076話 美味しい餌
「殺せ!! いっそ殺してくれ!!」
案山子と戦ってからしばらく、細かな依頼を手分けして受けていた僕らだが、つい先刻呼び出された。
曰く、王都の王城に忍び込み、国王陛下を指定の場所までお連れし、尚且つその間の護衛をしろ……だそうな。それも可能な限り隠密に。そんな依頼を受けた。細かい条件が山のように付いている依頼だけに頭が痛いのだが、そうも言っていられない。
事情をある程度説明されてのことであり、大役だ。
流石にあのお偉い老練な面子を前に断れる力量なんて、僕らに有る訳もない。
こういう事は、迅速かつ的確に処理し、さっさと終わらせるに限る、とは、誰の言葉だったか。
だからこそ大急ぎで情報を集めて整理し、準備を整え、馬車まで誂えて王都へ急いでいるのだが……。
「おえ~気持ち悪い。もうダメだ。私はここで衰弱死する。いっそひと思いに殺せ。そして墓にはハヤテを凶悪犯だと刻んでおいてくれ」
「それだけしゃべられるのならまだ大丈夫だな。ハヤテ、もっと急げるぞ」
「スイフ、後で覚えていろ。うっぷ」
僕の魔法で、通常の三倍は速度の出ている馬車。
案の定、アントが車酔いになった。
さっきから弱音を吐いては、スイフに弄られている。僕は無言で馬を走らせる。
アクアが優しく幼馴染の背中をさすってやっているというのが、何の慰めにもなっていないだけに、相当辛そうだ。
「この調子なら、予定よりもかなり早く着けるだろう」
「そうなって貰わないと、困るけどね」
出来る事なら、王都へ先行しているであろう第二騎士団と、それに捕えられている赤毛の団長を追い抜いて陛下の所まで行きたい。
時間的には、かなりギリギリの目算だが、それが出来れば第三騎士団を救う事も容易くなる。
あの人には今までの恩もある。ここでまとめて返しておくのも悪くは無いだろう。
「……早く着かないとアントがいつも以上に役立たずになる」
アクアが厳しい事を言う。
いつもであればそれに倍返しぐらいで言い返す色男が、今日はやけに元気が無い。
普段もこれぐらい静かなら良いのだが。
走らせる馬車の前方。
王都の方の空を見れば、どんよりとした暗雲が立ち込めている。
否応なく、不吉な予感に苛まれる。
「何も無ければ良いんだけど」
僕の呟きは、誰聞くことも無く消えていった。
◆◆◆◆◆
玉座。
その座が持つ引力は凄まじい物がある。
何十万、何百万という人々が、その座に傅くのだから。
『順調だな』
「ああ」
普通の人間であれば否応なく嫌悪感を催すであろう異形の体躯。
それを僅かに覗かせながら、影が喋る。
「しかし、実に良い手を思いつくものだ。凶悪な魔獣と戦わせて弱った所を捕まえるか」
「お褒め頂き光栄です」
その影の向かいには、傅く部下が居る。
膝を折りながら私に礼を尽くす様は見ていて心地が良い。
「後は第一の近衛連中だが、例の手はどうなっているか」
「はっ。街道沿いに魔獣の群れが出没したとして、先ほど王都を発ちましてございます」
その言葉に、満足を覚える。
実に順調だ。何の問題も無いのだと、改めて実感したからだ。
上等な酒が、グラスに注がれていく様を見る時のように、心が躍る。これからその美酒を味わえるのだと思えばこそ、注がれていく様も興をそそるものだ。
「くふ、くはは。おい、言葉は正しく使わねばならんぞ。魔物が出没したのではない。我々が出没させたのだ」
「まさしく然り。その通りでございます」
お互いに軽く笑いの混じった言葉。
自分でも分かるほどに上機嫌なのだろう。ついつい饒舌になってしまう。
一口ほど酒を飲めば、香り高い最高級酒の味が口いっぱいに広がる。
「それで、国王はどうしているか」
「今もって監視中です。何度か陪従と共に部屋から逃げようとしたらしいのですが、警護のものに捕まっています」
「ふむ……いかんな。逃げられてしまうと厄介だ。監視には手練れを増やせ」
酒を嚥下し、一呼吸置いた間。それを自分でも緊張の表れかと考え、しばし考えたが、それでも出る答えは一つしかない。
今、逃げられてしまうと計画が水の泡になってしまう。
