008話 騎士団と魔法
川で出合った男は、今いる場所から一番近い町の名前を教えてくれた。
しかしその名前は聞いたことも無い町だった。
「ここから一番近い町となると、ここから10kmほどのサラス商業都市だろうな。結構大きな町だし、良い所だぞ。俺たちもこれからそこに帰るところだ」
そんな町、聞いたことが無い。どういう字を当てるのだろうか。「晒す」「差羅素」……
南アルプス市とか、セントレア市みたいに片仮名を当てるのだろうか。
さっぱり想像できない。
どうやら10kmという距離の単位については、翻訳前は別の単位だったようだ。
発音が微妙だ。
外人風の外見から察するに、たぶんマイルとかヤードとかそんな単位でも使って話したのが翻訳されたのだろう。
しかし、ここはそんな些細な疑問は捨て去るべきだ。今重要なのは、目の前の騎士然としたおっさんが、親切な人かどうかだろう。小さな悩みや疑問などは、紙に包んでゴミ箱に放り投げれば良い。夏休みの子ども電話相談室にでも任せれば良いのだ。
僕は今お腹も空いているし、迷っている。野犬が襲いかかってくるかもしれない危険もある。当然一人より二人の方が安全だし、食べ物だって分けて貰えるかもしれない。
後日に菓子折りでも持ってお礼に行くつもりで、何か分けて貰えないか頼んでみよう。そうしよう。
「サラスですか。ご迷惑だろうとは思うのですが、同行させていただけないでしょうか」
さっき、このおじさんは俺“たち”と言った。ということは、最低でもあと一人誰か居るということだ。ますます好都合だ。人が多いということは、より安全になるということだ。
「まぁまて、サラスはもうすぐそこだから別に構いはしないが、俺は護衛役でな……雇い主に断りも入れずに、はいそうですかとは言えん。坊主、ちょっとついてこい」
そういうとおっさんはくるりと踵を返して歩き出した。案外面倒見の良い人間なのかもしれない。にやけたような顔を一瞬で真顔に変え、さらには即座に動き出すところなんかは、まるで訓練を受けた軍人のような雰囲気だ。
僕は慌てて後を追うようにして歩き出す。
周りは川と平原だと言っても、トンボ掛けでもしたように平らな地面と言うのは自然にはあり得ない。大抵の地面には凹凸があり、草原ともなればちょっとした丘陵だってある。
赤い髪の男が騎士鎧をガチャガチャと音を立てて進みながら案内してくれたのは、そんな丘陵と丘陵の間の窪地だった。
なるほど、こういう所なら丘陵からの見張りもし易く、遠目からでも発見され辛いのか。プレーリードッグの巣穴みたいな感じがする。
窪地には、小さな馬車が止まっていて、周りに人が数人と馬が3頭居る。たぶん人間だろう。ファンタジーの世界だったら違うかもしれない。
宇宙人?未来人?異世界人?
