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水の理  作者: 古流 望
5章 A
71/79

071話 夢の国の住人

 ねずみが二匹。


 「チュウ」

 「これが獅子にワイバーンねえ」

 「どうみてもそうは見えんな」


 僕らの手には、捕まえた齧歯類がいる。

 この世界で何と言うかは知らないが、ハムスターよりやや大きい体つき。或いは飽食の限りを尽くしたハムスターほどの大きさの小動物。

 数本づつ、左右対称にひげを生やし、体毛は短いながらも全身を覆っている。やや細長い流線型の頭に、むっくりとした体つき。

 これは僕の知る限り、ねずみと呼ぶ。英語ならマウス。ロシア語ならクリサだ。

 夢の国で、夜になると魔法が解けて走り出すという奴に違いない。


 「おお、神よ感謝します。きっと貴方様は神に違いない。凶悪な魔獣共から御救い賜り感激の極みです」

 「やったなハヤテ。お前、神様になれたぞ」

 「うるさいよ」


 悲鳴が聞こえたから駆けつけてみれば、同い年ぐらいの青年が何故かネズミに怯えてうずくまっていた。

 そんなにネズミが嫌いなのかと、ネズミを捕まえてみれば何故か神様扱いで拝みだした。僕みたいな一般人を捕まえて神様とは、どういう冗談なのか。

 しかも、訳の分からないことを言いだすから始末に負えない。こんな小動物しか居ないような林で、獅子やワイバーンに襲われたとか言いだす。

 こんな所にワイバーンが居たのなら、それこそこの人は生きていまい。もっと大事件になっているだろうし、騎士や他の冒険者が駆け付けないわけが無い。

 木の枝葉で付いたであろうかすり傷や擦り傷を、酷く痛そうにして押さえていたりもしている。まるで生死にかかわる重傷のように振る舞っているが、精々が擦過傷(さっかしょう)の類と言った所では無いだろうか。


 「この人どうしたんだろ?」


 伏し拝む様にして僕に祈りを捧げるおかしな人を前にして、僕は戸惑う。


 「いや、これは想像なんだが、もしかしたらキイロマバラテングダケの胞子を吸い込んでしまったのではないだろうか」

 「ああ、そういえばあの依頼品のキノコの生には強い幻覚作用があるんだっけ」


 そういえば、そんな事を調べていたような気もする。ギルドの受付で、そんな話を聞いた気もする。

 あれは食べると幻覚が見えると言う話では無かったのか。

 胞子を吸い込むだけで幻覚を見るなら、相当強力な毒キノコという事になる。そんなものを薬にして大丈夫なのだろうか。

 乾燥させれば食べない限り大丈夫という話だったが。


 「俺が調べておいた限りだと、キノコのすぐ傍を通るときに、稀に毒性の成分を吸い込んでしまい幻覚を見る様になるそうだ。キノコが大きければ大きいほど、キノコの価値は上がるが、反面幻覚にやられる確率も増える。勿論、生で食べると確実に幻覚症状に陥るし、魔力は無関係だから【解毒】も効かない」


 流石にエルフは博識。というよりも、それぐらいは僕も調べておけと言う話だ。

 借金さえなければ、詳しい話を聞けたのに。

 ああ貧乏が恨めしい。

 世の中の半分は金で出来ているに違いない。もう半分が優しさに見せかけた何かで出来ているんだ。


 「じゃあこの人はその幻覚を見ているかもってことか」

 「その可能性が高いだろう」

 「治療法は?」

 「強いショックを与えることだな。頭部に強い物理的な衝撃を与えたり、冷水を掛けてみたりと言った具合に」


 頭を殴るか、水をぶっかければ正気に戻るという事か。寝ている奴を起こす要領だな。他にも穏便な方法は有るのだろうが、いちいち確認していられない。

 冷水をかけるというのは使えるかもしれない。ここに水が幾らでもあるという前提が成り立つのであればだが。


 まず現状、この僕を拝み倒す男の人を正気に戻すかどうかだ。

 勿論戻さねば不味い。

 しかし、だからと言って頭に強い衝撃を与えるのは良くないだろう。見れば身体が衰弱している様子だし、それでなくとも三日間彷徨ったのは事実だ。頭の血管に損傷があって切れかけている可能性もあるし、殴ると万が一の事も有りうる。そもそも元々こういう性格の人なのかもしれない。


