表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
水浸しドロップ  作者:
In fact, darkness:第一幕
15/22

初めまして、よろしくね

息詰まってて遅れました、すみません。

一ヶ月越しにあけましておめでとうございますm(_ _)m

感想、総合評価等ありがとうございました。

活動報告にて、ちょっとした小話を載せています。


先生に告げた言葉を素直に実行出来るほど、私の身体も世の中も甘くないようだった。



お気に入りの本から顔を上げ、灰色なコンクリート状の天井をぼけーっと眺め続ける。

霧藤の特権か何だか知らないが、この病室は私のみ。

大方、個室というVIP待遇といったところだろうか。

こんなの庶民には初めてだよ。


それはさておき、言わずもがなここは霧藤学園の近くにある病院であり、現在の私の状況は入院患者だ。

霧藤に来て初の病院がこれか。

自分で引き起こして入院しているのだから、刺されるよりマシだと思った方がいいのかもしれない。

どちらにせよ、自己管理不足だと言われることは間違いナシだけれども。

自業自得な結論に軽く溜息を吐いて、先ほどまで読んでいた、手元にある本の表紙を眺める。

水彩画の上に、金色を使って筆記体で書かれた『Fruits et anneau』の題名が綺麗に浮かぶ。

この本は秀薗先生がくださったものだ。

しばらく入院する間、年頃の女の子には退屈だろうからと娯楽としてこれを渡された。

前に先生に話していたので、きっと私がスマホやPCすらまともに使えないことを知った上で、選んでくれたのだろう。

有難いけれど、渡された瞬間に題名を見て「何語だ?」と疑問が先に頭を占めたせいで動きが固まってしまった。

素直に先生に聞いたところ、この本は元々何十年か前のフランス文学のようで、イギリスで出版されるにあたって題名は味を出すためにフランス語で、本文は英語で翻訳されて書かれているらしい。

先生がこの本を持っていたのは、何年か前にイギリスへ研修に行ったときに思わず買ったからだそうだ。

貸してくれているのだろうと思っていたところで貰ってくれと言われ、本当にいいのかと聞いたところ、原文を先生のお祖母さんが持っているらしく、むしろ受け取って欲しいと苦笑された。

こういうところを見ると、先生が乙女ゲームの元攻略対象なのだと感じさせる。

生徒に対して甲斐甲斐しいのに不快な気分にならず、ロリコンではないのかと罵ることすらままならないまま、相手の良いように事が進んでいく。

本編の「秀薗舞斗」と言えば、常識的に見るとどう考えても押せ押せのロリコンだろう。

生徒に攻略されてしまうし、きゃー!な展開に突入することだってあるのだ。

30代突入の彼と未成年のヒロイン、何処からどうみても犯罪ではないか。

しかしどうだろう、私から見て現実の彼は本編と比べて幾ばくか穏やかだ。

そのせいなのかは知らないけれど、彼の行動をただの生徒思いな人、またはフェミニストと見ている。

何故だかこの人に押し売りされたら断れない気がして来た。


「秀薗舞斗」についての考察はさておき、『Fruits et anneau』へ戻ろう。

表紙を開いて目次のページを流し、もう一度第一章へと目を向けた。

先生がコレを渡して来た理由はもう一つある。

病院で暇をしている間に、現代文と英語の勉強をしろという厳しい教師のお考えだ。

もちろん少しずつ紙辞書(電子辞書は使い方が解らない)をめくって知らない単語を訳したりしながら頑張りました。

この題名『Fruits et anneau』は、日訳で「果実と指輪」と言うらしい。

いかにもな恋愛小説であることを察したが、そこはスルーしておこうじゃないか。

そして、果実という単語で『罪の果実』を連想させてしまったことは忘れたいと思う。

内容は先日私が視聴していたドラマ、『Symphony of despair』と似たようなドロドロ展開だ。

もしや秀薗先生、私の好みを昼ドラだと思っていないか…?