少なくとも全兵権を握り、大々的に宣言するまでは、下手な事は出来ん。
「はっ。“御病気の陛下”に万一の事が無いよう、警護の者を増やすよう指示いたします」
「うむ、建前は大事だからな」
ここまで準備をしてきたのだ。
何が何でも成功させねばならん。
「後は、エディバル公爵派と隣国の出方次第か?」
「はい」
「今国王が死ねば、儂に対する嫌疑と共に、あいつらへ大義を与えてしまう。あくまで、国王が自分で、王子に王位を譲ると言った形を作らねばならん」
「分かっております。その為の場はあと一両日中に整います」
「薬の手配はどうか。死なぬ程度に混濁させねばならんぞ。生きていることを、明日にも駆けつけてくる奥方や他の王子に見せておかねばならんのだからな」
「心得ております。既に手配済みです」
明日。
それまで国王の身柄を確保しておけば、この国は私のものだ。
『では今後も手筈通りに』
「うむ」
陽炎のように、揺らめいて消える影。
相も変わらず気味が悪いものだ。
◆◆◆◆◆
王都。
累々脈脈と受け継がれてきた伝統と格式を色濃く残し、中央にそびえる王城が、ひと際目立つ街。
周辺の国々を合わせても、指折りの大都市。
城壁も高く、初めて来訪する者はまずその威圧感に押される。サラスの城壁の倍は有ろうかという高さと厚さ。
並みの人間であれば、それだけで萎縮しそうな壁には、それと同じぐらいの風格を備えた門がある。
豪奢な模様は王家を示し、重厚感のある黒い門は、少々の魔法では破る事は叶わない。
長年、この町を守ってきただけに、威風堂々と佇んでいる。
そんな町の門をくぐる。
ここには、軽口を叩いてくる騎士は居ない。エイザックは団長と同じように囚われていると言う話だが、つい彼の笑顔を思い出してしまう。
やや歩いて、宿をとる。
その部屋で、顔を突き合わせて相談だ。
一人だけ、僅かに顔色が悪い以外は、見慣れた面々。
「もう少しして日が暮れたら、始めようか」
「その前に状況を整理しておきたいね」
闇雲に動くのは良くない。
それは恐らく、ここに居る四人全員の共通認識だろう。
「事前に言われた作戦は覚えているよね?」
「ギルド支部長に、騎士団副団長。それに魔術師ギルド前総長までいる豪華な作戦本部だったな」
「まあね。まずアクアとスイフが、王城の近くで喧嘩するんだったっけ」
「任せて貰おう。ド派手に喧嘩してみせる」
「いや、一応出来る限り秘密裡にってことだから、派手すぎずに。普通より、ちょっと大きめの騒動で良いからね」
「『この策は、如何に上手く“囮役”が相手を引き付けるかに掛かっているのじゃ。囮は派手な方が良い』とか言っていたかな。あの爺様達。くくく、囮役か」
こくりと頷くアクアと、ことのほか楽しそうな笑みを浮かべるスイフ。
これだけ目立つ容姿の二人が、秘密裡に作戦を進められるわけが無い。だから、本当の目的はあえて伏せる。目立ってナンボの作戦だと言う事は、だ。賢い二人の事だから、言わなくても気づいているはずだが。
なまじ普段から目立つ奴が、一層目立とうとすると、金箔と銀のラメをライトアップするが如き不自然さが出る。普通にしていても可愛らしい子どもに化粧して、けばけばしくなるような感じだろうか。明らかに悪目立ちするし、それではわざとらしすぎるから囮にならない。
そこで、あえて目立たないようにしようと自制させる。元から目立つ二人だけに、逆に自然な感じで怪しい感じを演出できる。
少なくとも、あの婆様や爺様ならそれぐらいは考える。
作戦としては古典的な釣り出しでいくと決まっている。二手に分かれて、片方が囮。
釣り餌になる方が暴れて、警護の連中が集まる隙を突く。
出来る限り自分たちの身の安全を守りつつ、少人数で事を為すには、正攻法では難しいのだ。そこは、爺様や婆様に教えてもらう事でも無く、常識の範囲だろう。
作戦の成否は、餌がどれだけ旨そうに魚を引き寄せるかに掛かっている、とは、ご老人方に言われるまでも無いことだ。
「喧嘩の内容としてはその場の雰囲気で即興と言うことになる。周りに被害を出さず、それでいで穏やかに暴れる。結構難しい役回りだね」