 殴るだけ殴っておいて、実は別に幻覚なんて見ていません、とでもいう事になれば、暴行したことになる。

 折角の飲み水をぶっかけるのも勿体ない。

 とりあえず村まで運び、息子の事を心配する依頼人を安心させてやるべきだろう。

 その上で治療を行えば、万全の態勢で治せるのではないだろうか。


 この人が元々おかしな人なのか、それともキノコ的な何かでおかしくなったかは、僕らでは判断できない。素人診断ほど恐ろしいものはなく、生半可な知識での治療は逆効果になりかねない。

 どうするか、依頼人に確認するべきことなのは間違いない。


 「だったら、殴るわけにもいかないから村に連れていくよ」

 「まあそれも良いだろう」


 かなり衰弱してしまっている男をどうやって運ぶかで若干揉めたが、僕が背負って連れて行くことにした。

 大丈夫だろうとは思うが、林の中に魔獣が絶対に居ないとは限らない。居てもおかしくない。ワイバーンではないにしろ、それ以外の野犬や蜘蛛ぐらいならいるかもしれない。

 だが、スイフは戦闘時に弓を使う。つまりは両手が塞がる。男を負ぶっていては、戦い方に制限が出るし、咄嗟の対応にも制限が出る。

 同じ理由で両手剣を使うアントも、人を背負うのは無理だ。襲われた時の前線を支えるキーマンが、剣を咄嗟に持てないようでは僕らにとってはマイナスでしかない。

 アクアは性別的な部分で無理だ。もしこの依頼人の息子が幻覚を見ているのだとしたら、アクアに何をするか分かった物では無い。彼女の事を、魔獣や野獣と間違えてしまう事だって考えられる。そうなれば、身の危険が有る。……この青年の方に。

