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水の理  作者: 古流 望
5章 A
75/79

075話 三巨頭-2

 暗い室内。

 中に居るのは腹心の男と私。そして“アレ”だけ。


 『首尾は?』

 「順調だ。既に騎士団のほとんどを抑えた。我々の子飼いと、王子配下の騎士団は問題ない。王派閥の貴族の兵は、自分たちの領内の魔物に掛かり切り。やつらの息が掛かった騎士団もそれに戦力を割かれている。後は近衛の第一騎士団と、王女配下である第三騎士団だけだな」

 『手はあるのか?』

 「第一騎士団に、今回の警護をやらせるつもりだ。それで手薄になる瞬間を狙う。第三騎士団についてはどうするかだが……何か良い手は無いか?」


 神妙な様子で立つ男に目線を変えつつ尋ねると、待っていたと言わんばかりの喜色を滲ませつつ話しかけてくる。

 余計な事は何も言わず、必要な時には必要な事を言う。これこそ部下の鏡だと称賛の想いを新たにするが、それを口に出すことは無い。


 「伯爵殿のご子息が残した置き土産を、けし掛けるのは如何かと」

 「あのバカ息子か。親の方はまだ使えるが、息子の方はてんで役に立たん。また何かしでかしていたのか」

 「お耳を……」


 さりげなく寄ってくる部下。

 こっそり耳打ちされた言葉に、私は思わずにやけてしまう。


 「それでいこう。手筈はお前に任せる」

 「はっ」


 慇懃に頭を下げて部屋から出ていった男を頼もしく思いながら、私は目の前のソレに話しかける。


 「手は打った。問題無かろう」

 『ならば良い。くれぐれも例の伯爵子のようにならぬよう気を付けることだ』


 そう言って目の前から消えていった黒い影。

 不気味さを感じなくもないが、それ以上に興奮が燻る。


 「くくく……もうすぐこの国は私の物だ」


◆◆◆◆◆


 ケルベロスが駆ける。


 二匹目のケルベロスとは異常だ。もしかしたら、つがいなのかもしれないとも考える。

 異常であるが、それを言っている余裕も無ければ、斟酌するゆとりもない。

 つい口に出るのは罵倒の言葉だけ。


 「この畜生が、二匹も居やがるとは」

 「団長、どうしますか!!」


 周りを見れば、疲労を目に浮かべたものばかり。


 どうするか。

 そんなことを考えるまでもなく、逃げるか戦うかの二択でしかない。


 逃げる選択肢は無い。

 ここで俺たちが逃げたとして、足は間違いなくケルベロスの方が早い。

 撤退しながらの戦闘がきわめて難しいのは言うまでもないのだから、犠牲がそれなりの数になることを覚悟しなければならない。ならば、ここで踏みとどまって、犠牲を覚悟に戦うのと変わりがない。

 それに、俺たちが逃げたとあっては、我が国の騎士団の面子は丸潰れになる。

 倒せない相手ならまだしも、騎士団が被害を恐れて逃げるわけにはいかない。最後まで倒す覚悟を持ててこその俺たちだ。

 まして俺たちの後ろには数多の人々の営みがある。それを守らずしてなんの騎士団か。


 戦うしかない。


 しかし、疲労の色が濃いこの状況では、まともに集団戦をやっても無理がでる。万全であってもかなりの負傷者の出た相手だ。幸運にして死者こそ居ないものの、重傷者も居る。だが、今まで通りのやり方のまま連戦となれば間違いなく死者がでる。それも複数。

