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水の理  作者: 古流 望
4章 最強のパーティー
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062話 吐いた者の結末

 走る速度。

 それはこの世界ではかなり個人差がある。

 これはステータスの敏捷値に個人差があるからだ。

 数字が倍ほども違えば、そこには目に見えた速度の違いがある。動物や魔物にも、ステータスがあるらしいことは言われているらしく、基本値がそれぞれの種ごとに違うという仮説があるそうだ。


 それ故に、ステータスを上げることは誰にでも分かり易い強さや速さ向上の指標と考えられている。そして、その向上については様々な研究がなされている。体を鍛えることで、ステータスが上がることも多いらしいが、最も簡単な方法としてレベルと呼ばれるものを向上させる方法がある。

 魔物や魔獣、或いは獣。そういった魔力を持つものを殺害ないし負傷させることで上がると言われていて、この方法は世間一般に広く知られている。ただし、当然危険も大きい。命をチップとして賭けた、魔獣とのギャンブルとも言えるものである。命を賭ける倍率の高い相手。つまり強い相手であるほど、そのリターンも大きいという話だ。この世界にギャンブラーが多い理由も分かる。


 安全にレベルを上げる方法もある。

 滝行などに代表される修行がそれにあたる。

 魔力を溶かし込みやすいと言われる清らかな水に触れ続けたり、或いは単に魔力濃度の高い洞窟などで過ごしたりすることで、戦闘や争いをせずともレベルを上げられると言われている。人そのものを魔道具や聖水と同じように扱うわけだ。

 ただし、己と向き合い続けるこの修行も、争う事とは別の、高い精神性を求められる。一説には、この修行を突き詰めて仙人のようになった者もいるとか。


 そんな苦労をしてステータスを上げる方法もあれば、一時的にせよもっと楽にステータスを向上させる方法もある。魔道具の使用がそれだ。

 魔力を人に集めるのではなく、道具に集める。そして、その結果として道具がステータスを向上させる効果を持つことがある。魔道具を使うことで、誰もが簡単に魔法を使え、ステータスを向上させることができる。それ故に希少であり、また高価である。


 では、高価な魔道具を使わず、修行という苦難や戦闘といった危険を経験することもなくステータスを向上させる方法は無いだろうか。そんな都合の良いものが、そうそうあるとは思えない。普通の人間ならそう思っても仕方の無い事ではある。

 だが、物事には必ず例外というものがある。特に規格外なものは、えてしてその例外になりやすい。

 走る馬車の中で、僕たちはそれを実感していた。


 「ア、アクア。す、少し揺れすぎではないか? も、もう少し、ゆっくりと走らせてもい、良いと私は思うのだが」

 「ぼ、僕もア、アントに賛成」


 馬車を疾走させるのは、自ら手綱を握り、馬を操る貴族令嬢。

 サスペンションだの舗装道路だのといったものの無い場所で、馬車を勢いよく走らせればどうなるか。答えは考えるまでも無くはっきりしている。

 遊園地のアトラクションのように大きく揺れる馬車の車内。舌を噛むまいと、必死になっているのは僕とアントの男2人組。ギシギシと揺れる2人の空間と1人分の御者台。


 「……普通に歩かせているだけ」

 「し、しかし、この揺れは今までに経験したことがないぞ」

 「ハヤテのせい」

 「ええいハヤテ。な、なんとかしろ。これもお前の魔法のせいだろうが」

 「そんなことまで僕は責任取れないよ」


 アントが必死になる通り、今馬車を走らせている速度は普通よりも段違いに早い。

 それは、馬車を牽く馬に【敏捷増強】の魔法をかけたからだ。

 物は試しとやった事だったが、思いのほか上手くいった。というより、上手くいきすぎた結果が今の有様だ。風切る様にとはまさにこのこと。凄い勢いで風景が流れていく。

 ひっきりなしに車体が上下する為に座っていられず、最早座席が全くの無意味になってしまった。馬車が壊れそうな勢いだ。


◆◆◆◆◆


 「おえ~ゲロゲロ」

 「大丈夫か? まさかアントが車に弱いとはなあ……」


 アクアが背中をさすってあげている中、辛そうなのはカッコいい方の伯爵様だ。今だけは、どうみてもカッコいいとは言えない有様なのはご愛嬌。

 どうやら、あまりの速度と揺れに、馬車に乗るのに慣れているはずのアレクセン伯爵閣下が車酔いしてしまったようだ。しばらくは我慢して馬車を走らせていたものの、耐え切れずにダムは決壊。馬車を停めて処理することになった。

