068話 後夜の七人
ものごとは、準備している時が一番楽しい。
遠足の準備はお菓子を制限いっぱい買い込んでいる時が楽しいものだし、デートの時はプランを考えている時が一番ドキドキする。
そんな極々当たり前の事を実感するのは、僕だけでは無いようだ。
既に過ごし始めてひと月にもなる町、商業都市サラス。
この町ではついさっきまで、祭りの真っ最中だった。賑やかで華やかな町の雰囲気は、まるで花畑のようにも思えた。
一昨日の前夜祭から騒いでいた連中は、流石に祭りの2日目にはベッドで枕とデートしている。これは祭りそのものというより、祭りの前の準備を楽しみすぎた連中と言えるだろう。
勿論、準備だけでなく本番も楽しい。
遠足で友達とお菓子を交換し合うのも楽しいし、デート中に胸の鼓動が止まらなくなることもあるだろう。
これもまた極々当たり前の事であり、皆が実感していることだ。
昨日今日と祭り本番を目いっぱい楽しんでいた人たち。
彼らや彼女らは、祭りの客であると同時に、役者でもあった。人が楽しんでいる様を見るのは、また楽しい。
この人たちが居なければ、祭りはそもそも成り立たないのではないだろうか。
では、ものごとが終わるときはどうだろうか。
楽しかった思い出が残り、その余韻を感じるとき。哀愁と残り香の中で結末を迎えるのは、寂しさを覚える。そういうものではないだろうか。
楽しいこともいつかは終わるし、それは仕方の無いことだ。
楽しいことでも毎日続いたら、それとは気づかずに、退屈と変わらないものだろう。だからこそ人は目いっぱい今日を楽しもうとするのではないだろうか。
つまり、寂しさや悲しさもまた、楽しむ為には必要な事なのだ。
「はぁ……」
「アント、ため息をつくのは、さっきから何十回目だ?」
「はぁ……」
「いい加減に、気持ちを切り替えろって」
今僕らが居るのは、既に片付けが始まっている広場だ。
騎士団に王子の身柄を預け、事情を事細かに説明した後、諸々のトラブルがあった上でここに来ている。今日は休みの予定だったから、一旦パーティの皆は解散したが、やることも無い僕は広場に足を向けた。
もしかしたら、ここに例の王子誘拐犯の大道芸人がまた現れるかもしれないという、恐ろしく確率の低い可能性を考慮し、暇つぶしを兼ねて昼間からここを見張っている。というよりだらけている。実力派の大道芸人達がひっきりなしに代わっていくのは、それはそれで楽しかった。
中には帽子に山盛りになるほど小銭を稼いだ奴もいたが、残念ながら例の大道芸人は現れなかった。
アントが来たのは昼も過ぎてからだが、その時からこいつは落ち込んでいた。
夕暮れが近づき、大道芸人も1人、また1人と引き上げていく中で、来た時からずっと溜息ばかりついている相棒その1。
「アリシーさんと出かける機会なんて、またあるだろ?」
「折角の祭りだったんだぞ? ああ、きっとアリシーは怒っている」
「そもそも、何で待ち合わせを日の出なんていう時間にしたんだ?」
我がアカビットのムードメーカーは、愛しい想い人との約束の時間に遅れたらしい。それもかなりの時間。それで結局デートは流れてしまったそうだ。
聞けば、待ち合わせの時刻は日の出だったらしい。
女性の身支度には時間が掛かるものだ。それなのにそんな早朝に待ち合わせるというのは分からない。
遅れて当然のような気もするが、それは口に出せるわけも無い。
「アリシーと出来るだけ長く一緒に居たかったのだ。ただでさえアリシーは普段休みなしに働いているからな。折角の休みなら、少しでも長い時間傍に居て欲しかった」
「それで結局待ち合わせに間に合わず、アリシーさんは1人で買い物を済ませてしまったと」
