経緯その3
安曇深弥の近頃のマイブームはミント味のガムを噛むことだ。
前にも増して勉強をするようになってから、眠気覚ましのお供になった。
ミントが一番私には効くらしい。
現時刻22時34分。
こんな時間に出歩くのも勉強する上での必需品を揃える為だ。
昨日で予備のノートは使い切ったし、タイミング良く赤ペンとシャープペンシルの芯も無くなった。
お供のミントガムも消えたので危機を感じてコンビニへ。
ここ数日、何もないときでも勉強をしていないと気が気じゃなくなった。
勉強しないと危ない気がして、やらなくちゃって思って、夜中は目が冴える。
いつの間にか眠ることにさえ恐怖を感じるようになっていた。
もう一週間くらい、ちゃんとした睡眠を摂っていない。
「いらっしゃいませ」
店員さんの声が店内に響く。
ひんやりとした空気が肌を包む、少し寒いかもしれない。
誕生日から一ヶ月、今年はもう緑の葉には会えない。
先ほどまで思い出していたお兄さんと、少しだけ近い色の緑。
お兄さんは明るめで、木々の葉たちはちょっぴり暗めだ。
似ているようで似ていない、まるでこの世界と前世の世界のようだった。
政治、社会観、民衆、国、文化、言語、生物の在り方、どれをとっても同じなのにこの世界はゲームをベースに作られている。
ゲームの中って言ったら聞こえが悪いし、答えとしては半分以上間違えている。
だって安曇深弥は、全てに絶望していない。
死亡フラグと苅田久住に対してなら絶望しているが、生憎とお兄さんと両親のおかげで私は元気だ。
それに、クズミなんて高校が別になってヒロインと出会えば自然と離れていく。
ヒロインに恋して、もしかしたら病んで彼女を愛して、凄まじい争奪戦を繰り広げるかもしれない。
もう少しの辛抱だから、勉強して此処よりももっと良い他県の高校に行けるようにしないと、同じ高校に行く羽目になる。
同じ高校に行くことをクズミが嫌がっても、クズミの両親と私の両親が別々を許さないかもしれない。
なら尚更、文句を言えない成績にならないと。
シナリオはすでに狂っている。
それならこれくらいのワガママ、赦されるよね?
片手で持てないくらい量が多くなったので、一旦カゴの中に買いたい物を放り込んで、飲み物を物色する。
ふむ、新発売のチェリー味…。
この会社のジュースは好きだから飲んでみよう。
ぐるりと商品を見渡して扉を開け、冷えたそれを一本取り出してカゴへ入れた。
ちょっぴり楽しみだ。
帰ってから飲もうか、それとも帰りながら飲もうか。
そわそわ、わくわく、そわそわ。
気になるならさっさと飲めよ、と思うだろうけど、私は我慢が効く限り楽しみはとっておきたい派だ。
飲めない、けど飲みたい…!
このギリギリ感は何においても非常に好ましくないな。
カゴの中に視線を向けて、ゴクリと唾を飲んでレジへ向かった。
どうしよう、幻聴と幻覚が見えるよ。
だってしょうがないんだ。
『早く飲んで、飲んで!うふふ』と赤いルビーのような液体が私に向かって微笑んでいる…!
こ、これはヤバい、ヤバいよ色んな意味でよろしくない。
私の頭大丈夫か。
レジのカウンターに持っていたカゴを置く。
麗しのジュース様にうっとりとした視線を向けて、店員から言われた金額を払った。
「お釣りの27円です。ありがとうございました!」
「ありがとうございます」
軽めにお辞儀してお目当てのビニール袋を受け取る。
最後に挨拶してしまうのは私の癖だ。
何事にもして貰ったら挨拶、感謝は当たり前、それすら出来ないのは人としていけません。
これは、まあ、お父さんの教育の賜物だ。
礼儀正しくて律儀なところがあり、プラスいつも敬語。
敬語キャラな父は優しくも厳しく、私が一般的な常識人であるように教育を施した。
そのおかげで現代人にしてはまともな判断を取れるようになったと思う。
ゲームの安曇深弥に常識を教えてくれる人が一人でも居たなら、彼女はあんな目にあわなかったし苅田久住に依存するなんて事態に陥ることもなかった。
八つ当たりだと分かっている。
でも私はそのせいもあって、ゲームも現実も苅田久住は好きではない。
ここまで言えばお気づきであろう、前世の私は安曇深弥というキャラクターが気になっていた。
そりゃあ憧れの黒髪ってところもあったけれど、昔の私と重なって変な同情心が湧いたのだ。