「俺たちが捕まってしまったらどうするんだ?」
「王命もあるし、周りに被害が出て無ければ大丈夫だと思う。少なくともすぐに処刑されたりはしないし、そうであれば絶対に助ける。こういう時の為にある程度権力に近しい人間を選んでいたんでしょ。アクアは貴族令嬢だし、スイフはエルフだから、そう簡単に手出し出来ないよ。精々がお説教ぐらいじゃないかな。勿論、捕まらない方が望ましい」
あの爺様、婆様方は抜け目がない。
どうせ、そのつもりで居たに決まっている。
「喧嘩の内容に、痴話喧嘩を選ぶのは止めておけ。色気のないアクアだと、直ぐに作戦がばれぐぇ」
アントの鳩尾に、アクアが綺麗に肘鉄を決めた。
車酔いから立ち直って間もないこいつが、吐いたらどうするんだ。
幼馴染同士には、遠慮の二文字は無いらしい。レベルが上がってきてから動きにも磨きが掛かってきている。
「ぐっ……そして、私とハヤテがその騒ぎの隙に城に潜り込み、国王陛下の部屋まで行ってお偉方の手紙を渡し、そのまま陛下を町の外の決められた場所までお連れすると」
「だね。正直、これが一番難しいと思う」
「……同感」
城に潜入するのに、まず僕は必須。
罠があった時や隠し部屋の捜索には【看破】を使える上に、万が一の時に力づくで逃走をする場合にも、汎用性の高さからいって最も成功率が高い。
そしてその相棒がアント。
騒々しさに関しては我がパーティ随一の無駄イケメンだが、この際はやむを得ない人選だ。
なにせ王城の中に何度か入ったことがあるのは、アントだけ。必然的にこいつが道案内をしなければならない。
おまけに、この男以外に国王陛下の顔が分からない。
「もし、陛下を軟禁している連中に見つかった場合はどうする?」
「その場の判断で臨機応変に対応かな」
つまりは行き当たりばったり。かなり不安だ。
穴だらけの作戦で、その場しのぎも多い。その上、不確実性も高い。
それでも、ここまで来た以上は、腹をくくるしかない。
「それじゃあ、行こうか」
「「おう」」
お互いに気を付けてと声を掛けあって宿を出る。ここから別れた後は、しばらく別行動になる。
その表情は流石に皆真剣だ。
空を見れば、星明りすら隠す夜空の雲。
月も無い夜はただただ暗い。
その中を、王城のすぐ傍まで歩く。
見つからないように、それでいてさりげなく。
どれほど歩いただろうか。夜は時間の感覚が曖昧になって困る。
王城の壁は流石に高い。
何メートルあるのだろう。
反り返る感じで僅かに湾曲させているのは侵入者対策だろうし、登るとしたらかなり強引な事をしないといけない。
壁色は白だ。それだけに、明かりのある中で登っていれば、遠目からでもはっきりと影が浮かんで見えるに違いない。白服だと染みが目立つようなものだ。
ふと、隣の相棒の様子に気付く。
「緊張している?」
「少しな」
流石に密命ともなると緊張もするのだろうか。
もしかしたら、それが伝染したのかもしれない。僕まで体が固まってきた気がする。
体に染みついた国民的な体操をしつつ体を軽く揺する様にほぐすと、アントが不思議そうに見てきた。
「新しい儀式か何かか? 何時から変な宗教に入信したのだ」
腕を前から上に上げて大きく背伸びの運動をしていると、相棒がそんなことを言ってきた。
その言葉に、反論しようとした時だった。
夜の帳の中に、ひと際大きな音が響く。
すわ爆発か、と言わんばかりの轟音。
城の壁に背を当てる様にして街を眺めれば、暗い中にも僅かに見える煙らしきもの。
ざわつくような喧騒が、徐々に大きくなっていく様子が、はっきりとわかる。
怪物が暴れるような大きな音。それは一度では無い。
不定期ながらも何度となく鳴りつづける。
いや、実際暴れているであろう連中は、ある意味怪物じみた連中ではあるのだが。
「あいつら、派手に暴れすぎだろう」
「本当だね」
呆れの気持ちが入った言葉を、伯爵閣下と共に吐き出す。
嬉々として暴れる二人の姿が目に浮かぶようだ。
羨ましそうにしている誰かさんは、務めて見ないようにする。
二人組の騒音発生器は、徐々に移動しているらしい。予定よりも、かなり派手だ。派手すぎるほどに派手だ。
