起きまして、引きこもりたいと思われます
頭の中で、チリンと何かが鳴った気がした。
* * * *
私こと安曇深弥の両親は、あり得ないほどラブラブだ。
いつまで経っても新婚気分で、ふたりで旅行にいくことなんかザラにあったし、今だってペアルックがどうだの記念日がどうだのといちゃいちゃしている。
一言言おう、疎外感が半端ない。
娘の私はどう考えてものけ者扱い。
目の前に居ても気にせずいちゃいちゃして、私の存在に気づいて居ないのだ。
小学生の頃にそれを言ったらかなり怒られたので、愛されてないだとかいう心配はしていない。
中学生になった今、私はその光景を白けた目で見るようになったが。
このふたりを両親にしたせいで、私は何ともハードルの高いことを考える。
こんな風に愛して、愛することが出来る人と結婚したい、なんて──────────
何それ重い。
* * * *
「お母さん、行ってきます!」
「あらあら、気をつけてね」
そんなに走るとこけちゃうよ、の声を背に玄関先の外へと駆け出す。
大丈夫。
お母さんじゃないからこけることはないよ。
運動神経は無いけど、お母さんより鈍くないつもりだ。
体育はいつもギリギリ3をキープしている状態。
運動が出来ないわけじゃない。
でも、あまり出来ない。
反射神経だけでも良くしておかないと、後々危ない予感がする。
ん…?何で危ないって思ったんだったっけ。
まあいいや。
「みゃーちゃん、久住くんによろしくねぇ」
…お母さん、大声であだ名と幼馴染の名を呼ばないで下さい。
娘はもう中2です。
中二病というものが流行り出す(と思い込んでいる)中2です。
ご近所に聞こえます。
恥ずかしい。
内心焦りながらも私の通常装備である無表情は剥がれない。
私はきっと、両親以外に心を開ける人なんて居ない。
例えそれが、初恋の相手であるアイツであろうと。
黒色の学ランに身を包んだ学生の前を横切る。
アイツと一緒になんて居たくない。
中学だって本当は引きこもって退学になりたいし(義務教育やだ)、高校や大学なんて絶対に一緒になりたくない。
これ以上他人からの絶望なんて味合わなくていい。
家の外に出ると耳を塞いで視界を塞いで、消えてしまいたくなる。
そんな私を両親に悟られないようにすることで今は精一杯だ。
それに、分かっている。アイツが私に嫌悪を抱いている間は、逃げられないことくらい。
「待て、猫」
「いっ」
セーラー服の首元を思いっきり掴まれる。
逃げる勢いで横切っていたので、当然の如く襟が喉に食い込んで息苦しくなる。
先ほど私が横切ったのは、幼馴染の苅田久住だった。
私の初恋の相手であり、現時点で大嫌いでこの世で最も見たくもない相手。
コイツのおかげで他人を信用出来ないししたくもないと思える。
早く飽きてくれないかな。
死んだら地獄に落ちてくれるといいな。二度と顔も見れなければいい。
クズミが居るだけで、私の中に憎悪と言った様々な願望が湧き上がる。
お母さんが『みゃーちゃん』と呼ぶから、コイツは私を『猫』と呼び出した。
何様だ。
私はアンタのペットじゃない。
クズミに顔を向けると途端に離される首元。ようやく入ってきた酸素に咳き込んで、喉元に手を当てた。
絶対、赤くなってる。
「オマエさっき俺を無視してたろ。いいご身分になったなぁ、猫」
「…どうも」
アンタこそいいご身分になったな。
早く視界から消えないだろうか。
ストレスが溜まってしょうがなくなる。
ほんとお腹、痛い。
最悪。
私以外の人間にはとことん外面がいい。
カッコ良くて何でも出来て優しい久住くんだ。
平々凡々で平均以下な可哀想な子にも優しい、みんなの憧れ久住くん。
誰のせいで学校自体で孤立してると思ってる。
そう、オマエだよクズミ。
日頃のストレスとか憂さ晴らしの為に私はみんなに嫌われて、無視されて、いじめられて。
でも、もうどうでもいいのだ。
お母さんとお父さんもいるし、そんな人たちと仲良くしたくもない。
引きこもりたい。
家から出たら、周りは真っ黒だ。
でもそんなことしたらお母さん泣いちゃう。
お父さんも、きっと泣く。
だからまだ、堪えられる内は、クズミの玩具でいる。
「さっさと行くぞブサ猫」
「…はい」
クズミなんて、ぽっくり逝っちゃえばいいのに。
*
「安曇さん、迎えに来たよ」
放課後、王子顔を貼り付けたクズミが教室まで迎えに来た。
女子の奇声が騒がしい。
大嫌い。
また色んな人に睨まれる。何でこんな女を構うんだ、優しい久住くんに感謝しろ、だとか。
呼び出されて殴られることなんて週に一度はある。きっとアイツは気づいている。
私が傷つくことが嬉しくて仕方ないんじゃないかっていつも思っている。
クズミが刺されて死んだら、きっと私が殺したことになるんだろうな、あーあ。こんなの殺したって私は解放されない。
どうせ纏わりついて呪うんじゃないのかな。
私が不幸になりますようにって。
「猫、今日は誕生日だろ?おばさんが猫の家で祝うってさ」
最悪。
何でコイツに祝われなきゃいけないんだ。
大体何でどうでもいいようなこと覚えてるの?
気持ち悪い。
近づくな。
触られたくもない。
不意に、コイツは優しくなるときがある。
普段とは違いふわりと包むような、甘くて柔らかいそれに変わる。
はっきり言おう、企んでるんじゃないかって冷や汗が尋常じゃなく流れるほど気持ち悪い。
怖いのだ。
前に一度、怖いし嫌いだから構うなと言ったとき殺されるかと思った。
だからこの餌も、素直に喜ぶなんて有り得ない。
きっと、喜ぶようになったら私は死んでいる。
狂ってしまっているだろう。
それこそ引きこもりたい。
返品したい。
「一足先にプレゼント渡しとく。喜べ、それなりに値の張る“首輪”だ。大事に扱えよ、一応俺が稼いだ金で買ったからな」
威張るなアホか。
首輪とか何なんだ巫山戯てんのか。
悪趣味だし、玩具に餌としてご褒美なんかくれなくていいよ。
もっと金とかじゃなく鞭を減らすとかにしてよ、配慮がないな。
感謝は大事だと両親から叩き込まれたので、小さな声で「ありがとう」と呟いて、長細い箱の包装紙を丁寧に破いて、箱の蓋を開けた。
「え…?」
視界に飛び込んで来たものに最初に浮かんだ言葉は、クズミの言う首輪の細かな細工とか、石の輝きじゃなくて、何で私がここにいるのだろう、という言葉だけだった。
耳の奥に、死ぬ前に聞いたチリンという音だけが響いていた。
──────お招き、招き
──────さあ始めよう、彼女が目覚めた
ワタシノイトシイカノジョガオキタ
幼馴染の久住登場です。
私的に久住はアホだと思います。
深弥がどうやら思い出したようです。
急飛ばしで書きましたが、次回から本編に入って行きます。