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水の理  作者: 古流 望
5章 A
73/79

073話 ザ・ギャンブラー

 昔誰だったかに聞いたことがある話。


 陽炎かげろうとは、蜃気楼の一種といわれている。

 空気は、温度によって膨張したり収縮したりする性質を持っている。同じ量のものでも膨らめば当然ながら密度は薄くなるし、圧縮されれば密度は濃くなる。

 温度による密度の違い。これが陽炎を生み出す要因だ。

 地面が極端に熱せられている場合や、或いは周りの空気が極端に冷やされた場合。空気の密度に差が生まれ、レンズのように光を曲げてしまう。

 それが局所的に起きた現象が陽炎と呼ばれるものであり、揺らめきを目で見ることも出来るというのは、常識的な話だ。


 この世界では、魔力の場合もそれと同じことが起きる。


 マナの濃い場所は水場というのが相場だが、生物の中には自分の魔力と意思で、このマナの濃度を操作出来るものも居る。進化とは恐ろしいものだが、マナが魔力になる以上、その逆が出来たとしても不思議では無いことだ、とも思える。


 マナが極端に濃いところと、極端に薄いところ。

 これが極々狭い範囲に存在するとどうなるか。

 単純ながら根源的な問いだ。


 当たり前ながら、まず光を捻じ曲げる。

 そこにあるはずのものが見えなくなったり、別の場所にあるように見えたりする。或いは揺らめいたり、歪んで見えたりもする。陽炎である。

 スイフの語った歴史によれば、その昔空に浮く町を見たという者が居たという。これも今では蜃気楼か陽炎によるものではないかとされているそうだ。


 他にも捻じ曲げるものがある。魔法だ。

 魔力から産まれた陽炎は、魔力的な物の多くを曲げてしまう。【鑑定】だと意味不明の文字列が並んだり、【ファイア】ならば明後日の所を燃やしてしまったりするらしい。【解毒】のつもりで使った魔法が、逆効果になる様なことまであるそうだ。実に恐ろしい。


 そんな現象を、意図的に操る生き物も居る。

 それが今回のターゲット。カゲロウジカだ。伊達に難度が高く設定されているわけでは無い。

 危険なのは、何が起きるか分からないという点に集約される。だが、その危険に対しての見返りも大きい。

 その鹿の角は高純度の魔力が貯められていて高価だ。しかもその肉はとろける様な旨さであるという。もちろん、普通の肉と違うところもある。

 新鮮であればあるほど美味しいと言う点がそれで、生け捕りが好まれるのもこれが理由だ。

 そんな文字通り美味しい魔獣を、人間様が放って置く訳がない。

 一時は絶滅を危惧されるほどに乱獲され、その数を大きく減らした。


 それに危機感を覚えた時の国王は、特定の地域を保護区に指定し、貴重なカゲロウジカを管理することにしたらしい。資源管理は統治者として当然の話だ。これが人を襲う魔物であったなら絶滅させていたかもしれないが、カゲロウジカは草食だ。

 狩りが許されるのは、決まった期間だけで、更には許可なく獲ることを禁じた。今なお残るその決まりが、今の僕らを縛っている。


 「それが解禁されるのがこの時期ってことか」

 「そうだ。春の繁殖期も過ぎ、餌になる草も豊富な時期であれば、適当な間引きはかえって好ましいらしい。俺は良く知らんが、王都の学者の研究ではそうなっているそうだ。無論、小鹿を捕まえるのは厳禁とされているから要注意だな」