 万一を考えれば、僕が背負うのが良い。僕なら咄嗟の事に手が塞がっていても、魔法で対処が出来る。


 「よいしょっと」

 「神様に抱かれるという栄誉を賜り光栄に存じ上げ……」


 息子さんは、背中の方で何やらぶつくさと喋りだした。

 背負っているのに、抱かれていると感じているのなら、やはり幻覚を感じている可能性は高いだろう。

 慎重に運ばねば。

 二人分の体重が掛かって、足には相当な負担があるはずだが、思っていたほどでは無かった。僕もステータスが上がっているのだろう。

 出来るだけ負担にならないように、丁寧に運ぶ。時折、林の木の根っこに足を取られそうになるのはご愛嬌だ。


 「女神さまには心より感謝申し上げます」

 「……この人置いて行っていい?」


 スイフが笑いを堪えているのが見えた。おのれ。

 誰が女神だ、誰が。

 本当にこの男は置いて行くべきではないだろうか。


 「助けて、おじさんに殺される!!」

 「あれは案山子(かかし)だよ」


 これはもう確定だ。

 間違いなく幻覚を見ている。

 あんな何処からどう見ても案山子にしか見えない物を人間に見間違えるとは、正常な判断が出来ているとは言い難い。思わずため息が出る。

 案山子を通り過ぎ、そのまま林の出口に向けて歩く。


 「おいハヤテ」


 全く、何が悲しくてこんな男を背負わなくてはならないのか。

 これが依頼でなければ放置していくところだ。


 「おいハヤテ」


 そもそもこの依頼はキノコの採取のはずだ。

 それをいい年こいた迷子探しまでさせられたのは、アントが突っ走ったからだ。つまりはこれも全部アントが悪いに違いない。困った相棒だ。

 その問題の張本人がさっきからうるさい。


 「おいハヤテ!!」

 「なんだよ、さっきから」

 「あれを見ろ」

 「ん?」


 スッと指差す先。無駄に整った顔とセットになった、無骨ながらも腹立つぐらい綺麗な指の先には、案山子。

 だが、ただの案山子では無い。

 ここに来るときも、見かけた案山子と同じだ。いや、それそのものだ。

 そう、さっきも見かけた案山子。通り過ぎたはずの案山子がある。


 どういう事かと不思議に思う。警戒警報のサイレンが、頭の中にこだまする。

 無いはずのものがある。明らかな異常事態だ。

 全員立ち止まり、じっと木の人形を見つめる。


 その案山子が、ゆっくりと動き出す。

 まるでマリオネットのように、中空から糸を垂らされ、引っ張られているような動き。ゆっくりとした動きで立ち上がる。そこには頭のパーツがきちんと付いている。

 アクアが放り投げていた筈の顔。不細工な落書きのような顔の口。それが開く。


 「ウケ、ウケケ、ウケケケケケケ」

 「みんな!!」

 「任せろ」


 不細工を通り越して不気味な案山子を、全員で袋叩きにする。

 アントとアクアが飛び掛かる。若干アクアの方が動き出しは早かった。ここいら辺は敏捷の差だろうか。その分、切り付けた威力はアントの方がありそうだ。案山子の右腕と左腕が、ほぼ同時に中空に舞う。

 剣で切り付ける二人の脇から、細い矢が突き刺さり、更にはそれごと燃え上がる。


 木々に遮られた陽光の中、熱気と共に辺りを焦がすでくの棒。

 起き上がった早々だが、遠慮なく焼かせてもらう。


 「一体何?」

 「分からん。分からんが、ただ事じゃない」


 確かにその通りだ。案山子が動き出すなんて言うのは、どう考えても普通の事じゃない。

 こんな気味の悪い林早く出た方が良い。案山子を調べるにしても、まずは背中の荷物を降ろしてからだ。


 「おいっ」

 「え? おいおい、勘弁してくれよ」


 アントが声を掛けた先には、焼かれたはずの雀除け。燃えたはずの案山子が立ち上がって来ていた。それも、ボロ炭になったはずの体や、二人がかりで切られたはずの腕も元通りの状態で。

 何で毎度毎度こんな目に遭うのかと辟易としたのは、恐らく全員の共通した思いだっただろう。


案山子かかし

 分類:道具類

 用途:害鳥排除、防犯

 説明:農作物の育成の際に、主に害鳥を寄せ付けないことを目的にして使われる道具。人間と誤認させることを意図されて作られることが多いため、防犯に用いられることもある。