 櫛の歯がまばらに欠けるように、より負荷の強いところや、比較的余力のない奴らから犠牲になる可能性が高い。

 それは何とかして避けるべきだ。


 騎士団の強みは連携の巧みさにあるが、その連携が活かせなくなれば、結局は個人技の優劣で畜生と雌雄を決するしかなくなる。

 否応なく死傷者が増え、連携が取り辛くなるか。或いは疲労や魔力の枯渇で連携が難しくなるか。

 遅かれ早かれ、いずれは個人の力量に頼った戦いになるのは間違いなさそうだ。


 咄嗟にそう判断した俺は、声を張り上げる。


 「持久戦を覚悟しろ。散開して各個に対応。攻め手は俺と各班長のみ。他は身を守ることを最優先にしろ。いいか、死ぬなよ!!」


 いずれ各個に戦うというなら、こちらから先手を打つ。最初から個人技を活かす戦い方を選ぶ。騎士団らしからぬと言えばらしからぬ戦い方だが、やむを得ない。

 でかぶつは頭が三つだが体は一つだ。意識をばらけさせれば、守るだけなら俺の部下はしのぎ切ると信じる。

 攻め手を選り抜きにすることで、有効な手数自体は減る。どうしても持久戦になるだろうが、それも覚悟の上。


 「団長!!」


 騎士の一人が叫ぶ。

 その声を聞くまでもなく、体が動いていた。


 人の頭よりも大きな火の玉が、横っ飛びに避けた俺のすぐ脇を通り抜ける。僅かに痛みを感じたのは、火傷でも貰ったせいか。

 火炎の魔法が独特な臭いをまき散らしながら、背後に熱風を残していく。

 駄犬風情が、火傷の礼は高くつくと思え。


 密集陣形では、避ければ後ろの連中に当たる。受けるか、対抗して魔法を打つかの二択が大きな比重を占める。

 だが、散開陣形では避ける選択肢も重要な選択肢になる。

 狙い通りに自由度の増した動き。


 「嫌になるな、全く」


 騎士団の長という役職に就いてから、それなりに経験も積んだ。

 苦労を重ねて、手に入れてきたものもあれば、失ったものもある。

 久しく忘れていた感覚を思い出しそうだ。

 そう、自分の力だけを頼りに、一人で暴れていた頃の感覚。


 「俺に構うな。良いか、くれぐれもまともにやりあうな。攻めは俺たちに任せろ」


 攻め手役の班長どもに目を向ければ、どいつも気合がみなぎっている。全く持って頼もしい奴らだ。

 決して軽くない負傷もあるはずなのに、目だけが輝く様は、一種異様な感じを受ける。


 須臾《しゅゆ》、僅かな違和感から体を捩れば、俺の方に人が吹っ飛んできた。

 若手が一人、ケルベロスの前足に掠ったらしい。

 巨犬の足は例え片足一本でも、その質量は大の男を背負うより重い。憎々しい塊が、鋭利な爪を伴って振り回されるのは、如何に鍛えた騎士でも脅威だ。


 飛んできた騎士が受け身を取りつつ転がる。風に吹かれる紙玉のように地を跳ねたところで、動きを止める。肩口は大きく抉られたようで、赤い色を際限なく広げている。額からも同じ色の液体を流す様は痛々しい。

 かなり深手のようで、そいつはふら付く様子を見せた。よろつく足元が如何にも危なっかしい。

 こりゃ死に体だな。今すぐ治療に専念しなければ、死ぬ。


 「お前は下がれ。いっそ見つからん所に隠れていろ!!」


 まだ経験の浅い若手。団の中では最も若い団員だ。それだけに、実力も将来性を期待するにとどまっている。下手に前線復帰させるぐらいなら、魔獣の大暴れして出来た窪みにでも隠れている方がマシだ。それで落ち着けば怪我の応急処置と体力回復ぐらいは出来るはずだ。


 それでもあえて言えるとするなら、素直なのが若手の良い所と言える。隠れろという俺の言葉を、素直に聞いた。

 これが下手に経験を積んだ奴だと、多少無理してでも前線に飛び込もうとするものだ。

 若い怪我人が縺れるようにして、まだ掘り返された土色も新しい穴に倒れ込んだのを見届けたところで魔獣に向き直る。

 そいつが隠れた穴を偽装し、例え間近に寄っても穴が見つからないように小細工しつつ俺は声を掛ける。


 「いいか、お前は隠れていろ。落ち着いて怪我を治療しておけ」


 そう言い残し、迷彩が済んだ穴から離れる。これで目を凝らしても何処にいるのか分からなくなった。

 軽く前に出て、飛んできた火の玉を剣で払う。時を置かずに氷の玉を弾く。その瞬間、剣が根元から折れた。急激な加熱と冷却。剣には酷なことだろう。急ぎ後方で治療中の奴から剣を投げ渡して貰う。


 小器用さも持ち合わせた敵のようで、動きの速い小さな玉を間断なく飛ばしてきやがった。常人なら目で追うのも難しいだろう。

 一つ、二つと数えるのが馬鹿らしいほどに飛んでくる握りこぶし大の橙赤を、全て剣で斬り裂いていく。流石にこの速さで剣を振るうのは俺とて無理が出る。斬りそびれた幾つかが身体に当たり、慌てて火を払うが、また火傷ぐらいはしただろう。かなり鈍い痛みが襲ってくる。