周囲の野次馬も、きっとそれにつられて移動しているに違いない。
「おいハヤテ」
急に頭を押さえつけられる。
いきなり何をするのかと、文句の一つも言おうとした所で、相棒が指差す先に気付く。
漆黒の夜を、そのまま切り取ったかのように映す鎧。色が黒いわけでは無い。むしろ色は無に近い鏡面。磨き上げられた甲冑は、周りの景色をそのまま反射させ、それがまた見事に周囲と交わる。
違和感無く進む猛々しい連中。
いや、違和感すら存在感を際立たせた飾りにする集団。
「あれが城詰めの騎士達かな?」
「恐らくそうだろうな。こんな夜中に武装をしている連中なんて、夜勤で詰めていた者以外に考えづらいだろう」
アントの推理は恐らく正しい。
鎧甲冑というものは、騎士にとっては制服も同じであり、身に着けるのには慣れているはず。
とはいえ、如何に慣れているとしても防具とは着脱に相当の手間がかかるものだ。
帽子のように着脱が容易ならともかく、一度外したものを改めて付け直す手間を考えれば、こまめに脱ぎ着するのは誰でも億劫になる。
つまり、着たら着っぱなし、脱いだら脱ぎっぱなしが普通だと言う事。
その上、かなり重い。何せ鉄の塊を担いでいるようなものだ。
よほど自分を苛めるのが大好きな変態か、キツイ修行の為に重りを付けるのでもなければ、休むときには鎧甲冑は脱ぐ。
重いものを付けて動くだけでも、体力の消耗になるのだから。
簡単に言えば、不要な時にわざわざ身に着ける奴は変態だと言う事。
ならば、今こっそり様子を伺ってみた集団は、武装の具合から見ても勤務中だった騎士とみてまず間違いない。それか、ド変態のコスプレ集団かのどちらか。考えるまでも無く前者だ。
奴らが大騒ぎになっている街中の方向に向かっていったということは、アクアやスイフが上手くやったと言うことに他ならない。
「まあそれじゃあ」
「やるか」
国中で一番といっていいほど堅牢にして重厚な壁。
だが幾ら頑丈であるとは言っても所詮は壁。
上る方法だって、普通であれば軽く数通りの方法が思いつくだろう。ただの壁であれば。
隙間なく積まれたといっても所詮は石壁であり、石と石のつなぎ目を隠す塗装も、剥がそうと思えば剥がせるのかもしれない。
そうして露出したつなぎ目にナイフでも刺していき、何本か足場にして上るという方法を思いつく人間もいるかもしれない。
もっと単純なもので言えば、フック状の金具を紐の先につけて上へ投げ、登り縄とすることも思いつく。
魔法には空を飛べるものだってあるかもしれないし、それでなくてもとんでもない威力の魔法であれば壁の一つや二つは穴を開けられる可能性だってある。
と、普通なら考えるだろう。
だが、そこは王城。
考えられるだけのセキュリティが備わっていると、調べがついている。
例えばその一つに金属探知がある。金気が壁に近づくと察知されるらしい。
磁力か何かを魔法的に応用してあるのだろうか。
剣だのナイフだの金属フックだの金属スパイクだのは、その警戒網に引っかかるそうだ。
それゆえ、僕らも丸腰。アントなんて不満たらたらだった。
梯子も考えたが、そんなものを持って王城に近づくわけにもいかない。通りを歩いている時点で不審者通報だ。
同じ理由で、懐に入らない大きさの道具は使えない。
隠れながら近づくのに、荷物を抱えていくのは、素人が考える以上に難しい……のだそうだ。良く分からないが、そういうものなのだろう。
その上に、魔法の防護が掛かっている。全ての属性を防ぐ備えがあるそうだ。
僕が全力で魔法をぶつければ壊せるかもしれないが、まず大げさなことになるのは目に見えている。
まあ、魔法を防ぐ魔物が普通に徘徊している世界で、人間様に魔法を防ぐ手段が一切存在しないと考える方が間違っているのは言うまでもないことだ。
魔法も道具も難しい。この世界でも屈指のセキュリティ。
そうなってくると、普通ならばこんな壁からお邪魔するのは無理だとあきらめる。
とっかかりが殆どないような場所でも登る、超凄腕のロッククライマーでもない限り。