「はあ……」
さっきからずっとこの調子だ。
いつもは明るい男が落ち込んでいると、こっちまで気が参りそうになってくる。
落ち込む気持ちもよく分かるが、流石にそろそろ気持ちを切り替えて欲しかった。
「そろそろ後夜祭に行く時間だろ? 美味しいものを食べてお酒で気を晴らせば良い。元気出せって」
「はあ……、とてもそんな気にならん。お前、これ持って私の代理として行っておいてくれ。私はもうしばらくここに居る」
「代理って、僕なんかで良いの?」
「構わん。顔だけ出してくれれば直ぐに帰っても役割としては十分だ。……あぁ、夕日が綺麗だな」
駄目だ、完全に気落ちしてしまっている。
力なく筆を動かし、弱弱しい字で代理委任状を書いて渡してきた。
もう何を言っても無駄だろう。
僕は気を落とすなと声を掛けて、その場を後にした。
離れ際に見たアントの背中は、とても寂しそうだった。
◆◆◆◆◆
後夜祭とは、祭りの運営側の人間の集まりである。
人々を守るもの、裏方として支えるもの、はしゃぎすぎた奴らを癒すもの、或いは祭りを見下ろすだけであったもの。
そんな、祭りを真正面から楽しめなかった人間を慰労する為に行われるのがこの会合であり、集いである。
出される料理は目いっぱいの贅をこらし、出される酒は超が付くほどの高級品。集まる人間も上は王侯貴族が集まり、下は実力確かな冒険者が参加する。誰もが一度は参加してみたいと思うほどの夢の一夜。
それだけに、参加する人間には特別な選別が行われる。はずだった。
「で、お前はその代理委任状を持ってきたというわけか」
「そういうこと。アントもいい加減に立ち直ってくれると良いんだけど。スイフも気にならない?」
「心配は要らんだろうさ。そのうちにまた元気を取り戻す」
俺の傍には黒髪の冒険者が居る。
臨時パーティでダンジョンに行ってもらった際に、こいつには頼みごとをされた。
何でも、俺がエルフ代表として後夜祭に招待されていると知って、参加するときには一緒に居て欲しいと言われたのだ。
「それで、後夜祭って何をすればいいの? 何かマナーとかある?」
「そんなことも知らないで参加しようとしていたのか」
こいつとはまだ付き合って日も浅いが、時々呆れさせられることがある。
一言で言って常識知らず。
争いごとではことのほか頼りになる癖に、妙な所で酷く奇妙でおかしな事をやりだす。見ていて飽きない男だ。
「マナーといえばそうだな……こういうパーティーは、基本的に初対面の相手に声を掛けてはならないというのが、まあ基本だな」
「それはなんで?」
「こういう、騎士や冒険者と、王侯貴族が同じ場に居るという機会はあまり無い。貴族からすれば、腕の立つ騎士や冒険者を自分の懐に抱え込むチャンスであると同時に、冒険者や騎士にしてみても、自分を貴族へ売り込むチャンスでもあるわけだ。それだけに、貴族への売り込みに必死になる奴らも居るってことだよ。或いは貴族同士であっても、商談があれば絶好の機会だ。だからこそ、目上の人間からすれば、売り込みの相手ばかりさせられても辟易とするだろ?」
「なるほど。じゃあ目下の人間が目上の人間と話そうとしたら、向こうから話しかけてくれるのを待たないと駄目なの?」
「まあそれか、誰かに自分を紹介してもらえるように根回しをしておくかだな。誰に誰を紹介するのかも、紹介する側とされる側の繋がりという意味で、多分に政治的な要素もあるからお勧めはしないが」
「うへぇ、やっぱり行くのやめようかな」
「そういうわけにもいかないだろ? お互いに」
俺だってこんなサロンまがいなパーティーは肩が凝るから出たくないし、穏便に済ませたいと思っている。