 この世界でも車酔いする人間が居るとは思わなかったが、酔い止めなんていう都合の良いものがあるわけも無く、ただこうして落ち着くのを待っている訳だ。


 「アント、ほい」

 「すまん」


 僕は水筒を投げて渡す。

 口をゆすぐ様にして水を飲んだところで、アントもようやく落ち着いたらしい。

 まだ顔を青くして気持ち悪そうにしているが、多少はマシになったか。


 「はぁ、はぁ、死ぬかと思ったぞ。幾ら時間が無いからといって飛ばしすぎだろう。このままでいけば、片道3日と言わず1日半で着いてしまいそうだ。うっぷ」

 「僕もまさかここまで劇的な効果があるとは思わなくて。本当に大丈夫か?」

 「だ、大丈夫だ。これぐらい、気合で何とかしてみせる」


 何とかなりそうには思えない感じだが、それを言っても始まらない。

 本人が、例え強がりでも大丈夫と言うのだから、信じるしかないだろう。

 幸いにして、ここまで大したトラブルにも遭わずに来られた。そして、これからはトラブルが起きるだろう。


 「……ハヤテ」

 「分かっている。アクアはそのまま馬車を壊されないようにだけ警戒よろしく。そろそろあちらさんも準備ができたっぽいし」


 隠す気の無さそうな殺気が辺りに漂ってきている。僅かに金属のような、堅いものがこすれる音もする。心を落ち着かせてみれば、意外と周りも見えてくるものだ。

 アクアに馬車の守りを任せる。ここで一番痛いのは、馬や車輪をやられて、依頼の達成が難しくなること。いざという時には素早く臨機応変に動けるアクアは、後ろで後詰めを任せるのに最適だ。

 僕らがこなすべきなのは依頼であって、移動手段である馬車を守ることはかなり重要だ。その為には、敏捷が高く守備範囲が広いアクアに広範囲でカバーしてもらえればかなり気楽に戦える。

 誰かさんの胃が不味そうなら、そちらのサポートに行ってもらうことも想定しているわけだが。


 「おいハヤテ、あいつらを下手に生かそうとは思うなよ。どうせ捕まった所で死罪。生かしておくと他の人間がまた私たちと同じ目に遭う。私もそうだったが、常に最善を尽くすというのは、剣を教わる時には真っ先に習う心構えだ。手加減は驕りでしかないし、敵への情けは毒でしかない。くれぐれも躊躇(ためら)うようなことはするな」

 「……心する」


 なるほど、気を付けるのは宋襄の仁か。

 相手が自分たちを殺しても良いと思っているのに、こちらが手加減を考えるというのは驕りでしかないだろう。命のやり取りが当たり前なのだと、改めて実感する。


 僕らがアントの介抱をしているうちに囲んできたのだろうが、相手は恐らくそれなりに数が居る。多分盗賊かそれに類する種類の人間だろうとは思うが、僕だけでなくアクアにもこんな遠くから気づかれているからには、強敵と言うほどでもなさそうだ。アントが車酔いでへばっている事だけが不安要素だろうか。