 【鑑定】を使ってはみたが、やはりただの案山子だ。何もおかしなことは無い。

 とても突然動き出すような不気味なものとは思えない。だが実際には動き出している。

 おかしく無い物が動き出すのは、おかしなことだ。これが魔獣であった方がまだ自然だっただろう。


 突然、甲高い音がした。

 キンとなる金属同士の衝撃音。いや、実際には金属同士では無い。

 片方はアントの剣。そしてもう片方は木人のかいなだ。


 一瞬。まさに一瞬に思えるスピードで襲い掛かってきた。

 よくあれに反応出来たものだ。流石アント。


 弾き返した相手は、一本だけの細い足を軸に、回りだす。独楽(こま)の如く回りだしたその勢いは、小さな竜巻だ。

 【ファイア】を念じてみたが、あっという間に消されてしまった。半端な勢いでは無い。

 スイフが連射で二本。矢を放つが、それも弾かれる。やはり効果は無い。


 幸運なのは、恐ろしい勢いで回っているために素早い動きがし辛い様子を見せていることだろう。

 左右に蛇行しつつも向かってくる不細工を、アントと僕がそれぞれ剣で弾く。刃は通らず、切れはしないがそれでも相手を下がらせることは出来た。

 お互い全くダメージを受けていないが、それでも向かってくるものを何度か弾き返す。

 しばらくは押されて押し返してという試行錯誤の時間が続く。出来る限りの事はしてみるが、全てが弾き返される。魔法的な何かで守っているとでも言うのだろうか。


 「ハヤテ、お前の魔法で何とかならんのか」

 「さっきも【ウォータースライサー】まで弾かれたのを、アントも見ただろう。あれでどうしろって言うんだ」


 魔法も、剣も、弓も、全てが弾き返される異常事態。

 ここで打てる手はただ一つ。

 かつて偉大な兵法家も言っていた。三十六計逃げるに如かずと。

 守るべき一般人を気にしながら戦える様子では無い。


 「一旦退こ……」


 僕が撤退を言いだそうとしたその刹那。まるではかった様にコマ野郎が動きを止めた。

 一体どうしたというのか。まさか目でも回ってしまったというわけでは無いだろう。

 僕は剣をぐっと握り込んだ。


 「ウケッケケキャキャ」


 林に響く、耳の奥を削る様な耳障りな音。それも耳の内側から鼓膜を引っ掻くような不快感。決して気持ちの良いものでは無い。

 その声に、反応したのが二人。

 いや、違う。反応してしまったのが二人と言うべきだろう。


 「私は……そうだ、鈍感野郎を倒さねば……アリシー、そこで見ていてくれ」

 「おや、俺の目の前にイジメ甲斐のありそうな奴が居るじゃないか」


 不味い状況。男二人に挟まれた。

 何をしたのかは分からないが、アントとスイフに異常が起きた。口走っている言葉が尋常じゃない。色ボケ貴族の言葉はともかく、サディスティックなエルフの言葉なんて正気とは思えない。

 おまけに様子を伺えば二人とも目が虚ろだ。口だけは笑みを浮かべているから尚更気色が悪い。

 アクアは無言だ。戸惑っている様子から、彼女だけはまともらしい。


 催眠か、或いは幻覚か。

 幻覚だとすればキノコのせいだろうが、それにしても案山子の声に反応する様にしていたのが不自然だ。

 催眠にしても、僕とアクアに掛からず、他の二人に掛かったのが妙だ。まさか男前だけにかかる催眠というわけでもあるまい。

 いや、僕とアクアに共通するとすれば、毒に対する耐性と対抗策を持っていることだ。となると、何らかの毒による可能性が高いか。


 「ハヤテ、私とアリシーの幸せな生活の為、ここで死んでもらう」


 訳の分からないことを言いながら、虚ろな目のアントが飛び掛かってきた。


 「くそ、目を覚ませ」


 真っ直ぐ上段から振り下ろされた鉄の塊を、嫌な予感から剣では無くナイフで受け流す。

 手がビリビリと痺れる様な感覚がする。相変わらずの豪剣だ。これをまともに剣で受けていれば、間違いなく剣での打合いに持ち込まれる。

 身体能力自体は負ける気もしないが、こいつの剣術の練武自体は馬鹿に出来ない。この一撃は、僕を倒そうとする本気の意思が感じられる一撃だ。

 自分の得意分野に、意地でも引きずり込んでやろうという一撃だ。


 頭だ。

 こいつ相手なら、何の遠慮も無く頭を叩ける。

 そうすれば、少なくともキノコの幻覚なら覚めるはずだ。覚めなければその時はその時だ。


 軽くサイドステップでフェイントをかける。が、流石にそれで惑わされてくれるほど弱い相手では無い。

 かなり鋭い一撃が、下段から切り付けられる。それを出来る限りギリギリで躱す。目の前の鼻の先を、アントの剣が通り過ぎる。

 と思われた時、ピタリと剣の動きが止まる。ヤバい。

 丁度眉間の前で剣先が止まっている。間に合えと思いつつ、咄嗟に首を捻りつつ後ろへ仰け反る。

 その瞬間に、僕の額が在ったあたりを正確にとらえた突きが飛んできた。下手な岩なら突き抜けるんじゃないかと思えるほどの威力。風切音が普通じゃ無い。

 無理に避けたせいか体勢を崩しかけるが、二歩分飛び下がって体勢を整える。

 危なかった。軽く冷や汗を流しつつ後ろにもう半歩退く。


 突き手を戻した金髪野郎は、既に中段の構えになっていて隙もない。やはり剣術の腕自体には相当差があると実感させられる。攻めた後にも隙が恐ろしく少なく、理に適った動きは研鑽の賜物。磨かれた宝石にも近い。

