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水の理  作者: 古流 望
5章 A
77/79

077話 釣られた男たち

 僕は一人の男性と共に居る。

 そのお方は、黒い布で体を覆い隠し、人目を憚る様にして夜陰に紛れる。


 「さあ、こちらです」

 「う、うむ」


 ご老体には、流石に無茶な強行軍はさせられない。

 まして、相手がこの国でも重要なVIPであれば、尚更だ。

 それでも、殺気だった連中から逃げ隠れするのには、普段以上に神経と体力を使う。鍛えていても疲労を感じるのだから、普段穏やかな暮らしをしている高貴な方には酷なことだろう。

 落ち合う場所まで、あと少し。


◆◆◆◆◆


 「何事か!!」


 国王陛下の私室に入った僕に、二人の老人が訝しげな眼を向けてくる。


 「夜分に突然の事、御無礼の段お詫びいたします。サラスより参りました冒険者です。国王陛下をとある場所までご案内するようにとの依頼を受けてまいりました。重ねての御無礼ではありますが、国王陛下は?」

 「ここに居る」

 「サラスのギルドマスターよりの書状を預かって来ております」

 「見せよ」

 「これです」


 手紙に目を通した片方の御老人。

 読み終わると、委細承知したと言い、先ほどから傍にいたもう一人の老人を連れて行くようにとも言った。

 その際、目立たぬようにと部屋のカーテンの内幕をはぎ取って体に巻きつけられた。


 黒い布で巻かれた人間が二人居れば、万一見つかって追われても、咄嗟にはどちらが貴人か分からない。僕にも布が巻かれたのはその為だろう。

 これで遠目からはどちらが護衛対象か分からなくなった。はずだ。


 「うむ、では冒険者殿、頼んだぞ」

 「最善を尽くします」


◆◆◆◆◆


 あと少し、あと少しと気もそぞろに、荒事をこなしつつ落ち合う為に先を急ぐ。

 ようやく、はぐれたらここで落ち合おうと、アントと打ち合わせていた場所に着く。

 王宮の中でも、極々限られた人間しか知らないであろう隠し部屋だ。

 僕らが来るときに【看破】で見つけておいたが、入口からして物凄く見つけづらい。その上、入口の裏にはご丁寧に王家の紋章付。しかもこっそりと強力な魔物避けの結界。それだけで察するものがある。


 「ぜぇ、はぁ」

 「申し訳ありません。急がせてしまいまして」

 「か、構わん。事情は把握しておる由、気にするでない」

 「お言葉ありがたく頂戴します」


 この場所なら、多少は落ち着いていられる。隠し部屋だけあって、隠れるのにはもってこいだ。

 万が一の場合でも、入口が狭いので対処が出来るし、逃げるための隠し通路にも繋がっているからだ。魔法は調べ物をするのに大変便利と実感する。

 恐らく、本来は王族しか知らない逃げ道とか、そんなものなのだろう。この手の城には、大抵ありそうな話だ。

 火事で焼けた際の逃げ道や隠れ場所が口伝されていたり、ただの下水道のはずが何故か細い通路が併設されていたり。

 裏道や隠し通路の類は、後世では隠し財宝の伝説と共に、まことしやかに囁かれると相場は決まっている。


 「しかしその方、強いな。曲がりなりにも騎士を、ああも鮮やかに倒すとは」

 「見つけられた時には冷や汗ものでしたが、相手が一人でしたので」

 「その調子で、頼むぞ」

 「お任せください」


 かなり急いでしまったために息を荒げていた護衛対象も、だんだんと息を整えてくる。

 僕も、徐々に目が慣れてきた。完全な闇から、薄らぼんやりとした風景になってきている。


 この隠し部屋に入った時は、何も見えない状況だった。

 まさに真っ暗闇という言葉がぴったり。隠し部屋が快適なわけも無し、それも仕方ない。

 例えすぐ傍に絶世の美女が居たとしても、全く気付かずに熟睡出来るぐらいの暗さだ。それがマシになって来ただけでもありがたい。居心地の悪さは最低だから、せめてそれぐらいは無いと気持ちが不安定になりそうだ。