 やってくれるな、糞犬が。


 こちらが回避主体の陣形を取れば、回避の難しい手を打ってくる。いっそ憎らしいほどに強かな攻撃だ。

 苦汁を舐めるような思いで、そのままケルベロスの懐近くまで飛び込む。そこなら流石に火玉は飛ばせまい。


 そこでふと、遠目に僅かな動きを感じた。かなり遠くだが、何かが居る。三頭獣の股の間から、ちらりと見えた。

 クソッタレな巨犬を躾けながら、指示を飛ばす。これでもし、もう一匹なんて話なら、その時は本当になりふり構わず逃げるしか手が無くなる。


 「おい、誰かこいつが来た方角で何か居ないか見てみろ。俺は今、手が離せん!!」


 巨体の質量を十二分に載せた前足。それを強引に跳ね除けながら、後ろにのけ反る。

 頬に、風魔法で飛ばされた小石が当たり、それが今だ他の連中が奮戦している証に思えた。


 人すらも吹き飛ばしそうな暴風を躱した所に、風に乗って喜色を帯びた声が届く。

 何処か聞き覚えのある騎士の声。


 「団長、第二騎士団の旗が見えます。援軍です!!」


 周囲からは歓喜の歌が聞こえだす。

 その声に、俺はなるほどと得心がいく。

 さっき、デカブツの股の間から見えたものは、それだったのかと。


 援軍。

 ならばと、陣形を組み替えるよう指示を飛ばす。


 「全員俺の方に集まって横列。この犬っころを第二の奴らの方に追いたてるぞっ!!」


 助けが来たのだと喜ぶ我が第三騎士団の団員。

 無理もない。ケルベロスとの連戦で、無事な人間が一人も居ない有様だ。

 死人が出ていない事すら、単に運が良かったからだと思えてくる。


 「それ!! 押せ押せ!!」

 「おらぁぁ!!」


 全員抜剣の上で、一揃いの横列。剣の列を並べて追い立てる。魔法を牽制と防御に放ちつつ、じりじりと押し出すように移動していく。日頃の訓練で嫌というほど叩き込んだ動きだけに、疲れ果てても体が覚えているようだ。

 徐々にはっきりと見えてくる第二の旗。

 うちとは違って、王国の紋章が赤字に白抜きで描かれている。

 彼らが近づくにつれ、この戦いも終わりが近いという予感も出てきた。


 「ぐぎゃぁぁぁぉ」

 「いいぞ、そのまま押しこめ!!」


 背後にも敵が迫っていると感づいたのだろう。僅かに後ろを気にするそぶりを見せたケルベロス。

 忌々しくも三つある頭のうちの一つが、背中の方を向こうとしたところで、第二班辺りから飛んだ魔法が彼奴の後頭部に当たった。よし、よくやった。

 その痛みからか、他の二つの頭と揃って、大声で吠えた。

 それを切っ掛けに、俺たちは一層押し込む力を増す。


 最後の力を出し切る様な攻勢は、成果を上げる。ついにケルベロスは、俺たちから完全に背を向けて、逃げ出しはじめた。

 突風のような動きは相変わらずだが、最初よりはやや鈍っている。軽く片足を庇うような動きをみせつつ、それでも尚、人の足より速く巨犬は駆け出す。

 だが、それは畜生の浅知恵だ。


 散々やり合って、俺たちを手強いと認めてはいたのだろう。

 だからこそ、新しく現れた背後の敵を始末すれば逃げ切れると踏んだ。そこまではまだ良い。

 しかし、そいつらは俺たちのように鍛えられた騎士団だ。おまけに俺たちと違って疲労はしていない。どう考えても逃げた方が手ごわい連中を相手にすることになる。

 これが盗賊のような知識と知恵を持つ連中なら、無傷の第二騎士団より負傷兵の混じる俺たちを押し込もうとしたに違いない。

 そちらの方が、まだ逃げ切る可能性がある。


 やや離れた所まで来ていた見慣れた騎士鎧の集団から、一斉に魔法が飛ぶ。俺たちも同じようにデカブツに向けてなけなしの魔力を振り絞る。隙の大きい、とっておきの魔法を叩き込んでいる連中も居た。