エルフ代表という事にされてしまったのだって、長老から指名されただけに運が悪かったとしか思えないわけだが、俺なんかはまだましな方だ。
隣の黒髪に至っては、何と3通の招待状を持っているという。常識外れもここに極まる。
普通、こういう場に冒険者のような人間が出るのは難しい。どの組織が誰を呼ぶか。或いはどれぐらいの人数を招待するかも含めて、勢力争いのような牽制が日々行われている。それだけに、1つの組織ごとの招待数も限られるのだから、呼ばれる奴ってのも大抵は顔ぶれが変わらない。新顔となると、よっぽどの功績か地位か縁故が無ければ難しい。
1通招待状を貰うだけでも、冒険者ギルドなら最低でもCランク。騎士や魔術師団でも同程度かそれ以上の功績があって初めて参加の可能性が出てくる。それを3通だ。聞いた時には、こいつはよっぽどの大ぼら吹きだと思ったものだ。実際に招待状を見せてもらうまでは信じられなかった。一体、何をやらかしたのか。一緒に戦った仲だから察しの付くものはあるが、自分の常識を守るためにも考えたく無い想像しか出来ない。
いくらなんでも、そんな奴が参加しないとなると、招待した側のメンツは丸つぶれになる。あまりお勧めできるものではないだろう。
面白そうだから、是非やって貰いたいものだ。
そんな、歩く非常識と共に城に着く。
流石に祭りも終わったとあって、警備の人間も若い連中が多いようだ。大方、肩書の付くような先輩格の騎士は、後夜祭参加組なのだろう。
そのうちの1人が声を掛けてきた。性格の軽そうな男だが、身のこなしは重心も落ち着いていて、かなりの腕が立つことが分かる。
「エイザックさん、こんばんは」
「やあ、来たね。やっぱり君も招待されてたわけだ。結構結構。あ~ゴホンゴホン。これは念のための確認なんだけど、ギルド支部長の招待状は持ってきてる? そう、それを受付で見せれば後夜祭に参加できるから。ゴホンゴホン、分かっているとは思うけどくれぐれも招待状を忘れないように」
「はい、エイザックさんもお仕事頑張ってください」
「はいな、ありがとさん。もし後夜祭で良い娘が居たら、俺にも2~3人紹介してね~」
この若い騎士は、多分どこかからハヤテが支部長の招待を受けたと聞いたのだろう。耳聡いことだ。
そんな彼に通されて、城に入ろうとしたところで、また1人、警備の騎士に呼び止められた。こいつは本当に、騎士には顔が広いらしい。
「おお、お前か。受付はあっちだぞ。あ~ゴホンゴホン、念のために聞いておくが、招待状は持ってるな。そう、俺らの団長から招待されたと聞いたぞ。持ってきている? それで良い。それを受付で渡せば良いからな。忘れるな」
この騎士も、何処かでハヤテが騎士団長からの招待を受けたと聞いたのだろう。どうしてこう、この町の騎士は耳が早いのか。
俺たちエルフも、気を付けておかねばならないだろう。何かことがあれば、まずこの連中の耳に入ることは間違いない。騒動を起こせば、俺だけでなく他のエルフたちにも迷惑が掛かってしまう。自重せねば。
受付に行くと、そこには2人の女性が居た。
1人は同族らしいが、もう1人は人間の女性だ。ちらりと見た限りでは、どちらも美人だ。恐らく冒険者ギルドの受付嬢が、出張ってきているのだろう。
「あら、貴方はエルフね。招待状はお持ち?」
「ああ、これだ」
俺は、自分の招待状を渡す。
ふと見れば、またも黒髪の冒険者が声を掛けられていた。
「こんばんは、ハ、ヤ、テくん」
「こんばんは、アドリエンヌさん。相変わらずお綺麗ですね」
「あら、ありがとう。今日はドリーちゃん来てないけど、浮気しちゃ駄目よ?」