 狭い、暗い、黴臭い。僕の中の不快指数は針を振り切っている。


 しばらくして、誰かが隠し部屋の入り口を開けたらしい気配がした。

 若干、灯りが漏れたが、顔が見えない。

 緊張が走り、背中に貴人を庇う。


 「極悪魔法使い、居るか?」

 「うん、居るよ。天才剣士」


 入ってきた人間が声を掛けてきた。間違いなくアントだ。

 顔は見えないが間違いない。

 ふっと肩から、込めたものが抜ける。


 ちなみに、お互いに掛けた言葉は合言葉だ。

 決めたのは僕じゃない。自称天才剣士様が勝手に決めた。恥ずかしすぎる合言葉だが、議論する時間がもったいなかった。

 全く、一体どこの厨二病だ。自分で自分を天才と言える根性が天才的だわ。

 ただ、その天才様でも、流石に現役騎士を撒いてくるのは骨だったらしい。時間も掛かっているし、息も荒い。

 かなり深めの怪我も負っているようだったので、魔法で治しておく。

 こういう時は魔法に感謝だ。


 「そのほうは(たれ)か?」


 お連れした御方が、訝しげな声を上げる。

 そりゃまあ状況が状況だけに、先ず聞くでしょう。

 その問いには、目が慣れていないアントよりも、僕が答えた方が良いかと考え、声を出す。


 「ご心配には及びません。我がパーティに所属しております、アレクセン伯爵にございます。心強い味方で、頼りになる男です」

 「お前に褒められると無性に気持ち悪いな」

 「おお、その方がアレクセン伯爵か。話は聞いている。頼むぞ」


 少し、息の荒さが残る声だったが、その言葉にアントは、はいと短く答えた。

 お互いに視認するのが難しい状態だが、三人だけなら間違えることも無いだろう。


 「さてと、それじゃあ行きますか」

 「まてハヤテ、私はまだ目が慣れん。ぼんやりとしか分からん。お前の顔どころか、身体の輪郭すら怪しい」

 「こんな絶世の美男子の顔が分からないとは可哀想に」

 「うるさい。寝言は寝て言え」

 「まあそれなら、一番後ろからついてくると良いよ。それなら輪郭しか分からなくても何とかなるだろう。はぐれるなよ?」

 「よし、分かった。殿(しんがり)は任せろ」


 目が慣れた僕が、改めて鑑定の魔法を使って隠し通路に案内する。

 隠し部屋から、更に隠し通路とは、この城を作った人間はよほど隠し事が好きだったのだろう。

 なんと、隠し通路の入り口まで念入りに隠してあった。まるで封印でもしていたかのように。

 どこまで念を入れているのか。


 通路の入り口をこじ開ける。

 空気が流れている感覚があるから、何処かにつながっているのは間違いないのだろうが、一体どこにつながっているのやら。


 このまま時間を潰して、捜査の網が広がって手薄になった隙に逃げることも考えたが、そうなると囮として暴れているアクアとスイフが危ない。

 かといって捜索の網の中に飛び込むのは僕らが危ない。

 覚悟を決めて一歩を踏み出す。


 僕を先頭に、護衛対象を挟むようにして、アントが一番おしりで隠し通路を進む。

 いつかの洞窟を思い出すような狭隘(きょうあい)な通路。何となく、雰囲気のようなものが似ている。

 魔物が出てこないのはありがたいが、歩きづらいのはどちらも変わらない。

 案外、洞窟あたりで狭い通路を作る練習でもしていたのかもしれない。

 まさかね。


 どんどん下に進んでいくような通路。かなり急傾斜の下り坂。気を抜けば滑り台の如く滑っていくことだろう。

 体感では、どうやらこのまま地下通路になっている様子。

 流石に、城の壁や床下に隠し通路を作るのにも限界があったのだろう。壁と壁の間の限られた空間に通路を隠すより、広い空間のある地面を掘った方が隠し易いのはその通りだ。


 やや進むと、少し広めの場所に出た。

 ぽっかりと拓けた場所。

 地下広間、と言ったところだろうか。ゲームの世界なら、魔王の間とか名前がついてそうだな。