 「了解。まずは生け捕りが最優先だったね。目指すはあの山か」


 後二時間ほどで解禁になる。解禁後には、数キロほど離れた山までの狩猟規制区域も開放される。

 それを今や遅しと待ち構えるのは、僕らだけではない。


 「あそこに居るダニエルにだけは絶対に負けん!!」

 「アント、やる気になるのは良いが、くれぐれも先走った真似はしてくれるなよ」

 「任せろ。一太刀でしとめてくれる」

 「だから、生け捕りだってば」


 周りにも、同じ目的で来たであろう冒険者や騎士が十数グループほど居る。

 そのうちの一グループは、アントがライバルと目す人達。

 リーダーは眉目秀麗で背も高い騎士風の人。パーティーメンバーらしき連中には、弓を持った狩人っぽい人や、魔法使いっぽい人も居ることから、うちと同じくバランスを意識した戦力なのだろう。六人全員がさりげなく周りを警戒している様子だけでも、かなり場慣れしている雰囲気がある。

 素人くささが未だに抜けないうちとは大違いだ。

 何故かくだんのダニエルさんが、こちらの方を意味ありげに見てきていたが、何かあるのか。案外、あちらさんもアントをライバル的な何かのように意識しているのかもしれない。


 「そろそろだ。皆準備は良いか?」

 「ああ」


 王家の使いという名の監視が、天頂に太陽が来たことを告げる。

 その瞬間から、およそ一週間。許可書一枚につき一頭までの狩りが許される。その生息数を正確に把握しているのは王都の研究者ぐらいと言われている希少な生物。我先にと駆けだすのは皆同じだった。

 例え金銭価値は無くとも、最初の初物を手にしたという名誉は格別なものだ。何せ、許可を貰った他のグループに勝ったというこれ以上ない明確な証だ。マグロの初セリに高値が付くのと同じような理屈だろう。

 そんな名誉を、是が非でもと欲するイケメン伯爵もいるようで、それに協力する同じパーティーの我らとしても中々ハードな仕事になりそうだと感じた。


 最初に動きを見せたのは、港町から派遣された一団だった。

 研究者と思われる人間が、そのグループに含まれていたらしい。駆け出した他の体力自慢組についていくことが出来ず、派手にすっ転んだ。足の骨にもヒビが入ったか、もしかしたら折れたかもしれない。それぐらい派手に転んだ。

 回復魔法を使える人間も居なかったようで、手当でその場に留まっていた。生息地の山まではまだ若干距離があるものの、時間もまだまだあるのだから、ゆっくり治せば良いと心で呟く。期間だけはまだ残っている。鹿が捕まえられるかどうかは全く別の話だが。


 しかし、港町からの頭でっかちグループが大袈裟に転んだことで、思わぬ影響も見られた。これは予想できなかった。

 学者集団に気を取られてしまった幾つかの集団が、走る速度を極端に落としたのだ。大方、慌てることは無いと考えたのだろう。多分、冷静な判断をしたつもりになっているのかもしれない。

 だが甘い。忘れてはいけないことがある。

 確かに期間はかなり余裕があるし、この集団の数なら一グループ一頭程度で獲りつくすことは無いかもしれない。しかし、山に入って何十人もが山狩りをすれば、普通の動物なら逃げる。追われれば逃げるという当たり前の事を、忘れてはならないのだ。

 始めから逃げ道になる場所で待つか、そうでなければ真っ先に駆けつけないと、鹿に出会う事さえ出来ずに、他のグループが追い立てた後をただついて回るだけになる。それに気づかないのなら、彼らは一週間、鹿の居なくなった場所を延々探し続けなければいけなくなる。