ファンタジーの世界ならあり得る話だ。
異世界人というなら、もし不思議な世界に居るとすれば、僕こそ異世界人だろう。
馬が1頭、こちらに目を向けてきた。その目は、お前は誰だと問いかけているように見える。それに合わせるように僕の方を見てくる人が居る。
コスプレ仲間なのかは知らないが、赤毛のおじさんと同じような騎士鎧を付けた人が二人。
そして、簡素で藍色のチュニックと黒色のようなダボダボのズボンを身に付けた中年の男性。黒っぽいマントが雰囲気を醸し出している。
その中年の横には、僕より年下に見える男の子が居る。
全員が明らかに不審物を見る目で僕を見ている。
中でも騎士の二人は腰の剣に手を掛けて、今にも抜こうとしている。あれも良く出来ていて重そうだ。
そんな皆に、前を進んでいた赤毛の大男が声を掛ける
「待たせたな。水は汲んできたし、もう大丈夫だろう」
何が大丈夫なのだろう。
そんな言葉に疑問を抱く間もなく、二人の騎士のうち、僕から見て右側の人が声を掛けてきた。
茶髪で柔らかそうな髪に、目は少し垂れ目気味の20代後半ぐらいの男の人。
警戒している雰囲気はするものの、柔和な顔のせいで何処か優しい感じを受ける。
「団長、その人は誰ですか?」
当然の疑問だろう。
僕が彼の立場でも同じ言葉を発していたと思う。
「ああ、さっきそこの川で拾った。冒険者希望の迷子だとよ。サラスの街まで行きたいという話しだから、アスカンさんに連れて行っても良いか聞こうと思ってな」
拾ったという表現はどうかと思うが、その言葉で騎士二人は肩の力を抜いたみたいだ。手を下ろして、軽くついたため息が聞こえてきた。
迷子の拾い主は、さっきも見せたニヤリとした笑顔をいつの間にか浮かべてアスカンと呼ばれた人物に声を掛ける。
「そういうわけなんだが、良いかい?」
尋ねられた男は目じりの皺を深めた笑顔で答える。深い経験が伺える静かで重みのある声だ。
「構いませんとも。馬車と私どもを守っていただけさえすれば、問題はありません」
団長とやらは護衛役と言っていたから、この人が護衛される側なのだろう。もしかして雇い主的なポジションだろうか。
とりあえず迷子を続けることもなくなりそうだし、救助みたいなものだ。
感謝と安堵の気持ちでふわりと体が浮いた気がした。知らないうちに緊張していたのか。
精一杯心を込めて、お礼の言葉を口にしながら頭を下げた。
「ありがとうございます、助かります。このお礼は後日必ずさせていただきます」
チュニックを着た町人スタイルのアスカンさんは、春の日差しのような温もりの感じる笑顔で僕に声をかけて来た。
「いえいえ、困ったときには助け合うのが人の道理、有望な人には恩を売るのは商人の理というものです。とりあえずサラスまで、ご一緒と言うことですので、早速ですが出発しましょうか」
アスカンさんは商人役だったのか。
有望と言うのは、商人らしいおだてだろう。ついさっき初めて会った人間がどういう才能を持っているかを見抜けるなら、商人と言うよりは魔法使いだろう。
いや、そういう魔法を彼が持っているのかも。よくよく考えてみれば、ウィンドウや鑑定を他の人間が使えないと考えるのも不自然だ。
自分ごとき一般人が出来ることなら、他の人も出来ると考えるのが極自然の発想。
商人のアスカンさんは、傍に居た少年に声を掛けている。
出発の準備をしているのだろう。
馬に手綱を付けているのは馬車の準備かな?
あっと言う間に準備が出来たらしい。手際の良さは、どこか旅慣れた風だ。同じ手順を幾度となく繰り返したような手際の良さだ。
パシッと鳴った手綱が馬車を動かす。
他の馬にも隊長殿と騎士殿が騎乗して手綱を振るった。その堂に入った格好は、自然と凛とした空気を纏っていた。
しかし、僕だけ歩きで馬に付いて行かなくてはならないのだろうか。
「あの~……、ご面倒ばかり掛けるので言い辛いのですが、私はどうすれば良いのでしょうか」
そんな困った様子の僕を見かねてか、アスカンさんが声を掛けてくれた。
「君は馬車の荷台に乗ってくれれば良いですよ。ご覧の通り荷を積んでいて狭いでしょうが、そこは我慢してくださいね。あぁそれと、今回だけですが乗車賃をおまけしておきます」
なるほど、確かに商人らしい言葉選びをしている。乗車賃云々は流石に冗談半分だろう。