この男はギルドの受付嬢にまで名前を知られているのか。ひと月前に冒険者になったばかりと聞いていたがどうして、中々の有名人らしい。
こんな美人に知り合いが居るのなら、さっきの入口に居た若い騎士に紹介ぐらいしてやればいいのに。
まあ、黒髪黒眼で顔立ちも整っているから、受付嬢にも人気が出るのも分からなくもないが、同じ男としては羨ましい話だ。俺も里に許嫁が居なければ嫉妬していたかもしれん。
煽ってやれば面白いことになるだろうか。いや、煽るべきではないだろうか。
「え~コホンコホン、念のために聞いておくけど、招待状は持ってきているわよね。そう、エッダさんからの招待状。ドリーちゃんから貰ったはずよね? あの娘はちゃんと渡せた? 恥ずかしがっていたと思うけど」
「ええ、持って来ていますよ」
「それをこの子に見せて貰えれば、この先に入れるからね。じゃあ招待状を渡して。間違えちゃ駄目よ?」
「あ~でもこれを仲間から預かったんで、一応確認してもらえます?」
「何これ。え? 嘘、代理委任状? えぇ何で~」
ハヤテが受付嬢に手渡したのは、3通のうちのどれでも無い。ついさっき預かったばかりというアレクセン伯爵の代理委任状だ。
それを見て、受付嬢2人は目を丸くしている。何か信じられない物を見たような感じだが、これは恐らくあれだろう。
「アントが急に体調不良で来られなくなったので、代わりです。何か問題ありますか?」
「ううん、問題は無いんだけど……あ~あ、ルイスキャットの秋の新作が買えると思っていたのに~」
ルイスキャットの今年の新作は、恋人か旦那にでも買ってもらうのが一番らしい。俺も許嫁にねだられたことがあるが、ぼったくりも良い所だから自分で買うのは馬鹿らしくなるのだろう。
ハヤテは手続きをして貰っている間、不思議そうな顔をして話しかけてきた。
首をやや傾ける様にして、軽く振り返る形で言う。
「なんか風邪が流行っているっぽいね」
「いや、別に風邪ではないだろう。というより、気づかなかったのか?」
「何に」
「お前のおかげで、少なくとも3人は儲けそこなっただろうってことさ」
その言葉でようやく気付いたらしい。
夜道は気を付けろと言いたい。
受付嬢が俺とハヤテの胸にそれぞれ、模造花とリボンを飾ってくれた。招待客の区分によって、花の種類とリボンの色が違う。花の種類が、招待した側がどの組織であるかを示し、リボンはこの会場での立場を示す。俺が王家招待客である証の朝顔だ。リボンの色は一般招待客を表す黄色。
今晩の相棒が胸に付けているのは、伯爵位を表すクレマチスで、リボンの色は主催者を表す白だ。斜めに赤線が入れられているのは、全権代理を表す。
扉をくぐるとそこは会場だった。
ロビーとして普段から応接空間になっているのだろうが、豪華絢爛な雰囲気に俺の目が驚いている。
イブニングドレスらしいカラフルな衣装を着込んだ女性たちが、場を華やいだものにしている。町で見かけていた祭りの晴れ着とはまた違った、高級感のある装い。ドレスの裾から腰辺りまでだけを見ても、計算されたように波打つ寄り折りと煌く飾りが女性を惹き立てている。
胸元を大胆にしている人も少なからず居るようだが、それを見る目線は肌よりも宝飾品にいく。見るからに手の込んだネックレスやペンダント或いはブローチが、シャンデリアの明かりを照り返す様は美しい。
時折、魔道具と思わしき宝飾品を身に付けているものも居る。やはりこういう場に参加する人間には、魔道具すら飾りにしか思わないほどの金持ちも居るという事だろう。
まるで澄み切った夜空を切り取ってきたように、落ち着いていながらもあちらこちらで無数の輝きがある。良く出来た絵画のように、祭りの輝きを凝縮した風景だ。