綺麗な顔をして綺麗な髪をして、あんな男に惚れなければ幸せな人生を送れていた。
誰か一人でも心を許せる友人が居たなら、彼女はひとりぼっちにならなかった。
元は純粋な彼女をあんな風に追い込んだのは大人や周りの人間だ。
私も、そうだった。
だからきっとあの子に同情して、嫌悪して、愛しくてたまらなかったんじゃないかな。
ドアを開けを開けてビニール袋を片手に外へ出る。
真っ暗な空が、少しだけ怖かった。
秋の夜は少しだけ寒い。
さて、不良に絡まれないようにさっさと家へ帰ろう。
ゲームの安曇深弥は美人な悪女キャラだったが、現実の私はただの凡人である、危機回避で誰かが助けてくれるとは限らない。
美人は助けて貰えるけど(ラブハプニング付きで)、普通はスルーされるのが世の中の常識だ。
ボコられてお陀仏するに決まっている。
ケッ、顔面差別だなんて世知辛い世の中だわ…。
設定のズレで私の顔も元に戻った。
髪色と肌色とほくろの位置とかは違うけど、それ以外はほぼ同じと言っていい気がする。
ああ、でも叔母さんが慰めに褒めてくれたアレはもう無いや。
少し、残念な気持ちになる。
転生前でも後でも残っていたら嫁に行けない傷になるだろうけれど、あの頃の私への宝物だからとっておきたかった。
異常だと言われても、彼女から貰ったものは何時になっても大事。
前世の私のこういうところが、攻略対象に似てて大嫌いだった。
私が、じゃなくて攻略対象が。
彼らがヒロインしか要らないと考えるように、私も叔母さんしか要らないと思っていた。
感情のベクトルは勿論違うけれど、束縛したかったし重たい愛情を捧げていた。
愛したかったもっと愛して欲しかった、誰も見ないで欲しいけどそのクセ一人は嫌。
これは攻略対象のとある人物に似た考えなワケだが、それがとても癪に触る。
相手の幸せも考えられないクズと一緒になんてされたくない。
傷つけたくない、幸せにしたい幸せで居て欲しい、それが私の願いだった。
だから私は、────────
きっと、××××××で××、──だから××××なの、それは変わらない。
そして────────
苦笑を落とした瞬間、誰かが、誰かが××××××××××、────────××××××。
「────、っ」
大量の記憶を魅せた気がした。
膨大な量が一瞬にして脳全体を駆け巡る、痛い、割れそう、気持ちが悪い。
ぐらりとふらつく身体。
チリ、と痛んですぐに消える何かはその痛みごと私に全てを忘れさせる。
脳を、身体を、自我を引き摺り出すようにずるずると乱暴に引っ張って、壊していく恐怖を感じた。
私は、私は私は私は私は私は私は私は私は私は私は、わたしはわたしはわたしはわたしはわたしは私はわたしはわたしは私は私はわたしは
ワタシハ────────、
ワタシハ、ナニ?
────ドンッ
「…痛ぇな」
「あ…す、み…ません。ボーッとしてました」
発狂しそうなほどの痛みの中、不意に誰かと肩がぶつかったおかげで意識を戻すことが出来た。
視界が真っ黒になって、何も判らなくてその場に立ちすくんでいた。
このまま何も見えなかったら私は、どうなっていた?
浮かんだ仮定にぞくりと背筋が震える。
落ち着け、いまの私は安曇深弥だ。
×××××じゃない、私は安曇深弥。
きっとその見ないフリした記憶はもう関係がないし、知らない知らない彼は今後見るとすら思わない。
この記憶は要らないから、また私は忘れているべきだ。
全部崩れてしまうくらいならその一部を無くしてしまえ、もうこれで何も見えなくすればいい、さあ、終止符を!
指先でペリドットをなぞって握り締める。
きっと無いから、忘れよ。
じゃないとまた、
「目ぇ見て謝れや」
「は?」
泣いてしまう。
見知らぬ人に強く肩を掴まれ、足を後ろに引く。
目を見て謝れ?え?何この人、私何でいちゃもんつけられたの?
大量の疑問が頭を舞う中、ケラケラと笑い出す男達の声。
どうやら、私がぶつかった相手は一人だけじゃないようだ。
「俺らさ、いま金無いんだけどー」
「言いたいこと分かるよね」
ニタ、と不気味な笑みを向けて肩への力を強めて私を脅す。
ちょ、え、痛いんですけど何この人たち。
見知らぬ派手な出で立ちの男性4、5人に囲まれる。
この状況は立派な暴行罪に引っかかる手前、みたいな感じで被害者は私…じゃない?