 「おらぁ、死にさらせ!!」

 「このクソ犬が!!」


 怒号。罵声。喧騒が、風火水土木の魔法に乗ってけし掛けられる。


 一拍か二拍の間があり、ひと際大きな音が辺りに轟く。それを合図にしたのだろうか。途端に周囲の声が収まる。


 もうもうと立ち昇る土煙が晴れたそこには、四方から魔法をまともに喰らったケルベロスが倒れ込んでいた。

 起き上がる様子は……ない。


 「やった、倒したぞ!!」

 「うおぉぉ!!」


 まるで戦争に勝利したかのような歓声。勝鬨をそこかしこで上げる我が団員たちの顔色は、さっきまでの疲労をどこかに置き忘れているような晴れ晴れとしたものだ。


 「お前たちもよくやった。今のうちに負傷者は治療を行え」

 「はい!!」


 それぞれの班が、それぞれに負傷治療の準備を始める。

 俺は団長として、援軍に感謝の意を述べようと考えて第二の連中の方に歩を進める。

 そこで違和感を覚えた。


 痛む脇腹を抑えつつ、肩口の火傷を庇いながら近づくにつれ、その違和感は大きくなる。

 その正体は何だろうか。


 ケルベロスの三つ顔。それが全て怒りに満ちた顔で死んでいることだろうか。

 いや違う。

 確かに感情豊かな三頭犬の、三面が全く同じ顔をするのは珍しいことであり、異様にも見える。

 だが、自分が死ぬ間際。望まぬ死を迎えるのならば、揃って怒りを滾らせてもおかしくない。


 違和感の正体。

 それは第二の連中が未だに臨戦態勢を崩さないことだ。


 うちの連中が剣を収め、負傷者の手当てをしようかとしている時にも、未だに抜剣したままこちらに刃を向けている。

 目の鋭さは揃いも揃って俺たちに向いている。


 「久しぶりだな」

 「ああそうだな。危ない所を助けて貰って感謝する」


 問いかけてきたのは茶髪の男。

 何度も見かけたことのある第二騎士団の団長で、顔なじみでもある。


 「それには及ばない。それよりも、第三騎士団の諸君には武器を捨てて貰おう」

 「なに?」

 「武器を捨てて投降せよと言っている」


 ぎらりと光る剣の群れ。


 「何を冗談言ってやが……」


 俺の言葉は最後まで言えなかった。

 相手が俺の喉元に剣の先を突き付けてきたからだ。


 「もう一度言う。投降しろ」

 「……理由を聞いても良いか」


 いきなりの事に、周りの連中も戸惑っている。

 部下たちは治療の手を止め、何事かとざわめきだした。


 「貴君らを捕縛するよう、我らに命が下った」

 「……馬鹿らしい。何で俺たちが捕まえられなきゃならん」

 「我々にもそれは分からん。だが、謀反の疑いがあるとは聞いている。公爵閣下が国王陛下の代理として王命を下した以上、我々はそれに従う。抵抗するなら戦闘も許可されている」


 本気の目。

 それだけに威圧感も本物だ。


 「返答や如何に」


 ゆっくりと逆巻く風。

 それが目の前の男の剣を取り巻くようにして集まっていく。

 反抗すれば、即座に戦闘するという意思表示だ。


 普段なら、こいつとは相性の差もあって割と分の良い勝負が出来る。第三の連中は俺がみっちり鍛えているから、第二の奴らにも引けは取らない。

 だが今は無理だ。

 どう考えても負傷の度合いが大きすぎる。

 選択の余地は無しってか。腹立たしい。


 「分かった。投降して指示に従おう。だがその前に、二つ頼んでも良いか」

 「何だ」

 「負傷者の手当てを願いたい。それと、知らせを町にやりたい」


 負傷者の手当ては急務だ。

 それが出来ずに放置すれば、傷が化膿してしまったり、治癒系の魔法でも治らないほどに痕が残ってしまったりする。下手に曲がって骨がくっつけば、歩けなくなるものだって出てくるだろう。最悪騎士を引退することになる。