男性の装いも見事だ。
隣の男は黒髪が目立つ以外はいかにも冒険者といった質素な格好だが、それを例外にすれば皆高級感を漂わせている。俺も正装してきて良かったと安堵した。
女性と違いがあるとすれば、少なくない人数が腰に剣を佩いていることだ。
男たるもの、魔獣や魔物の類からはいつでも女性を守る気構えが要る。それが必要ないのは、王侯貴族ぐらいなものだろう。
騎士と思しき人間は、その気構えから来る雰囲気が独特であり顕著だ。俺も弓の一つも背負っておけば良かったかと思うが、今更武器を取り出せば真っ先にこういう連中に目をつけられてしまうだろう。
こういった場では、よそ者の俺は下手に誰かに話しかけるのはタブーだ。
ハヤテと取り留めのない世間話をしながら、普段はとても食べられないような料理に手をつけていく。鶏肉のソテーにドラゴンプラムのソースがかかった料理を食べ、幸せを感じていた時に、その人は話しかけてきた。
「2人ともこの間は世話になったのう」
とても年相応には見えない鍛えられた体躯を見せつつ、柔和な笑顔でやってきた。
この町で、王家に次いで独立した権力と地位を握るご老人。冒険者ギルドの支部長だ。
我々エルフとも昔から付き合いがあり、名が売れている御方。
そんな方が直々に声を掛けて下さったのだから、礼儀を持って接するべきだろう。
「こちらこそ、ご迷惑をお掛けしています」
「なんのなんの、族長殿はご息災かの?」
「ええ」
何気なく聞いてきてはいるが、これはエルフの内情を探りにきている言葉だ。
族長は年もかなり高齢だ。そろそろ引退という話が出てきてもおかしくない。
このご老体も、そこを踏まえた上で変わりが無いかと、挨拶を装って聞いてきたのだ。
この手のサロンに慣れていない人間であれば、ポロリとエルフの内情を零してしまうこともある。
だからこそ、俺がこうやって出張っているわけだが、ここからは剣のない戦争だ。
ふと、目の前の老人が口元の陰影を深めて笑った方を見れば、ハヤテを見ていた。笑いかけられた黒髪の方も、若干警戒しているようだ。それでいい。分かっているじゃないか。
「そう警戒せずとも、何もせんよ。ほっほっほ」
ご老体は分かりきった常套句で油断を誘おうとしてくる。
これに騙されて気を緩め、言質を与えてしまった冒険者は多いと聞く。
どうやら支部長のお目当ては俺でなく、こいつのようだ。ほっと一安心といったところだろうか。
いや、予めそれを予測していたからこそ俺と一緒に行きたい等と言い出したのかもしれない。俺の知る限り、こいつのパーティーメンバーは愉快なやつらばかりだったが、身分は高いやつらでもあった。孤立することを恐れたのかもしれない。
「お前さん、折角儂が招待状を贈ったというのに、使わんかったのか」
「ええまあ、アントがどうしても来られない事情が出来てしまったものでやむを得ず代理となりました」
上手い。
わざとハヤテに非があるようなていで向けられた言葉を、上手に切り抜けている。
これで一言でも謝っていたら、それを理由に何がしかの対価を払うよう言われていただろう。
かといって、面と向かって非を否定すれば、相手への配慮を欠くと言われるところだ。それなりに地位のある人間からの贈り物を拒否するのは、あまりよろしい行動では無いのは常識だ。
使わなかったのが事実である以上、理由は必要だが、中々巧妙な言い方だ。一旦肯定した上で、自分の非を一切言っていない。難を言えば、少し責任転嫁にも思えるところか。それにしても及第点の返答だ。
しばらくそんなやり取りが続いた。
ご老人が、何とか自分に有利な立場を作ろうとした言葉を、ハヤテは軽やかに、かつしたたかに躱していく。