 いや、それほどの広さは無いか。


 「なんだここは?」


 アントが呟く。

 その答えを、僕が知るはずもない。


 そこでふと、気づいたことがある。


 アントの顔が見える。

 憎たらしい程にイケメンなツラ。

 目が慣れきったのか、とも思ったが違うようだ。


 かなり薄ぼんやりとだが、広場の床の一部が光っている。

 そのせいで、多少離れていても顔が分かる程度にはなったと言う事だろう。


 「魔法陣?」

 「こんな形のものは見たことが無いな。ハヤテ、どういう魔方陣なのだ?」

 「僕に聞くなよ」

 「なんだ、日頃は鬱陶しいほどに薀蓄を垂れ流す癖に、肝心な時に役に立たん奴だな」

 「アントに言われると、何だか知らないけど無性に腹立たしく思える」

 「で、お前はこれをどう見る」


 そう言われて、改めて観察してみるがさっぱりわからない。

 丸い円の中に、複雑怪奇な文様が、恐ろしいほど緻密に描かれている。ひとつの芸術品として鑑賞するだけでも十分なほどに巧緻な陣。


 しかし、どう見るも何も僕に魔法陣の知識は無い。鑑定してみても、魔法的なものは情報が出ないらしい。

 だから、どうしても観察対象は魔法陣そのものよりも、それ以外の周囲に向く。


 「こんな所にあるのだから、どうせまともな用途では無いと思うよ。ところで、そこにまた隠し通路だ」

 「またか。隠し通路の多い城だな」

 「そういうものなんでしょう。他に沢山の城を知っているわけではないから良く分からないけど」


 とりあえずの行動として魔法陣の構成を記憶の片隅に置き、まずはお連れしている方を指定の場所まで護衛することを優先する。

 魔法陣を全部覚えるのは人間業とも思えず、軽く印象に残す程度だ。似たような物を見た時に、ああ似ていると分かる程度に覚えられれば良しとする。意味ありげにあるのだから、何かの役には立つだろう。


 魔法とは素晴らしいもので、隠し通路の先が城の郊外に繋がっていることが分かった。

 何処に繋がっているか不安だったが、それなら話は早い。仕事は八割がた終わったようなものだ。


 少し急ぎつつ、通路を行く。

 流石にこんな隠し通路に人は居ないだろうとは思うが、用心しつつの行動は疲労を伴った。

 そのせいか、少しばかり戸惑う状況に突き当たってしまう。


 「ちょっと止まって下さい」

 「どうかしたのか、冒険者殿」

 「ええ、行き止まりです」


 これが城の廊下のような所なら、戻って別の道というのもあり得るが、ここは一本道の細い隠し通路だ。

 とても薄暗くてほとんど何も見えないが、通路がどん詰まりになっているのは間違いない。魔法で確認しても、今度は流石に抜け道も脇道も隠されてはいなかった。


 「アント、灯りある?」

 「お前の魔法の方が早いだろ。こんな暗い中で探し物なんぞ出来るか」


 それもそうか、と思い灯りを点す。

 魔力が指の先に集まる感触と共に、小さな火がつく。蝋燭の時のように、やや煤けた香りが僅かに残る。

 その火を頼りに行き止まりを改めて観察すると、何か違和感がある。

 通路の壁にしては、妙だ。

 左右の壁は、如何にも人工物という感じがするのに、目の前のそれは剥き出しの土っぽい。


 もっと詳しく調べようとした所で、突然指先の灯りが消える。

 息を吹きかけたように、ふっと消えた火。

 耳を澄ませば、掠れた笛みたいな音がする。

 それを辿り、小さな隙間を見つけた。


 「ここから風が通っている。外と繋がっているのかな」

 「だとすると、出口は土砂か何かで埋められているのか?」


 時間と共に出口が埋もれてしまった可能性はある。或いは出口をあえて隠してあるのかもしれない。何にせよ、引き返すのも、留まって時間を潰すのもしたくないとなれば、進んでみるしかないだろう。