 光物を抜く様子も微かに見えたところで、こちらに敵意があるのは確定だ。

 さて、先手を取ってみますか。


◆◆◆◆◆


 「アニキ、囲みやしたぜ」

 「よし、合図と共に一斉かかるぞ。抜かるなよ」

 「へっへっへ、任せて下せえ」


 この俺様にかかれば、あんなガキ3人を囲んでしまうのは朝飯前の仕事だ。

 後はこのまま皆殺しにして身ぐるみを剥げば、頼まれた仕事は終わる。ちょろいもんだ。これで5千ヤールドてなあ、ぼろ儲けだ。当分は旨い酒が飲めるし、良い女も買える。


 最初俺らの縄張りに、金持ちそうなくせにフードで顔を隠した奴が現れた時には警戒もした。人の事は俺らも言えねえが、怪しい奴だったからな。

 その上かなりの前金を投げて寄越し、冒険者3人を殺せばもっと金をやると言ってきた時にゃあ、どんな大物が相手かとビビりもしたもんだ。打ち合わせよりもかなり早く、俺らの待ち伏せている所まで来たことを合わせて考えれば、俺だって多少の焦りもあったさ。

 だが実際見てみりゃ、なんてことはなかった。スカも良い所だな。


 見た所、本当にガキが3人だけ。それも素人なのは間違いねえな。

 ここまで馬車を走らせてきたようだが、打ち合わせから言えば早すぎる。馬を酷使して全力疾走させて来たに違いねえ。普通、日を跨ぐような距離まで馬車を走らせるなら、馬を疲れさせるのは馬鹿がやることだ。動けねえ馬は単なる荷物にしかならねえ。急がせすぎて足でも挫かせると目も当てられん。

 それだけでもあいつらが素人の証だと言える。それも、どが付く新人だろう。

 一応様子を見た感じでも大したやつらには思えねえ。


 1人は金髪の野郎だが、既にへばってやがる。大方、今回が初任務のペーペーの冒険者が、緊張で吐きやがったんだろう。情けねえ野郎だ。こいつは大したことねえ。まあ、2人がかりで掛かれば小便ちびって泣き出すだろう。


 おまけにもう1人は黒髪で小柄な奴だ。一丁前に剣を構えだしてはいるが、構えも素人臭え。まだ金髪のガキの方が構えもしっかりしている。ありゃ剣を握って間が無い新人だ。この俺様の見立てに間違いはねえ。

 まだかなり距離があるが、これだけ離れていて俺たちの囲みに気付いたらしいところを見ると、大方警戒を最も得意として役割をこなしている斥候職だろう。パーティーで言えば目。恐らく近所の村から町に出てきた狩人辺りが冒険者になったんだろう。斥候役としてはありふれた話だ。武器が弓で無く不慣れな剣なのは、騎士に憧れて冒険者になったからってところか。身の程知らずって奴だ。


 その上もう1人は色白で、黒髪の奴よりも小柄なチビだ。ガタイが良いわけじゃねえから魔術師か治療術師かと思えば、剣を構えてやがる。あんなチビが剣を振った所で、剣に振り回されるのが落ちだ。

 いや、こいつも雑魚かとも思ったが、構え自体はしっかりしてやがる。剣も使い慣れていそうな様子だし、それなりに出来そうだ。こいつが一番厄介そうな相手だな。身に付けている鎧がそこそこ高そうなところから見て、恐らく商人か低位貴族の次男坊か三男坊あたり。時間と金が余っているボンボンが、剣の手ほどきを受けて、箔付けに冒険者になったってとこか。あのフード野郎に恨みを買っているのは多分こいつだ。金の恨みか何かだろう。こんなガキに女の恨みってのは無いだろうからな。

 こいつが付けている鎧は俺が貰う。あんなチビには勿体ないってもんだ。

 フード野郎が言っていたアヤテ=ヤマナシだかハヤオ=ヤマナシだかもこいつだろう。一番強いらしいリーダーってのは、この茶髪のガキで決まりだ。魔法を使うらしいってことしか聞いてねえが、馬車の方に下がって後衛についたからには間違いねえ。前衛を他の2人に任せる後衛魔法職で、剣も使える万能屋。聞いていた通りだ。