乗せてくれるのなら、狭かろうが何だろうが御の字だ。お礼を重ねて伝える。
「ありがとうございます。実は森から歩き通しで疲れていたので、助かります」
森から歩き通しという言葉に、商人のアスカンさんだけではなく、団長以外の騎士も僕に顔を向ける。さっき団長に話しかけていた茶髪のたれ目が声を掛けてくる。
「ふむ、君は森から来たのかい。何でまたそんな所に武器も野営道具も薬も持たずに居たのだい?」
僕は瞬間、本当のことを何処まで言って良いものなのか、迷ってしまった。しかしとっさに口をついて出たのは、隠すつもりが見えない本当のことだった。
「実は店で買い物をしていると、急にどこかに落ちる様な感じがしたのです。で、気づいたら森の中に居ました」
騎士の青年は胡散臭そうな顔をしながら、また口を開く
「まぁ言いたく無いのなら言わなくても良いけど……。あの森を無事に抜けられたのなら、相当に強い冒険者になれるだろうね」
隠したわけでもないのに、言葉を濁したと誤解されたらしい。
別に信じてもらう必要はないけど、嘘をついていると勘違いされれば、助けたのに嘘をつく不義理な人間と思われてしまう。
慌ててフォローを入れようと思った……その時、リズム良く4本の足を動かしていた馬たちの歩みが止まる。
それに合わせるかのように、鎧を着た3人と町人服の2人に緊張が走る。
ピリッとした感触が周りから伝わってくる。針を肌に当てるような、小さな痛みすら感じる緊張感がその場を飲み込む。
何があったのか聞こうとした時、団長が低い声をあげる。お腹の奥に圧し掛かるような重い声。
「何かが来るぞ、気をつけろ」
その声が合図であったかのように、どこからか現れた灰色と茶色の掛かった塊が馬車と僕らの周りを囲んでいた。背中に冷たい汗が流れていく。
まだ新しい記憶にあるそれは、襲われた恐怖と共に思い出せる。
野犬の群れだ。
数は森で会ったときよりも多い。40ぐらいは居るだろうか。
白い牙をこちらに見せ、明らかな威嚇のうなり声を発している。重心を足にかけ、今にも飛び掛らんとしている様子は、肉食獣の風格を感じさせる。探るようにゆっくりと近づいてくる。
騎士達が剣を鞘から抜く音が聞こえる。
自分に向けられていた時は恐ろしい刃も、味方であれば頼もしい。
じりじりと、少しずつ距離を縮めてくる野犬。
僕も身構える。手近には武器は無いが、ポケットの胡桃を握りしめる。
まるでオーケストラの合奏のように、息を見事に合わせて一斉に動き出した野犬達。
僕たち目掛けて真直ぐ疾走してくる。
疾風の如く駆けてきたかと思うと、あっという間に距離を詰めて飛び掛ってきた。
ワンワンと吠えながら、噛みつこうと向かってくる犬は、それほど大きくは無いにしても恐怖する。明らかな敵意を見せられれば、牙は実際よりも1.5倍ぐらいは大きく感じる。
「ギャイン、ギャイン」
「キャイン、キャンキャイン」
横目で見れば、騎士達は雑作もないように犬を蹴散らしていく。
赤髪の団長は、真正面から飛び掛かってきた犬に剣を真っ直ぐ突く。広く周囲を見渡しながらも、油断なく突かれたその剣の動きは、あっけなく犬の命を奪う。飛び掛かるタイミングを見計らうように、急所を狙い澄まして素早い突きを放つ。
飛び掛かって体勢が不安定な犬は、それを避けることも出来ずに串刺しになる。断末魔の叫びと共にその命は露と消える。
垂れ目の騎士も中々に強い。
爪を光らせて襲いかかってくる犬を、軽く体を捻るようにしてよけながら、剣を右の肩上まで振りかぶる。そのまま重たい一撃を袈裟がけに加えていく。振り下ろされた剣は犬を弾き飛ばさんばかりに唸りをあげる。
野犬の群れは声を曇らせながら一匹、また一匹と地面に伏していく。
僕も適当に胡桃を投げつけて、犬にぶつける。意外と当たるもので、その度に犬が抗議の悲鳴をあげる。
が、いかんせんたかが胡桃なので、犬は体勢こそ崩すもののさしたる痛みを感じない風に襲い掛かるのを止めようとはしない。
そんな犬たちを、横薙ぎの一閃で真っ二つにしたのは、やはり騎士だった。
髪はこれまた茶髪ながら、刈り上げたような短い髪型。顔は何処か四角張っていて、口をへの字にギュッと結んだまま黙々と犬を追い払っている。この人は赤毛の団長や垂れ目のお兄さんと違って無口なのだろう。
切られた犬の血だろうか、独特の鉄分臭が鼻を刺激する。
ん?