 「負傷者の手当ては、大人しく捕まるのなら勿論行う。我らとて幾ら謀反の容疑者といえど、仲間だった者を無体に扱いはしない。だが、知らせは出せない」

 「何故だ。知らせの一つぐらい出しても構わないだろう。心配する連中に、事情の一つも知らせたい」

 「これも公爵閣下からの御命令にあった。身内の恥になるやもしれぬし、証拠隠滅を図る恐れもあるから、事は出来る限り秘密裏に行えとな」

 「……そういうことか。分かった、大人しくしよう」


 手回しの良いことだ。ここまで来ると悔しさも何処かへ飛んでしまう。


 俺が剣を投げ捨てたのを見て、部下たちもそれに倣う。

 念のためだと前置きされて、身体を縄で拘束される。

 連れて行かれるにあたって、俺は一言大声で叫んだ。


 「ああ、クソッタレ。こんなことなら、冒険者ギルドのクソジジイにでも知らせをやっておけば良かったな!!」


 何事かと剣に手を掛けた第二の奴らを制し、単なる鬱憤晴らしの独り言だと宥めた。

 痛む身体を、尚一層痛めつつ歩く。

 大袈裟に痛そうにして、俺に注意を向ける様に仕向ける。


 もしこの時、第二の奴らが俺たちの数を数えていたのなら、若手が一人足りないことに気付いていただろう。

 そして、ケルベロスから隠れていた一人を見つけていたかも知れない。

 俺は、心の中で声を発した。


 ――頼んだぞ


 ◆◆◆◆◆


 王国でも屈指の大都市である商業都市サラス。多くの人間が、日々を精一杯暮らす営みの集合。

 その中にあっても、特に忙しい人間というのが存在する。

 国の安全を守る騎士、庶民の安心を保つ冒険者、日々の政務をこなす貴族、或いはそれらを取りまとめる王族。

 共通するのは、それら全てに何がしかの力があると言う事だろうか。武力であったり、権力であったり、或いは両方であったり。

 強い権力を持つものは、当然ながらそれに比した責任が伴う。その責任を担う覚悟と自負を持つものであれば、忙しさは極め付けだ。

 例えば王女付の筆頭政務官や騎士団の責任者、冒険者ギルドのギルド長や魔術師ギルドの実力者などは文字通り目が回るほどになるだろう。


 そんな忙しい方々に、お集まり頂く機会は少ない。

 一人二人が、時間を見つけて会合を持ったり、或いはパーティーに出たりというのは、あり得るかもしれない。

 だが、社交でも無い場に集まる。それも複数人集まるとなると異常事態になる。

 いや、異常事態だからこそ集まるというべきだろうか。


 冒険者ギルドの一室。

 機密保持にはこれ以上ないほどの防護が備えられた部屋で、そんな異常事態が起きている。

 普段であれば、私のような一介の新人騎士などは顔を合わせる機会も珍しい重鎮が、難しげな顔を並べている。


 「報告は以上です」


 私が報告したことで、居並ぶ面々の顔に深い困惑の色が浮かぶ。

 居並ぶのは冒険者ギルドのギルド長、魔術師団の前総長兼相談役、第三騎士団団長代理、王女殿下付筆頭政務官というそうそう錚々(そうそう)たる面々。

 もしここに、私たちが戦ったケルベロスが襲ってきたら、この街の混乱は極まる所だろう。

 いや、案外、この人たちなら何とかしてしまうのだろうか。


 「予想よりも展開が急じゃな。困ったことになった」


 冒険者ギルドに集まった面々のうち、一人がつぶやく。

 その言葉には明らかに疲れが感じられた。

 冒険者ギルドサラス支部の長。その肩書を否応なく実感させられるほどに、重々しい口調。


 「あんたは昔っからそれが口癖じゃないか。むしろ困ってなかった事の方が珍しいよ。現役だった頃から成長してないんじゃないかい?」


 それに応えたのは、美女であった面影を今も残す女性。

 昔はさぞかし数多の男を魅了したであろう顔には、その叡智を讃える様に皺が刻まれている。


 「エッダよ、儂は今でも現役じゃよ。何ならその身で試してみるか?」

 「面白いじゃないか。あたしも最近楽しい事があって血が騒いでいた所さ。二十年前の決着を今付けてやろうじゃないか」


 剣呑な雰囲気。

 弱い魔物ならこれだけで一目散に逃げ出すだろう。


 盛んに口論を飛ばし始めるご老人二人は、やがて昔の悪行を互いに罵り合うまでに至った。

 それに割って入ったのはよく通るはっきりとした声。


 「今はご老人方の昔話を聞くときでは無いでしょう。それよりも、我らの団長が捕縛されたことについて、皆さんの見解をお聞かせいただきたいですな」

 「そうですね。現状を整理したいのですがよろしいですか」