 手下どもの準備も出来たらしい。

 思わずよだれが出てしまいそうな美味しい獲物。こいつらが舌なめずりするのも当然の相手だ。金持ちそうなガキ3人。早速料理してやるか。

 俺はゆっくりと片手を上げる。


 「ぐわっ」


 俺が獲物を襲う合図を出そうとした時だ。

 突然、手下の1人が吹っ飛ばされた。


 「何だ、何があった!!」

 「分かんねえよっ。いきなり光る線みたいなのが見えたと思ったら……」


 まさか、魔術師の仕業か。

 だとしたら、やったのはあの色白のガキに違いねえ。クソッタレが。

 こっちが手出しできない距離から魔法を撃ってくるとは卑怯な野郎だ。許せねえ。


 「てめえら舐めた真似を許すんじゃねえ。一斉にかかれ!!」

 「おおぅ」

 「うらあ!!」


 腕っぷしに自信のある奴らが競ってガキ共目掛けて襲い掛かる。獲物は早い者勝ちの掟だけに、我先にと駆けだす。

 だが、飛ばされた馬鹿が邪魔で俺と周りの数人が出遅れる。

 ふざけやがって。美味しい獲物は俺が貰うんだよ。抜けがけしやがった連中は後でぶん殴ってやる。

 俺は血を流して呻いている馬鹿を殴りつけて脇にどかし、久々の上等酒の為に剣を握り込む。楽しい時間の始まりだぜ。


◆◆◆◆◆


 「上手く足並みを乱せたかな」

 「ああ、そのようだな。1人後ろに吹っ飛んだ。お前の魔法は相変わらず良い威力をしていたぞ。ハヤテ、お前はあっちの連中で良いな。私はこっちの連中をやる。背中は任せるぞ」

 「途中で吐くなよ?」

 「私を舐めるな。こんな連中になぞ、例え寝ていても勝てる」


 青かった顔に若干血の気を戻しつつ、アントが襲い掛かってくる暴徒を迎えうつ。剣の申し子のような力強くも巧みな剣さばきは、例え体調が万全でなくともそうそう衰えはしないらしい。敵に向かって駆け出したかと思えば、あっという間に2人を斬り飛ばし、さらに群れの奥へ吶喊していった。馬車の上とは大違いの動きだ。

 あいつは心配なんてするだけ無駄な事だったらしい。

 相変わらず頼もしい奴だ。


 僕もアクアとアントに背中を任せ、気味が悪いニヤケ面で向かってくる連中に対処する。

 奇声をあげながら鈍足で走ってくる連中が、1,2……10人ほど。こっち側は意外に人数が少ない。アントの担当側と比べて半分程か。

 これなら魔法を使うまでもなくすぐに片が付く。

 手に手に、薄汚れて錆の浮いた剣の残骸を持ち、向かってくる賊。

 その先頭を駆ける2人に向かって、一気に剣を払った。


 周りの時間が遅くなった気がするほどの集中した戦い。

 一瞬で1人の首と1人の腕を斬り飛ばし、それがゆっくりと宙に舞う。血しぶきが飛び散り、赤い水滴の形が流動体の球を作ろうする。

 赤黒く濁った水玉の群れが、弱弱しい放物線を描きつつ地面に落ち始めた頃。既に僕は一足で相手方へ踏み込んで、更にもう3人を斬り伏せていた。

 切られた事すら気づいていない雰囲気の連中が、ゆっくりゆっくりと僕に驚愕の目を向けてくる。

 多分こいつらは何が起きたかを目で追えなかったのだろう。

 そいつらの気色悪い顔を見る前に、斬った賊の1人の膝を踏み込んで跳躍する。

 膝を足台にして踏み込んだ時に、敵の足の皿が割れる感触がした。


 とんぼ返りのように空中で体を回転させつつ、残った敵を見る。

 一様に驚いた雰囲気だが、残りは5人。詰問に1人は残して4人は倒さなければならない。


 ひねりを加えた前方1回転でそのまま残りの敵の中に着地する。驚きを未だに隠せていないのは、驚愕を収束させる術を知らないのかとさえ思えてしまう。

 慌てて汚らしい剣を振り降ろして来た奴も居たが、その剣を僕はナイフで弾く。甲高い金属音が音叉を叩いた時のように辺りに響く。手に伝わってくるのは硬い何かを叩いた感触。

