「悩み」<エンドリア物語外伝35>
ララ・ファーンズワースは悩んでいた。
なぜ、という思いが消えない。
あの時の判断は間違っていた。
時間を巻き戻して、あの時に戻りたい。
その思いが消えない。
ずっと、なんて贅沢は言わない。
もう一度、もう一度だけ、あの時の幸せを感じたい。
悩んで、悩んで、ひとつの方法を思いついた。
良い方法とは思えなかったが、他に方法を見つけることはできなかった。
ムー・ペトリは悩んでいた。
お気に入りのキャンディが、あと少ししかない。
アロ通りのお菓子店、ピンクスイートのキャンディは美味しい。
でも、シェフォビス共和国キャンディー・ボンは、めちゃめちゃ美味しい。
ニダウで開かれた手作りお菓子のフェスティバルの時、たくさん買った。
たくさん買ったの、あと少しで終わりになってしまう。
シェフォビス共和国は遠い。
でも、欲しい。
欲しい。
欲しい。
どうしても、欲しい。
どうやって手に入れようと悩んでいたムーに、想像もしない救いの手がさしのべられた。
ウィル・バーカーは悩んでいた。
先週、定期販売会で魔法のペンを買った。
安かったので、ろくに考えもせずに仕入れた。
そのペンに記憶がついていた。
長年愛用した会計士の記憶は、シュデルに色々教えているらしい。シュデルがソロバンを弾きながら、帳簿とにらめっこしている。
数日中に、怖い顔をしたシュデルが、帳簿を持ってウィルのところに来るのは間違いない。
憂鬱な気持ちで買い物に出たウィルは、アロ通りの細い路地にいる人影に気がついた。
顔を寄せて相談している2人は、想像もしない組み合わせだった。
2人はウィルに気がつくと、コソコソと話したあと、手でウィルを招いた。
2人の提案はウィルの悩みを和らげる可能性があった。
少しだけ悩んだ後、ウィルは2人の提案にのることにした。
シュデル・ルシェ・ロラムは悩んでいた。
先日、ウィルが買ってきた魔法のペンには会計士の記憶がついていた。
教えてもらいながら帳簿を整理すると、ウィルが適当に帳簿をつけていたことがわかった。
適当、いい加減、どんぶり勘定。
ウィルの『ま、こんなものだろ』という性格が形になったような帳簿であることがわかった。
それでも何とかなっていた。このままでも、食べるだけならば、何とかなるかもしれない。
問題なのは、蓄えがないということだ。
ウィルも貯めていた。
貯めていたが、依頼の報酬が入ると『金だ、金』と、金庫に入れる方法で計画性というものが皆無だ。
そして、なくなるときは、瞬時になくなる。
いまから計画性をもって貯蓄しないと、大変なことになる。
もしも、お客が品物を売りに来たとき、お金がなくて買い取りができないという事態が起きるかもしれない。
可愛い道具が目の前にいるのに、買い取って一緒に暮らしたのに、買うことが出来ない。
そんな恐ろしいことをシュデルは考えたくもなかった。
店長に直談判するため、帳簿を片手に店に入ろうとした。
そのシュデルに、道具達の声が届いた。
色々な道具がシュデルに様々なことを伝えた。
シュデルは店に入るのをやめて、二階の納戸に足を向けた。
ー ー ー
「店長、お話があります」
シュデルが帳簿を片手に店に入ってきた。
オレは出来るだけ自然に返事をした。
「話ってなんだ?」
「帳簿つけを含めた店の出納管理を僕に任せていただけませんか?」
予想以上の要求がやってきた。
「いや、それはオレの仕事だから」
「このままでは、貧乏から抜け出せません。会計のことを教えてもらい、そのことがよくわかりました」
この件をシュデルと話しても無駄なことをわかっている。
オレはさりげなく、外を見た。
「なんか、店の前に落ち葉がたまっているみたいだ。掃除をしてきてくれないか?」
シュデルは帳簿をカウンターに置くと、掃除道具入れからホウキとちりとりを手に取った。出入り口の扉に向かった。
いつもと同じように歩いて行き、止まった。
扉を入ってすぐのところに、土を落とせるようにマットが引いてある。その前で止まってオレを見た。
「店長」
「どうかしたのか?」
「聞きたいことがあるのですが?」
そう言うと屈み込んで、マットを持ち上げた。
下に紙が一枚置かれている。
細い線が怪しげにグニュグニュと書かれている。
「この紙はなんですか?」
この質問は想定済みだった。
桃海亭の店内はシュデルの道具達に見張られている。意味不明の紙をマットの下に置けば、道具達はすぐにシュデルに注進する。
「ムーに頼んで書いてもらった。土がよく落とせるようになるみたいだ」
いつもと同じ態度で答えた。
「本当ですか?」
「本当だ」
シュデルがオレを見ている。
目をそらせたら負けだと、オレもできるだけ自然に見返した。
「あっちょ、あっちょしゅ」
階段を駆け下りてきたムーが、店に飛び込んできた。
シュデルを見つけて、怒鳴った。
「暑いしゅーー!」
「気温40度は化け物でも暑いんですね」
冷たい視線でムーを見た。
「何するしゅ!部屋があっちちしゅ!」
「僕が道具に頼んで、ムーさんの部屋の温度を上げてもらいました。お聞きしたいことがあったのですが、ムーさんの部屋には入りたくなかったので」
「すぐに下げるしゅ!」
「ムーさん、この紙はなんですか?」