事実、この壁が出来てから王城への侵入者は激減したらしい。
一般的に考える侵入方法としては、人的な脆弱性を狙う方法もある。
内部にスパイを作っておいて、内側から手引きさせる。
或いは、正門や裏門の警護をなんとかだまくらかして入る。或いは大金を握らせてみる。
もしかしたら色仕掛けなんて古典的な手があったのかもしれないが、残念ながらうちのパーティの紅一点お色気担当は無表情が標準装備だ。
通常であれば、もしかしたらそんな賄賂的なものも有効なのかもしれない。
だが、そもそも今はタイミングが悪い。
何せ政変まっただ中。門付近の警備は恐ろしく厳重だろうし、この時期に中に入ろうとすれば即お縄を頂戴することだろう。
今この時期に金を渡してでも通してほしいなんて言えば、スパイですと喧伝するようなものだ。
そこで考えたのが、この作戦。
いや、作戦というよりは原始的な力技。
名付けて『ジャンプして飛び越せば良いじゃない作戦』だ。
ネーミングについて、うちのパーティーメンバーのセンスが壊滅的であることを改めて実感したのは甚だ余談だ。
まさかスイフまでが、ネーミングセンスについて破壊的な奴だとは大きな誤算だった。
アントが、こっそり体に巻きつけていたロープをほどいていく。細いけど頑丈な、ワイヤーのような紐。冒険者なら良く使う、わりとありふれた万能紐だ。素材は何かの魔物の腱のようなものらしいが、その長さはかなり長い。
目の前の相棒の前世は、もしかしたら糸巻きの芯だったのかもしれない。とても良く似合っている。
眼前にそびえる壁の高さを往復させても、かなり余裕があるだろう長さのロープ。
紐の端の方をアントに括る。もう片方の端を僕に括る。紐が明後日な所に行かないように、念のためだ。
その上で強化魔法を僕と相棒にかける。
何処かの婆様曰く、王国でも三指に入る高威力なのだとか。あたしにはまだまだ及ばないね、と言われた時は反応に困った。
「それじゃあアント」
「おう!!」
僕は壁に背をつける感じにして軽く腰を落とす。
そしてバレーのレシーブのように、やや前傾姿勢の上で両手を前に組む。
アントは軽く屈伸をしつつ、僕からやや離れた位置に立つ。
目と目で合図をした。
その瞬間、アントが僕に向かって勢いよく走ってくる。
僕はぐっと奥歯を噛みしめ、来るべき衝撃に備える。
あわやぶつかりそうになるような至近距離。
体の前で組んでいた両手に、アントが片足を掛ける。
走りこんできた勢いをそのままに、アントが踏込む。両手にとんでもない力がかかる。
ダイエットしろこの野郎。
アントの助走の勢いを殺さないように、方向を上に変えるよう力をありったけ振り絞る
相棒がジャンプするタイミングと合わせ、一気に上へと投げ捨てるように持ち上げた。
「~~~~!!!!」
アントの、声にならない声が、頭上で聞こえる。
それもだんだん小さくなっていくように思えた。
お互いに括りつけている紐が、シュルシュルと中空へと延びていく。
まるで打ち上げ花火。きたねぇ花火だ。
今回だけは、爆発してもらっては困るのだが、大丈夫だろうか。
空へと遠慮なしに伸びていた紐の様子から、無事壁の向こう側にアントが降りられたらしいことが分かる。
よくもまあこんな高い壁から落ちても平気なものだ。
強化魔法が無ければ、良くても骨折程度は覚悟しなければならない、まさに力技。
紐が引っ張られ、僕の体に結び付けられた部分が張力を伝える。
くいくいと引き込む感覚がダイレクトに分かる。
始めに決めていた合図だ。
どうやら、上手く潜り込めたらしい。花火が見つかるかと、ヒヤヒヤものだった。
紐を手繰る様にして、壁をのぼる。
さっと上らないと、遠目からでもバレる。
壁の上まで登ると、身体を横倒しにするようにして乗り越える。ここまでくれば一安心だろうか。
足を先に降ろし、ぶら下がる様にしていた手を、覚悟を決めて離す。
自由落下の名の下に、かなりの高さを落ちていく感覚。
「ぐぇ」
「あ、アント。悪い」
着地の瞬間、アントの服を思いっきり踏んづけてしまったらしく、首の締まった鶏のような声がした。
これはマントか何かか?