 そのままの勢いで首を斬り落とし、残りは3人。


 ゆっくりと、踵を返して逃げ出そうとしだした賊達。

 無防備な背中を見せ始めた所で斜めに袈裟がけし、2人を屠る。逆エビのように体を逸らせつつ死んでいく敵。

 更に少し離れた所の奴には、飛び掛かる様にして突きを見舞う。

 くぐもった様な、まるで猿の断末魔のような声をしながら敵はこと切れる。


 尚も逃げようとするリーダーっぽい男の足を踏みつけ、逃走を阻止する。

 小剣を首元に突きつけ、僕は言い放った。慣れないセリフに、自分でも内心では似合わないと感じつつ、精一杯の威厳を演出しながら。


 「大人しくしろ。そうすればまだ生かしておいてやる」

 「た、助けてくれ。命だけは。か、金ならやる。金なら幾らでもやるから殺さないでくれっ!!」


 何とも見苦しい醜態を晒す。腰を抜かしたかのようだ。

 偉そうにしていた割には、存外大したことは無かった。

 ゴブリンの群れと戦った時の村人たちよりは腕もたったようだったが、どのみち僕たちの相手には力不足だったのは間違いない。

 我らがヒーローのアレクセン伯爵様も、既に決着をつけたらしい。

 それを見て、アクアが僕の方に歩み寄ってきた。アントも剣の血を拭いつつ歩いてきている。


 「あ、あんた。そう、あんただよ。ヤマナシとかいう冒険者はあんただろ。なあ、頼むよ助けてくれ。何でもする。だから殺さないでくれ。この通り!!」


 目の前の賊のリーダー。何故かアクアに向かって土下座のように頭を下げ始めた。いきなりのことに驚いてしまう。

 ヤマナシというのは僕の事だが、どうやらこいつは何かを勘違いしているらしい。


 「……ボクはアクア」

 「そう、そうだよ、そうだった。アクア=ヤマナシ。今思い出した、間違いねえ。良い名前だ。流石だよあんた。スゲエよ。きっと慈悲深い。俺を助けてくれるんだ。そうだよな? な?」


 可哀想に。どうやらかなり取り乱しているらしい。なりふり構ってられないという事だろうが、助かりたい一心なのだろう。自分でも何を言っているか分かっていない状況ではないだろうか。

 何でありもしない物を思い出せるのか。意味が分からない。狼狽もここまでくれば見苦しいを通り越してあきれてしまう。

 アクアも、きっとここは明確に間違いを訂正するだろう。

 貴族にとっては家名は特別な意味を持つと言うし、そこら辺は彼女も教え込まれているはずだ。否定の言葉がアクアの口から出てくるのを待つ。


 「……そう、ボクはアクア=ヤマナシ」


 ……何だって?

 何故か僕の方を、頬を染めながらチラ見したアクアは、賊が勘違いした名前に対して驚きの態度で接した。

 不思議なことに、相手の勘違いを全面的に肯定したのだ。

 どういう事だ。何か意図があってのことか?

 さっぱりアクアの思惑が読めない。

 普段は鉄面皮な顔を、僅かに赤らめながら綻ばせているのに至っては理解不能だ。僕の家名を付けた名前を名乗るとは、何を考えているのか。


 いや、そうか分かった。こいつらに本名を名乗るのは、なにがしかの危険があるのだ。流石にアクアは考えが深いと感心してしまう。

 僕が知らないだけで、何かこいつらが見聞きしたことを知る手段があり、それが危険な事なのだろう。鑑定だの看破だのの魔法がある世界で、心や考えを読んだり、嘘を発見したりする魔法があっても何の不思議も無い。

 だとすれば、ここで本名を名乗らず、名前をあえて偽名にするのにも、アクアなりに意味があっての事に違いない。そうでなければ、僕の家名を名乗る理由が無い。

 その意味までは分からないが、咄嗟に傍に居た人間の名前で誤魔化した。顔を赤らめたのは、上手いネーミングを思いつかなかったことを恥じてだろう。彼女のネーミングセンスについては、パーティー名を決める時に分かっている。