マットの下の紙を指した。
練習は何回もした。練習も話し合いもシュデルの道具達に気づかれないようアロ通りの向こうで行った。その成果があり、ムーは動揺することなく答えた。
「ウィルしゃんに頼まれたしゅ。土が落ちるしゅ!」
「いま、なぜ急に置いたのですか?」
想定外の質問だ。
オレは急いで言った。
「本当に土が落ちるだけだ。信じられないなら、オレが外で土をつけてきて、乗って見せようか?」
シュデルの目が揺らいだ。
シュデルの考えはわかっている。
シュデルに黙って置いた。何かシュデルに言えない種類の魔法の紙だ。マットに上に乗ったら何か起きると予想した。ところが、オレが『乗ってもいい』と言った。乗るだけでは何も起きない紙なのか、それとも、本当に土を落とすだけなのか。
「早く、部屋の温度を下げるしゅ!!」
ムーが怒鳴った。
我に返ったシュデルが渋々、手を振った。
「いま、下げるようにお願いしました。10分ほど待ってください」
「ボクしゃん、怒ったしゅ」
プンプンといいながら、カウンターにある椅子に座った。
ムーのこめかみに、一筋の汗が流れたのが見えた。
危機一髪だった。もし、いま室温をさげてもらえないと、計画が成功した場合、大変なことになる。
「店長、この紙は……」
シュデルが聞こうとしたとき、扉が開いた。
「こんにちは」
ご機嫌のララが入ってきた。
置かれているマットのところにシュデルがいるのを見ると屈み込んで、「こんにちは」と笑顔で言った。
「こんにちは、ララさん」
「マットなんて、持ち上げると手が汚れるわよ。ほら、放して」
シュデルが手を放すと、紙の上に元通りにマットが置かれた。
その上に、立ち上がったララがポンと乗った。
何も起こらない。
シュデルが驚いたように見た。まだ、何か起こると思っていたようだ。
「あのね、シュデル」
そう話しかけたララの服装はいつもと違った。
ツバの広い帽子。大きな花の柄の長い裾のワンピース。白い革のバッグに籐で編んだトランク。
「これから、リュオン海岸に行くの」
リュオン、高級リゾート地だ。
青い海と白い浜辺。
うまいものと高いものがたくさんの、貴族や金持ちの保養地。
「一緒に行かない?」
「僕はいけません」
シュデルが寂しそうに微笑んだ。
貴族や金持ちが集まるところには、シュデルは行けない。シュデルの能力が誰かの秘密を暴く可能性がある。
「そんな顔をしないで。シュデルと一緒に行く方法を考えたの」
「行く方法ですか?」
「これは代金」
トランクの中から大きな布袋を出して、ムーに渡した。
笑顔のムーが、布袋に抱きしめた。
「あれは」
「気にしないで。それより、準備はいい?」
「準備って、何を」
「じゃあ、リュオン海岸に出発!」
笑顔のララがシュデルを引き寄せた。シュデルの足がマットに乗った。マットの下の紙がシュデルに反応した。
「う~ん、可愛い!」
マットにちょこんと乗った、真っ白なウサギ。ピンクのローブにくるまれるように出現した。
ハミングラビットになったシュデルは呆然としている。
シュデルはウサギになると能力を失う。記憶とも道具とも話せないし、影響も与えられない。
前回はそれで苦労したが、今回はそれが幸いした。
店内にある道具達をシュデルは動かせない。
ララは素早くシュデルを抱き上げた。
「行ってくるわね~!」
満面の笑顔で店を飛び出していった。
オレは浮かれたララが忘れないように、注意事項を怒鳴った。
「一週間で元に戻るから、それまでに返せよー!」
シュデルをしっかりと抱えたララが、猛スピードで遠ざかっていく。
ムーはムーで、大きな布袋をしっかりと抱えている。
「キャンディー・ボンのキャンディしゅ」
満面の笑みだ。
オレはシュデルが留守の間に終えるべきことを考えた。
「最初に魔法協会エンドリア支部に行って、魔法のペンを売っていいという許可を取って、3日待って売れなかったら、ロイドさんの店に置いてもらうことにする。よし、ペンはこれでいい。
帳簿はムーに頼んでオレ以外には見えなくしてもらう魔法をかけてもらう。ダメだ。税の調査の時にまずいよな。よし、ムーに頼んで異次元の穴を作ってもらって、紐をつけて入れて…穴から何が出てくるかわからないな。ムーに魔法道具にしてもらって……ダメだ、シュデルの思う壺だ」
「うれしいしゅ。うれしいしゅ」
ムーが布袋に頬ずりしている隣で、オレは帳簿を死守する方法を考えた。考えて、考えて、ひとつの方法を思いついた。
2階に駆け上がって納戸を探した。目的物のは予想通り納戸に置かれていた。それをもって、印章屋のゴウアーさんのところに駆け込んだ。
「これをスタンプにできますか?」
「できるが、そんなもん作って、どうするんだ?」
「精密に細かく立体感があるように作って欲しいんだけど、できますか?」
ゴウアーさんが苦笑した。
「そんなに念を押さなくても、色は単色になるが、そっくりにつくってやれるから安心しろ」
「よろしくお願いします」
うまくいくかはわからない。
だが、完成したスタンプを帳簿の表紙から中までベタベタ押せば、シュデル除けになるかもしれない。
納戸の最奥に場所に幾重にも包まれて置かれていたもの。
上等な姿写しの水晶には、シュデルの父親ロラム国王12世の笑顔が写っていた。