 普通、剣のような重たいものを、慣性に逆らって動かすのは大変だ。野球の金属バットを、スイング途中で止める様な物。始めからその場で止める意思が無ければ、そうそうピタリと止められるものじゃない。

 寸分たがわず眉間を狙ってこられたのは、それを最初から意図しての攻撃だということ。つまりは僕が攻撃を躱す動きが読まれ、その上で本気で殺しに来たという事。

 軽く掠ったせいだろう。こめかみの辺りに僅かな切り傷を付けられてしまった。上等だ。目を覚ましたら、正気の状態でも、一発殴らせてもらう。いや、四~五発は覚悟しとけよこの野郎。


 幾ら手強かろうが、そのまま隙を伺えば大丈夫。力押しか、ごり押しでいける。

 そう考えていた僕の甘さを、突然の激痛で実感する。


 「ハヤテ!!」

 「ぐっ、大丈夫」


 アクアの叫びに応えるが、かなり痛い。


 「おいおい、俺も居るぜ。忘れるな」


 スイフの事を忘れていたわけでは無いが、ここで僕を狙ってくるとは思わなかった。

 僕の効き手の肩口に刺さった矢が、状況の不利を訴えかけてくる。

 アクアを見れば、ケタケタと笑う案山子の木人とやり合っている。それだけでもありがたい。

 二対一。

 それもお互いが完全にサポートし合える状況で、場所的にも僕が不利だ。背中にも守らなければならない物がある。後ろから撃たれた以上、挟まれるのは不味いと、即座に動く。スイフも、アントの背の方に移動した。


 林の中。木々が生い茂る中にあって、アントとスイフの戦術は見て取れた。待ちの姿勢。恐らく積極的な攻め合いやゴリ押しの形になれば、地力で二人に勝る僕に有利と分かっての事だろう。

 二人は操られているにしても、幻覚にしても、それで僕のことを忘れる訳じゃ無い。僕の事をとてもよく分かっているらしい。身体能力と魔法のアドバンテージがあることを理解しているのだろう。やり辛い。

 こうやって待ちの姿勢を取られれば、本来であればこちらから攻めるしかない。そして、狭い中では攻め手が限られる。

 アントのようなパワーファイターと、スイフのような遠距離攻撃を得意とするタイプの両方に有効な戦術は、スピードによる攪乱戦術だ。

 遠距離攻撃の的を散らしつつ、かつパワーファイターをいなせる。

 だが、こうも障害物の多い場所ではそれも難しい。


 近づけばアントが押さえて、スイフが僕の隙を狙う。離れればスイフが僕を抑えて、アントが隙を伺う。

 お互いの得意な距離のベストマッチ。こいつらが只者では無いと改めて実感する。敵側に回るとここまで厄介とは。もしあの独楽野郎が、ここまで分かって狙ったのだとすれば、見事だ。僕らは全員揃って術中にはまったことになる。

 とりあえずアントとスイフを殴る回数は六~七発ぐらいは確定だ。


 攻め手を考える。

 二人を正気に戻すには、いきなり殺してしまいかねない技は無理だ。

 【ファイア】で辺り一面焼き払い、巻き込んだ形の窒息死を狙う。或いは、【ファイア】そのもので焼く。これは殺しを前提としてしまうから却下。

 かといって【ウォータースライサー】のように溜めの要る技は使えない。ここでそんな隙を見逃すほど未熟な二人じゃない。【フリーズ】も、対応されるだろう。片方を凍らせているうちにもう片方が攻めるとか、幾つか手が思いついてしまう。アントはともかく、スイフがそれに気づけないとも思えない。