「ハヤテ、お前は喧嘩を売っているのか。危うく首が折れる所だったぞ」
「ごめん。下が見えなかったんだよ。あ、それよりもあそこから入れそうだよ」
襟首を掴んできた猛々しい貴族様を、宥める様にして注意を逸らす。
ついでに、身体に結わえていた紐をほどいて、勝手口のような所から城に入る。
紐は、帰りにも使えるかもしれないので、アントの身体に何重にもして巻きつけておく。糸巻の芯、再びだ。良く似合ってるぞ、と褒めたら微妙な顔をされた。
勝手口は、どうやら厨房の方に繋がる扉だったらしく、開けた瞬間に良い香りが漂ってきていた。
平時は、恐らくここから食材や薪などを運び入れるのだろう。
たぶん別の所に人を集めているからだろうが、警備が甘いのは好都合だ。囮作戦は効果あったと言うわけだ。
速攻で料理人達を昏倒させたアントが手招きしてきたので、それに従う。
容赦ないのは、貴族としてどうなのだろうか。
「で、どっちに行けば良いんだろう」
「ははは、任せておけ。この先を右だ。更にその先に階段がある」
「階段を上に行けば良いのか?」
「当たり前だ。国王陛下が地下に住むわけ無いだろう」
「そりゃまあそうだけどね」
案外、地下室に軟禁なり監禁されているというのは有りうる。
地下牢というのは流石に無いにしても、病気療養を名目にするなら、強い日差しと乾燥が身体に悪いとかなんとか理由を付けて地下に連れて行くのは、可能性として有りだ。その方が、監禁しやすい。
だが、事前の情報によれば、恐らく今は自室に軟禁されているらしいと言う事だ。
一応は伯爵という肩書があるらしい青年は、昔にこの辺りをかなり詳細に探検したことがあるらしい。
初めて来た場所を、探検という名前でうろちょろするのは、全く貴族らしくない。貴族らしくはないが、アントらしいのはご愛嬌。
悪戯坊主の在りし日が、目に浮かぶようだ。
やや白みがかった壁に、寄り添うようにして静かに進む。
自分がエルフになったと思えるほどに、耳に意識を集中させる。僅かな音でも、聞き逃すことの無いように。
こういう隠密行動で、視覚ほどあてにならない物は無い。
壁の向こう、角の先、床の下や階段の上、扉の中にスカートの中。見たくても見られないが、確認しようとすると危険が伴う場所は多い。
何かが隠れていたり、隠していたりするのは、大抵が見えない所にある。
その場合に頼りになるのは、音。或いは匂い。或いは触感。或いは魔力の気配。
特に音は、離れていても聞こえると言う意味で重要だ。
出来る限り慎重に、かなり複雑な経路を進む。
迷路かここは。
【看破】を使わないと見つけられないような隠し部屋みたいなものまであったのは、どういう事か。
それとも、あえて複雑にすることで、守り易くしているのだろうか。
道を知らない人間が来れば、まず迷う。
アントのやんちゃな冒険癖には、感謝すべきなのだろうか。
途中何度か、歩哨で見回っている奴を、二人がかりの不意打ちで昏倒させておいた。
魔法のいいところは、静粛性にあるのではないだろうか。
既に来た道を忘れそうになるほどに、複雑な道を通っている時だった。
「まて」
ぐっと息が詰まる。
アントが、突然襟首を掴んで引っ張ってきた。一体今日何度目の首絞めか。
いきなりの事で、悲しくもないのに涙が目に浮かぶ。
僕は鵜飼の鵜ではないと言いたい。
「何するんだ」
抗議の声をあげようとしたところで、それを止められる。
アントは、右手の人差し指を自分の口に当て、他の指は握り込んでいる。