 思い切って、土壁を蹴飛ばしてみた。

 空気の通り道からして、そんなに厚い壁では無いと踏んだからだ。


 ドン、と音がして、足に感触が伝わる。

 分厚いゴムタイヤでも蹴り飛ばしたような感触だが、音からしてもやはり分厚いと言うほどでもなさそうだ。

 これなら蹴破れるかもしれないと予想し、身体強化のおまけつきで思いっきり蹴ってみた。


 結果、その予想は正しかった。

 確かに壁は、それほど厚くはなかった。だが、失敗だ。

 壁は壊れ、外に出られたのだから、成功のようにも思えるが、明確に失敗だ。

 その原因が目の前に居る。


 「……」

 「……」


 突然のことで驚いたのだろう

 目をぱちくりと見開き、口を半開きにしたまま動きを止めている兵士と目が合った。


 「やあ、どうもこんばんは」

 「い、い……」

 「い?」


 何が言いたいのだ。

 予想は付くが、ここは自然に去るのが良い。

 あからさまに挙動不審になっているのを横目に、その場を去ろうとした。


 「いたぞぉぉぉ!!」


 だが、無理だった。

 途端に、わらわらと湧いてくる兵士。というか騎士。


 「ヤバい」

 「ぼさっとしてないで、逃げるぞ」


 大声を上げられてしまったが、そのまま目の前の騎士に体当たりをかます。

 大きな金属鎧と重厚な体つきの的だ。当たったは良いが、やはり弾となった僕の方に質量が足りない。僕程度の細身では、相手の体勢を崩すのが精いっぱいだった。


 そのままアントが騎士を蹴り飛ばしたのをみつつ、逃げの一手を迷わず選択する。

 囲まれる前に逃げるべし。三十六計の何とやらだ。

 だがやはり、ご老体の足取りが怪しい。

 十代の全力疾走に付いてこられる老人なんて滅多に居ないわけだから、それも仕方がない。とりわけ高貴な立場で、デスクワーク的な仕事が主なら体も鈍っているのだろう。


 止む無く、僕が御方を背負い、アントが切り開く道をこじ開けるような形で突破する。


 「こっちに逃げたぞ~」

 「追え追え、絶対に逃がすな」


 ええい、しつこい。

 倒しても倒しても、先回りされる形で囲まれる。

 やはり、伊達に集団戦闘の訓練を受けていない。敵にするとここまで厄介だとは思わなかった。


 上からの命令に従っているに過ぎない騎士連中だ。殺してしまうと、絶対に拭いきれない恨みを買うことになるから倒すに留めるわけだが、それも状況の悪化を促す。

 止めを刺さないものだから、すぐに回復して戦線復帰してくるのだ。

 しかも、一度倒されて学ぶのか、体当たりだの足掬いだのの小手先の技は対処されることが増えてきた。


 抜け道を使って町の郊外に出たは良いが、一向に追っ手を撒けない。


 こうなったら仕方がない。

 アントが、護衛対象からやや離れた今がチャンス。

 走りながら、後ろで獅子奮迅の相棒に声をかける。

 逃げながら戦うとは、無駄に器用な奴だ。


 「アント、ちょっとデカい魔法行くぞ」

 「あ、聞こえん。何だって?」

 「魔法注意だ、ボケ天才剣士」

 「ボケは余計だ……って、ぎゃあぁぁ」


 ……。

 地上の星というのは花火を地面付近で吹き上げることだったのだ。

 そう思えるような見事な悲鳴と共に、味方をギリギリ巻き込まない範囲で火柱が上がる。我ながらこの精度は素晴らしいと思う。


 「ハヤテ、前髪が焦げた。かなりしっかり焦げたぞ。殺す気か!!」


 まあ、ほんの僅かのずれは誤差に違いない。


 これでようやく追っ手と距離が開いた。

 このまま逃げ切れる。


◆◆◆◆◆


 公爵派の重鎮が揃う一室。


 いよいよ、明日は陛下の容体が“急に悪化”することになる。殿下への王位移譲が行われる手筈は万全だ。

 王家に近しい騎士団は、皆王都から離れるか捕縛されている。主だった重鎮は、領地で発生した異常な魔物や大量の魔獣の対処に追われて領地に戻っている。

 大義名分も揃え、邪魔者は居らず、情報は完全に封鎖し、手駒も充実。

 抜かりは無かった。そのはずだった。


 「逃げられただと?」

 「は、はい」


 パリーンと何かが割れる。

 怒りに任せて投げたグラスの割れた音だと気付くのに数瞬の時があった。

 自分でも頭に血が昇っているのが分かる。


 「さっさと連れ戻せ!!」

 「それが……林に逃げられました。相手は冒険者のようで、かなりの手練れです。騎乗した騎士の広範囲の捜索もあって、林周辺の包囲自体は出来たのですが、何分、夜でもあり視界が悪く……」