 まるで知り合いの痴話喧嘩でも宥めるような声。

 この場に居るものは私を除いて皆それなりに地位のある人間のはずだ。

 それだけに、宥める方も若干の呆れがあったのは仕方のないことなのだろう。


 口喧嘩は止めたものの、一切悪びれず、それどころかさも相手の方が悪いのだという様子の老人と老女。

 この二人が、この国でも屈指の名士であり、名高い実力者であると知らないものからすれば、きっと笑っていたことだろう。


 「そこの騎士からの報告によれば、団長含め第三騎士団の主だった面々が捕縛されたということでしたな。重ねて聞くが、その報告に相違ないか?」

 「はい、間違いありません。正しくいえば、遠征に行かなかった居残り組と私を除き全員です」


 私への突然の詰問。

 胸を張って答える。


 「そこな騎士が町に戻ってこられたのは、恐らく運が多分に含まれておるの。儂の推測でしかないが、今までのことから考える限りでは、あの公爵閣下が儂らに報せの届くような真似を許すはずもない。防ぐ為に手を打っていたはず。まあ大方、魔獣の戦闘のどさくさで、隠れたか逃げたかしたために帰れたといった所じゃろうて」

 「そうさね。本来であればこの話はもっと遅れて届けられるはずだったろうさ。元々の目的が揃っての遠征という上に、全員が捕まっていたはずだからね。それなら騎士が町に帰って来なくても、誰も不思議に思わないだろう」


 流石の見識だ。

 概略を聞いただけでも、その場で起きたことを正確に推察しているのだろう。


 確かに、私が町まで戻れたのは団長の指示以外にも、運が良かったからだと言い切れる。

 うっかり負傷し、偶然穴があり、やむを得ず隠れて、たまたま第二の連中が確認を省いた。

 運がいいという言葉だけでは片づけられない。奇跡に近い。


 「しかも、それが公爵閣下の命令となると、ことはただならぬ状態のようですな」


 本来、騎士団は指揮命令系統がきっちり決められている。

 貴族の、それも公爵領の私兵であれば公爵閣下の命令で動くものも当然ではあるが、王家の騎士団を動かしたという意味合いは重たい。


 「うむ、公爵派がいよいよ国獲りに動いたとみるべきじゃろう。そして、動いたからには用意は周到じゃろうて。王女殿下と近しい騎士団を謀反の疑いで捕えようとするのがその証拠よ。王女殿下は陛下に可愛がられておるしのぅ」


 公爵派が王家と。とりわけ現王陛下と不仲であったことはある程度の地位にあるものであれば周知の事実であったらしい。

 その公爵が自分の名前で軍を動かしたとなると、確かにその可能性は高いと言える。


 「さし当たって、国王陛下に退位をさせて、自分がその椅子に座ろうって腹じゃ無いかい?」

 「或いは自分の息が掛かった王子を据えて、後ろ盾に就くか。何ともきな臭い話よな。しかし、そう簡単に陛下が退位を表明するとも思えんがの。まさか力づくというわけにもいくまい」

 「それについて、ひとつ気になる命令書を、団長から預かっているのですが……。自分に万が一の事があれば皆さまにお見せする様にと言付かった上で」

 「ほう」


 皆の目が、騎士団長代理の男に向く。

 私の場合も同様だ。

 町の留守と、遠征で抜ける交代要員の引き継ぎに残っていた為に、難を逃れた団員。

 この町には、第三騎士団として所属していた団員は副団長のこの人を含めて数えるほどだ。彼は、何故か居残りを強硬に主張したと聞いている。

 恐らく、内密に何かしらの機密事項を聞いているのだろう。


 王家の封印がされた便箋。

 それをこの場に居る全員が確認したのち、封が開けられる。

 誰かの、軽く唾を飲む音が聞こえる。

 ややあって、それが自分のものであると気づいた。

 私のような末端が、陛下の命に直接触れる機会と言う事で、知らずに緊張していたのだろう。

 読み上げられた内容に、私は驚く。


 『この手紙を余の信頼する第三騎士団長に預けた。余は近々病となるであろう。その報せが余に(あら)ざる者より発せられた物であれば、それは偽りであるとせよ。フェニキア国第十二代国王の名のもとに命じる』


 これは、重大事では無いだろうか。

 誰知らず、顔を見合わせて様子を探る。


 「陛下は、自身が軟禁でもされることを予想していたということかね。大方、風邪でもひいたことにして、これ幸いと陛下の与り知らぬ所で重病に仕立てでもしたんだろうさ。誰だって咳の一つもすることぐらいあるだろうし、口実は幾らでも付けられただろうね」