 ここで魔法は使えない。いや、使い辛くさせられてしまっている。

 恐らくスイフの主導だろうが、上手い立ち回りだ。


 ならば剣で押せばとも思うが、それこそ向こうの思うつぼだろう。得意な距離の違う手練れ二人。対して僕の手は二本。どうしても手数の差では不利が出る。

 身体能力の差を補って余りあるアドバンテージだ。

 僕の足りない頭では、攻め手を思い浮かばない。どうする。


 攻め手に欠く僕と、待ちの姿勢の二人。攻撃の効かない案山子と、それを押し返し続けるアクア。戦況は膠着状態になるかと思っていた時だった。

 不意に、僕の身体が揺れる。

 風邪を引いた時のような立ちくらみがして、目の前が僅かにチラついて霞む。


 「ようやく効いてきたか」


 スイフが、アントの影からにやりと笑う。本当にサディスティックな笑みを浮かべくさって、僕を見てくる。


 「お前の【毒耐性】は承知の上で強力な毒を使わせてもらった。常人なら三回ぐらい死ねるやつだ」


 なんという恐ろしいものを使うんだ。僕が常人だったならどうする。

 やられた。

 油断していた僕に、決定的な先手を取っていたという事か。チャンスを逃さないしたたかさ。やってくれる。それを見越して、自分たちが有利になるよう、この状況に誘導していたという事だろう。