切られている?
模造刀では無く、本物の剣だったのか。銃刀法はどうしたのだ。
なんとも奇妙にも中世ヨーロッパ風の格好をした人たちは、持っているものまで物騒だった。ここにきて新たな不思議を発見というやつだ。
ふと商人と見習いらしき少年が襲われていないのかと目を向ける。
商人はやはり魔法の心得があったのか、何か淡く光る幕かドームのようなものの中に居た。どう見てもバリアかシールドと言った魔法に見える。
もしかしたら魔法では無く、未来のたぬき型ロボットの道具的なものを使っているのかもしれないが、もはやその程度のことでは僕は驚かない。
あらかたの犬を騎士が切り伏せたところで、数匹残った野犬が逃げて行く。
見事に巻かれた尻尾は弱弱しく、走り去る後ろ姿は負け犬という言葉がこれ以上なく当てはまる。
しばらくは血の臭いのする場所で緊張していた僕たちは、赤毛の団長の一言で肩の力を抜いた。
「うっし、お前ら良くやった。性懲りもなくまた襲ってきたわけだが、流石にもう懲りやがっただろう。周りにはもう居ないし、とりあえずは大丈夫だ」
安堵のため息が漏れる。
それにしても“また”とはどういうことだ。
尋ねてみて、確認すべき事案ではなかろうか。
「騎士様、またとはどういう事なのでしょうか。」
その言葉に、明らかに不味いことを聞かれたという顔をした団長のおっさんと騎士‘Sは、言い訳するように歯切れの悪い言葉を並べる。
「いや、まぁなんだ。昨日だったかもあくびをしてる野犬の群れを見つけてな……ちょっとばかり遊んでいたら結構な数を逃がしてしまってな。森の方に逃げたから大丈夫だろうと思っては居たんだが、まさかまた襲ってくるとは思って無くてな……森からも追い払われたのかもしれん」
なるほど、森で遭った災難は、この人たちの遊びとやらのせいだったのか。
しかもそれで更に追い立てられた群れの一部が、森も危険だと認識させて、群れごと仕返しにでも襲ってきたわけだ。
……もしかして、僕って被害者?
「私は昨日、殺気立った野犬の群れに襲われたのですが……森で」
ジト目で団長を見る。
口元に笑みを浮かべたおっさんは、悪びれもせずに語る。
「それは災難だな。お互い野犬に襲われるとは偶然ってのはあるもんだな。わはははは……はは」
なるほど、白々しいがそう言われると返す言葉が無い。
そんな寒々しい空気の流れる中で、空気の読めない少年が声をかけて来た。
「町が見えてきましたよ、皆さん」
少年、有難いが空気を読めないと将来辛いぞ。特に女の子と会話するときには空気と間と雰囲気は大事だよ。
いや、読めたうえであえてこの白けた空気を和ませようとしたのかもしれない。もしそうなら、この少年は将来有望だ。
確かに町が見えてきた。
町と言うよりは、外の城壁が見えてきた。城壁にぐるりと囲まれた町なのだろう。
遠目に、城らしい建物も見える。江戸城や大坂城、名古屋城のような和風の城ではない。アマリエンボー宮殿とかサン・ジョルジェ城に代表されるような、ヨーロッパ風の城だ。遠くからでも白い色がはっきりと見える。
そんな城に驚いているうちに、町の入口にまで来ていた。馬が足を止め、大きな門の前で止まる。鉄であろう重たそうな扉が閉まっていて、見上げるだけでも威圧感がある。その脇に小さな木の扉がある。恐らく通用口か何かだろう。有事の際は真っ先に封鎖できるように小さめに作ってあるのだろう。
その通用口から、一人の軽装の騎士服を着た男が駆け寄ってきた。金髪で吊り目だが、特徴的なのは顔のソバカスだろう。笑顔を張り付けて駆け寄ってくる。
「団長、お帰りなさい。任務お疲れ様です」
騎士団員に声を掛けられた団長様とやらは、鷹揚に頷きながら馬を降りる。
「俺が居ない間、変わったことはなかったか」
「異常ありません」
即座に背筋を伸ばして答える騎士団員は、やはり訓練されているらしいきびきびとした動きを見せる。 怪訝そうに僕に顔を向けると質問を投げかけてきた。