掴む強さはクズミのファン(と言っていいのか)よりも緩い。
あの人たちは肩に指が食い込むほど握り潰そうとし、全身全霊で私を殺しに掛かっている。
中学生が何言ってんだかって思うだろうけれど、私のここ数年はそんな環境だった。
見つかっては殺されかけ、落ち着いたと思えばクズミが再発させる。
アイツは、私にとってその場へ留める足枷のようで、何よりも肉を抉り鮮血を散らす拷問器具のようでもあった。
だから嫌い、守りもしないのに都合のいいセリフを吐いてすぐに私を捨てる、アイツが。
すぐに見て見ぬフリをするクセに甘い顔を向ける、アイツが。
本当は好きで堪らなかっただなんて、屈辱以外の何物でもない。
「ほらほら早く出せよ。出したら謝んなくていいからさー」
大嫌いなアイツに私は何度でも殺される。
こんな汚らしい笑みを浮かべる奴らとアイツの信者達を比べるまでも無い、明らかに弱っちい。
数々の修羅場を通ったんだ、この程度で負ける私じゃない、いつも土壇場を切り抜けて来た。
今日だって、お父さんとお母さんを泣かせないためにも帰ってやる。
私にしてはへらっと軽めに笑い掛け、即答する。
「 嫌 で す 」
何でこんな人達に貴重な逃亡資金を渡さねばならんのだ、それこそ無駄金だ。
海外にも飛び立てるように僅かながら貯め始めたお金を、私の誰よりも大大大好きな諭吉さんや一葉さん達を、何で知りもしない赤の他人へあげなくちゃならん。
アイラブマネー!!!!
こんな下衆野郎共に誰が我が子をやるかボケ!
「私の諭吉さんは渡さない!だから帰ってください、いやむしろ私が帰ります。殴られるのも嫌なんで!」
「生意気な口叩くな!さっさと財布出せっ」
「だーかーらー!マイダーリン諭吉さんは私の物ですぅうううっそれ以上肩を掴んで傷害加えるなら警察行きますから!」
さっきとは違い、強気な姿勢で彼らを見やる。
お札や小銭が絡むと人が変わると言われている、というか言われていた。
前世から守銭奴なところがあって、何かあるたびにお金を貯めてこっそりと生命保険にも入っていたりした。
私が死んだ後のお金で叔母さんはいい暮らしを出来ていると思うんだ。
死んでからも強く思う、やっぱり何事にもお金は大事、だから私はマイマネーを渡せない!
「このっクソアマ!!」
逆上した男が腕を振り上げるその瞬間が、どうしてかスローモーションのように流れる。
ああ、この流れで行けば私は死んだな、なんて理解しつつ次に襲い来る衝撃に耐えるため、瞼をぎゅうっとキツく閉じた。
「…」
はず、なのに。
「あーあー、ぶっさいくなにーちゃんら、ちんちくりんなじょーちゃん相手に何やってん?俺の通行の邪魔なんやけど」
いつの間にか目の前に入り込んでいた誰か。
私を庇うようにして前に立つその人は、目にも止まらない早さで男達の腕を掴んで、その身体をコンクリートの床へと沈めた。
なんて早業だ。
相手の処理が雑い。
あまりの仕業に言葉が出ないまま驚いていると、その誰かは私の腕を掴んで一目散にその場を離れた。
「はっっ、はぁ、」
「ほーらじょーちゃんしっかりしぃやー」
聞こえて来たのは男の子の声。
この訛り方は関西弁かな。
彼の汗ひとつかかない素振りに思わず皺が寄る。
私の手を引くのはまぁヨシとしよう、で、助けてくれたことに感謝したいとか考えたりするんだけどさ、ちょっと走るペース早すぎないかな?
私、一応女子なんですけれども。
「は、はや、速いですっ…も、ちょっと、ゆっくり…っ」
「んー、何やー?もっとはっきり喋りぃ」
「なっ、無理が、っあります…!はぁ、」
声をかけたのに走る速度は衰えず、それどころかはっきり喋れと言い放つ残酷さ。
クズミの次に酷い人かもしれない、いや、もしかしたらクズミ以上のお方だ、怖い。
元々それほど運動は出来ないし苦手だけど、最近朝に走り込みをするようになったくらいだ。
この人みたいに気味悪く小回りが効いたり万能に動けない、悔しい、私も動けるようになりたい。
かなり遠くに行ったことは明らかなのに、未だに私の手を放さず夜の街を走り続ける。
この人は、一体誰なんだろう。
「あ、の…名前、は…?」
途切れ途切れになる言葉は相手に聞こえないと思っていたのに、彼は何故かゆっくりと動きを止めて私の方を向き、不敵に、とても妖し気に微笑んだ。
え、あれ、何この美人さん、本当に男の子なのかな。
クズミレベルの美形に始めて遭遇したんだけど。
何だか嫌な予感がフルに私へと降りかかっている気がしてならない。
一歩ずつのカウントダウンがどんどん大きくなって、まるでとある選択肢を間違えたかのように歩幅が増えた気がする。
私の呼吸が整うまで待っていた彼は、口を開いた。
「俺は三橋彗劉や、なぁじょーちゃん、アンタ俺に貢いでくれへん?」
あ、これ死んだ。
遅くなりました(´・_・`)
新キャラ彗劉くんの登場が遅れたせいで後1話追加予定です。