 僕だって、例えばペットの名前を咄嗟に最強王とかハイパーグレートワンダーとか厨二病全開にして、おまけに他人に呼ばれれば恥ずかしくなるだろう。それと同じに違いない。

 ここはあえてアクアに合わせておくべきだろう。空気の読める男とは、そういうものだ。どこか違和感も残る気もするが、今の所思いつく限りでは最も妥当な判断だろう。そう信じたい。


 アントの方を見ると、かなりの良い笑顔をしていた。何かを思いついたような感じ。恐らく、幼馴染同士の以心伝心で、アクアの意図を察したに違いない。珍しく空気を読んだ様子だ。流石アント。伊達に腹芸の要求される貴族をやっていない。


 「おい、そこのお前。ついでに聞くが、アリシー=アレクセンという名前はどう思う?」

 「そ、それがあんたの名前か? 良い名前だ。気品がある。世界一だよ。きっと優しいにちがいねえ。だろ? な、そうだろ?」

 「わはは、そうかそうか。お前の言うとおりだ。最高だと思うだろう。おいハヤテ、案外こいつは良い奴だな」


 おいおいちょっとまて。

 敵に情けを掛けるなと言っていたのは、どこのどいつだ。何が案外良い奴だ。いっそ団長に一から精神修行をやり直して貰え。

 幾ら偽名にしたって、女性名を名乗る奴があるか。

 それも例によって巨乳のシスター見習いの名前。家名は自分の家名。こいつの頭の中の80%ぐらいは彼女の事で占められているに違いない。残りの20%も、さっき全部吐き出した可能性は捨てがたい。


 もしかしてアクアも同じような理由だったりするのか?

 いや、違うだろう。アントはアクアの意見に乗っかっただけだが、アクアは賊の意見に沿っている。思いもよらない言葉への対応と、それを受けて思いついた桃色な考えとを一緒にしては不味いはずだ。

 ため息を殺しつつ、僕は額を地面に擦りつける様にしている男に向かって言葉を投げかける。


 「とりあえず聞きたいことがある。お前たちは何で僕らを襲った?」

 「た、頼まれたんだ。お前たちを襲えば金をくれるってよ。俺もやりたくなかったんだ。仕方なかったんだよ」

 「頼んだのは誰だ」

 「知らねえ。フードを被っていたからよ。本当だって。信じてくれ。嘘じゃねえよ」


 実に嘘っぽい。

 何でそんな得体のしれない人間のいう事で、人殺しに近いことまでやろうと考えるのか。普通の常識では考えられない。

 やりたくなかったと言うのも、まず間違いなく嘘だ。したくないことなら、最初の方で下卑た顔で笑っていたのを説明できない。助かりたくて必死になっている訳だろう。浅ましいことだ。


 「それで、じゃあなんでそんな誰かわからない奴のいう事を聞いたんだ?」

 「前金貰ったんだよ。顔を隠したがる奴は俺らの周りじゃ結構多いし、金払いが良い奴だったから信じたんだ。なあ、ここまで話したんだから助けてくれるんだろ?」


 しつこい奴だ。

 それだけ生きることに必死だとも言えるのだろうが、どうせ盗賊の類は問答無用で死刑なのだそうだ。町に連れて行っても同じ事だろうとは思うのだが、それでも縋る様に生きようとするのは人のサガだろうか。


 「で、どうする?」

 「まあ、縛り上げておいて、後で騎士団に突きだすしか無いだろうな。どうやら話を聞く限り、あのいけ好かない依頼人もあからさまに繋がりを示す証人は作らなかったらしいしな。こいつを締め上げた所で、こいつらが誰か怪しい奴に頼まれていたことぐらいしか分からんだろう。顔を見られる愚は犯さないだろうし、本人が直接出向いているとは限らん」

 「アントもそう思うか。ならとりあえず一緒に連れていくか」


 あからさまに安堵の表情を見せた賊の頭領は、縛り上げる時には大人しくしていた。ずっと僕かアントが首筋に剣を当てていたというのもあって、生きた心地がしなかったのだろう。それから解放されるだけでも、本人にとってはマシな事なのかもしれない。