 「おい、あいつら見てみろ」


 そうスイフに言われて見た方向に、穴掘りを始めた集団が見えた。


 「あれは罠でも仕掛けようってのかな?」

 「そうだろうな。ありがちな所で、落とし穴とみた」


 穴を掘っておいて罠に使うのなら、落とし穴以外にどう使うのか。オーソドックスな方法としては、間違えようが無い。

 だが確かに、有効ではあるだろう。

 追い足の無いグループの取る手段として、罠を張って待ち構えるのは唯一と言って良い正解だ。少なくとも、鈍足で追いまわすよりかは正解に近い。

 複数人で待ち伏せておくとか、逃げ場のない方へ誘導するとか。

 幾つか罠を仕掛けておいて、そこに追い込む様に動けば、多少の動きの遅さや体力の無さはカバーできる。


 だが、彼らが誤った点が一つある。

 極々単純ではあるが、明確な誤りだ。冷静に考えれば子供でも分かる事だろう。


 罠を仕掛ける場所。

 それを間違っている。

 例えばボールを的に向けて投げる時、的が遠くになればなるほど当てにくくなる。手元の僅かな差異が、離れるほどに大きくなる。

 これと同じことが、鹿追いでも起きる。追い立てる距離が長くなればなるほど、追う方の思う方向からずれやすくなっていく。

 罠を仕掛けるのなら、もっと獲物の近くにしなければならない。

 出来れば、罠のすぐ目の前にまで鹿が来た時に追いたてるのが理想だ。それを考えれば、いささか距離がありすぎる。


 それを横目で流しつつ、狩場へのマラソンを続ける。

 馬や馬車は、舗装もされていないでこぼこの平地を走ったところでたかが知れているし、険しさのある山では使えない。それでも馬車に乗って優雅に魅せようと努力する間の抜けた連中もいた。それ以外は、特に問題ない。ただ走る。

 全力疾走を続けた所で、いつの間にか僕らが先頭を走っていることに気付いた。


 いける。

 その確証を得たのは、後続集団とかなり差を付けつつ、山に駆けこんだ時だ。すぐに目当ての鹿を見つけられた時点で、依頼達成も近いと思った。しかも、何匹かの群れになっている。


【カゲロウジカ(Cervinus of calor obducto)】

 分類:魔物類

 特性:草食性、昼行性、集団行動型、魔力吸収、風魔法、水魔法、マナ操作

 説明:魔力の陽炎を自在に操る鹿。周囲の魔力をマナに還元する能力を有する。敏捷性が非常に高い。個体によっては敏捷を大きく向上させる魔法を使う。臆病で警戒心が強い。草食性であり、山岳地帯の草や苔を食べる。冬場には山から降りる姿も目撃されている。


 間違いなくターゲットの鹿だ。

 僕ら四人は、すぐにその群れの一頭に狙いを付けて捕まえる様に動く。


 今回の作戦は事前に取り決めてある。

 アクアと僕、スイフとアントがそれぞれ組になって動く。動きの速い僕らの組が、男前二人組の方に追い立てる。必要とあれば、僕らが捕まえても良い。とにかく、連携が重要な事だけは間違い無い作戦。

 事前の調べで、ターゲットの逃げ足がかなり早いことを考慮した上での作戦だ。


 「いくよ」


 僕のポツリと呟くような一言に、無言の首肯で応えるアクア。

 スイフとアントはその場に留まり待ち構える。先を潰した牽制用の矢を矢筒に揃え、弓に弦を張るエルフ戦士のスイフを横目に、ゆっくりと右回りに移動する。


 慎重に、気づかれないように音を立てず、身を屈めながら移動する。

 もうそろそろ予定している位置あたりに陣取れそうだと思っていた時だった。


 突然、何かが爆発したような音が聞こえた。

 山肌に音が反射し、こだまするような天然のエコー。音の大きさはそれほどではないが、かなり遠くの方から聞こえてきたような音だ。


 何事だろうかと状況を見渡せば、山の裾の方に原因が居た。

 かなり遠くなのではっきりとは見えないが、何やら魔道具らしきもので攻撃をした風に見える。多分、遠くから鹿を見つけ、チャンスと焦って攻撃してきたのだろう。攻撃そのものは何処に行ったか分からないが、余計な事をしてくれたものだ。


 カゲロウジカも、その音には敏感に反応した。

 草を食んでいた顔を慌てるように上げて、周囲への警戒を露わにする。そして一斉に逃げ始めた。


 思わず舌打ちをしてしまいそうな気持になる。どこのどいつかは知らないが、どうせ何かしらを撃ち込むなら、外さないという確証のある時に撃てと言いたい。当たれば儲けものとでも思ったのだろう。当ても出来ない距離から音を立てて狙うとは。周りの迷惑も考えて貰いたいものだ。


