎日毎日飽きもせずにテレビの前に私は噛り付いてプレイしていた。独り言を言いながらプレイしていた私は、今思えばさぞかし気持ちの悪いものだろう。いや、今でも言うけど。
ともかく、日がな一日を満喫し過ぎた事。それがいけなかったのだ。
そう、それは夏休みも後半に差し掛かる頃の事、私は遂に母からお叱りの言葉を頂く破目になったのだった。
「あんた、そんなに毎日毎日ゲームばっかりしてどうするの! 腐った生活からいい加減三次元に戻りなさい」
「!!」
「大きな声での独り言も恥ずかしいし、ニヤニヤ笑ってるのも見るに堪えないのよ」
「うぐ!!」
「そもそも、よく考えてもみなさい。そんなイケメン現実には転がってないわよ。それにそんな台詞を吐く男はこの世にはいません。あるのはドラマと二次元の中だけだし、もし本当に言われたとしてもドン引きよ? その男の色んなものを疑っちゃうわよ。ゲームは所詮ゲームなの。もっと現実を見なさい。いつまでも二次元なんかに逃避してないで、現実を充実させなさい!」
「ぐは!!」
母のパンチは重かった。例え思っていても、決して口にしてはいけない言葉の数々で私は現実へと引き戻され、思わず吐血しそうになった。
分かってる。母の言いたい事は百も承知である。だが、甘い夢から覚めたくない。それが人間じゃないかと思うんですよ、お母さん。
しかし、母の攻撃はそれだけでは収まる事はなかった。すでにHPギリギリの状態の私に、最終攻撃を仕掛けのだった。
ブチン!!
「これは暫く没収します。ちょっとは健康的に、外で遊びなさい」
「ヤダァ!! まだセーブしてない!! かーえーしーてーよー」
母が無情にも取り上げたのはゲーム機本体。しかも、セーブもしてない状態でその電源をブチ抜いたのだ。思わず涙が出た。冗談じゃなく出た。母は私の言葉を右から左に流し、本体を片手に去って行く。
そんな母の背中を見つめながら、私は涙を流しながら立ちすくす事しか出来なかった。
母は強し。
所詮、子供の私には到底太刀打ちできるものではないのだ。抗ってはいけないのだ。
それにこれ以上母の機嫌を損ねては、今後の私の生活が危うくのは目に見えている。なにしろ、今発売しているゲームを買う為の資金であるお小遣い。その全権を握っているのは母なのである。逆らえば打ち切られる。確実に。
とぼとぼと肩を落としながら自室に戻った私は倒れるようにベットに転がった。私の手元に残ったのは、本体がないと意味をなさないゲームのディスク達。そのパッケージには、様々な表情を浮かべたキャラクター達がこちらを見つめていた。
「ゲームは所詮ゲーム。そんなのは分かってるし、別に二次元に恋してるわけじゃないもんねーだ」
そう、恋してるわけじゃない。勿論イケメン達は魅力的であるし、そんなイケメン達に「好きだ」と言われるのも大好きだ。だが、私の中の一番はそのストーリーと落としていく過程が好きなのだ。
そっと手にしたのは、一番最初に友人に借りたゲームのパッケージ。返却した後好きすぎて買い直したものだ。中から冊子を取り出しキャラクター紹介のページを見つめながら溜め息を一つ落とした。私はまだまだ夢見る中学生。良いじゃないか、夢を見るのは自由なんです。
ぺらりと、さらに一枚ページを開けばそこにいるのは私のお気に入りのキャラクターの姿。長身で爽やかなわんこ系の後輩。この子が一番のお気に入りなのだ。いつもにこにこしていて、素直で一直線。年下だという事を気にして背伸びをしたりと、なんとも癒されるキャラクターでありそのストーリーも魅力的なのである。
「うぅ……ゲームしたいよぉ。癒されたいよぉ。甘い言葉で励まされたいよぉ。別に現実じゃなくてもいいんだもん。一時の幸せが欲しいだけだもん。まだ中学生なんだから現実逃避したっていいじゃん。シュミレーションにハマったっていいじゃん。はぁ。でもゲームも本体がなきゃ何にも出来な……」
そんな時だ。ふと、一つの考えを思い付いて飛び起きる。
「あるじゃん。ゲーム機がなくとも出来る事が!」
閃いた。閃いてしまった。
そうだ、理想のキャラクターを自分で育て可愛い女の子と恋愛させればいいんじゃんか。私天才。そして、中二病と笑うなら笑えばいい。
一見すれば実現など不可能に思えるが、実は私には七つ年下の幼馴染みがいるのだ。これが、まさにうってつけの人物。
お隣に住む私の幼馴染は、現在小学一年生の山田真冬君と言う。目もくりくりでさらさらの髪の毛。愛らしい表情で、私をおねぇちゃんと呼んでいるそれはもう可愛い天使だ。それに加えて、小父さんも細身で高身長の上、男前なので将来は有望だと言える。
うん。絶対に彼はイケメンになる。最近は年齢的にも疎遠になりつつあるが、会えば必ず喜んでくれるし、今から関係を取り戻せばもっと慕ってくれるようになるだろう。考えるだけで萌えるぜ!