とてつもなく心外だが、貰い物にケチをつけるわけにはいかないので、こちらもスルーさせていただく。

この本の舞台は中世ヨーロッパ。

貴族のご令嬢と城下町にある有名なスイーツ店の店主とのお話だ。

社交界デビューを間近に控えたご令嬢が、ふと使用人の目を盗んで街を歩き、そこで偶然見つけたスイーツ店に立ち寄って、スイーツを堪能する事から始まる。

社交界デビューを終えたご令嬢は、あの店のスイーツを食べてから、その味が忘れられなくなってしまい、たびたび屋敷を抜け出すようになる。

新作商品が並んだある日、スイーツを作っている人物と顔を合わせる事となった。

それがその店の店主さん。

会う回数が増えるたび、彼女は彼の全てに落ちていき、やがて恋をした。

数ヶ月が経ち、彼女が社交界になれてくると彼女と彼は恋仲になる。

その事に彼女はとても喜んだが、同時に終わりを知っていた。



“貴方がよく木箱を眺めているのを知っています。

それが、開けてはならない物だという事も知っています。

きっと、貴方の大事な物なのでしょう。

貴方はいつも私ではなく、箱の中身を見つめている。

きっと、私は貴方にとって激しい憎悪を抱くものなのだわ。

憎悪ではなくて、激しい熱情を抱いてくだされば良かったのに。

それでも、それでも私は貴方を愛している。

狂おしいほどに、何者からも守りたいほどに。

淑女がこのような感情を秘めるなんて、可笑しいかしら。

もしかしたら貴方にも、お姉様方に笑われてしまうかもしれないわ。

だから私はずっと、この胸に隠しておきます。

貴方が、”



「“貴方が木箱を大事にしているように”」


ぱらりとページを捲ると一章が終わり、私は次いで静かに本を閉じた。

『Fruits et anneau』は一冊一章という構成になっているようだ。

続きはまた先生が持ってきてくれるだろう。

何しろ私は、当分入院患者だから。


そっと囁いた彼女の感情が甘やかで、泣きそうになってしまった。

私は彼女のように、自分の意見や感情を押し通す事が出来ない。

もし、私が彼女のように自分というものをしっかり持っていたのなら、きっともっと楽しい人生が待っていたんじゃないか、なんていつも通りの悲愴な「例えば」を浮かべる。

本当、馬鹿らしくて堪らないよ。

こんなことばかり考えていたら、退院してもまた入院してしまう。

前世よりも人間らしくなったと入院してから更に感じるようになった。

幸せで怖いから、無意識に負の思考で前世と優劣を競って、自分から自我を曖昧にしているのだ。

そろそろこんな思考回路、切り離してしまいたいのに、なのに私は繰り返してばかり。

目尻に涙がジワリと滲む。

いつから涙脆くなったんだか。

誤魔化すように咳払いをしたその途端、ドアをコンコンと叩く音と、最近聞いてない声が聞こえた。




「安曇、俺、嘉納(カノウ)だけど」




「入っていい?」と聞かれ、慌ててどうぞと声を上げた。

そのせいか通常よりも大きな声になっていたらしく、入って来た彼に笑われてしまった。

ああ、お恥ずかしい限りだ…。




「あはは、安曇可愛い。顔真っ赤」


「う、うるさいよ…こんにちは、委員長」


「はいはいこんにちは。もー、俺の事は(ミドリ)でいいよって言ってるじゃーん。それか翠ちゃんでもおけ」




語尾にハートをつけてね!とウインクをする嘉納くん。

この人はノリが良くて男子ながらに器用だ。

彼が来た事で少しだけ、この寂しい病室が明るくなった気がする。

彼の名前は嘉納(カノウ)(ミドリ)、私のクラスの委員長であり、実のところ学級委員の一年代表らしい。

秀薗先生もクラスの件でも風紀委員会の件でも助かってるっておっしゃっていた。

憶測だけど、次期学級委員委員長候補じゃないのかな。

そんな嘉納くんは灰色の髪の毛をワックスで弄って、銀縁眼鏡で整った顔と碧色の瞳を隠している。

以前何故灰色なのかと聞いたら、異国の血が混ざっているらしくて、クォーターなのだと言っていた。

本人は容姿で騒がれたくないから眼鏡をしている、と言っていたがハイスペックな嘉納くんだ、今でもかなり騒がれていると思う。

霧藤で過ごしていた頃、嘉納くんの隣に居るとよく女の子達が嘉納くんをチラ見していた。

それでも霧藤にしては珍しく、私が横に居ても嫌がらせを受けなかった。

嘉納くんの人柄の良さのせいなのかな…。

そう考えてしまうと、今までの奴らは一体どうしてこんな事態を引き起こしたのだ、と憤慨したい気もする。

いや、憤慨すべきだ。

何故のうのうと入院している?気合が足りないぞ、たるんでいるのではないか安曇よ!

