社畜と書いて戦士と読む
「はい、こちらブラック企業まっくら総務部の篠生です」
「あ、いつもお世話になっております新田です。あの、本日心筋梗塞で死んでしまったのでお休みしたいのですが。」
電話越しに苛立ちが伝わってくる。
「新田さん? 死んだからお休みって……急ですね? 休むなら事前に報告してくださいよ。社会人何年目ですか?」
「心苦しいのですが、何分予兆もなしに急に苦しくなったものでして……妻が翌朝気付いた時には既に手遅れのようで……心肺停止で……」
「あなたの事情は会社には関係ないんですよ。どうするんですか? 代わりの人は? 死んでしまったのは確かに可愛そうではありマスが私も、限界が近いんデスよ?」
篠生さんがそこまで行ったところで何やら電話口で小声の会話が。どうやら部長に代わったらしい。
「もしもし、新田か?」
「あっ、はい!」
「死んだって? それにしては元気そうだが?」
「あっ、あの、デスが死亡診断書を今から家内が持って行くと思いますし、現に死んでしまっているのは事実な物でして……」
「だから何だ? 死んだからって働いてる奴はごまんといるぞ? 俺もな、若い頃は何回か死んだ。飲み会で無茶な飲み方をさせられて急性アルコール中毒で死に、ストレスからタバコの量が増えて肺がんで死に、酷い時には仕事量が多過ぎる割に薄給で、しかも独身はいいよな? と同期に集られたり後輩の面倒も見ては辞められて、人間と社会に対して不信感を持ち、精神的に病んで自殺もした。」
「……」
「でもな、若い時に頑張ってこそ将来という物があるんだ。会社のために身を粉にして、眉一つ動かさずに骨まで砕いて働くことが楽しくなってからがイチニンマエの企業戦士だぞ?」
「私は、樺根さんのように立派な人間ではないですから……」
「何を言う。俺だって立派とは言えないぞ? 欠点だってたくさんある。例えば、家内は俺を視界にも入れずに浮気して俺の金を使って遊びに行き、娘も俺を見ると臭いとファブリースをかけて来る。それに最近は腐敗も進んで来た。」
新田は思い出した。そう言えば部長、新田が会社で一日16時間を過ごすようになり始めてからは夏でもずっと長袖、しかも常にクーラーをかけ、オフィスは遺体安置室のような涼しい環境を保たせていたなと。
「樺根さん……」
「お前も苦しいかもしれないが、皆大変なんだ。だから出勤しろ。」
断定的な発言。新田は唸った。出勤しようにも足がないのだ。物理的にもないし、どうやら死体からある程度までしか離れることが出来ないらしい。その旨を相談すると樺根は苦笑した。
「オイオイ、さっき言っただろ? 身を粉にして、骨を砕けって……」
「えっ……」
「どうやらお前は俺みたいに肉体を持って来れないみたいだからな。霊体で出勤しろ。粉にしたら移動してもそれほど人目にはつかないだろう? 霊体でも出来そうな仕事はいくらでもあるんだ。っと……?」
新田が絶句していると電話先で何やら動きが。どうやら新田の妻が怒りながら会社に乗り込んでいたらしい。会社に夫を殺された。裁判も辞さないと泣きながら訴えているようだ。
そこで樺根から電話が変わって今度は人事の下道に代わった。下道とは面識がないが、確か重役の親戚筋で叔父か何かに当たる人だったということは覚えている。
「ふぅ……困るよ新田君。家庭内の問題を仕事に持ち込んだら。」
「スミマセン……」
「しかも、口を開けば謝罪と賠償金。卑しいとは思わないのかね?」
「はぁ……申し訳ないです……」
「その上、過労死だ。労災だと言って来ている。社会を知らないんだろうね。法律上定められたからってそれが全てまかり通っていたら経済は成り立たないんだよ。何のために労働基準法第36条があると思っているんだろうか……」
「会社にご迷惑をおかけして誠に申し訳ない……」
いつもはお淑やかで、声を荒げるようなこともない妻だった。しかし、電話先では最早何を言っているのか分からない位に興奮して泣きじゃくっている。
「夫を返してだと。新田君。説得してくれないかね? 代わってみたまえ。」
「はい。」
電話越しにはふざけないでなどと罵声を浴びせながらも電話に近付く気配が。怒りながらも根が素直な愛妻に対して死んでしまった罪悪感がふつふつとわき上がる。
「もしもし! どこに繋がってるんですか!? この会社は本当に……」
妻の怒っている声。いつ振りに聞いただろうか。入社してしばらくし、身体が付いていけないと悲鳴を上げているのにもかかわらず心まで折れちゃいけないと冗談交じりに死んだ方がマシだな。もう死んでしまいたいよと言った時以来だろうか。
彼女はその時怒り、そして泣きながらそんなに苦しいなら仕事を止めるように言ったっけ。私も働いてるから、新しい仕事が見つかるまで頑張るから。と。こんなにいい嫁を持てて幸せだ。この程度で弱音吐いてちゃダメだって頑張って来たのに死んじまうとは……ツいてねぇなぁ……
そう思っていると何も口に出せなかった。妻は電話先で何も言わないのを確認すると乱暴に受話器を置いたようだ。そして叫んでいる。
「何も聞こえないじゃない! 馬鹿にして……! あの人は本当にいい人だったのよ!? 結婚する時、絶対に幸せにするとは言えないけど、ずっと側にいてくれるって、言って……くれ……っく……約束、も……」
あぁ、泣いてる……泣かせたのは他でもない俺だ……泣かせたくないのに……
どうしようもない歯痒さにその場で悄然としていると不意に声が聞こえた。男性の声で、若そうな声であり年老いた声にも聞こえ、低く、高い、どこかで聞いたことがありそうで絶対に聞いたことのない声だ。
「人類生体番号3939241084……ふむ、ウチの電子精霊たちが『良い番号だね。最近、昔人気で引退したはずの人が新投稿してくれてまた少しだけ話題に上がって気分がいいから何か聞こうか?』ってよ。」
「あなたは……」
「ん? 俺は……まぁ通りすがりの化物ってことで。願い事言ってみな。」
「妻が……泣いているんです……」
「知らない人の上で鳴いてるのか。大変だね。」
「妻を、助けたい……」
明確に言葉にすることで俺の腹は決まった。死んでこの世から逃げようとしていた俺に火が灯る。碌に話も出来ていなかった妻に、せめてお金だけでも残したい。
「スルーなのか。……まぁ何か知らないが鬼火出してやる気満々だね。状況は何となく把握したよ。会社がウザいからぶっ壊そうって話な。」
「……いや、その……会社にはお世話になってますし、他に働いてる人のことを考えたら……」
「じゃー訊こうか。そいつらとお前の妻、どっちが大事? クック……そうだな、仕事と奥さんどっちが大事なの!? って話だ。」
昨日までの俺であれば悩んでいたことだろう。だが、今の俺なら即断できる。
「妻です。」
「じゃー破壊の限りを尽くそうか。なぁに祟りも大規模にやりゃ神霊になれるって。応援と力だけは微々たる分だけ貸してやるよ。」
何だか知らない存在……いや、恐らくは悪魔だろう。悪魔に唆されたんだ。だが、誰だっていい。妻をこれ以上泣かせないためなら何だってする。悪魔の応援で俺は半人前の企業戦士から妻を守るための死霊戦士になった。
待ってろよ……これ以上、泣かせはしない!