 後ろ手にして縛り上げ、その上で猿ぐつわもかましておく。


 「アクア、それは何?」

 「御札」

 「いや、それは見れば分かるけどさ」

 「なんだハヤテ、その札を知らんのか。わはは仕方が無い。私が教えてやろう。その札は人が身に付けて魔法を念じようとすると赤く色付くのだ。犯罪者が魔法を使って逃げようとしないように使うのが一般的な代物だ。騎士団でも使っている」

 「へ~」


 そんなものがあるのか。便利なものもあるもんだ。

 いっそ人のステータスの覗き見が趣味な爺様に付けておいて欲しいものだ。

 アクアが準備周到なのは、相変わらずと言うわけか。


 複雑怪奇な文様が書かれた札を、賊に貼ろうとした瞬間。何かが濃密になる気配を感じた。魔法が発動する場所に起きる現象によく似ている。

 これがその札の効果かと思っていた時だった。


 「何をぼさっとしているハヤテ。魔法だ、避けろ!!」


 アントが叫んで後ろに大きく飛び退いた。

 アクアも同じようにその場を離れているのが見える。慌ててそれに習って後ろに飛び退く。


 「ぎゃ~!!」


 縛り上げていた賊の体に、影のようなものがまとわりついたかと思った瞬間。賊の男が苦しげな悲鳴を上げ始めた。

 さっきまでの見苦しい様子とは違い、肉体的な苦痛による悲鳴。

 身動きが取れないように括っていたが故に、身悶える様は不気味にも思える。まるで火で炙られた芋虫のようにうごめく男。そしてそれが収まった時には、完全に白目を向いていた。ピクリとも動かない。

 近寄って確かめてみれば、既に死んでいた。

 何が起きたのか。


 「一体何?」

 「私に分かるか。だが恐らく誰かが口封じか証拠隠滅でも図ったのだろう。やられたな」

 「だとしたら……アント、あそこだ」


 僅かに何かが動いたのが見えた。


 魔法は距離が離れると使えないものが多い。

 そう遠くない場所に犯人が居るはず。そう考えて辺りを見回した所で、その犯人らしきものが逃げ出すのが見えた。距離は若干離れている。おまけに馬に乗っているらしい。


 「追うぞ」


 アントが駆けだす。

 言われるまでも無いと、僕も慌てて犯人の影を追いかける。

 アクアは馬車へ向けて走っていく。


 相手はかなりの速さで北へ向けて走っている。なにせ騎乗だし、差が詰まらない。それどころかどんどん離れていく。

 流石に走るのに疲れてきた。息が弾む。


 「ハヤテ、アント」


 アクアの声で、馬車が横に来ていると気付く。

 アントと一緒に、飛び乗る様にして馬車に掴まる。

 【敏捷増強】の魔法をかけたことで、一気に速度が上がる。


 相手との差が一気に詰まっていく。

 ようやく追いつく。

 そう思った時だった。


 目の前で川が邪魔をした。


 相手は馬ごと川に飛び込み、そのまま馬を泳がせている。

 こちらは馬車。同じようにはいかなかった。

 やむを得ず馬車を停める。


 川の流れはかなり早く、水量もある。

 それなのに馬で渡っている相手も、相当な騎乗の手練れなのだろう。

 泳いで追いかけるにも、この流れでは上手く泳げる自身が無い。

 石を拾って投げてみるが、中々当たらないし、相手も当たりそうなのは防いできた。


 そうこうしているうちに、相手は川を渡り切ってしまう。

 見る見るうちに小さくなっていく相手。


 「くそっ逃げられたか。うっぷ」

 「アント、落ち着きなよ。まだ完全に逃がした訳じゃ無い」


 そう、まだ完全に逃がしたわけでは無い。相手が逃げたのは僕らの目的地と同じ方向。まだ追いつける可能性はある。

 自分にも言い聞かせるようにして、深呼吸で息を整える。吸って吐いてと深い呼吸を数度繰り返す。

 走ったことで乱れていた息もしばらくして落ち着いてくる。


 「よし、それじゃあ早速追いかけよう」


 僕は勢いよくそう声を掛けた。

 振り向いた先にあったのは


 「おえ~気持ち悪い」


 しゃがみ込むアントだった。

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