名付けてリアル恋愛シュミレーション! キタコレ!!
「今からならきっと、理想のキャラクターが出来上がるはず!! ふは、ふははははっ!!」
「煩い! キモイ!!」
思わず漏れた笑いに、気持ち悪いなんてリアルに突っ込まないでよお母さん。止まった涙がまた出ちゃうから。
そうと決まれば、実行型の私の行動は早かった。部屋着を脱ぎ捨て、ジーパンとシャツを引っ張り出し素早く着替えを済ませる。
今の時間は、午後一時を少し過ぎたところ。この時間ならきっと家にいるはず。──多分。
「は? 何、あんた。何処行くのよ?」
「お隣ー。ちょっとまー君に会ってくるね!」
「はぁ?」
「行ってきまーす」
欲求を押さえることなく、私は家を飛び出す。その足取りは今の気持ちを表したように軽やかだった。
お母さん、あなたの娘は言いつけ通りに、二次元の世界から三次元の世界へと飛び出します。リア充を求めて!!
これが、私、似鳥旭の生き方を決めた日でもあり、おそらく人生を踏み外した日でもある。
***
「あら? アキちゃん? いらっしゃい」
インターホンを押して数秒。玄関から顔を覗かせたのはまー君のお母さんである由紀恵さんだった。優しそうな笑顔で迎えてくれた由紀恵さんは家の母とは全然違い、相も変わらず綺麗で羨ましい限りである。いや本当に。
「こんにちは、由紀恵さん。まー君はいますか?」
「真冬? えぇ、いるわよ。今はね夏休みの宿題中なのよ。部屋にいるから良かったらアキちゃん見に行ってあげて」
「はーい。お邪魔します」
自分の家とは全く違う小奇麗な玄関を抜け二階への階段を上がる。手前に部屋が二つ。そして突き当りに一つ。そこがまー君の部屋だ。少し前まではよく出入りしていたので、案内される事なく部屋まで辿り着く。
ここに来たのは一年振りになるからだろうか? それとも、これからの事を考えて緊張しているからだろうか? なんだか妙にドキドキする。
背筋を伸ばして深呼吸を一つ。もう一度大きく息を吸い込んでから目の前の扉をノックした。
「まー君? 遊びに来たよ?」
中から返事が来る前に、にっこり笑って扉を開ける。
一瞬、目を真ん丸にしたまー君と目が合い、その後に花が咲いたように笑ったまー君に思いっ切りタックルをキメられた。
「おねーちゃんだ!!」
「ぐほ!!」
「おねーちゃん、おねーちゃん! ぼくに会いに来てくれたの? 遊びにきてくれたの?」
突っ込まれた腹が思いの外痛い。けど、まー君は超可愛い。天使過ぎる。
私より一回り以上小さな体をぎゅっと抱きしめれば、まー君もぎゅっと抱き返してくれた。萌えるぜ。
「そうだよー。お姉ちゃんね、まー君に会いに来たんだ。すっごく会いたかったんだよ」
「ほんとう? ぼくすごくうれしい。ぼくもおねーちゃんに会いたかったよ! 今ね、夏休みのしゅくだいしてたの。おねーちゃん見てくれる?」
「!! おっしゃ! お姉ちゃんに何でも任せとけ!」
こてん、と首を傾げた仕草にきゅんとした。ヤバい!! 破壊力が凄まじ過ぎる。この仕草のまま大きくなったら絶対鼻血ものだ。いや、是非ともこのまま大きくなって欲しい!