「団長、そちらの変わった服を着た少年は誰ですか。」
……まぁ日本人は欧米人から見れば年少に見えるというから、少年と言うのはそう見えるということだろう。
「あぁこいつは帰りがけに拾った奴でな。中々見どころのありそうな面白いやつだ。怪しいやつだが悪い人間じゃない。手続きはいつも通りで良い」
おっさんが、既に見慣れたニヤけ面で僕をみてきた。悪かったな、怪しいやつで。
「はい、私は先ほどお願いしてここまで連れてきていただいた者です。訳あって森で迷っていましたところでしたので、町まで同行させていただきました」
出来るだけ好印象を与える様な笑顔で騎士団員らしき人に答える。手続きとか言っていたから、下手に悪い印象を与えると厄介なことになりそうだ。こういう予感はあたるもの。
「なるほど、それでは私に付いて来てください。 団長たちもお疲れ様でした」
「おぉ、俺たちはこのままアスカン殿の店まで行ったら、詰所に行っている。土産を楽しみにしておけ。がははは」
赤毛の大男が高笑いをするのを聞きつつ、通用口に向かう騎士団員の後を慌てて追いかける。
「お世話になりました。このお礼はまた近いうちに」
僕は背中の方に向けて半身で声を投げつつ、小走りで先導の騎士に付いていく。
「おい、坊主!」
いきなり後ろから大声を掛けられた所で、振り返ろうとした目の前に、何かが飛んできた。
とっさにそれを掴んでしまったが、ジャラリという金属音のする巾着袋のようだった。
「餞別だ。その礼とやらとまとめて、返しにこい」
この巾着は、赤毛の団長が投げたものだったらしい。
頭を下げ、感謝の気持ちを示し、今度は体をすべて通用口に向けて、力いっぱい駆け出した。
◆◆◆◆◆
通用口は通った所がカウンターのある小部屋になっていた。小さな町の役場と言った感じだ。薄暗い室内にはカビの臭いまで僅かに香る。小さな棚には書類と思わしき巻物っぽいものやら、紙の束が詰め込んである。
カウンターの中に入って回り込んできた金髪騎士は、そばかすを浮かべた笑顔で話しかけてきた。
「団長が気に入るなんて珍しいね。きっと君強いんだろうね」
「いえいえ、自分の力足らずは承知しています」
「にしても、何でサラスの町に来ようと思ったの?」
「別にこの町に来ようと思ったわけではなく、迷っていた森から一番近くだという話でしたから」
本当のことだが、普通は信じないだろう。
町を目指して森で迷ったという方が、自然なことだろう。が、現実とは時として小説よりも奇なるものだ。
「ふ~ん。まぁとりあえず町に入る時の決まりを説明するね。一応規則だから、団長の知り合いでも手は抜けないんだ。分からないことがあったら途中でも良いから聞いてね」
騎士さんは意外と親切な人だったようだ。
物腰も柔らかだし、フレンドリーに接してくる。僕もこういう砕けた会話の方が好きだ。
「それじゃお願いします。実は常識に疎い人間でして、変なことを聞いたらごめんなさい」
「ははは、大丈夫さ。決まりで入るときに守らないといけないのは3つだけだから」
「それなら何とかなりそうですね。お手数ですがお願いします」
3つというなら、特に難しくないだろう。
物の数え方が違っているとかなら話は別だけど。
「うん、まず1つ目、この町に入った瞬間から、この町の法律に従う事」
「はい」
「もちろん王の命令や国内法を守ること前提だけどね」
「分かっています」
当然だろう。
治外法権を認めているはずもないだろうし、決まりを守らなくても罰せられない特権階級でも無い。
王様なんてのも居るのか。ますます面白くなってきた。
「2つ目~、町では必ず職に就くか、代わりの金銭を納めるかを選ぶこと」
「職に就くとは?」
「職業についていると納税するからね~。早い話、金払えってこと。大抵その税金やらで、俺たちみたいなのが食べているわけだし、防壁の修理や川の清掃なんかもやっている」