俺からすれば、そこまでしてこのご老人がハヤテから得たいものがあるとは思えないのだが、どういう事情なのだろうか。この人をここまで本気で対応させているものが、ただの冒険者にあるというのだろうか。
だが、流石に年季の入った老獪さに適うものではなかったようだ。徐々にハヤテのほうが押され気味になりはじめた。
若干言葉を選ぶために、返答が遅くなり始めたのが見て取れる。このまま行けば、老人が思惑通りのところに落ち着く。
そう思っていたときだった。
「なんだい、むさ苦しいのが揃って何の悪巧みだい?」
かなり性格のきつそうな、年配の女性が話しかけてきた。
胸元のリボンと花を見れば、魔術師団の幹部と分かる。魔術師団は騎士団や冒険者のように切った張ったの世界に身を置く者は少ない代わりに、医療、建築、運輸、防衛、生産等のあらゆる分野に広く貢献している。
騎士団が王侯貴族に近く、冒険者が大衆に近い組織であるのなら、民衆と王侯貴族との仲立ちになる、この国の要とも言える組織が魔術師団だ。そこの幹部ともなれば、とてつもなく広い人脈がある。
そんな御仁が、わざわざ声を掛けてきた。恐らくギルド支部長への挨拶だろうと思っていたが、なにやら風向きが妙だ。
「いい年こいたじいさんが、あたしの招待客をいじめるんじゃないよ」
「年ならお前さんも人のこと言えんじゃろうが。それにこやつは儂の招待客じゃ」
「一緒にするんじゃないよ。女は50過ぎると若返っていくもんなんだよ。第一この子の胸を見てごらん。ギルドの花なんてつけてないじゃないか。ボケ始めたんならとっとと引退しな」
「お前さんも目が耄碌しているのではないかの? こやつの花は魔術師団の花とは違うように見えるがのう。悪いが儂の目はお前さんの顔の皺まで見えるほどじゃぞ?」
喧々諤々の言い争いをし始めた。流石に目立つ。
この町でも屈指の権力者が、これまた屈指の実力者と言い争う様は注目の的だ。
言い争っている内容が内容だけに、ハヤテは逃げることも出来ない。流石にこれは可哀想だ。
困った顔で俺の方をハヤテが見て来たが、俺にだってどうすることも出来ない。策が無い訳じゃ無いが、それを今使うのは不自然だ。
既に、ハヤテの事とは無関係な悪口合戦にまでなりかけている状況で、俺に何ができるというのか。やれ昔からあんたは魔術師団に迷惑かけてばかりだっただの、やれお前さんも昔は儂に助けて貰ったじゃろうだの、挙句には40年前の宿屋の食事で1個余計に食べた蒸かし芋のことまで言い争いだした。
年を感じさせない記憶力の良さに称賛すべきか、或いは何を子供じみた言い争いをしているのかと呆れるべきか。
「エッダ女史も、支部長も、それぐらいにしておいてもらえませんかね?」
ふと見れば、独特の存在感を持つ大男が仲裁に入ってきた。赤獅子の異名を持つ騎士団長殿だ。
やはり正義を守る立場として、こういう子供じみた言い争いは見過ごせないのだろう。
「ご両人とも、私の招待客を困らせないで頂きたいものですな」
いや、何だか様子がおかしい。
「若造はすっこんでな。この子はあたしが招待したからここに来たんだ。あたしとは一緒に仕事をしたぐらいに親しいんだよ。そのあたしの招待を受けたと考えるのが当然じゃないかい」
「いやいや、親しさでいうなら、ハヤテがこの町に来た時から面倒見てきたのは私らです。御老人方は、年も離れすぎているでしょう。年も近い連中だって多いし、騎士団の誘いを受けたと考えるのが、当然ってものでしょう」
「お主らもまだまだじゃな。こやつは冒険者じゃ。それも、誰に強制されたわけでもない本人の選択。騎士団とも、魔術師団とも距離を取りたいという意思表示に他ならん。であれば、儂の招待があったからこそ来たと考えるべきではないか」