 「仮にそうであったとして、我々はどうすべきかでしょう。さし当たって私どもは国王陛下のご安全を最優先に、情報の確認をしたい。もしも監禁なり軟禁なりされておられるようなら、速やかに御救いせねばならぬと思っていますし、事によれば首謀者との対立もありうる。無論のことながら、ここに居られる皆様にもご協力を願う次第」


 至極真面目な顔をした男がそう言った。


 「政務官殿、魔術師ギルドは政治的中立を謳っている。もしも公爵閣下が国王陛下に無体を働いていたとしても、それはあくまで王宮内部の権力闘争。公爵閣下にも、言い分やそれなりの大義もあるだろうさ。あたしらが下手に出しゃばれば、政治的に特定の勢力へ加担したとみる輩も出てくるよ。それは避けたい。個人的な心情で言えば政務官殿に賛成するがね」


 エッダ女史の言葉に、政務官は渋い表情を僅かに浮かべた。

 言われることは分かっていたが、改めて現実を突き付けられたと言う事だろうか。


 「我が騎士団としても動き辛い。治安維持と引継ぎの任務を放り出すわけにもいかないですし、何より団長含めて丸ごと人質に取られているような状況です。第一、あらかた捕まえられて、残っているのは私と、報告した彼を含めても三人ほど。とても動ける状況ではない」

 「それは我々王家に仕える者も同じことです。陛下のご病気の真偽はともかく、最悪の場合、陛下の玉体をもって我々の枷と成すことは有りうる話です。王の勅命と言う形を取られてしまえば、我々としては動きようが無い。幾らこの陛下の命があるとしてもです」

 「冒険者ギルドは、基本的には中立じゃな。エッダの所と、事情はあまり変わらん。依頼の内容次第では、動ける者もいるやもしれんと言うのが救いかのう」

 「となると、多少なりとも動けるのは冒険者ギルドだけと言うことになりますか。何とも業腹なことですな」

 「公爵閣下の陣営にも、それなりに智謀に優れたものも居るということじゃろうて」


 公爵派のクーデター。その疑いは極めて濃厚ではある。

 だが、証拠が無い。

 我が騎士団は王女と近しく王派閥寄りだそうだが、団長始め主要な面々が捕縛されて動きが取れない。

 中立的な立場である冒険者ギルドや魔術師ギルドは、今回は表だって動き辛いということか。

 これが魔物相手なら、両組織も堂々と動ける。だが今は、傍から見れば何の問題も起きていない。御病気の陛下に代わって公爵閣下が政務を代行しているだけというのなら、それには何の問題も無いからだ。しかも、今はまだ我が騎士団に謀反の濡れ衣が着せられただけだし、おまけにそれは公式なものでは無い。

 政務官殿が仮定の上で動きたいと言っても、それで動ける人間は思った以上に少ないと言う事だろうか。


 「では、このままで良いのですか?」


 その問いには、皆が揃って苦い顔をした。


 「公爵閣下は、こういっちゃなんだけど良い噂の無い人さね。それが国の上にたつとなると、あまりいい顔は出来ないよ」

 「儂も、国王陛下の治世には問題なかろうと思っておる。それに要らぬ波風が立てば、困るのは儂ら下々の者じゃ。個人的な意見を言えば、それを見過ごすのは人々の安寧の為にあるギルドの本旨に反すると思っておる」

 「ならば冒険者に指名依頼を出すと言うのはどうでしょう。秘密を守ることを契約に含めた上で、実力をもって強硬偵察を行うのです」

 「……なるほど。ふむ、とりあえずその方法論を良しと仮定したとしても、誰にやらせるかが問題になりそうじゃな」


 確かに、冒険者に依頼を出すのなら、人選が大事になる。

 下手に選べば、時間の限られた状況で、貴重な時間を浪費するだけの結果にもなりかねない。


 「『赤い風』の連中はどうです。彼らならBランクとして、実力は申し分ない」

 「あ奴らは金に汚い。公爵派の連中に大金をチラつかせられると、どちらに転ぶか怪しいものじゃ」

 「なら『大槌ふるう者』の連中はどうだい。あいつらは、正義感の強い連中ばかりだ。それはあたしが保証できる」

 「確かにの。だが、人柄はともかく、彼奴らでは実力が足りん。公爵派騎士団の団長クラスとやりあう可能性を考えれば、無茶というものじゃ」

 「ならいっそ、魔術師ギルドの精鋭を選抜すると言うのは如何でしょうか」

 「それこそあり得ないな話さ。王都を手当たり次第に潰せと言うならともかく、接近戦や直接戦闘、そして隠密行動の苦手なうちの連中には一番無茶な仕事になるだろうさね。何せ魔法は大なり小なり派手なものだからね」