 「この能無しどもが!!」


 机を蹴り、腕を振り回して机上にあったインクや物をありったけ投げ散らかす。

 何だって、何年もかけて準備してきた最後の最後でこんな問題が起きるのだ。

 怒りが収まらないまま、周りに当たり散らす。


 近隣で名のある冒険者は、全て出払うように仕掛けたはずだ。

 村々に魔物をけし掛け、その討伐を理由にCランク以上は殆ど町に居ない。そうなるように仕向けたのは誰でも無い。自分だ。

 悪魔に貴族の誇りまで売り、散財を厭わず、この日の為だけに準備をしてきたと言うのに。

 何処からそんな手練れが湧いて出た。国王奪還の可能性も考え、生半可な冒険者では敵わぬような、腕自慢の連中を揃えていた。それなのに何故だ。


 『困ったことになったようですな』

 「うるさい。そんなことは言われるまでもない!!」


 このままだと、最悪の場合もありうる。

 国元に戻っている連中が逃げた国王を冠して、我らを反乱者として討伐するという場合だ。

 逆賊の汚名を被った我らに味方するものなどおらず、孤立すれば最後は刑死か戦死だろう。

 不味い、不味いぞ。


 「どうすれば良い。何が最善だ。くそ、くそっ!!」


 止めどもない怒りと、このままでは不利な状況であるという焦り。焦燥。

 部屋をうろつく姿を、不安げに見てくる部下も居るが、それすら鬱陶しく思うほどに苛ついている。

 唯一平静な様子なのは、醜悪な面構えの悪魔だけだ。


 「貴様、何故そんなに平然としているのだ。少しは役に立ったらどうだ!!」


 分かっている。

 これは単なる八つ当たりだ。

 苛立たしい気持ちを、少しでも発散しようとして目に付いたのがそいつの醜悪な面だっただけ。

 だが、そんな悪魔が僅かに目線を動かした。まるで私の方を見ていない。


 人を馬鹿にしているのかと、より一層の怒気を込めて怒鳴ろうとした時、ふいに後ろから声を掛けられた。悪魔の目線の先にあったのはそれだったのか。


 「悩みを無くす、良い方法を教えてあげましょうか」


 振り返った先に居たのは、女だった。

 怪しげで、妖艶。

 しなを作る格好を見れば商売女だが、発する雰囲気は並ではない。


 女の言葉に縋るのは、不思議と心地よかった。

 自分の胸の辺りから流れる生温かいものが無ければ。


 何かが光ったと思った時には、もう遅かった。ドクドクと、鼓動にあわせて血が流れ出る感触。

 最後に見たのは、女の薄ら笑い。


 「苦しみも、悩みも無い世界へようこそ」


 視界が闇に閉ざされた。



◆◆◆◆◆



 「後どれぐらいだ?」

 「もう少し。この林の中の開けた場所が指定の場所」


 闇にまぎれて走る。

 林といえど、王都の傍ともなれば手入れもかなりしっかりされているらしい。


 下草も綺麗に刈り取られ、低い位置の木の枝は全て枝打ちされている。

 それは逃げる人間にとっては好都合。

 駆け抜けるにあたって、邪魔になりそうな位置に枝葉は乏しく、足元に邪魔する草木が無いとなれば、根に足を取られないようにだけ気を付ければ良い。


 そしてようやく林の切れ目が見えた。


 そのまま走り貫けた先には、大きな岩が聳えていた。

 見上げれば首が痛くなる大きさ。岩と言うよりも、最早崖に近い。


 「ここが指定の場所か」

 「間違いない。ここだよ」


 爺様方から指定された場所。

 それはここで間違いない。

 これほどにどでかい岩が、他に幾つもあるとは思えない。


 王都にほど近い王家所有の林。それほど大きな林では無いし、雑木林になっている。

 常は狩猟やら燃料採取の為に使われているらしい。

 ドーナツ状になっている奇妙な林の中央が指定の場所だ。


 ようやく着いたという安堵と共に、背中の護衛対象を降ろす。