今こそ!奴らに!復讐する時が、




「安曇、トンでるとこアレだけど、安曇の好きなスイーツ達持ってきたよ。いま食うだろ?」


「食べます」



嘉納くん、数ヶ月で私の扱いを心得たな。

何ていうか、下手すると手綱を握られている気がする。

嘉納くんの言葉に即答した自分に苦笑を零す。

久しぶりに、変人のような馬鹿みたいなボケをかましたかもしれない。

中学までの私なら、こんな事普通に出来ていたのに、今では余裕が無くなってボケることすら出来なくなっていた。

余裕って大切なんだなぁ…。

彼が用意したプリンをスプーンで掬いながらしみじみとありきたりな事を思い浮かべた。




「安曇もうすぐ退院なんだってな、おめでとう」


「ありがとう。あ、プリン美味しいです、こっちもありがとう」


「そんなん全然良いって。それより秀薗さんに聞いたよ。安曇、学校行きたいって言ったんだって?」




彼が言った言葉は、あの日私が、先生にお願いした言葉。




「うん」



目を閉じて、笑えてないだろうけれど薄く笑ってみせる。

何だかもう、逃げられない気がした。

だからもう、逃げたくないと思った。

向き合うべきなんだと感じた。

「木更津安齋」を見た時点で、もう悩んでる時間は終わったんだと分かった。

だから私は先生に、引きこもり辞めます宣言をしたんだ。

分かったフリをして、目を逸らしていたモノを認めなくてはいけないんだろう。

それはきっと、退院する前に私がしなくちゃいけない事。




「俺楽しみだな〜、また安曇と学園生活送れるんだ。砂賀(サガ)委員長も安曇が来なくて寂しいって言ってたよ」


「え、砂賀先輩…?図書館の当番行ってないからかな…」


「ぶは、ちょ、安曇何それ、鈍感は二次元だけかと思ってた!」




爆笑し続ける彼にオロオロして、どうしたらいいのか分からない。

嘉納くんは時々意味の分からない言葉を連発する。

そんなとき、リアクションしたくても理解していないので大抵は彼を放置している。

この感覚も久しぶりだな、と思いながらもどう反応すればいいのか悩んでしまう。

目を白黒させて嘉納くんを見つめる私を見て、彼は一層のこと爆笑を深めた。

もうこれ、放置でいいんじゃないかな。

何が何だか分からないので、プリンを完食させようと思う。




「はー、笑った笑った。安曇と居たらいつも笑ってるわ」


「そ、そうなの?」


「そうなの。だから…安曇、」




深呼吸をして、真剣な目をした嘉納くんが安心させるように、いつもみたいにニカっと笑む。

初めてこの笑顔を見たとき、嘉納くんの事を太陽みたいな人だと思った。

明るくて、私みたいなネガティブな奴にも優しくて、だけど時々突拍子もない事をしてお互いを楽しませてくれる。

こんな凄い人居るんだ、なんて、当たり前な事を考えたりして。

そのおかげで私も時々、何てちっぽけな事で悩んでるんだろうって、嘲笑じゃない笑顔を浮かべるようになった。

そんな人がまた、私を気遣うような言葉を掛ける。

解ってる。




「安曇と友達になりたいって女子が居るんだけど、会ってくれる?」




彼は泣きそうなほど優しいんだって事を。




「嫌だったら嫌って言ってな?無理矢理じゃないから。ちなみにソイツ、俺らと同じクラスで休学してたもう一人の学級委員なんだ」


「うん」


「可愛いモノ好きでさ、安曇の事話したらズルい!って胸倉掴まれてほんと困ったよ〜」




言葉にされない「気にしないで」が聞こえてくる。

例えば、秀薗先生がマカロンのような優しさをくれるのなら、嘉納くんは私に、ゆず茶みたいな暖かい優しさをくれる。

それがくすぐったくて、とても嬉しい。

もう一人の学級委員か、どんな人なんだろう。

会ってみたいけれど少し怖い気もする。

女の子の友人にあまりいい思い出がないからかもしれない。

心臓が大きくドクン、と脈を打つ音が聞こえた。




「もちろん俺だって安曇の友達だよ?友達とか俺だけでいいし!…なーんちゃんて、そういうワケにはいかないもんな」




茶化すような声。

カラリと笑う、眩しい、眩しいその目が、また閉じていく。

残念がって俯いていたら、少し重くなった空気を壊すようにマカロンを勧められた。

さっき、軽く髪を撫でられた気がする。




「早く帰って来なよ、俺、待ってるからね」




今だけは何も考えずに、この時間の彼の笑顔を眺めていた方がいいのかもしれない。

拗ねたような言い回しに思わず吹き出して失笑してしまった。



君は何も考えなくていいんだ、そう、何もね

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