そして、開いた左手は僕の口を押えるのに忙しい。
「しっ。この先に、誰か居る」
そっと角まで近寄って耳立ててみれば、確かにガチャガチャと金属の音がする。
僅かにナイフの先を角の先にだして、反射鏡代わりに、身を隠しつつ先を伺う。
「確かに居るね。それも10人以上」
「厄介なことだ」
すぐにナイフの先を引っ込め、声を潜める。
20m以上はありそうな長い廊下の先。完全武装のナイトが少なくとも10人は居る。
「この先は何があるの?」
「陛下の私的な領域だな。そこの中から先がどうなっているかは、流石に知らんぞ」
それは当たり前だ。
私室の中まで熟知している人間なんて、相当王様と親しくなければ無理だ。
貴族の嫡男といえども、そうそう入ることも無いはず。
しかし、逆に考えればこれは大きな情報だ。
今回のクーデターで、国王の身柄を軟禁ないし監禁しているであろうことは幾つかの情報からほぼ間違いない。
その為に、厳重な警備がされているだろうことも事前に予測済み。
だからこそ、囮を使った。寡兵が多くの敵を誘導するのに、囮ほど良い手は無いからだ。
仮に囮と気づけたとしても、暴れているものを放置するわけにもいかないという嫌らしい手だ。爺様達のえげつなさは、コインの裏表、どちらが出ても損の無いように賭ける賭け方にあるらしい。
だが、相手さんも馬鹿では無い。
幾ら囮の方に兵を向けたとしても、大事な身柄の警備まで疎かにはしないはずだ。
逆に言えば、未だに遠くで囮ペアが大暴れしているらしい最中でも、警備が厳重なこここそ、陛下が居る可能性の高い場所と言う事。
敵の親玉が居る可能性もあるが、国王陛下の私室というのなら、敵にとっては慣れない場所のはず。
万が一の事態も避けたいのなら、どんな仕掛けがあるか分からない陛下の私室に籠るよりは、自分が知っている場所に籠るはずだ。例えば謁見室とか。
陛下が居るか、親玉が居るかの2択か。
「相手の力量はどう見積もる?」
「甘く見るのは危険だな。それぞれにアラン殿程度を見積もっておけば確実だろうが」
「あの人が10人とか、どう考えても勝てる気がしない」
赤毛の大男が10人で襲ってくる様を思わず想像してしまった。
駄目だ、一目散に逃げ出す以外で、無事でいられるイメージが浮かばない。
「倒すのは危険か?」
「あの10人だけならまだしも、戦う最中に増援が来たら泥沼だと思うよ」
「身を隠しつつ近寄るのは?」
「この見通しの良い直線廊下で? 何処にも身を隠せるものが無い以上、見つけてくださいと言っているようなものでしょう」
下手に戦闘になり、長引けば恐らく増援が来る。そして、敵の増援がどれくらいかは見積もりが出来ない。
楽観視を捨てるとして、厳しめに見積もれば、ここでの戦闘は避けたい所。
だが、その為の手段が無い。
強行突破は愚策。奇襲もこれだけ距離があれば難しい。
敵の歩哨の身ぐるみを剥いできて、成り代わるのも考えた。だが、僕のように小柄な歩哨は居なかった。成り代わるのは物理的な制約が厳しい。
偽伝令はどうかとも思ったが、僕らが本物の伝令を知らなければボロが出てすぐにばれてしまう。
この位置取りを活かして魔法で狙撃、というのも、あの数相手にとなれば強行突破と変わらない。
やはり手が無いか。
いや、違う。
方法が一つだけあった。
少数の人間で、大多数を相手にする時の常套手段。
「アント、囮になってみない?」
「何?」