脳内で何かが始まりそうになった時に、部屋の扉がノックされ由紀恵さんが顔を覗かせた。
「真冬、お茶菓子持って来たわよ」
「おかあさん。おねーちゃんがしゅくだい見てくれるって!!」
「あら、良かったわね真冬。アキちゃんもありがとうね。この子ったら本当にアキちゃんの事が好きなのよ? アキちゃんも中学に入って忙しいだろうし、最近は中々会えなかったでしょ? だからアキちゃんに会った日なんかもうすごくはしゃいじゃってね」
「本当に? 嬉しいなぁ。お姉ちゃんもまー君が大好きだよ?」
「ぼくも、おねーちゃんがだいすき! ねぇ、またぼくに会いに来てくれる?」
こてん、とまた首を傾げたまー君はさっきの表情とは打って変わり、不安そうに眉根を下げて瞳を微かに潤ませていた。こんなカワユイ子に大好きだと言われて、喜ばない女子はいない。こんなカワユイお願いを拒否できる存在なんていない。それは私だけではないはずだ。きっと。
「勿論だよー。これからは、お姉ちゃんもっとまー君に会いに来るからね。まー君がもう来ないでって言うまで会いに来るからね」
にっこり笑って、まー君の頭を撫でれば、「うん」と嬉しそうに笑った。
その後は、まー君の宿題を見たり色んな話をしたりと、楽しくこの一日を過ごした私だったが、本当の目的も知らないまま笑ってくれるまー君と由紀恵さんに、少々罪悪感を感じたのは秘密である。
なにしろ止める気など一切ないですから。
その日から、私は言葉通りまー君の家に足しげく通った。通い詰めたと言っても過言ではない。
理想のキャラクターに育てる為に、色々とアドバイスを始めたのだった。いや、勿論、キャラクターの為だけじゃなくて、まー君の将来にきっと役立つはず……であると信じている。
「まー君。今は分からないかもしれないけど、女の子にはね、どんな子でも優しくしないと駄目だよ?」
「うん。おねーちゃんも優しい方が好き?」
「勿論、優しい人は大好きだよ」
「うん。わかった」
「まー君。笑顔でいるのは素敵な事だよ。まー君にはいつでも笑っていて欲しいな」
「うん。アキお姉ちゃんも笑顔の方が好き?」
「勿論、いつでも笑顔は難しいけどなるべく笑っていられる人が好きだよ」
「うん。分かった」
「まー君。勉強もスポーツもなるべく出来た方がお姉ちゃんは良いと思うよ。絶対じゃないけどね」
「そうなの? アキちゃんはどっちも出来る人が好き?」
「勿論、やっぱり文武両道に出来る人には憧れるね」
「そっか。分かった」
──おねーちゃん
──アキお姉ちゃん
──アキちゃん
歳を重ねると一年が早くなると言うが、月日は瞬く間に流れていきまー君は驚くほど理想通りに成長していった。
やはり素直な子は色々違う。まー君との日々は正直萌えまくった。一生分の萌を頂いた気がします。
まー君は小学校高学年の頃から早めの成長期を迎えたのか、その身長をどんどんと伸ばし中学一年の終わり頃には見上げるほど大きくなった。性格も私の目指した理想の人物へと成長。容姿ばかりは遺伝に頼るしかなかったが、女子の心を擽るような笑顔の似合うわんこ系になり、まさに恋愛シュミレーションの攻略キャラそのものであった。
グッジョブ、私!
そして、まー君は中学を卒業。いよいよ華やかな舞台へと上がるのだ。
この先は禁断のリアル恋愛シュミレーションの世界。私はそんなまー君を少し離れたところで眺め、恋愛相談を受けたりしながら楽しい日々を送る────はずだった訳などだが。
「ねぇ、アキちゃん。俺もう高校生になったよ。だからさ、そろそろまー君からは卒業したいな」
さて、私は一体何処をどう間違えたのだろうか?
理想通りに育ったまー君……基、真冬だったが、唯一、私の思い通りにいかなかったのは、私がどれだけ待てど、一向に恋愛沙汰を起こさなかったことである。
「なんでだ!!!」
頭を悩ませること早一年。真冬は十六歳の高校二年生。私はと言えば、二十三歳の社会人になっていたのだった。