 僕らも、慌てて鹿を追いかける。

 その動きは、なるほどDランクの獲物だと思わせる動き。恐ろしくすばしっこい。険しい山肌を、まるで子供がスキップでもするように軽く跳ねまわって逃げる。

 追いかける僕らも、同じように跳んで追いかけるが、如何せん年季と身体の構造が違う。水辺でカエルを追いかける様なものだ。


 それでも、うちのパーティーメンバーだって伊達に冒険者をやってきたわけでは無い。強化の魔法もある。鹿如きに追いつけないはずも無い。狙いを付けていた一匹を、少しづつでも追い詰めていく。常にアクアと連携しながら、挟み込む様にして動きを制限していく。そしてじわじわと、アントとスイフの待ち受ける場所の方向へ誘導する。


 「アント、スイフ、頼むよ!!」


 僕がそう声を出すと、待ちかねたと言わんばかりに動き出す、むさ苦しいのが二匹。鬱憤をここで思う存分晴らしてやるとでも思っていそうな、満面の笑みで鹿の行く手を遮る金髪に、油断なく僕やアクアの動きに目をやりつつ鹿に向けて矢を構えたエルフ。

 作戦通り。そう確信する。

 不測の事態が起きはしたが、十二分にリカバリー出来た。完璧な包囲網だ。


 四人で作る包囲網もかなり狭まり、いよいよ捕獲の時。

 こうなっては、不安要素はアントが手に持つギラついた金属の塊が、鹿を不必要に殺めてしまわないかどうかだ。

 くれぐれも生け捕りで頼む。そんな願いは通じただろうか。


 距離がほぼゼロに近づく。

 捕まえた。

 そう思って一歩踏み出した瞬間、僕らは愕然とした。


 鹿が消えたのだ。

 いきなり屈まれたからとか、飛び上がったとかでは無い。目を離さないようにしていたにも関わらず、文字通り消えた。

 ゆらりと視界が揺らめいたかと思った時には、鹿の姿は無くなっていた。


 「くそ、やられた」


 アントが吐き捨てる様に言った言葉は重たかった。僕らに、冷酷なまでに失敗と言う言葉を意識させたからだ。

 ふと見れば、いつの間にか離れた所に鹿が居る。まんまと包囲網を潜り抜けられてしまった。逃げられた。


 しばらく、言葉を無くしてしまった。

 元々言葉数の少ないご令嬢が、ぼそりと呟くまで、現状認識を改めるのが困難だったのは言うまでもない。


 そんな僕らに、近づいてくるものもあった。

 はっきりとした足音。明確な姿かたち。


 「逃げられたようだね」


 心なしか嬉しそうにしてやってきたのは、アントの恋のライバルと、勝手に僕が決めつけているダニエルさんだ。


 「うるさいぞダニエル。これは作戦だ。今のうちは油断をさせておいて、一気に捕まえるのだ」

 「くっくっく、そうか、それは気付かなかった」


 アントが強がりを言う様を、噛み殺したような笑いと共に眺めるダニエルさん。口元は隠れて見えないが、間違いなく笑っているのだろう。切れ長の目が、若干細くなっているし、肩が揺れている。