 負ぶっていただけとはいえ、快適とは言い難い強行軍に疲れもあるのだろう。ご老体はその場で岩を背もたれにして座り込んでしまった。


 「で、この後は?」

 「迎えの人間が居る手はずになっていたんだけど」

 「誰も居なかったぞ。ちょっとそこら辺を探してみるか」

 「任せるよ」


 どうにも早く来すぎてしまったらしい。

 追われている側としては、待つと言うのは精神力を消耗する。

 隠れて息を潜めるのも良いのだが、せっかちな誰かさんはそれを良しとせずに林に戻り、こそこそと偵察に行ってしまった。堪え性の無い奴だ。


 僕と護衛対象は隠れる。

 割と太めの木の根に座り、頭を低くしてうずくまる。

 耳を澄ませ、出来る限りの警戒をする。


 気づけばアントが戻って来ていた。

 隠れている僕らが分からないのか、きょろきょろと不審者になっている相棒に声をかける。


 「お帰り。どうだった」

 「不味いことになった。武装を固めた騎士の一団が、林を囲っている」


 やはり、と言うべきだろうか。

 それとも、迅速に対応した相手方を褒めるべきだろうか。

 予想していたよりも対応が素早い。馬でも使ったか。


 「来た道の強行突破は出来そう?」

 「私とハヤテだけなら可能かも知れん」


 伯爵閣下の言いたいことは分かる。

 護衛対象を守りながらだと難しいと言う話だ。


 「それよりも、転進して包囲を抜け出せそうな所から一気に抜けるというのはどうだ。まだ騎士連中の囲みが薄い場所があるかもしれん」

 「探してみようか」


 音を立てないように、隠れながら林を歩く。

 今日は厄日だ。隠し部屋に隠し通路、纏った隠れ蓑のような布に、隠れての移動。隠し事が満載の日。一年分ぐらいは隠したんじゃないだろうか。


 「駄目だな。こっちも手が回っている」


 こっそりと様子を見てきたアントが言う。

 やっぱり駄目だったか。


 この騎士団を率いているのは、相当な熟練者に違いない。

 包囲のやり方から、手慣れた感がある。


 やむを得ず、林の中央付近まで戻り、大岩の傍に改めて隠れた。

 そこでアントがまたも状況の悪化に気付く。


 「不味いぞ。夜が明けてきた」


 彼の言う通り、薄らと空が白み始めていた。

 星の瞬きが弱弱しくなり、月の輪郭がぼやけだす。

 後一時間もしないうちに夜が明ける。


 ここまで逃げ切れたのは、夜の暗闇があったからだ。

 夜陰に乗じての隠密行動は常套手段であるが、明るくなっての逃げ隠れは難しくなる。


 もう一度偵察してくる。そう言って落ち着きの無い相棒は包囲に向かっていった。

 そこで僕は考える。

 既に林の中に居ると、相手側が分かっているのは間違いない。

 おおよその位置が分かっている状況で、隠れる意味は有るか、と。


 僕が相手の立場ならどうか。


 おおよそ林の中に居ると分かっていて、逃げられないようにする。

 その為に、まずは林を包囲するのは正解だと思う。

 その後、じわじわと包囲の輪を狭めていけば、獲物を見つけるのは時間の問題、というわけだ。

 つまりは僕らが見つかるのも時間の問題。


 考えに耽っていると、アントが深刻そうな顔で戻ってきた。


 「ハヤテ、悪い知らせだ」

 「何?」


 周りを囲まれた以上の悪い知らせがあるのか。


 「ちらっと見た限りだったが」

 「うん」

 「アクアとスイフが居た」

 「え?」

 「こっちが見つからないようにしていたからほんの一瞬確認できただけだったが、確かに見た。あのお転婆を見間違えるはずが無い。相手の増援らしい騎士団が来て、その中にあいつらが居た。少し騒がしかったようだが、あいつらが暴れそうにでもなったのかも知れん」