「なるほど。ちなみに、僕ならどういった職業に就けますか?」
「君なら団長の目に適ったわけだから、やっぱり冒険者かな。他にも宿屋や清掃組合が人手を募集していたと思う。後はお勧めしないけど、貴族の小間使いに雇ってもらう手もある」
税金の使い道に、貴族の給金を入れないのは、きっとこの騎士の遠慮なのだろう。宿屋で住み込みというのもあるのだろうが、とりあえず団長にも勧められた冒険者とやらが良いかもしれない。
「冒険者になるにはどうすれば良いですか?」
「やっぱり冒険者になるの?そうだよね~やっぱり男はそういう冒険心とか探検心って大事だもんね。わかる、分かるよ。俺も子どものときは騎士と同じぐらい冒険者に憧れたからね。血沸き肉躍る冒険と戦いの日々、そしてその果てに生まれるロマンス。夢だね、男の夢」
勝手に盛り上がられても困る。
冒険者とやらになるにはどうすれば良いのか。
「えっと……結局どうすれば良いんですか」
「ああそうだったね。ごめんごめん、話が横にそれるっていつも団長に怒られるんだ。で、なんだったっけ。……そうそう、冒険者になる方法だったね」
「はい」
「それなら、この門から真っ直ぐ北に行くと冒険者ギルドがあるから、そこで冒険者のカードを発行してもらえばいい。それで問題なし」
意外と簡単なようだ。
北と言われたのは良いけど、どっちが北かが分からない
「ちなみに、北というのはどちらの方角でしょうか」
「あれ?……ああ、そうかそうか。迷っていたのなら分からないかもね。北はこの通用門から城の方に向かって進めば北だよ」
「わかりました」
なるほど、北は城の方角か。なら、さっきの大きな門とここの通用口は南門といったところだろうか。 城に真っ直ぐ向かって行けるというなら、普段は使わない門なのだろう。中世では、城まで直進出来ないように、わざと曲がりくねったり障害物の多い道路設計をしていたらしいし。
「そして最後の3つ目、魔物や敵国に襲われた時には、この町の防衛に参加すること」
「襲われる頻度はどのぐらいですか」
自衛は当然にしても、あまり頻繁に襲われるようなら危なっかしい。
野犬程度ならこの町の防壁があれば大丈夫だろうけど、それより大きな魔物とやらが居るかもしれない。
「ん?大丈夫さ。ここ数年はこの近辺では魔物を見ないし。隣国と言っても、大河を渡ってくるような大軍がそうそう来るはずもないしね」
「安心しました」
「とりあえずこんなところだけど、何か聞きたいことはある?」
「たぶん大丈夫です」
「そう、分からないことがあったら何時でも聞きに来てよ。俺…エイザックっていうんだけど、俺を呼ぶなり他の連中に聞けば教えてくれると思うから」
「エイザックさんとおっしゃるのですね。ご親切にしていただきありがとうございます」
なるほど、この吊り目そばかすの金髪さんはエイザックという名前だったのか。
覚えておこう
「ちなみに、団長のアラン=ギュスターブ殿を筆頭に、精鋭ぞろいの第3騎士団の一員。もっと尊敬しても良いよ。ついでに可愛い娘が居たら、さりげなく紹介しておいてくれるとうれしい」
このノリの軽さは、どこかの親友を思い出す。あの赤毛のおっさんも、立派な名前があったんだ。
「さて、それじゃぁ説明も済んだし、あそこのドアから町に入って良いよ」
「お手数をおかけしました」
「いやいや、これも仕事だから。それじゃぁ改めて、ようこそサラス商業都市へ!!」
エイザックの一段大きくなった歓迎の挨拶を聞きながら、指示された扉を開ける。
暗かった室内から出たせいか、眩しさに思わず目を瞑ってしまう。
ゆっくりと目を開ければ、そこには今までの常識では考えられない世界が広がっていた。
その瞬間からだろう。
僕は理解してしまった。
うすうす感じてはいたことだ。
――自分が異世界に来てしまったのだと。