 「ふん、どうせお前たちもまだ捕まえていないのだろう。笑うなら、お前たちが先に捕まえてから笑え」

 「ふふ、それもそうだな。確かに、アント君の言うとおりだ」


 鼻息を一つ鳴らした男前に、まだ笑顔を崩していないであろう人が反応する。


 だが、アントの言う事ももっともだ。鹿を捕まえられないことが可笑しいとするのなら、まずは自分たちが捕まえてから笑うべきだ。

 自分たちも出来ていない事を、失敗したからと言って笑うのは失礼な話だ。

 そう思っていると、その笑いを含んだ声が真剣なものに変わる。


 「どうだいアント君。ここは一つ賭けをしないか?」

 「賭け?」


 この世界の人間はギャンブラーが多い。冒険者なんてのは命をチップにしたギャンブラーでしかない。

 その例外が仮に居るとしても、ダニエルさんは違うようだ。

 訝しげな我らが伯爵。怪訝そうな顔は相も変わらず整っている。ちくしょうめ。


 「そうさ。どちらのパーティーが先にカゲロウジカを捕まえるか。どうかな」

 「ふん、どうせ私たちが勝つから構わんさ。それで、掛け金は幾らにするのか言ってみろ。はした金では受けんぞ」

 「じゃあ……負けた方が願いを一つ叶えるってことでどう?」

 「何?!」

 「決まりだ。悪いが私も負ける気は無いから。大丈夫、負けてもアリシーは君を祝福してくれるさ。はっはっは」


 そう言って颯爽と走り去っていった。

 よく見ればパーティーメンバー全員が軽装備。完全な山仕様で仕事に臨んでいるのが見て取れた。あれがプロって物なのだろう。

 それに比べると、僕らはどうか。


 「お、おのれあのキザ男め。あいつもアリシーを狙っているに違いない。間違いない。私のアリシーの可憐で美しいクチビルを汚そうなどと考えているのだ。神をも畏れぬ所業とはまさにこのこと。鹿より先にあいつを成敗してやる」