 しかし駄目だ、頭がくらくらしてきた。これで、まだ手を幾つか隠し持っているはずのこの二人を、相手にできるわけが無い。


 「アクア、一旦退こう!!」

 「二人が」

 「分かっている。だけど退こう」


 アクアが僅かに悔しそうな目をしたのは僕の見間違いだっただろうか。

 こんな敵の術中にはまった二人を置いて退くのは心苦しいのは分かる。だが、それでも今はどう考えても不利だ。


 決めた後は早かった。

 流石に速さで僕とアクアの全速力に、後の二人と主犯の案山子は追いつけない。

 僕は、依頼人の息子を肩に担ぐような形で撤退する。勿論僕自身への【解毒】をしながらだ。


 走り抜ければ、村は意外と近かった。

 急いで依頼人の元に駆けこむ。


 「おお、ピエリック無事だったか。心配したぞ」

 「すいません。彼は何か幻覚を見ているようなんです。治療をお願いしても良いですか?」

 「勿論です。無事に帰って来てくれて良かった」


 木造りの、粗末な板間に寝かされた、ピエリックと呼ばれた男。僕が必死に林から連れ帰った青年だ。

 流石に依頼人は手慣れているらしく、何かの薬と、水を飲ませたところで正気に戻ったらしい。

 意識が戻った所で、経緯を説明する。勿論、まだ林に奇人な木人が居ることも、仲間がまだ残っていることも含めてだ。


 「親父、済まなかった。俺が親父の言う事を聞かなかったばっかりにこんなことになっちまって」

 「何を言う。お前が戻って来てくれただけで良い。それで良い」


 それを見ながら、アクアとそっとその場を離れた。

 並んで歩き、二人で林を前にして座り込む。

 もう一度林に吶喊しても、意味が無い。せめて、何か良い手が思いつくまで、にらみ合う。林から出てくれば、打つ手もある。

 今は、こちらが待つ番だ。


 「ハヤテ……」

 「どうしたの? 不安?」


 僕が掛けた言葉に、こくりと頷いたアクア。

 やはり心配そうだ。


 二人の事が不安。それはそうだ。僕だって同じ気持ちだ。

 特にアントは、アクアにとっても大事な幼馴染だ。喧嘩しながらもお互い信頼し合える相手。スイフとも、最近は打ち解けて来ていた所だった。

 そこに来てのまさかの状況。不安にならない方がおかしいだろう。


 「ハヤテ、ボクのお願いを聞いてくれる?」

 「なに?」


 恐らく不安を払しょくしたいのだろう。

 何を考えているのかは分からないが、僕に出来る事なら協力しよう。そう思う。


 軽く腰を浮かせ、距離を詰めてきたアクア。

 彼女の小柄な体が、僕にぴたりと寄り添う。密着した部分からは、じわりと温かな体温が伝わってくる。


 「キス……して」

 「え?!」


 いきなりの衝撃発言に、僕は思わず彼女から離れる。

 心臓が、突然の事で口から出るかと思った。


 「何で、逃げるの?」

 「いや、別に逃げているわけじゃ……」


 ない、と口にしようとしたところで、身体に重みがかかる。

 僅かに押されるようにして、地面に僕の背中が当たる。

 いつの間にかアクアに押し倒された格好。

 心臓の音が物凄くうるさい。


 「ボクのこと、キライ?」


 アクアの目が潤んでいる。

 僕の目はといえば、彼女の口元に行ってしまう。

 グロスをつけているわけでもないのに、薄く桃色で瑞々しいくちびる。僅かにすぼめられた口には、微かに白い歯が見える。

 顔に血が集まるのが分かる。


 「嫌いじゃないけど、今はこんなことをしている場合じゃないって……」

 「今だけ。ハヤテだけはボクから離れないと信じたい」


 その言葉に、僕の体は固まった。動けなくなってしまった。

 彼女は不安なのだ。

 信じて、信頼していた仲間が一度に二人も離れてしまった。この娘にとって、それは間違いなく初めての経験だ。


 そもそも彼女は貴族社会の生まれ育ち。それも高位貴族。周りには利害と欲望の渦巻く中にあって、信頼できる人間は数少なかったと想像できる。

 そんな彼女が、自分で築いてきた信頼関係。自ら育て、育んできた仲間との信頼。

 親に我儘を言い、自分自身で培ってきた仲間との時間。それは何よりの宝であったと察するには十分な言葉だ。


 それが今、危うい。

 だからこそ、残った絆にすがりたいと思う気持ち。それはよく分かる。僕が今その気持ちだからだ。

 彼女の不安を取り除く。その為に、僕のしてやれることは何だ。

 ここで突き放すという事は、彼女の不安を、より強めてしまうことでは無いのか。

 そんな思いが、僕の体を縛った。


 考えている最中にも、幼さが残る顔を近づけてくるアクア。

 思考がまとまらない。近づきあう口と口。お互いの距離が、限りなくゼロに近づく。


 そして……。



――ゴンッ


 「痛いじゃないか!!」

 「おお、正気に戻ったか。私の友情の拳のおかげだな」


 頭が物凄く痛い。たんこぶが出来ている。

 見ればいかにも自分が殴りましたと言った様子のアント。握りしめた拳は、いまだに解いていない。

 何だ、二人は正気に戻ったのか。それにしてもこれは一体どういう状況だ。

 見れば村では無く、森の中。何がどうなったのか。

 その答えは意外なものだった。


 「お前、キノコの幻覚を見ていたようだぞ」

 「え、ほんとに?」


 スイフの言葉に、僕は驚いた。気づかない間に、幻覚を見せられていたというのか。

 何処か安堵したような顔をした相棒達三人を見れば、状況が飲み込めた。自分がどれほど心配かけたのかと申し訳なく思ってしまう。

 依頼品は、依頼人へ息子と共にスイフが既に渡してあるそうで、依頼自体は既に終わっていたようだ。いつの間に。

 僕の様子がおかしくなったから、手分けしてこなしたという事らしい。今回僕は何の役にも立たなかったことになる。


 ふと、アクアと目が合った。

 何か言いたげなその瞳は、欲しかったものをクリスマスプレゼントで貰えた子どもの目に似ている。嬉しげで、それでいながらそれを少しだけ恥ずかしがって隠そうとする目。


 それを見て僕は思った。

 一体、何処から何処までが幻覚だったのか、と。


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