「美味しそうな餌になって、あそこにいる連中や、増援としてきそうな連中を丸ごと別の場所に釣り出す。その間に、僕があの先に行く。想定される間取りからして、恐らくそんなに中は広くないはずだから」
「それならお前が囮でも良いだろう」
「僕はこの城には不案内だ。囮といえど、行き止まりに追い詰められれば危険だし、つかず離れずでおびき寄せるなら、王宮内部に詳しくないと」
伯爵閣下は苦虫を噛むような顔をした。あからさまに嫌そうな感じだが、僕の懸命な説得の末に最後は結局折れてくれた。
「なら、さっき見つけた隠し部屋で落ち合おう。あそこなら敵方も知らない場所だろう。そっちも上手くやれ」
そのままため息を一つ残して、ゆっくりと、かつ堂々と歩いていった。
僕は、少し離れた所に隠れる。
「止まれ。貴様、何者だ!!」
当然、護衛の騎士達には剣を向けられているのだろう。
予想通り、アントを呼び咎める声が聞こえる。
金属音が複数したところからして、全員抜剣したはずだ。ある程度離れているはずの僕の所まで、ビリビリとした殺気が伝わってくる。超高層の展望台で、下がガラス張りになっている床の上に立った時のような気分になる。大丈夫だろうと頭で分かっていても、何故か無性に恐怖感を覚える感覚。きっと騎士達も相当の手練れに違いない。
さて、伯爵殿は上手く引きつけられるだろうか。
頼むから、簡単に打ち取られるような真似はしてくれるなよ。逃げ切れると信じているぞ。
そんな中、アントが声をあげる。
「やあやあ、遠からんものは音に聞け、近くば寄って目にも見よ。我こそは王国に巣食う悪鬼を打倒せんと参上したる正義の剣なり。そこに居並ぶは腐った瓜か。それとも梨か。我こそはと思うものあらば、掛かってこい。我が剣の錆にしてくれる」
おい、こら。
もう少しましな挑発の仕方は無かったのか。何処の歌舞伎役者だ。あいつは心配するだけ損だと確信した。僕の緊張を返せ。
何より、それだとあからさまに過ぎるだろう。
幾らなんでも、それで掛かってくるような脳筋なんて居るわけが……
「何を抜かすか小僧が。王宮に押し入りただで済むと思うな。全員掛かれ!!」
「「おぉぉ!!」」
居たよ。
騎士というのは、単細胞の集まりなのか。
いや、どこぞの赤毛は、大男でも総身に知恵が回っていた。
となると、ここに居る連中は血気盛んな連中が揃っていたと言う事だ。
或いは、見張りとして必要なのは、頭では無く腕っぷしと判断されたと言う事だろうか。
それとも何か、腕っぷしを重視せざるを得ない事情でもあったのか。警備を厳しくする事情があったとか。陛下が脱走を企てたとかが臭い。
不味いな。
アクアやスイフの方に、知恵者が揃って出ている可能性が出てきた。
急がなくては。
撃剣を打ち合う音が、大音量で遠ざかっていく。どうやらアントは美味しそうな餌に見えたらしい。見た目は勇者っぽいし適役だろう。
十分に相棒が引きつけてくれたところで、廊下を走る。
「何者だ!!」
一人だけ、見張りが残っていた。
流石に全員釣られるというのは、虫が良すぎたか。
パーティーメンバー皆の囮っぷりを無駄にしない為にも、一足飛びに間合いをつめる。
二合ほど打ち合った後に、魔法で目をくらます手を使い、注意を引いて昏倒させる。
勢いよく、壊し気味に扉を開けて中に入った。
メイドか何かの控室らしき部屋だが、そのまま走りぬける。さらにその奥の立派そうな扉を開ける。【鑑定】ではこの先が王の私室。
そして中に飛び込む。
「何事か!!」
そこには、高そうな服を着た二人の男が居た。