 「……アント、落ち着いて」

 「アクアの言う通り、まず落ち着こう。ついでに鹿もダニエルさんも成敗しちゃ駄目だからね。特に鹿は」


 どちらかというなら、色ボケた貴族様なら成敗しても良い。だが、鹿はやめて欲しい。


 「とりあえず、どうやって鹿を捕まえるかだね」

 「一般的な方法となれば、罠を張っての待ち伏せになるな」

 「でもそれも、あの様子だと厳しいかも」

 「そうだな。よっぽど計算された仕掛けと卓越した技量が無ければ、追いこんだ鹿を罠に嵌めるのは無理だろう」


 さっきの僕らの行動だって、見方によれば罠のようなものだ。穴があるか、野郎二匹が居たかの違い。

 追い込むまでは出来たが、そこからどうやって無力化するかだ。

 色々考えてはみるが、そうそう妙案は浮かばない。もう一度同じような包囲網を作っても、また逃げられるかもしれない。


 「ここはハヤテの出番だろ」

 「僕の?」

 「ああ。あの鹿達を捕まえるのは難しい。何故なら、素早さ以上に身を隠すのが上手いからだ。さっきので分かった。隠すのが得意な奴なら、私たちは一度経験している」

 「……ああ、あのカエルか」


 言いたいことは分かった。

 僕の【看破】なら、使った事があるだろうと言いたいのだ。負けられない戦いともなれば、記憶力も良くなるのか。それとも忘れられないほど印象的だったからか。


 「それじゃあ、もう一度同じようにやってみよう。今度は、逃げられそうな時に【看破】を使うってことで」

 「良いだろう」


 改めて、二手に分かれて鹿を追う。

 やはり一度失敗したのが響いているのだろう。カゲロウジカは、まるで迷子の子どものようにキョロキョロと辺りを見回している。

 一つ有利な点は、さっき捕まえ損ねた鹿が、群れからはぐれているという所だ。ゆっくりと山を移動する。

 動きながら、徐々に囲む。挟み撃ちの格好を改めて作る。


 そして程よい頃合い。

 さっき捕まえ損ねた場所からは、大分離れてしまったが、慎重に動いたおかげで挟撃の用意は整った。


 いざ、捕獲。

 今度はさっきと違い、勝手も分かっている。やや早めに走る僕とアクア。


 だが、やはり鹿も中々に手ごわい。

 さっきの捕獲失敗で学んだのは僕たちだけでは無い。鹿も学んでいる。

 逃げる時に、フェイントを入れてくるようになった。

 それでも包囲を崩さない。鹿は山の斜面を踊りながら下っていく。

 気づけばいつの間にか山の肌がごつごつしたものから、やや赤茶けた土肌に変っていた。岩よりは柔らかい地面。これが吉と出るか凶と出るか。


 ようやく、包囲を縮められた。

 まだアントやスイフとは若干距離が残っているが、それでも幾分か互いの姿が見やすくなってきた。

 ここからだ。

 ここで慌てて捕まえようとすれば、さっきのように逃がしかねない。


――【看破】


 今が魔法を使うとき。

 逃げられる前に、先手を打たなくては。

 そう考えて使った魔法で、僕は不味いことに気付いた。

 思わず罵倒の言葉が頭をよぎる。


 「危ない。アクア、足元!!」


 叫ぶようにアクアに注意したが、遅かった。というより、注意の仕方が悪かった。

 アクアが、急に姿を消した。

 大がかりな手品か、奇術でも見せられた観客のように目を奪われたのは、何が起きたか分かっていないアントとスイフ。

 僕は慌ててマジックショーの舞台に駆け寄った。


 「アクア、大丈夫?」

 「……背中が痛い」


 走り寄った所には、見事な穴。そしてその中できょとんとしているアクア。


 「アクア、大丈夫か」


 アントとスイフも走り寄ってきた。

 落とし穴に落ちたアクアを見て、事情を察したようだ。


 「うわ~最悪だよ。お前ら邪魔するなよ。もう少しで獲物を捕まえられたのによ。その落とし穴作るのに何時間かけたと思ってやがるんだ」


 そういって、僕らの傍に寄ってきたグループ。柄の良くなさそうな六人組。見た所冒険者と言った所だろうか。軽装備では無い所から、動き回るのは苦手なタイプだろう。


 こいつらがこんな所に落とし穴を掘っていたから、僕らの大切な仲間がそこに落ちてしまったのだ。

 おかげで鹿も消えてしまった。

 今にも剣を抜きそうな金髪の伯爵閣下を宥め、下手な口論が起きないうちにその場を離れる。


 罠を仕掛けるのを悪いことだとは思わない。だが、僕らも追いかけていただけで何の非も無い。お互い言いたいことはあるだろうが、変にトラブルを起こす時間がもったいない。


 ふと見れば、鹿が全力で走って逃げて行くのが見えた。

 森の方に逃げて行くからには、今の僕らでは改めて囲うのは難しいだろう。仕切り直しだ。

 追いかけるのにも、かなりの時間を掛けてしまっている。慎重すぎただろうか。


 念のために森の方も確認しておこう。

 そう考えて歩いていた僕らの方に、ゆっくりと近づいてくる一団があった。見覚えのある集団だが、見慣れない物も持っている。


 「やあ、調子はどうかな」


 つい先刻、別れたはずのダニエル御一行様が、歩み寄ってくる。

 先頭は顔を隠したダニエルさんで、その後ろには何か蠢くずた袋を持った男。これは、アントにとっては酷な結果になったという事かもしれない。


 「ふん、もうすぐ鹿を捕まえる所だ。お前たちには用は無いぞ」

 「そうか、もうすぐ捕まえる所か」


 うちのビジュアル担当が不用意に答えた言葉に、反応したダニエルさん。

 アントも気づけ。あちらさんが持っている袋は、かなり丈夫そうな袋だ。それが、どう見ても大人一人ぐらいは入っていそうな膨らみを持っている。季節外れのサンタクロースのような袋は、如何にもといった感じで動いている。明らかに中に何か生き物が入っている。