 「なら、冒険者や魔術師の合同チームで得意分野を活かすというのはどうです」

 「拙いチームワークでは意味が無いじゃろう。急ごしらえの臨時パーティで、良い成果が出るとも思えん」

 「そうはいっても……」

 「だから……が……」


◆◆◆◆◆


 その後も長い間話し合いは続けられた。

 気づけば夜も遅く、真夜中をとうに過ぎていた。

 それだけ重要な話だったのだろうが、一介の騎士である私には分からないことだらけだった。


 何か手を打つべきだという意見はまとまったらしく、今回の件での賛成意見も反対意見も出揃ったようにみえる。


 「結論とすれば、人をやって状況を確認する。その上で、陛下に直接お会いするのが望ましい。出来れば安全な場所にお連れしたい……と」

 「更には、それを出来るだけ秘密裏に……かい。それでいくにしても、やっぱり人選が難しくはないかい?」


 確かに、傍から聞いていても、人選は難しそうに思える。

 というよりも、見つけることは不可能に近いだろう。いや、不可能だ。


 まず、魔術師ギルドと冒険者ギルドの双方が信頼し、かつ伝手がある人間でなければならない。出来れば冒険者か魔術師。

 その上、政治的に中立ないし王家よりの立場でなければならない。理想は王家か王女殿下と繋がりのある人物。

 こうなってくると、かなり数が絞られてしまう。

 元々魔術師ギルドと冒険者ギルドは、支部長と元総長の個人的な諍いを抜きにしても仲が悪い。その双方から信頼されるに足る人物なんて、そうそう居るものでは無い。


 更には、万が一にも貴族や騎士の妨害があった場合に、対抗出来る程度の地位を持つか、対抗出来る貴族への人脈があることが求められるものの、今後の政治介入を避けるためにも他国に所属する人間では無いことが求められる。


 指揮権が押さえられている可能性から騎士では無い人間が望ましく、同じような理由から騎士を目指している冒険者や、国や公爵派貴族へ仕官しようとしている魔術師は不適格。

 しかし、王都に潜入し、ことによれば一戦もありうることから、相当程度の実力が必要。

 最悪の場合、他の騎士団の面々と争うことになる。団長クラスの連中と、圧倒は無理にしても、対抗できる程度の実力が最低限必要だ。

 大抵の実力者は騎士や仕官を目指すものだし、実力者には貴族がツバを付けるのは当たり前だからして、これはもう無理難題と言う他ない。


 全てを満たす人間なんて居ないのではないか。

 私は既に諦めるべきだと考えていた。

 素直に謀反の罪を被り、せめて家族へは害が及ばないようにだけ懇願する。それぐらいしか出来ないのではないだろうか。

 そんな諦め。


 必要な条件だとは分かる。だが、それを満たす人材を探すのは不可能。

 矛盾するような条件が多すぎる。

 実力がありながらも高位貴族には無名。

 高ランクでは縛りが大きすぎるが、低ランクでは難しい。

 騎士にも王家にも貴族にも顔が効き、それでいて騎士団にも王家にも貴族にも属さない。

 そして、その全てを満たす。

 あり得るわけが無い。

 砂漠で一粒の宝石を探すような物。あるかどうかも分からず探すのは、困難というものを超越する。


 重苦しい雰囲気が部屋に充満する。

 海の底に潜った様に、息が苦しい。そして暗い。


 だが、それを吹き飛ばすような笑いがあった。

 副団長殿が、実に楽しそうに笑うのだ。それを受けて、お偉方も雰囲気が変わる。

 私は、何が起きたのか理解できなかった。


 「ははは、いい加減に化かし合いは止めましょう。散々勿体付けてはいますが、既に誰に頼むかは決まっているのでしょう?」

 「そうじゃの。儂に良い考えがある」

 「何ぞ悪知恵でも浮かんだかい?」

 「おおとも。あ奴らに頼むのが良い」


 そこに居た多くが、一様に同じ笑みを浮かべる。


――不可能は、覆った。


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