老人2人のもめ事が、更にややこしくなってきた。
事は三つ巴の様相を呈してきた。既に周りからも余興の1つのように扱われている。
ハヤテ本人がかなり困惑している様子だったので、少し助け舟を出してやることにしよう。
そう考えて、ちょっとばかり部屋を出ることにする。
部屋を出ても、言い争いの声は漏れ聞こえてきているが、内容はかなりプライベートな事まで及んでいるようだ。
孫の婿がどうとか、パーティーメンバーがどうとか、果ては王女がどうとか聞こえてきた。ハヤテは王女にまで手を出していたのか。
助けてやるのは止めるか。
そう思っていると、ハヤテは誰を選ぶのかと詰め寄られ始めたらしい。困惑しだしたらしい声が聞こえてくる。
どの組織の関係者として名乗らせるかという争いが、いつの間にやら伴侶の選択になっているらしい。あいつが何でモテるのかは分からんが、モテる奴もそれはそれで大変なようだ。
こういった場では、誰が誰と親しいかを喧伝することで、力関係や上下関係を推し測ることも多い。だからハヤテを自分の組織の招待客だとしておきたいという思惑は分かる。
多分、それほどまでにハヤテが優秀なのだろう。そうは見えないが、見かけによらないだけかもしれない。
だが、流石に恋人に関連付けてまで囲い込もうとするのはやりすぎだ。これだから人間という奴は面白いのだが。
楽しそうだからもう少し聞いていたい。だが、幾らなんでもこのままなら、可哀想な男が1人出来てしまうだろうし、もう少しで俺がこのパーティーに呼ばれた理由に関わる催しがある。そろそろ騒動を収めるとしよう。
改めて後夜祭会場に入り直し、多少慌てた風に装ってハヤテに声を掛ける。
「ハヤテ、お前のパーティーメンバーが、重要な話があるからすぐに中央広場まで来てくれと言っていた。今すぐ来て欲しいらしい」
「え? 分かった、直ぐ行く。それでは私はこれで失礼します。御三方とも、ご招待いただきありがとうございました」
獲物に逃げられたような顔をする3人と、その視線から逃げるように部屋を後にしたハヤテ。脱兎のごとくとはあのことか。
「やってくれたのう」
「さて、何の事でしょうか」
結構な威圧を掛けてくる支部長の貫禄を受け止めつつ、目線を逸らす。
「あんたは行かなくても良いのかい?」
「俺には、見届ける義務がありますからね。ほら、あれ」
魔術師団の婆様の質問には、同じく目線を横に向けることで応える。
その先にあったのは、今出て来たばかりの王女と王子だ。
王女が頭に付けているのは月桂冠。
面倒な騒動をしでかしてくれた王子が身に着けているのは、ドワーフの宝剣だ。重そうな剣に体が泳いでしまっている。
「そういえば、例の冠はエルフの宝でしたな」
「ええ。最後まで見届けるのも、俺の役目です」
騎士団長には、頷きで答える。
こう言った公開の場で、王族が身に付ける装飾品には意味がある。贈り物や特別な借り物を身に付けることで、その贈り主や持ち主と親しいことを喧伝する目的がある。
隣国からの贈り物を身に付ける事は良くあることだが、それは主に王位継承権の高い王族が行う。王位継承権が低い王族は、逆にそういった高位の相手からの贈り物を身に付けることを遠慮するのが習わし。その点、俺らのようなエルフの宝となると、格式もちょうど良いというわけだ。王族が身に付けてもおかしくない格は備えているが、国内的な立場に留まるのだから。
身に付けたドレスに比べると、若干見劣りがしてしまうのは、魔力を失くしたからだろう。
長老からのあの話も、真剣に考えねばならない。
俺はそう確信した。