 勿論、何かしらの道具として、元々彼らが用意してきたものなのかもしれない。だが、この場で最も大きな可能性は、僕らにとって悲しい可能性でしかない。


 「これから捕まえるということは、まだ捕まえられてはいないということで良いのかな?」


 ほらみろ。こういう事を言ってくると思っていたんだ。


 「ぐっ、まあ、そうとも言うな」

 「ふふふ、なら、さっきの賭けは私たちの勝ちかな」

 「なに!!」


 そう言って、サンタクロースのプレゼント袋を少しだけ開いて見せたダニエルさんのパーティー。中には、縛り上げられて芋虫のようになっている鹿。

 鑑定結果は、残念なことにカゲロウジカだった。


 「くそ~、あの邪魔な落とし穴さえなければ、私たちが先に捕まえていたのに!!」


 地団太を踏んで悔しがるアント。

 気持ちは分かる。あの冒険者グループがあんな所に落とし穴なんて掘ってなければ、間違いなく捕まえられていた筈だ。


 「他の冒険者たちが、自分たちの思うとおりに動いてくれるとは限らないものさ。それを十分踏まえた上で、作戦を立てないと駄目だね」


 ダニエルさんパーティーの一人がそう言う。

 先輩としてのアドバイスなのだろうか。悔しいが、言うとおりだ。


 「まあ、僕らの負けは負けですね。時間はまだ有りますから、他の鹿を捕まえてみますよ」

 「君たちなら、捕まえられるさ。大丈夫だ。それよりも、賭けの事は覚えているかな」


 忘れるわけが無い。つい先刻の事だ。

 これで忘れている奴が居たら、そいつの記憶のプールはザルで出来ているに違いない。


 「ふん、約束は守るさ。さあ、私に出来る事なら何でもしてやる。言ってみろ」

 「男らしいね。流石だよ。それじゃあ……」


 ゆっくりとアントに近づいてきたダニエルさん。

 切れ長の目が、やや細まった気がするのは、気のせいでは無いだろう。

 賭けの勝者が、頭に巻いていた黒っぽいバンダナに手を掛ける。頭の後ろのやや斜めにあった結び目を、さっと解いたようだ。飾り気のない布が、するりと手に収まる。

 そこで違和感が産まれた。いや、違和感が無くなったと言う方が正しいか。

 巻かれたバンダナが解けたところで、隠れていた髪が露わになる。色は綺麗な銀髪。サラサラとした艶やかな様子は、アントの金髪やアクアのショートヘアとは違う、入念な手入れを思わせる。

 襟を立てていたのを少し下げ、口元まで見えた所で、僕は思わずつぶやいてしまった。


 「女の子?」


 美形だとは思っていたが、ずっと違和感があったのはこれだったのか。

 妙に納得している僕を完璧に無視して、ダニエルさんはアントに近づく。鈍感さではうちのパーティーナンバーワンの伯爵様は、今までの常識が崩れて固まってしまったらしい。

 口を半開きにして驚いたまま、身体が硬直している。棒立ちだ。


 「約束だからね。言う事を聞いてもらう。目を瞑って覚悟をしてくれ」


 その言葉に、ようやく再起動を果たしたアントが反応する。

 言われたままにぎゅっと目を瞑り、力を込めている。手はギュッと握り込んでいる所からして、殴られる覚悟ぐらいはしているのだろう。今更じたばたしない覚悟だけはあっぱれと言える。パンチの一発ぐらいは耐える気構えは出来たらしい。


 そして、そのままダニエルさんがアントとの距離を一気に詰め……。


――チュッ


 口づけをした。


 一体何が起きたのか。僕はさっぱり状況がつかめない。アクアなんて目を見開いてガン見だ。状況判断をしようとしているのだろう。

 しばらくそうして顔を近づけていたダニエルさんが、アントから離れる。その顔は、非常に満足げな表情をしていた。美形はどんな顔も似合うからずるい。


 「それじゃあ、また会おう」


 そんな言葉を言い残し、バンダナを巻きなおして爽やかに去っていた彼女の男らしさ。

 じつにさばさばしている。いっそ惚れ惚れしてしまう。

 欠片の未練も残さないと言う風に、振り返りもせず颯爽と歩いていく後ろ姿は、たなびくマントと同じで絵になっている。


 そして後に残ったのは、完璧なギリシャ彫刻と化した男だった。

ダニエルという名前は、男女共用名です。男性でも、女性でも、どちらでも付けられることのある名前です。落ちを予想されていた読者も多いようです。

是非、ご感想を頂ければと思います。

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