 捕まったと言う事だろうか。

 もしそうだとするなら、ここまで連れてきた意図は、僕らを誘い出すための餌。人質ってところだろう。

 もしかすると、相手も時間が無いのかもしれない。

 じわじわと包囲網を縮めるだけの時間が無く、一気にことを収めることを考えているのか。


 「捕まっているのなら、助けるべきだな」

 「勿論そうだね」


 仲間を見捨てるわけにもいかない。

 その為の作戦を考えるべきだろうか。

 採れるべき手段は少ない。交渉のカードとしては護衛対象が居るが、流石にそれと交換で仲間を助けろというわけにもいかない。


 そう考えていると、ガチャガチャと音が近づいてきた。

 鉄と鉄のぶつかり合う音に、思わず僕は顔を顰めた。


 「待ったなしってことね」

 「考える暇も与えてくれんな」


 しかも、どうやら確実に居場所がばれたらしい。何故分かるのか。

 林の中央部。正確に僕らを半包囲してきた。

 予め林の中央に居ると分かっていたような動きに、アントが舌打ちをした。気持ちは分かる。


 突破は最早無理。

 後ろに逃げよう、と考えた所で、今更ながら崖のような岩が後ろで邪魔をしていることに気付く。何てこった。


 やむを得ない。

 鹵獲品の剣をアントが構え、僕も何時でも魔法を撃てるように身構える。


 緊張が走る。

 それはお互いの緊張だったのだろう。

 知らず静かになる林の中、一人の男が歩み出てきた。


 その男の顔を見た時、僕は思わず罵りの言葉を上げてしまった。

 そう言う事か。またもしてやられた、と。


 「よう、ご苦労だったな。王都の方は片付いたぜ」


 歩み出てきたのは身の丈が僕らよりも一回りか二回りでかい大男。

 赤毛に厳つい顔の、見慣れた面構え。

 何処かで見たような鎧は何故か傷だらけで、服装も何があったのかかなり汚れている。ありていに言うならボロボロだ。

 そんな(なり)なのに笑顔だけは何処か胡散臭い。

 第三騎士団の団長様。


 「ご苦労でしたな」

 「いやなに、そっちこそ夜通し大変だったようですな」


 そう言って団長の前に歩み出ていったのは、僕らが夜通し護衛した相手。

 その老人の顔を見たアントが驚いている。


 「あれは陛下では無い。一体どういう事だ」


 何が何だかよく分からない。

 そういう顔をしているアントに、爺様の言葉をもう一度言ってやる。


 「『囮は派手な方が良い』だろ」

 「何? つまりは」

 「僕らが全員、囮だったってこと」

 「あのタヌキジジイ!!」


 伯爵様が、貴族らしからぬ言葉で罵る。

 呪詛を込めたくなる気持ちは分からなくもない。というか僕も込めたい。

 だが、今回の作戦は如何に敵を騙すかだった。

 単純なアントに最初から作戦の全容を話していれば、作戦が失敗していたかもしれないという危惧は理解出来た。

 敵を欺くには、まず味方から。セオリーではあるのだが、やられた方は腹立たしいだけである。


 恐らく、僕らが侍従の人を陛下っぽく連れ出して、敵の目を一身に集めている間に、陛下は陛下で、単身で騎士団と合流したのだろう。

 如何に公爵の命令が有るといえど、陛下直々の命令であればそれが勝る。

 そうやって夜の間に片を付けて来たんだろう。

 多分、僕らが林の辺りに逃げ込んで時間を稼ぐ事まで織り込んでこの場所を指定したに違いない。

 何が迎えを寄越すだ。


 「そう(いき)るなよ。街の方も無事片付いたらしいから、一緒に来い」


 そう言われて、僕らは王都に戻るのだった。

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